『ガーフィールの結界』


 

立ち尽くすガーフィールの姿は、スバルの目から見ても満身創痍であった。

 

全身をおびただしい出血で赤く染めて、荒げた息で肩を上下に揺すっている。幾重にも刻まれた裂傷はいまだじくじくと血を滲ませており、小柄だが鍛え上げられた肉体は腰巻きのようなもので下腹部を覆っている以外、露出された状態だ。

靴すらなくし、素足でそこに立つ姿を前に、スバルは掲げた手を下ろし、

 

「……ずいぶん、俺の想像と違う出で立ちでお出迎えだな。お前が怒り心頭ってのは予想してたけど、そんな状態になってるとは思わなかった」

 

「気にすんじゃァねェよ。ちっとばっかし、そこで滑って転んだんだよォ」

 

頬を引きつらせるスバルの言葉に、ガーフィールが不機嫌な目つきで応じる。

もちろん、それは戯言でしかない発言だったが、負傷する彼の姿にスバルは嫌な想像を掻き立てられずにはいられない。

 

リューズを探して『聖域』中を駆け回り、スバルの企みでオットーらの時間稼ぎにまんまと引っ掛かっていたはずのガーフィール。

その彼が目の前のような有様でこうして姿を見せる状況など、思いつく限りでは可能性は一つだけだ。すなわち、

 

「オットーの馬鹿、すぐに全部ゲロして逃げろって言ってあったのに……!」

 

「健気なもんだったぜ。戦いになんざちっとも向いちゃいやがらねェ上に、喧嘩だってまっともにやったことなかったんじゃァねェか?それが、友達のためだァなんて抜かしやがってよォ……さんざ、やってくれやがったぜ」

 

忌々しげに頬を歪めて、ガーフィールは自身の額の白い傷跡に触れる。

そこだけは以前からある傷だが、それ以外の体中の傷は、まさかオットーとの戦いの中で生じたものだというのか。

殴り合い――と呼ぶには一方的なものだったが、オットーとは拳を交えたスバルだからわかる。彼はスバルと比較すれば喧嘩慣れしていたが、それでもこの戦闘力的に非常識なものたちが溢れ返る世界では、非戦闘員と呼ぶべき立ち位置の人間のはずだ。

 

それが、バリバリの戦闘員――スバルの知る中でも、明らかに最上位に位置するガーフィールとまともにやり合って、勝ち目などあるはずもない。

ましてやスバルはオットーに、小細工による時間稼ぎ以上の策を授けていない。

 

「……死んで、ねぇよな?」

 

スバルの額を一筋、いやに冷たい汗が伝う。

最悪の想像は、ガーフィールの爪にオットーが引き裂かれて終わる場面だ。思い過ごしと笑い飛ばしたくはあるが、ガーフィールの姿を見てはそうも言えない。

ガーフィール自身、あれだけ盛大に傷付けられ、苦戦を強いられた様子なのだ。なのにオットーの方に手心を加えろと、そう主張するのはあまりに身勝手だろう。

だが、それでも、オットーが死んだとしたら、意味がない。

 

オットーの死にではなく、スバルの生に意味がなくなる。

 

「……スバル」

 

思わず息を呑み、下を向きそうになるスバルを後ろから銀鈴の声音が呼んだ。

触れることを躊躇っていた指先が、頼りなく落ちそうになるスバルの肩に触れる。後ろから届いたそのかすかな感触に、俯きかけたスバルは思い止まった。

視線だけで振り向けば、スバルの斜め後ろに立つエミリアがこちらを慮るように見ている。いまだ、自分の中の感情との折り合いをつけられていないエミリア。

彼女にしてみれば、血塗れのガーフィールが憤慨して立つ状況など意味がわからないはずだ。それでも、ただならぬ状況であることだけは察せられているのだろう。スバルの方を見る瞳には、不安よりも憂いの方が大きい。

 

「大丈夫だ、エミリア。いきなり情けねぇとこ見せて悪かった。……誰が後ろに立ってんのか思い出したから、もう落ち着いたよ」

 

その視線に支えられるように、深々と息を吐くスバルはガーフィールに向き直る。

墓所の入り口はやや勾配がついているため、スバルからはガーフィールをわずかに見下ろすような形だ。猫背で態度悪く、鋭い眼光がスバルを射殺さんばかりに突き刺さる。

 

