『役者は揃った』
腰あたりに飛びついて、軽い体を抱き寄せながら地面を転がる。
床にぶつかる寸前に、鋼が後頭部の髪を焦がしていったような気がして総毛立つ。も、腕の中の重みを理由に無理やり気のせいにして、転がるままに距離を取った。
膝立ちの状態で振り返ると、驚いた顔をして立ち尽くしているエルザ。彼女から一本取ってやったような気がして、してやったりとひきつる笑みで勝ち誇る。
そのスバルの笑みにエルザは動きかけたが、背後から氷柱の連射に防御へ移行。偽サテラの援護に感謝しつつ、スバルは己の胸の中を見下ろし、
「大丈夫か!?必死だったんだから、変なとこ触ってても大目に見ろよ!?」
「それ言わなきゃ素直に感謝したってのに。――っつか、どうして」
「知らねぇよ!体が動いたんだよ!マジ奇跡!メイクミラクル!しいて言うならお前は知んねぇだろうけど、これで貸し借りはなしだかんな!かんな!」
フェルトを解放し、スバルは拳を握りしめて自分の行動にどうにかGJ。
二回目の世界で、エルザの凶行から助けてくれたフェルト。その借りを彼女に返すことができた。この世界では意味のない記憶で、けっきょくはスバルもフェルトも彼女の凶刃の前に倒れることになってしまったのだが。
――それでも、受けた恩義は消えてなくならない。そして動けたのならば、このあとにしなくてはならないことも決まっている。
「よし、どうにか動く。いっぺん死にかけて逆に覚悟決まったか。空元気でも元気、蛮勇も勇気。やる、やるとき、やらねば、やるべし、やったらんかい!」
「お、おい、兄ちゃん……」
「よく聞け、リッスンミー。いいか、フェルト。俺は今から、討ち死にしたロム爺とおんなじ感じで時間を稼ぐ。どうにか隙の一個でも作ってみせっから、その間にお前は逃げろ。わき目も振らずに入口から全力疾走。エスケープだ、いいか?」
「――!よくねーよ!なんだそりゃ、アタシにケツまくって逃げろってのか!?」
赤い双眸が睨むように見上げてくるのを、スバルは顔を近づけて受けて立つ。
一瞬、こちらの気概にフェルトが怯んだような顔をするのを見逃さず、
「そうだ、ケツまくって尻尾巻いて逃げちまえ。本当なら俺がそれやりてぇんだぜ。こんな暴力空間、一秒だって長居したくねぇよ」
その金髪を力任せに撫でつけて、スバルは「でも」と息継ぎし、
「お前は十五で、俺は十八。たぶん、お前が一番年下ってことになる。したら、お前が生きる確率が一番高いとこを選ぶのが当たり前だ。当たり前なんだよ」
「な、んだよそれ……ふざけんな、さっきまでぶるってた癖に」
「さっきはさっき!今は今!今、ぶるってねぇからそれでよし!っつか、思い出して動けなくなる前にやるんだよ。っつーわけで、とっとと逃げろや」
まだ反論したがる額を押して黙らせ、スバルは屈伸しながら立ち上がる。と、足下に転がっているのはロム爺の手を離れた棍棒だ。
えっちらおっちら持ち上げると、やたら重いが振れないこともない。
「一発、牽制ぶちかましてやれるな。……無駄にでかい素振り用の竹刀、毎日振ってて正解だったぜ。まさかこのときのためだったのか、やるな俺」
自画自賛して棍棒を振り、スバルは息を殺してタイミングを見計らう。
背後で息を詰めたフェルトはまだなにか言いたげだったが、彼女の躊躇に付き合っている暇がない。時間がたてばたつほど、全員の生存確率は減っていくだろう。
正面、氷塊と踊るエルザの動きによどみはない。もともと、隙があるかどうかなんて実戦経験の皆無なスバルにはわかるようなものでもない。
意識がこっちから外れたと確信できるタイミングで、声も上げずに奇襲をぶちかますのが選択肢としては最良だろう。
故に、一際大きな氷柱を切って落とし、エルザの視界が完全にこちらを死角に入れた瞬間、スバルは呼吸すら忘れて棍棒を振り下ろしていた。
「――ふし!」
