『王選の始まり』


スバル渾身の『テヘペロ』は時代公証や異世界のカルチャーギャップ、それら諸々の問題と無関係にただひたすらに盛大に外した。

 

世界から音が消失し、時間の経過すらおぼろげになる気まずすぎる沈黙。

それでも時が止まっていないのが現実であり、スバルの心臓はいまだに恥知らずにも血を送り出していたし、目の前のエミリアの顔色も刻一刻と悪い方へ傾く。

いっそ恥で死んでしまえれば話は早いのだが、わが身可愛さでこれまで異世界の日々を乗り切ってきたスバルにとって、憤死や悶死など遠い話。

 

ひたすらに気まずい時間を押し黙り、相手方のリアクションを待って『テヘペロ』し続けているしかない。

これは勝負、そう勝負なのだ。

これまでの異世界での日々で、幾度か遭遇した勝負賭けの瞬間。それは盗品蔵での一時然り、魔獣の森での一時然り――王座の間で、エミリアの前で盛大に外した現状然りなのである。

 

スバルは動けない。もはやエミリアの反応なしには微動だにせぬ、と心に決めたが故の天晴れな心情。

それに対しエミリアは言葉を求めるように唇を震わせ、考えをまとめようと努めるように瞳をさまよわせていた。

そして、彼女の唇が引き結ばれ、なにがしかの結論を得たかのように紫紺の瞳がスバルの黒瞳を真っ直ぐ見た。その瞳に吸い込まれそうな錯覚を覚えながら、スバルは彼女の第一声がどんなものであろうと甘んじて受ける覚悟を――、

 

「妾の小間使いをジッと見て、なにかあったか、混ざり者」

 

「おうふ」

「え?」

 

エミリアの言葉を待つスバルを背後からの衝撃。

恐ろしいほど柔らかい感触が背中に押しつけられ、さらに回ってきた腕がスバルの胸板と首を艶めかしい仕草でロック。

後ろで背伸びした橙色の髪の少女――その顎が後ろからスバルの肩に乗せられ、顔を隣り合わせる形でエミリアと向かい合っている。

 

その彼女の姿勢に自然、背中に当たる感触がなんなのか思い当たって耳まで赤くなるスバルだが、即座にその感慨を切り捨てて身を振り、

 

「なにが小間使いだ、エミリアたんに誤解され……」

 

「ほう、妾の小間使いでないと。ならば王城内を堂々と歩き回れる貴様の身份は、いったいなんであるというんじゃろうな?」

 

「うぐ……ッ」

 

とっさの反論は意地の悪い笑みによって遮られる。

現状、圧倒的なスバルの不利は否めない。彼女の温情、それに縋ってスバルの立場が保障されているのはまぎれもない事実なのだ。

気まぐれな少女の性質を思えば、ここでスバルが彼女の意に沿わない言動を選べば、即座に通報されて投獄ENDが見える。最悪、その場で手打ちもあり得る。

 

かといって、エミリアの前でエミリア以外の少女と親しげにするなど言語道断。エミリアがどう思うかではなく、それをするスバルの男心の問題で。

故にスバルの状況は進退極まった。スバルがよほどの馬鹿でなければ、この場は少女の意見に従って切り抜けるが道理。

しかし、侵入の経緯同様、ナツキ・スバルはよほどの馬鹿であった。

 

「エミリアたんの前で、誰かに頭垂れるなんて真似はできねぇ」

 

「……ほう、面白い。ならば貴様は、己をなんとするのじゃ」

 

こちらをからかうつもりであった少女の表情が一変し、冷徹さを感じさせる口調のまま問いかけてくる。

ここでの答えがそのままスバルの首の価値に繋がる。背後のエミリアの表情は見えないが、少女の後ろに立つアルは兜に隠れた首を横に振り、「今のこの子は冗談通じない状態だから!」と必死な様子で伝えてきている。

そんな彼の厚意を踏みにじるようで悪いが、スバルは静かに息を吸い込み、はっきりと己の立場を示すことにする。

 

「俺はこの城に……」

 

「これはこーぉれはプリシラ様。この度は当家の使用人がとんだご迷惑を。まさか城内で迷うとは遺憾の至り。失礼をばいたしました」

 

その特に意味のない男の意地を遮ったのは、聞き慣れた優男の声色だ。

隣、意気込み過ぎ状態であったスバルの右に藍色の長髪が並んでいる。宮廷魔術師らしい正装に身を包み、変わらぬへらへらした笑顔を張りつけたロズワールだ。

 

彼は上辺だけ恭しさを取り繕ったような道化た態度でスバルを示すと、

 

「このお礼はいずれ。重ね重ね、当家の人間が失礼いたしました」

 

「筆頭ペテン師が出張ってきおったか。まぁ、いいじゃろう。そこな道化と混ざり者のおかげで、それなりに楽しんだ。――従者の頼みでもあるからの」

 

ロズワールの慇懃無礼な振舞いに、少女は寛大を示すように鷹揚に頷く。その後ろで安堵を身じろぎで表現するのはアルだ。

彼は十八年越しに見つかった同郷人が早くもデッドオアアライブしかけた事態に関してひどく焦ったらしく、

 

「勘弁してくれや、姫さん。寿命の蝋燭が夏場のアイスの勢いで溶けたぜ……」

 

「貴様の喩えは大概にして伝わらん。なんにせよ、揃って妾の懐の広さに感謝するがよい。敬え敬え」

 

「へいへい、すごいすごい、偉い偉い」

 

おざなりに隻腕で少女の頭を撫で回し、首をぐわんぐわん揺らす不安になる親愛表現。思わず引き止めてしまいそうなやり取りだが、乱雑に扱われたわりには少女の機嫌は傾いていない。本気で親愛表現のカテゴリーらしい。

 

ともあれ、

 

「マジ九死に一生スペシャル。助かったぜ、ロズっち」

 