「てめェら、俺様が駆けずり回ってる間に、ずいッぶんと勝手な真似してくれたみてェじゃァねェか。こそこそこそこそと……あァ?俺様が、そういうクソ薄汚ェ小細工が大嫌いなのが、わかっちゃァいやがらなかったみたいだなァ?」

 

「この場所で何かするのに、お前の許可が必要だとは知らなかった。つか、お前がそういうキャラなのはわかりやすいから見ててわかってるよ。実際、怒るだろうなとは思ってたものの、それ以上にはならねぇだろうって見込みでもあったしな」

 

「あァ?」

 

威圧する姿勢のガーフィールに、しかしスバルは肩をすくめて言い返す。その口調に普段以上の気負いがなかったからか、ガーフィールは鼻面に皺を寄せてうなった。

その彼の苛立ちの表情を見下ろしながら、スバルは表情を引き締め、

 

「ガーフィール。オットーはどうした」

 

「っざっけた真似してくれやがったからなァ……食い散らかして、残骸は森の肥やしになってるだろうよォ」

 

「――――」

 

鋭すぎる犬歯を噛み鳴らし、舌舐めずりするガーフィールの応答にエミリアが息を呑んだ。ガーフィールの全身から放たれる凄まじい怒気。それだけで、オットーがガーフィールを相手にどれだけ善戦したのかが伝わってくる。

ガーフィールの方も、手を抜くようなことはできなかっただろうことも。

だから、

 

「じゃあ、あいつは生きてるな。なんだよ、心配かけやがって……全部台無しになるかと思って、本気で肝が冷えたぜ、実際」

 

「……あァ?」

 

「しかし、なんだってあいつはこんな真似を……まさか、ラムの協力が取り付けられたって言ってたけど、それで変なこと吹き込まれたんじゃねぇだろうな。ラムならやりかねねぇ……あいつ、肝心なとこでどう動くかまでは教えてくんなかったし」

 

「オイ、オイ、ざけんな」

 

「そうなると、ガーフィールがボロボロなのもラムが手伝ってやがんのか。だよな。オットー単独じゃ、さすがにそんだけやるのは無理なはずだ。なんだよ。オットーの野郎が秘められた力とか隠してたのかと思って、ちょっと友情にヒビが入りかけた……」

 

「――てめェ!何の話をしてやがんだァ!あァ!?」

 

ガーフィールが怒りのままに吠え、感情の迸りを叩きつけた地面が爆砕する。

踏み込まれた踵を起点に大地が陥没し、ガーフィールを中心にクレーターが生じた。八方に大地の亀裂が入るクレーターの底、噴煙をたなびかせるガーフィールが牙を剥く。

 

「ぶち殺したって、そう言ってんだろうがよォ!あの兄ちゃんはよォくやったぜ!わけわからねェ加護で森中味方につけて、虫やら鼠やらで俺様をおちょくり倒しやがった。しまいにゃァ、使えるはずのねェ大魔法で一発だ。だァから……俺様も、戦う意思のある野郎には敬意を払った。――この爪と、牙でだ!」

 

「森中味方に……そうか。『言霊の加護』にはそういう使い方もありやがったのか。あの野郎、そういう大事なことちゃっかり隠してやがって……」

 

「その兄ちゃんに唆されたラムもだ!ラムの奴ァ、勝負に横槍入れッやがった上に、容赦なく仕掛けてくれやがった……だからァ、あいつも俺様が噛み殺した」

 

「…………」

 

歯を噛みしめて、ガーフィールは手で顔を覆いながら空を仰ぐ。

無言でガーフィールの嘆くような姿を見届けながら、スバルの脳裏には今のガーフィールの言葉が何度も反芻されていた。

 

やはり、ラムもまたオットーと共同戦線を張り、ガーフィールと対峙していたのだ。

あるいはラムの協力もあって、ほとんど決着寸前までガーフィールを追い詰めるところまではいったのかもしれない。ただそれでもやはり、彼の獣人の壁は厚かった。

 

「時間稼ぎの間に、余所まで逃げてった奴らまで追いかッける気ァ今はねェよ。けどなァ、てめェらのやることを見過ごしてやるつもりももうねェ。そっから下がって、近付くんじゃァねェよ。墓所にはもう誰も入れねェ。俺様がこの手で、崩してやらァ」

 

「そんなことしたら、もう結界を開く手段がなくなる。……この『聖域』はもう、ずっと閉じられた箱庭になる。それでいいのかよ」

 

「それでいい。それ以外の全部が悪ィ」

 

