『ガーフィールの思惑』
「それで、首尾よく契約を結ぶところまではいけましたか?」
最後の勝負を挑み、ロズワールに啖呵を切って建物を出たスバルは、しばらく歩いた先でオットーと合流し、今は大聖堂の片隅でお互いの成果を報告し合っている。
オットーの問いかけにスバルは頷き、
「ああ、うまくいけた。完全に自棄になってて、賭けに乗ってこない場合だけが心配だったんだが……そこは、こっち不利の条件のおかげで乗り越えられたみたいだ」
「そうでしょうね。あれだけ一方に自分有利な条件で勝負を挑まれて……おまけに、負けない青写真まであるとなれば引く方がどうかしてますよ。もちろん、ナツキさんの弁舌がよっぽどだったり、契約までは出してこない場合も考えられましたけど」
「つっても、契約まではいかない……って、お前は考えてなかったわけだろ?」
「ええ、そうですね」
当たり前のような態度で、腕を組むオットーは肯定してみせる。ロズワールを一時とはいえ手玉に取るようなオットーの行い。スバルも思わず目を見張ってしまう。
そんなスバルにオットーは苦笑し、
「ある一定以上の条件を盛り込んだ約定を交わすとき、商人なら書状ですが……熟練の魔法使いは契約を用いることが多いです。ましてや相手は、国を代表する魔法の第一人者ですから……十中八九、引っ張れると思いました」
「ちなみに契約って、こっそり別の内容で植え付けたりとかってできるのか?口ではこう言ってたけど、本当は別の契約を結ばされてたとか」
仮にそうであれば、スバルにはそれを確かめる手段がない。
賭けの勝敗で今後の組す内情の変わる契約だったが、実際には呼吸し続けると一日後に死ぬ――とかいう契約であってもスバルにはわからないのだ。
自分で自分の想像にゾッとするスバルだが、オットーが手を振り、
「そういう誤魔化しは利かないようになってますよ。契約を結ぶときにロズワール伯が言っていたんじゃないですか?魂に刻むものだとか。お互いの了承を得た上で、内容に合意して初めて契約は成立します。ナツキさんの認識と違う契約を結ばされることは、よっぽど言葉巧みでない限りはありません」
「一部例外としては、言葉巧みに騙される場合がありそうな言い方だな」
「……ここだけの話、法整備される前の、もっと世の中全体的に雑然としていた頃は契約を利用した詐欺やらが横行していたらしいです。相手が小悪党ならいいですが、性格悪い凄腕の魔法使いとかに目をつけられた場合、被害は考えたくないですねぇ」
恐い恐いと肩を小さくするオットーに、スバルは同意するように肩をすくめる。
その点、ロズワールは契約を結ぶ相手としては及第点だろう。凄腕であること、性格が悪いことは間違いないが、目的への執着心とやり方は真っ直ぐ純粋に邪悪なだけだ。契約を悪用し、スバルと決定的な仲違いをするつもりはないと思っていい。
仮にそんな方法でスバルを謀るのであれば――ひたすらに繰り返せる権利で、スバルはロズワールの心を完膚無きまでに破壊し尽くすに違いないのだ。
お互いのためにそんなことは起こらないと、最低限の信頼だけは置いておきたかった。
「ともあれ、俺の方はそんな塩梅だったけど、お前の方はどうだったよ」
「どう、ですかね。正直、手応えがあったとは言い難いってのが本音です。もともと、博打に近い要素でしたからね。……機会も、それほど多くは取れないでしょうし」
スバルがロズワールと交渉する間、別の役割を担当していたオットーの表情は明るくない。彼の言葉通り、スバルがオットーに頼んだ内容はうまくいかない可能性の方がずっと高い博打要素だ。代わりに、うまくやれればぐっと勝利条件を近づけることができる。
五日の内、あと何度チャンスがあるかわからないのが問題だが。
「そっちは経過を見つつ、だな。それじゃ、限られた時間内で何をしなくちゃいけないのか、改めて詰めるとするか」
「急務なのはエミリア様とガーフィールですよ。特にエミリア様の『試練』突破の方は、僕から手を貸せることがありません。ナツキさん次第、と言えなくもないです」
