『過去と未来の清算』


 

パトラッシュが鼻面に皺を寄せるような仕草で顔をめぐらせ、目の前で睨み合う青い外皮を持つ地竜を威嚇している。

その首筋を軽く掌で撫でながら、いきり立つパトラッシュにスバルは「俺も同じ気持ちだ」と小さな声で感情への同意を表す。

 

ほんの短い間の付き合いだが、今やスバルとパトラッシュの間に結ばれた絆の力は生死の境を共にくぐり抜けただけの強さがあった。

手綱越しにまるで、スバルはパトラッシュの考えがそのまま伝わってくるようで、

 

「浸っているところ悪いのだが、私の地竜を誘惑させるのはやめてくれないかい?そちらの地竜もなかなかのものだ。ついていきかねない」

 

「って、パトラッシュ!てめぇ、ナンパしてんのかよ!誰が俺とお前が同じ気持ちだ!決死の戦いを前に色気づきやがって!」

 

「その地竜も兄ちゃんには言われたないやろ、あんだけ出発前に見せつけてからに」

 

パトラッシュの意外な裏切りにスバルが怒鳴り、それに対して横で頬杖をついていたリカードが呆れたようにそうこぼす。

うぐ、と喉を詰まらせてスバルが黙ると、その横を抜けて前に出たのは、

 

「こんにゃところで合流だなんて、いいご身份だよネ、ユリウス。ほんの数時間前にはこっちは命懸けで戦ってたってのにさ」

 

「それを言われると面目も立たない。だが、訂正させてもらおうか、フェリス。私はユリウスという人物ではない。そうだな……ユーリと名乗っておこうか」

 

じと目のフェリスの皮肉に肩をすくめて、ユリウスはそんなわけのわからない戯言をほざいてみせる。自然、意味のわからない偽名に全員の視線が細くなるが、彼はそんな視線を涼やかな微笑で受け流すと、

 

「仮に、ではあるが、騎士の身份を持つ人物が雇われ者の集団に加わり、傭兵に身を落とすといったことはあってはならない。ユリウス・ユークリウスという人物が鉄の牙に加わった事実はなく、ここにいるのはユーリというひとりの男というわけだ」

 

「にゃーる。相変わらず、ちゃんとしたお家の騎士道は面倒っちいよネェ。フェリちゃんところは没落貴族で良かったぁ」

 

「騎士道を面倒などと思わないさ。友人に助力するだけのことに、気を回さなくてはならない点は問題だと思うがね。――余談ではあるが、ユリウス・ユークリウスが受けた謹慎処分は昨晩、日が変わった時点で解けている、とも明言しておこうか」

 

「くだらねぇ予防線張りやがって……偽名の意味とかあんのかよ、それで」

 

ユリウスとフェリスの会話に聞き耳を立てながら、スバルが舌を鳴らしてそう悪態をこぼす。視線をそらし、唇を曲げる姿はいかにも拗ねているという感じであり、実際のところそうなのだから言い訳のしようがない。

そんなスバルの小さな悪態を聞きつけ、ふいにユリウスがこちらを見た。彼はそのまま地竜の足を進めて、すぐ正面に陣取ると、

 

「思ったより元気そうでなによりだ。――体の調子はどうだろうか」

 

「――ッ!」

 

こちらの体調を慮るユリウスの発言に、スバルの脳がかちんと音を立てる。

揶揄か皮肉の類でしかないユリウスの問いかけは、彼にとっては数日前――スバルにとってはもう二週間近く前の気分だが、それを想起させるには十分だった。

牽制、という意味ではこれ以上ない挑発的な発言を受け、スバルは喉のギリギリまで罵声が飛び出しかけるのを感じ、どうにかそれを呑み下して堪える。

咳払いし、深呼吸して、平然とした顔を作って短い前髪を気障な仕草で撫でつけ、

 

「ああ、まあ、かすり傷だったし?唾つけときゃ治ったみたいな感じ?そっちの方こそ、援軍とか名乗るわりには出番が遅いんじゃねぇの?なに、素人相手にマジになっちゃったせいで、お偉いさんに提出する始末書書くのに忙しかった?」

 

謹慎処分がどうの、という話題から連想して背景事情を推測しつつ、得意の煽り攻撃でスバルが返す。と、ユリウスはわずかに鼻白むような顔つきになり、

 

「その話ではなく、魔獣討伐の名誉の負傷の話をしたかったんだが……そちらの傷も復調したようでなによりだ。もともと、見た目ほど派手な傷ではなかったはずなのでね。同情を買うのが得意な君は、大げさに痛がって転げ回っていたものだが」

 

「ははははははは」

「ふふふふふふふ」

 