言い切り、ガーフィールの足がクレーターから墓所へと向かう。

その足取りからはすっぱりと迷いの色が消えており、彼が自分の今の発言を実行することに何ら躊躇いを抱いていないのが伝わってくる。

 

血塗れの満身創痍――そんな有様でも、スバルとガーフィールとの間には真っ当に隔絶した実力差がある。

これほど傷を負っても、ガーフィールという男の地力はスバルを上回っている。

 

それは今の大地への一撃からも、放たれる鬼気からも一目瞭然だ。

しかし、

 

「そ、そんなこと、私がさせないわ」

 

この場には、スバルを除いてもう一人、ガーフィールを阻止するために立てる少女がいる。

スバルの横から顔を出し、墓所に迫ろうとするガーフィールに立ちはだかるエミリア。ガーフィールはしかし、そんな彼女を白けた顔で見上げ、

 

「んだァ、オイ。弱っちィ女が、俺様の道塞いでんじゃァねェよ」

 

「いいえ、邪魔するわ。墓所を壊させなんてしない。『試練』は必ず、私が乗り越えるから」

 

「無理に決まってんだろうがよォ。毎日毎日めそめそめっそめそ泣き散らしてやがったじゃァねェか。おまけに、お友達もいなくなって寂しくて仕方ねェんだろ?ベッドで布にくるまって泣いてろ。そうすりゃァ、俺様も何もしやしねェ」

 

「――――っ」

 

ガーフィールの酷薄な物言いに、エミリアの表情に悲痛なものが走った。だが、その表情を見せたのも一瞬のことで、エミリアは瞬きの間にその痛みを呑み下し、

 

「生憎だけど、そんな風に言われても下がってあげられない。私は『試練』に挑まなきゃいけないの。そして、過去と向き合って……」

 

「どいっつも、こいっつも……ッ!」

 

エミリアの言葉を遮り、苛立たしげに舌打ちするガーフィールの双眸に赫怒が宿る。

発される鬼気の圧力が一段と増し、エミリアの肩が震えるのが見えた。そのかすかな怯えの反応に、ガーフィールは目ざとく鼻を鳴らし、

 

「過去がなんだ、そッれがどうした。俺様にビビってる分際で、てめェが一番ビビってることなんざ克服できるわきゃァねェだろうが。――誰にも、どうにもなるもんかよォ。あの魔女はただ、そういう底意地の悪ィ真似して人を嘲笑ってやがるだけだろォが」

 

「ずいぶんと、悪しざまに魔女のことを否定しやがるんだな」

 

「あァ?」

 

吐き捨てたガーフィールの言葉にスバルが口を挟む。彼はエミリアに向けていた焼けつく視線をスバルへ向けると、こちらへ指を突き付けた。

 

「んだァ?てめェ、あの性悪魔女様を庇いやッがる気ィかよォ。『ポートツクには朝も昼もねェ』たァ言うが、臭ェてめェは心底からあの魔女の奴隷か、あァ?」

 

「――――」

 

ガーフィールの言葉にスバルは口を閉ざす。

その態度にガーフィールは訝しむように眉根を寄せたが、彼にはスバルが黙った理由がわかってはいないらしい。

 

墓所に眠る魔女は『エキドナ』だ。そして、スバルの体を取り巻く魔女の瘴気の大本は『嫉妬の魔女』のもの。

聞きかじりであり、自分の鼻が瘴気に対して機能していないガーフィールは、その違いにまで理解が追いついていない。

そして当然、『試練』に一度挑んだだけで心を折られたガーフィールには、エキドナの『試練』の意味すらも、わかってはいないのだ。

 

「何もかも、中途半端だな、ガーフィール」

 

「……今、なんつった?」

 

発言とこれまでの行動、それらを総合して、スバルはガーフィールをそう評する。

すげなく切り捨てるようなスバルの言葉に、ガーフィールは低い声で恫喝。だが、鬼気迫るそれを眼前にしながらも、スバルは怖じずに真正面から彼を見た。

 

「自分にはできなかったことだから、他人にもできない。俺はこう思ってるから、あいつはそういう奴に違いない。――どんだけ、独りよがりこじらせてんだ、お前」

 

「…………」

 

「確かにお前の言う通り、エミリアは『試練』に何度も失敗してる。見たくない過去を見せられて、めそめそ泣いてたってのも否定できねぇ。パックがいなくなって、みっともないぐらいうろたえてたのもそうだし、まだ立ち直ったとも明言できねぇさ」

 

