『醜悪なる晩餐会』


 

ドレスの裾を風に揺らして、不遜に鼻を鳴らす少女を誰もが見た。

その視線に少女――ベアトリスは戦況を眺めるように目をやる。水路街の大広場には、傷をさらした『暴食』ライ・バテンカイトスと、相対するオットーらが四人。

オットーやフェルトたちを見て、ベアトリスが露骨なため息をこぼした。

 

「いっそ哀れなぐらい貧相な顔ぶれかしら」

 

吐息まじりのベアトリスの感想に、反論どころか悪態を返す余裕もない。ただ、ベアトリスの参戦は、悪化の一途を辿る戦況への大きな転機には違いない。

自然と、安堵にも似た気持ちがオットーの胸中に込み上げる。

 

「ベア――っ」

 

その名前を呼びかけようとして、オットーはとっさに自らの口を塞いだ。

バテンカイトスは『名前』を食らう存在だ。先ほど、自分からフェルトたちに頼んで、名前を知られないよう小細工したばかり。それを自ら破るわけにはいかない。

 

名前を隠すオットーへのバテンカイトスの態度。そこには明らかに、『食事』を邪魔されていることへの苛立ちがある。つまりバテンカイトスの名前喰らいには、相手の『名前』を知っていることも必要なのだ。

故に、ベアトリスの名も知られるわけにはいかない。封殺し、手を探る。

 

しかし、そんなオットーの配慮は無駄に終わった。

なぜなら――。

 

「――ベアトリス様?どうして、外を出歩いていらっしゃるんですかァ?」

 

バテンカイトスが首を傾げて、ベアトリスを見ながらそうのたまったからだ。

『暴食』はベアトリスを見つめながら、なおも不思議そうに言葉を続ける。

 

「――――」

 

「あれだけ頑なに外にお出になるのは嫌がってたのに。お食事のときと、大精霊様とご一緒のとき以外は……ああ、例外もあったんだっけ?」

 

押し黙るベアトリスに、バテンカイトスがなおも言葉を重ねる。

それは親しげ、というにはいささか語弊があるが、それでも一定の距離感と関係性を以前から抱いている人間の発言に聞こえた。

 

「前からの顔見知りってわけじゃ……ベアトリスさ――ッ」

 

バテンカイトスと、ベアトリスとの間の関係性。

名前を伝えまいと堪えた意味がなくなり、それを追及しようとしたオットーの喉が呼びかけの途中で詰まった。今度は無意識的に、ベアトリスの横顔を見てだ。

 

唇を噛み、丸く大きな瞳に激情を渦巻かせるベアトリス。

この精霊の少女が、ここまで怒りを露わにすることなど珍しい。驚くオットーの前で、ベアトリスは深々と息を吐き、バテンカイトスを睨みつけた。

 

「――何の小細工かわかったのよ。そういうことかしら」

 

ベアトリスが、重く低い声で呟いた。

それは恫喝のためというより、感情を鎮めようとした結果の声の低さだ。

努めて表情から怒りを隠そうとするベアトリスは、濁ったバテンカイトスの瞳の奥を覗き込み、何を見たのか嫌悪感に口の端を歪めた。

そして、

 

「お前、自分の中にどれだけの数の人間を溜め込んでいやがるのよ?」

 

「さァ?でも、僕たちの食事量はロイに比べたらマシだと思うけどね。ロイは悪食でなんでも食べるから、厳選する俺たちとは量が違うッ!僕たちは食事は質こそ命と思ってるから、そこがロイとは相容れないんだよね」

 

『名前』や『記憶』を食らうことを、『食事』と言い表すバテンカイトス。

自らを美食家と自称し、親しげな誰かを悪食と称する態度には独特の美意識があるようだが、どちらもオットーには理解しきれない類のものだろう。

 

「――――」

 

そして、オットーに理解しきれないのは、今のベアトリスの態度も同じだ。

少女の嫌悪感は単純に、相対したバテンカイトスへの評価だけから発するものではないように感じる。もっと別の、根元から異なる負の想念の結果だ。

 

あるいはそれは、ベアトリスを既知の存在として扱うバテンカイトスの方にも共通していて――と、そこまで考えてオットーは気付いた。

バテンカイトスが一方的に、ベアトリスを知っている理由の可能性に。

 

