『賢者の行方』
予想外の悪戦苦闘に、プレアデス監視塔第六層には激戦の余波が広がっていた。
立ち込める砂埃、汗と泥に塗れて組み合う男女。
そして、その二人を冷めた目で見る、それ以外の面々――。
「なんだよ、その目!俺が、俺が悪いってのかよ!?俺は悪くねぇ!俺は悪くねぇ――!!」
「スバル、あまり幻滅させないでくれ」
「少しはいいところもあると思ったけど、所詮、バルスはバルスね」
シャウラにいいように組み伏せられるスバルに対する、降りてきたユリウスとラムの感想はそんなところだった。
ともあれ、
「無事に合流できたのは僥倖だ。君が目覚めてくれたのも朗報だが……状況は、どうやら口頭で説明もらえないと理解に苦しむ」
「俺も説明できるもんなら……クソ!離せ!」
「いーぃやーぁッスーぅ!」
スバルの腕にしがみつくシャウラを見て、剣の柄に手をかけていたユリウスが肩をすくめる。彼女に攻撃の意思はない、と見取ったが故だろう。その点に関してはスバルも合意するが、それとは別に引き剥がすのに苦労しているのは事実。
「見てないで、剥がすのに力貸せよ……!こいつ、すげぇ怪力で……」
「鼻の下が伸びてるわよ、バルスケベ」
「伸びてねぇし、組み合わせんなよ!応用するな!エミリアたん痛い!髪の毛引っ張ってもあんまり助けにはならないかな!?」
「あ、ごめんなさい。全然、助けようとしたんじゃないの」
「そこ謝んだ!?」
強情なシャウラはスバルの腕を離さず、エミリアはなんだかやけに無表情でスバルの髪の毛を引っ張ったりしている。ちなみにスバルとシャウラのもみくちゃに巻き込まれたベアトリスは目を回しており、「きゅー」と赤い顔で潰れている有様だ。
「なんや……あんな大変やったのに、えらい空気の変わりようやね」
「お兄さんが起きたからなんじゃなあい?うるさいのは苦手だけどお、お兄さんが起きたのは良かったと思うわあ」
ユリウスとラムに遅れて、ゆっくりと階段を下りてきたアナスタシアとメィリィも合流する。これで、治療中という話のレムとパトラッシュ以外は集合だ。
集合したはいいが、このままでは落ち着いておちおち話もできやしない。
「と・に・か・く!全員落ち着け!――話を、しよう」
※※※※※※※※※※※※※
寝起きの喉を酷使して、事態の収拾を図ったスバルにひとまず全員が従う。
といっても、車座になって集まる一団の中、シャウラはスバルの右腕にしがみついたまま離れないし、スバルの左側には肩が触れるかどうかの距離にエミリアが正座。そして膝の上にはベアトリスが陣取る、なんとも傍目には贅沢な布陣だった。
「いやらしい」
「お前、さっきまでの惨状見てた?俺の右側、俺が望んでこうしてるように見えるか?骨が凄いミシミシいってんだぞ。このままだと壊死する」
吐き捨てるラムに言って、スバルは拘束される自分の右腕を見る。
半裸の美女に抱き着かれている、と字面にすれば夢のような体験だが、実態は彼女の肌の柔らかさを体感するより、完全に極められた関節の痛みと絞られる腕の肉、骨や神経などへの影響の方が怖い。端的にいってもげる。
「で、腕が根本からもげる前に話を進めたくはあるんだが……その前に、まずはみんなよく無事だったな。レムとパトラッシュを未確認なのは怖いんだが……」
「まだ疑ってるかしら。大丈夫なのよ。ちゃんと、みんな無事かしら」
「ベアトリス様の言う通りだよ。とはいえ、君の不安や心配は正当なものだ。あとでちゃんと見舞うといい。――さすがに今回は皆、肝を冷やした」
再会を喜ぶスバルに、ベアトリスとユリウスも首肯する。
ユリウスは改めて、砂海で別れた直後のことを回想するのか渋い顔を作り、
「空間が割れた直後、君とアナスタシア様、ラム嬢を除いた我々はあの魔獣の花畑の彼方に落ちてね。そこで紆余曲折を経て、監視塔に匿われるに至った」
