『王様』


――ある日、それはスバルの思いつきから始まった奇跡のことだった。

 

「エミリアたんってさぁ、王様になるために勉強中なわけじゃん?」

 

食事が終わってしばしの歓談中、屋敷の主立った面子が顔を合わせる食堂の中央で、スバルの口にしたその問いかけは静けさの間を縫ってやけに通った。

聞き流されず、全員の耳にその出だしが入ったこと――これが、まずひとつ目の運命の悪戯である。

 

スバルの問いかけを受けて、小首を傾けるのは隣席のエミリアだ。彼女は己の銀色の髪を指で梳き、食卓に座るパックを反対の手で突きながら、

 

「そうだけど、急にどうしたの?」

 

「急にってわけじゃねぇよ。頭の片隅にはずっとぼんやり残ってたさ。そういや、俺の隣でピーマン嫌そうな顔で食べてる女の子って、下手したらそのうちに王様になっちゃうようなどえらい立場の子なんだよなって」

 

「緑の悪魔、ピーマルのことは言わないの」

 

叩いた軽口の返礼に、額を彼女の指で突かれる。

小さな鋭い感触にスバルは額に手を当て、爪の固さの向こうに彼女の柔らかさを感じた気がして内心はご満悦。そんなスバルを横目に通りすがるラムが、手に持った小さな盆の上のティーカップから湯気をくゆらせつつ、

 

「しまりのない顔だわ」

 

と、嫌味を吐き捨てていった。

その言葉に自分の頬をこねつつ、スバルは子どものように「イーッ」と歯を剥き、

 

「妙なタイミングで通りがかって、人のにまにま面とか目撃してんじゃねぇよ。あと、食後のお茶をロズっちにしか持ってこないとかえこ贔屓が過ぎますー」

 

「えこ贔屓?これははっきり、ラムの中での優先度の問題よ。ロズワール様が一番で次にエミリア様や大精霊様、越えられない壁の向こうに深々と掘られた穴を潜って突き抜けた先に……まあ、バルスがいてもいいかしらね」

 

「そこまで上位陣と水をあけられた経験はさすがに俺もねぇよ!?」

 

胸を張るラムはスバルの叫びを堂々と聞き流し、そのまま滑る動きでロズワールの下へ。上座で本に目を落としていたロズワールがそれに気付き、彼女の差し出す紅茶を慣れた手つきで受け取って口元へ運ぶ。舌に乗せ、それを味わい、

 

「うーん、やぁっぱり食後にはラムのお茶がないとどぉーにも落ち着かないもんだよねぇ。この一杯のために、生きてるってーぇやぁつ?」

 

「身に余る光栄です」

 

静々と、あくまでロズワールに対しては従順な姿勢のラムの態度。

これだけ待遇の差をはっきりと見せてもらうと、いっそイチャモンをつける気も失せるから不思議なものである。かといって、不満を呑み下したところでスバルの鬱屈とした気分が解消されるものではもちろんないわけだが。

 

「あまり怒らないでください。姉様に無理を言ったのはレムですよ、スバルくん」

 

言いながら、不服そうな顔つきのスバルをたしなめるのは厨房から歩み出る給仕姿の少女――その両手に大きめの盆と、人数分の茶器を乗せて運ぶレムだ。

彼女は振り返るスバルに微笑みかけながら盆を軽く持ち上げ、

 

「スバルくんにはぜひ、レムの淹れたお茶をと思いまして。改めて姉様に手ほどきしていただいて、準備させてもらいました」

 

「ほっほーう、なるほど見上げた奉仕精神だぜ、レム。お前の覚悟、味わわせてもらう!」

 

「はい、そうしてください。姉様の監修の下、全力で血を吐く覚悟で、たとえ二度とお茶を淹れられなくなったとしても構わない。この一杯に全てを賭けるという意気込みで淹れさせてもらいました。さあ、飲んでください」

 

「こんな何気ないティーブレイクにそんな魂削りそうな気構えで!?」

 

驚愕するスバルに頷きかけ、レムはその乾坤一擲のお茶を卓上へ差し出す。ふわりと湯気の立つそれはパッと見、普通のお茶との違いがわからないが、レムが血の滲むような努力の果てに淹れた茶だ。きっと鉄分とかスゴイに違いない。

 

「まぁ、気負っててもしょうがない。どれ一口――と、うんウマい!確かにいつもと一味も二味も違うような気がするような気配がしないとも限らないと言い切れないような雰囲気を醸し出しつつもほんのりといい感じな風になってること山の如し!」

 

「それってつまりおいしいの?どうなの?」

 

勢い任せにコメントするスバルにエミリアが首を傾げるが、感想としては素直にウマい。ウマいのだが、やはり普段のお茶との違いは鮮明にはわからない。そもそも、紅茶やコーヒーといったちょっとこじゃれた飲み物を飲むケースがスバルにとっては稀だ。子ども舌の持ち主なので、もっぱら元の世界では清涼飲料水かいいとこココアぐらいの経験値しかない。

 

「思い返すと、もうずいぶんとコーラとか飲んでねぇよなぁ。炭酸とかって、二酸化炭素でできてたと思ったけどどうにかこっちでも作れねぇかな」

 

「スバルくん、スバルくん、お茶はいかがでしたか?」

 

「お?ウマいぜ!やっぱり気持ちが入ってると飲み口も変わるな!」

 

「ホントですか!……それと、なんだか体が熱っぽくなってきたりしていませんか、スバルくん」

 

「熱っぽく……?いや、そんな変化はないと思うけど」

 

首を傾げつつ、スバルはレムの発言の違和に眉根を寄せる。

やや濃いめのお茶の味わいはなかなかだが、それがスバルの肉体に劇的な変化を与えたかといえばそんなことはない。食後の胃に、温かみが加わっていい塩梅。

そんなスバルの返答を受け、レムはジッとスバルを見つめたあとでやや不服そうな目つきのまま口元をお盆で隠し、

 

「スバルくんが喜んでくれたならなによりです」

 

「顔と台詞と目の色とさっきの質問が合ってない気がすっけど?」

 

