『所信表明』
威厳に満ちたマイクロトフの宣言があり、広間に緊迫感が張り詰める。
ここまでも弛緩したやり取りをしていたわけではないが、国の頂点である賢人会を蔑にして話を進めていたのは事実。ここへきて、ふいにその存在感を増してみせるマイクロトフに、自然と王座の間の全員の注視が集まる。
それを受け、マイクロトフは動じることなくヒゲを撫でながら、
「賢人会の開催の提言にあたり、まず他の同志に賛同をいただきたく」
壇上に並ぶ九つの席、その中央で周囲の老人たちを見渡すマイクロトフ。その彼の言葉に、これまで言葉もなく存在感がほぼ消えていた老人たちも首肯。
「マイクロトフ殿の提言に、同じく賢人会の権限をもって賛同します」
「同じく」
「同じく賛同しましょう」
老人たちの同意にマイクロトフが顎を引き、それから眼下の候補者を見下ろす。
依然、やや対立するような立ち位置を保っていた五人も、マイクロトフの無言の前に慌てて集合。特に離れていたアナスタシアは猛ダッシュ。
候補者が戻ると自然と彼女らの側にいた二人も場を離れ、スバルたちの残る騎士側の列へと並び直す。――アルとラインハルトがスバルを挟み、超居心地が悪い。
「俺、ここにいないとダメかな?」
「オレとしちゃそこにいてくれた方が緩衝材的な意味合いで嬉しいけどな。正直、剣聖と事構えるとかありえねぇよ、マジに」
アルが戦々恐々、とばかりに額を拭うアクション。兜被ってる上に声の調子が変わっているわけでもないので軽口の類のはずだが、ラインハルトの戦闘力を間近で見たことのあるスバルとしては冗談で済ませられるものでもない。
アルもわざわざ傭兵を名乗り、隻腕でプリシラの護衛を務めているほどだ。腕に覚えがあるのだとは思うが、彼が同郷の存在である事情を加味して人外の領域に踏み込んでいるものとは考え難い。
彼自身が明言していた通り、戦いになれば一分ももつまい。
「そう考えると案外、エルザって本気でスゴ腕だったのかもな……」
ラインハルト相手に、曲がりなりにも剣戟と呼ぶに相応しい結果を示してみせた女性を思い出す。同時に裂かれた腹の痛みが蘇るようで、スバルは顔をしかめるとすぐにそれを取り止めた。
「彼女の実力は本物だったよ。その後の足取りも掴めていない。君に重傷を負わせたことの裁きを、まだ彼女に受けさせることはできなそうだ」
「今、俺がせっかく回想シーンやめたんだから掘り起こすなよ。あ、なんか横一線にやられた目までしくしく痛い気がしてきた……」
思い返すと、今までの死因だと二度目のが一番悲惨だった気がする。精神的に辛いのはもっと後の話の方だが。
高速で目を擦って双眸を充血させる勢いのスバルに、ラインハルトが気遣わしげな視線を向けてきて、
「大丈夫かい?なんならいい水の魔法の使い手に心当たりがある。すぐ側にいるんだけど……」
「んー、今から大事な話に入るから静かにしてにゃよ。あとで治してあげるから」
「私が言うのもおかしな話だけど、君たち少しマイペース過ぎやしないかい?」
ラインハルトの声にフェリスが言及し、それをユリウスが窘める。
スバルも自分のマイペースさには自信があったが、周りの四人も相当なものだよなーとかなり他人事の雰囲気で考える。
緊張感みなぎる候補者に反し、その関係者たちがわりと長閑なやり取りを交わしている間に、賢人会の開催が正式に発令――マイクロトフが頷き、
「同志の賛同に感謝いたします。では議論に入るとしますかな。議題はもちろん、『どなたに王となっていただくか』ですが」
ヒゲを梳きながら言葉を切り、それから老体は片目をつむると、