「……まさか」

 

バテンカイトスの戦いぶりは、武の道に長く研鑽したものしか到達できない領域にある。ダイナスの発言から得たその事実に、オットーは一つの仮説を立てていた。

 

「喰らった相手の『名前』や『記憶』から、肉体の経験値まで引き継げるんじゃないかという予想は立てていました。無手の武術も短剣術も、あなたの年齢で極まった位置へ到達することは難しい。それならば、と……」

 

喰らった相手の技量までも自らの糧にできる。

それならばバテンカイトスが、十代半ばに見える年少さで、武の達人に匹敵する実力をいくつもの分野で習得していることにも納得ができる。

その仮説が正しく、正しいだけではない、それ以上の意味があるなら――。

 

「ですが、引き継げるのが肉体の経験値だけに留まらないとしたら」

 

それは、戦闘力の脅威とはまったく異なる悪辣さを意味する仮説だ。

だって、バテンカイトスは言ったのだ。

 

――都市に響いた、あの演説の主を探していると。

 

それが弱くて脆くて、傍にいて支えてあげないと不安になる人なのだと。

ナツキ・スバルを知っていて、その人柄と長く付き合えばそうした感覚を抱くことも共感できる。あの少年には、他人にそう思わせる不思議なところがある。

 

だがそれは、好意を持って彼と親しく過ごしていたからこその感慨だ。

スバルの脆い強さと弱い勇気を知っていることが、彼の近くにいた証拠だ。

そしてその証拠を今、『暴食』に奪われたものがいるとすれば、該当者として思い浮かぶのはたった一人の少女しかいない――。

 

「――ッ!」

 

ベアトリスの辿り着いた嫌悪感に、オットーも遅れてようやく到達する。

目の色の変わるオットーに何を見たのか、バテンカイトスは浴びせられる視線に対して優雅に一礼すると、牙を見せて微笑んだ。

 

「ロズワール・L・メイザース辺境伯が使用人筆頭……ととと、違った」

 

名乗る途中で首を振り、バテンカイトスは両手を広げた。

自分の傷だらけの体、その白い傷跡の一つを愛おしげに撫でる。肩口に浮かぶその傷跡は、まるで鋭い鉄杭でも受けたように痛々しいもので。

 

「今はただのひとりの愛しい人。――いずれ英雄となる我が最愛の人、ナツキ・スバルの介添え人、レム……だったかなァ?」

 

「――――」

 

「会わせておくれよ、愛しの英雄様にさァ!僕たちの英雄が、俺たちを裁きにきてくれたはずなんだよォ、こんなところまで!」

 

舌を伸ばし、傷口を舐めながらバテンカイトスが嘲笑する。

思わず、オットーの頭にも血が上った。噛みしめた奥歯が音を立てて軋み、怒りのあまりその横っ面をぶん殴ってやりたくなる。

 

『暴食』の態度が、口調が、笑みが全てが、一人の少女の想いを馬鹿にしている。

 

その少女がどれほど、無事に戻ることを哀願されているかも知らず、ただただ嘲弄と侮蔑の足蹴にされている。そのことがオットーの心に火を灯していた。

この『暴食』、絶対に許してはならない相手だと――。

 

「ベアトリスさん……?」

 

袖の中に仕込んだ魔鉱石の残弾、それを指で数えるオットーの前にベアトリスがふわりと移動した。こちらを制するように手を伸ばすベアトリスに、その意図が読み込めないオットーが眉を寄せる。と、

 

「最初の一言は訂正してやるかしら。よくここに、ベティーを呼びつけたのよ」

 

「――――」

 

「こいつは……こいつだけは、スバルに会わせるわけにはいかないかしら。こいつと会えばスバルは傷付く。きっと、取り返しのつかないぐらい。だから」

 

「ここで、僕たちだけで仕留めましょう」

 

ベアトリスの言葉の最後を引き取って、オットーはそう断言した。

振り向かないベアトリスだが、同意してくれているのはその立ち姿からもわかる。自他共に認めるスバルの相方である少女だ。目の前の悪辣を彼に近付けるのをよしとしないのは、オットーにも痛いほどわかる気持ちだった。