「そんなことないです。それより、お茶の味にご満足いただけたんなら、向上心を発揮したレムのことを褒めてくれても構いませんよ?」

 

「思い出したように愛い奴だな!別にいいけど。近ぅ寄れい」

 

ちらちらと賞賛を求めるレムを手招き、身を寄せてくる彼女の青髪を掌で撫でる。見えない尻尾を振る彼女は幸せそうに目をつむり、鼻を小さく鳴らしてすり寄ってくるものだからドキドキする。

と、そうして当初の目的を忘れるスバルの後頭部に突き刺さる視線。

 

「じー」

 

「そうやって無言のじと目で睨んできてても、美少女の美ってものは薄れないもんだよね。……どったの?」

 

「どったの、じゃないでしょ。お話、途中で切られるとすごーく気になっちゃう」

 

「お話?」

 

と、わりと本気で不思議そうな声でスバルは唇に指を当てて思案顔。それにはさすがのエミリアも目尻が上がり、慌てて両手を上げながらスバルは、

 

「ごめん、ソーリー、悪乗り、許して!」

 

「許したげるし聞いてあげるから言ってごらんなさいってば。ほら、さんはい」

 

掌を向ける動きで促されて、スバルは微苦笑すると頭を掻く。それから往生際悪く「あー」と呟きながら、

 

「エミリアたんって、王様を目指してるわけじゃん?」

 

「その件、さっきと同じ流れになる気がするんだけど……」

 

「こっからルート分岐すんの。で、王様っていうならさ、能力的なもんももちろん必要だけど、それと同じぐらいに心構え見たいなもんもあるべきじゃん?」

 

「心構え……」

 

スバルの発言に目を瞬かせ、エミリアは意外そうな顔で小さく呟く。

おそらく、もっと全然無関係な方面から責めてくるものと思われていたのだろう。それはそれで彼女の期待に応えたい気持ちがなくはないが、今回は意表を突いたことで驚き顔が見れたのをよしとする。

幸い、驚きのあとでエミリアの瞳に浮かんだのは「一理ある」とでも言ってくれそうな同意系の感情だ。

それを見届け、スバルは「でしょ?」と軽やかに指を鳴らし、

 

「人の上に立つ覚悟、思いを背負うという重圧に耐える精神。そしてなにより、己の信念を貫き通す強い意思――!王を名乗るからには、それらの要素が必要不可欠なのだと俺は主張したい!」

 

拳を固く握りしめて、席から立ったスバルは声を大にして演説する。

自然、食堂の中にいる面子の視線がスバルに集まり、愉悦・呆れ・驚き・慈愛といった複雑な感情の数々を浴びながら周りを見渡す。

おずおずと、そのスバルにエミリアが手を上げ、

 

「スバルの今の意見はわかるけど……それを主張してどうしたいの?」

 

「簡単な話さ。王様を目指すエミリアたんには今の要素が欠かせない。んだらば、ちょいとその王の気構えってやつを鍛えてみたりしないかい?」

 

「えっと……?」

 

顔を近づけて指を鳴らすと、エミリアは話についてこれずに目を白黒。置いてけぼりになる彼女の様子にほくそ笑み、スバルはこれは勢いでいけると頬を歪めた。

邪悪な笑顔を浮かべて、スバルは行儀悪くも座椅子に足を乗せて一段高みへ。その高さから部屋の中を見回し、指を天に突きつけてポージングすると、叫ぶ。

 

「ここに第一回――チキチキ『ロズワール邸王様ゲーム』の開催を宣言する!!」

 

※※※※※※※※※※※※※

 

「ルールは簡単!人数分のクジを用意して、そこに王様の印の当たりと番号だけ振った外れを入れます。んで、全員でそのクジを引いて、王様になった奴が番号を指名して命令を出す。命令は絶対、王の指示には服従――それがルール!」

 

食堂の真ん中で『王様ゲーム』のルール説明を行うスバル。

簡略的なそれを聞き、顎に手を当てて感心した風に頷くのはロズワールだ。彼は今のスバルの手短な説明に満足そうに笑い、

 

「なーぁるほどねぇ。わかりやすくていーぃルールじゃぁないの」

 

「簡単でなおかつ適度な緊張感……ってのが、このゲームの肝だからな」

 

ロズワールにサムズアップして応じ、スバルは隣でいそいそと人数分のクジを作成中のレムを見やる。疑うわけではないが、この手のゲームでは公平性こそがなによりも優先されるべき部分だ。

ただ純粋に運のみで勝利を勝ち取る――大概、血筋で決まるのが王様の立場であると皮肉ってしまえば、これ以上に適切なゲームもそうそうあるまい。

ともあれ、

 

「クジ、できました」

 

「うし、拝見……うん、問題ないな。これでいこう!」

 

レムが差し出してきたクジを確認。

木製の菜箸風の道具に番号を振り、王様印のもののみスバルの手製でパックのデフォルメ絵が描かれている。注意深く見てもクジにそれとわかる細工や特徴はないことも確認、問題なく進行できるはずだ。

 

「パックを引いた人が王様ってことでいいの?」

 

「そ。で、王様は名乗り出て番号を指名。このとき、王様以外の人は番号を見られないように注意な。それがわからないのが楽しいんだから」

 

「あら。それじゃバルスを狙ってこき使う命令が出せないじゃない」

 

「お前みたいなのがいるから発生したルールだよ!名指しも禁止な!」

 

叩きつけるようにラムに言って、スバルは吐息をこぼしてからざっとテーブル周りを見やる。食後の団欒時、当然のように全員が顔を合わせている。

エミリア、レム、ラム、ロズワール、そしてパックにスバルと――。

 

「あれ、おい、ベア子どこいった?さっきまで確かに隅っこで、オムライス風のメニューから必死でグリンピース的な野菜を除けてたよな?」

 

「ベアトリス様でしたら、さっきスバルくんが椅子の上に立とうとしたあたりでいそいそと食堂から出ていかれましたよ?」

 

「あのドリルロリ……和を乱すやっちゃな。うし、ちょっと待ってろ」

 

言い置き、スバルは駆け足に食堂を飛び出す。

そしてきっかり二分後、

 

「うーい、戻ったぞー」

 