「でもお、お兄さんたちはいないしい、戦えないのがわかってたから心配したわあ」
先のベアトリスの説明をなぞるユリウスに、メィリィも膨れ面で同意した。
なるほど、彼ら彼女らの不安も当然だろう。砂海の地下に落ちた時点で、スバルたちも相当、いなくなった彼女らを心配していたのだが、お互い様だったわけだ。
「お姉さんったらすごおい取り乱しちゃって。その賢者さんに噛みついて大変だったんだからあ。今でも、思い出すと怖いくらいだったわあ」
「ちょっと、メィリィ。そういうことは言わなくていいの」
年齢不相応のメィリィの流し目に、エミリアが赤い顔をして反論する。少女の発言が誇張でないのは、耳まで赤いエミリアの反応で丸わかりだ。
不謹慎ではあるが、心配してもらったのは素直に嬉しい。
「そっかそっか、エミリアたんは心配してくれたか。ベア子も大泣きするほど心配してくれてたみたいだし、俺は果報者だよ」
「もう、スバルはまたそうやってふざける。……それに、ベアトリスも大泣きなんてしてないわ。半分くらいよ。そうよね」
「気遣うならちゃんと最後まで気遣えなのよ、この天然……!」
「――?」
涙目になった事実までは暴露されて、ベアトリスが拗ねるがエミリアは気付かない。そんな微笑ましいやり取りに頬を緩めつつ、スバルはユリウスを見上げた。
「そうなると、お前も相当ビビっただろ。その面が見れなかったのは残念だった」
「無論、大いに動揺したとも。君はともかく、アナスタシア様にラム嬢だ。か弱い女性二人、手の届かないところへ離れたのは痛恨だった。顔を青くして右往左往する姿を君たちに見られず、今は細い肝を安心させているところさ」
「ビビッて手も足も出なかった話がなんでそんな優雅な感じに仕上がるの?」
癖のように自分の前髪に触れて、微苦笑するユリウスにスバルは唇を曲げる。
強がるでもなく、弱々しいところを見せるでもなく、なんとも面白くない結果だ。すると、そんな二人のやり取りにメィリィが小さく噴き出す。
何事か、と目を向けると、彼女は自分の三つ編みを口に当てて、
「なあんでもないわあ」
と、意味深に笑って誤魔化すばかりだった。
「まぁ、逸れたみんなが俺たちを心配してくれてたのは了解したよ。誰も欠けてないって結果があるから、振り返って笑い話にもできるけどな」
「そこまで豪胆で図太いのはバルスぐらいのものよ。ラムの細い体と小さな心臓は、今でも思い出すと不安と恐怖で張り裂けそうだわ」
「俺の知ってる中で、一番心臓に毛が生えてそうな姉様が何か言ってる?」
実際、スバルの知人の中でも屈指の強メンタルを誇るのがラムだ。当然のように彼女の発言はスルー対象の戯言だが、正面に座るラムの顔を今はじっと見てしまう。
白い肌に薄紅の瞳。言うまでもなく整った顔立ちと、涼やかな美貌。可憐と優美の狭間にある妖しげな果実のような麗しの顔貌。どう見ても、いつものラムだ。
「――不愉快な目はやめなさい。じっと見て、何のつもり?」
「いや、ラムだよなぁって思って」
「これはもうダメね」
「何の主語もなしに判定するのやめろよ!そうじゃなくて……」
スバルの言葉を軽口と切って捨てるラムに、スバルは口をまごつかせる。
脳裏に浮かび上がるのは、地下で意識を失う寸前の出来事――ケンタウロスの前に立ちはだかり、負傷した身でスバルを庇っていたラムだ。
あちこちに傷を負い、勝算もなしに強敵に立ち向かう華奢な後ろ姿。ああして傷付くことを恐れない姿に喪失の恐怖を味わい、今、無事に二人とも生還している。
その事実を、普段通りに不敵な彼女と言葉を交わすことで実感した。
「やっぱり、この距離感だよ。変に憎々しくなったり、深刻になったりもしたけど、思い返せばあれも……いや、さすがにあれはいい思い出にはならねぇな」
