『終わりと始まり』


 

「いい加減にしろよ!性懲りもないにもほどがあんだろうが!」

 

見飽きた三つのがん首に向かって、スバルは地面を踏み鳴らして苛立ちをぶつける。

三度目の邂逅、その全部が路地裏で三対一の状態だ。一度目、二度目とあれだけ徒労でしかない結果を迎えながら、それでもスバルを獲物にする彼らの執念深さには驚嘆する。

状況が状況でなければ、拍手のひとつでもしてやったかもしれないが、

 

「今はお前らに構ってる暇がない。落ち着いたら相手してやるから、そこを通せ」

 

焦燥感もあるが、一度は三対一で勝利している分、スバルの方には余裕がある。多少、強めに恫喝しておけば隙も見えるだろう、そんな思惑だった。だが、

 

「通せ、だってよ。どーするよ」

 

「その態度が気に入らねえな。命令すんのがどっち側か、わかってねえよ」

 

「三対一で無様に負けておいて、どの面下げて大口叩くんだ、お前ら……負け犬でももうちょっと申し訳なさそうに遠吠えするわ」

 

今の状況だと、正直なところスバル自身も負け犬気分は拭えない。

つまるところ、この場は負け犬だの敗残兵だのがこそこそと集まった寄り合い所か。

 

「ネガティブシンキングがすぎる!俺はもうちょっと上を見るキャラだったはず!」

 

「ダメだ、完全に頭おかしいぜ。珍しい格好だからって狙ったけど外したんじゃねえか」

 

スバルの大きい独り言に、男たちは苛立ちを隠さずに話し合う。鉈と素手は微妙にスバルへの興味を失い出しているが、最大の脅威であるナイフ男の視線は鋭い。

その目はスバルの財布としての価値は見限ったようだが、それ以外の暗い感情でひどく残酷に揺らめいていた。

 

その視線にスバルは胸中で「ヤバいな」と呟く。

二度の戦いを経て、男たちの中で一番厄介なのはナイフ男だとスバルは結論している。獲物の殺傷力もそうなら、その性質の面でも彼が一番『キレやすい』。

もみ合いになるどころか、接近するのすら避けるのが上策だろう。

 

「わかった。抵抗しない。なにが要求なのか言ってくれ」

 

両手を挙げて、敵意がないことをアピールしつつスバルは彼らにそう応じた。

さっきまでの強気な外交と打って変わって、相手の要求を呑むスタンスの弱腰外交だ。

ナイフ男の琴線に触れないことと、今はこの場を脱することが優先と考えたが故の判断。多少の損失は仕方ないと割り切って、とにかくこの場を逃れようと考える。

 

――まぁ、復讐目的だと下手したら袋叩きにされる可能性もあるけど。

もしも話の流れがそうなりかけたら、刺される前に一発入れて離脱しよう。大通りまで逃げ込めば奴らも派手な真似はできないだろうし。

 

内心で虎視眈々と保身の案を練るスバルに、男たちの態度は軟化する。

素直に要求に応じる構えを取ったスバルの臆病さを嘲笑うように、

 

「んだよ、最初っからビビってんならそーしろってんだよ、アホ」

「クソが。イモひくぐらいならでかい口叩くんじゃねえ」

「いいじゃねーの。なーんにもしないし、いうこと聞くんだろ?腰抜け」

 

カチンとくるワードがいくつか飛び出すが、スバルは「ハハハ」と乾いた愛想笑いでどうにか受け流す。

心の内で懲りない三人組を『トン・チン・カン』と名付け、ひそかに溜飲を下げながら、

 

「で、このアホでクソの腰抜けにいったい何をお求めでしょうか?」

 

「とりあえず身ぐるみ全部置いてけ。その珍しい着物と履物も全部だ。パンツだけは履いたままでいーぜ?俺らも悪魔じゃねえからな!」

 

へりくだったスバルに情け容赦のない嘲弄がぶつけられる。

『悪魔』の概念がこの世界にもあるんだな、と的外れな感想を抱く反面、彼らの発言にスバルは強い違和感を覚えていた。

 

身ぐるみ全部と着物と履物、これらの要求は確か――。

 

「お前らって、やっぱり俺の知らないところで頭とか強く打ったろ?」

 

最初の遭遇のとき、奴らが求めてきた内容とまったく同じなのだから。

頭を打ったか、でなければ自分たちの発言も顧みる記憶力がない残念な輩か、あるいは使い過ぎているテンプレ台詞なので誰に言ったかまでは覚えていない札付きのどれかだろう。