「それなんだよな。……エミリアが、あの子が自分でやりたいって気持ちは尊いと思うし、資格なくした今じゃ俺が代わってやることもできないんだけど」
それでも、おそらくはエミリアをこれまで通りに『試練』に挑ませ続けても、五日目までに『試練』をクリアできる目は弱いと言わざるを得ない。スバルが『聖域』を離れさえしなければ、エミリアの心が砕けてしまうようなことは起こらないとは思うが、クリアできずに摩耗していくことを避けることはできないだろう。
彼女には、何らかの変化――それも、スバル側から働きかけるそれが必要だ。
「――いい加減、本気で向き合わなきゃいけないってことだよな」
「…………」
「色々と、後回しにしてきたツケなんだよ。それを聞くことで、俺はエミリアと自分の間に埋められないもんがあるってことを自覚したくないから、逃げてたんだと思う。エミリアが言い出さないのをいいことに、エミリアの方もきっと、俺が聞こうとしないのをいいことに、さ」
「――互いの胸の内を話して聞かせるのは、大切なことだと思いますよ。僕もへらへらナツキさんと付き合ってるだけなら、五日後にどうなってたかわかりゃしませんから」
自省するスバルを慰めるようにオットーが言って、スバルは頬を掻きながら黙って感謝する。弱いスバルが目をそらし続けていたことを、責めないでいてくれる思いやりがどこか嬉しかった。
「っていうか、それぐらいの踏み込み合いもしないで何が好いたの惚れたのですか、ちゃんちゃらおかしいってなもんですよ。純情気取るのもいい加減にしてください」
「――っ、お前な」
互いにこっ恥ずかしさが勝る形になり、早口に茶化してくるオットーにスバルも唇を曲げる。が、言い返せないのは彼の言葉が正しいからに他ならない。
根っこがヘタレなスバルの気質は、色んな場面であと一歩が足りない結果を招いている。
でも、そうやって逃げるのももう、いい加減、限界だろう。
「エミリアの方は、ぶっつけなところもあるけど何とか腹割ってみるさ。俺にできたことができないとは、思わないからな」
「……まあ、そこはナツキさんの判断を信じてみますよ。さすがに、大兎がくる五日後まで『聖域』に残るようなことはしたくないですがね」
スバルの言葉に何事か言いたげな顔をしつつ、オットーはそれを封じて視線をそらすだけに留まる。それから彼は「それじゃ、もう一個の方ですね」と話題を変えて、
「ガーフィールですが、どう攻略するおつもりで?」
「ヒントは『外を恐がってる』だ。墓所の中で『試練』を受けて、それで見た過去に関係があるんだと思う。そのあたり、詳しいことがわかれば……」
「直接、当人に聞くような真似はできませんね。心の傷を直接抉られて、黙って見逃してくれるほど温厚な性格とは思えませんから」
「怒りに任せてぶん殴られたら、俺もお前も一発で首の骨持ってかれるしな。つくづく、武力面で不安しか残らないコンビだぜ……」
ドがつく素人のスバルはもちろん、オットーとて喧嘩慣れした旅商人という程度だ。武闘派とは口が裂けてもいないレベルであり、『聖域』内での武力ヒエラルキーでも下から数えた方がお互いに早いだろう。
「そういう意味で考えても、純粋に武官的なポジションは欲しいんだよな。ロズワールがいて、エミリアとラムがいて、フレデリカもまぁ入れても戦える奴がそれしかいねぇと、派閥として問題すぎる。ガーフィールは陣営に、必要だ」
レムを数えなかったのは、戦いの結果として今の彼女の状態があるからだろうか。
いずれ取り戻すと決めている彼女を、しかしもう戦場に立たせたくないというのはスバルのわがままだとわかっていても。
「ガーフィールを口八丁手八丁で丸め込んで仲間に引き入れる。そのためにも、あいつのトラウマ排除をしてやらなきゃいけない。そのための足りないピースは……」
「足りない部分は……?」
「当人に聞けないなら、余所から引っ張ってくるしかねぇな。リューズさんか、ラムか。どっちも、それなりに口が重そうではあるけどよ」
その二人が、スバルとロズワールが対立したときどちらに組するのか。それを確かめる意味でも、当たってみる価値はあるだろう。
