『プリステラ攻防戦リザルト3』
『憤怒』の大罪司教。『怠惰』たる狂人の妻を名乗る、包帯の怪人。
シリウス・ロマネコンティは自らの武器であった鎖に全身を縛られ、身動きのできない状態で避難所の一室に囚われていた。
「誰もきてくれないし、近付いてきてもくれないし退屈していたんです。でも、あなたを呼びにいってくれていたんですね。ありがと、ごめんね?皆さんのおかげで嬉しい再会ができたみたいです。……邪魔者もいるみたいですけど」
部屋に足を踏み入れたスバルを見て、シリウスが声を弾ませる。ただし、言葉の最後の部分はエミリアとベアトリスへの強烈な怒気を孕んでいた。
「――――」
変わらず、シリウスはスバルのことをペテルギウスの憑依体か何かと勘違いしているようだ。無論、御免被りたい認識には違いない。
狂気的にぎらつき、明らかに正気を逸している怪人の眼力に気圧されながら、スバルはそれを誤魔化すように肩をすくめてみせると、
「捕まってるわりにずいぶんと余裕があるんだな。プリシラが何の気紛れでお前を捕まえようと思ったのかはわかんねぇけど、無事の解放なんて絶対にねぇぞ」
「かといって安易に始末もできない、でしょう?ありがと。あなたが私の身を案じてくれていることはわかっていますよ。でもごめんね?せっかくのあなたの心配ですけど、私にはきっと無意味です。だってそうじゃないですか」
スバルの脅しを、シリウスは独自の思考でポジティブに解釈。怪人は椅子の上で静かに姿勢を保ったまま、ただひび割れて掠れる声を震わせ、
「誰しもの心に他者を想い、他者を求める『愛』がある限り、誰にも私を否定することなんてできない。それはあの、傲慢な娘も同じことです」
「……プリシラとリリアナの二人に、お前の権能は通じなかったはずだ。お前を害せる存在がいないわけじゃない」
「でもそれはあなたじゃない。あなた以外から与えられるモノなんて、何であろうと究極的には私には無意味なものです。ありがと。ごめんね?」
「――っ」
包帯の口元を緩めて、微笑みさえ浮かべている素振りのシリウスに歯噛みする。会話が成立しているように見えるが、その実、対等な意思疎通はできていない。
シリウスの中で確固たる価値観が、外部からの刺激を欠片も受け入れない。力強く殴れば殴るほど、殴ったスバルの方が傷付くばかりだ。
「スバル、無駄なのよ。こういう輩に反省とか同調とか、そういった人間らしい感情を求めるのは無意味かしら。こいつらは、そういう害意でしかないのよ」
「……女の形をした精霊が、私の大切なペテルギウスに近寄るな」
歯軋りするスバルの袖をベアトリスが引くと、シリウスは露骨に不機嫌な態度を取り始める。その怪人の言葉に、ベアトリスは小さく鼻を鳴らすと、さらにぐいとスバルの腕を自分へ引き寄せた。
「お生憎かしら。ベティーはスバルのモノだし、求められてこうしているかしら。お前の方こそ、おぞましい名前でスバルを呼ぶんじゃないのよ。その名前の持ってる、本当の意味も知らないくせに」
「調子に乗るな、メスガキが。その人の隣は、肉体だろうと心だろうと私が寄り添う場所だ。一方的な勘違いの偏愛をその人に向けるんじゃぁない。尻から火を入れて、腹の中身を焼き尽くして、オド・ラグナの肥やしにしてやろうか」
「二人とも、勝手に盛り上がってケンカしないの。私も怒るわよ」
シリウスとベアトリスに険悪な雰囲気が生まれると、そこに割って入るエミリアの視線の険しいものとなる。三人の女性に囲まれ、腕を引かれる状況だが、そのことを茶化している余裕は今のスバルにはなかった。
それほど、シリウスの傍にいることは精神に強い圧迫感を覚える。それがこの怪人の持つ権能に由来するものか、それは定かではないが。
「エミリア、ベアトリス、下がってくれ。たぶん、こいつとの会話は俺しか成立しない。他の誰かがいると……いなくても、成立してるか怪しいとこだが」
「でも……」
「頼む。――降って湧いた、魔女教と話せるチャンスなんだ」
このような状況でもなければ、魔女教と腰を据えて会話する機会など得られない。
スバルの嘆願にエミリアは吐息し、ベアトリスと顔を見合わせると、シリウスとの会話を邪魔しないように一歩下がった。
そうして状況を任されて、スバルは雁字搦めの怪人と向き直る。
「お望み通り、お前と話をしてやる。だからさっきから、鎖ぎちぎちさせてるその動きをやめろ。拘束を外れたら、倒すしかなくなる」
「あなたにも立場がありますもんね。わかっています。大丈夫ですよ。この鎖、そう簡単に壊れるものでも外れるものでもありませんから。ありがと」
対話を試みるスバルの姿勢に、囚われのシリウスはご満悦だ。
エミリアたちの姿が見えていないわけではないだろうに、完全に意識から二人を追い出すことにしたらしい。