「ぶつぶつと何が言いたいのかわからないわ。スパッと言いなさい。男らしく」
「お互い、無事でよかったなぁと。あと、最後は守ってもらって助かった」
「……時間の無駄だったわね」
「そういうこと言う!?」
人が素直に感謝を伝えたというのに、まったく伝え甲斐のないお嬢さんである。
と、そんな風にむくれるスバルに、エミリアが含み笑いした。
「大丈夫よ、スバル。ラムはちょっと照れてるだけだから」
「姉様が照れる……?天変地異の方が説得力あるよ?」
「そ、そんなことないわよ。たぶん、ラムが目覚めるまでずっとスバルが抱きしめてたから、それでバツが悪いみたい。離れるときも乱暴だったし」
「エミリア様!」
こっそりと耳打ちしてくれたエミリアだが、その言葉にラムが猛烈に反応する。彼女はエミリアの唇でも読んだのか、珍しく目尻をつり上げて、
「あまり自分の基準で物事を考えない方がよろしいかと思います。ラムは人の心がわからないポンコツにお仕えしたいとは思いませんから」
「……そのポンコツって、私のことじゃないわよね?」
「ええ。エミリア様がちゃんと人の心が考えられる、ポンコツと無縁の存在なら、何の関係もないすっとこどっこいのお話になります」
「そうよね。えーと、ちょっと考えるから待ってて」
ラムの壮絶な皮肉塗れの暴言に、エミリアは真剣に考え込み始めた。その間、ラムはスバルを刃のような眼光で睨みつけ、「忘れろ」と唇だけ動かした。
その剣幕にスバルは思わず頷いて、それから目覚めたとき、自分のベッドに誰かが一緒に寝そべっていた痕跡があったことを思い出す。あれはてっきりベアトリスだと思っていたが、どうやら今の話を総合すると――。
「おっと、忘れた忘れた。忘れましたって」
「よろしい。ポンコツ……ではなく、エミリア様。もういいですよ」
「うー、ラムってだんだん、私に遠慮がなくなってきてない……?」
エミリアが非難の目を向けるが、ラムは素知らぬ顔でそれを受け流した。
とにかく、もうその点に触れてほしくないらしいラムから視線を逸らし、スバルは同行者の最後の一人、アナスタシアの方へ目を向ける。
彼女はユリウスの隣にちょこんと座り、いつものように帽子の飾りであるボンボンを弄って遊んでいたが、スバルの視線に気付くとはんなりと微笑む。
「ああ、お話終わった?ナツキくん、うちのことなんか忘れてもうたかと思ってたわ」
「身内優先のエゴぐらいは許してほしいな。そっちも、無事で何よりだ。地下の最後の戦いだと、もう何が起きてたのかわからなかったから」
「うちも真っ暗闇に投げ出されて怖い思いさせられたけどな?ナツキくんとラムさんと……あと、パトラッシュちゃんが奮闘してて魔獣には無視されとったから。そこで役立てなかった分、交渉では役立ったつもりやけど」
「交渉?」
「そこの、助けてくれた『賢者』さんとの、やね」
アナスタシアがスバルの右腕、そこで未だに頬擦りしているシャウラを指差す。
これと交渉、と聞くとスバルが渋い顔をするが、アナスタシアは苦笑した。
「いやいや、うちらも困惑しとるんよ。やって、さっきまでは押しても引いてもなぁんにも答えてくれんかった人が、ナツキくんにこんなメロメロなんやもん」
「無口?これが?」
「これじゃなく、シャウラッス。お師様~」
「うぜぇ……」
肩をすくめるアナスタシアと、むくれるシャウラにスバルはげんなりする。
確かに状況だけ見ると、アナスタシアたちの方にも一言あるだろう。だが、スバルにはスバルで言い分がある。実際、何もかも予想外の状況だ。
「いきなり好感度百ですり寄られると、相手が美人でもこっちの好感度がゼロだから戸惑うなんて話じゃないんだよな……」
「――!今、あーしのこと美人って言ったッスか!?」
「都合いい耳だなぁ、オイ!」
