『無血開城計画』


 

――時は、グァラル都市庁舎で舞姫が舞うより遡る。

 

「――無血開城、だと?」

 

集会場に乗り込み、全員の前で力強く言い切ったナツキ・スバル。

被っていた鬼面を無理やり剥がれ、スバルを見上げるアベルが鼓膜を震わせた『夢物語』を凍えた声で繰り返す。

そこに込められているのは冷笑――否、こちらを嘲弄する響きなどない。あるのは純粋な疑念、何を言い出したのかわからないという類の一息だ。

その意図は、わかる。

 

「最小限の犠牲で済ませる算段はしても、そもそも犠牲ゼロって考えがお前にはない」

 

「当然だ。貴様が認めようと認めまいと、今俺たちがしているのは戦争だ。どうあろうと人死には避けられん。人的資源の浪費を避ける考えはできてもな」

 

「その、人的資源って考え方がそもそも好きじゃねぇな」

 

真正面、胡坐を掻いたアベルを見下ろしながらスバルは舌打ちする。

『人的資源』という言葉は、『人間』と『資源』という本来なら組み合わせるべきではない単語を組み合わせた、忌々しい言葉だとスバルは思う。

そうやって見方を『人間』から一段階遠ざけるから、人が数字にしか見えなくなる。

あるいはそれは、アベルのような為政者にはなくてはならないバランス感覚なのかもしれないが――、

 

「それじゃ、俺は納得しない。フロップさんも、そうなんだろ?」

 

「――。それで、代わりに飛び出すのが無血開城か?ずいぶんと大見得を切るものよ。先ほどまで、あれほど憔悴していた貴様が」

 

「ボロボロの情けねぇ醜態晒したことは否定しねぇさ。大体、この国に吹っ飛ばされてきてから、ノンストップで災難が降りかかりすぎなんだよ」

 

アベルの指摘に自嘲し、スバルは自分の掌をじっと見る。

やけに綺麗になった右手、この腕が新品にすげ変わったことも『ノンストップ災難』の一個と言える。かろうじて、右手の交換は数少ない幸運の一個だろうか。

右手の交換と、レムが目覚めたこと。それと、フロップとミディアムの兄妹と出会ったことは、掛け値なしの幸運に数えていいかもしれない。

 

それ以外はとにかく、幸運と災難の表裏一体だ。

目の前のアベル然り、『シュドラクの民』然り、トッド含めた帝国兵然り――、

 

「苦労の連続で、魂がすり減るとこだ。けど」

 

「――――」

 

「――摩擦した分だけ、火は付いたよ」

 

見つめる掌を握りしめ、スバルははっきりとそう告げる。

ちょうど、それは集会場の入口にスバルに遅れてレムが到着したときだった。杖をついた彼女が、その傍らにウタカタとルイを連れて現れる。

見届けにきたのだろう。

彼女の身勝手な懇願が、ナツキ・スバルの魂に火を付けたのだから。

 

「フロップさんから抜け道の話を聞いて、都市に入り込む戦略……奇襲のつもりか?そんなの、絶対にうまくいかねぇぞ」

 

「ほう、何故だ?防壁に守られた城郭都市だ。他に越える方法があるか?」

 

「壁があれば抜け道を探すなんて、誰でも思いつくことだ。そりゃ、抜け道自体は巧妙に隠してあるのかもしれねぇが……」

 

城郭都市の出入りのために作られた抜け道となれば、当然、素性の不確かな輩や出自の怪しい物品を通すためのものと考えられる。

無論、それらは衛兵に見つからないよう隠されているのだろう。しかし、それもあくまで平時の警戒を通り抜けるためのものだ。

それ以上の状況、それこそ戦時の警戒網を潜ることができるとは思えない。

何より――、

 

「俺たちを都市で追い詰めた奴は、そういうのを見逃さない奴なんだよ」

 

頭の回転が速く、抜け目がなくて決断に迷いがない。

トッドがスバルたちの生存を認知した以上、抜け道の類は最も警戒される『穴』だ。それをそのままにしておくほど敵は優しくない。

当たり前のように塞ぐか、塞がないことで『罠』へと変える恐れもある。

 