「それで、お話は何をしますか?私とあなたの関係ですから、お互いに話すことなんてほとんどない……『愛』を交わすぐらいでしょうか。なんて、ごめんね?」
「目的……そう、目的だ。お前ら大罪司教が一斉に、この都市を狙った目的。本だとか、人工精霊だとかのお為ごかしはいらないぞ。お前らに真面目にそれを奪おうなんて目的がなかったことぐらい、俺たちにはちゃんとわかってる」
「真面目にやる気がなかっただなんて、誤解です。でも、確かに私自身が欲したわけではありませんね。他の奴らはいざ知らず、私は福音書の記述に従っただけ」
「福音書……またそれか。ペテルギウスのときも同じだ。お前ら、なんだってあんなおかしな本に従うんだ?ペテルギウスだってあれに従って」
結果的に、命を落とした。
福音書の記述が、所有者の辿るべき未来の道筋を示す――そんな事情を知っていても、それが万能でないことはあの狂人の最期を思えば明らかだ。
未来の道筋が見えていること、それが全てではないことをスバルは知っている。
なのに、
「お前ら魔女教は、なんだってそんな本の言いなりになってるんだ?あの本が『魔女』の……お前らの大好きな、『嫉妬の魔女』の復活に役立つからか?」
「――勘違いしないでください、あなた」
「勘違い?」
スバルの絞り出す声に、ふいにシリウスの声から喜悦の感情が消えた。
怪人は包帯に包まれた顔の中、そのぎらつく双眸でスバルを直視しながら、唇を歪ませて黄色がかった歯を見せる。
そして、言った。
「私が愛してるのは、あなただけ。あなた一人だけです。『魔女』なんて、私にとってはどうでもいい。全部、あなたに辿り着くために必要なだけのモノ」
「――――」
「他の大罪司教も、同じようなものですよ。誰もかれも、くだらないつまらないおぞましい欲望を抱いて、自身の権能に縋りついているだけ。『愛』だけが理由の私や、在り方が愛おしいあなたとは違う。ごめんね?何もかも違うんです」
――魔女教の目的は、『嫉妬の魔女』の復活である。
ペテルギウス・ロマネコンティの振る舞いや発言、そしてこれまでに聞かされてきた魔女教の教義や蛮行から、スバルは疑わずそうであると信じてきた。
しかし、その根本――魔女教という集団の存在理由そのものが、ここで揺らぐ。
無論、スバルもレグルス・コルニアスと遭遇し、言葉を交わした身だ。
あの独りよがりで、自分以外の全てを見下し切っている男が、ただ『魔女』にだけは心酔しているなどと考えると、途端に違和感の方が強くなる。
言われてみれば当然、思い至ることができる思考の帰結ではあった。だが、だとしたら魔女教とは何のためにあるというのか。
「じゃあ、お前らはいったい何のために魔女教なんてもんを……」
「あなたがいるから」
「――――」
「私の理由はそれだけ。あなたと『愛』を交わすため、ここにいます。他の奴らのことは知りません。一つになれば、わかるでしょうけど」
一つになれば、とはつまり権能の力で心が溶け合えばという意味だろう。
だがそれは理解ではなく、強制的な同調だ。無理やりに心を押し付けて、同じ感覚に縛り付けるやり方を分かり合うなどと、ましてや一つになるなどとは呼べない。
「他の大罪司教の、目的は?魔女教は最終的に何を狙ってる」
「さあ、どうでしょう。ごめんね。興味のないことは残念ながら」
「魔女教は普段はどこに集まってる。誰か指導者がいたりとか、しないのか」
「……いいえ。特にそういった決まり事は。あなたもご存知の通りですよ」
包帯の向こう側で狂的な笑みを浮かべたまま、シリウスはスバルの質問をのらりくらりとかわす。否、おそらくかわしているつもりなどないのだろう。
怪人は怪人なりに真摯に、自分の夫である『ペテルギウス』の問いかけに応じているつもりだ。これまでの振る舞いから、シリウスがペテルギウスに対して常軌を逸した偏愛を抱き、その上で依存しきっていることは疑いようがない。
つまり怪人は言葉通り、本当に何も知らないのだ。
「――それにしても、やっぱり、そうなんでしょうか」
「――?」
考え込むスバルを、真下から覗き込むシリウスがそうこぼす。
その言葉の冷ややかさに、スバルはわずかに反応が遅れた。そこに生じた一瞬の隙間に怪人は乗じる。
小さく椅子が傾く音がして、スバルの鼻面にシリウスの顔が接近した。
思わず息を呑むスバルを、血走った双眸が至近で睨みつける。
シリウスは椅子を傾け、足首まで拘束された状態でありながら、かろうじて自由になる足の指先だけでバランスを取り、スバルに寄りかかるような勢いで体を前に倒したのだ。
「……お」
「刻限塔で再会したときから不思議に思っていましたけど、確信しました。あなたの瞳の中に、あの日の激情が見当たらない。――あなた、呑まれていますね?」
「――――」
