『重なる問いかけ』


 

墓所から場所を移して、リューズの家で『試練』についてのリザルトが行われる。

内容に関してはこれまでのループとほとんど違いはない。エミリアが『試練』の突破に失敗したことと、それでも諦めるつもりがないと断言したこと。

 

『試練』の細部については言葉にするのを噤み、それを察したラムがとりなしたところで、エミリアの体調を理由にその場は解散となる。

各々が今夜の出来事を振り返りながら、部屋を辞していくのを見送り、部屋の中に残るのがエミリアとスバル、そしてラムだけになると、

 

「これから、ラムはお休みになるエミリア様のお手伝いをしたいのだけど、お呼びでないバルスは言われないとそれに気付けないの?」

 

「遠回しなようでそうでない断言をありがとうよ。エミリアの体のこと考えると、お前の仕事を全うさせてやりたいのは確かなんだが……ちょっと時間がほしい。少しでいいから、エミリアと二人にしてくれないか?」

 

「いやらしい」

 

「即行でその発想が出てくるお前がいやらしいよ!」

 

嫌悪感を瞳に浮かべるラムを怒鳴ると、桃髪のメイドは耳を塞いで素知らぬ顔。それからラムは、寝台に腰を下ろすエミリアへ流し目を送り、

 

「エミリア様はどうなさいますか?バルスと口も利きたくないというのなら、ラムの方で下がらせますが」

 

「お前なんなの?心優しくて慈愛に溢れるエミリアたんが俺を拒絶とかするわけねぇだろ。ねえ?」

 

「今夜はすごーく疲れちゃったから、いつもみたいな四方山話なら遠慮したいかも……」

 

「四方山話ってきょうび聞かねぇな。……それに、今はそんなつもりないよ。エミリアたん口説くのは別の機会。今は少し、墓所の話がしたいだけ」

 

お決まりのやり取りを交換しても、エミリアの表情は優れない。それでも、スバルが『試練』に関することを臭わせると、エミリアは一度目をつむり、それから紫紺の瞳をラムに向けて「ごめんね」と、ラムに退室を促す。

その指示に無言で従い、ラムはお辞儀をしてから部屋の入口へ。途中、スバルの隣を行き過ぎる際に小声で、

 

「あまり、負担になるような話はさせないようになさい」

 

と、厳命していくのを忘れない。

部屋の扉が音を立てて閉じると、寝室にスバルとエミリアだけが残される。

エミリアの瞳が真摯さを宿し、寝台からスバルを見上げてきているのがわかった。その視線を受け、スバルは軽く肩をすくめると、

 

「墓所の中じゃ簡単にしか確認できなかったけど、本当に体に異常とかない?あそこの異様さからするに、やっぱり心配でさ」

 

「それは、大丈夫。うん、ありがと。本当に体にも頭にも、変な干渉とかはなかったみたいなの。それにそれを心配するなら、私よりスバルの方じゃない?」

 

「ってーと?」

 

「てーと、じゃないの。スバル、私が戻ってこないから墓所の中に入ってきてくれたっていうのは嬉しいけど、スバルにも中で何かあったんでしょう。スバルが中に入ってから私と出てくるまで、三十分近くあったってラムが」

 

咎めるようなエミリアの視線、それに対してスバルは内心で舌を出す。

墓所では勢いで誤魔化した部分があったが、ラムの余計な発言のせいで違和感に気付かれてしまったらしい。中に踏み込んだ時間と、連れ出すまでにかかった時間のロス――その間に何があったのか、想像するエミリアの表情が強張り始める。

 

自然、彼女の脳裏に『試練』の内容が浮かんでいるのがわかった。

過去と向き合わされる第一の『試練』。その内容を知られたのではないか、と最初のループでのエミリアはひどく取り乱していた。

平静を保っている今回ではあるが、そのときと同じ結論に至れば、今ある平静が失われてしまうことは想像に難くない。だから、

 

「スバル、ひょっとして……スバルも中で『試練』を……」

 

「いや、それはねぇよ。いくらなんでも、手当たり次第にぽんぽこ『試練』に放り込むようじゃ見境なさすぎるって。俺が中で時間食ったのは、エミリアを起こすのに時間がかかったからだよ」