 

「待て待て待て待て、待てっての!」

 

そうして、気持ちを一新して強敵と向かい合う二人――そこに水を差したのは、バテンカイトスではなかった。オットーと並び立ち、ここまでの会話を黙って見守っていたはずのフェルトだ。彼女は包みを抱え直しながらベアトリスを指差し、

 

「なんかすげー大物みてーな風格で出てきたけど、そもそもそんなチビッ子に何ができるってんだよ。あの兄ちゃんの相方ってのは聞いてっけどさ」

 

「あー、えーと、そうですね。まず、そのあたりの説明がややこしいんですが……」

 

フェルトからもっともすぎる指摘があって、オットーは説明に苦慮する。

ベアトリスが精霊であり、スバルと契約した存在であることは周知されても構わない内容だ。とはいえ、スバルを欠いた状態のベアトリスの戦闘力に不安があるのも事実なのだが――。

 

「チビにチビッ子だのと言われるのは心外なのよ。ベティーの実力を心配する暇があるなら、将来性のなさそうな自分の貧相な体つきの心配でもするかしら」

 

「カチンとくること言うガキだな、おい。言っとくけど、アタシもちゃんと飯食って寝るようになってから背も胸も成長してんだ。将来の心配はそっちの方だろ」

 

「生憎、ベティーの外見はこのデザインで固定されているのよ。だから……む」

 

場を弁えない言い合いが始まりかけたが、ベアトリスが言葉に詰まって中断する。その瞳が捉えていたのは、フェルトが抱いている細長い包みだ。

フェルトが『切り札』と称する魔法器だが、ベアトリスはその外観に驚いたような顔をして、

 

「それ、まさか『ミーティア』かしら?」

 

「ミーティア?」

 

「お母様……昔、偉い魔法使いが龍に嫌がらせするために作った杖なのよ。どこにいったのかわからなくなっていたはずだったけど、因果なもんかしら」

 

肝心な部分を言い直したベアトリスの説明に、フェルトは曖昧に頷いている。

が、ベアトリスの言い直した『お母様』が、伝承から消えた『魔女』であることを知るオットーからすれば、あらゆる意味でとんでもな話だ。

色々と追及したい部分はあるが、『魔女』が龍への嫌がらせに使っていたという部分を加味すれば、その性能には信憑性が高い。

 

「使い方のややこしさは聞いてますが、威力には期待しても?」

 

「龍を半泣きにさせていたなんて逸話のある杖なのよ。折り紙つきかしら」

 

例え話のスケールが大きすぎて、イマイチ実感に乏しい。が、とんでもな兵器であることだけは伝わってきた。

そのベアトリスの言葉にオットーは頷くが、フェルトはまだ納得していない。

 

「これがなんなのかなんて話は後回しでいいんだよ。それより、このチビ……」

 

「お前の良心はそこそこまともなのよ。でも、それは無用の心配かしら。だって」

 

「ああ?」

 

「もう仕掛けてしまっているのよ」

 

首を傾げるフェルトの前で、ベアトリスが見た目不相応に妖艶な笑みを浮かべる。軽く持ち上げた右手がバテンカイトスを指差し、そちらを見た全員の喉が凍った。

 

――バテンカイトスの周囲を、紫色に輝く結晶が覆い尽くしている。

 

「あら、ベアトリス様ってば容赦のない」

 

「お前にくれてやる遠慮と容赦だけは、この世のどこにも在庫がないかしら」

 

エル・ミーニャ。

陰魔法の中でも数少ない、攻撃用の魔法がその牙を剥いた。

 

バテンカイトスがぼやいた直後、紫色の輝きが乱舞し、射線上にあった小さな体を目掛けて殺到する。

棒立ちの細い体に、鋭く硬い感触が直撃――結晶が砕け散り、石畳がひび割れ、噴煙が立ち上る。その大広場の惨状こそが、今の蹂躙の威力を証明していた。

 

「さ、どんなもんなのよ」

 

その圧倒的な魔法力を見せつけ、ベアトリスがフェルトに勝ち誇った顔を向ける。齢四百年を数える大精霊にしては大人げないが、さすがにフェルトもこれにはぐうの音も出ない様子で。