「仮宿のつもりの肉体に、精神に食まれて、身動きできなくなるなんて……あなたは本当に、私がいなくてはダメな人なんですから」
熱っぽい吐息をこぼしながら、シリウスの長い舌がスバルの頬を妖しく舐めた。ざらつく舌先の感触を肌に味わい、スバルの全身の産毛が総毛立つ。
込み上げる不快感が胸の内で爆発し、目の奥が真っ赤に染まる。単純に、行為に対するおぞましさだけが引き起こす現象とは思えない。
思えないが、それ以上を考察する余裕が感情にない。そのまま――、
「アイスブランド・アーツ!」
「か――ふっ」
斜めに叩きつけられる氷槌の打撃が、スバルに張り付くシリウスの胴体に叩きつけられ、そのまま椅子ごと背後の壁へと吹き飛ばす。
衝撃音を上げ、無防備に氷撃を受けたシリウスが転倒、狭い部屋の中に埃が舞い上がり、パラパラと天井からも破片が落ちてきた。
「お、お……?」
とっさに膝をつくスバルの隣で、生じた氷槌を打ち消すエミリアがいる。今の問答無用の一発が、エミリアの放ったそれだと遅れて気付き、スバルは長い息を吐いた。
一瞬の間に何が起きたのか、それを把握しきれず。
「スバルは大馬鹿かしら」
「――っ。ベア子?」
乾いた音と衝撃に、頬を張られたと気付くスバルは目を瞬かせる。頬を叩いたのは寄り添うベアトリスだ。彼女はエミリアを横目にして、
「今、エミリアが割って入らなきゃベティーも同じことしてたのよ。あんな奴を相手に油断しすぎかしら。最悪、喉が噛み千切られたのよ」
「――――」
ベアトリスの言葉に、スバルは自分の迂闊さを自覚する。大げさなことを、などと笑えるはずがない。事実、シリウスはスバルの頬を舌で舐めたのだ。
行為のおぞましさは別として、あの舌が牙になり、頬ではなく首筋であったとしてもスバルはそれを止められなかった。
「おかしな真似はしないで。私、おっちょこちょいだからうまく手加減してあげられない。次もきっと、すごーく痛い一発になるわ」
倒れるシリウスを警戒しながら、エミリアは手加減なしの宣告をする。
完全に拘束されて、身動きを封じられたシリウス――そんな捕虜状態の相手に対して過剰なほどの警戒は、それだけ怪人が凶悪な存在である証拠だ。
その権能の脅威を前に忘れてしまいそうになるが、この『憤怒』の大罪司教は単体の戦闘力を見ても群を抜いている。一見、魔女教最強は『無敵』のレグルスであるように思えるが、実態が権能任せの『強欲』は真の意味での脅威は低い。
権能に依らない強さと、権能の脅威――そういう意味では、他の大罪司教の方がよほどレグルスよりも手強い。
「スバル、もうわかったはずかしら。こいつと話していても埒が明かないのよ。まともに会話ができる相手じゃない。何を知ってるかはわからないけど、何を聞き出すにしても正気の話し合いで知ることはできないかしら」
「話し合いで無理なら……」
「体に聞くなり、拷問ってことになるのよ。そしてそれはスバルのやるべきことじゃないかしら。それは王国が、捕えた先で勝手にやることなのよ」
冷酷な見解を述べながら、ベアトリスがスバルの腕を引いて立ち上がらせる。
拷問、その単語にスバルは言い知れぬ不快感を覚えた。死や暴力以上に、日常生活の中で聞くことも口にすることもない単語だ。
その実態は知らずとも、どれほど凄惨なことが行われるのかは想像の届く範囲でならわかっている。そしてそれにさらされる人間の、その苦しみも。
「いい気味だ、とは思わねぇよ」
スバルとて、性善説を信じるほどおめでたい精神はしていない。
戦いにおける決着、その全てが『死』であるなどとは思っていないし、極力、殺さずに済むのであれば済ませたい考えはスバルの根底には常にある。それは元の世界から引きずってきた倫理観であり、スバルが切り離せずいる甘さそのものだ。
――ただ、それでも、その倫理を踏み越えた決着は必ずある。
殺さずに済むのであれば、殺さずに済ませたい。その考えはとどのつまり、殺さなくてはならない相手は殺さなくてはならない、ということだ。
大罪司教は、ペテルギウスやレグルスはいずれもそれに該当した。そしてそれは他の大罪司教も、シリウスやカペラ、『暴食』のアルファルドも変わらない。
憎悪や復讐心はある。しかし、それとはまた異なる部分で、奴らは殺さなくてはならない相手であると、そう断ずる精神があった。
「もうお前と話すのは御免だ。それにここで別れたら、お前と話す機会なんて二度とこねぇだろう。憐れみもないし、可哀想だとも思わない。けど、とっとと話すこと話して楽になっちまえ。……その方がずっと、助かる」
面と向かって、誰かに『死ね』と伝えるのは息苦しさを伴う。
スバルはそれだけ話して、もうこれ以上はないと部屋を出ようとした。ベアトリスの言う通り、魔女教の詳細をシリウスから聞き出そうとすれば、今以上の情報は肉体に聞く他に方法がない。それはスバルにはできない、別の仕事だ。