「ま、わーぁたしにも責任の一端があるだろからねぇ。そーぉれにしても……」

 

安堵の胸を撫で下ろすスバルを、ロズワールは感慨深げに黄色の瞳だけで見下ろす。その視線に居心地の悪いものを感じて、「なんだよ」とスバルが聞き返すと、

 

「まさか、本気で城に乗り込んでこれるとまでは思ってなーぁくてね。どこまでこちらの思惑を外してくるのか……いや、これは詮無きことかな」

 

呟き、ロズワールはひとりだけ納得するような頷きを残す。

その解せない態度にスバルはさらなる追及をしかけるが、それより先に弁明しなくてはならない相手が目の端に映るのに気付き、

 

「ああ、ごめん、ほっぽって。色々と言いたいことはあんだけど……」

 

「どうして……」

 

「ん?」

 

言い訳の数々をどの順番で話すか整理するスバルに、エミリアは口の中だけで消えてしまいそうな呟きを作る。

聞き返すスバルに彼女は一度首を振り、それから改めてスバルを見つめ返すと、

 

「どうやって……じゃなく、どうして。どうして、スバルがここにいるの?」

 

「そこを話そうとすると、実は深いようでいて浅くて重いようでふわっふわな理由があったりなかったりするんだけど」

 

「茶化さないで。スバル、私、言ったでしょ?覚えてないの?」

 

確かめるような重ねての問いかけに、スバルの喉は小さく音を立てて詰まる。

エミリアの言っているのは当然、宿屋で交わした約束のことであろうと思う。待つと口にしてほんの数分で反故にして出てきているのだから、スバルの側の約束を守る意思の薄さにはほとほと言葉もない。

 

その約束を破った点への負い目はどうしようもない。がその反面、エミリアの身を案じてこうして馳せ参じた事実も偽りではないのだ。

そのあたりをうまくブレンドして、かなりスバルの側に寄った感じでまとめるにはどうすればいいか。頭をフル回転させながらスバルは思考を走らせる。

と、

 

「――皆様方、お揃いになられました。これより、賢人会の方々が入場されます」

 

スバルとエミリアの話し合いを遮るように、王座の間の扉が開かれる。

音に振り向くスバル。正面、大扉を開いて最初に入ってきたのは、入場前に横柄な少女と会話を交わした騎士――マーコスと呼ばれていただろうか。

 

頑健さを感じさせる表を被り直した兜の下に隠し、堂々たる態度で歩を進める。その姿はまさにお伽噺で見る騎士そのものであり、自然と背筋を正されてしまうような威圧感をスバルすらも受けるほどだ。

 

そうして歩く彼の背後に、数名の老齢の団体が続いている。

全員が場と身份に則した装いに身を包んでおり、振舞いと物腰からかなり位の高い人物たちなのだろうと察せられる。どの顔にも長く重い経験が深い皺となって刻まれており、威厳ある佇まいが端々から感じられた。

 

その団体の中でも一際目を引くのが、集団の真ん中を歩く白髪の老人であった。

腰は曲がっていない様子だが、背丈はスバルより頭ひとつほど低い。真っ白に色の抜け落ちた白髪が長く伸ばされ、その髪と長さを競うようにヒゲもまた長く長く整えられている。身長の低さもあって危うく引きずりそうなハラハラ感があるが、そんな印象を切り捨てるかのような『刃』の切れ味を思わせる眼光の持ち主。

 

「あの方が賢人会の代表――つまり、王不在の現在のルグニカにおいて、最大の発言力を持つ人物。マイクロトフ様ってわーぁけ」

 

思わず声を失うスバルに対し、隣に並ぶロズワールが密やかな声で注釈する。

その内容になるほど、とスバルは納得。ただものでないのが一目でわかる人物は、やはり現実ただものではなかったらしい。

王不在のルグニカの代表、そして賢人会という団体の名前にも聞いた覚えがある。

 

「確か王様に代わって国の運営とかしてる機関、だったっけか」

 

「名目上は補佐なんだーぁけどね。今は実際の運営も賢人会頼み……とはいえ、王家が存命のときからそのあたりはあんまり変わっちゃいないんだけどさ」

 

呟きに対して肩をすくめるロズワールの応答。ようは国を動かす能力に欠けた先王の時代から、賢人会がほぼ運営を任されてきたという実績があるらしい。

それが事実なのかもしれないが、それをほぼ部外者のスバルにさらっとこぼすことも、ましてや王座の間でそれをやらかすのも豪胆としかいいようがない。

 

ある程度わかっていた話ではあるが、どうもスバルの雇い主は国に対する忠誠心が柔らかい部分があるらしい。国の中枢に関わる人間にしては由々しき性質な気もするが、

 

「それを言い出し始めるとそもそも俺のポジションなんだよって話になるからな。大丈夫かよ、俺ボランチしかできねぇよ?」

 

「ボランチできるならさっきの事態になんねぇとオレぁ思うが。それより、オレらはあっちだぜ、兄弟」

 

ひとりごとを耳聡く聞いていたアルに突っ込まれ、スバルは彼の示す方に視線をやる。と、王座の間の壁際に騎士が整列を始めており、揃いの甲冑を着込む彼らとは異彩な雰囲気を放つ三名もそちらに姿を見せていた。

 

「お、あそこにいるのって……」

 

自然、その異彩を放つ三名に目がいったのだが、驚きなことにこれが全員、スバルが目にしたことのある面子であった。

アルがスバルの肩を叩き、その彼らの方へ向かうよう誘導する。

うかがいを立てるようにスバルは隣のロズワールを見ると、

 

「ってな具合なんだけど、俺はあっちでよかとですか?」

 

「正しい措置としーぃては、このままさらっと君を外へ送り出すのが正しかったーぁりするんだけど……面白いから、兜の彼についていきなさい」

 

「ちょっと、ロズワール」

 