「だから、奇襲なんて以ての外だ。抜け道から抜け出た瞬間、向こうで待ってた相手に斧で頭をかち割られるなんてこともありえるぞ」

 

「なな、なんでそれを僕の顔を見て言うんだい、旦那くん!怖い想像なんだが!」

 

全員に危険を周知するつもりが、ついフロップの顔をまじまじ見つめてしまった。

思い出されるのは、スバルの前で幾度も凶刃――否、凶斧の前に倒れた彼の姿だ。あれを、また目にするなど死んでも御免だし、繰り返させるわけにはいかない。

 

「……ただの奇襲となれば、相手が警戒しようというのは俺も同意見だ」

 

「なに?」

 

思いがけない首肯があって、スバルは目を丸くする。何故なら、そのスバルの意見に賛同したのが、他ならぬアベル自身だったからだ。

アベルは驚くスバルの様子に眉を上げ、「なんだ」と言葉を継いで、

 

「俺が肯定したのが意外か?」

 

「それは、そうだろ……この世の全部、自分が正しいみたいな面してるくせに、あっさりと自分の間違いを認めるなんて……」

 

「たわけ、いつ俺が自分が間違っていたなどと認めた?俺は抜け道を使い、奇襲を仕掛ける作戦は成功しない、その考えに賛同しただけだ」

 

「――?じゃあ、お前は抜け道をどう使うつもりだったんだよ」

 

アベルの否定には、考えを言い当てられた負け惜しみとは違う響きがあった。

その根拠を問い質すスバルに、アベルは片目をつむり、

 

「出入りするのは、人間でなくてはならぬ理由もない。都市にこもった兵たちの機能を麻痺させるだけなら、物を持ち込ませるだけで十分だ」

 

「物って……」

 

「――毒だ」

 

「なおさら、見逃せるわけねぇだろ!」

 

淡々としたアベルの語り口に、かえって不動の実行力を感じさせられ、スバルが思わず声高にその計画を非難する。

毒の使用などと、言語道断だ。――実際、『シュドラクの民』が扱える毒の威力を体感したスバルだからこそ、絶対に使うべきではないと反対する。

あれは、あの地獄の苦しみは、戦いで死ぬよりなお悲惨なものとなる。

 

「そもそも、フロップさんを説得するために、被害を最小限にするとか、減らすって方向性で話してたんじゃねぇのかよ。毒を使う計画のどこが……」

 

「貴様は何を言っている。抜け道を使った奇襲作戦であっても、襲撃の際にはこちらの手勢が犠牲になる可能性はあろう。毒なら、それはない」

 

「――――」

 

「手持ちの戦力の犠牲を減らす。これが、被害を最小限にするということだ」

 

そう言い切ったアベルの前に、スバルは息を詰める。

そして、スバルは自分とアベルの立ち位置、為政者とそれ以外の地平が大きく違っていたことを改めて再認識した。その隔たりは、スバルの理解以上だ。

つまりアベルは、グァラルの住民の被害を考慮していない。――否、住民に被害を出さないにしても、帝国兵への被害は一切考えていないのだ。

そんなこと、自身を狙った帝国の陣を焼き払ったときから明白だった。

 

「まだ、俺の考えが甘かった。お前は……」

 

「そうだ、貴様の考えは甘い。故に、この場に貴様の居場所など……」

 

睨み合い、スバルとアベルの視線が火花を散らす。

そのまま互いの意見がぶつかり合い、話し合いが決裂しかけるが――、

 

「――まあまあまあ、待ちたまえよ、二人とも!そう睨み合い、いがみ合うことはないじゃないか!」

 

その二人の間に割って入り、距離を開けさせたのはフロップだった。

彼はふやけた笑みを浮かべながら、睨み合うスバルとアベルの顔を交互に見やり、「落ち着いて話し合おう!」と胸の前で手を叩く。

 