スバルが退室の意思を示すと、エミリアとベアトリスが揃って安堵の表情を浮かべる。もともと、部屋に入るのに反対していた二人だ。収穫なしで嫌な思いをしただけという情けない有様ではあるが、奴らの考えは理解できないことがわかったと前向きに捉えて、ここは満足とすべきだろう。
「――――」
近付けば、何をされるかわからない。
エミリアの打撃でひっくり返ったままのシリウスを、スバルたちは起こさずそのままにして入口に向かう。決して褒められた態度ではないが、これで――。
「――――」
「……待て」
入口に歩み寄ったところで、スバルは頭蓋を掻き毟る違和感に足を止めた。そのまま視線は倒れているシリウスへ。不快感の根本はそちら、倒れるシリウスからだ。
怪人は横倒しになり、顔を冷たい床に押し付けながら荒く鼻息をついている。ひどく耳障りで、意識に引っかかってくる息遣い。
――それが、鼻歌であると気付いたのは部屋を出る直前だ。
「その歌をやめろ、何のつもりだ」
「――――」
調子の外れた、音程も音域も乱れに乱れた不協和音は止まらない。それがスバルの言葉に対する、シリウスの意思表示に他ならない。
つまりは拒否、拒絶。そして、
「やめろって言ってんだろ!その歌、キンキン頭に響くんだよ!」
「――。ごめんね?ああ、でも、歌はいいですよね。そう教わりましたから、歌は素晴らしいって。だからつい、歌ってみたくなったんです」
「リリアナか……!」
プリシラやリリアナと相対し、歌を聞いたはずのシリウス。その戦いで、歌がどのようにして権能を封じたのかはわからない。
怪人はその戦いの中で歌を憎むのではなく、歌に何かを学んだ。だが、怪人の歌に対する理解は、リリアナが歌に込める想いと決定的に食い違っている。
歪で、ずっとおどろおどろしい何かと。
「お前の歌とあいつの歌を一緒にするなよ。お前のは違う、別物だ」
「――それはあなたにも言えること。あなたは、違います。違っている。私の愛するあの人とは、決定的に違う。同じなのに、違う」
「なに?」
「ペテルギウスはあなたの中にいる。精神と精神が溶け合い、肉体と肉体が混ざり合い、そうして愛しいあの人が表出するのに時間がかかる。私のするべきことは、それを手伝うこと。あの人の目覚めを、傍で見届けること」
床に倒れたまま、首を曲げてシリウスがスバルを見上げる。
狂的な目に浮かぶのは、渦巻き続ける激情の嵐だ。怒りが、喜びが、悲しみが、そして隠しようのない慕情が、シリウスの瞳の中には渦巻き続けている。
「あなたの中から、あの人を引きずり出す。――ありがと、ごめんね?その日まできっと、体と心を大事にしていてくださいね」
「――っ」
スバルとペテルギウスが違うものだと、シリウスは確かに理解した。
理解したはずなのに、それに上書きするように怪人は都合のいい妄想を被せる。スバルの中に眠るペテルギウスが、いずれ自分を迎えにくると。
そんなものはいない。そんなことはありえない。
スバルの中に、ペテルギウスの魔女因子が取り込まれているのはおそらく事実。だがそれはペテルギウスの精神を保障するものではない。スバルとペテルギウスのどこに共通性を見出して、怪人はそんな戯言を繰り返すのか。
――あるいはあの狂人とスバルに、外から見て同じ部分があるというのか。
「一つだけ、つまらないことにならないように忠告します」
「……忠告?お前が、俺に?」
「ええ、私が、愛しいあなたを失わないために。――『暴食』に気を付けて。『悪食』も『美食家』も『飽食』も、いずれもあなたを奪おうとするでしょう。目覚める前にそうなったら、誰もあなたを覚えていられなくなる」
「――――」
思わぬところから、『憤怒』が『暴食』の名を出して情報を口にした。もっとも、その内容自体は物珍しいものではなく、既知の情報でしかなかったが――否。
「待て。『美食家』と、なんだって?」
「『美食家』と『悪食』と『飽食』。食まれ取り込まれ、失われたことにも気付けないなんて、溶け合い混ざり合い一つになるべき『愛』への蛮行。機会があればぜひ、『暴食』は殺しておいてください。邪魔ですから」
同じ立場の大罪司教を漏らし、その上であっけらかんとその死を望む。魔女教における大幹部同士の付き合いに、致命的な関係性の齟齬があるのはこの際いい。
問題は、シリウスの口にした『暴食』――否、『暴食』たちの話だ。
「オットーが『暴食』と出くわしたってのは、てっきり、制御搭にいた『暴食』が『色欲』と同じでうろついてたからって思ってたが……」
そうではなく、他に二人いる『暴食』の内の片方でしかないとしたら。
三者いる『暴食』の全員が都市に潜伏しており、その一者でしかないとすれば。