上から下にいくほど救えないが、自分たちを叩きのめしたスバルに対する態度の不可解さを考慮すると、最後の可能性が一番高いというのがまた救えない。

 

「フェルトといい、なんか記憶力残念な奴らが多すぎるな……」

 

「無駄口叩くんじゃねーよ。言う通りにする気がないのか?それとも言う通りにやれる頭がないのか?」

 

「頭とかお前らに言われたら終わりだな……」

 

最後の呟きだけは口の中だけにとどめて、スバルはとりあえず言う通りにするスタンスを見せる。

さすがに服と靴は勘弁してもらうよう交渉するか、あるいは近づいてきた奴らをいっぺんにどうにかしてしまおうかと考えながら、手の中のビニール袋に手を入れて――、

 

「あれ――?」

 

異世界へきてから最大級の、違和感にその眉を寄せていた。

 

「なん、で?」

 

呻くように呟き、スバルは白いビニール袋の中をゆっくりと確認する。

とんこつ醤油味のカップラーメンが入っていて、ズボンに入れておくのがわずらわしかった携帯と財布も一緒に入っている。そして、個人的な嗜好にもっとも合致する金色のお菓子。

そう、金色のお菓子――コーンポタージュ味のスナック菓子だ。

 

この世界へ放り込まれて以来、初めて口にした食べ物であり、盗品蔵でロム爺の憤激を和らげるのに大いに役立った外交手段であり、その結果として中身のなくなったはずのもの。

――その菓子が、中身をいっぱいにした状態でコンビニ袋の中に詰まっている。

 

「食べたはず、だ。ちょっぴしか残ってなかった、絶対に」

 

袋の中身は三分の一ほどまで減らされたはずだ。

そのはずの菓子の中身が元に戻っている。袋には開けた形跡も見当たらない。どう考えても異常だ。

 

傷の治りは説明ができた。サテラの魔法という前例があったからだ。故に盗品蔵での二度の惨劇の結果も、何者かの治療という形でスバルは己の中に決着を見ていた。

 

――だが、仮に超級の回復魔法の使い手が存在したとして、無くなったはずのものを復元することまで可能なのだろうか。

 

「そうだ、複製魔法……」

 

ロム爺がぽつりとこぼしていたことを思い出す。

複製魔法――そこにある存在を、外側だけとはいえ複製することが可能な魔法。その魔法を使えばこの状況を再現することも。

 

「袋の口はどーする。まさか糊付けまで直せるのが回復魔法なんて言うんじゃねぇだろうな」

 

現実的な考えだとは思えない。

そしてこの機械文明の発展を犠牲に、魔法系の文明が発達したと思しき世界において、この菓子袋の口を糊付けするという概念が理解できるとも思えない。

 

思考は八方ふさがりだ。だが、塞がった思考の中で、スバルはこの現象は回復魔法ではないと半ば結論していた。結論していながら発展を見せないのは、他に思い当たった可能性というものがあまりにも常識外れで、あり得ないと理性が否定していたからだ。

 

「おいコラ、てめえ、何をしてやがる」

 

「あ?」

 

ふいにすぐ近くで声をかけられて、スバルは呆気にとられた声を出していた。

男のひとり――徒手空拳の三番手『カン』と内心で呼んでいた男だ。いつの間にかすぐ側に寄ってきていた彼の姿にスバルは眉根を寄せ、

 

「なんだよ、近づいてきて。言っとくけど、手伝ってもらわなくても服ぐらい脱げる」

 

「誰もそんな手伝いしてやろうなんてしてねえ!お前がふらふらとこっちにきたんだろが!」

 

怒鳴りつけられて初めて、スバルは自分の姿が路地の奥から通り側まできていたことに気付いた。

思考の海に沈むうちに、無意識に移動していたらしい。しかし、男たちにはそんなスバルの呆けた態度が敵対行動にしか思えなかったらしい。

 

「言う通りにしねえなら、少し痛めつけてやろうか?」

 

「っつか、もう面倒くせーよ。こっちでやってやろーぜ」

 

男たちが短絡的な行動に出ようとし始めるのを見て、スバルはしばし思考に没頭するのを取り止める。

今、この場で必要なことは――、

 

「そーら、取ってこーい!!」

 

「なっ!?」

 

手の中のビニール袋を振り上げて、遠く路地の奥まで放り投げる。

放物線を描き、飛んでいくビニール袋は暗がりの方へとまっしぐらだ。当然、それを獲物と目論んでいた男たちの視線もそちらにつられる。

 