「ホントにお前のヤマ勘はどうなってやがるのかしら!?ベティーは巻き添えはごめんなのよ!」

 

「はいはい、かまってちゃんほどそうやって憎まれ口を叩きます。さって、これで全員揃ったよな」

 

肩の上に担いできたベアトリスを席へ下ろし、上から両肩を押さえて逃げ場をなくしてやるとさしもの彼女も諦めの吐息。せめてもの心の平穏のためか、パックがいる場所まで移動して小猫の隣に陣取り、険のある視線でスバルを射抜く。

その鋭い眼差しを右から左へ受け流し、今度こそこれで万端。

 

「ほい」

 

「はい」

 

スバルが手を出すと、心得ていたとばかりにレムがクジを置いてくれる。ベアトリスの分、きっかり一本増えたクジの感触に口元を綻ばせつつ、しかしスバルの三白眼はその邪悪な鋭さを増すばかりだった。

 

テーブルの中央へクジを置く、それをパックがどたばた暴れてわやくちゃにシャッフルし、散らばるそれらの番号部分を隠してから全員が手を伸ばした。

そして、

 

「おし、全員取ったな?じゃあ、お決まりの掛け声から――王様だーれだ?」

 

スバルが満面の笑顔で掛け声を発し、全員が一斉にクジを引き抜く。

手元に引き寄せられたそれに目を落とせば、スバルの手の中にあるクジには非常に残念ながら『2』とこちらの文字で記されている。

その時点で自分の王様があり得ないとわかれば、あとの判断は自分以外の誰が王様になったのかという一点――そして、おずおずと手を上げるのは、

 

「あ、パックの絵が描いてあるの私だ」

 

と、ここ一番での引きの良さを発揮してみせたエミリアだった。

デフォルメされたパックが描かれたそれを手に、エミリアは驚きとささやかな困惑が入り混じる表情でスバルを見て、

 

「えっと、これでどうしたら?」

 

「エミリアたんが王様なんだから、もうここでどどーんと独裁しちゃっていいんだよ。二番が王様の頭を撫でるとか、二番が王様の手を握るとか、二番が王様の膝枕で眠るとか、二番が王様に『はい、あーん』ってしもらうとか、二番が王様と熱々デートの約束をするとか……」

 

「じゃあ、二番が王様の夕食からピーマルを取って全部食べるで」

 

「ぬおおお!誘導失敗!二番俺だー!」

 

頭を抱えて絶叫するスバルの前で、エミリアが「あ、スバルが二番なんだ」とわりと本気で気付いてなかった風に驚いている。

とはいえ、命令は命令だ。これを遵守するからこそ、王様ゲームの尊厳は守られる。

 

「もっとも、夕食にピーマンが出なければ俺にはなんの負担もないけどな!」

 

「レム。夕食はピーマルをふーぅんだんに使ったメニューを希望するよーぅ。食卓が緑色に染まるよーぅな、そーぉんな晩餐が望ましーぃじゃなーぁいの」

 

「ロズワールてめぇ……王様ゲームの趣旨飲み込むのが早いじゃねぇか!」

 

逃げ道を塞いでくるロズワールを睨みつけ、それからスバルはレムを見やる。彼女は主とスバルの板挟みになり、さぞや苦しい決断を求められているかと思いきや、

 

「スバルくんの気持ちを優先したい思いはあります。ありますけど、でもロズワール様はレムの主人です。ですからそのお言葉を蔑にするわけには……ごめんなさい」

 

「本音は?」

 

「ピーマルを食べるとき、エミリア様が目立って気付かれ難いですけど、スバルくんも嫌な顔しているのでこの機会に矯正させてもらおうかと」

 

「よく見てんなぁ、俺のこと!」

 

見た目と食感と味がピーマンそっくりなピーマルは、子ども味覚の持ち主であるスバルにとっては苦手野菜のひとつだ。エミリアの手前、平気なふりして食べてはいるが内心では避けたい食材のひとつである。他にもトマトやナス、カブなどと案外嫌いな野菜は多いのである。――それも、レムにはばれていそうだが。

 

「とにかく、二回戦いくぞ。そーれ、王様だーれだ!」

 

「あ、ボクだね」

 

ヤケクソ気味に叫ぶスバルだが、またしてもクジは外れ。

エミリアに続いて強運なのを発揮したのは灰色の小猫――パックであり、彼は手にした自分とほぼ同サイズのクジを両手に抱きながら首を傾け、

 

「名指しの指名はルール違反なんだよね。それなら……五番が一番の額にデコピンをするみたいなのはどうかな」

 

「おおう、番号二つ指名の手法をいきなり使いこなすとは……お前、素人じゃねぇな?」

 

「こんなゲームに玄人も素人もあるの?……とと、それで五番と一番は」

 

きょろきょろとパックが黒目を巡らせると、上がる手が二つでクジが二本。先端に『5』と記されたクジを持つラムと、『1』が記されたクジを持つエミリアだ。

この場合、

 

「ラムがエミリア様にデコピンをする、ということになるわね。ああ、なんという不敬な状況でしょう。エミリア様にデコピンだなんて……王様ゲーム恐ろしい……!」

 

「そう言いながらラム、すごーくやる気満々に素振り……素振り?素振りでいいのかしら。してるけど……い、痛くしないでね?」

 

「痛くなければデコピンではありません。そいや」

 

「きゃ――っ!痛い!すっごーく痛い!」

 

可愛らしいエミリアの額に赤い跡が残り、ラムは満足げにその様子を見てから肩の力を抜いた。やや半泣きのエミリアは不服げだが、このあっさり感こそ王様ゲームの真髄な気がして、ゲームのルール上はラムの態度の方が好ましい。

 

「これで復讐感に駆られてラムを狙うもよし、切り替えていくのもよし。――じゃ、第三回戦!王様だーれだ!」

 

全員に手番が回らなければ空気になる人間も出てくる。

王様ゲームのわいわいやる性質上、確率で偏ることもあるがそういう状況は避けたい――そんな主催者としてのささやかな思いは、

 

「――ディスティニー、ドロォォォォォォォ!」

 