「実際のところ、僕と村長くんとの話し合いは平行線を辿っていてね!そこに、旦那くんが意気揚々と戻ってきたんだ。僕はぜひ、旦那くんの語った『無血開城』という話を聞いてみたい!それが事実なら、夢みたいじゃないか!」

 

「フロップさん……」

 

にこにこと笑うフロップの期待に、スバルは直前の怒りを抑え込む。どうやら、フロップの振る舞いに毒気を抜かれたのはアベルの方も同じだったらしい。

アベルは「ふん」と小さく鼻を鳴らし、

 

「――。いいだろう、聞かせてみるがいい。貴様の案とやらでうまくこの商人を騙し、抜け道の所在さえ聞き出せればしめたものだ」

 

「ええ!?旦那くん!?まさか君は……」

 

「違う違う違う!口裏合わせてない!てめぇ、自分の案が通りそうにないからって、俺まで道連れにしようとしてんじゃねぇよ!」

 

フロップのいらぬ邪推を招く発言、しかし、アベルはそれに悪びれない。平然と鉄面皮を保った彼に、スバルは「鬼の面なんかいらないじゃねぇか……」と悪態をつく。

 

「それで……」

 

と、そうして生まれた場の間隙に、微かな声が滑り込む。

それは集会場の入口、そこで立ち尽くし、スバルの背を見つめるレムの声だ。

レムは場の空気に惑わされず、ただスバルだけを見つめて続ける。

 

「それで、あなただったらどうするんです?淡い夢でも、血塗られた現実でもない、別の道を見つけられるんですか?」

 

「……いちいち、俺の心が沸き立つ言い方をしてくれるもんだぜ」

 

「――――」

 

じっと、唇を結んだレムの視線に苦笑し、スバルは己の覚悟を引き締め直した。

それから、改めて集会場の面々の顔を見渡す。アベルとフロップ、そしてミゼルダを始めとしたシュドラクたちの視線を一身に集めながら、

 

「俺の案は抜け道も、血を流す必要もない。ただし、フロップさんには力を貸してもらうことになる」

 

「抜け道の必要はないのに、僕の力が必要……?だけど、旦那くん、僕が非力で少々口が回るだけの行商人なのは君も知っている通りのはずだよ?」

 

「ああ、もちろん。でも、フロップさんには商人ってだけじゃなく、生まれ持って恵まれた才能があるんだ。――顔がいい」

 

「――へ?顔?」

 

そう言われ、目を丸くしたフロップが自分の顔に両手を当てる。

同じく、それを聞いた集会場の面々が「顔?」と首を傾げた。

 

「そうカ、確かにナ」

 

「――!姉上、何か気付かれたのですカ?」

 

「いいヤ、顔がいいというスバルの話に賛同しただけダ」

 

「姉上……」

 

腕を組んで頷くミゼルダに、タリッタが渋い顔をして項垂れている。

しかし、多かれ少なかれ、皆の間でスバルの発言の意図が掴めず、疑問の空気が広がっている。それはフロップも、アベルさえも同じだった。

 

だが、他人の美醜に強い関心を持つミゼルダの態度は的外れではない。その脱力ものの審美眼こそが、この状況のスバルに大きなヒントを与えてくれた。

ミゼルダの面食いが、この『無血開城作戦』の着想をくれたのだから。

 

「論より証拠だ。――フロップさん、物は試しに付き合ってくれ」

 

「付き合う?それは構わないが、いったい何に……」

 

疑問の晴れないフロップに、スバルは「いいから」と強引に言い聞かせる。

それから、ミゼルダの方へと視線を向けて、

 

「髪を染めたり、体の模様を描いてるってことは化粧はするだろ?その道具、ちょっと俺に貸してみちゃくれないか?」

 

△▼△▼△▼△

 

「――――」

 

しばらくして集会場に戻り、その『成果』を見せられた面々が言葉を失う。

しかし、それが困惑や呆れといった負の感情からの沈黙ではなく、もっと純粋な驚きや感嘆、あるいは感動に類するものだとスバルにはわかっていた。

そのぐらいの衝撃を与えて当然の出来栄えと、胸を張って言える。

 