屋敷での態度と変わらぬロズワールに、こちらも屋敷での接し方と変わらず怒り気味のエミリア。彼女は軽々しいロズワールの言葉に物申すと詰め寄るが、

 

「残念ながら、今はエミリア様の正論に従っている時間はありません。正しく事態を明らかにすると、スバルくんはここでおさらば……長い永い意味でーぇね」

 

「だからってこんな場所に一緒にいさせたら、スバルが……」

 

「意見を戦わせるのも後回し、になりますね。エミリア様、他の候補の方々が集まられています。そちらの方に」

 

ロズワールの腕が示す先、王座の間の奥側にその『異彩』が集まっている。

 

王座の間の玉座を空け、その周囲の椅子を賢人会の老人たちが埋める。壁に大きく描かれた竜の翼、その下にくだる彼らの姿は竜を背負う王に付き従う忠臣そのもの。

そして、その賢人会の老人たちの前に整然と並ぶのが、歳を経て備わった老獪な威圧感と違い、生まれ持って他者に響かせる輝きを放つ存在たちであった。

 

橙色の髪の少女を筆頭に、三人の少女がそこに堂々と立ち並んでいる。

 

中央に立つのは腰に手を当て、尊大に胸を張る太陽の色のドレスを着る少女。入室の前に『プリシラ』と呼ばれていただろうか。国を動かす頂上の存在の視線を幾重に受けても、その芯の通った傲慢さに揺らぐところは見当たらない。

 

そしてその彼女の右隣りに並ぶのが、深い緑髪を長く伸ばす女性だった。発色の濃い髪は黒に近いが、よく見ればそれが艶めく光沢を放つ緑であることがわかる。女性にしては長身で、目線はスバルよりやや低い程度。なのに股の高さが大きく異なる。

ひとつにまとめた髪は腰に届くほどで、女性らしい起伏に富んだ体を濃紺の制服に押し包んでいる。――王都でも見かけた衛兵の服装に近い格好だが、金の掛けられ方と意匠が違う。ズボンタイプの服で、男装の麗人という表現が似合う凛々しい顔立ちの美女だ。

 

プリシラを挟んで左隣りに立つのは、真剣のような雰囲気を持つ女性とは打って変わり、どこか朗らかな印象を思わせる紫色の髪の女性であった。

こちらも腰まで髪を伸ばしているが、その髪質は天然なのかウェーブがかかり、毛質が細いのもあって綿飴のような柔らかさを感じさせる。こちらの女性は並ぶ二人に比べるとやや小柄で、起伏がやや乏しい体を白いドレスに包んでいた。

だが、中でも彼女の格好でスバルの目を引いたのは、彼女が首に巻く白くモコモコした動物の毛で作った肩掛けだ。一目でモフリストとしてのスバルの本質を直撃する逸品、そのモフリズムの強さには垂涎せざるを得ない。

 

そんな横道外れの感想を抱くスバルに反し、エミリアは口惜しげに唇を噛むと、

 

「絶対、あとでちゃんと話するからね」

 

とスバルに念押しするかのように告げ、その三人の少女の下へ駆けていく。

銀髪を躍らせるエミリアが彼女らに並ぶと、やや装いの面で一歩譲るものの、中身の愛らしさでひとつ頭が抜きん出るというのがスバルの贔屓目。

 

ともあれ、

 

「つまるとこ、あれが王選の参加者――未来の王様候補ってことか」

 

エミリアが彼女らに並ぶことと、先ほどまでのやり取りから鑑みて、そういうことなのだろうとスバルは結論付ける。正直、まさか王様候補が全員女性であったというのは驚きだが、仮に男性がいたならすんなりその人物に決まっていそうな気もしたので、ある意味ではエミリアが候補者の時点で想定しておくべきだったかとも思う。

 

内心で感慨深く息を吐くスバルは、その自分の周りの面子も動き出したのを見て慌ててそれに加わり始める。ロズワールは立ち並ぶ騎士たちとは反対方向、見るからに文官といった風情の優男数名の陣営に加わり、スバルはのしのしと臆することなく振舞うアルの背に続き、甲冑騎士たちよりわずかに玉座に近い位置へ。そこには――、

 

「――やっぱり、君がきたね、スバル」

 

赤毛のイケメンが片手を上げて、スバルの来訪を微笑で出迎える。

二週間ぶりでもその爽やかさに欠片の衰えも見えない美丈夫――ラインハルトだ。燃える赤毛を揺らす彼も、今日は下層区で見かけた軽装と違い騎士の制服姿。変わらないのは中身の神の造形ぶりと、腰に下げた竜の爪痕入りという剣ぐらいか。

 

「エミリア様が出席されるのを聞いて、まず君がくるんじゃないかと思ったよ」

 

「久しぶり&お前の俺へのそのむやみやたらな高評価ってなんなの?お前の前の俺って裏声で助け呼んだり、無様に切腹したりでいいイメージないはずなんだけど」

 

「エミリア様を凶刃から守ったのはもちろん、それ以外の面でも君は最善を選び続けた。過小評価が過ぎるのも美徳、だとは思うけどね」

 

嫌味ゼロの顔つきでそう言われてしまえば、スバルももうぐうの音も出ない。

これだから真のイケメンは困る。見た目の面で優遇されるイケメンは、性格が歪むような苦境に立たされる事態がまずないので、結果的に性格のいいパターンが多い。『イケメンに無意味な悪人なし』の理論だ。

性格が歪んでいる色男なんて、イケメン母数から見れば極々わずかな例外だろう。

中でもラインハルトの育ちの良さそうっぷりは群を抜いているので、つまりはイケメンの中のイケメン。エリートイケメンといえる。

 

「拝んだらあやかったりできるかねぇ、ナンマンダブナンマンダブ」

 

「聞いたことのない詠唱だけど、なにをしても効かないよ?生まれつき、そういう体質なものだから」

 