 

「ま、まあ、ちったぁやるじゃねーの」

 

それでも負け惜しみが出るあたり、フェルトの胆力はなかなかと言わざるを得ないようだった。

 

「こ、声が震えてるぜ、フェルトお嬢様よぉ」

 

「それはてめーもおんなじだろ!バカ言ってねーで、ちゃんと前見てろ!」

 

震える軽口を叩くガストンに、フェルトが手前の動揺を隠すように怒鳴る。しかし、その発言の全てが誤魔化しというわけではない。

ベアトリスの魔法の爆心地に、無防備に攻撃を浴びたはずのバテンカイトスの姿がないのだから。

 

「くるぞ――!」

 

ダイナスの戦慄を帯びた声が上がり、彼の睨みつける方角へ全員の目が向く。そこに地面に四肢をつき、蜘蛛のような動きで這い回る『暴食』の姿があった。

『暴食』が笑い、牙を剥き、目を血走らせる。

 

「はっはァ!ベアトリス様ってばさっすがァ!いいね、いいよ、いいさ、いいかも、いいとも、いいじゃん、いいだろう、いいだろうさッ!」

 

頭を左右に振り、髪を振り乱しながらバテンカイトスが地面を跳ねて、再びこちらへ突っ込んでくる。

 

「――あと、五発」

 

その接近に対応しながらオットーは、唇を舐めるベアトリスが何事か不穏な呟きを残したのを聞いていた。

 

※※※※※※※※※※※※※

 

エル・ミーニャを発動し、バテンカイトスに牽制の一撃を放り込んだ瞬間、ベアトリスは自分の懐で大魔石が砕け散るのを感じていた。

これで魔石の残数はあと六つ――ベアトリス自身の活動力のことを考えると、攻防に使えるのは五つっきりだ。

 

――現在の都市攻防戦、その前哨戦となった刻限塔広場での『憤怒』と『強欲』の大罪司教との偶発的な戦闘。

その戦いの結果、ベアトリスは負傷したスバルや都市住民の治療に全力を費やし、自身の活動に支障をきたすまでのマナを消耗した。

 

精霊ベアトリスは、『魔女』エキドナの作り出した人工精霊だ。

その力は並の精霊を寄せ付けないほど強力だが、代わりにいくつかの厄介な欠点を抱えてもいる。

中でも最大の欠点は、自身の失ったマナを回復する手段を、契約者から受け取る以外に持たないことが挙げられるだろう。

 

大気中のマナの利用や、契約者以外の人間からのマナの提供など、いずれもベアトリスは自らの力に還元することができない。結果、消耗したマナを回復するためには、スバルからマナを受け取りつつ、時間をかける以外に術がなかった。

そんな彼女が今、動けているのは一種の禁じ手を使ったことが理由だ。

 

――ベアトリスには現在、七つの大魔石が持たされていた。

 

大魔石は長い年月を経て、その内側に莫大な無色のマナを溜め込んだ逸品だ。そのうちの一つはすでに砕け散り、残っているのはあと六つ。

これらは深い眠りの中にあったベアトリスを呼び起こし、この大広場への救援を求めた変態――もとい、キリタカに預けられたものだった。

 

「どうか、伏してお願い申し上げます、大精霊様。あなたのお力を、この都市を守るための戦いに貸してください。この都市には、私の愛する人たちがいるのです」

 

ボロボロな上に半泣きの状態で、みっともなくも嘆願するキリタカ。値段が付けられないほど高価な魔石を、惜しげもなく砕いて自分を目覚めさせたキリタカに、ベアトリスは仕方なく応じることにした。

 

本音を言えば、ベアトリスはスバルのところに駆けつけたかった。

都市の状況は一変し、危難にさらされているのはスバルも同じ。自分が傍にいなければ、スバルは心配でしょうがない奴なのだ。

だから目覚めた今こそ、自分はスバルのために――。

 

「バカかしら。いいえ、バカなのよ」

 