 

「私を?」

 

「そ。うなされてるから必死で起こそうとしたんだけど、まるで夢に固結びでもされたみたいにガッチガチに頑固に寝かされてて。そのまま連れ出そうかとも思ったんだけど、嫌な予感がすごかったからさ」

 

オーバーなアクションを交えつつ、事実を虚言で脚色する。

否定の言葉はエミリアからはない。当然、彼女にはそれを確かめる術がない。スバルがそうだったといえば、裏を疑っても証拠はないのだ。

 

「そう……なんだ。ごめんね、変な風に疑って」

 

「別にいいよ。これで俺も『試練』を受けられたんなら、エミリアたんと口裏合わせて協力してクリアまで持ってけたりしたかもしんないけどね」

 

「……どうだろ。私とスバル、同じものが見れるとは限らないし……」

 

言葉尻に力がないが、エミリアはスバルの嘘を追及してくる様子はない。

エミリアにとって、自分が過去を見ていて、そしてその過去に打ち勝つことができなかったという事実は知られたくないことだ。スバルが『試練』の内容を知らないと言い張れば、それを信じたくなってしまう心境にあるといえる。

ここでも、スバルはエミリアの思惑を掌の上で転がした。

 

「それより、話ってなに?今のが本題ってわけじゃないんでしょう?」

 

「そだね。本題はそれじゃない。聞きたいことがあってさ」

 

「聞きたいこと?」

 

首を傾けるエミリア。

彼女の肩から流れ落ちる銀髪の滝を見ながら、スバルは「そ、聞きたいこと」と言葉を継ぎ、

 

「ここしばらく、パックの顔を見てないけど……まだ、返事はない感じ?」

 

「う、ん……そう。パック、まだ返事してくれないの。ずっと呼びかけてはいるんだけど、結晶石の中で眠ってるみたいで」

 

ふいに出た名前を耳にして、エミリアは目を伏せながらそう答える。

胸元を探る白い指先、それが掴むのは緑色に輝く美しい結晶だ。大精霊であるパックが依り代にしているという結晶、それの輝きは失われているように見えた。

 

「原因はわからないんだよな?」

 

「たまに、こんな風にこっちの声が届かなくなっちゃうことがあったんだけど、いつもなら二、三日で戻ってきてくれるの。でも、今回はもう一週間ぐらいだし……私もちょっと不安になってきてる」

 

エミリアを守る、と豪語する灰色の小猫の存在。

その小さな影を思い浮かべるスバルの脳裏、過るのは『聖域』で発生する大災害と、それに巻き込まれるエミリアの状態だ。

 

『聖域』を大兎と呼ばれる魔獣が襲うとき、おそらくは住民は残らず餌食になっている――というのが、大兎発生回のスバルの想像だ。

その犠牲者の中にはガーフィールやラム、ロズワールといった面子も名を連ねているだろう。当然、エミリアもそうだ。

 

食い千切られ、咀嚼され、自分という存在が他の生き物の胃袋に収まる肉片になっていく感覚――あれを、エミリアや他の人たちも味わったものと思うと、スバルの臓腑は怒りと悲しみで煮えくり返りそうになる。

その激情をひとまず棚上げにして思うのは、そうしてエミリアが危害を加えられそうな事態になっても、顔を出さない役立たず精霊のことだった。

 

前回、エミリアの肉体が魔女に乗っ取られたときもそうだ。

世界を覆い尽さんばかりに影を溢れさせ、おどろおどろしい雰囲気をまとっていたエミリア。その体を魔女の意思にいいようにされているにも関わらず、口先だけの大精霊様はやはりここでもなんの手伝いもしにこなかった。

有言不実行、口先、口だけ、ここに極まる。

 

「今のとこ、あいつの大活躍ってエルザ戦と札幌雪まつりウィズ俺のときだけじゃねぇか。当てにならねぇって……考えておいた方が無難か」

 

顎に手を当て、スバルは悪態をつきながら思考を回転させる。

『聖域』に訪れる災厄は、ひいてはエミリアの身に迫る危険と同義だ。ならば、ガーフィールやロズワールだけで対抗できないそれに、相応の戦力を加勢させられればと思ったのだが、パックはそれに当てはまりそうにない。