「ふぅむ。問題はどうやって、それを決めるかですな。竜歴石には五人の候補者を集めろとはありましたが、その後の選出法については記述がなかった。極端な話をすればこの場で全陣営に武を競っていただき、残った陣営を王にするということも可能ですが」
「その方法だと完全にひとり勝ちする陣営があるよーぅな気がしますけどねぇ」
冗談めかしたマイクロトフの言葉に、文官集団からロズワールの軽口が応じる。
その軽口が示す陣営はただひとつ、ラインハルトを擁するフェルトの陣営に他ならない。それがわかっているだろうに、マイクロトフは強かに笑い、
「宮廷魔術師筆頭の御身でも、相手にしたくないものがおるのですかな」
「さる人物にはわーぁたしの唯一の取り柄が通用しませんのでね。残念ながら相対することになった時点でおしまいサヨナラ、となーぁるわけです」
肩をすくめて首を振るロズワール。その言にさすがのラインハルトも恐縮するように俯いたが、否定に入らないところを見ると自信自体はあるらしい。
ロズワールの魔法使いとしての実力の確かさも知る身として、彼とラインハルトの両者にそこまで隔絶した差があるのかは疑問だ。が、当人たちがそうと納得している以上、それは動かない事実なのだろう。
ますます、ラインハルトの人外っぷりがスバルの中で際立っていく。
と、
「では、筆頭宮廷魔術師の反対もあったことですから、乱暴な解決策を選ぶのはやめにしましょう。ふぅむ、そうなるとどうするのがいいと思いますかな、皆様」
挨拶代わりの軽口を引っ込め、マイクロトフが議論へ賢人会を誘導する。
議題に参加する賢人会の面々は顔を見合わせ、マイクロトフに比べるといくらか通りの悪い声でひそやかに、しかし不思議と全員に聞こえる声で、
「まずは候補者の皆様のお話を聞くべきでしょうな」
「全員が集まり、こうして顔を合わせることができた幸運も今回が初めて」
「以前までは我々、賢人会も全員参加とはゆきませんでした」
「故に話を。それぞれの立場、王になる覚悟、その上でなにをするつもりでおられるのか――そのあたりの話が妥当でしょうか」
「ふぅむ、至極納得。では、騎士マーコス、お願いしてよろしいですかな」
賢人会の話し合いの結果、議事の進行が再び騎士団長へと委ねられる。
ただひとり、候補者の側を離れずに立つ甲冑姿が一礼し、それから候補者の方へと振り返り、巌の表情を引き締めながら、
「僭越ながら、改めて私が進行させていただきます。候補者の皆様には各々、主張と立場がおありのはず。賢人会の方々も、広間にいる騎士や文官も、全員がそれを知りたがっております。どうぞ、お付き合いを」
広間の全員の気持ちを代弁し、マーコスは候補者五人に恭しく頭を下げる。
そして顔を上げると、厳格な表情は大きく口を開き、
「ではまず、クルシュ様よりお願いいたします。――騎士フェリックス・アーガイル!ここに!」
「うむ」
「はーい」
マーコスの声にクルシュが悠然と頷き、フェリスが軽やかに手を上げる。
前に出るクルシュに並ぶように、小走りに駆け出すフェリスが広間の中央へ。彼女はそこへ向かう途中、マーコスの顔をジッと見つめ、
「団長。いつも言ってますけど、フェリックスじゃなくフェリスって呼んでくださいよー。フェリちゃん傷付いちゃうなぁ」
「私は部下の誰も特別扱いするつもりはない。当然、お前のこともだ。前に出ろ」
頬に指を立ててお願いするフェリスをすげなく突き放し、マーコスは顎でクルシュの隣を示して先を急がせる。フェリスは不満そうに「べー」と舌を出してマーコスに不服をぶつけたあと、腕を組んで立つクルシュの隣に並んだ。