「素材の出来がよければ、俺にもこのぐらいのことはできるってことだ」

 

「――――」

 

鼻の下をこすり、そう言ってのけるスバルに相変わらずの無反応。言葉を失ったまま、なかなか皆が戻らない状況で、「だ、旦那くん」と不安げな声。

それは唯一、スバル以外でこの衝撃と無縁の当事者からのもので――、

 

「イマイチ、僕には成果が見えていないわけなんだが、どうなっている感じなんだい?あまりいい感触じゃないみたいなんだが……」

 

「おいおい、心配いらねぇってフロップさ……いいや、心配いらないさ、フローラ」

 

「フローラ!?」

 

目を見開いて驚くフロップ――否、フローラ。しかし、そうして驚きに染まった表情も可憐なものだと、スバルは自信満々に頷いてその頬を撫でる。

そして改めて、フローラの細い肩を掴み、前を向かせた。

 

金色の長い髪を柔らかに透かし、普段より目元がはっきりするようにアイシャドウを入れる。睫毛の長さがわかりやすくなるよう整え、元々色白の肌を際立てるよう、ほんのりと頬に赤色を差し、唇に紅を塗って衣装を変えた。

彼の華奢な体であれば、ほんの少しの工夫で『彼女』と見せかけられる。

つまり――、

 

「――これが無血開城の鍵、俺の打てる最高の策だ!」

 

力強く拳を掲げ、スバルがフロップ=フローラを集会場の面々にお披露目する。

短時間ながら、素材の味を活かした珠玉の仕上がりと自負している。驚くなかれ、これは準備不足の中で作り上げたものであり、一番可愛くないフローラだ。

必要な道具を揃え、当人が仕草を覚えれば、その魅力は足し算ではなく、乗算で一気に跳ね上がっていくことになる。

 

「美は、作れるんだ」

 

「ふざけてるんですか?」

 

「え!?」

 

これ以上ない力作を見せたスバルに、冷たい声が突き刺さった。

見れば、その声を発したのは冷たい目をしたレムだ。直前までの、スバルへの期待を寄せた眼差しはどこへやら、目覚めたとき以来の目をスバルに向けている。

そのあまりの切れ味に息を呑み、スバルは「待て!」と手を突き出した。

 

「ふ、ふざけてない!全然ふざけてないから、そんな目するな!」

 

「これがふざけてない?冗談はやめてください。あなたを……少しでも信じてみようとした私が馬鹿でした」

 

「結論が早い!その見切り方、今さらだけどラムそっくりだな!」

 

「は?」

 

今のレムにとっては身に覚えのないことだろうが、ラムもかくやという見切り速度。

やはり姉妹なのだとほっこりする思いもあるが、レムの失った信頼を取り戻すのが今は最優先だった。

実際、スバルは悪ふざけなどしていない。万事、本気で挑んでいるし、考えている。

わざわざフロップを、こうしてフローラという女性に化けさせたのは――、

 

「――狙いは、ズィクル・オスマンか」

 

と、そう最初に答えに辿り着いたのは、顎に手をやったアベルだった。

フロップからフローラへの変貌に驚きを隠せずにいた周囲と違い、アベルが押し黙っていたのはスバルの真意を測るためだったのだろう。

そして事実、彼はまんまとスバルの狙いを看破した。

 

――狙いはズィクル・オスマン。

帝国二将の位にあり、城郭都市グァラルに駐留する帝国兵の指揮官。堅実で無難な用兵を好む実力者であり、そして――、

 

「とびきりの『女好き』って聞いたぜ。帝国兵の間じゃ有名みたいだった」

 

「あれが異名として、そう呼ばれていたのは周知の事実だ」

 

「『女好き』……あまり、好ましい印象は受けませんね」

 