『王様』を引き当てたスバルにとって、もはやどうでもいい些事でしかなかった。

拳を握り固めてガッツポーズを作り、スバルは「YES、YES、YES!」と繰り返して己の引きに感謝。

 

「そ、そんなに嬉しいこと?まだ一回、王様になっただけなのに」

 

「王様にならずして王様ゲームのなにが語れるかってことだよ、エミリアたん!よっし、やるぞやるぞ……つっても、いきなりスロットル全開にして場の空気をおしゃかにするのもよくないよな、うんよくない」

 

感激に口元がにやけてしまうが、焦る乞食はもらいが少ないともいう。

ここは焦らず、落ち着いて、まずは今後のゲームの布石になるような手を打つべきだ。まずは全員の心の間隙、即ち油断を作り、弛緩したところでガブリと――。

 

「――三番が、下着だけ脱ぐ」

 

「――え?」

 

ガブリと、の部分でエミリアを見ていたら辛抱たまらなかった。

スバルの発言に場の空気が凍り、全員が呆気にとられた顔でスバルを見る。しかし、吐いた唾が呑み込めないように、一度した命令を撤回することもできない。

聞き間違えを疑う周囲の視線に頷き、スバルはゆっくりと唇を開いて、

 

「三番が、下着だけ、脱ぐ。ハリー!」

 

「え、ちょっと、なに、そんな命令もありなの!?」

 

「ありだよ!王様の命令は絶対だろ!?王様が死ねって言ったら身命を賭してでも死ににいくのが臣下の務めだろ!?今、みんなは一瞬だけのこととはいえ王様という俺の臣下だろ!?なら、脱げと言われたら脱いでよ!脱いでよ!」

 

テーブルを叩き、すこぶる調子の上がる口先で訴えるスバル。

エミリアはぱくぱくと口を開閉させているが、傍から見ていたロズワールは大爆笑。ラムは心底軽蔑した目でスバルを見ており、下を向くレムの目が光ったことには誰も気付かない。焦るエミリアとヒゲを弾くパック。そして、こそこそと部屋から逃げ出そうとするベアトリスがいて――。

 

「ベティー。何番だったの?」

 

「そっとしておいてほしかったのよ、にーちゃ!?」

 

退室しようとしていたベアトリスをパックが引き止め、慌てた顔で彼女が振り返る。と、先ほどまで彼女がいた席に置き去りになったクジをパックが拾い上げ、

 

「あ、三番だ。下着を脱ぐのはベティーだね。でもこれ、ボクが当たってたらどうすればよかったのかな。基本的に全裸なんだけど」

 

「そのときは俺がお前専用の小さめの下着を繕ってやるから、それ着て脱げばいいよ。ものっそい不毛だけど。……で、ベア子か」

 

ちらりと、スバルは食堂の入口付近に立つベアトリスを見る。彼女はその端正な面持ちを赤くして、小さく固めた拳を震わせていたが、

 

「はぁ……空気読めよ」

 

「お前に言われるのだけは納得いかないのよ!なんてとんでもな命令出すかしら!こんな命令に従ってやらなきゃならない理由が……」

 

「ふーん、へーぇ、そっかそっか。王様ゲームのもっとも大事なしきたりをそうやって蔑にして破り捨てますか。なるほどね、ふーん」

 

「な、なんなのかしらその嫌な言い方……」

 

顔をそらし、心底失望したという感を隠さないスバルの言葉にベアトリスが動揺。そんな彼女を横目にスバルは「別に」と吐息をこぼし、

 

「こういうのってさ、参加した時点で互いの間に信頼が出来上がってると思うんだよ。たとえどんな酷な命令が下されたとしても、必ず努力できる限りは挑む。そういう、なんというか心構えというか……人としての尊厳みたいな形でさ」

 

「尊厳、ねーぇ」

 

ロズワールが愉しげな様子を隠さないまま唇をゆるめる。そんな彼の合いの手にスバルは「そう、尊厳」と力強く頷き、それからベアトリスを指差す。

その勢いに、縦ロールの少女がかすかに身を引くのを見ながら、

 

「結果じゃないんだ。大事なのは、命令を……いや、約束を守ろうという意思!王様ゲームに参加して、王様に命令を下された。その命令は言ってみれば王からお前への信頼だ。その信頼に応えるために最大限の努力ができる……それが、俺とお前の間に生じた王様ゲームを通じての絆ってことだ」

 

「――――」

 

「一方的な思いなのかもしれない。あくまでこれは俺の意見だし、お前がそれに従う理由なんてないかもしれない。でもさ……俺はこう思うんだよ。こうして王様ゲームという形で絆を確かめ合うことで、俺たちの間には目には見えない――けれど、確かに繋がりってものができるんじゃないかって」

 

胸に手を当てて、スバルは思いの丈を彼女にぶつける。

語られる言葉の重みに、感情の奔流に、ベアトリスは唇を震わせて下を向く。そんな彼女の様子を慈愛の眼差しで見て、スバルは手を差し伸べながら、

 

「だからさ……脱げよ」

 

「――――」

 

「なんかもう面倒臭いし、空気読んでとっとと下着脱いで席に戻れよ。別に大したリアクションとか期待してないからさー、もうよくね?」

 

「――死んだらいいかしら」

 

直後、見えない衝撃波がすさまじい威力でスバルを吹っ飛ばしていた。

 

※※※※※※※※※※※※※

 

「別室でベアトリス様が下着を脱いで、もう一回履き直したのを確認したわ。ルール上の問題はない。これでいいわね、バルス」

 

「……ああ、問題ねぇよ」

 

顔を赤くして憤慨するベアトリスを連れて、隣室から戻ったラムが蔑視たっぷりで言ってくるのを聞き、スバルは不貞腐れた顔でそれに応じる。

ベアトリスの照れ隠し(そのわりには威力が高すぎるが)を受けてぶっ飛ばされ、上下左右がわからなくなるぐらい振り回されての被害だ。目を回していたスバルは駆け寄ったレムに甲斐甲斐しく手当てされたところで、

 

「大丈夫ですか、スバルくん。まだまだ病み上がりで万全じゃないんですから……レムの膝の上で続きをしますか?」

 