「いや、これは純粋にお祈りの領分だから気にしないでいいよ。と、そうだったそうだった。その前に言わにゃならんことがあった」

 

居住まいを正すスバルの前で、ラインハルトは青い瞳をきょとんとさせる。そして彼に対してスバルはゆっくりと頭を下げると、

 

「こないだはホントに助かった。つか、礼を言う暇もその後の連絡の方法もなかなか選べなくて悪かった。もっと早く話せたら良かったんだけど」

 

「それについてはスバルの方の事情もわかってる。仕方のないことさ。君は名誉の重傷で、僕もこのところは少し立て込んでいたから」

 

小さく肩をすくめるラインハルトは、それでもスバルの感謝の言葉を受け取ると嬉しそうに唇をほころばせる。そんなささやかな仕草までもがどこか絵になるのだから、真のイケメンには嫉妬心すらわく要素がない。

そして旧交を温める二人のやり取りに、

 

「ラインハルトとスバルきゅんって、知り合いだったんだ。いっがーい」

 

そう言いながら、天然の猫耳の人物が羽のように軽い声音で割り込んできた。

今日は黒を基調としたラインハルトと揃いの制服――竜の意匠の入る制服姿に、以前見たときと同じ白いリボンで亜麻色の髪を飾る少女。

数日前にロズワール邸を訪れ、今回の王都旅行の切っ掛けとなる伝令を果たした人物だった。

彼女は手刀に見立てた手を額に掲げ、敬礼のような仕草でウィンクすると、

 

「ほんの二日ぶりだね、元気してた?みんなのフェリちゃんは元気にしてたよ」

 

「聞いてねぇよっていうか、先日はどうも。またお会いできて光栄デス」

 

「あれあれ後半ちょっと固くにゃかった?もっと肩の力抜いてこうよぅ」

 

気安くスバルの肩に触れて、緊張をほぐすべしと呼びかけてくる少女。そんな彼女とスバルのやり取りをラインハルトも少し驚いた顔で見て、

 

「スバル。フェリスとは顔見知りなのかい?」

 

「俺が世話になってるロズワールのとこに、今日の出席確認にきたのがこの子。てっきり下っ端の小間使いかと思ってたけど……」

 

こうしてラインハルトと同じ装いで並んでいる以上、彼女もまた『剣聖』と並ぶにふさわしい立場の持ち主なのだろう。事実、すでに屋敷でスバルは彼女が『王都で右に出るものがいないほどの水の魔法の使い手』という情報を聞かされている。

それなりにそれなりを重ねて、けっこうな位の持ち主な予感をひしひし感じる。

 

「そうか、エミリア様のところにはフェリスが行っていたんだ。僕の手が空いていたら、ぜひ僕が行きたかったんだけど」

 

「剣聖を王都から離すとか、そんなのマーコス団長が許すわけにゃいでしょ。これ以上、団長の気苦労を増やしてあげたら可哀想だよ。ただでさえ三十前なのにあの老け顔……今後は顔だけじゃなく頭にもいっちゃう恐れが」

 

冗談めかしたフェリスの言葉に、ラインハルトがわずかに微苦笑。さすがに内容が内容だけにおおっぴらに笑うわけにもいかない。スバルも巌のようなマーコスの顔を思い出し、三十路前なのに貫禄ありすぎだろと内心で突っ込む。

そしてそしてさらに、

 

「そろそろ、私の方にも彼らを紹介してくれないかい?」

 

と、その場で騎士たちと異なる雰囲気最後の持ち主が声をかけてきた。

その人物にもスバルは見覚えがある。が、本音でいえば実はあまりいい印象のある相手ではない。なにせ、

 

「詰め所でエミリアたんの手にキスしやがった奴だかんな」

 

気障ったらしくも、エミリアの手の甲に接吻を捧げた抜け駆け野郎だ。内心で彼をキザ男を呼びながら、スバルは表面上は笑顔を作り、

 

「こりゃ自己紹介が遅れまして、ナツキ・スバルってケチな野郎でさぁ。どうぞ、頭の隅っこにでもせせこましく置いといてくだせい、へへっ」

 

「急にずいぶん卑屈な感じだね、スバル」

 

ラインハルトがスバルをたしなめ、キザ男に対して向き直り、

 

「気を悪くしないでほしい、ユリウス。スバルは少し、こうして他者に侮られる振舞いをして相手を試す節があるから」

 

「おいおい、俺にそんな狡猾な設定つけんのやめてくんない?別にそんな意図ねぇよ、俺なりのエアリーディングしてるとこんな感じになんだよ」

 

ラインハルトのスバル買い被りはかなりの領域にある。彼の中ではよほど初日のスバルの行動の功績が高いのだろう。あんまり持ち上げられるのもこそばゆい、というより慣れていないのでなにかあるのではと勘繰ってしまうのだ。

もっとも、

 

「と、こういった具合だ。ユリウス、優雅にね」

 

ラインハルトの態度にはそんな裏は微塵もない。ただただ善意だけで構築された横顔にスバルはこれ以上の言及の無駄を悟る。

 

「それは私の一番得意とする分野だよ、ラインハルト。近衛騎士団所属ユリウス・ユークリウスだ。お見知りおきを。そちらの騎士殿も」

 

赤毛の青年の忠告を受け、口の端をゆるめながらキザ男――ユリウスはスバルにそう名乗る。それから彼が水を向けるのはスバルの隣に立つアルだ。

『騎士殿』と敬称で呼ばれた彼はむず痒そうに首を鳴らし、

 

「あー、そんなたいそれたもんじゃねぇんで騎士殿なんて呼ぶのはやめてくれ。オレぁあれだよ、一介の素浪人だから。一本筋の通ったアンタらとは違ってさ」

 