渇いた笑い声が二人の間を交錯し、一触即発の雰囲気が漂い始める。

そんな状況を周囲がどうにかし始めるかと思えば、フェリスやリカードは面白いものを見る目で傍観に徹し、ミミは弟を探しに向こう側の集団に入ったっきりだ。必然的にこの場を収める役目を担ったのは、

 

「旧交を温めるのも良いでしょうが、今はそれどころではないのではありませんかな、お二人とも」

 

前に進み出て、そう諭すのは地竜にまたがる老剣士――ヴィルヘルムだ。

腰に主より預かった宝剣を帯剣するヴィルヘルムは正面、ユリウスを見つめるとその静かな覇気が満ちる瞳を細めて、

 

「この度の援軍、感謝に堪えません。こちらの戦力は白鯨との戦いでかなり損耗しましたからな。……独りよがりに付き合わせた身として、不安ではあったのです」

 

「ヴィルヘルムさん、そんなことは……」

 

声の調子を落とし、そう述べるヴィルヘルムにスバルが口を挟む。

白鯨討伐はスバルにとっても、様々な条件からクリアしなくてはならない壁のひとつだった。そこにはスバルの独善的な意思が確実に介在しており、ヴィルヘルムが負担に思うことなどありはしないのだ。

全てを説明できるわけではないのが歯がゆいが、せめてその負い目だけはどうにか払拭したいと声を上げるスバル。だが、それが言葉になる前に、

 

「よい、顔をされるようになりましたね、ヴィルヘルム様」

 

そう、静かな声でユリウスが彼の老人を見て呟いた。

顔を上げるスバルの前で、ユリウスはヴィルヘルムの憑き物が落ちたような目の輝きを見取り、

 

「以前にお会いしたときとは別人のようです。……ラインハルトもこれで、少しは救われることでしょう」

 

「そう、ですな」

 

顎に手を当てて、ヴィルヘルムは目を伏せる。

その一瞬の言葉の躊躇いの間に、どれほどの葛藤が彼の内にあったのだろうか。

事情を知らないスバルは今のやり取りに眉を寄せるしかないが、彼らをうかがう周囲の目はまたしても事情を知るものたちのものだ。

置いていかれて面白くないスバルの前で、ヴィルヘルムは伏せた顔を上げ、

 

「あれに対し、私は真っ直ぐにあれなかった。あれに非がないことも、悪気がないこともわかっていたのに、許せなかった。――いずれは、報いを受けましょう」

 

「それだけで、十分に彼も得るものがあるでしょう」

 

ヴィルヘルムの苦いものが雑じる声を、しかしユリウスは顎を引いて肯定する。それからユリウスはゆっくりと、その理知的な眼差しをスバルへ向けた。

自然、背筋を正され、先ほどの舌戦が再開するのではとスバルは身構えたが、

 

「礼を、言わなければなるまいね」

 

「――あ?」

 

思わず声を上げるスバルの前で、ユリウスが軽やかに地竜から地に降り立つ。そして彼はいまだパトラッシュの上にあるスバルを見上げ、腰を折ると、

 

「此度の白鯨討伐、本来ならば騎士団が負わなければならない重責だった。各国が長年にわたって放置してきた災厄に終止符を打ったことに、感謝を――」

 

流麗な仕草で謝意を表明され、それまでユリウスへの悪感情が先走っていたばかりのスバルはとっさに受け答えができない。と、そんな様子で戸惑うスバルの横、フェリスが「ちょっとちょっと」と口を挟み、

 

「あくまで、白鯨の討伐はカルステン公爵の主導――クルシュ様のお手柄にゃんだから、そこは誤解しないでよネ。討ったのはヴィル爺、これも」

 

「わかっているとも。彼自身に白鯨を討つ力がないことなど、彼と直接に剣を交えた――ユリウスから聞き及んでいるからね」

 

あくまで、自分がユリウスとは別人であるという体を崩さないユリウス。彼はフェリスの発言を受けた上で、「しかし」と言葉を継ぎ、

 

「彼の存在が魔獣の討伐に大きな役割を果たしたことは間違いない。フェリス、それは君も正しく認めるところじゃないのかい?」

 

「にゃっ。それはぁ……そう、にゃんだけどぉ」

 

指を突き合わせて、フェリスは口ごもりながらすごすごと下がる。そうやって猫耳を言いくるめると、ユリウスは改めてスバルに水を向け、

 

「君のおかげで、もう人々は霧に怯える日々を忘れることができる。――アナスタシア様も、大いに喜ばれることだろう」

 

「前半だけなら素直に受け取ったのに、後半も加わると素直にイエスしづれぇな」

 