「王候補者、カルステン家当主のクルシュ・カルステンだ。よしなに」
「クルシュ様の一の騎士、アーガイル家のフェリスです」
「騎士フェリックス・アーガイルです、賢人会の皆様」
堂々と怖じることない態度で名乗るクルシュと、それに追従してあくまでも軽々しいフェリス。彼女の名乗り上げをたしなめるように訂正するマーコスに、フェリスの刺すような視線が刺さるが、マーコスは頑健な無表情でそれを無視。
そんなやり取りを傍目に、スバルは「へぇ」と小さく呟き、
「あのフェリスって子、本名はフェリックスってのか。なんか、すげぇ男の名前に聞こえる名前なんだな」
日本でも古い武家などでは長子の名前が継承されるもので、男女の性別が違ってもそのまま付けられる場合なんかもあったらしい。ギャルゲーでありがちな歴史TSものなら女体化武将は男名で氾濫している。日本マジ病巣。
そんな納得を得るスバルの隣で、アルが首をかすかに傾げている。彼の中の常識だと、そう簡単には受け入れられない領域の話なのだろうか。スバルと彼の召喚年代の違いもあるし、もう少しお互いの認識を深めておきたいところだが。
「スバル、聞いていないのかい?」
アルを横目にそう考えるスバルに、ラインハルトがふと驚きの顔で問う。質問の趣旨がわからず、スバルは「なにが?」と間抜けな声で聞き返す。
「男の名前に聞こえるもなにも、フェリスは立派な男性だよ」
「――待て」
「なんだい」
「今、なんて、言ったのか」
ラインハルトが口にした内容が受け入れられず、スバルの脳が一時的にパンクする。ゆっくり、噛み含めるように言葉を紡ぎ、スバルは再度の復唱をラインハルトへ要求。彼は鷹揚に頷くと、
「男の名前に聞こえるもなにも、フェリスは立派な男性だよ」
一言一句違えることなく、大事なことを二回言ってくれました。
「「ええええええええええ――!?」」
意識が理解に追いつき、スバルとアルの二人の絶叫が広間に響き渡る。
その驚きぶりに広間中の注目が二人に集まったが、じたばたと身振り手振りで混乱を表現する二人はそれに気付かない。
スバルは大きく身を動かしながら、部屋の中心に立つフェリスを示し、
「ちょっと待て、アレが男!?騎士の中の騎士も、さすがにジョークは苦手ってか!?笑えねぇよ!?」
言いながらこちらを見ているフェリスを眺める。
確かに女性にしては長身だと思っていたが、顔の造形に体の線の細さと背丈さえ除けば女性にしか見えない。ただ、女性としての起伏にはやや欠けている面は否めないが、世の中には成人しても胸が平たい女性も少なからずいる。反証にはならない。
「声も高ぇし、線も細い。肌も透き通るみてぇだし、オレもあれが男だなんて信じられねぇ……いや、信じたくねぇ!」
「わかるかよ、兄弟!」
「ああ、わかるぜ、兄弟!」
ガシッと隻腕のアルと肩を組み、互いの認識のすり合わせを行う二人。
ひとりより二人ならば、なんと心強いことか。ラインハルトの笑えない冗談に対しても、これだけ言っておけば反省の色も見えよう、と半ば勝利を確信した矢先、
「ああ、そこの二人は初見か。私の騎士であるフェリスは男だぞ。他の誰でもない私が断言しよう」
それまで沈黙を守っていたクルシュが、肩を組む二人にそう声をかけた。
凛々しい声音の信じ難い内容に、スバルとアルの首が音を立てて振り返る。肩を組んだまま互いに反対方向に回りかけ、一瞬お互いの肩関節が極まって「痛い!」と無様な声が連鎖、そのまま気を取り直すようにスバルは床を踏み、