黙り込むガーフィールの前で、スバルは隣に立つエミリアを顎でしゃくる。

突然に何を言い出すのかと、エミリアは驚いた瞳でスバルを見た。しかし、自分にひどい評価を下すスバルの表情に、感じ入るものがあったのか口出しはしない。

何より、スバルが口にした評価はすでにエミリア自身も認めるところだ。恥じるべき評価には違いないが、耳を塞ぐべき内容ではない。

そう判断し、向き合えるところが、弱くても立派なところだとスバルは思う。

だから、

 

「今、『試練』に挑んだところで結果は変わらないかもしれねぇ。今日も負けて、また泣いて戻ってくるかもしれない」

 

「それがわかってやがるってんなら、なんで何度も何度も……」

 

「でも、エミリアは挑むよ。何度でも。――お前とは違う」

 

「――――ッ」

 

ガーフィールが息を呑む。

鋭い眼光に一瞬の揺らぎが生じたのを見逃さず、スバルは怖じずに言い切る。

もう一度、彼を真っ向から見下ろして、

 

「ガーフィール。負けて逃げたお前とは、エミリアは違う」

 

「――ッ!調子にィ、乗るんじゃァ、ねェッ!!」

 

言い切った直後、ガーフィールが憤激のままに叫び、右足が大地を砕く。

踏み込みの衝撃でめくれ上がる大地。それがどういう原理か四角い土壁の形をなし、畳ほどの大きさのそれをガーフィールの左足が蹴りつける。

土塊が凄まじい勢いで縦回転し、暴風をまといながらスバルの体のすぐ左脇を通過――墓所の入り口横の壁へ激突し、古びた建物に大打撃を与える。

 

音を立てて墓所の壁から、土埃や絡みついた蔦の一部、苔などが剥がれ落ちてくる。それを頭から浴びながら立ち尽くすスバル。隣のエミリアも一瞬、肩を小さくしてはいたが、直前のスバルの言葉を聞いていたからか、その場から動こうとはしていなかった。

 

その二人の間にある、かすかだが確かな信頼を目にして、ガーフィールの目が大きく見開かれた。血走る瞳はその輝きを獰猛に増して、

 

「なんだァ?二人揃って気に入らねェ!あァ!気に入らねェ!気に入らねェよォ!わかったような面ァしやがって!余裕ぶっこいた面ァしやがって!俺様がその気になりゃァ、てめェら二人ともまとめて区別もつかねェ挽ッ肉だ!それがァ、わかってねェのかよ、あァ!?」

 

「わかってるよ。お前がそんなこと、できっこないってことぐらいな」

 

息を荒げ、地べたを蹴りつけ、何度も何度も恫喝を口にするガーフィール。だが、その彼の威勢のいい脅しが、スバルの心にはもはや何も響いてこない。

当然だ。ガーフィールの根底にあるものが、これまでの出来事、リューズの話、そして今の状況――全てを通じて、ようやくスバルにもわかってきた。

これほど怒りを露わにし、スバルたちを敵対視していながら、ガーフィールは――。

 

「お前は、俺やエミリアを殺しはしない。いや、できないんだ。だってガーフィール……お前、人を殺したことなんて、ないだろ?」

 

「――――」

 

「オットーやラムとも一戦交えたはずだけど、お前が二人を殺せたはずがない。オットーはまだしも、ラムなんかは絶対にな。二人が姿を見せないってことは、動けないようにはされてるんだろうけど……それ止まりだ」

 

スバルの言葉に、ガーフィールの苛立ち混じりだった挙動が止まる。

息を殺して、スバルを見つめるガーフィール。スバルが彼に投げかけた言葉を聞いて、エミリアは戸惑いを瞳に浮かべている。

ガーフィールの普段の気性ばかりを目にしていたエミリアには、今のスバルの言葉をなかなか受け入れられるものではないのだろう。

 

だが、スバルには確信があった。

ガーフィールは、少なくとも自分の意思のある人型の状態では、誰かを殺すような決断をすることはできない。

 

――これまでのループで、スバルは幾度もガーフィールと対立した。

意見を違えて。あるいは唐突にガーフィールがスバルを敵対視して。時にはロズワールへの凶行に走ったスバルを止めるために一撃を加えて、片目を奪われたこともある。

 

しかし、片目を失ったスバルを治療したのもガーフィールであったし、敵対したときもガーフィールは究極的には一度も、スバルを殺害せしめていない。

例外は一度。獣化したガーフィールが、避難民を皆殺しにしたことがあった。思い出したくもない記憶だ。だが、スバルにとっては忘れ難く焼きついた記憶であり、今もなおガーフィールに対して呑み込み難い感情を抱かせる出来事でもあった。