 

「パックを呼び戻す手段に心当たり、とかないかな。できればあいつがいてくれると、色々と話がはかどったりするんだけど」

 

「――――。心当たりは、ちょっとない、かも」

 

期待薄な問いかけに、エミリアはやはり想像通りの返答。ただ、応じる答えに一瞬の間があったことが気になったが、それは問い質す前に、

 

「パックに聞きたいことって、なにがあったの?」

 

「ん?ああ、ほら、あそこが魔女の墓所だってんなら、四百年前からあるわけじゃん。それなら当時のことを知ってる奴に話聞けたら、少しは突破口になるんじゃねぇかなーってね」

 

用意しておいた返事をそのまま告げると、エミリアは納得の頷き。それから彼女はスバルの今の提案を真剣に吟味する。

 

「そう、よね。パックならなにか、知ってるかもしれないし……うん、わかった。私もいつもよりいっぱい呼びかけてみるね」

 

「おっけ。とりあえず、それはエミリアたんに期待しておくわ」

 

エミリアは『試練』に対してやる気になっている。そして、彼女はスバルが『試練』を受けたとは思っていない。モチベーション低下、はないはずだ。

結晶石に引っ込んだパックは未だに顔を出さず、今回のループでの彼の出番に期待するのはどうやら難しいらしい。こちらの難易度調整にちっとも手を貸してくれないあたり、最後に交わしたやり取りの悪印象もあって心証は悪くなるばかりだった。

 

「じゃ、長居するのもよくないし、ラムに変な勘ぐりされるのもいじられる理由増やすみたいで嫌だから退散するわ。エミリアたんが添い寝ほしいっていうなら別だけど……」

 

「添い寝、いらないけど?」

 

「そんな素で返されると俺も、おおう……としか言いようがねぇよ」

 

不思議そうな顔のエミリアに苦笑し、スバルは扉の方へ向かう。

とりあえず今夜、エミリアと交わしておくべき言葉はこんなものだろう。彼女自身の問題に関しては、スバルの方からアプローチできることは現状少ない。

スバルにできるのはエミリアが『試練』に専念できる環境を作ることと、それを取り巻く悪環境をスバルの手で打開すること。

 

エミリアが墓所に挑み、スバルが『聖域』に挑む。

そして、スバルの方の苦労はエミリアに悟られてはならない。それは彼女にとって、負担を増やすことを意味するからだ。

 

「それじゃ、おやすみ、エミリアたん。恐い夢を見たら、いつでも俺のところまで逃げ込んできていいからね」

 

「スバルのところまでお邪魔しちゃったら、村の人たちをびっくりさせちゃうでしょ。……ね、スバル」

 

「ん?」

 

軽口を叩いて別れる寸前、エミリアがこちらの名前を呼び止める。

戸に手をかけたところで振り返るスバルに、エミリアはその唇を震わせて、しばしの逡巡を瞳に浮かべると、

 

「ううん、なんでもない。おやすみなさい。気をつけてね」

 

「最後の部分、わりと冗談でもないんだよね。おやすみ」

 

手を振って、スバルはエミリアの微笑を焼きつけながら寝室を出る。扉を後ろ手に閉めて顔を上げると、寝室と繋がる居間では椅子に腰かけたラムが、湯気のくゆる紅茶を傾けているところだった。

家主のリューズが気を遣って家を空けているというのに、相変わらず不遜な態度を取り続けるメイドだ。スバルは苦笑する。

 

「長々待たせて悪かった……って言おうかと思ったのに、お前のあまりのくつろぎっぷりに言いたくなくなったよ」

 

「茶菓子にまで手をつけていない奥ゆかしさを評価してもらいたいところだわ。――エミリア様に、失礼はなかったでしょうね」

 

「常にエミリアのことを一番に考えてる俺になんたる愚問。お前の方こそ、疲れてるエミリアに変な気苦労かけんなよ。……そこは、信用してっけど」

 

スバルに対しての振舞い=エミリアに対する態度ではないのだ。

相手を見てやっているあたり、ラムのやり口は悪質といえるかもしれないが、いっそ清々しい割り切りだからこそ、信用できるといってもいい。

スバルの小声を鼻で笑い、カップの中身を空にするとラムが席を立つ。そのまま隣を抜けて寝室へ向かおうとする姿を見下ろしながら、

 