こもった声でテンション低く応答。スバルに対する態度と違い、そこには明確な人を遠ざける意思が込められている。

アルに対してだいぶ馴れ馴れしい人物だという印象のあったスバルにとって、彼のその態度は意外の一言だ。もっとも、そのことを突いている時間は残念ながらない。

それぞれの名前の交換が終わった頃合いと、騎士団長と呼ばれていたマーコスが声を上げるのはほとんど同時だったからだ。

 

「――賢人会の皆様。候補者の皆様方、揃いましてございます。僭越ながら近衛騎士団長の自分が、議事の進行を務めさせていただきます」

 

「ふぅむ……よろしくお願いします」

 

席に着いたまま手を組み、かすかに顎を引いて頷くのは賢人会の代表マイクロトフだ。彼の老人の返答にマーコスは恭しく一礼し、それから巌の表情の眉を寄せ、

 

「此度の招集は次代の王の選出――王選に関わる方々への重大な通達があってのことです。王城までご足労いただき、賢人会の皆様にもお集まりいただいたのはそのため」

 

朗々と響く声はさほど大きくないにも関わらず、王座の間にいる全員の耳に等しく届く。生まれながらに他者に聞かせるための資質、声にすらそれが表れているのを感じ取り、スバルもまた軽口を挟む気すらわかずにその声に聞き入っていた。

 

「事の起こりは約半年前――先王を始めとした、王族の方々が次々とお隠れになったことに起因しております。王不在の事態は王国としてなによりの窮地、特に親竜王国ルグニカにとっては、『盟約』と深く関わることになります」

 

盟約――というのが、王国がドラゴンと交わしたとされるなんらかの約束事のことだろう。屋敷での日々の始まりに、必ずといっていいほど聞かされる内容だけに耳にタコだ。もっとも、スバルが知る情報は上辺だけの部分であり、王選の内容に関してもそれは同様。この講義はありがたいといえばありがたい。

 

「ふぅむ、盟約の維持は王国の存続に大きく関わる。それだけに王の一族が一斉に病魔に侵されたのは痛恨事。一刻も早く、ドラゴンと意思を通わせることのできる『巫女』を新たに見出さなくてはなりませんでしたな」

 

「そのために我ら近衛騎士団一同、賢人会の皆様の命を受け、竜殊の輝きに選ばれた巫女を探し出すため、任に当たってまいりました」

 

懐を探るマーコスが掌に乗せているのは、スバルも幾度も目にしたことのある小さな徽章――宝玉の埋め込まれた王選参加者の資格だ。

 

歩くマーコスが整列する候補者たちの前に向かい、彼女らに一礼すると、

 

「皆様、竜殊の提示を――」

 

呼びかけに呼応して、少女たちがそれぞれ自らの徽章を前に掲げる。

いずれの宝玉も彼女たちの手の中で眩い輝きを放ち、それぞれ異なる彩りで王座の間に光を散らし始めていた。

それを見る騎士たちに感嘆の吐息が広がり、賢人会の老人たちも皺の深い顔に安堵と喜色めいた感情を浮かばせている。

 

「こうして、候補者の皆様にはいずれも竜の巫女としての資格がございます。それらを見届けました上で、我々は竜歴石に従い――」

 

「あんな?」

 

厳かに議事を進行するマーコス。彼はその重々しい口調のまま話を進めようとしていたが、そこにふいにおっとりとした声で待ったがかかった。

振り返るマーコスに声をかけたのは、竜殊を青の光に瞬かせる少女――紫髪に白いドレスの人物だ。

彼女は竜殊を掲げたままではんなりと小首を傾け、

 

「団長さんがぴしーっとお話進めたいんはわかるんやけど、ウチも忙しいんよ。カララギでは『時間は金銭に等しい』って言うてな?」

 

穏やかな口調とおっとりした顔つきのわりに、直球で要求を突きつける少女。彼女は竜殊をしまうと手と手を合わせて音を立て、

 

「わかりきった話を繰り返すくらいなら、ウチらが集められたお話の核心が聞きたいなーってのが本音かな」

 

独特のイントネーションで言葉を紡ぎ、最後に笑顔で要求を締めくくる。

その態度にマーコスは少しばかり面喰ったようだが、それ以上の衝撃を覚えていたのはスバルの方だ。

この緊迫感でみなぎる場面の中、さしものスバルすらも空気の読めない発言はしまいとお口にチャックを心がけていたのだが、

 

「おいおい、関西弁とか嘘だろ」

 

「お、兄弟もビビったか。西のカララギって国じゃアレで通ってるらしいぜ、実際。オレも見たわけじゃねぇけど……異世界の翻訳システムがそんな感じで言語選択してくれてるってことじゃねぇかな」

 

ぼそりと呟くスバルに、隣のアルが同じく小声で同様の感想を口にする。

さすがに召喚されて十八年のベテランは、そのインパクトとの出会いもずいぶん前に乗り越えているらしく、彼女の発言にスバルほどの動揺はない。

 

一方、スバルとは別の要因で驚きの広がる王座の間。かすかなどよめきが広間に蔓延しかける中、それを押しとどめたのは別の凛とした女性の声だ。

 

「道理だな」

 

「――クルシュ様」

 

腕を組み、顎を引いて同意を示す緑髪の女性。彼女の反応にマーコスはその名を呼び、わずかに困惑を浮かべて眉を寄せると、

 

「カルステン家の当主がそのようなことを……」

 

「格式を重視する気持ちはわからなくもないが、それで本題が蔑にされるのは本末転倒だ。我々が集められた理由に早々に触れるべきだろう。もっとも」

 

女性は片目をつむり、マーコスのさらに奥、賢人会の歴々を視界に入れながら、

 

「おおよその想像はついているが、な」

 

「ほぅ、なるほど。さすがはカルステン家の当主。すでにこの召集の意味がわかっておりましたか」

 

マイクロトフの感心したような言葉に頷き、女性は凛々しい面を持ち上げ、玉座の前で開かれるこの集りの真意に触れる。それは、

 