「そして、我が友の長年の後悔も……節目を迎えることができる」

 

目をつむり、ユリウスは吐息をこぼすようにそう告げた。

その友、というのがおそらくは赤毛の英雄を指しているのはわかったが、スバルにはあのイケメンが抱える長年の後悔とやらの詳細がわからない。

彼のような人物にあっても、後悔を抱かなくてはならないような過去が存在するものなのだろうか。

 

ともあれ、まっ正直に感謝を伝えられるのは悪い気分ではもちろんない。

ヴィルヘルムの悲願が成ったことは素直に喜ぶべきことだし、その点に自分の協力が多少なりとも役立ったことは自覚がある。が、それでもスバルの内心はユリウスを前にして複雑を極めていた。

 

強がってはいるものの、この美丈夫を前にしたスバルの心中で最初に目につくのは、怯えて尻込みする弱い部分なのだから。

その弱い部分を乗り越えても、次に待つのは弱さを隠そうとする虚勢に守られた反発心。純粋に援軍を感謝する気持ちはあれど、この場に別戦力を、それもユリウスを配置しておく彼らの主君の性格の悪さに対する恨み節など、それこそ並べ立てれば切りがない暗中ぶりである。

 

だが、それらの負感情をスバルは面に一切出していない。

その複雑怪奇な感情を呑み込み、代わりにスバルがやったのはただひとつ。

 

「ドヤァ」

 

と、堂々と頬を歪めて相手を煽るように笑うことだった。

 

「悪人面~」

「神経を逆撫でしますな」

「あかん、手ぇ出るとこやった」

「鼻の穴、ふっくらんでるー!」

 

「おいおい、味方からのブーイングがすさまじいな!ちょっと手柄誇って自慢げにしたらこれか!」

 

酷評するオーディエンスに唾を飛ばして怒りをぶつけ、スバルは荒い呼吸をしながら改めてユリウスに向き直る。大声と、深呼吸で、気を落ち着かせた上で、

 

「それでけっきょく、お前はなにがしたいんだよ。なにしに、きたんだ」

 

「――本当に、やってのけたのだね」

 

「ああ?」

 

スバルの質問に応じず、ユリウスが呟いたのはどこか感慨深げな響きだけだ。

聞き返すスバルの前で彼は「いや」と首を横に振り、

 

「理解しているか問い質すが、アナスタシア様との契約関係にある『鉄の牙』は、白鯨討伐の間だけクルシュ様に……いや、君に貸し出されている」

 

「あれ?そーだっけ、でもたしかおじょーの話は……」

「お姉ちゃんはお静かにお願いするです」

 

ユリウスの発言を聞いてミミが横槍を入れようとしたが、それは彼女の隣にいつの間にかいる猫型の獣人に阻まれていた。それらのやり取りを視界に入れつつ、スバルは顔をしかめてユリウスの言葉を耳に入れる。

そのスバルの態度に、ユリウスは軽く手を上げ、「つまり」と続け、

 

「白鯨の討伐が成った時点で、我々の協力する理由はすでにない。お役御免というわけだ。――なのに今、君はなにをしようとしているのかな」

 

「ユリウスはわすれんぼーだなー。でっぱつする前におじょーがいろいろ言ってたじゃんかねー。ミミは覚えてないけど」

「お静かにするです」

 

いちいち子猫の漫才が後ろで気にかかるが、ユリウスがなにを言いたいのかがスバルにもようようわかってきた。つまり、

 

「引き上げるか援軍続行か、選べってのかよ、この場で」

 

「高値で売り付けるように、とご指示を受けているのでね。それとも、我々の力は必要ない場面かな?」

 

これ見よがしに背後を示し、ユリウスはスバルに決断を迫ってくる。

とはいえ、苛立ちまぎれに軽率な判断はできない場面だ。ここでスバルが怒りに任せて彼らを追い払うのは簡単だが、それはこの先に残る最大の壁を前に自らの戦力を削ぐ愚行をやらかすことになる。

かといって、ユリウスの口にする『高値』を唯々諾々と承諾するのも問題だ。空手形を切り続けるのは交渉において悪手の限りだし、なによりスバルの判断がわけるのは多数の命と、ひとりの少女の未来でもある。

 

押し黙るスバルがちらりと横目にすれば、控えるヴィルヘルムやフェリスは口出しする素振りを見せずに静かに待っている。仮にこの場でスバルが助力を願い出れば、彼らはこの交渉において、『クルシュ陣営』からの働きかけという形で『鉄の牙』を雇い入れるなどの方策をとってくれることだろう。