心配なんて言葉を免罪符に、甘えようとする自分をベアトリスは一喝する。

スバルが戦うことを選んで、それでもベアトリスを置いていったのであれば、それは自分の存在抜きで戦う方策があるからだ。

スバルは自分を過大評価などしない。むしろ、過小評価がすぎるところがある。

勝てない相手に無謀に立ち向かうような真似はしないし、ベアトリスがいなければ勝てない相手なら、どんな手を使ってでもベアトリスを起こしたはず。

 

ならば今回のスバルの戦いに、口惜しいが自分は不要だ。

スバルの下に駆けつけるのは、戦いを終わらせて戻ったスバルに、抱き上げてもらうだけの戦果を自分も出してからでなくてはならない。

 

援軍として立つベアトリスに、キリタカが捧げたのは七つの大魔石だ。

余所からマナを流用することが究極的に苦手なベアトリスは、緊急措置としてその魔石の力を非常に効率の悪い伝導体として利用する。

 

ドレスのポケットの中、七つの魔石は本来なら奇跡すら起こせそうな純粋なマナの塊だが、それを盛大に無駄遣いして簡単な魔法の起動式にねじ込む。

通常、発動に十の力でいいところ、千の力を流し込んで魔法を発動するのだ。おまけに制限が利かず、どんな程度の低い魔法でも一回の行使で一つの魔石が砕ける。

自活用に一個は残す必要があるため、使えるのはあと五つ。

 

――つまり、あとたったの五手で詰める必要があるのだ。

 

「にーちゃとの再会が遠のいたかしら。その分、お前には地獄を見てもらうのよ」

 

キリタカの所有していた大魔石は、もともとパックの依り代にするために求めていたものだった。今回の旅の目的そのものであったそれが、今はベアトリスが戦うために砕かれていくのだから皮肉という他にない。

 

「地獄なら見飽きたよッ!僕たちに喰われる奴らは最後、みぃんなそれを味わってるんだからさァ!」

 

叫び、バテンカイトスがこちらの集団に飛びかかってくる。

無造作な動きだが、その鋭い視線がもっとも警戒するのはベアトリスだ。

 

奴はベアトリスのマナが底を尽き、あと五回の魔力行使でガス欠になるなどと思ってもいない。そう思わせるために、魔石一つと引き換えに強力な範囲攻撃を仕掛けたのだから、布石の機能としては上々、及第点だ。

ベアトリスが両手を持ち上げ、中空にあるバテンカイトスへと掌を向ける。

 

「アル・ミーニャ!」

 

「――ッ!」

 

「嘘なのよ」

 

一瞬、バテンカイトスが超級の魔法の発動を予期して身を固くした。その様子にベアトリスは舌を出し、大きく後ろへと飛びずさる。

縮こまるバテンカイトスと、そこへガストンとダイナスの二人が飛びついた。

 

「うおおお!」

「これでも食らえ!」

 

雄叫びを上げる二人の男が、二刀と拳の連携でバテンカイトスを迎撃する。

重く鋭い一撃が『暴食』へ叩きつけられたが、バテンカイトスはこれを卓越した身のこなしで回避し、逆に短剣を操って二人へ切り返す。

翻る鋼の切っ先が、ダイナスの首筋を狙って繰り出された。

 

「あぶね……ぐえ!」

「すまん!」

 

その短剣の軌道にガストンが割り込み、ダイナスを庇って一撃を浴びる。

硬い音が響いて短剣の威力は削がれるが、後ずさるガストンが咳き込むと、その口元から赤い血がこぼれ出していた。

 

――マナを扱う戦闘技法、いわゆる『流法』の限界だ。

 

頑健な肉体を維持し、刃や打撃を通さないガストンの戦い方は、『流法』と呼ばれる技術であり、魔法と異なるマナの使い方を模索した技術体系の一種だ。

魔法と比較して、才能に左右される部分の少ない技術――ただ、鍛錬の量だけが物をいう分野であり、実戦で使いこなすには血のにじむようなそれが必要だ。

 

「でも、無茶をさせすぎたようなのよ」

 

ベアトリスの見たところ、ガストンの資質も才能も凡人の域を出ていない。

半端な流法で大罪司教と曲がりなりにもやり合えていたのは、バテンカイトスがかなりガストンに手加減していたからに他ならない。

 

「そォら、よッ!」

 