「ああ。――酒宴だろう?我々はいずれ競い合う身であるとはいえ、今はまだ互いに知らないことが多すぎる。卓を囲み、杯を傾け合い、腹を割って話せば自ずとその人柄も知れようと……」

 

「いや、違いますが」

 

荘厳な感じで飲み会の段取りを決めようとする女性に、たまらず老人が口を挟む。彼女はその態度に驚き顔を作り、それからゆっくりスバルたちの方を見ると、

 

「フェリス。聞いていたのと話が違うが」

 

「やーだなー、もう。フェリちゃんはただ、お城にいっぱいお食事とかお酒が運び込まれてるから『酒宴でも開くのかもですネ』って言っただけじゃないですかー、やだー」

 

「そうか、私の早とちりか。許す」

 

懐の広いような振舞いだが、会話の内容が明らかにおかしい。

前に向き直り、今のやり取りを踏まえた上で女性は軽く吐息を漏らすと、

 

「そんなわけで、私のさっきまでの話は取り消してくれ。恥ずかしいのでな」

 

「やだ、クルシュ様ってば男らしすぎっ」

 

頬に手を当てて身悶えるフェリス。顔を赤くして腰を振る彼女は主に誤情報を流した点は気にしていないようだ。というか、今のを見るにわざとな気もするが。

悪ふざけできるギリギリのラインの見極めが難しい。と会場の雰囲気に呑まれつつも平常思考のスバル。その思考の中断は再び叩かれた手の音で、

 

「クルシュさんが引いてもウチの意見は変わらんよ。今さら王選の上辺のことなんか話さんでもみんな知ってることや。そやろ?」

 

身を傾けて、同意を求めるように並ぶ三者に尋ねる少女。

彼女の問いにクルシュと呼ばれた女性は頷き、プリシラは退屈そうな顔つきで小さく鼻を鳴らし、エミリアは緊張に強張る唇を震わせ、

 

「わ、私はちゃんと話を聞くべきだと思うけど……」

 

「悪いけど、ウチはアンタ様の意見は聞いてない」

 

が、ただひとり応じたエミリアへの彼女の態度は断ち切るようなものだった。

叩きつけられたような断言に、エミリアの表情に諦観が浮かぶ。意見を押しのけられることに俯く横顔、それを見ていたスバルの頭の中で火花が散り、

 

「てめ、なんだその態度……「うははーい!オレ、王選がどうとか知らないから先が聞きたかったりすっかなー!!」

 

前に踏み出し、怒号を放ちかけたスバルをたくましい腕が遮って止める。そのまま口から飛び出す予定だった罵声も、被さるような声によって広間に上書きされて響いた。

 

スバルの短慮を遮ったのはアルだ。彼は広間中の視線を一身に浴びながら、隻腕で己の漆黒の兜の金具をいじってリズミカルに金属音を立てる。

 

「そんな見るなよ、恥ずかしい。場違いなのは自覚してるから、あんまり余所者扱いすると泣いて喚いて大騒ぎするぜ、いい歳こいた大人が」

 

悪ふざけの許容ラインを探っていたスバルの思考を嘲笑うように、軽々しい態度で地雷原をタップダンスで切り抜けるアル。

豪胆というより気遣いの心を落っことしてきたようなその振舞いに、ラインハルトを始めとした周囲もさすがに面喰った様子だが、

 

「プリシラ様。彼はあなたの騎士とうかがいましたが……説明は?」

 

「妾がせずとも長話好きの貴様らが勝手にするじゃろ?妾は妾の無駄を省いたにすぎん。繰り言など寝言と変わらん。寝言など、寝ててもするな」

 

マーコスだけがどうにか冷静に応対する中、尊大な口調でプリシラが煽る。

揃いも揃って人格破綻者揃い――エミリアの人格者ぶりが際立って困る。その彼女がまともな扱いをされていないらしいのが、さっきのやり取りで明らかだが。

ともあれ、

 

「――貸し一個な。いや、二個目か?」

 

指を二つ立て、スバルの方に首を向けてくるアルに内心でスバルは感謝。

激昂し、あの場で声を荒げていたとしたら、彼ほどうまく状況をさばけたと思えるほどスバルは自分を評価していない。

前に出て、非難を一身に浴びたアルが肩代わりをしてくれたのだ。

 

スバルと同じような立場にありながら、それでも自信満々に彼が振舞えるのは、十八年という時間でしっかりと己の土台を築きあげてきているからか。異世界において、いまだ確たるものを見つけられずにいるスバルとは気の持ちようからして違う。

 

「まーた、お姫様のわがままが始まった。もう堪忍してな」

 

「妾が凡俗を意に従えるのは天意である。喜び、掌で踊るがよいぞ。続けよ、マーコス。妾の騎士に、妾が如何にして王となるのか教えてやれ」

 

「他人に丸投げするんをそこまで言えたら立派なもんや。ウチももうなんも言わん」

 

肩をすくめて、プリシラの態度に匙を投げる少女。

そうして二人の意思が統一されたのを見ると、マーコスは小さく咳払いして「よろしいですか?」とエミリアとクルシュにも確認。二人が頷くのを見届け、

 

「では少し脱線しましたが、話を戻しましょう。――竜の巫女の資格を持つ皆様がこうして集められたのは、竜歴石に新たに刻まれた預言によるものです」

 

また知らない単語が、と内心で疑問符を浮かべるスバル。

話の内容からして、おそらくは預言板的なものの一種だとは思うが、そのあたりは判然としない。

 

「石板に刻まれた預言はこうありました。『ルグニカの盟約途切れし時、新たな竜の担い手が盟約の維持と国を導く』と」

 

「ふぅむ。石板が示したのはまさに天意。王国誕生のときより同じだけ歴史を積み重ねてきた竜歴石は、王国の命運を左右する事態に呼応して文字を刻む。その内容が後の歴史を動かしてきたことを思えば、従うのが我らの務めでしょうな」