が、それはそれで貸しを作る相手が別の相手に変わるだけのことだ。現状、スバルとクルシュとの間には貸し借りがひとつずつある拮抗状態であり、恩義に厚い分だけこちらの貸しが重視されている現状を変えるのはよくない。

 

次いでリカード率いる傭兵団の方を見れば、腕を組むリカードは黒目がちな瞳を閉じて静観の構え。ミミもそれを真似して目を閉じ、時折、その橙色の猫耳をぴくぴくさせては愛らしい小鼻を震わせている。

先ほどはリカードが魔女教との戦いに付き合ってくれる理由が薄弱に思えたが、ユリウスがこの交渉を持ち出してきた時点で納得がいっている。断れない交渉だとわかっていた上で、お付き合いよろしくという意味の態度だったのだ。

 

「汚い。さすが銭の亡者、汚い……」

 

「人の顔ぉ見てずいぶんやないか。言うとくけど、ワイも本意やないねんで。人の弱味につけ込んでこういうんわな。ただ、それより銭が好きやっちゅう話で……」

 

「お前の葛藤は底が浅ぇな!もともと当てにしてねぇけどよ!」

 

敵方の頭――形だけのボスとはいえ、そのリカードに助力を求めるつもりなどない。とにかく、嫌らしいことにスバルの答えはイエスしか残っていない交渉だ。

これで貸し借りをイーブンに戻したクルシュ陣営とは別に、アナスタシアにも一方的な借りを作ってしまうことになる。苦渋の決断だが、ここで援軍を断るわけにもいかないスバルは歯を噛んで悔しさを堪えるしかない。

 

援軍はそのまま、貸し借り問題を発生させずに通り抜けることができれば――。

 

「霧……白鯨……街道と期限と、終わり……魔女」

 

思考を白熱させながら、スバルはふと脳をかすめた単語を口走る。それら繋がりのない思考の羅列が、かすかな取っ掛かりを頼りに符号し始め、そして、

 

「白鯨討伐はまだ、終わってない……ってのは、どうだ?」

 

「――面白い、発言だね」

 

思いつきのようなスバルの言葉に、ユリウスが目を細めてそう口にする。

背後、獣人傭兵団はもとより、討伐隊の面々――中でも目を見張るヴィルヘルムの様子はスバルの良心に痛みをもたらすのがわかった。

が、彼の老人の悲願の達成とはまた別の意味合いで、こちらも放置しておいてはならない問題に気付いたのだ。それは、

 

「霧を生む魔獣である白鯨は、魔女教の手先だって可能性がある。それらしいことを言ってた奴がいたのを、俺は知ってるんだ」

 

――あれは三度目の世界、つまりは前回のループの最期の場面だったろうか。

 

森の中で魔女教に囲まれて、ペテルギウスの見えざる手をかわし切れずに敗北し、エミリアの亡骸を足蹴にされて無力感に打ちのめされていたときだったと思う。

あのとき、あの狂人は口汚くこちらを罵りながら、確かに口走ったのだ。

 

街道の封鎖は完了している。霧を越えることは誰にもできない、と。

 

どうして、奴がそれを知っている。どうしてさも、自分の行いであるかのように語る。そして極めつけはその後、世界を凍てつかせる終焉の獣が口走った一言。

 

「白鯨を暴食って、訳知り顔の奴が言った。それが事実だってんなら、アレが魔女教の手のひとつだってんなら……あいつが出たのは俺の行き先に関係あるはずだ」

 

ペテルギウスが白鯨を街道に呼び出し、メイザース領への出入りを妨害していたのだとすれば、その目的はもちろん、彼らの狂気的な行いのために他ならない。つまり街道の白鯨による封鎖は屋敷を――エミリアを襲うためのものだった。

 

「上等かましてくれた魔女教に落とし前をつけさせなきゃならねぇ。今回分と、四百年分まとめてだ。それをしてやっと、白鯨の討伐完了だろうが」

 

「――――」

 

「雇い主が報酬ぶら下げて命令した仕事だぜ、途中で投げ出すなよ、傭兵。それとも、違約金払って手を引くかよ」

 

強気に言い放ち、スバルはユリウスの出方をうかがう。

内心、自分の発言の根拠の薄さには惚れ惚れするほどだったが、それでふてぶてしく笑って構える外面ができるようになったのが今のスバルである。

未来の散りばめられた情報からの推測だ。それも、これまで以上に点在していた部分で、意識がはっきりしていない状況下で聞いた内容で、信憑性が自分ですら薄い。

繋ぎ合わせてそれらしい形にしてはみたものの、これで説得できるものかはわからない。が、少なくとも交渉を継続する切っ掛けが得られれば――、

 

「――まずまず、及第点ということにしておこうか」

 

「へ?」

 