改めて、スバルは空いた左腕でシャウラの頭を押して引き剥がそうとする。が、そうすればするほどもがくシャウラの腕力は強まり、スバルは降参だ。
結局、右腕にしがみつかせたまま、息を荒げるスバルは「仕方ねぇ」と首を振り、
「今は些細なことは後回しにして、話すべきことを話そう。いちいち、説明不足で右往左往するのは御免だ。色々話してもらうぞ、お前には」
「はいはーい、お師様の言うことならえんやこらーッス」
「なるほど、協力的で非常に助かる。では、お尋ねしたい。あなたはこのプレアデス監視塔に隠遁した『賢者』……という認識でよろしいでしょうか?」
「ぷいーッス」
「答えろよ!話すって言ったばっかじゃん!」
友好的に笑っていたかと思いきや、ユリウスの質問には露骨に顔を逸らすシャウラ。その態度の悪さにスバルが怒鳴りつけると、シャウラは膨れ面をスバルに向けた。
「やれやれ、とんだお師様ッス。誰に何を聞かれても、余計なことは言わない話さない教えないっていうかぶっ刺せって言ったのはお師様ッスよ。あーしはその教えを忠実に守ってるだけッス。怒られるなんて心外ッス!訴訟ッス!」
「そのお師様だいぶひでぇな!」
「そそ。お師様スゲーひどい人なんス。深く反省と陳謝を求める所存ッス」
「だから、人のことを勝手にお師様お師様と……なに、エミリアたん、その目」
スバルとシャウラの珍妙な会話劇に、エミリアがその丸い目を細めている。まさかまたしても謎の発作かとスバルは身構えるが、エミリアは「ううん」と言葉を継ぎ、
「大したことじゃないかもしれないんだけど……なんだろ。スバルとそのシャウラって子の喋り方、雰囲気が似てない?」
「俺、こんな下っ端口調で喋ってないよ!?」
「そうじゃなくて、言い回しっていうか。ほら、スバルっていつも真剣な話してても悪ふざけするでしょ?あんな感じがするの」
「そんな風に思われてたの!?」
心外な評価が飛び出したことにスバルは仰天するが、エミリアは気にした風もない。それどころか、
「ふむ……確かに言われてみれば」
「バルス並みの会話力ということ?先が思いやられるわね」
「お兄さんの喋り方、わたしは結構好きだけどお?」
「せやけど、みんながみぃんなそれやと胃もたれするやん?」
周囲の賛同とイマイチな評価に、スバルは空いた口が塞がらない。が、そんなスバルに代わって、轟然といきり立つ一人の幼女――ベアトリスだ。
「まったく、勝手なことばかり言うんじゃないかしら。お前も、さっきからスバルに馴れ馴れしい上にべたべたしすぎなのよ。スバルの手を取るのに、ベティーがどれだけ苦労したと思ってるのかしら!ズルいのよ!」
途中から主題がずれているが、ベアトリスの心意気は嬉しい。しかし、そんなベアトリスの抗議を、シャウラは美少女がしてはいけない顔で受け流す。
関心のなさを顔だけで全力で表現し切ったシャウラに、ベアトリスのただでさえ小さい堪忍袋が限界を迎える。
が、その前にスバルのチョップがシャウラの額に入った。
「いい加減にしろ、お前」
「痛っ……くはないッスけど、虐待!?虐待ッス……!お師様があーしに暴力振るったッス!法廷で会おうッス!」
「うるせぇ!あと俺以外の奴ともちゃんと会話しろ!話が進まねぇよ!」
「……いいんスか?」
「いいよ!むしろ推奨!そろそろ真面目に頼むぜ!」
顔をしかめたスバルの訴えに、シャウラはぽかんと驚いた顔をした。それから彼女は徐々にその表情を変化させ、驚き・理解・納得・感激と順繰りに辿った。
そして、
「うひゃー!やったッス~!お話の許可が出たッスー!これでもう、意味深にミステリアスな美少女を演じる必要なくなったッス~!バンザーイ!」
「そんな要素、もはや欠片も残ってねぇから!!」
尻尾があったら全開で振り回されていただろう、満開の笑顔。