「そういえば、お前にもちょっといいか?」

 

「いやらしい」

 

「お前の中の俺ってそんなに見境ないビースト扱いなの?」

 

自分の体を抱いてスバルから距離を取るラム。当然、本気ではないだろうが、婦女子にそういう反応をされるのは素直に傷付く。

 

「こういっちゃなんだが、お前をいやらしい目で見たことなんてほとんどないはずだぞ」

 

「ほとんど、という切り口から獣性が溢れていて信頼に欠けるわ。それに、どうも『聖域』にきてからバルスの視線におかしなものを感じるの」

 

「なんだそりゃ。それこそ見覚えのない言いがかりですことよ、自意識過剰じゃね?」

 

「なら、無意識ね。ラムを見ながら、変に遠い目をすることがあるでしょう。ラム越しに、誰を見ているのか知らないけど」

 

――それは本当に、スバルにとって意識していない領域からの思考への打撃だった。

 

ぶん殴られる錯覚を味わいながら、スバルは自分の思考が凍結したのを自覚。表情が強張り、目が泳ぐ。その反応をしてしまったことを悔やみながら、すぐにリカバリーしようと肩をすくめて、

 

「な、何を言っておられるのか皆目見当もつきませんでおじゃる」

 

「言われてから気付くとなると、だいぶ本気で異常だわ。視線の色が不快でないから、これまで何も言わなかったけどね」

 

スバルの動揺に小さく吐息するラム。

そこに普段のスバルを小馬鹿にするような態度がないことが、かえって今のスバルには痛みを感じさせた。

見た目はそっくりなくせに中身は全然違う。そんな認識のはずのラムに優しくされてしまうと、眠る彼女とラムがだぶってしまう。

ラムの指摘は事実で、見る目は確かだ。スバルはラム越しに、彼女と瓜二つの少女の姿を見ている。思わずにはおれない。

それを、ラムから思い知らされた。

 

「……それで、ラムに何か聞きたいことがあったのではないの?」

 

「うえ?」

 

「別にバルスを凹ませるのが目的なわけじゃない。というより、バルスを凹ませるのなんてもののついでで、優先順位はずっと下だわ。ラムは今、エミリア様のお手伝いをしてロズワール様の下へ戻りたい。このまま、無視してもいいのよ?」

 

「そら困る。……あー、なんだ。ガーフィールのことが、聞きたいんだが」

 

なおも珍しい思いやりを出し続けるラムに甘えて、スバルは聞きたかった問いをどうにか絞り出す。

その内容を聞いて、ラムは驚いたように眉を上げて無表情を崩すと、

 

「ガーフと、何かあったの?」

 

「今のところは何もねぇけど、今後もそうとは限らねぇだろ。現状、この『聖域』で接触する機会が多い奴だし、お前とは付き合いも長いみたいだから聞いてみようと思ったんだよ」

 

「そう。……まあ、そういうことにしておいてあげるとするわ」

 

スバルの内心を見透かしたようなことを言って、ラムは自分の顎にそっと手を添える。

 

「それで、ガーフの何が聞きたいの?」

 

「あいつがやたらめったに強いのとかはもうわかってっからいいんだけど、そうだな……ガーフィールが『聖域』を出るとしたら、どんな条件だと思う?」

 

「……ずいぶんと、おかしなことを問題にするわね」

 

「回りくどくしてもしょうがねぇと思ったんでな。この際、お前におかしいと思われるのは織り込み済みってことにしとく」

 

裏事情を隠しておきたいエミリアと違って、ラムにはある程度まではスバルの暗躍を悟られてもかまわない。むしろ、今後のアーラム村の避難民の解放など、『聖域』の外へ向かうイベントを起こさなくてはならないことを含めれば、スバルが早くから動いていることを知ってもらっておいた方が都合がいい。

 

「何を企んでいるのか知らないし興味も薄いけど、ガーフを『聖域』の外に出そうとするのは……そうね、ラムが頼み込めば可能性はなくないわ」

 