「もう少しこちらで聞こえがよくなるようにさせてもらいはするが、概ねは君の主張で通すとしよう。アナスタシア様の顔も、潰さずに済む」

 

「ちょ、ちょっと待て!」

 

掌を前に向けて、スバルはユリウスを呼び止めようとする。が、ユリウスはスバルの慌てようを淡々と受け止めて、

 

「なにかな。傭兵団は協力を継続する。見返りはすでにアナスタシア様から支払われている通りだ。なんの問題もないだろう?」

 

「あっさり……っていうか、なんだよ、その物分かりの良さは!お前は……」

 

その先の言葉を口にしかけて、ひどく自分の嫌な部分に気付いてしまう。

こちらの事情を推し量り、稚拙な議論展開に応じて協力しようとしてくれているユリウスの姿に、その好漢としてのあり方に違ってほしいという願望があることに。

スバルの中でユリウスは、決してわかり合えない嫌な奴であってほしいという考えがあることに、気付いてしまった。

 

「ま、報酬なしやっちゅうわけやないしな。頭の悪いボンクラやったら、一回だけふんだくっておしまいやけど、賢い相手とならなんぼでもふんだくる機会もあるやろ」

 

「けっきょく最終的にふんだくるのは変わらねぇんだな……」

 

リカードが会話に割り込んだのを見て、これ幸いにそちらへ乗っかる。そうして楽な方へ楽な方へ、逃げる自分がいるのも嫌な気分だった。

スバルの自己嫌悪と他者嫌悪がまじり合い、一方的に状況は険悪になる。

しかし、その状況を前にスバルは深い深い息を吐き、

 

「俺が……悪い。クソ、悪かった。ああ、チクショウ。こんなこと言いたいわけじゃないんだよ。俺だってあのとき、俺の方が……」

 

額に手を当てて、スバルはどうにか理性的な答えを口にしようと苦心する。だが、なかなか言葉が見つからない。頭では理解できている。

援軍を引き連れて参戦の意思を見せたユリウスに、ここは感謝すべき場面だ。以前のことだってあれはスバルの短慮が引き起こした結果で、落ち着いて振り返れるようになった今ならどちらが悪いかなんてわかり切っている。

あるいは、あのときのユリウスの行いの、その結果がもたらしたものにだって。

 

「――――」

 

ユリウスは、たどたどしいスバルの言葉になにも言わずに構えている。

彼ならばスバルがなにを言いたいのかわかっているだろうし、なにも言えないスバルに先んじて答えを口にすることだってできるはずだ。

だけど、彼はそれをしなかったし、それをしなかった彼がスバルは憎たらしくてたまらない。そのまま憎んで憎んで、嫌いなだけのままであれればよかったのに。

 

「俺が、悪かった。ごめん、謝……謝ります」

 

低い声で、絞り出すように、スバルはそれを言葉にした。

スバルにとっては振り返るのも忌まわしい記憶で、でもいつか振り切るために必ず向き合わなくてはならない場面で、いずれ決着をつけなければならない相手を前に。

 

ユリウスはその吐き出したスバルの謝罪の言葉を耳にして、静かに瞑目する。それから彼はゆるやかに顎を引き、

 

「こちらこそ、非礼を詫びよう。あのときの行いと発言の全てを撤回することはないが、それでも君を侮ったことだけは、心から」

 

ユリウスがそうやってスバルの謝意に応じ、言葉を返す。

その彼の言葉には真摯さが溢れ出していて、ひどくあっさりと、スバルの内側にわだかまっていた嫌な感情が溶けるのがわかった。

それがわかったから、スバルは目の前に立つ『騎士』と同じように地面に降りて、その長身と同じ高さで正面から向かい合った。

 

「悪かった。けど」

 

「うん」

 

「俺はお前が大っ嫌いだ。――悪いと思ってるし、今きてくれたことには感謝もしてるけど、俺はお前が嫌いだ。本当に、心の底から、ものすごい、嫌い、だ!」

 

最後の一文は文節で区切り、区切りごとにポーズをとりながら、言い放つ。

そうして真っ向から叩きつけられたユリウスはしばし呆気に取られた顔をして、それからふいにその表情を崩し、

 

「それでいい。私も君と、友人になれるような気はなかなかしないのだから」

 

と、それこそ気障ったらしく、髪をかき上げて笑いやがったのだった。

 

※ ※※※※※※※※※※※※

 

一度、互いの頭の中を整理する必要がある。

 

車座になり、主立った面子が顔を合わせてこれからのことを話し合う。

中心に立つのはスバルであり、それをユリウスにフェリス、リカードやヴィルヘルムといった面々が囲む形だ。

 