その隙を見て、男たちの脇を掻い潜ってスバルは猛ダッシュ。

何度も結論した通り、この場は男たちから逃れることが最優先。それから盗品蔵へ赴いて、浮上した疑惑への答えを得なくてはならない。

 

馬鹿馬鹿しい考えだとは自分でも思う。

治療魔法の使い手が、複製魔法だか復元魔法だかも極めた超人レベルの使い手で、たまたま盗品蔵の惨状に出くわし、持ち前の慈愛の精神から無償でスバルたちを治療し、スバルだけを八百屋の前で解放して、ハードボイルド一直線にそこから名乗りもせずに立ち去った。

そんな荒唐無稽な四方山話を聞かされる方が、まだそれなりに納得できる。

 

「いや、それも納得には程遠いけど」

 

整合性はまだそちらの方が取れるのだ。

少なくとも、今さっき脳裏を過ぎった根拠皆無な愚考に比べれば。

 

相反する二つの思考を持ったまま、スバルは路地裏の汚れた地面を駆け抜ける。

大通りへ出て、でかい声を出しながら走り回れば奴らも追いかけてくるわけにもいくまい。ビニール袋の中身は惜しいが、直前に抜き取っておいたので中に残っているのは菓子袋と重石代りの小銭が少々――被害としては軽微。

 

そう結論して足を踏み出し、スバルはふいにその一歩が大きく狙いをずらしたのに焦った。

ぐらりと体が揺れて、前に出したはずの足でたたらを踏む。が、今度は膝から力が抜けてその場に跪いてしまう。

前のめりに手をついて、このタイミングで転ぶなんて馬鹿かと己を叱咤。しかし、

 

「あれ、おかしいな……」

 

立ち上がるために力を込めようとして、地に立てた腕がガクガクと震える。とてもではないが体を持ち上げられない。それ以前に、手に持っていたものも落としている始末だ。

 

「だから素直に言うこと聞けってったんだよ、バーカ」

 

嘲りの声が真後ろから聞こえて、スバルはどうにか首をそちらへ傾ける。

後ろ、スバルのすぐ側に立っているのは二番目に立っていたから『チン』ともっとも屈辱的な渾名を付けていた男だ。

彼はその粗野な態度のままに、口の端を歪ませてスバルを指差す。

その指した先を視線で追って、スバルは自分が倒れた理由を把握した。

 

――倒れるスバルの背中、腰あたりにナイフが突き刺さっているのだ。

 

「ごぁっ……がっ……」

 

意識した瞬間、堪え難い激痛が走ってスバルの喉を塞いだ。

極々純粋で原始的な、鋭い痛みにのた打ち回る自由すら奪われる。

 

――刺された!刺された刺された刺された刺された刺された刺された。

 

他の二人と違い、ナイフを持ったチンだけは意識がビニール袋に向かわなかった。彼だけはあの時点で、物の価値よりスバルを痛めつける方に魅力を感じていたということだろう。

やはりトンとカンの二人より、優先すべきはチンへの対処であった。

それを怠った報いがこれだ。この数時間で、もはや何度も味わった類の激痛。しかし、何度味わったとしても、これに慣れることは永遠にあり得ない。

 

「おい、刺しちまったのか」

 

「仕方ねえだろ。表に逃げられてみろ。面倒どころの話じゃねえ」

 

「あーあ、こりゃダメだ。腹の中身が傷付いてっから死ぬな。……着物もびちゃびちゃだ」

 

人をひとり刺しておいて、他に考えることはないのかと激痛の端で文句を垂れる。

別のことに思考を割いていないと、意識が持っていかれかねない痛み。そしてトンの言葉を鑑みるに、一度意識を失えばもう戻ってこれない類の傷だ。

 

まだ意識のあるうちに対処しなくてはならない。

そう決断し、全身に残された力をかき集めて、遠吠え一回分の力を寄せ集める。それを舌に乗せて、いざ咆哮しようとし、

 

「はーい、何かされる前に二本目!」

 

二本目のナイフが無慈悲にも、背中のど真ん中へと突き立てられていた。

 

「――――――ぉぅぐ」

 

発しようとしていた叫びが、手足の先にまで走る電撃のような痺れにキャンセル。

もはや衝撃は痛みを堪えることや、叫びを発するといった行動を許す次元にはとどまっていない。スバルに残された選択肢はもう、何もなかった。

 