「惚れた弱味、ってやつか。俺も心当たりがあるからなんとも言えねぇな」

 

実際、スバルの説得よりもラムの説得の方がガーフィールの心を動かしやすいのは間違いない。ただ、大虎と化してまでスバルを外に出すまいと追いかけてきたガーフィールのことを思い出す。

あのとき、ガーフィールは想い人であるはずのラムすらもその爪にかけて、なおもスバルに追い縋ってきた。究極的なことをいえば、ガーフィールにとっては『聖域』の何かを守ることの方が、ラムよりも優先度が高いということになる。

 

「だけどな、ラム。それはたぶん……」

 

「そうね。ダメでしょうね」

 

知った風な言い方にならないように苦慮するスバルの切り出しに、ラムはあっけらかんとこちらの思惑を肯定してみせた。

目を白黒させるスバルの前で、ラムはその桃色の髪をさっと撫でつけ、

 

「確かにガーフはラムに魅了されているけど、あれの中では確固たる優先順位が決まっているから。ラムにとって、ロズワール様がそうであるように」

 

「ガーフィールにとっても、一番が別にある……?お前は、それを?」

 

「知っているわ。けど、教えない」

 

ぷいと視線のそらして、ラムはスバルの追及に答えを返さない。じと目で睨んでスバルはその続きを要求するが、澄まし顔のラムは吐息をこぼし、

 

「一方的に人の心を推し量ろうなんて、ずいぶんと思い上がったものだわ。ガーフィールの心はガーフィールのものよ。知りたければ、直接聞きなさい」

 

「その思い上がりの代名詞みたいなことしてんのはどこの誰だよ。お前、ロズワールが持ってる本のこと、知ってんのか?」

 

「……どこで、それを聞きつけたのかしら」

 

売り言葉に買い言葉。

ラムの正論に言いくるめられながらも、聞き逃せない反骨心が反論を許す。それに対するラムの反応は苛烈なもので、彼女は細めた目でスバルを射抜きながら、

 

「事と次第によっては、痛い思いをするかもしれないわよ」

 

「それをしたらそれこそ、ロズワールの思惑と違っちまうんじゃねぇのか?やめておけよ、ラム。お前はそれが、できねぇはずだ」

 

少なくとも『聖域』において、スバルはラムに危害を加えられたことはない。それどころか、彼女はロズワールの指示ではなく、自らの意思と発言してスバルに手を貸してくれたこともあった。

その経験を踏まえての挑発。ラムからの物理的な対応はないと見越しての発言。それを聞き、ラムはいくらか表情を険しくさせたが、

 

「嫌な目をするようになったものだわ、バルス」

 

「ああ?」

 

「墓所で何を見たのか知らないけど、それはきっと良くないものだわ。今のバルスとは、話を続けたいとは思わないぐらいに」

 

「……墓所の中で見たのは、俺にとっちゃある種の希望だ。良くないものだなんてレッテル貼るのはやめろ」

 

脳裏に浮かぶ白髪の魔女――エキドナとの邂逅を思い出し、それを言外に否定された気がしてスバルは唇を尖らせる。

エキドナとの会談は前回の悲劇を呼んだが、それでも被った不利益に匹敵するぐらいのリターンをスバルにもたらしている。『死に戻り』を打ち明け、それについて話し合える相手という貴重さだけで、大概のことにお釣りがくるほどに。

 

「――――」

 

しばし、スバルの黒瞳とラムの薄紅の瞳が見つめ合う。

ほのかに揺れる瞳、その奥に何を抱え込んでいるのか、それを見透かそうとスバルは意識を伸ばすが、そのイメージは形になる前に視線をそらされることで霧散してしまう。

 

「もう、行きなさい。エミリア様をこれ以上、お待たせするのはしのびないから」

 

「……引き留めて悪かったな。お前の言い分が間違ってないことぐらい、俺にだってわかってるよ」

 

最後に、口を突いて出てしまった悪態のことを謝罪する。ラムはそれに取り合わず、スバルに背を向けると寝室の方へ。

給仕服の裾が扉の向こうに消えるのを見送って、スバルは深々とため息をついてからリューズの家を出た。

 