実際、シャウラのポニーテールは大喜びで振り乱されて、腕を拘束したままのスバルの頬やら額やらを何度も殴りつけたのだった。
※※※※※※※※※※※※※
「――それで、お前が噂の『賢者』ってことでいいんだよな?」
ひとしきり騒ぎ終えて、騒ぎの前に確認すべき問答に本当にようやく辿り着く。
スバルの右腕を解放したシャウラは、今は車座になる一行の真ん中に胡坐して囲まれている状態だ。ちなみに右腕は痺れて上がらない。動かない。
「――――」
「答えろ。お前が『賢者』だよな?」
「ん~、その質問の答えはムズいッス」
質問に沈黙されて、スバルは再度、同じ問いを繰り返す。すると、シャウラはその表情を梅干しを食べたような酸っぱいものにして、曖昧に答えた。
その返答にスバルは眉を寄せて困惑を露わにする。が、代わりに挙手したのはエミリアだ。彼女は「それじゃぁ」と前置きして、
「あなたが『賢者』かどうかは別として……この塔の中で、ずっと砂丘を見張っていたっていうのはあなたでいいの?」
「あ、それはあーしで間違いないッス。四百年、来る日も来る日もずーっとずーっと砂の中を見張って、聞くも涙語るも涙な渇きの日々を過ごしてきたッス……!」
「可哀想……っ」
「エミリアたん、感化されない。お前も余計な情感交えるな」
拳を震わせて応じるシャウラに、感情移入してエミリアの瞳が潤む。そのエミリアを宥めつつ、スバルは今のシャウラの答えを踏まえてユリウスに目配せした。
目配せにユリウスは顎を引き、「では」と会話を引き継ぐ。
「一般的に周知されている、『賢者』としての所業は四百年、あなたが担ってきたという認識でよろしいでしょうか。シャウラ様」
「様付けだなんて照れるッス。慣れてないんで、あーしのことは普通に呼び捨てにしてくれていいッスよ。そんなシャウラ様なんて……でへへ」
「では言い直して。――一般的に『賢者』と知られているのは、君のことで間違いないのかな、シャウラ」
「さあ、どうなんスかね?一般的なんて言われても、あーしは塔からずーっと出てないわけで、外の噂なんか知っちゃこっちゃないッス。案外、変な感じに伝わってるんじゃないッスか。あーしが『賢者』なんて呼ばれてるみたいに」
締まりのない顔をしていたシャウラの表情が一転、思慮深げな色を宿して雰囲気が変わる。その探るような視線の深さに、相対するユリウスも目を細めた。
ユリウスでなくても、今の発言は聞き流せる類のものではない。何故なら、シャウラの言葉が事実だとすれば――、
「君が『賢者』でないとしたら、『賢者』シャウラの言い伝えは丸ごと間違った伝聞ということになる。それとも、君以外に『賢者』とされるシャウラがいると?」
「その巷の『賢者』シャウラが何者かは知らないッスけど、あーしの知る限り、あーし以外にシャウラなんて名前の知人はいないッス。この名前もお師様に付けてもらったもんなんで、お師様があーし以外に付けてなきゃ……ッスけど」
ちらりとシャウラの視線がスバルに向けられるが、他の誰かも何もそもそもスバルは誰かにシャウラなんて名前を贈ったことはない。
ただ、『シャウラ』の名前に響きがあるのは事実。シャウラもまた星の名前であり、さそり座を形作る星名――意味は『針』だ。
自然と、監視塔から放たれた白光の正体に思考が及ぶが、それについて聞き出すのは後回しで構うまい。今、優先すべきは別の問題だ。
「お師様は心当たりがないみたいなんで、やっぱりシャウラはあーしだけの名前ッス。お師様がくれた、あーしだけの名前……他のシャウラなんか、いらないッス」
「なるほど。君はそのお師様をずいぶんと好いている様子だ。――罪作りな人物がいたものだね」
「言いながら俺を見るのをやめろ。濡れ衣だ。推定無罪だ」
「疑わしきは罰せよ……と、ラムは思うわ」
「法治国家としての誇りを持とうぜ、な?」