『暴食』の制御搭を、担当する『暴食』が守り続けていたのであれば。
「――っ。クソ、確かめねぇと……!」
自分の馬鹿さ加減に頭を掻き毟り、スバルは床を蹴りつけて入口へ向かう。シリウスとの対話など続けている場合ではない。
都市防衛戦に臨んだ全員、その安否をスバル自身の目で確認しなくては。
『暴食』に名前を喰われて、消えた誰かがいないかと確かめなくては。
「エミリア!ベアトリス!すぐにさっきの避難所に戻る。確かめなきゃだ」
「スバル?何を吹き込まれたのかわからないけど、落ち着いて……」
「これが終わったら!いくらでも落ち着く。落ち着くから、俺に落ち着くために必要なことをさせてくれ。大切なことなんだ」
肩に触れるエミリアに、スバルは早口で応じる。スバルのその態度にエミリアは息を呑み、それから「わかった」と頷いた。
ベアトリスは最初から、呆れたような顔つきでスバルの行動に口を挟む素振りはない。スバルはもはやシリウスのことなど放置して、とっとと部屋を飛び出す。
「待って、スバル。私もいくから」
それにエミリアが慌てて続き、早足に二人の足音が遠ざかっていく。
それを聞きながら、ベアトリスは扉のところで振り返り、いまだに地面と頬ずりしたままのシリウスを眺めて、掌を怪人へ向けた。
「本音を言えば、お前をここで粉微塵にしておく方が正しいんじゃないかと思わなくもないかしら」
「――じゃあ、そうしたらどうです?淫売精霊。私はあの人の目覚めが早まるのであれば、大歓迎ですけど」
「――――」
挑発的なシリウスの物言いに、ベアトリスは吐息をつき、掌を下ろした。そのまま下ろした手でドレスの裾を握り、少女は丸い瞳に強い感情を込めて、
「スバルを悲しませるなら、ベティーが必ず殺してやるのよ」
「もちろんです。私の愛しいペテルギウスの復活は、ただただ喜びの感情の中で迎えられるべきですから」
どこまでわかっているのか、成立しているのかいないのか、それさえもおぼつかない会話が終わり、ベアトリスは部屋を出て、扉を閉めた。
閉める直前、ベアトリスの鼓膜に滑り込む、シリウスの歪な鼻歌。
音律の狂い、音楽という概念を踏みにじって遊ぶような、聴覚を掻き毟る音の暴力と嫌がらせ。他者に嫌悪感を植え付ける、まったく新しい音楽――『怨樂』だ。
ドアが閉まり、その怨樂が途切れる。
けれどもどこまでも、その狂った音律は耳に残り続ける。そんな嫌な感覚を味わいながら、ベアトリスは静かな足取りでスバルとエミリアの二人を追いかけた。
※※※※※※※※※※※※※
シリウスの監禁部屋を飛び出し、スバルは廊下で構えていたアルへ駆け寄る。青龍刀片手に待機するアルは、猛然とやってくるスバルの剣幕に驚きながら、
「よぉ、兄弟。すげぇ派手な音が聞こえたけど、まさか殺しちゃいねぇだろうな?殴る蹴るってのも捕虜虐待だから、あんまり褒められた話じゃねぇぞ」
「殺したりしねぇし、捕虜虐待に関してはあとできっちり言い訳するとして、そんなことより、確認だ。アル、お前のいたとこじゃ誰も死んじゃいないんだよな?」
「――?そりゃ、都市全体で見た話ならわかんねぇよ。けど、少なくともオレや猫耳のおねにいちゃんに、カララギ弁の嬢ちゃんは無事さ。知ってんだろ?」
「知ってるけど……ああ、クソ。この聞き方じゃ埒が明かねぇか!」
要領を得ない返事になるのも当然だ。
スバルの懸念通り、『暴食』の被害に誰かが遭っていたとすれば、その人物はレムのように誰の記憶からも消えていなくてはならない。その場合、『誰か覚えていない人間はいないか』なんて質問は成立しなくなる。
単純な方法は、アルやエミリアに一人ずつ、全員の名前を挙げていくことだが。
「――っ」
それは怖い、それは恐ろしい。
怖がっている場合ではないのに、誰かの口からそれを伝えられるのは恐ろしい。避難所に駆け戻って、全員の無事をこの目で確かめる方が、ずっと楽だ。
「避難所に戻る。ラインハルトが戻るまで、絶対に目を離さないでくれ」
「そりゃいいが……まぁ、いいや。中の話は聞かねぇよ。おっかねぇから」
手をひらひらと振って、アルはスバルの態度の真意を追及しない。配慮、というよりは面倒事を避ける考えに救われながら、スバルは通路を戻り、避難所の外へ。
変わらず、退屈そうにしているプリシラを横目に、「二人目」と数える。
「はっ。凡俗は器の小ささ故に、些細な物事に心を掻き乱されて大いに大変じゃな。せめて右往左往するなら、せいぜい見物となるよう注力することじゃ」
「お前の変わってなさにホッとするなんてゾッとしねぇよ。あとでな」
足を止めている暇がなく、スバルは早足にプリシラの前を通過する。あるいは不敬とプリシラの機嫌を損ねかねない態度だったが、そのことにプリシラは何も言わず、ただ扇で自身の肌を煽ぎながら、「つまらぬ」と呟いただけだった。