「王様ゲーム中に王様より王様っぽい状況とか考えただけで新しいな。その誘いはすっごい心惹かれるんだけど、今は王様ゲームの方が優先だ。気持ちだけ受け取っとく」

 

献身的なレムにそう言って体を起こし、戻った二人も含めて改めて全員が席に着く。わりとひどい状況だった気はしたが、どうやら脱落するものはいないらしい。

それはそれで正直、

 

「物好きというか……なんだかんだで全員、かなり悪ノリ好きだな」

 

「あれでお開きじゃーぁ、いかにもさびしいじゃなーぁいの。私なんてまだ一度も王様にも被害者にもなっていないわけだし、ね?」

 

「王様と被害者って言い方が、なるほどよくわかってるじゃねぇか。……ベア子はツンデレだから戻ってるのはいいとして、エミリアたんは止めないの?」

 

スバルの物言いにベアトリスが鋭い視線を向けてくるが、涼しい顔でそれをガン無視。逆に水を向けられたエミリアは「え、あ……」と慌てた素振りでこちらを見て、

 

「その、私はなんていうか……あの」

 

「なになに、どったの。言いたいこととかあるなら全然聞くぜ、俺」

 

「わ、笑ったりとか……しない?」

 

「俺がエミリアたんを?そんな馬鹿な。エミリアたんの笑顔を見たいがために道化になっても、エミリアたんを鼻で笑うような真似なんか絶対にしませんなのよ」

 

口調で揶揄されたベアトリスが厳しい視線を向けてくるが、爽やかな顔でそれもガン無視。エミリアはスバルの言葉に半信半疑――というより、自分の中のなにかの折り合いをつけるように小さく頷き、

 

「私、あんまりこうやって、周りの人と一緒になにかの遊びに参加したことないから……その、ちょっと、楽しくて……やめるの、もったいないかなって」

 

「なにこの子可愛い」

 

下を向き、頬を赤くしながら答えたエミリアに思わず素になるスバル。

思った以上のパフォーマンスが返ってきて動揺するこちらに対し、エミリアはからかわれたとでも思ったのかその頬を膨らませると、

 

「ほら、そうやってすぐに茶化すんだから。すごーく、恥ずかしいんだからね」

 

「茶化したわけじゃ……くそ、なんだこの子。むず痒さともどかしさで俺を悶え殺す気なんじゃないのか……恐れ入った……!」

 

エミリアのあまりの戦闘力の高さにスバルが戦慄。同様の感慨はどうやら周りの他の面子にもあったらしく、エミリアに優しげな視線を送るもの、仕方なしとゲームへの参加の意思を新たにするもの、ただひたすらにスバルを睨みつけるものと様々だ。

ともあれ、エミリアのそんな意思もあり、気を取り直して。

 

「王様、だーれだ!」

 

一斉にクジが引き抜かれて、そそくさと自分のそれに目を落とす。

スバルの手の中にあるのは『4』のクジだ。王様でないことに一瞬だけ舌打ちしたい気持ちがわくが、この手のゲームで王様が連続するのも場が白ける。そういった空気を読んだ上で踏み躙るのがナツキ・スバルだが、エミリアの先ほどの発言のあとでそれをするのも勇気がいることだ。

 

スバルのそんな内心は別として、顔を上げる周囲の中で手を上げるもの――パックの絵が記されたそれを掲げるのは、スバルの隣に座るレムだった。

彼女は常なら極力無表情を保とうとしている顔の中、その瞳をなぜか爛々と輝かせ、

 

「レムです。王様です。やりました、スバルくん。王様です」

 

「いや、嬉しいのはわかるけどテンション上がりすぎだろ!もっとサクサク命令出していかなきゃ回転率が悪くてしょうがねぇよ。……で、王様、ご命令は?」

 

「あ、そうですよね。レムとしたことが、うっかりでした」

 

見えない尻尾を激しく振るレムがしゅんと下を向き、それからすぐに勢いを取り戻して顔を上げる。そして彼女はスバルをガン見したまま、

 

「では、スバ……一番が、王様をぎゅーっと抱きしめるというのはどうでしょうか」

 

「誰狙いなのか超わかりやすかったけど、俺一番じゃないからね!」

 

スバルが自分のクジを見せると、レムがまるでこの世の終わりとでも言いたそうな顔でその場に崩れ落ちる。王様ゲームの趨勢でここまで落ち込む人も珍しいが、その対象が自分であると思うとそれはそれでむず痒い。

ともあれ、レムの指定を受けた一番は彼女を抱きしめなくてはならないが、

 

「レム、きなさい」

 

「姉様……っ!」

 

クジを掲げ、『1』の記されたそれを見せるラムにレムが顔を上げ、両手を広げる彼女の胸の中に小走りに飛び込む。

美しい姉妹愛――といえなくもない光景だが、妹を抱きしめる姉はその耳元で、

 

「いい、レム。所詮、バルスなんてあんなものよ。レムの願いのひとつも叶えてあげられない器の小さい男。……どうやら、図らずも王を決めるゲームでそれが露呈したようね」

 

「数少ない俺の味方に悪口を吹き込むな!付け加えてこれは王様を決めるゲームじゃなくて、王様が決めるゲームだ!趣旨が狂うだろうが!」

 

「姉様……姉様……レム、挫けません」

 

慰められながら、姉に頬を擦り寄らせるレム。美少女姉妹の仲睦まじい姿を見ていると妄想たくましくしてしまいたくなるところだが、自分の中のそんな感情を自重させてスバルは咳払い。続いてのゲームへ移る。

 

「はい、気を取り直して……王様、だーれだ!」

 

「おっと、ついに私が引いたよ。いざ王様となると……なーぁんだか、案外なにを命令すべきか迷うものだーぁね」

 

『王様』クジを持ち、ひらひらと振りながら微笑するロズワール。

彼のその宣告に、スバルの額を冷や汗が伝う。――この面子の中で、もっとも王様にしてなにを言い出すのかが読めない輩が彼だからだ。

 