「ご、ぁ!?」

 

膝をつき、吐血するガストンが顎が蹴り上げられる。

鼻面から血を噴き、倒れ込んで動けなくなる大男は戦闘から離脱だ。これでこちらの戦力は、一名減ったことになる。

 

「よぉッく頑張ったよォ、ガストン!敢闘賞さァ。――一生懸命頑張ったけどダメでしたァ!そんな奴に相応しい評価ってやつだよッ!」

 

「――っの、野郎!」

 

倒れたガストンを嘲弄するバテンカイトスの姿に、頭に血を上らせたフェルトがミーティアで殴りかかってしまう。

正しい使い方をすれば、その威力はまさに『魔女』のお墨付き。だが、単なる鈍器としての使い方では本領の一割も発揮できまい。

 

「お、っとォ!フェルトちゃんってば、やるぅッ!」

 

「る、っせーんだよ!離れろ、クソが!」

 

長物の扱いに苦心しながらも、フェルトはその身体能力を駆使してバテンカイトスに鋭い一撃を繰り出し続ける。その全てをバテンカイトスは、まるで舞い踊るような足捌きで華麗に回避し続けた。

ミーティアの打撃は『暴食』の髪を掠めこそするが、ダメージを与えるまでには至らない。技量に圧倒的な差がある。完全に遊ばれているのだ。

 

「お前!いいからもう離れるかしら!でかいのはうちの商人が回収したのよ!」

 

「んな器用な真似ができっかー!」

 

力量差は歴然、逆襲に出られれば負けは確実だ。

フェルトがバテンカイトスに仕掛ける最中、オットーが大慌てで気絶したガストンを戦域から引っ張り出すのに成功している。ダイナスも二刀の感触を確かめ、フェルトとバテンカイトスの戦いに割り込む隙を探しているが、確実な機がない。

 

変化が生じれば、その隙間をバテンカイトスは的確に射抜く。虎視眈々と状況の変化を待つ姿勢は、数の上で不利なはずの『暴食』こそが、この場を支配していることを如実に感じさせるものがあった。

 

「なに、なんだ、なんだよ、なんだろう、なんでだろう、なんなんだろうッ!助けに入ってあげたらいいのに、可哀想にフェルトちゃん見捨てられちゃうの?」

 

「やかまっしーんだよ!てめーの方こそ、大人しく殴られて……」

 

「そ。――でも、そろそろ見飽きちゃったからさァ」

 

「う、っきゃぁ!?」

 

ミーティアを振り上げたフェルトが怒鳴り、その瞬間にバテンカイトスが踏み込んだ。二人の間の距離がゼロになり、『暴食』の掌がフェルトの薄い胸を撫でる。

直後、衝撃が少女の体を軽やかに吹き飛ばし、高い悲鳴を上げてフェルトが石畳の上を転がっていった。

受け身もまともに取れないほどの威力、だが問題はそこではない。

 

「いけない!まともに触られて……!」

 

胸を強打されたフェルトが咳き込み、それを見たオットーが声を上げる。ベアトリスはその焦燥感を得た横顔に、彼の懸念の意味を理解した。

『暴食』の、その食事の準備が整ったのだと。

 

「フェルトちゃァん。――イタダキマス」

 

どういう原理であるのか、バテンカイトスがフェルトに触れた左手、その掌をこれ見よがしに見せつけながら長い舌で舐める。

まるでそこに、『フェルト』という少女の大切なモノがあるかのように。

 

それを愛おしむように舌の上に乗せて、ざらついた感触で愛撫し、隅々までこそぎ取るようにして味わい、胃袋に落として容赦なく咀嚼する。

それが完了したとき、『暴食』の食事が終わり、『名前』が冒涜者の中に収まる。

 

そして、フェルトという少女の痕跡は世界から消えて――。

 

「う、げェ……ッ」

 

「あぁ?なんだ、てめー。どんだけ失礼なんだ、コイツ」

 

頭を振るフェルトが、膝をついて嘔吐したバテンカイトスを見下ろして言った。

無論、彼女の存在は消えておらず、フェルトは不快そうに首を傾げるばかり。

 

――『暴食』の食事が、無様にも失敗した瞬間だった。