朝食をかき込み、尻を払って立ち上がるスバルは首の骨を鳴らして、
「うっし、なら行動開始といくか。俺はひとまず、リューズさんの方を当たってみるから……」
「僕の方は例の段取り……ですね。他の方々に話は通しておきますが、できれば使わないで済むに越したことはないですよ」
「俺だって、あんまり考えたくねぇよ。考えたくねぇけど……なんだかんだで、それ頼りになりそうな感じが七、八割は……」
「高いですねぇ……否定はできませんが」
顔を見合わせてため息をこぼし、気を取り直すようにスバルは頭を振った。
それから、いまだにしんどそうな顔のオットーに対して手を掲げ、
「とにかく、やるしかねぇ。全部綺麗に丸く収まったら、そのときは盛大に祝杯といこうぜ」
掌を広げて、オットーに見せるようにスバルが言う。オットーは一瞬、理解に苦しむような顔をした後で、スバルの意図を察して同じように手を掲げ、
「ええ、僕の輝かしい未来のためにも、ぜひともうまくやりたいもんです」
「言ってろ」
意地悪く笑い合い、掌を打ち合わせる。
乾いた音が大聖堂の大気を弾かせ、驚く村人たちが振り返る視線の中、スバルとオットーは互いに背中を向けて歩き出していた。
※※※※※※※※※※※※※
「リューズさん、いるー?ちょっと話があるんだけど」
足場の悪い地面を飛び越えて、饐えた臭いのする部屋を通り抜ける。いい加減、この悪臭にも慣れたものだと思いながら、廃材をまたいだ先で青いクリスタルの輝きを見た。
水晶の中では今も変わらず、裸身をさらす少女が覚めない眠りの中にある。クリスタルの表面を掌で撫でて、何の変化も訪れないことに改めて落胆して、スバルは部屋の中を見回した。
薄暗い部屋は、クリスタルが放つ淡い青の輝きだけを光源としている。悪臭の溜まり場のわりには鼠や虫一匹見当たらないあたり、冷静に考えるとものすごく体に悪い場所のような気がしてきて今さら自分の体調が不安になり始める。
「虫とか鼠も住まないって、ひょっとして大気汚染とかすごかったりすんのかしら」
「そんな妙な心配せんでも大丈夫じゃ。ただ、ここには魔女の名残がありすぎるからの……本能でそれを察する動物たちは近寄らん、それだけじゃ」
肩を抱いて身震いするスバルに、背後から不安を否定する声がかかった。
聞き慣れた、幼い声音に老成した口調。振り返るスバルの視線の先、長い髪を引きずりそうになりながら歩くリューズがいる。
彼女は部屋の中央、クリスタルの前に立つスバルの傍へやってくると、髪の毛と同じ色の瞳でスバルを見上げて、
「さて、スー坊。わざわざここにいるということは……儂の素性については、もう知っておるんじゃろう?」
「直接、ここの責任者から説明を受けたからね。引き継ぎの代行もふわっとだけど話してくれたし、おおよそのことは知ってると思うぜ」
「そう、か。ロズ坊の様子が今朝から変なのは、それが理由か。――ロズ坊はまた、失敗したんじゃな」
目を伏せ、痛ましげな表情を浮かべるリューズ。その言葉にスバルは眉を上げ、
「思いがけずも図らずも、聞こうと思ってたことの一部が聞けた感じなんだけど……リューズさんって、ひょっとしてロズワールの企みとか知ってたり?」
「一部だけ、ではあるがな。ある程度、事情に通じているものがおらんと、ロズ坊の不可解な行為の理由に納得行く筋を通せんじゃろ。……もっとも、だからこそガー坊の怒りを買うんじゃろうがな」
「一部って、どこまでだ?」
「スー坊?」
声の調子を落とし、スバルはリューズに一歩、詰め寄る。
スバルの雰囲気が変わったのを感じたのか、こちらを見上げるリューズの瞳に驚きの色が差すのが見えた。スバルは膝を曲げ、視線の高さをリューズに合わせて、
「教えてくれ、リューズさん。ロズワールの企みを、どこまで聞かされてる?それ次第じゃ、俺は……」
「スー坊……」
もしもリューズがロズワールの企み――福音書の記述通りに世界を進めるために、屋敷をエルザに襲わせることや、大兎を招くために『聖域』を雪で閉ざすこと、最終的には関係者を皆殺しにし、スバルを孤立させて心を失わせようとしていること。