古来より、王様ゲームを楽しむものはいくつかのタイプに分類される。

スバルのように、ただひたすらに欲望を口にする『雑食型』。

レムのように個人を集中的に狙い、良い目を見ようとする『肉食型』。

パックのようにのらりくらりと日和見な命令を飛ばして流す『草食型』。

エミリアのように王様ゲームというゲーム性自体を楽しむ『会食型』。

そしてロズワールのように、どう考えても被害者の苦しむ姿を見て愉悦することを目的とした『飽食型』だ。

 

色恋にも、ましてやゲームをやんわりと流そうとも、自分が被害者になる可能性なども一切考慮せず、ただただ己の愉しむために命令を飛ばす存在――それが今、王様のクジを手にした仮初の王の姿。

 

息を呑み、スバルは自分の手の中にある『3』のクジの名が呼ばれないことを祈る。そして、ロズワールは緊張するスバルをちらと見たあとで、

 

「じゃ、三番がタバスカ入りのミルクでも一気飲みでいこーぉか」

 

「おのれ狙ったように、ロズワールぅ!!」

 

「はい、バルスのー、ちょっといいとこ見てみたいー」

 

ロズワールの無慈悲な宣告に、まるで打ち合わせしていたみたいな速度で対応したラムが斑に染まったミルクを持ってくる。

カップの中、タバスカ(異世界風タバスコ)がたっぷりと入れられたそれは混沌の色合いと異臭を放っており、

 

「……いくの?」

 

「王様ゲーム、それは人としての尊厳を確かめる絆のやり取りで……」

 

「それを言われると……クソ!ナツキ・スバルいきます――がぅ、おぼ、喉が……焼け……あぶどぅるっ!」

 

焼ける喉を押さえてスバルが崩れ落ち、半泣きになりながら飲み干したカップをテーブルへ叩きつける。

 

「どうだ、オラァ!やってのけたぞ、オラァ!文句あんのか、オラァ!」

 

「いやいやーぁ、じゅーぅぶんだとも。口直しは禁止として、それじゃーぁ、次のゲームにいってみよーぉか」

 

「てめぇ、次は吠え面を……王様だーれ――ディスティニィィィィ、ドロオォォォォォォォ!!」

 

ロズワールへの怒りから次のゲームへの希望へ移行し、王様を引き当てたことへの歓喜がそれを打ち消す。

高らかに『パック』の描かれたクジを掲げ、スバルは目を爛と光らせ、

 

「よし!二番だ!二番は王様の頭を胸の中に抱き入れる!最低でも次のゲームまでそのままだ!どうだ!」

 

エミリアを凝視してスバルは叫ぶ。

ゲーム参加者は七名で、スバルが王様として抜ければ六人中女性率は四人。エミリアが一番だが、レムであっても王様の役得。ラムでもまあよしといったところで、スバルが指名した『2』のクジを掲げるのは、

 

「お前、俺になにか恨みでもあんのかよぉ――!?」

 

「それはもう完全にベティーの台詞かしら!?お前、なにを考えてるのよ!?」

 

またしても当たったベアトリスにスバルが絶叫し、絶叫が返される。

しかし、王様ゲームは絶対である。すでに下着の命令すら乗り越えたベアトリスにとって、この程度の命令は大した難易度でもないというのもあっただろう。

 

「ほら、さっさとくるがいいのよ。とっとと次にいって、ベティーも今度こそにーちゃにお願いするかしら」

 

「ガッカリしたままお邪魔して……うわ、ホントに小せぇ!なにこのロリ、マジ完全に犯罪の絵面じゃん……どうしたの、お前。状態異常『貧乳』とかにでもかかってんのって痛い痛い痛い痛い!!」

 

「次にふざけたこと抜かしたら、お前の頭皮の時間だけ加速させてつるっぱげにしてやるかしら。ほら、王様だーれだなのよ!」

 

なんだかんだで、一番乗り気でなかったベアトリスがノリノリになると、その後の王様ゲームは熾烈さは別としてテンポ良く進んだ。

以後、いくらかダイジェストして進めると、

 

「今度こそ……!スバルくんが……いえ、五番が王様の額に口づけを……!」

「俺じゃないっていうか、やたら接触を求めてくるな!?」

「あ、私だ。それじゃレム、ちょっとおでこにチューするから……」

「おでこにチューってきょうび聞かねぇな!」

 

「六番が屋敷の中庭……は狭いね。ちょっと裏の山の結界を確認してきてもらおーぅか。軽く、十往復ばかり」

「死ぬわ!病み上がりになんて真似を……お前、俺狙ってない!?」

 

「じゃあ、四番がラム様の部屋を掃除。埃ひとつでも残っていたらしばくわ」

「ラム様ってあたり清々しいぐらい女王様気質だな、お前!っていうか、お前といいロズワールといい狙い撃ち……お前、千里眼使ってねぇだろうな!?」

「……ふぅ、だったらなんだというの、バルス」

「俺が悪いみたいな開き直り方してんじゃねぇよ!おかしいと思ったよ!!」

 

「ディスティニーアゲイン!さあ、四番が王様に愛情たっぷりの手料理を振舞う……またお前か!!」

「焼いて煮込んで乾かしたこれでも喰らうがいいかしら!」

「仲良しさんだね、二人とも。ボクもリアとほのぼのしてたい気分だよ」

 

「おや、ボクだ。じゃあ、最近ボクの中でも波がきてるマヨネーズを、二番にあーんってしてもらおうかな」

「おやおやーぁ、大精霊様ともあろう方がずーぅいぶんと甘えん坊なことだ。その大役を任されるのは光栄ではありますがーぁね」

「誰得映像だよ!隅っこで二人でやってろ!!」

 

「やたっ、ついにベティーの番がきたかしら。にーちゃ……えっと、そう四番がベティーにお腹をモフモフさせるのよ。気が済むまで!」

「こう見えて腹筋割れてます、俺!」

「お前、ベティーに恨みでもあんのかしら!?」

「俺の方がブチ切れしたいわ!なんだお前、俺と仲良しさんか!?」

 

と、ダイジェスト的に流してもわりと悲喜こもごもな結果が繰り返された。

そしてゲーム自体も二十ゲームほどに突入し、疲労感や達成感からそろそろお開きにしようかという流れになりかけたところで、

 

「王様、私っ。えっとね、えーっとね……どうしよっかなー」

 