火事場の馬鹿力が出たのか、振られる棍棒の速度は予想以上の加速度。
直撃すれば人間の頭部をスイカのように割り砕いたろう一撃はしかし、
「狙いは上々。でも、殺気が出過ぎてて見え見えなのが残念」
「殺気か!それの制御方法は知らねぇや!」
真後ろからの打撃に対し、エルザは刃の峰で棍棒を叩き、軌道をそらして回避を実行。奇襲失敗の負け惜しみを口にしながら、しかしスバルは牙を剥き、
「今だ!いけよ、フェルト――!!」
「――――ッ!!」
スバルの叫びに弾かれるように、フェルトの矮躯が風に乗って駆け出す。
速度は一歩目からトップスピードだ。まさしく目にもとまらぬ速さで室内を駆け抜け、氷柱の障害も凍結した床も踏破し、少女の体は出口を目指す。
「行かせると思う?」
それを真横から阻むのは、エルザが懐から抜き放った投げナイフだ。
先ほどのフェルトの妨害の意趣返しか、シンプルな装飾のそれは真っ直ぐに、逃走するフェルトの背中を狙い撃っている。が、
「行かせてほしいなってのが願いだ!!」
真横にあったテーブルを蹴り上げて、スバルはそのナイフの進路を阻んだ。
反射的な行動は結果に結びつき、ナイフは跳ねたボロ机に突き立つことで役目を果たせない。内心で自分のミラクルぶりに思わず喝采。して、
「すげぇ!でも思いのほかつま先が痛……ぶふがるっ!?」
長い足に側頭部を蹴り飛ばされて、自己賛美の言葉が中断、壁に激突させられる。
肩口からぶつかっておかげで頭は無事だが、予想外の威力に思考が停止。遅れてやってきた痛みと、口の中を再び盛大に切って血の味のリフレイン。
「珍しく、少しだけ腹立たしいと思ったわ」
「むかっ腹上等!ははーん、ざ・ま・あ・み・さ・ら・せ!まんまとひとり、逃がしてやったぜ!この調子で、レッツエンジョイ負け犬気分!」
立ち上がって気丈に振舞い、エルザの注意を惹くように挑発+煽りまくり。
性格的に大した効果は見込めない作戦だが、彼女はスバルの意を汲んだように微笑みを深く刻み、逃げるフェルトを完全に意識から外した。
「いいわ、乗ってあげましょう。その代わり、ダンスの退屈はさせないでね」
「言っとくが、俺と踊るなら覚悟しろよ。教養ねぇからバンバン足踏むぜ」
好きなあの子と繋げなかった、フォークダンスを思い出して若干の精神ダメージ。
口の中に溜まる血を吐き捨てて、手放していなかった棍棒を握り直す。
そう何度もチャンスのある武器ではない。それこそ、ロム爺と同じ運用など考えず、接近してくるエルザを迎え撃つのみに心血を注ぐのみ。
「こっちの相手も、忘れないでよねっ!」
正面からの相対、それを背後から急襲する氷の飛礫。
後ろを振り返りもせずに刃を振るい、それをことごとく打ち落とすエルザ。その人知を超えた超感覚に、さしものスバルも軽口を続けられない。
「そのお遊びもそろそろ見飽きたのだけれど……まだ私を楽しませられそう?」
問いかけは低く、微笑は血の色をしていた。
背筋にゾッと寒気が走るような笑みを見て、スバルはちらりと偽サテラとアイコンタクト。視線に応じる彼女に軽く顎を引いて、
「秘められた真の力とかがあるなら、今のうちに出しといた方がいいと思うぜ」
「……切り札はあるけど、使うと私以外は誰も残らないわよ」
「まだやれる!まだやれるよ!カード切るの早いって!なんでそこで諦めちゃうの!こっからこっから、まだまだイーブンだよ!ファイト俺!」
手足をばたつかせて健在ぶりをアピールし、偽サテラが全てを諦めるのを必死で阻止。そんなスバルの必死の形相に、戦いの最中だというのに少女はほんのわずか唇をゆるめ、
「やらないわよ。まだこんなに一生懸命、あなたが頑張ってるのに。足掻いて足掻いて足掻き抜くの。――親のすねをかじるのは最後の手段なんだから」
仕方なさそうに、そう語る少女の表情を見て、スバルの中でなにかが灯る。