そこまで全て知っていて、引き留めもせずに加担しているのだというのなら、
「俺は、リューズさんのことを軽蔑したくない。だから、教えてくれ。どこまで知ってた?どこまで、ロズワールに協力してる?」
「……儂が知っておるのは、ロズ坊が魔女から受け継いだ福音書を持っていて、その内容の通りに歴史を修正しているということじゃ。『聖域』の存続も、福音書に記載されているからこそ。それがなければ、儂らの庇護はとっくに失われておったじゃろうからな」
「……それだけ、か?」
「それだけじゃ。誓って言ってもよい。儂は生まれながらの契約で、決して嘘をつくことができん身の上じゃ」
しっかりとスバルを見つめ返して、幼い表に真摯な表情を浮かべているリューズ。彼女の契約、嘘をつけないというそれも含めて、スバルはその言葉を信じることにする。
途端、強張っていた肩の力が抜けて、スバルは安堵の吐息をこぼした。
「そっか、よかったぜ。これでもしもリューズさんまで、ロズワールと同じで鬼畜思考してやがったんなら、全部解決した後でリューズさんまで引っ叩かなきゃいけないとこだった。見た目ロリなリューズさんを叩くって、もう絵面最悪だかんな」
「心配かけたことは素直に悪いと思っておるんじゃが、スー坊のその言い様を聞くとその気が失せてくるのは儂の気のせいかのう」
重苦しい雰囲気を払拭しようと、意識して軽口を叩くスバルにリューズが乗っかる。
彼女は顎に手を当て、スバルに「それで」と言葉を継いで、
「さっきの雰囲気からして、只事じゃあるまい?スー坊、いったいロズ坊とどんな喧嘩したんじゃ」
「喧嘩ってほど可愛らしいやり取りかは別として……今、勝負の最中だ。俺が勝った方が客観的に見て大団円だと思うんで、リューズさんに協力してほしいんだけど」
「流れからして、『聖域』の今後にも関係のある話じゃろ。スー坊とロズ坊で、まずは何を考えとるのか……そこがわからんと、迂闊に頷けん話じゃな」
「それもそうか。そうだな、どっから説明したもんか……」
首をひねり、スバルはどの程度の情報を出すべきかと真剣に悩む。事前にオットーと打ち合わせはしてあるが、リューズのこれまでの態度を見るに、彼女が頭から尻尾までロズワール寄りということは感じられない。むしろ、ロズワールとの協調は必要だからこそという風に思えてならなかった。
そのあたりを念頭に入れて、スバルは熟考しながら、
「単純な話にすると……『聖域』の結界が解放された後の扱い、かな」
「解放後の、扱い」
「ガーフィールからもちらっと聞いてんだけど、『聖域』の中でも意見が割れてんだろ?外に出るのに賛成派と、反対派とで」
基本的には賛成派の方が多数であり、反対派は少数であるという話だ。ただ、一部過激な反対派が、『聖域』を解放する『試練』に挑むエミリアやスバルに妨害行為を仕掛けかねない、という話ではあった。
『聖域』ですでに二十日近い時間を過ごしたスバルとしては、その少数の反対派の急先鋒がガーフィールであるのだろうと思っている。リューズは賛成派のトップ、という話だったが、そのあたりの意見の相違についてはどう思っているのだろうか。
と、そんな風に話を続けようとスバルが思ったときだ。
「意見が割れて……?いや、そんなことはないはずじゃぞ」
「え?」
「解放後、この土地を出るか残るかは個々人の判断に委ねられておる。大半はロズ坊に従って外に出ようと望んでおるし……残るものは残るもので、この土地に骨を埋める気でおるからの。意見の割れようがないじゃろ?」
「う、え……いや、でも……」
リューズの返答を受けて、スバルは予定外の話を聞かされた衝撃で頭が回らない。
『聖域』の中の賛成派と反対派の争い。それを受けての対立と、『聖域』解放に対するスタンス。そういったものから話を崩して、ガーフィールを味方に引き入れる算段を立てるつもりでいたのに。
「対立関係がそもそもないってことは……」
「――――」
「そもそも、それ自体があいつの出任せってことか?もともとは、反対派がいるってことにして俺に注意を促しておいて、妨害行為が起こること自体が当然のことだと思わせようって腹だったってことなのか?」