「それでスバル、どうしたいの?確かめなきゃいけないことってなに?」
負傷者でごった返す避難所へ戻って、周りを忙しなく見渡すスバルにエミリアが声をかけてくる。彼女の呼びかけに、スバルは一瞬、協力の求めを躊躇った。
レムの例を思えば、『暴食』の食事に対する抵抗力はエミリアにはない。彼女の口から、レムの名前の喪失を知らされたときの衝撃、それをスバルは忘れていない。
あの傷を再び抉る可能性を覚悟して、エミリアに事情を説明するには勇気がいる。これはだって、エミリアには配慮のしようがない、無意識の刃なのだから。
「――――」
スバルがここまで、防衛戦のために戦った仲間で確認したのは数名。
ベアトリスと、アナスタシアが最初。そこにガーフィールとミミが加わり、ヴィルヘルムとオットー、リリアナやキリタカもそれに続く。
オットーの言葉から、フェルトの存在も確認。彼女らの話に従えば、ラインハルトとフェリスの二人も大丈夫のはずだ。そして、さっきまで一緒だったプリシラとアル。
つまり、まだ安否の確認ができていないのは――、
「――スバル、無事に合流したみたいだね」
「ラインハルト、か?」
思考の加速するスバルに、横合いから涼やかな声がかけられた。振り向けば、こちらに手を挙げているのは赤毛の青年、ラインハルトだ。
レグルスの攻略後、他の陣営の援軍に回っていたはずの彼と、こうして無事に顔を合わせたのはほんの数時間ぶりだ。とはいえ、知人の姿を探し回っていた今、彼の顔を見ることができたのは素直に安堵がある。
「エミリア様とベアトリス様も無事に合流されて、なによりです」
「ありがとう、ラインハルト。あなたこそ、都市中を走り回ってたはずでしょ。無事でよかった。うん、本当に」
「いいえ、大したことでは。それに僕がいなくても、各人、自分の役割をしっかりと果たしておられました。僕の微力が役立ったのは、ほんのわずかです」
エミリアに丁寧に応じて、ラインハルトはそれからスバルを見た。蒼穹を映した瞳が細められて、ラインハルトはスバルの心の奥を見透かすように、
「それでスバル、何かあったのかい?今、焦っていたように見えたが」
「何かあったかどうか、それを今確かめたいとこなんだ。――ラインハルト、お前、フェルトには会ったか?フェルトと、他の……ええと、ラチンスたちと」
トンチンカンの三人も、事ここへきては関係者――仲間の枠組みに入れるべきだ。フェルトの無事はオットーから口伝に、従者の無事も同じく聞かされているが、従者三人の名前まで出して確認したわけではない。安心はできなかった。
そんなスバルの問いかけの必死さに、ラインハルトは顎にそっと手を当てると、
「ああ、大丈夫だったよ。フェルト様も、ラチンスやガストン、カンバリーの三人もそれぞれ無事だ。ラチンスとガストンはケガもあるけど、大きな心配が必要なほどじゃない。勝手に行動されたことについて、フェルト様にはあとで反省していただかなくてはならないと思っているけどね」
「そのフェルトのおかげで、うちの内政官が助かった可能性も少なからずありそうだから、それに関しちゃ寛大な処罰を頼む。……他に、なんかなかったか?」
「何か、というと?」
「何かってのは……いや、ごめん。これじゃ全然、具体的な質問にならねぇ。えーっと、俺たちと別れたあとで、何かなかったか。問題とか、気になることとか」
考え直しても、やはり具体的な質問にならなくてスバルは情けなくなる。が、ラインハルトはそれを笑わず、静かに考え込み、首を横に振った。
「いや、すまないけど、心当たりになるようなことは何も。君やエミリア様と別れたあと、特に問題になるようなことはなかった。そう思っているよ」
「そう、か。悪かった。そうじゃないんだ。ええと……そう、ちょっと色々と話したいことがあるから、できたらフェルトも集めてくれないか。関係者と、今回のことや事後の相談もしたい。任されてくれるか?」
「――。いいさ、君の頼みだからね。今、フェルト様には今度こそ待機所で大人しくしてくださるように頼んだばかりだから、嫌味を言われてしまいそうだけど」
「……そりゃ悪い。あとで俺からも謝るから、今は頼む」
スバルの言葉に苦笑して、ラインハルトは軽く周りを見回してから、さっと足早にその場から離れる。避難所の外に飛び出すと、一足跳びに建物を飛び越していく影がかすかに見えて、フェルトとの合流もすぐ叶うことだろう。
問題は、
「スバル、あそこにフェリスがいるわ。話を聞きたいんでしょ?」
「ん、ああ。そう、フェリスにも話が聞きたかった」
エミリアに呼ばれて、彼女の指差す方向を見る。すると、避難所の隅できょろきょろと視線をさまよわせる、フェリスの姿を見つけることができた。