合間の茶々はともあれ、シャウラの言動に嘘の気配は見受けられない。そうなると、やはり違っているのは言い伝えの方なのか。
すると、話し合うスバルたちを余所に、アナスタシアがごそごそと懐を漁り出す。そして何かと思えば、彼女はがま口から何やら硬貨を取り出した。
「急に銭勘定……ってんじゃないよな?」
「うちの趣味やし、考え事するときに小銭に触るんは捗るんやけど……それとは意図が別やね。ほら、王国の硬貨をちゃんと見てみたらわかるわ」
言って、アナスタシアはピンとこないスバルに掌の硬貨を放り投げる。慌ててそれを受け取ると、投げ渡されたのは銅貨、銀貨、金貨、そして聖金貨の四枚だ。
まさかお駄賃代わりやシャウラへの賄賂、ということではあるまい。言われた通りに硬貨を確認して、スバルはそこに刻まれた意匠に気付く。
あまりこれまでジッと、お金に目を向けたことはなかったが――。
「お金に絵とか模様とか刻むのってどこでも共通なんだよな。不思議」
「不思議でもないよ?その貨幣がどこの出物なんかはわかるようにしとかなあかんし……それに、貨幣は常に国の歴史と共にあるもんやから。せやから、国の歴史に深く関わるもんが刻まれる」
「んん……?」
アナスタシアの口上を聞きながら、スバルは貨幣の刻印に注目する。よくよく見てみれば、なるほど貨幣はそれぞれ刻まれた絵柄は別々で――。
「聖金貨が『神龍』、金貨が『初代剣聖』、銀貨が『賢者』で銅貨が『王城ルグニカ』になってるの。知らなかった?」
「え、エミリアたんが物知りキャラみたいなこと言い出しただと……!」
「っていうか、知ってて当然でしょう。お金もちゃんと見たことないなんて、スバルは買い物のときとか無意識なの?」
エミリアの痛い追及に、スバルは口笛を吹いて誤魔化す。そして誤魔化しつつ確認したところ、確かに貨幣の刻印は説明の通りのご様子だ。
聖金貨には龍、金貨には目つきの鋭い男、銅貨には王城がそれぞれ刻まれており、そして銀貨に刻まれているのは――、
「若いイケメンのお兄さん、だな。シャウラとは似ても似つかない」
「でも、世間的にシャウラと思われてるのはこの絵の奴なのよ」
刻まれているのは長髪の、精悍な顔立ちをした美丈夫だ。当然、角度を変えてみても半裸の美女には見間違えられそうもない。
当人のシャウラが「見せてッス!」とせがむので渡してやると、彼女はしげしげとその銀貨を眺めて、
「へー、上手いもんッスね。お師様そっくりッス」
「どこが!?あ、いや、そこに刻まれてる『賢者』がお前のお師様なら、記憶の中のお師様には似てるってことか?」
「もー、何言ってるんスか。あーしのお師様はお師様だけッスよ」
「じゃあ、改めて言い直すよ。どこが!?」
銀貨に刻まれた絵柄とスバルを見比べるシャウラに、咳払いして声を上げる。
髪型も違えば目つきも違うし、そもそも人種さえも違いそうな勢いだ。合ってるのなんて性別ぐらいなものだろう。顔の良さ、というカテゴリーだけで判断するなら、スバルよりもユリウスの方が近いぐらいである。
しかし、シャウラはスバルのその意見に「えーッス」と不満げな目をして、
「あーしの見た感じ、かなり正確に捉えてるッスよ。髪の毛あるし、目と耳は二つ付いてるし、鼻と口もあるッス」
「そういうレベル!?幼稚園児の似顔絵褒めてんじゃねぇんだぞ!?」
「私も、さすがにこの賢者とスバルは似てないと思うかな……」
不貞腐れるシャウラだが、スバルはもちろんエミリアの判定もアウトだ。当たり前のことである。だが、シャウラはなおも納得してない顔で、
「だって、あーしは人の顔比べるのって苦手なんスよ。男か女かが違うぐらいで、あとは大体似たようなもんじゃないッスか。……あとは大きさぐらいッスね」
「今、ベティーを見て付け足しやがったかしら、こいつ」