だとしたら、らしくもなく頭を回らせたものだとスバルは思う。
直接的な疑いを避けるために、起こり得る妨害行為をあらかじめ警告することで容疑者から自分を外したのだ。
結果的に、何度も『聖域』の最後をループして見届けたスバルには、その妨害の最たるものがガーフィールの大暴れであると知っているため、ほとんど意味をなさなかったが。
「そんな似合わない真似までして、『聖域』の解放を妨害したいのかよ……」
「……ガー坊の、ことじゃな」
スバルの呟きを聞きつけて、リューズはそれだけで誰の話か察した様子だ。
彼女はますます、その表情に陰を落として目を伏せ、
「あの子が外に出たがらないのは、儂らが不甲斐ないからじゃろうな……」
「不甲斐ない、って?」
「言葉通りじゃよ。儂らは生まれてからずっと、この場所で生きてきた。故にこの場所以外の外の世界を知らん。知らんが故に、弱い。ガー坊にはそれが、耐え難いほどに苦しいんじゃろう」
「――――」
リューズの言っていることが、スバルにはなんとなく理解できる。
狭い世界、閉ざされた場所で生きてきた『聖域』の住民にとって、結界が開かれた後の世界との繋がりは、全く未知の新しいものなのだ。
その新しいものに対する期待と不安、長く長くこの土地で過ごしてきたものほど、後者に寄る感覚の方が強くて当たり前だろう。過ごしてきた変わらぬ日常の崩壊は、それほどまでに大きな影響を持つものなのだから。
「ガーフィールが『聖域』の解放を望まないのは、環境の激変に傷付く人たちが見たくないから……か?キャラに合わなすぎる……けど」
もしも本当に、それがガーフィールがああして必死に『聖域』の解放の邪魔をする理由なのだとしたら、その考え方は――エミリアを苦難から遠ざけようとした、スバルの考え方そのものだ。
ガーフィールもまた、リューズや他の住人たちの意見に耳を貸さずに、自分の思う守り方を実践しようとしているのだろうか。それならばスバルと同じように、リューズや他の住民とちゃんと話し合う場を持たせれば、問題は解決するのか。
「いや、そんな簡単な話じゃねぇな」
スバルとガーフィールでは、求めるものへの望み方は同じでも立場が違う。スバルは願いに対して、力足らずであることが失敗の決定的な要因だった。
だが、ガーフィールは違う。ガーフィールには、『聖域』を解放させないための力があるのだ。スバルやエミリアを害し、『聖域』を解放する『試練』に挑む資格を持つものを根絶やしにしてしまえば、彼の望みは達成される。問題はそうやって『聖域』に閉じこもっても、その後に訪れる大兎の襲来からは逃れられない点だろう。
しかしそれは、ガーフィールにとっては知らない事実であり、報せてもおそらくは信用を得られない類の内容だ。オットーへの説明とは、状況が違いすぎる。
「純粋に妥協点を探すって意味じゃ、どうもこれでも足りねぇか……けど、変だな」
「スー坊?」
「そもそも、なんであいつは……『聖域』を解放させないための一番手っ取り早い、俺やエミリアを殺すって手段を最初に選ばないんだ?」
本気でなりふり構わず、それこそロズワールのように一つの目的に邁進するのであれば、ガーフィールはスバルとエミリアの命を早々に奪ってしまうべきなのだ。
しかし、現実には彼が直接的にエミリアを害するような展開は一度もない。スバルへ襲撃をかける場合でも、こちらが何かしらの大きな行動を起こすまでは動きもしない。
ガーフィールがスバルを殺そうとする切っ掛けが、まだはっきりとしていない。スバルを殺すことで『聖域』の解放を阻止しようとするのは間違いない。ただ、何が理由でそれを思い立つのかが、いまだに不明なのだ。
「切っ掛けが、あるはずだ。……でも、これまででガーフィールに襲われた経験を考えても、共通しっぱなしだったことがあったか……?」
スバルがガーフィールに襲われたのは、ロズワールに激昂して飛びかかったときと、村人を連れて『聖域』を脱出したとき――究極的には、それだけだ。