スバルとアベルの会話を聞いて、レムが渋い顔をする。

その印象にはスバルも同感だ。軍の将校で女好きと聞けば、誰でもいやらしい下種な性格の相手を想像するだろう。だが、そこに付け入る隙がある。

 

「帝国兵の陣地じゃ、捕まえた女をそのズィクルって『将』に献上しようなんて話が出てたぐらいだ。つまり、無害な女だったら近付ける可能性が高い」

 

あまり思い出したくないことだが、陣地でジャマルはレムをズィクルへと献上するなんてことをスバルに言い放ってきた。

レムは美少女なので、つまりズィクルの美的感覚は一般的なものと言える。

 

「それなら、このフローラの力があればいけるはずだ」

 

「だ、旦那くん?さっきから僕をフローラと熱い期待を込めて呼んでいるんだが、僕は何がどうなっているんだろうか?わけがわからなくて怖いんだが!」

 

「安心してくれ、フローラ。もちろん、一人でやらせるような真似はしない。俺もおんなじように戦うつもりだ」

 

「それはいくら何でも無茶ダ、スバル!」

 

困惑するフローラを宥めるスバル、その発言にミゼルダが立ち上がった。彼女は目力の強い表情を曇らせ、スバルの肩を掴んで首を横に振る。

それから、伝えづらい事実を伝えるように声の調子を落とし、

 

「お前の目つきにも愛嬌はあル。だガ、生まれ持ったものハ……」

 

「おいおい、よしてくれよ、ミゼルダさん。あんた、俺の話を聞いてなかったのか?」

 

「なんだト?」

 

「――美は、作れるんだよ」

 

肩を掴んだミゼルダの手に手を重ね、スバルが力強く断言する。

それを受け、ミゼルダが目を見張り、息を呑む。それから彼女はフローラを見て、その顔に施された化粧が眩しいものかのように目を細める。

 

「お前には負けタ。……見せてみるがいイ、お前の可能性ヲ」

 

「ああ、見ててくれ」

 

「こレ、何の話してんだかわかんねーんだガ」

 

託してくれるミゼルダと、それを受け止めるスバル。二人のやり取りをクーナが呆れた風に見ているが、そちらへはノーコメント。

とかく、今の問題は――、

 

「ズィクル・オスマンの嗜好を利用するとして、どうする気だ?奴もまた狼だ。ただ美しいものをぶら下げて、その餌に喰いつく犬ではないぞ」

 

「そりゃ、無目的にぶら下げてりゃお話にならねぇだろうよ。だから、あっちが喰いつくように工夫は必要だ。例えば、パーティーに誘い込むとか」

 

「宴か。だが、簡単には引き込めまい。当然、帝都からの増援があるまで、奴が壁内から出てくる理由がない。疑わしい誘いには乗らんだろう」

 

「だよな。そこはまだ、候補を絞ってる途中なんだが……」

 

「ま、待ってください!」

 

そうして、スバルとアベルがやり取りする最中、レムが声を上げる。

彼女は驚きを表情に張り付けたまま、スバルとアベルを交互に見やり、

 

「その、本気ですか?フロップさんへの悪ふざけを中心に、話を進めるなんて」

 

「え、僕への悪ふざけ?僕、本当にどうなっているんだろうか?奥さんから見て、僕がふざけているように見えるって……姪御くん、どうなってる?」

 

「あうー?う!うー!」

 

緊迫したレムの傍ら、まだ一度も自分の顔を鏡で見られていないフローラがルイに救いを求める。が、ルイは初対面のフローラに慌て、レムの後ろに隠れてしまった。

つまり、ルイの目から見て、フローラとフロップは別人ということだ。

 

「その娘の反応が試金石として適切かはともかく、俺はこれを悪ふざけとは思っていない。ようやく、論ずるに値する案を出してきたところだ」

 

「じゃあ、お前も認めるんだな。フローラの美貌を」

 

「――。認めるのは、俺にはなかった貴様の着想だ。斜めに外れた、な」

 

頑ななアベルの返答に、スバルは唇を曲げて不満を表明。

しかし、アベルはそれに取り合わず、しばし自分の口元に手を当てて思案する。それから、彼はその鋭い眼差しをスバルの方へ向けると、

 