「く、口だけじゃなんとでも言えるぜ!俺たちを担ごうったってそうはいかねぇ!証拠!そう、証拠がないと!」
「私とフェリスは付き合いが長くてな。一緒に風呂にも入った仲だが、間違いなく男性器が股の間に……」
「スタァァァァァップ!!俺が悪かったーっ!!全部しっかり認めて受け止めて受け入れるから、女の子の口から男根がどうとか言わないで――!」
「男根とは言ってねぇよ、兄弟!?」
直接的な表現にスバルが訂正を入れるが、混乱の極みにさらにアルが突っ込みを入れる始末。多重に混乱材料を叩き込まれて慌てふためくスバルは、この事態のそもそもの根源であるフェリスを力強く指差し、
「お前もお前だ、チクショウ!お前、そのナリで付いてるとか誰得だよ!おまけにネコミミまで付いてんのに実は男とかそれも誰得だよ!!俺は男の娘属性とかねぇんだよ!いたってノーマルな銀髪ヒロイン好きなの!」
「そーんにゃこと言われてもぅ、勝手に勘違いしたのはスバルきゅんの方だしネ。フェリちゃん、自分が女の子だなんて一言も言ってにゃいもーん」
「ふざけんな、このアマ――訂正、この野郎!」
てへり、と舌を出してウィンクしてみせるフェリスの態度に、スバルは地団太を踏んで憤慨を表明するが、それ以上に相手からの謝意を引き出せそうもない。
父さん、母さん、異世界にも『男の娘』の存在は息づいていました。
「ありえねぇ……こんな仕打ちは生まれて初めてだ。温厚という字が服着て歩いているのを隣で全裸で見てたと有名な俺でも怒りを感じずにはいられない……!」
「それはもはやただひとりの全裸――!」
興奮のあまり自分でもなにを口走っているのかわからなくなり始めているスバルに、アルがそれでも律儀に突っ込みを入れる。
ボケに対して突っ込みが入る、という当たり前さがありがたいやり取りを交わす二人。そんな二人の驚きがひとしきり静まるのを待ち、
「――落ち着きましたかな」
と、しわがれた声が確認の言葉を二人に投げかける。
壇上、膝の上で手を組み合わせるマイクロトフだ。国の頂点にわざわざ気遣いされてしまい、さすがのスバルも我に返って「す、すんません」と素で恐縮。
すごすごと、元の列に戻って本当に珍しく心の底から自省する。
「フェリスの性別を知ると決まって皆が驚きを顔に出す。これだけは何度味わってもやめられない楽しみだ。――今の二人ほど驚くものもそういないが」
「ふぅむ。わかっておられてなお続けるのですから人が悪いですな、クルシュ様」
満足そうに唇をゆるめるクルシュを言外にマイクロトフはたしなめるが、それに対してクルシュは表情を引き締めて首を横に振り、
「マイクロトフ卿におかれては誤解があるようだが、フェリスの装いは私が言いつけてさせているのではない。全て、本人の自由意思によるものだ」
「従者に相応しい格好をさせるのも、主の務めであると思いますが」
言い切るクルシュに反論したのは、スバルたち同様に列に戻ったリッケルトだ。先ほどの流れで文官集団の中で発言権を得たのか、彼の言葉に頷きをもって同調する列席者が何人か見られる。
それら呉越同舟の面々を眺めて、それからリッケルトをその鋭い双眸でクルシュが射抜く。射抜かれたリッケルトは顔をひきつらせ、それでも真正面から向き合う。
「な、なにか反論でも……?」
「目をそらす有象無象とは違うな。少々間が悪く、信ずるものも同じにはならず、少しばかり担ぎ上げられやすい点を除けば、私はリッケルト殿を評価している」
――だいぶボコボコに言われてねぇ?