クジを引き、王様を引き当てたエミリアがひどく楽しげに唇に指を当てて悩む。

その頬がわずかに上気して赤くなっており、少なくない彼女の興奮を示しているのがわかる。やけに色っぽい仕草と相まって変な気分になるスバル。

そんなスバルの前で彼女は「うん」とひとつ頷き、

 

「じゃ、六番がぁ……異性をイメージに合った動物にたとえる?」

 

「六番俺だけど……それって、なんの意味が?」

 

「む。いーの。ほら、スバル!早く、早く!」

 

首を傾げるスバルの前で、エミリアが小さくテーブルを叩いて急かす。なんとも彼女らしくない態度に困惑するが、スバルは顎に手を当ててわずかに悩むと、

 

「まぁ、ラムが猫でレムが犬。ベア子が熊で……エミリアたんが兎かな」

 

「それ、どういうイメージ?」

 

「どんな獣耳付けたらみんな似合うかなと思った結果。気紛れなラムがネコミミで、従順なレムがイヌミミ。寂しがりで可愛いエミリアたんがウサミミで……ベア子はベアーって付いてるからクマミミでいいんじゃね的な」

 

「今、ベティーだけ完全に適当だった気配がしたかしら!」

 

「こんなこと真剣に悩んでも仕方が……あれ、エミリアたんなにを」

 

憤慨するベアトリスを適当に流すと、しまりのない笑みを浮かべたエミリアが両手を掲げる。持ち上げた手を彼女は「えへー」と笑いながら振り、

 

「あんまり細かい造形は得意じゃないんだけど、これでどーだっ」

 

「これでって……おお!」

 

輝きが散り、エミリアの手の中に光が収束する。そして目を見張るスバルの視界に映り込んだのは、エミリアの銀髪に突如として出現した――透明質のウサギの耳を模したカチューシャだ。

目を凝らして見て初めて氷でできているとわかるそれは、スバルのイメージした通りの愛らしさで彼女を飾り立てており、

 

「冷たいわね」

「これって、スバルくんのイメージしてくれた……?」

「正直、納得いかないのよ……」

 

ウサミミを装着したエミリア同様、スバルのイメージしたそれぞれの獣耳の氷カチューシャが女性陣の頭部に出現していた。

ピンと尖ったネコミミがラムの奔放さを、垂れたイヌミミがレムのいじらしい健気さを、丸いクマミミがなんだかんだで甘いベアトリスの気質をそれぞれ反映。

なるほど眼福な光景に思わずその場に膝を突いて拝みたくなるスバルだが、

 

「携帯の電池が心もとなくて写メれねぇのが痛恨すぎる。せめて心のシャッターに焼き付けて……ってか、それはそれとして」

 

女性陣の華やかな(スバル目線)姿を眼球に焼きつけつつ、スバルはこれをやってのけたエミリアの変貌に驚きを隠せない。

命令としてはすばらしいし、王様ゲームをやり始めた本懐が達成されているといっても過言ではない状況だが――エミリアらしくないにもほどがある。

彼女はいつもなら、こういう状況は積極的に止めにかかるタイプのはずなのに、

 

「スバルくん、スバルくん」

 

「どうした、レム」

 

ちょいちょいと、こちらを手招きするレムに身を寄せる。と、彼女はイヌミミ装備の自分の小首を傾けて、

 

「可愛いですか?もしよかったら、頭を撫でたりして可愛がっても……」

 

「可愛いしいつもなら微笑ましいけど、今は俺の疑問を解消してくれるかもなレムの方が好きだな、俺!」

 

「そうですか、残念です。ですので、その疑問を解消して賞賛されたいと思います。エミリア様の様子がおかしいのは、きっと『ファネルの実』の効果です」

 

「ファネルの実?」

 

スバルの疑問の声にレムは「はい」と頷き、自分のエプロンドレスのポケットから小さな木の実を摘まみ出し、

 

「これがそうです。このファネルの実をすり潰して、粉末状にしたものを摂取すると……なんと、自分に素直になってしまうという効果があるんです。驚きですね」

 

「なるほど、驚きだ。……で、なんでエミリアたんがそれを摂取するようなことに?」

 

「たぶん、レムがスバルくんにファネルの実入りのお茶を飲ませようとして、間違えてエミリア様に出してしまったからじゃないかと……あ、スバルくん、ぐりぐりは痛いです、痛いです!」

 

「悪い子にお仕置きだ!ってか、最初にお茶出したときの反応はそういうことか!」

 

王様ゲームの前に、お茶を飲んだスバルに「熱っぽくないか」などと質問してきた真意がようやくわかった。

スバルが服用するはずだったその薬をエミリアが誤って飲んでしまい、その結果が今の楽しげな彼女の姿ということらしい。だがそうなると、

 

「素直になってあれってことは、エミリアたんてば実は案外子どもっぽい……?」

 

「なぁに、そうやってすーぐに二人で仲良くしちゃって……ずーるーいーっ」

 

拳骨をレムの頭に押しつけて、ぐりぐりとお仕置き行動するスバルを見て、エミリアが唇を尖らせながら体を揺する。彼女は拗ねた顔つきでこちらから視線を外し、

 

「優しくしてくれたと思ったら、そんなんだもの。すごーく期待ばっかりもたせて……ひどい。ひどい。ひーどーいーっ」

 

「なんかよくわかんない勢いでご立腹なんだけど、どうしたらいい!?」

 

子どもみたいな癇癪を起こし、テーブルに上体を倒してしまうエミリア。見たことのない彼女の姿にどうすべきかと助けを求めれば、

 

「そうね、バルス……とりあえず、この状況を作ったのはバルスなんだからうまいことやりなさい」

 

「それがいいと思うかしら。にーちゃ、こっちきてベティーとお茶でもするのよ」

 

「こうしてるリアも可愛いけど、今は離れてた方が無難かなぁ。じゃあ、あとは任せたよ、スバル」

 

「そーぉれじゃ、わーぁたしも書類仕事に戯れる作業へ戻ろうかなーぁっと」

 

「お前らの仲間甲斐のなさにはビックリしたよ!もう頼らねぇよ!」

 