「ベア子が小さくて可愛いのはオンリーワンだからいいんだよ。それより、お前そのガバガバな審美眼でよく俺がお師様とか言えたな!人違いだよ、完全に!」
シャウラの言い訳に便乗し、スバルはここまでの濡れ衣な不名誉の返上にかかる。そもそも、最初からおかしな発言だったのだ。無論、考慮する必要もなく、スバルにシャウラとの接点はなかったわけだが、これで一安心。
かと思いきや、そこでシャウラは首を横に振って、
「あ。あーしがお師様のこと見つけたのは、見た目の話じゃないんで問題ないッス」
「見た目じゃないって、じゃあ何で見極めてんだよ。オーラか?」
「臭いッス」
「――――」
「いやぁ、だって、こんな鼻が曲がりそうなぐらいどす黒くてエグイ臭いプンプンさせて平気な人なんて、お師様以外には考えられねッスもん」
「そこまで傷付けられたのは正直初めてだよ!なに、俺そんなひどいの!?」
臭い、というキーワードが出た時点で、一瞬だけスバルは覚悟したつもりだった。が、直後のシャウラの言葉の選ばなさに覚悟が一発で砕かれる。
心外な評価に顔を赤くするスバルに、シャウラは不思議そうな顔をして、
「なんで怒るッスか?あ、エグイって言ったからッスか?大丈夫ッス!お師様の臭いはマジでひどいッスけど、あくまで何度も嗅ぎたくなるタイプの臭さッス!ゲロとかじゃなく、ゲテモノ料理系のあれなんで平気ッス!」
「女の子がゲロとか平気で言うな!あと、フォローになってねぇ!」
スバルは掌で顔を覆い、その場に泣き崩れるようにして恥じらう。
「なんなの……もうそろそろ言い慣れてきたとは思ってたけど、こんな風に辱められるなんてひどすぎる。俺が何をした……」
「だ、大丈夫よ、スバル。私、ちゃんとわかってるから。だから後でしっかり、水浴びしましょう?」
「ちゃんとわかってもらえてねぇ!」
さめざめと凹むスバルが使い物にならなくなり、慰めるエミリアを横目にベアトリスが嘆息。それから少女は腕を組み、スバルに背中を預けたまま、
「お前がスバルをどこの誰とも知らない相手と勘違いした理由はわかったかしら」
「勘違いしてないッス。チビッ子のくせに、生意気ッスね」
「生憎、そのチビッ子がお前の大事なお師様のパートナーなのよ。おっと、人違いだったからお師様でも何でもなかったかしら。失礼したのよ」
「――――」
「――――」
静かに、ベアトリスとシャウラの間で視線の火花が散る。
完全に話の主題がとっちらかってしまっているが、軌道修正しようにもまともに話になる人間が少なすぎる。こうなると、わりを食うのが常識側の面子だ。
「ベアトリス様、張り合うのは終わってからにしましょう。大事な話し合いの後でなら、バルスの飼い主が誰なのかご自由にされて結構です」
「スバルは誰に飼われてもいないかしら。そこがいいのよ」
「……はいはい」
心底呆れた目をしつつ、ラムがベアトリスの怒りを引っ込めさせる。と、それからラムは目を細め、未だに刺々しい目をベアトリスに向けるシャウラに声をかける。
「とにかく、話せるようになったなら僥倖。さっきまでは事務的な会話にも付き合ってもらえなかったけど、今度は大丈夫なのでしょう?」
「ん、お師様の許可が出たからOKッス。って言っても、何でもかんでも答えるほどあーしも優しくないッス。っていうか、そんなに物知らないッス」
「その返事だけで、あなたが賢者というのは間違いとわかるわ」
豊かな胸を自慢げに張り、いっそ堂々と無知を表明するシャウラ。ラムはそんなシャウラに張り合うかのように薄い胸を張り、この場の誰よりも偉そうに鼻を鳴らす。
「あなたはシャウラだけど、『賢者』ではない。それなら、『剣聖』と『神龍』には心当たりあるかしら?」
「ケンセーとシンリュー?」
「名前はレイドとボルカニカよ」
「うげぇッス」
ラムの質問に、シャウラは苦い物を噛んだ顔で舌を出す。