建物を出ると、『聖域』を吹き抜ける風がスバルの前髪を撫でて額をくすぐっていく。夜風を浴びて草の香りを嗅ぎながら、スバルはすっかり遅くなってしまった『聖域』を歩き出し、寝床である大聖堂へ足を向けた。

 

草地を踏み、月明かりを頼りに道を進みながら、スバルの胸中は今回のループでの時間の使い方を模索している。

『死に戻り』の回数制限に事実上の限度がないことを保証された今、スバルにはこれまでできなかった手段――即ち、情報収集のための捨て回ができる。

純粋に、命を投げ出す決断さえできるのなら、『死に戻り』という特性を生かすのにこれほど効率的な方法はない。

 

「毎回、違ったアプローチが仕掛けられれば、乗り越えなきゃいけない障害の一個一個への対応策も浮かんでくるだろ……」

 

あとはその対応策を繋ぎ合わせて、一つの回で全てが実施できればいい。

立ちはだかる障害の全てをなぎ倒し、見事に全員で未来を掴む完全勝利だ。

その完全勝利の絵面に誰を入れるのか、そのこともスバルを悩ませる種だが。

 

「――――」

 

ふいにスバルの足が止まった。

風の臭いを嗅いでいた嗅覚が、踏みしめた草地以外のものを伝えてきたからだ。

 

顔を上げるスバル。視線の先、星明りを浴びる道に青年が仁王立ちしている。

腕を組み、逆立てた金髪を風になびかせ、牙を噛み鳴らすガーフィールだ。

 

「お前もなかなか、タイムリーな野郎だな」

 

「っだよ、驚いってねェみたいじゃァねェの。まァ、変にじたばたされるよっか話が進めやすいけどよォ」

 

先ほど、ラムとの話題に上げたばかりのガーフィールの出現に、スバルは頬を掻きながら感心したような声を出す。

ガーフィールは首をしゃくり、スバルに対して何がしかの合図。

 

歩き出す小柄な背中。道を外れてずしずしと、森の方へと進んでいく。

遠ざかる背中が生い茂る膝丈の草を飛び越して森に入るのを見届けて、スバルは軽く背伸びをしてから大聖堂の方へ――。

 

「今のァついてこいって意味に決まってんだろうが、なァ、オイ!」

 

駆け戻ってきたガーフィールが、そのまま立ち去ろうとしていたスバルに罵声を浴びせる。スバルは両手を持ち上げ、肩をすくめながら、

 

「単なる小粋なジョークだろ。別に見落としたわけじゃねぇから安心しろよ」

 

「そっちのが腹立つっつーんだよォ。いいからこいや、とって食うぞ」

 

「普通、とって食いやしないとか言って安心させる場面じゃねぇ?」

 

乱暴にずしずしと歩き出し、スバルの言葉に応じないガーフィール。否定して欲しい部分を否定してくれない姿勢に嫌な予感を覚えつつも、今度はちゃんと先導する背中に従って小走りについていく。

 

道を外れ、森に入り、しばし進んだところでガーフィールは鼻を鳴らす。

わずかばかり、立ち並ぶ木々の隙間があいた小さな空間。四、五人で円座を囲むのにちょうどいいぐらいのスペースで、ガーフィールはこちらを振り返り、

 

「さって……てめェ、墓所の中で、なァにを見やがったよ」

 

「……お前もそれか」

 

エミリアとラムの二人に続いて、三人目の質問者だ。

前者二人と違って、ガーフィールに対する答えは慎重を期さなくてはならないという条件があるが、立て続けに聞かれていくらかげんなりしたくもなる。

 

そんなスバルの内心を余所に、ガーフィールは「お前も、だァ?」と不機嫌に言いながら唾を吐く。牙を鳴らし、振り返る彼は金色の瞳の瞳孔を細めて、

 

「誰とどんな話したかなんざ知ったこっちゃァねェけどよォ、俺様はさらっと聞き流してはやんねェぞ。『疑うべきベルベは親でも同じ』って言うからなァ」

 

「悪いが、俺は墓所の中でエミリアを起こすのに手間取ってただけだ。中で何かを見た、なんてのは憶測でしかないぞ」

 