らしくない感傷だと、今の自分の中に込み上げる感情を顧みてそう思う。
らしくない、まったくもって、本当にこんなのは自分らしくないのだ。
いつだって周りに無関心で、あらゆる事柄に影響を与えず、どんな問題が立ちはだかろうとマジメにぶつかることを選ばず、ただ漫然と雲かなにかのようにうつろう。
誰かに期待することも、逆に期待されることも、全部全てなにもかも、どうでもよかったはずなのに。
――今、期待してしまっている。期待したから、失望してしまっている。
張り詰めたような顔で、思いつめたような顔で、ずっとなにかを探し求める彼女の横顔を見せられていたから、そんな彼女の微笑む顔が見てみたいと思っていたのに。
諦めてしまいそうな、受け入れてしまいそうな、そんな弱々しい表情の変化が、初めて得た彼女の『笑み』だなんてとても許せない。
「ノーカウントだ……」
「――え?」
「さっきの俺の言葉はなし!全部なし!マジ燃えてきた、バーニング!!やってやるぜ、クソだらぁ!切り札なんざ、絶対に切らせねぇ!!」
指を突きつけて、偽サテラとエルザの両方に宣言する。
足を踏み鳴らし、唾を飛ばして、感情のままに吠えたける。
「んな面すんじゃねぇよ、美人が台無し!そんでもって、そんな面させてんじゃねぇよ、空気読めや、サディスティック・オブ・ジ・イヤーが!美人が台無しアゲイン!」
「……元気が有り余っているようね」
「今回は一回も流血沙汰してないかんね!でも、今宵の棍棒『虎鉄』はお前の血に飢えてるぜ?ふん!ふん!」
その場で棍棒をバットのようにフルスイング。
重さに引っ張られておたおたとふらつくスバルに、エルザはククリナイフを向けて、
「おふざけはもうけっこうよ。踊りを始めましょう。ちゃんとついてきてね」
「お前の方こそ、早々に沈むんじゃねぇぜ。右投げ左打ち、舐めんなよ」
軽く身を前に傾けるエルザに、ホームラン予告のように棍棒を突きつける。
そんな余計なアクションのせいで、飛び込んでくるエルザへの最初の対処が遅れる。慌てて棍棒を構え直し、飛んでくる細身を迎え撃つアクション。
豪風は横殴りにエルザに襲いかかり、その側頭部を吹き飛ばしにかかる。
容赦ゼロのフルスイングは惨劇覚悟の渾身の一発、直撃すれば一部挽肉になってもおかしくない威力だが、
「そんな慈悲ってて勝てる相手か!」
状況の切迫さがスバルに手加減の心を忘れさせる。
致死性の高い打撃に対し、しかしエルザは慣れた動きでさらに姿勢を低くし、それこそ地を舐めるような移動でこれを回避してきた。
「蜘蛛女が――!」
「糸に絡め取られたのは間違いないけれどね」
伸び上がってくる刃が見えて、とっさに体を後ろへ倒す。が、追ってくる刃の攻撃範囲からはまるで逃れられていない。
瞬きすら忘れそうになる刹那の瞬間、スバルの脳裏をよぎったのは自分が初めて二本の足で畳みの上に立ち、両親が「この子は天才かもしれない」と手を叩いた記憶。
「走馬灯な上に今の状況顧みると申し訳なくなることこの上ない思い出――!!」
思い出を原動力に恥辱が膝を跳ね上げる。
狙いも付けずに放たれたそれが、真正面に滑り込んできていたエルザの胴体を打つ。
「ふぅっ」と艶めかしい苦鳴が聞こえて、刃の進路がわずかにぶれた。そこへ、
「氷の盾――ナイスカバー!!」
「狙ったところに作るのは得意じゃないの。――危うく、氷の彫像ができるところだったわ」
「俺じゃなくてエルザのだよね!?」
顔面付近に出現した氷塊が刃を妨げ、お礼を言いながら飛びずさるスバルに偽サテラが額を拭う仕草をしつつ述懐。
直後のスバルの言葉に彼女は返答を濁し、氷の弾幕がエルザへの牽制を再開する。
「羽虫がそろそろ目障りになってきたわ。――落とし所かしら」
「おうおう、虫けら舐めんなよ。刺されてかぶれても知らねぇぞ!」
「安全地帯からものすごーく、えらっそうね」