背中の傷が肺に達したのだろう。

掠れるような荒い息を繰り返しても、肺が膨らまずに呼吸が苦しくなっていく。酸素不足はスバルの活動に多大な影響を及ぼし、思考は今にも途切れそうなほど弱々しい。

 

手足の感覚は消え、自分がうつ伏せなのか仰向けなのかもわからない。

今回は目は切られていないはずなのに、視界は真っ暗で何も見えなかった。

 

――今回って、なんだよ。

 

馬鹿馬鹿しいと切り捨てたはずの考えに、縋っている自分がいるのが哀れだった。

その哀れな考えに縋るのなら、いっそとことん縋ってやろうとも思う。

 

――死ぬことから意識をそらせ。死ぬ前に、世界を把握しろ。

 

目は死んでいる。手足も終わっている。残っているのは鼻と耳ぐらいだ。ならばその両方を最大限まで駆使する。どんな残り香でもいいし、罵声を聞かされるのでも構わない。路地の泥の臭い。こみ上げてくる血の鉄臭い香り。今、鼻が死んだ。死んだ。耳も残りわずかしか活動できそうにない。

 

「……にか、金目……でも持っ……」

 

「……った!衛兵が……つけ……る!」

 

「…………げろ!ヤバい!……ったらシャレになら……!!」

 

拾えたのはそんなごくわずかの会話だけ。拾えたのはいいが、それをどういう意味か理解するための脳がすでに死んでいる。死んでいるから聞いただけ。聞いたそれを覚えておけるかはわからない。覚えておくってなんだろう。おぼえておいてどうしたいんだろう。どうしたいってなんだろう。なんだろうって――。

 

何よりも先に死んだ脳に従うように、他の機能も次々と息絶えて、最後には抜けるような掠れた音を吐いて、ナツキ・スバルは三度、命を落とした。

 

※ ※※※※※※※※※※※※

 

意識が覚醒したとき、スバルは闇の中にいた。

それが己が生んだ闇であることに気付き、そっと閉じた瞼を押し開く――と、眩い日差しが瞳を焼く痛みに、スバルは小さく呻いて掌でひさしを作った。

 

「兄ちゃん、リンガは?」

 

聞き慣れた声色が、目の前でスバルにそう問いかけてきている。

耳は正常。大通りの喧騒は相変わらずうるさいほどで、あの路地裏の残酷なほどの静寂とはかけ離れていた。

距離にしてみれば通りを一本、横に折れただけの違いでしかないのに。

 

「その通りを一本、曲がるのもできねぇとは情けねぇな」

 

自嘲の呟きを聞きつけて、しかし己への返答でないことに白い傷跡の目立つ八百屋の主人は不機嫌そうに顔をしかめる。

とっつき難そうな風貌だが、実は意外と世話焼きな人物であることをスバルは実体験から知っていた。もっとも、主人はそのことを覚えていないのだろうと思う。

そんな風に思いながら、スバルは改めてそのスカーフェイスに向き直り、

 

「俺の顔を見るのって、何回目?」

 

「何回もなにも新顔だろ、兄ちゃん。その目立つ格好なら忘れないぜ?」

 

「今日って何月何日でしたっけ?」

 

「タンムズの月、十四日目だ」

 

「ありがとう。――なるほど、タンムズの月か」

 

聞いてもわからない。

そもそもこの異世界で、暦はどんな感じで記録されているものなのだろうか。一応、何月何日で話が通る以上、太陽暦的なものの存在があるのだろうとは考えられる。

一般常識なのだろうが、問いかけるのも憚られる話だ。特に、今も熱心に商売に情熱を傾けている八百屋の店主などには。

 

押し黙るスバルに辛抱強く付き合っていた店主だが、さすがに果実一個買うのにここまで手間取る客の相手はしていられないと思ったのだろう。

ずいと掌に乗せたリンガとやらを差し出し、何度目かの決断を催促する。

 

「で、兄ちゃん、リンガは?」

 

強面を精いっぱい、笑みの形にしての営業スマイルだ。

白い傷跡がひきつって、愛想笑いのはずなのに子どもに好まれない形になっているのが見ていて笑えない。

そんな彼への返答を、スバルは腰に手を当てて胸を張り、

 

「悪いけど、天壌無窮の一文無し!」

 

「とっとと失せろ――!」

 

思わずのけ反るほどの怒声を浴びせられ、ほうほうの体でスバルは逃げる。

もうしばらくはあの店には寄れないな、と二つの意味で思いながら。