 

マイクロトフの述懐に、他の賢人会の老人たちも厳かに頷く。

ようは今後の方針は預言板に丸投げ、というかなり豪快な解釈もできるが、魔法ありの世界の預言だと現実問題パワーがありまくりそうで口が挟めない。

ともあれ、その預言に従い、エミリアたちは王候補――というより、ドラゴンと意思を通わせる巫女としての役割を買われて集められたということらしい。

 

と、そこまで考えてふとスバルの脳裏に疑問が浮上した。

それはつまるところ、

 

「ドラゴンと盟約が云々ってんで話をするっていうなら、別に王様がどうのとかって話に加わる必要はなくね?竜の巫女って役割を担う一族みたいなのがいればいいわけで」

 

浮かんだ疑問を小声で、アルでなく反対隣のラインハルトに向けてみる。彼はちらりとスバルを見下ろし、苦笑を口の端に上らせながら、

 

「スバルの言うことはもっともだと僕も思う。けれど、そうはいかない」

 

「なぜにホワイって聞いても?」

 

「答えは、王国繁栄の盟約はドラゴンと王の間に交わされたものだからだよ。ドラゴンは自分と意思の疎通が可能なだけの存在と盟約を結んだわけじゃない。その人物が王国を背負う王であったから、盟約を結ぶに至った」

 

絵本で読んだ『ドラゴンの物語』の一篇がスバルの記憶から掘り起こされる。

ラインハルトの説明が示す通り、あれは王様と竜の物語。綿々と受け継がれてきたその歴史の重み。それを少しでも遵守しようというのが賢人会を始め、エミリアたちを集めた近衛騎士団の方針なのだろう。だが、

 

「それならなおのこと、急ごしらえの巫女かつ王様なんてドラゴンのまさに逆鱗に触れるんじゃねぇか?一休さんのトンチ勝負じゃあるまいし、王族いなくなっちゃったから代わりに巫女を王様に仕立て上げましたー、ってわけにはいかないんじゃ?」

 

「そのあたりの意見はかなりぶつかり合ったって聞いてるよ。でも、実際に王国に伝わる預言板、竜歴石はその綱渡りの手段が正しいと天意を示した。そして賢人会の方々もそれを認めて僕らに命を下したんだ。悪いようになるとは思いたくないね」

 

祈るような、というには爽やかすぎる説明にスバルは納得の頷きで応じる。

確証はない、がそれ以外の手段もない。ならば最善を尽くすのみ、というのが今の親竜王国ルグニカの在り様なのだ。

肝心のドラゴンがこの王国の人間の判断にどんな沙汰を下すのか――それは今は誰にもわからない。あるいはそれを知るのは、その預言板とやらに偉そうに文字を刻んでいるという天上の意思の持ち主だけなのかもしれない。

 

「まぁ、事情はわかった。それで四人の中から王様を決めようって話になるわけだ。全員ひっくるめて王様にして、序列つけて云々って選択はダメなの?」

 

「それがダメな理由も竜歴石に刻まれて……団長が今、読み上げるよ」

 

これは名案、とばかりのスバルの提案は首振りひとつで却下。その真意がこれから語られると、ラインハルトの青の双眸が広間の中央に再び向けられる。

広間の視線を集める巌の騎士は並ぶ候補者四人に振り返り、

 

「そして預言にはこう続きがあります。『新たな国の導き手になり得る五人、その内よりひとりの巫女を選び、竜との盟約に臨むべし』と」

 

マーコスが朗々と述べた内容、それを読み解いてスバルもうなって納得するしかない。預言板に、ひとりを選べと刻まれているのならばそうする他にないのだろう。

と、そこまで考えてふと一部分が引っかかる。

 

「五人……?」

 

「そう、五人だ」

 

スバルの疑問にラインハルトが頷きで応じる。

彼は疑惑を顔いっぱいに浮かべるスバルを涼やかに横目にし、

 

「つまり、四人しか候補者がいなかった現状――王選はまだ、始まってすらいなかったということさ。そこは五人目の候補者を見つけられずにいた、近衛騎士団の不甲斐なさを責めてもらうしかないんだけど」

 

「人口五千万とかって話だろ?そっから五人探せって話じゃ厳しいと思うし、半年ぐらいでやれたんなら動き迅速すぎじゃねぇってのが俺の意見」

 

実際、通信手段が確立されて、国民調査がいっぺんに行える環境が整っているとかな日本などでないと、かなり難しい条件であると思う。日本でですら、そういった条件をくぐって例外となり得る存在はいくらでもあるだろうと予想できるのだ。

近衛騎士団がどれほど人数がいる面子で、どれだけ優秀なのかはわからないが、短期間で四人の候補者を選出しただけでもかなりのお手柄だ。

 

「ま、意外と竜殊を光らせられる潜在的巫女がゴロゴロいるとかって話なら遠慮なく俺はお前を責めるけどな。この節穴……ッ」

 

「五千万の国民全てを調べられたとは断言できないけど、八割以上を調べた上での四人だ。騎士団を労ってほしいと僕は思うよ」

 

それだけのことをしてきた、と自負があるのだろう。ラインハルトの態度には恥じ入るところは一切ない。そんななので、悪乗りしたスバルの方がいっそ気まずい。

が、状況はそんなスバルの心情を無視して流れていく。

 

「その五人目が見つからないから、こうして我々は競り合うべき相手を見知っていながら、なにをすることもできずにいた。歯がゆいことだな」

 

「そうそう。事あるごとに呼び出されて商談の邪魔を何度もされとるし、ユークリウス家と繋がりが持てたってだけじゃ、その内にわりに合わんくなるわ」

 

「アナスタシア様。正直さはあなたの可憐な美徳ですが、この場では少し押さえていただけた方が……」

 

クルシュの言葉に紫髪の少女が同意。そこにユリウスが気障な仕草を伴いながら苦言を呈す。少女――アナスタシアと呼ばれた彼女はユリウスに目を向けて、

 