弾幕避けに集中するエルザ、その集中を乱してやろうと挑発するスバル。
本来ならば弾幕に紛れてエルザの背中を狙いたいのだが、うっかり攻撃に混ざろうとするとフレンドリーファイアしそうでなかなか踏み出せない。
偽サテラの援護が、スバルが攻撃に移った際に薄いのもそれが原因だろう。
いわゆる、即席チームならではのチームワークのなさである。
「しかし、そんな二人も共に試練を乗り越えることで互いの絆を深めていく。いつしか信頼は愛情へと変わり、燃え上がる二人は誰にも止められない……」
「ぼそぼそ小声でなに言ってるかわからないけど、すごーくくだらないのだけ伝わる」
「女を前にして、別の女のことを考えるなんて、野暮なことこの上ないのだけれど」
「まさかの二人からのブーイング!!」
連撃の最中にもどこか余裕のあるエルザ。
氷塊を弾くその動きを目で追い、たまに割り込んで一撃離脱を繰り返しながらスバルは思考することをやめない。
じり貧の状況に変化はなく、エルザがその気になれば、スバルもまたロム爺のようにあっさりと撃沈されるのは火を見るより明らかだ。
こうしていくらか『打ち合えて』いるように見えるのは、彼女側が圧倒的力量でもってこちらを侮っているからにすぎない。+スバルのビビり思考があと一歩、致命的な範囲への侵攻を躊躇わせているのも要因のひとつだ。
もしもスバルが勇猛果敢など素人なら、一太刀でこの均衡は終わっていたろう。
とはいえ、そんな小心っぷりが有効に働くのもそう続きはしない。
次第に斬撃の苛烈さは増し、スバルの緊急回避も間に合わずに切り傷が増える。
二の腕、ふくらはぎ、脇の下、かろうじてうなじと浅い傷が増え始め、灰色のジャージにも止まらない出血で血痕が目立ち始めていく。
「切れるの痛ぇ!超痛ぇ!こんなにしょぼい傷で泣きそうになるわ!」
「――やっぱり駄目かも」
「あ、ごめん!嘘!今のなし!だから諦め気味に切り札切ろうとするのやめて!まだやれるよ!全然マジマジ超余裕ッス!」
手を振って偽サテラにかっこつけ、その直後に回し蹴り。
これまでの棍棒パターンから一転、奇をてらうのが目的の格闘技だ。が、
「はい、掴んだ」
「げ」
蹴り足がゆうゆうと避けられ、おまけに通り過ぎる前に軽く掴まれる。振り上げるククリナイフはスバルの上がった足の付け根を狙っており、勢いはばっさりと足を切り落として余りある速度と鋭さ。
大腿部切断による出血と痛みのショック死――BADEND4の文字が見える。
「ぬおおお!燃え上がれ俺の中のなにかーーー!!」
とっさに利き手が掴む棍棒をガードに回すが、重いのと片足立ちのハンディキャップで間に合わない。
声にならない偽サテラの悲鳴が走り、斬撃が容赦なくスバルの足に到達。
激痛と鮮血の予感に文字通りに血を吐く絶叫を上げ――、
「――そこまでだ」
屋根を貫き、盗品蔵の中央に燃え上がる炎が降臨する。
焔はすさまじい鬼気でもって室内を席巻し、エルザの蛮行すらもその動きを止めた。
足が解放され、たたらを踏んで下がったスバルは思わず尻もちをつく。
そして眼前、もうもうと埃と噴煙をたなびかせる中に、真っ赤な輝きを見た。
「危ないところだったようだけど、間に合ってなによりだ。さあ――」
「お、お前は……」
炎が揺らぎ、足を前に踏み出す。
向かう先は大きく飛びずさったエルザ。彼女はククリナイフを握り直すと、その表情から初めて余裕を消して、正面の存在に相対する。
その圧倒的な威圧感の前に、もはや戦いを余興として楽しむ余裕などあるはずもない。
スバルも、偽サテラも、エルザすらも表情を凍らせる威容。
室内の視線を一身に集めて、なお欠片も揺らがないその端正な面持ち。
ただひたすらに純粋な、『正義感』を空色の瞳に映した青年が、かすかに微笑み。
「舞台の幕を引くとしようか――!」
紅の髪をかき上げて、イケメンが高らかにそう謳った。