猫耳の治癒術師はふらつき、顔色がひどく悪い。おそらく、ラインハルトに連れられての治癒行脚の結果だ。治癒魔法を駆使し、かなりの負担を被ったのだろう。それでも休まず、次の患者を探して歩き回っている――わけではなさそうだ。
「――あ!」
周りを見ていたフェリスが、スバルたちに気付いて声を上げる。彼はおぼつかない急ぎ足でこちらへやってくると、倒れ込むようにスバルの胸倉を掴んだ。
その軽い体を支えて、スバルは「おい?」と声をかける。すると、
「教えて……」
「え?」
「大罪司教!捕まえたんでしょ?知ってること洗いざらいぶちまけさせて、クルシュ様の治療法を聞き出すの!だからそいつの場所、教えて……!」
目を剥き、至近距離から睨みつけるフェリスの視線にスバルは硬直する。
烈火の如きフェリスの激情は、ただただ自分の敬愛する主人の身を案じている。そして彼女を救うためならば、その可能性を知るものに容赦しないだろう覚悟も。
「ふ、フェリス、落ち着け。お前の気持ちはわかるけど、そんなに急いでも結果はついてこない。今はまず、話し合いを……」
「勝手なこと言わないで!気持ちがわかる?わかるわけないでしょ!?悠長なことを言って、こうしてる間にクルシュ様がどれだけ苦しんでるか……それがわかってたら平然としていられるもんか!適当なこと言うな!」
「――――」
胸を突き飛ばされ、指を突き付けられてスバルは口をつぐんだ。
軽率な発言に激昂されて、スバルは言い返すこともできない。クルシュの容態は変わらず、『色欲』のカペラの血に侵されたままなのだ。何よりスバルは今のフェリスの発言に、彼女がクルシュを忘れていないことを悟って、安堵してしまった。
スバルの右足と、クルシュに触れた掌にもあの黒い侵食は行われている。
しかしそのことがフェリスの心にもたらす安堵など、あるはずもない。
「私は、クルシュ様をお助けしなきゃいけないの。そのために必要なことなら、なんでもできるし、やるの。大罪司教を拷問しなきゃいけないなら、それもする。人の治し方は知ってるんだ。だから、壊しても治せる。だから、だから……」
「フェリス。――もう、やめなさい」
焦燥感に焼かれるフェリスに、スバルは言葉をかけられない。と、そんな彼を背後から呼び止めたのは、その状況を見ていられなかった老剣士だ。
ヴィルヘルムは同じ主に仕える騎士に、感情を押し殺した声で呼びかける。
「お前の気持ちは痛いほどわかる。だが、その行いは誰よりクルシュ様を貶めることに他ならない。まず落ち着け。落ち着いて、事を為す」
「気持ちがわかるなんて気休め……!」
「――わかる」
食って掛かろうとするフェリスに、ヴィルヘルムは低い声で強くそれを押し出す。そうしてからヴィルヘルムが見るのは、懐に抱かれた遺灰を包んだ上着だ。
そこに眠るのが誰なのか、フェリスもすぐに察した顔で唇を噛む。
「そんなの……ズルい。ズルい、ズルいズルいズルい、ヴィル爺……!」
「わかっている。お前の寛容さと、優しさにつけ込む私が悪いのだ。他人の痛みを誰より拒むお前にそれを押し付ける。この老木を恨むがいい」
「う、うぅぅぅ……っ」
涙を堪えて俯くフェリス。その頭を抱いて、ヴィルヘルムはスバルに頷いた。
ここは任せろと、そういう意味だろう。落ち着けば、フェリスもまたクルシュに代わって、今後の話し合いに臨まなくてはならない。
シリウスの扱いについては、そのときに話し合う必要が出てくるだろう。
だが今ひとまずは、互いの事情を知る同士で、言葉を交わしておくべきだ。
ヴィルヘルムの静謐な瞳が、スバルにそう伝えてくれる。
それに甘える情けなさがあって、スバルは頭を下げてその場を離れた。
「ヴィルヘルムさんだって、泣きたいはずなのにな……」
なんで全部、うまくいかないのだろうか。
全部何もかも、顔見知りもそうでない人も、幸せに片付く方法はないのだろうか。スバルがどれだけ足掻いて、頑張って、どうにかしようと最善手を選べば、その結末に辿り着けるのだろうか――それは、わからないのだろうか。
新たにラインハルトとフェルト、それにフェリスとクルシュの無事も確かめた。あと必要なのは、『暴食』の制御搭を攻略に向かったユリウスとリカード。それにプリシラの小姓であるシュルトに、好ましくない相手だがハインケルか。
そういえば、ユリウスの弟のヨシュアも、この騒動が起きてからずっと――。
「――あ?」
そう考えていた矢先、外から避難所を覗き込む人影をスバルは見た。
仕立てのいい白の様相に、腰に携えた細身の騎士剣。長身に整った横顔と、嫌味なくらいに艶やかな紫色の髪――見間違うはずもない。
ユリウスだ。今まさに、その安否を確かめたかった相手がそこにいた。
「おい、ユリ――」
「――――」