「ナツキ・スバル、一つ聞くが……貴様の化粧、通ずるのは商人だけか?」

 

と、そう聞いてきた。

 

「――――」

 

一瞬、アベルの問いかけに呆気に取られる。

だが、スバルはその質問の意図を頭の中で噛み砕き、首を横に振る。

 

「言ったはずだぜ。仮に作戦を決行するなら、俺も同じ立場に立つってな!」

 

「たわけが。誰が貴様になど期待するか。鏡で自分の顔を見てからほざくがいい」

 

「言い方!」

 

眉間に皺を寄せ、心底からの侮蔑を込めてアベルが吐き捨てる。その一言に傷付くスバルを余所に、彼は自分の胸に手を当てて、

 

「商人だけでは手に余る。――なれば、俺が続こう」

 

「あ、アベルがだト!?」

 

その堂々たる自薦を聞いて、ミゼルダを中心に集会場の空気がざわついた。

無論、スバルもアベルの発言には驚かされる。まさか、彼が自分からそれを言い出してくるとは夢にも思っていなかった。

 

「……正直、どうやってお前を言いくるめるかが一番の焦点だと思ってたぜ」

 

「平時であれば、一考するにも値せん愚策よ。だが、現状こちらの手札は少なく、打てる方策も限られる。効果的ならば、身を切ることも必然の状況だ」

 

「ちっ、いけ好かねぇ言い方だ。これだから、カリスマって奴は……」

 

座を追われたとて、皇帝であることに揺らぎはない。

それがアベルの信条であり、曲げることのない主義なのだろう。その一端をまざまざと見せつけられ、スバルは素直に感服するしかない。

ダメな権力者の見本なら、我が身を大事にするあまりに下手を打つところだ。

しかし、アベルは密林でのスバルとの初遭遇以来、『血命の儀』も含めて、自分の身代をチップに大博打に勝ち続けてきた。

今回もその例に漏れず、引き下がるつもりなど皆無なのだろう。

 

「奇策とは、相手の想定の外側から仕掛けられて初めて効果を発揮する。『将』の嗜好を利用し、不可避の油断に潜む。検討の価値はある」

 

「ああ、古事記って本にも書かれてるんだぜ。敵の大将首を狙うのに女装は最適ってな」

 

「そんな怪しい本の内容を鵜呑みに……」

 

由緒正しい古書からの引用なのだが、今のレムには古事記の信頼性を説いても梨の礫だろう。現状、彼女からの失った信頼を急速に取り戻す術は思いつかない。

ただ、頭ごなしに却下されることが懸念だったため、アベルの反応は意外なのと同時にありがたくもあった。

 

「毒なんて言い出したときは、自分に逆らう相手は皆殺しにしたいタイプなのかと疑ったが……」

 

「必要とあらばそれも辞さん。だが、感情など先々の判断には不要の長物だ。そも、手に入れなくてはならないのはグァラルという都市だけではない」

 

「――――」

 

「『将』であるズィクル・オスマンを押さえられれば、欲しいものを無傷で得る算段も立つ。内から割れる懸念も減らせるなら重畳だ」

 

「……そうかよ。さすが、内から割られて居場所がなくなった奴の台詞には含蓄がある」

 

ちらと、牽制込みで言ってみた挑発だが、アベルの表情は小揺るぎもしない。

このぐらいの皮肉や不敬、咎めるほどのものでもないということか。――あるいは、彼自身言っていた通り、自分の失策を認めないほど頑迷ではないのかもしれない。

いずれにせよ――、

 

「お前が協力的ってんなら、それに越したことはない。名前は……アベル、ヴォラキア……ビアンカでいいか?」

 

「仮名に拘りなどない、好きに呼ぶがいい。それよりも、俺と貴様、それから商人だけではいくら何でも手が足りん。そうさな……」

 

腕を組み、アベルが集会場の顔ぶれを見渡した。

そして、彼は「ふむ」と片目をつむり、

 