「空々しい上に白々しいんだよ。てめェ、そんだけ全身から魔女臭ェのをぷんぷんさせて、騙し切れっとでも思ってんのか、あァ?」

 

「――――」

 

鼻面に皺を寄せながら、ガーフィールは敵意も露わに言い捨てる。

その彼の言い分を聞いて、スバルは言葉に詰まりながらも違和感を覚えていた。

 

ガーフィールがスバルを敵視する理由――それは魔女の残り香だ。

これまでがそうであったし、今の発言からもそれはうかがい知れる。問題は、それを言い出すタイミングが今回、おかしいという点だ。

 

墓所を出た直後、スバルはガーフィールから即座に攻撃を仕掛けられてもおかしくないと全身を緊張させていた。

『死に戻り』直後で、それも死亡した原因が原因だ。魔女の残り香という意味でいえば、今回ほどそれが濃厚に漂うことはそうそうあるまい。

 

だが、ガーフィールはそのスバルの予想に反して、いきなり攻撃を仕掛けてくるようなことはなかった。それどころか、スバルとエミリアが無事に帰還したことに関しては、わりと本音で安心してくれていたように思う。

それだけに、スバルは首を傾げたい気持ちを抱えたまま、リューズの家でのリザルトに参加し、立ち去るガーフィールを見送ることまでした。

 

別れ際まで普通だった彼が、再会するまでのほんの数十分の間に態度を豹変させている。その理由がわからない。

まさか悪臭が強すぎて鼻が馬鹿になっていたのが、時間経過で嗅ぎとれる程度の濃さになったことで反応しているなどではなかろうか。

 

持ち上げた自分の腕の臭いを嗅ぐが、感じるのは今日一日分の蓄積した疲労のみ。あとで水と手拭いで体を拭くのを決めつつ、スバルはガーフィールに切り込む。

 

「その魔女の残り香ってやつ、俺はけっこうたびたび色んな奴に指摘されんだよな」

 

「……へェ、そうかよ。それまでの奴らはずいぶんと悠長に見過ごしてきたもんだなァ、オイ。こんだっけ鼻が曲がりそうだってのに、いったいどうして」

 

「体臭はともかく、俺の行動を見て判断してくれたからだろ。お前もそうしてくれると助かるな。少なくとも、墓所出た直後は俺を見逃してくれてたはずなんだし」

 

「――――」

 

「俺はエミリアにはもちろん、お前にも『聖域』にも危害を加えるつもりはない。それだけは、信じてほしい。できればそのまま、見守ってくれると助かる」

 

都合のいい言葉だとは思うが、いきなり拳を振るってこないところを見るに、ガーフィールはまだ理性的だ。対話で穏便に収める道もあると判断する。

事実、スバルを見るガーフィールの瞳はわずかに逡巡で揺れている。もともと、魔女の残り香だけでスバルを排除しよう、と考えるほど短絡的ではないのだ。スバルを取り巻く悪臭と、何かの条件が重なったときに彼は行動を起こす。

今回はその、何かのトリガーをまだ引いていない。そしてスバルは、そのトリガーがなんなのかを見極めなくてはならないのだ。

 

「……最初の質問に、答えてねェぞ」

 

「うん?」

 

「てめェは墓所の中で、何を見た。俺様がてめェを見逃すかどうかは、その答え次第だっつってんだよ」

 

語調から勢いを削ぎ落し、ガーフィールはスバルを睨みながら問いを重ねる。

問いかけの答えは二つ――素直に答えるか、エミリアたちと同じで嘘をつくか。ここでどちらを選ぶのが正解なのか、それを確かめるのも必要だが、

 

「それなら、俺からも一つ、質問させてくれ」

 

「立場間違えてんじゃァねェよ。俺様が上、てめェが下だ。食い千切られてェか」

 

「そう怒るなよ。肩の力抜いて、気楽に答えてくれりゃいい」

 

歯を剥いてみせるガーフィールに、軽く肩をゆすってスバルは息を吸う。

問いかけを喉に奥で溜めて、睨んでくるガーフィールを見据えて、

 

――さあ、ここが一つの正念場だ。

 

そう、自分を鼓舞しながら、

 

「――リューズさんと瓜二つの子を見かけたんだけど、心当たりはあるか?」