とスバルなどは内心思うのだが、クルシュ的には今のは賛辞の言葉なのだろうか。リッケルトもイマイチ腑に落ちない顔でいる。
しかし、それの追及をするより先にクルシュが「だが」と言葉を継ぎ、
「相応しい格好をさせるのも主の務め、と言ったな。ならば私はやはりフェリスには今の格好でいることを望むだろう。なぜかわかるか?」
「なぜ、ですかな」
問いはリッケルトを見つめたまま放たれたが、眼光に気圧されたのか言葉を継げないリッケルト。彼に代わり、マイクロトフが問い返すとクルシュは頷き、
「簡単な話だ。――そのものにはそのものの魂を最も輝かせる姿が与えられるべきだからだ。騎士甲冑を着せるより、よほどフェリスには今の格好が似合う。私がドレスを着るよりも、こちらの格好を好むように」
言い放ち、クルシュは己の魂を張るように胸を張る。
威風堂々たる立ち姿にフェリスが並び、彼女――否、彼もまた主の雄姿の隣で微笑みながらも従った。
その二人の佇まいを見下ろし、マイクロトフは眩しいものを見るように目を細める。それから彼は小さく顎を引き、
「ふぅむ、よろしいでしょう。このお話はここで終わりにします。リッケルト殿、よろしいですかな?」
「い、異存ありません」
「こちらも異存なし。マーコス団長、進めてくれ」
口ごもりながらも矛を収めるリッケルトに、あくまで王者の余裕を失わないクルシュ。意見を交換した形だが、どちらの方に軍配が上がったかは二人の様子を見比べるまでもなく明らかだった。
ともあれ、
「候補者の中で最初の所信表明ではありますが、最有力候補ですからな。言ってはなんですが、安心感が他の方とは違います」
ぽつり、というにはやや大きすぎる声量でそんな言葉が聞こえた。
それを聞きつけ、スバルは耳を震わせながら「どゆこと?」と隣のラインハルトに問いかける。彼は素直なスバルの質問にかすかに目を伏せ、
「クルシュ様が当主を務められるカルステン家は、ルグニカ王国の歴史を長く支え続けてきた公爵家だ。国に対する忠節の歴史と確かな家柄、そして若くして当主として公爵家を動かすクルシュ様自身の才気――これ以上ない、王選の本命だよ」
「そりゃ……どうなんだ、実際」
ラインハルトがつらつらと語った内容に、思わずスバルは喉をうならせるしかない。
爵位関係の知識がそれほど深くないスバルでも、公爵という地位が上から数えた方が早い国の要職であることはわかる。
王候補――王族が滅んでしまった状態であるとはいえ、当然次の王座に就くのはもともとの王家に近しい存在であればあるほど望ましいというものだろう。
そういう意味で考えれば、スバルはエミリアの不利な立場を思わずにはいられない。
「ほとんど決まりであろう」
「カルステン家のご当主で、なによりクルシュ様の才媛ぶりは有名な話だ」
「少しばかり豪胆な判断をされるが、それも器の大きさと考えれば申し分ない」
スバルが今しがた聞いたばかりの内容を、周囲の列席者たちも改めて確認したのだろう。ひそひそと交わされる会話の内容はクルシュの有利性を語るものばかりで、始まったばかりの王選で彼女が頭ひとつ抜け出す存在であることが言外に周知されているようですらあった。
エミリアのアピールタイムが始まる前だというのに、場の雰囲気がどんどん彼女不利に傾いていくことにスバルは焦りを感じずにはいられない。
だが、そんなスバルの胸を苛む焦燥感は、
「少し勘違いしているものが多いようだな」
指を立て、ひそひそ話を中断させたクルシュの言葉で一時停止とあいなった。
全員の口が閉ざされ、自分への注視が集まるのをクルシュは待つ。その意図を察して広間に静寂が落ちると、彼女はひとつ頷きを置いて切っ掛けとし、
「各々が王座に就く私に望んでいることがなんなのか、私なりにわかっているつもりだ。カルステン家は王家と関わり深い重鎮であるし、これまでの国政にもかなりの割合で責任を持たされてきた。それ故に、私が玉座に就くことになれば、政や国の運営には影響が生じずに済む。波のない王位の継承が約束されるというわけだ」