「使えそうなのはクーナとタリッタ、といったところか」

 

「おい?」

 

「当然の備えだ。首尾よくズィクル・オスマンを引き出せたとしても、押さえを利かせるだけの手勢はいる。とはいえ、一目で『シュドラクの民』とわかるものは避けたい」

 

そう言って、顎をしゃくったアベルの思惑はスバルにもわかる。

いきなり指名され、戸惑っているタリッタとクーナ、この二人は『シュドラクの民』の中でも、比較的に物騒な気配のしないタイプだ。

 

見るからにバリバリの武闘派であるミゼルダや、一見して特異な印象を与えるホーリィは『シュドラクの民』の素性を隠したい今回はそぐわない。

あくまで、求められるのは相手に警戒心を抱かせない女性性――、

 

「そこは、俺が化粧とコーディネートで誤魔化せる範囲、か」

 

「――私も」

 

「レム?」

 

そこで、すっと挙手したのはレムだ。

フローラの一件からスバルへの不信感を隠さずにいたレムだったが、真剣に検討を続けるこちらの様子に思うところがあったのか、表情を真面目なものとする。

そして、その薄青の瞳に覚悟と決意を灯しながら、

 

「私も、ご一緒させてください。きっと役に立ってみせます」

 

「レム……悪いが、それは無理だ」

 

「――っ!また、私を不必要に危険から遠ざけようと……」

 

決心を挫かれそうになり、レムがスバルを強く睨みつける。

確かに、レムが苛立つだろう過保護な感はスバルにはある。彼女を危険から遠ざけ、揺り籠の中で安らかに過ごしてほしいという気持ちは嘘ではない。

しかし、ここで彼女の参戦を止めたのは、そればかりが理由ではなかった。

 

「お前が心配なのは事実だよ。でも、お前の参加を却下するのは、純粋に作戦の成功率が下がるからだ。……お前は、都市の帝国兵たちに顔を見られてる」

 

「――ぁ」

 

「陣地で捕まってたのもそうだけど、都市から逃げるときもそうだ。同じ理由で、ミディアムさんの力も借りれない。派手にやりすぎちまった」

 

あれだけ目立ってしまえば、検問の衛兵たちもレムやミディアム、ついでにルイの顔は忘れてはくれまい。

今回の作戦は、如何に相手の思考の裏に潜り込めるかが勝負だ。その根幹を危うくする以上、レムを連れていくわけにはいかない。

 

「でも……でも、顔を見られたという条件なら、あなたも同じじゃないですか!」

 

「ああ、だけど違うんだ。だって、次にグァラルの正門を潜るのは俺じゃなく、ナツミ・シュバルツだから」

 

「は?」

 

また誤魔化されたと思ったのか、食い下がるレムの瞳には怒りが灯った。しかし、こればかりはいくら口で説明してもわかってはもらえまい。

ただ、フロップがフローラへと化けたように、ナツキ・スバルもナツミ・シュバルツへと化けるだけ。――これは、論より証拠を見せるしかない。

 

「とにかく、レムを連れていけない理由は説明した通りだ。ただ、タリッタさんとクーナの二人も、危険な作戦になるから納得してから……」

 

「いヤ、面白イ。私が許可すル。二人も連れていケ」

 

と、タリッタたちの意思確認を行おうとしたスバルを、そうミゼルダが遮った。

驚いて振り向けば、ミゼルダはその瞳を好奇に爛々と輝かせ、スバルを見ている。まるで肌をめくり、その下を覗き込もうとするかのような狩猟者の目。

一瞬、スバルはぞくりと怖気さえ感じた。

 

「ミゼルダ、さん?」

 

「スバル、お前とアベルはすでに武勇を証明しタ。シュドラクは武勇の誉れたるを誇ル。だガ、それは知謀を誉れなしと切り捨てるわけではなイ。武も知モ、どちらも優れたることが至上の戦士……それヲ、証明してみロ」

 