両者の名前に心当たりがあった、とわかりやすい反応だ。無言でラムがその心当たりを促すと、シャウラはその胡坐を掻いたまま体を左右に揺らして、
「そりゃ知ってるッスよ。棒振りレイドと皮肉屋のボルカニカは古馴染みッスもん。別れてからいっぺんも会ってないッスけど、元気でやってるんじゃないッスか?」
「片方……レイドは死んでいるわ、とっくに」
「マジッスか!?殺しても死なないような奴だったのに死んだッスか!?なんで死んだッスか!?変なもの食べたッスか!?」
「寿命よ。天命には誰も逆らえないわ」
「寿命……ああ、そっか。そッスよね。レイド、人間だったんスもんね」
知己の『死』を知らされて、シャウラがしんみりとした態度で目を伏せる。心なしかポニーテールまで力なく下がり、肩を落とす彼女は悲しげだ。
ここまでの態度や言動がどうあれ、友人の死を悲しむ姿は平等に物悲しい。
ようやく立ち直りつつあるスバルも、そのシャウラの横顔には胸に詰まるものがあった。
「じゃ、ボルカニカは元気なんスか」
「そっちはドラゴンだから」
「ああ、ドラゴンッスもんね。レイドより、ボルカニカの方が死んでたらよかったッスけどね~」
「すげぇ言われようだな、オイ」
ただ、ほんの少しだけ哀切を見せただけで、シャウラはさっさと切り替える。もう一人の知己に関して辛辣に述べて、彼女はさっぱりした顔だ。
そうしてさっぱりした顔のシャウラに、ラムは思案げに片目をつむって、
「レイドとボルカニカには覚えがある。……それなら、お師様の名前は知っているはずね?」
「――――」
そのラムの問いかけに、スバルたちは揃って息を呑んだ。
質問されたシャウラだけがきょとんとした顔で、「当たり前ッス」と答える。
ラムの質問は、なるほど『賢者』を紐解くのに非常に有効だ。
『賢者』=シャウラの方式が崩れた今、シャウラ以外に『賢者』と呼ばれる功績を成し遂げた者がいるのなら、当然、その人物に会う必要がある。
シャウラは何故かその人物をスバルと勘違いしているが、名前に関しては誤魔化せるものではあるまい。まさか、ここでナツキ・スバルという名前の『賢者』が出てくるミラクルは起きないはず、とスバルはいっそ祈った。
そして、その祈りは成就する。――想像以上の、おかしな形で。
「お師様の名前が気になるなんておかしな話ッスよ。本人がそこにいるんスから、お師様の連れのあんたたちだって知ってるんじゃないッスか?」
「残念だけど、あなたのお師様はトイレの便器に頭をぶつけて色々抜けたのよ」
「トイレに限定した意味ある?」
「お師様、またやったッスか……」
「また!?」
シャウラに同情的な目を向けられて、スバルは受けるべきではない屈辱を味わう。だが、その答えに納得したのか、彼女はぴょんと飛ぶように立ち上がると、
「じゃ、あーしの口から発表ッス。お師様の名前……そう、その名も高き大賢人!確かに『賢者』なんて呼ばれるとしたら、相応しいのはお師様だけ!」
「前置きはいい!」
「せっかちッスね~。でも、それもお師様ッス」
派手な身振りを入れて焦らすシャウラだが、スバルの要請に拗ねた顔で舌を出す。それから彼女は自分の頬に指を立て、やけに幼い仕草で言った。
「フリューゲル」
「……あ?」
「お師様の名前はフリューゲルッス。大賢人フリューゲル、シャウラのお師様ッス」
その言葉を口にする瞬間、シャウラは満面の笑みで嬉しそうに胸を張る。
そこにはまぎれもなく、純粋な尊敬と感謝と親愛が込められていて、シャウラがフリューゲルへ向ける敬愛は疑いようもない。
ただし、その名前に対するスバルたちの反応はまちまちだ。
なにせその名前、覚えがある。
「……それ、木ぃ植えた人の名前じゃん」
と、ずいぶん前に一度だけ運命の交差した偉人の名に、スバルは首を傾げたのだった。