「あー、正直、こんな風に仕切ったりとかするの得意じゃないんで、そうやって真剣な目で見つめられると照れるというか……」

 

改めて、こうして自分より人間強度の高い面々に取り囲まれると尻込みしてしまう。もともと、元の世界では引きこもり一直線だったスバルだ。人前に立つ経験はもちろん、人の上に立つような人格者でないことにも自覚がある。

が、彼らはそんな風に気後れするスバルに一定の信頼を置いた目を向けており、スバルとしてもそれが嫌な気分ではないのだ。困ったことに。

 

「とりあえず、まとめよう。あー、これから俺たちが向かうのはメイザース領……ってか、ロズワールの屋敷だ。そこにおそらく、いや確定的に魔女教が顔を出す」

 

「魔女教……ですか」

 

魔女教の名前が出たことに、それぞれの表情が真剣味を帯びる。ここまでの会話の流れで、それなりに覚悟をしていたものが多いはずだが、それでも実際に相手がそれと知れれば感じ入るものがあるらしい。

この世界において、魔女教の存在がどんな形で周知されていて、それを彼らがどう受け止めているのかはスバルにはわからないが――スバルにとって、奴らの存在は一言で『最悪』と呼ぶことができた。

おおよそ、皆の反応からして、それは共通認識と思ってよさそうだが。

 

「スバル。君は白鯨と魔女教の関係に、どうして気付いた?」

 

スバル、と気安くこちらを呼び捨てたのはユリウスだ。

先ほどの本音の告白以来、やけにユリウスの態度はこちらに気安い。正直、その態度に関してもスバルは複雑なものがあったが――、

 

「忌々しいことに、魔女教徒に出くわした経験があってな。無事には済まなかった上に嫌な思い出満載だが……口滑らした奴がいた」

 

「そうか。……騎士団の推測は間違っていなかったわけだ」

 

「そうだネ。ヴィル爺が追っかけた資料も、そんな結論に落ち着いたみたいだしぃ」

 

「知ってたのか?」

 

スバルの言葉にユリウスが納得を、それにフェリスが同意を示す。彼らの態度にスバルは驚きを表したが、ヴィルヘルムがゆるやかに首を振り、

 

「関連性に気付いたのは偶然です。白鯨の出現分布と、魔女教が活動した記録が符号する点が不自然に多く思えた。――確証と言えるほどのものではありませんが」

 

「白鯨の出方が本命で、魔女教はおまけみたいにゃもんだしネ。フェリちゃんも最初に聞いたときは半信半疑だったけどぉ」

 

「騎士団の方でも、それらしい話は出てはいた。もっとも、扱いとしては流言飛語の類……笑い話の次元であったけれどね」

 

肩をすくめるユリウスに、ヴィルヘルムは「無理もありません」と吐息。彼らのやり取りを聞きながら、スバルは頭を掻いて、

 

「とりあえず、話を信じてもらえる下地があったってのは俺にはラッキーな話だ。ともあれ、魔女教の奴が言ったことを信じる……ってのもかなり信憑性薄く感じるが、白鯨があいつらと関係あるのは確かだと思う。もともと、魔獣ってのは魔女が作った生き物なんだろ?」

 

「そう言われているね。魔獣の存在や発生は得体が知れない。普通の生物のように繁殖している場合もあれば、白鯨のようにふいに湧くものもある。もっとも、白鯨のような例外は黒蛇と大兎ぐらいのものだがね」

 

「なんか聞き逃せない単語が飛び出した気がするけど、恐いから先進めていい?」

 

問題なし、と全員が頷くのを見届けてから、スバルは咳払いして話の続きへ。

魔女教と構える、と前置きした上で、次に全員に周知しなくてはならないのが、

 

「魔女教の狙いはエミリアで、奴らは屋敷どころか近くの村ごと焼き払う気だ。だからあの野郎どもを、どうにか追っ払わなきゃならねぇ」

 

「追い払う。ずいぶん、甘っちょろいこと言うよネェ」

 

フェリスがその瞳を艶っぽく細めて、意味ありげに語尾を伸ばしてスバルを見る。ゾッと、背中に寒気が走るような仕草だ。ただし、相手は男である。

 

「甘っちょろいってなんだよ」

 

「あんにゃ奴ら、全員ぶった切ってやったらいいじゃにゃい。今までの記録からしても、そうしてやるのがあいつらへの正しい対処法だヨ?」

 

「…………」

 

フェリスがさらりと虐殺宣言をかますのを聞き、スバルは驚きに口を開ける。

彼の過激な発言に驚いたのではなく、彼の言う甘っちょろい発言をした自分にだ。

あれだけあいつらを殺そう、死ぬべきだ、と頭の中で繰り返していたはずなのに、甘い言葉を使った自分の心境の変化に驚いたのだ。

 