搦め手となる作戦を、ミゼルダは好ましいとばかりに頬を緩める。

てっきり先入観で、ミゼルダたち『シュドラクの民』はこうした作戦を嫌うのではないかと思っていた。だから、タリッタたちにも参加の意思を問おうとしたのだ。

しかし、ミゼルダがそう答えると、タリッタとクーナも当然のように頷いた。

 

「族長が言うんなラ、アタイから言うことは特にねーナ」

 

「姉上のお考えに従ウ。……化粧にも、興味があル」

 

頭の後ろで手を組み、あまり関心のない態度でクーナが承諾。タリッタも同じ意見だったが、彼女がちらちらと視線を向けるのはフローラの方だ。

どうやら、スバルの化粧の腕前に興味を持ってくれたらしい。いささか、命懸けの作戦の準備段階としては緊張感に欠けていると思うが――、

 

「異論がないのなら、早々に準備に取り掛かるぞ。城郭都市の臆病者が、帝都に背を叩かれる前に決着をつけねばならん」

 

「……おう、わかった。みんなもそれでいいなら。レムも、呑み込んでくれるか?」

 

「――。どうせ、聞く気はないんでしょう」

 

忸怩たる思いを抱え、じっとスバルを睨むレム。彼女の決意には申し訳ないが、安全と計画の成否を天秤にかけ、同行させる選択肢はなかった。

だから、スバルは眉尻を下げ、甘んじてレムの怒りを受ける覚悟だ。

しかし――、

 

「ですが、どうにかしてほしいと、そうあなたにお願いしたのは私です」

 

「レム?」

 

「その私が、口を挟めるはずないじゃありませんか。……成功させてください」

 

悔し気な感は変わらず、レムがスバルを許したわけではない。ただ、その判断を尊重はすると、視線を逸らしながら伝えられた。

それだけで、スバルの中の暗雲は晴れるような心地だった。

 

「レム限定だが、安い……いや、そうでもないか?」

 

レムがほんのわずかでも好意的な態度を示してくれると、今のスバルはそれだけで空も飛べそうなぐらいの嬉しい気持ちになる。

だが、エミリアが微笑んでくれたらそれだけで天にも昇る心地だし、ベアトリスがどや顔で何か説明してくれたら胸がめちゃめちゃ温かくなる。

なんだ、思った以上に自分は安上がりだなと、スバルは今さら気付いた。

 

「どうした、今さら怖気づいたのか?」

 

「今さら、の方向性が違うかな。……ただ、じわじわと燃えてきた」

 

「ほう。ならば、せいぜい働きで見せてみろ」

 

レムの一言に勇気をもらい、そう答えるスバルにアベルが鼻を鳴らす。

言われるまでもなく、そのつもりだ。――この無血開城を成功させれば、今度こそ、ルグニカ王国への帰還の道が開けるかもしれない。

そうでなくても、スバルの見える場所で毒など撒かせてたまるものか。

 

「――おーい、あんちゃーん!そろそろ、ボテちん休ませたげないと可哀想だから、どっか置いときたいんだけどー」

 

と、そう意気込みの高まる集会場へ、ずいっと顔を覗かせたのはミディアムだ。

たくましい体格のものが多いシュドラクと比べても、頭一個ほども大きいミディアムの上背はとても目立つ。目立つ上で、彼女は集会場を丸い瞳で見渡して、

 

「あれ、あんちゃんは?」

 

「おお、妹よ!兄を見失うとはずいぶんと薄情じゃないか。僕はここだとも!」

 

「――?」

 

首を傾げたミディアムに、フローラが立ち上がって自分の存在を主張する。そのフローラの言葉に、ミディアムは眉を寄せて考え込んだ。

それから、彼女はしばらく押し黙り、やがて何かに気付いたように叫ぶ。

 

「あんちゃん、実は姉ちゃんだったのか!」

 

「旦那くん!?これ、僕はいったいどうなってるのかな!?怖い!」

 

血の繋がった妹の目も誤魔化せるなら、作戦のかなりの足掛かりとなりそうだった。