ぞろぞろと役目を放棄して逃げ出していく面子を見送ると、食堂に残るのはスバルを除けばエミリアとレムの二人だけ。

合計が三人では、とてもではないが王様ゲームを続けられるはずもない。

 

「仕方ねぇ、今回はこれでお開きにするか。……問題はそれより、このエミリアたんをどうするかだけど」

 

「やだっ。やーだー!もっと遊ぶ!遊ぶのー!」

 

「自分に素直っつーより、幼児退行だな、これだと。……素直になった結果が、こうやってヘタクソな甘え方なのかと思うと切ない気もするな」

 

首を振ってゲーム終了を嫌がるエミリア。彼女をどうにかなだめようと手を伸ばすが、お子様状態の彼女は聞き入れてくれそうにない。

しまいには戸惑うスバルを置き去りに、エミリアはテーブルの上のクジを引っ張り、

 

「はい、私っ、『王様』!えっと、一番!一番が命令を聞くの!」

 

「エミリアたん、王様ゲームは王様だけじゃ成り立たなくってさぁ……」

 

「レムが引いたのが二番ですから、必然的に一番はスバルくんになりますね」

 

「レムさん!?」

 

まさかの裏切りにスバルが振り返れば、『2』のクジを手にしたレムがひらひらとそれを振っている。そして彼女は唇にそのクジを当てて、「今だけですよ」と小さくスバルにだけ聞こえるように呟き、

 

「エミリア様、どうぞご命令を。王様の命令を聞くのは、臣下の務めですから」

 

「じゃあね、一番がね、スバルがね……」

 

「……お手柔らかに頼むよ。もう走り疲れて膝から下がガクガクだし、いまだにお口直ししてないからまだちょっと喉とか焼けてるし、そのあとの手料理がひどかったし」

 

困惑しつつも受け入れる体勢になるスバル。

エミリアがこうしているのも珍しいし、こうなればどんな命令でもバッチコイといったところだ。なるべく、体に負担と後遺症が残らないものが望ましいが、

 

「頭、撫でてほしい」

 

「へ?」

 

思わぬ言葉が聞こえた気がして、スバルが戸惑いに声を上げる。

そうして目を見開くスバルをエミリアは真っ直ぐに見つめて、

 

「頭、撫でて。いつもレムにしてるみたいに、優しく」

 

「え、ってか、それでいいの?」

 

「いーのっ、早く。はーやーくっ」

 

足をじたばたとさせ始めるエミリア。彼女のその仕草に背中を押される形で、スバルはエミリアの隣へ体を寄せると、彼女の長い銀髪へゆっくりと手を伸ばし、

 

「これで、いいの?」

 

「もっと優しく……うん、そんな感じ」

 

指の中を銀色の髪が滑らかに落ちるのを感じながら、スバルはエミリアの要望通りに頭を撫でる。命令、という意識が先立っているのが幸いし、指先に彼女へ触れることへの緊張の震えが伝わらないのが救いだった。

こうして間近に彼女を置き、その髪に触れるのを許される――そんな事態、心構えもなしに舞い込んでくるとは思っていなかったものだから。

 

――王様ゲームに不埒な命令を持ち込もうとしたわりに、小心な男である。

 

そしてそのまま、

 

「……あれ、エミリアたん?」

 

「――――」

 

無言のエミリアに違和感を覚えて彼女を見れば、テーブルに上体を預けたまま彼女は眠りについてしまっているようだった。

安らかな寝顔、その横顔に満足感のようなものが宿るのを見届け、

 

「お休みになってしまいましたね。ファネルの実は強い眠気も引き起こしますから」

 

「素直にさせて眠くなったあとの俺をお前がどうしようとしてたのかはこの際追及しないとして……それで、エミリアたんの王様ゲームに付き合ってやったのか」

 

「エミリア様も、たまには心から安らいでいる時間が必要だと思います。ただでさえ、エミリア様の肩にかかる重みは並大抵のものではないんですから」

 

それまでのおとぼけぶりが消えて、普段の万能メイドの装いを取り戻すレム。彼女は眠るエミリアの髪を軽く撫で、それからスバルを見て、

 

「お部屋までお連れしますけど……スバルくんが抱き上げますか?」

 

「合法的にエミリアたんに触れるチャンスで、おまけに絵面的にレムにエミリアたん持たせる最悪さを考えれば、選択の余地がねぇな」

 

苦笑して、エミリアをそっと抱きかかえる。

見た目以上に軽い少女の重みが腕にかかり、スバルはその軽さに驚きつつも上階――彼女の部屋を思い浮かべる。

 

「たまにはこうして、気ぃ休める時間があってもいいだろ。楽しかったしな」

 

「はい、またやりたいですね。お片づけはありますけど」

 

食堂の扉を開き、レムがエミリアを抱くスバルを先導する。

彼女の言に首を傾けて後ろを見れば、なるほどそれなりの惨状が食堂には爪痕として残っているのがわかった。

このあと、レムと力を合わせてこれらの痕跡を片付けなくてはなるまい。どうせ、ラムは手伝ってくれないのだろうし。

 

「その氷のイヌミミって溶けねぇのかな。いつまで付けてるの?」

 

「溶けるような次元の造りじゃないですね。……スバルくんが望むなら、ずっと付けていますけど」

 

「可愛いけど乱発するもんじゃないな。また、次の王様ゲームで見せてくれ」

 

「――はい。では、そうしましょうか。約束です」

 

レムが幸せそうに微笑み、スバルも思わずつられて笑みを浮かべる。

腕の中で身じろぎするエミリアの表情もどこか安らかで、まるで二人の笑顔を見ていたみたいに微笑するものだから、なんだか心が温かかった。

 

※※※※※※※※※※※※※

 

――これは、王都でスバルとエミリアが仲違いをすることになる、ほんの五日前の出来事。

 

スバルも、エミリアも、そしてレムすらも、この先に待つ波乱の運命を予想していない。

ただ、ひとつだけ、記すべきことがあるとしたら。

 

――約束が守られることはなかった。

 

ロズワール邸の今の七人が顔を合わせて、こうして王様ゲームに興じることはもう二度と、なかった。