それはきっと、最終的になにを優先すべきかがスバルの中で変わったから。

 

「屋敷と村の連中を守れれば、今はそれでいい。魔女教を追い払うか、ぶっ飛ばすか、ぶっ潰すか、ぶち殺すか、ねじ切って引き潰して焼き払って粉々に……」

 

「わ、わかった。君の彼らへの怒りの程は十分にわかったから」

 

「――は!しまった。いや、違うぜ。別に怒りと憎悪をみなぎらせて戦いを覚悟してるわけじゃねぇ。エミリアたんに近づいたのもそれが理由だなんて邪推だ!」

 

「誰もそんにゃこと言ってにゃいけど!?」

 

喋ってる間にふつふつと怒りが再燃して、結果としてユリウスとフェリスをビビらせる。しかし、不要な言い繕いが出たことで収穫もあった。

以前の世界では疑われたスバルの行動の動機そのものが、どうやらこちらの流れでは一切疑惑になっていないらしい。どこが違うのだろう、とスバルは思うが、

 

「あれだけ自分犠牲覚悟の作戦で白鯨落としておいて、今さら誰がそんにゃ邪推するの?スバルきゅんてば、案外人間不信にゃとこあるよネ」

 

「人間不信もクソも……」

 

実際、それを口にするフェリスやクルシュに疑われた経験があるのだ。

が、けらけらと笑う彼は装っているのともまったく違う形で疑っていないらしい。それもまた、スバルの意思と行動が変わったことによる変化なのだろうか。

ともあれ、

 

「魔女教が動く、という点に関してはもはや疑う余地はないだろう。彼らの活動からして、エミリア様が王選に名乗り出た時点でそれは予想されていた」

 

顎に触れながら納得した様子のユリウス。その彼の態度が見慣れたものであり、これまで問い質す機会のなかった部分であった故にスバルは手を上げ、

 

「ちょっと聞きたいんだけど、そのエミリアたんが名前出すと魔女教が動くだろうなって納得はどっからきてんの?けっこう、みんな受け入れてっから不思議なんだけど……魔女教の奴らって、実態が不明な部分が多いって話だし」

 

「魔女教が動くのを知ってるかと思えば、そういうこと言ったりしちゃうの?」

 

スバルの質問に呆れた様子でフェリスが首をひねる。無知さを笑われるのは予想した反応であり、スバルは「まあまあ」と掌を彼の顔に向け、

 

「時間もないんだ。ちゃきちゃきいこう。で、そこんとこどうなのよ」

 

「知らん側がそう仕切るのもおかしな話やと思うけど……あんな、魔女教が後生大事に信奉しとるんが嫉妬の魔女サテラや。これは、知っとるわな」

 

「一応、な。正直、そこも触りだけなんだけど、絵本で読んだ程度」

 

「実物見た奴なんぞほとんど残っとらんのやから当たり前やろ。ワイかて聞きかじりやがな。まぁ、魔女教徒がそのサテラを信仰しとるんがわかってたらえーわ。で、そのサテラっちゅー魔女がハーフエルフやったのは?」

 

「それも、まあ」

 

スバルが読んだ絵本にはそこまでの情報は書かれていなかったが、ベアトリスに魔女について聞いたときにそれは聞かされている。

そして、王都でも頻繁に、エミリアの容姿と出自は『嫉妬の魔女』と比較されて、たびたび話題にあげられていたものだ。それは彼女の責められるべき点ではない、とスバルなどは憤慨していたものだが。

 

「エミリアたんの、その見た目の特徴が魔女とそっくりだってんだろ?でも、それはあの子を責める理由にはならねぇぜ。お門違いの逆恨みだ」

 

「大抵の奴はそうは思わん。サテラがしたんはそれだけのことや。で、魔女教の話に戻るわけやが……単純な話、あいつらはハーフエルフの存在が邪魔やねん」

 

「は?」

 

思わず、呆気に取られた声がスバルの喉で弾ける。

言われた言葉の意味を確かめようと首をめぐらせ、しかし周囲の反応はリカードに対して特別なものを抱いてはいない。つまり、それは共通認識であり、

 

「なんでだ?普通に考えて……あんな奴らの普通な考えなんてトレースするだけですげぇ嫌だけど、普通に考えりゃ心棒する魔女と同じハーフエルフを迫害しようだとかそんな考え方には……」

 

「信奉し、これ以上ない存在だとそう思うからこそ、同じようで違う存在が許せないんでしょう。似ているのに違う、紛い物。――その存在が」

 