流暢に語られるクルシュの言葉に、聞き入っていた広間の幾人もが頷く。
丁寧に言葉にされ、スバルもまた彼女が王位に最も近いとされる理由をはっきりとした意味で理解する。それだけに反論は至難と思われた。が、
「――期待される卿らには悪いが、その約束はしてやれない」
自身に持たされた圧倒的なアドバンテージを自ら捨てるような発言に、王座の間に一瞬の静寂――数秒の間を置いて、激震が走る。
「どういうことだ」と口々に疑問を投げかける声。それらをざっと見渡し、クルシュはその熱が冷めやらぬ状況に堂々と踏み込み、
「私が王となった暁には、国の在り様は先代までのものとは違うものにならざるを得ない。それを理解してもらおう」
「――それはどういう意味で、とお聞きしてもよろしいですかな?」
「当然だ」
ざわめきがマイクロトフの疑問の声に集約されて静かになり、最初の衝撃が落ち着き始めた広間でクルシュは壇上を見上げる。
深い緑の長い髪が揺れ、凛々しい面差しで彼女が見るのは賢人会――その彼らの向こう、王座の間の壁に描かれた龍の意匠だ。
「親竜王国ルグニカ――かつて龍と交わされた盟約に守られ、この国は繁栄を築き上げてきた。戦乱も、病魔も、飢饉さえも、あらゆる危機は龍によって回避され、長きにわたる王国の歴史から『龍』の文字が消えることはない」
『ドラゴンとの盟約』――それはスバルもまた、絵本で読んだ内容そのものだ。
ルグニカ王国が龍と交わした盟約により守られ、繁栄と栄達を続けてきたという歴史のあらまし。
クルシュが口にした内容に全員が聞き入り、その意味を噛み含める。
王国の歴史を常に陰から支え続けてきた龍との盟約。それが王族の滅亡という事態にあって、継続が危ぶまれているからこその王選の前提条件。即ち、次代の王たるものは『龍の巫女』の資格あるもの、という条文が科せられるのだ。
「故にこそ、我々は龍と対話ができる巫女に王位を預けなければなりません。でなければ王国に約束された繁栄が……」
「――その考えが、気に入らんな」
マイクロトフが盟約を語る最中、ふいを突くようにクルシュの一言が突き刺さる。
老人がかすかな驚きに目を押し開くと、クルシュは腕を組んで吐息し、
「龍との盟約により積み上げられてきた繁栄、大いに結構だ。戦乱では敵国を息吹きで焼き払い、病魔があればマナの活性化により人々を癒し、飢饉が起これば龍の血が沁みた大地は豊穣の恵みを与えられる。あらゆる苦難は全て、我らが尊きドラゴン様により救われる。親竜王国ルグニカに栄光あれ――」
語る内容は輝きに満ち溢れているにも関わらず、それを口にするクルシュは淡々としていて表情も晴れない。
無言の全員を視線を見渡し、彼女は小さく呟く。
「問おう。――恥ずかしいと思わないのかと」
静まり返る広間に、これまで以上の緊張感が張り詰めるのがスバルにもわかる。
しかし、この様々な激情がこもり始める広間の中で、今もっとも怒りを感じている存在が誰なのかとすれば、それは間違いなく玉座の前に立つクルシュであった。
「いかなる艱難辛苦であっても、龍との盟約により乗り越えることは約束されている。その盟約に甘え、堕落し、いざその存続が危ぶまれれば取り乱して代替手段に縋ろうとする。これに呆れず、なんとする」
「――口が過ぎますぞ、クルシュ様!」
苛烈なクルシュの発言に、賢人会のひとりが立ち上がって怒りを露わにする。マイクロトフに負けず劣らず高齢な人物だ。老体はしゃがれ声で席の肘かけを叩き、
「盟約を軽んじることは許されませぬ!かつてその龍の恩恵により、王国がどれだけの犠牲を払わずに済んだことか。救われた命もまた同様に。それらの歴史の積み重ねを、あなた様は否定為されるのか」