ロズワールの件では、あの場面を客観的に見て、ケガ人に飛びかかるスバルを悪と判断するのは平常ともいえる。さほど疑いにはならない。
問題があるとすれば、一度殺し損ねたスバルを改めて殺そうとした、次の機会だ。
スバルを殺しに大虎になったガーフィールは、スバルを生かそうと立ちはだかったラムや村人、パトラッシュまでをもその爪と牙にかけた。結果的にスバルは死に損なったものの、あの虐殺の現場を乗り越えたスバルのガーフィールへの憎悪は今も消えてはいない。
ただ、あれだけの行為に手を染めるのに、どれだけの決断力が彼に必要だったことだろうか。あれほどのことをさせた切っ掛け、それが何かあったはずだ。
そして振り返ってみても、その切っ掛けがスバル側にあるようには思えない。
つまり、あの虐殺の切っ掛けは、スバルではなくガーフィール側で起こり得るのだ。
「リューズさん。ガーフィールは粗雑で乱暴そうに見えるけど、軽々しく暴力を働いたりするような奴でもない……って、認識しててもいいか?」
「あの子は、根が優しい子じゃからな。強そうな殻をかぶって先に吠えておくことで、自分や周りを守ろうとしとる。……身につけた力も、そのためのもんじゃろうて」
「そうかい、そうすると……答えは一つだ」
「――?」
スバルは指で鼻を擦ると、首を傾げるリューズへと向き直る。
そして、傍らのクリスタルに手を当て、ひやりとした感触を掌に感じながら、
「誰かが、ガーフィールに入れ知恵をしてやがる。そいつの行動が切っ掛けで、ガーフィールは急な示威行動に出やがるんだ」
らしくない行動の数々も、誰かがガーフィールへ指示したものと考えれば合点がいく。その上で、そのガーフィールの協力者として有力なのは、
「ロズワール、ラム、リューズさん、あるいはまだ見ぬ悪意……」
いずれかの可能性が、ガーフィールを凶行に走らせるのだ。
そこを突き止める必要がある。それを突き止められて初めて、おそらくはガーフィールと本当の意味で話し合う機会が訪れるのだ。
「参考までにリューズさん、聞かせてもらっていいか?」
「ん、なんじゃ」
「――ガーフィールが墓所で受けた『試練』の内容って、リューズさんは知ってるか?」
「……いや、知らぬ。残念じゃが、それは儂の知り得るところではない」
首を振るリューズ。嘘をつけないという制限がある以上、彼女の言葉は事実だろう。それを受け、スバルは「そうか」と顎を引いて、
「聞き方を変える。――ガーフィールが墓所で受けた『試練』の内容って、他のリューズさんは知ってるか?」
「――――」
「この場合の沈黙は、肯定ってことにしかならねぇぜ」
沈黙を守るリューズにそう告げて、スバルは軽く顔を上へ向ける。
リューズ・メイエルの複製体である、『聖域』の代表者たるリューズは複数存在している。日替わりで役割を演じるリューズが変わるというシステムは、各個体が持つ記憶や経験を完全に共有するわけではないという問題を生じさせたのだ。
四人いる、代表者たるリューズの複製体。仮に彼女らをABCDと区別するのであれば、当たり前だがAが活動する日の記憶と経験の全ては、BCDには受け継がれない。
ガーフィールが『試練』に挑み、そして失敗してリューズに連れ出されたという問題の日――そのとき、ガーフィールを助けたリューズは目の前のリューズではないのだ。
「……『試練』を知ってるリューズさんは、次はいつ出てくる?」
「――――」
「昨日、墓所の前で俺と話してたリューズさんは、『試練』を受けたことがあるって言ってた。嘘がつけないルールが適用されてるなら、アレはホントってことになる。ローテーションが一日交代制なら……次に出てくるのは、三日後か?」
時間をかけられない状況で、一番遠い日付になってしまうのは避けたい。
そう願いながら問いかけるスバルに、それまで口を閉じていたリューズが、ふっと唇を緩めて吐息を漏らし、
「いや、ガー坊を墓所の外へ連れ出した儂が出るのは、次は二日後じゃ。入ったことがある儂とない儂と、二人ずつが順番で回しておるからの」
と、どこか疲れたような顔でそうこぼしたのだった。