とっさに手を挙げ、半身を覗かせたユリウスを呼ぼうと声を上げる。だが、ユリウスは自分を見るスバルの視線に気付くと、さっと身を翻して外へ出ると、そのまま早足に避難所を離れようとする。
「は?」
思わぬユリウスの態度に、スバルは呆然とした声を上げた。
その反応は完全に予想外だ。ユリウスが素直にスバルの声に応じるか、これについては意見が分かれることだと思うが、それにしてもこの反応は想像していない。
素直な応答や嫌味ではなく、まさか無視されるとは。
「あの野郎、ふざけてんのか」
沸々と、ここまでの苛立たしさが一気に噴き出してスバルは彼を追いかける。
心配していたわけではない。心配していたわけではないが、無事かどうか確かめなくてはと探していたこちらに、その態度はあってはならないだろう。
何のつもりなのか、捕まえて追及しなくてはならない。ふざけている場合ではないのだと、物申してやる必要がある。
「ちょっと、スバル?どうしたの?」
「今、そこにユリウスのキザ野郎がいたのに無視しやがった。捕まえてくる!」
「ええ?」
驚くエミリアの声を置き去りに、スバルは駆け出してユリウスを追いかける。避難所の入口を飛び出すと、通りの向こうへと消えようとする背中が見えた。明らかに人目を避ける動き。だが、走ってはいないのなら追いつくことは容易い。
「無事なら無事と、一言とっとと言えばいいだけだろうが……」
悪態をつきながら、スバルはそのまま駆け足で通りの角へ向かう。早足と駆け足では必然的に距離が縮まる。曲がってすぐ、その背中が見えて、スバルは声を上げた。
「おい、この野郎!お前、なんだってみんなが忙しくしてるときにふらふらしてやがんだよ。顔が見えねぇと心配になるだろうが。いや、一般的な意見で」
「――――」
乱暴なスバルの声を聞いて、ユリウスの足が止まった。首だけで振り返るユリウスは、その黄色い瞳でそっとスバルを流し見る。
無言の視線にスバルは眉を寄せるが、ユリウスはその姿勢のまま、
「――すまない。人を探していたんだが、中にはいなかったようだったのでね。またすぐ別の避難所を探して回りたいんだ。失礼する」
「待て待て待て待て、何を言ってやがる。お前が探してるのなんて、どうせアナスタシアさんとかのことだろ?それならあの避難所にちゃんといたよ。お前がせっかちだから見落としただけだ。らしくねぇぞ」
「――っ」
社交辞令的な言葉だけ残し、立ち去ろうとする背中を呼び止める。すると、そのスバルの投げかけた声に、ユリウスは劇的な反応を見せた。
肩を跳ねさせると、驚いたような顔でこちらを振り向いたのだ。
「お、おお?どうした?」
思わず、スバルの方の声も上擦るような反応だった。それも当然だろう。
こちらを見るユリウスの表情は、見たこともない驚愕に彩られていたのだ。否、その表情に浮かぶのは驚愕だけではない。そこにあるのは、縋るような輝きだ。
あまりにユリウスに似合わないその感情に、スバルはとっさに言葉が継げない。そんなスバルにユリウスは息を呑み、頬を強張らせながら、
「……スバル。君は、私のことが?」
「どういう質問だよ。ほんの何時間かで忘れられるほど薄いキャラしてねぇよ。『最優の騎士』のユリウス・ユークリウスさんが何を馬鹿な……」
肩をすくめて、スバルはユリウスを小馬鹿にしたような返事をする。そしてそのやり取りの最中に、自分の馬鹿さに気付いて言葉が止まった。
今のユリウスの質問は、明らかに何かがおかしい。そしてそのおかしさは、スバルが想定する最悪の状況、その一歩手前に想像力が及べば気付けるはずで。
「スバル!勝手に走り出すんじゃないのよ!」
喉が凍り付いたスバルと、向かい合うユリウス。
通りで対面する二人の場面へ、追いかけてきたエミリアとベアトリスが合流する。彼女たちは無言で睨み合う二人を見ると、その大きな瞳を瞬かせ、
「ええっと……取り込み中、よね?」
おかしな雰囲気と緊迫感に気付いて、エミリアが不安げに首を傾げる。
その彼女の反応、特にユリウスを見る視線に、スバルは嫌な予感を感じた。
そして、スバルはユリウスを指差して、
「……ああ、そうだけど、そうじゃないんだ。エミリアたん。ベア子も、その」
「――?」
エミリアとベアトリスが、たどたどしいスバルの言葉に疑問符を浮かべる。
何か、おそらく決定的な問いかけをしなくてはならない。そのことに唾を呑み、スバルは横目にちらりとユリウスを見た。
そのスバルの視線に、ユリウスはひどく空虚な覚悟を決めた顔で顎を引き、
「ユリウスを見っけた。だから、話し合いに連れてっていいよな?」
「――ユリウス」
問いかけに、ベアトリスがユリウスを見やる。
そして、エミリアがおずおずと唇をすぼめ、
「ユリウスさんって、スバルの知り合いの人?」
と、かつての悪夢を再現するみたいに、そう言ったのだった。