「過去の繁栄に関して、私は大いに結構と述べた。私自身、その恩恵に与っていないなどとは口が裂けても言わない。カルステン家もまた王国と誕生を共にしてきた家だ。王国が危機に瀕すれば当家も同じこと。そして、国が龍に救われたとあらば、それもまた当家も同じことだ」
だが、と彼女は息を継ぎ、
「未来の話は違う。今の自分たちの醜態を、どうとも思わないのか?龍との盟約に縋りつくあまり、思考を停止してはいないのか?戦乱が、病魔が、飢饉が再び王国を襲ったとき、我々は龍におもねるより他にないのか?」
「――それは」
「龍の庇護の下で生きることに慣れ切って、それで滅びるのであれば王国など滅びてしまうがいい。恵まれすぎることは停滞を生み、停滞は堕落へ導き、堕落は終焉をもたらす。私はそう考える」
「あなたは……あなたは、国を滅ぼすと仰るか!」
血管が千切れそうなほどいきり立つ老人。
その叫びにクルシュは目に覇気をみなぎらせ、「違う」と首を横に振った。
「龍がいなければ滅ぶのであれば、我々が龍になるべきだ。これまで王国が龍に頼り切りにしてきた全てを、王が、臣が、民が背負うべきだ」
故に、とクルシュは一呼吸おき、
「私が王になった暁には、龍にはこれまでの盟約は忘れてもらう。その結果、袂を分かつこととなっても仕方がない。親竜王国ルグニカは龍の国ではなく、我ら王国民の国であるのだからな」
「――――」
「苦難は待っていよう。あるいは過去に龍の力を借りて乗り切った数々の災厄、それすら凌駕する変事が我らを待つかもしれない。だが、私は私の魂に恥じぬ生き方をしていきたい」
声の調子を落とし、クルシュは首を振りながら視線を下に向け、
「以前から私は国の在り様を疑問に思っていた。此度のこの風向きは、是正する機会を天に与えられたものと思っている」
先王への忠義を思えば、不敬と切り捨てられてもおかしくない一言だ。
現に、賢人会の老人たちも今の彼女の発言には顔を見合わせ、その表情に深い影を落としている。しかし、その一方で、
「理想論なのは間違いねぇけど……」
否定できない重みがある、とスバルはクルシュの言葉に聞き入ってしまう。
それもまた周囲も同じように感じているらしく、声高に彼女に反論する声はもはや広間には見当たらない。
王国の積み上げてきた歴史と真っ向から打ち合い、そして歴史を作り上げてきた重鎮たちに反論すら許さぬ風格。
それは否定のしようがない、王者の風格であると断言することができた。
「――クルシュ様のお考えはよぅくわかりました。それらを受けた上で、御身が玉座を得るのであれば、御身の思うようにされるがよろしいでしょう。それこそが、国を背負う王の選択です」
「無論」
マイクロトフの言葉にたった三文字で応答とし、クルシュは語るべきことは語り尽くしたとばかりに踵を返す。
堂々としたマイペースに再びざわめきが漏れかけるが、それを先んじて制したのはマイクロトフだ。彼の老人は話の矛先を今度はフェリスへ向け、
「では、騎士フェリックス・アーガイル。御身はなにかありますかな?」
主だけでなく、従者からも主のアピールポイントを話せ、という趣旨らしい。
が、フェリスはそのマイクロトフの言葉に対して静かに首を横に振り、
「お言葉ではありますが、私が補足するようなことはなにもありません。クルシュ様のお考えはクルシュ様が口にされた通り。そしてクルシュ様の行いの正しさは、後の歴史と従う私どもが証明していきます。――私は私の主が、王となられることをなんら疑っておりません」
厳かに、細身の腰を折りながら朗々とフェリスはそう謳ってみせる。
マイクロトフが了承の意を頷きで返すと、フェリスは一度敬礼してからクルシュの下へ。目配せし、彼女が顎を引くと嬉しげに頬をゆるめながら、
「やっぱり、クルシュ様はいつでも素敵です。フェリちゃんもうメロメロ」
「時おり、フェリスの言葉は意味がわからないことがあるな。――が、許そう。お前が私に不利なことをするはずがない」