「なに?押さえた方が受けがいいって?」

 

「いいえ。その方が優美でよろしいかと」

 

「ユリウスのその基準だけはウチもようわからんよ」

 

忠言にしては説得力のない内容に、しかしアナスタシアは毒気を抜かれた顔でため息。それからマーコスに向き直り、

 

「とにかく、ここまでのお話はみんなも知ってること。これでお姫様は満足しました?」

 

「どうじゃろな。アル、わかったか?」

 

「うーい、了解。わざわざあんがとさん、そっちのカララギ弁の嬢ちゃんも」

 

ひらひら隻腕を振るアルに、プリシラが「だそうじゃ」とアナスタシアに応じる。アナスタシアはその主従のいい加減さに瞑目。それから改めて賢人会を見上げ、

 

「話があるなら早くしてな?ウチも暇やないから、このあとにもやりたいこといっぱいあるんよ。国のお財布持っとるお爺ちゃんらはわかるやんな?」

 

諭すような言い方は、しかし相手が目上だとわかっている現状ではからかっているようにしか感じられない。思わずスバルは場が荒れるのでは、と警戒に身を固くしたが、そこはアナスタシアもすでに場数を踏んでいる人物らしく、ギリギリのラインの見極めができているらしい。

敬意に欠けた発言を受けた賢人会の面々の、いずれにも今の彼女の発言を咎めるような雰囲気は見当たらない。それどころか、マイクロトフなどは楽しげに、

 

「忙しいアナスタシア様には悪いですが、もう少し老体の話にお付き合いいただければ幸いですな。なにせ……今日は王国史に刻まれる一日になりますから」

 

何気ない会話の最後、ふいにマイクロトフの声が低くなる。

それを聞き、それまでどこか最初の緊迫感が失われつつあった広間に、誰もが背筋を伸ばさずにいられないほどの雰囲気が駆け抜けた。

マイクロトフの言葉の真意を探り、誰もが最初の一言を発することを恐れる。そんな中、口火を切ったのは物怖じせずに胸を張る少女だ。

 

「歴史が動く、と言いおったな。つまりそういうことであると、そうじゃな?」

 

プリシラの静かな問いかけに、マイクロトフは壇上で小さく頷く。それから彼は眉の濃い視線をマーコスに向け、目配せをもって合図とする。

それを受けたマーコスは胸に手を当てて一礼し、

 

「――騎士ラインハルト・ヴァン・アストレア!ここに」

 

「はっ!」

 

突然、広間に響き渡るマーコスの声。

思わずびくりと驚くスバルの隣で、呼びかけられるのを待っていたようにラインハルトが返答。それから彼は滑るような身のこなしで中央に進み出ると、候補者の四人に一礼を捧げ、それから騎士団長のマーコスの前へ。

 

「では、ラインハルト、報告を」

 

「はっ」

 

一歩場を譲り、マーコスが壇上前の中央を空ける。そこに進み出たラインハルトは観衆の視線をひとり占めにして、欠片の気負いもない表情で賢人会に向き合い、

 

「名誉ある賢人会の皆様、近衛騎士であるこのラインハルト・ヴァン・アストレアが、任務完了の報告をさせていただきます」

 

「ふぅむ、では全員に聞こえるように」

 

マイクロトフの指示を受け、ラインハルトは一礼してから振り返り、広間の全員の前で堂々と背を伸ばす。

 

「竜の巫女、王の候補者――最後の五人目、見つかりましてございます」

 

おお、とどよめきが立ち並ぶ騎士たちの間に広がり、候補者たちの表情がそれぞれの強い感情に呼応して変わる。歓喜・退屈・戸惑いなどの感情に。

そしてスバルもまた、ラインハルトの言葉に「やっぱりか」と口の中だけで言葉を紡ぐ。今までの話の流れからして、そういう話になるのは目に見えていた。

しかし、わからないのはラインハルトの立場だ。なぜ彼が報告の場に選ばれたのか。あるいは、とそこまで考えて、スバルはこの場の面子の共通点に気付く。

それは、

 

「全員、王の候補者の関係者……ってことは」

 

アルがプリシラ。フェリスがクルシュ。ユリウスがアナスタシアの関係者であり、スバルもまたエミリアの関係者であると己をその範疇に含むのであれば、この場に加わっていたラインハルトの立ち位置もまた明白だ。

 

「お連れしてくれ」

 

小さな声であったが、それは広間のざわめきを飛び越えて大扉まで楽々届く。その声を受けた門前の衛兵が敬礼し、それから扉がゆっくりと開かれる。

 

そうして開かれた扉の向こうから、侍女らしき格好の女性数名を伴って、ひとりの人物が王座の間の中に招き入れられた。

その人物の姿を見て、スバルは怪訝そうに眉を寄せる。

 

薄い黄色の生地のドレス。肘まで届く白い手袋とスカートを揺らし、いかにも歩きづらそうな踵の高い靴で絨毯を踏む姿。小柄で華奢な体躯は抱きしめれば折れてしまいそうなほど細く、毛質の細い金色の髪が儚げな印象に良く似合う。

しかしセミロングの金色の髪を揺らし、意思の強い赤い双眸の彼女が、悪戯っぽい八重歯の持ち主であり、そういった弱々しさと無縁であるのをスバルは知っている。

 

その見違えた姿に驚き、スバルは思わず口をぽかんと開いて愕然とする。

そんなスバルの反応を余所に、誰もが新たに広間に入ってきた少女の姿を瞳に焼き付ける中、朗と響き渡る声でラインハルトが告げる。

 

「自分が王として仰ぐ方――名を、フェルト様と申します」

 

驚きに膠着するスバルの鼓膜に、その声は何度も何度も繰り返すように響き続けていた。

 

――ルグニカ王国の行く末を決める、王選が始まろうとしていた。