それはひどく冷たく、底冷えするような殺気が込められた声だった。

顔を上げ、スバルはとっさにその声を発した人物の方を見てしまう。と、その人物もスバルの方を見ており、互いに視線が絡み合う形になった。まるで、心の内側まで覗き込まれるような視線にスバルは釘づけになるが、当の相手は、

 

「にゃーんて、フェリちゃんは推測してみたりしちゃったり?」

 

その表情をあっさりと崩して舌を出し、今の雰囲気をなかったことにしてみせた。

その豹変というべき変化にスバルは言葉が継げないが、そんなこちらの動揺など素知らぬ顔でフェリスは前のめりになると、

 

「魔女教の活動理由が頭おかしいのにゃんて今に始まった話じゃにゃいし、そんにゃとこでいーんじゃない?問題はエミリア様たちを狙ってる魔女教ってのが、どいつの主導なのかによると思うけど?」

 

「大罪司教、やな」

 

「――!?その名前、知ってんのかよ」

 

フェリスの変えた話題にリカードが同意し、そこに出た単語にスバルが食いつく。

大罪司教――それはペテルギウスが名乗った役職であり、奴はその上で自分が『怠惰』を担当していると説明したが。

 

「魔女教の大罪司教ってのは有名なのか?」

 

「そういう連中がおる、っちゅーことぐらいわな。昔、それこそ嫉妬の魔女が大暴れする前は、サテラ以外にも魔女がおったって話や」

 

「傲慢。憤怒。怠惰。強欲。暴食。色欲。――大罪の名を冠した六人の魔女、ですな。いずれも嫉妬の名を受けたサテラにより、その身を呑まれたという話ですが」

 

大罪の名を冠する魔女――それも、以前にどこかで聞いた話だ。

この世界では魔女といえばそれは嫉妬の魔女サテラのことであり、もはや他の大罪を受けた魔女は存在していないのだと。だが、

 

「魔女教の幹部、といっていいのかはわからないが、その立場にあるものたちは失われた魔女たちに代わり、その大罪の名を与っていると聞いている。嫉妬は、彼らの信奉するサテラの象徴だ。つまり、それ以外の六つ――六人の大罪司教が」

 

「六人……」

 

ユリウスの説明に息を呑み、スバルは敵対する魔女教の底知れなさに冷や汗を掻く。

『怠惰』をペテルギウスが名乗った時点で、他の大罪を担当する存在がいるであろうことは予想ができた。七つの大罪といえば、スバルにとってはサブカルチャーでお馴染みの中二的要素満載な素敵ワードだが、胸をときめかせる単語として受け止めるには実体験した『怠惰』の悪印象が強すぎた。

ただ、

 

「『暴食』だったはずの白鯨は、俺らで落とした。別の大罪司教も、これから向かうメイザース領で面出すはずだ。魔女教、一気に傾けるチャンスだな」

 

「お、強気だネ。でもまぁ、得体の知れなかった魔女教をぶっ潰すいい機会っていうのはフェリちゃんも同意見。連中、舐めた真似けっこうしてくれてるし」

 

「活動の兆しも見えないという意味では、騎士団も長く辛酸を味わわされてきた相手だ。私だけでなく、多くの騎士がそうだろう。機会が得られるのは、ありがたい」

 

スバルの意見にフェリスとユリウスが賛同し、リカードも好戦的な笑みで、ヴィルヘルムはただただ粛々と頷きで応じてみせる。

そうとなれば、スバルが行うべきは今ある戦力と、スバルが持つ未来の情報を活かしての作戦立案である。――もっとも、その策自体はひどくシンプルで、布石も打ってあるものがすでに用意してある。

 

「最悪、今の半数でやらなきゃならなかった作戦だけど、ユリウスが合流したおかげで人数的な不安は消えた。いけると思うぜ」

 

「ひとつだけ訂正したいのだが、私の名前はユーリだよ。確かにユークリウス家の長子とは親しくしているが、そこは気をつけてもらいたい」

 

「その設定公的な場面以外じゃ邪魔なだけだろ!そもそも別人を装う気が本気であるなら近衛騎士の格好とかしてくるんじゃねぇ!作り込みが浅いんだよ!!」

 

底の浅い隠蔽工作をかますユリウスを怒鳴りつけ、荒い息のままでスバルは全員の顔を見渡す。そして、ひとつ咳払いをしてから、

 

「それじゃ、これから猿でもできる魔女教狩りの簡単説明――始めるぜ」

 

頬を歪めて悪人のように笑い、スバルは作戦を披露する。

 

月明かりが傾き始める平原――魔女教とぶつかる前の最後の夜が明け始め、此度のループ最終日の朝が始まりつつあった。