絶対的な信頼と、心棒が二人の間に結ばれているのがそのやり取りでわかる。
キャラが崩れるぐらいの心酔を捧げるフェリスに、それをものともせずに鷹揚に受け止めているクルシュ――なるほど、良い関係なのだろうと思う。
「さて、ようやくおひとりにお話は聞けたわけですが……ふぅむ、どうやら最初からかなり波乱含みの内容になってしまいましたな」
クルシュの所信表明にひと段落がつき、今のやり取りを簡単にマイクロトフがそう言ってまとめる。
賢人会や文官たち、おおよそ事態を穏便に片付けたいと思っていた面々からすれば、王座の最有力候補であった彼女の方針は寝耳に水もいいところだっただろう。
おそらく彼女は今のやり取りで、取り込めたはずの多くの票を失ったはずだ。が、その代わりに今のを聞いてなおも彼女を支持する存在からすれば、なにが起きても失わないだけの強固な信頼を得ただろうとも考えられる。
長い目で見てそれが王選にどれほどの影響をもたらすのか、今の段階ではメリットデメリットを測れない言動であった。
「王選ってのがどうやって決まるのかはイマイチわからねぇな……」
それを決める、という趣旨でやっているのが今の所信表明タイムだ。
合コンでたとえると、どの子を狙うのか決めるための最初の自己アピールタイム。地雷かどうか見極めるためにジャブを放ち、あとはどんな形でストレートを打ち込んでお持ち帰りするかの重要分岐点。我ながら最悪なたとえだった。
ともあれ、
「では、続けさせていただきます。順番は、クルシュ様のお隣から順番に」
「ふん、やっときたか。はいぱー妾たいむじゃな」
騎士団長が気を取り直したように議事を進行すると、その取り直した気を再び破壊するような発言をして、橙色の髪の少女が前に踏み出す。
「今、あいつハイパー妾タイムって言った?」
カタカナ雑じりのクソ文法にスバルが唖然とすると、アルが手柄を自慢するかのように親指で己を指して、兜の向こうでおそらくドヤ顔。
それからのしのしと重い足音を立て、前に出たプリシラの隣に彼も並ぶ。
先ほどのクルシュと違い、華やかなドレスに太陽を映したような髪。色鮮やかな装飾品の数々が金属音を立て、見た目から騒々しい彼女をさらに騒音で飾り立てる。
そんな少女の隣に立つのが、一見町民風の格好に漆黒の兜で顔を隠した隻腕の男なのだから、否応にも周囲の目が奇異の視線になろうというものだ。
「ふん、さっそくごーじゃすな妾に有象無象の卑しい視線が集まっておるようじゃな」
「いい感じに使いこなしてんな、姫さん。だいぶアッパー入ってていい感じだぜ」
奇異、というよりキワモノを見る目で見られているにも関わらず、なぜか誇らしげに胸を張るプリシラに、アルが彼女の従者らしい的の外れた賞賛を送る。
若干ネジのとんだ二人のやり取り、それらを正面にマーコスは咳払いし、
「それではプリシラ・バーリエル様。よろしくお願いします」
「癪じゃが付き合ってやろう。そこな老骨どもに妾の威光を知らしめ、その上で妾に従うことを選ばせてやればよいのじゃろう。簡単な話じゃ」
言うと、彼女は胸の谷間から扇子を抜き出し、音を立てて開くと口元を隠しながら小さく笑う。可憐な容姿に似合わぬ、毒婦めいた嗜虐的な微笑みだった。
クルシュの爆弾発言を経て、決して良い状態でなかった広間の空気に明らかに不穏なものが入り混じり始める。空気の読めないことに定評のあるスバルですら感じる明白な緊迫感、それの張り詰める広間の中、ぽつりと誰かが呟く。
「――血色の花嫁めが、忌々しい」
深く深く、憎悪を煮立てたような憎々しいその声に、スバルは息を呑む。
それが誰を指しているのか、思いのほか響いたその声がどんな影響をもたらすのか、決してよい方向に転ばない予感だけははっきりと感じられたのだから。
候補者二人目を中心に据えて、いまだ王選の序章は始まったばかりであった。