 

ただ、あのときのことを思い返すと、気付くことがある。

 

獣化したガーフィールは言葉を使えない。本能のままに爪と牙を振るう、ただの獣へと成り果てる。村人たちへその武器を向けたときも、まさしく本能のままだったろう。

だが、あのとき、ガーフィールは、最初の村人――皆殺しの切っ掛けとなった最初の一人、それを殺すとき、最後の最後、本当にギリギリまで、躊躇っていたのだ。

 

あのときは、怒りと焦燥感のあまり、理解できなかった。

ガーフィールが最初の一人の下へ向かったとき、焦るあまりに全てがゆっくりになったように思えていた。だが、あれはそうではなかった。あれは本当の躊躇いだった。

そして、一人を殺し、躊躇いを見失って初めて、ガーフィールは本当の獣になった。

 

血と命の味を知った大虎の瞳を、ナツキ・スバルは憎悪とともに覚えている。

 

「お前の目は、あのときの目と違う。まだ、誰も殺せてなんかいない」

 

「なん、の根拠だァ、そりゃァ。ラムはともかく、俺様にてめェの連れの兄ちゃんを噛み殺すのを躊躇う理由なんざ微塵もねェッだろが」

 

「そうだな、ラムはともかく」

 

「ね、ねえ……二人とも、オットーくんに何か恨みでもあるの……?」

 

恐々と、会話の中で残念な扱いを受けるオットーにエミリアが言及する。

しかし、スバルはひょっとすると初めて意識してエミリアを無視して、先ほどまでの苛烈な怒りの色を失ったガーフィールへと指を突き付けた。

 

「今も、当てようと思えば当てられたはずだ。ただ、当てようと思えなかっただけだろ。脅しに使っただけだ。ファッション殺意か。ビビりはどっちなんだかな」

 

「オイ、オイ、オイ……口の利き方に気をつけろよ、てめェ。それ以上は、何が最期の言葉になるッか、わかりゃァしねェぞ」

 

「できもしねぇ脅しはやめろ。内心じゃ腰が引けてるくせに、強そうなふりしてるのなんて路地裏にたむろしてるトンチンカンだけでお腹いっぱいだよ。あいつらにゃまだ、俺を刺す度胸があったけどな」

 

「やめろ……やめろ……ッ」

 

歯ぎしりして、ガーフィールは憤怒の表情でスバルを見ている。

しかし、対峙するのはナツキ・スバル。目の前の相手を煽るときほど、彼の才能が発揮される場面など他にない。故に、

 

「ご自慢の爪も牙も、毎日綺麗に手入れしても飾っておくだけだ。なんなら、爪にオシャレな飾り付けでもしたらどうだ?俺の地元じゃ、女の子がみんなやってる。うじうじ女々しいお前には、ぴったりなんじゃねぇか?」

 

「やッめろってんだよォ――!!」

 

再び衝撃。

抉り取られた地面が弾き飛ばされて、スバルの頭上を掠めて墓所へと激突。

かわす必要もない。当てる気など、最初からない。

 

「泥遊びなら砂場でやれよ。後ろにあるのが重要文化財だってわかってんのか?ましてやお前、この『聖域』を守る牙とか自任してんじゃねぇの?後ろにあるのはここで死んだ魔女のお墓だぜ。仲間なんだ、差別すんなよ」

 

「仲間なわきゃァ!ねェだろっがァ!そいつが!その土の下の魔女がいやッがるから……俺様はァ……俺様、は……ッ!」

 

舌の滑りは絶好調。滑らかなスバルの挑発に、ガーフィールは息も絶え絶えだ。

もともと、満身創痍の身を押してここまでやってきている。その上でこうも疲れる会話を続け、体力の浪費もいとわずに無意味な示威行為。感情のままに血の巡りを加速させ、出血の止まったはずの傷口が開いた部分さえある。

 

荒い息をつきながら、足を止めてスバルを睨むガーフィール。ふと、彼はその視線をスバルの隣のエミリアへ。そして、何かに気付いたように鼻面に皺を寄せ、

 

「オイ……ざっけんなァ、てめェ。なんだ、その目はよォ」

 

「…………」

 

「言いたいことがあるってんなら言えよォ!そんな目で見られる方が、ずっとムカつくっつってんだよォ!」

 

無言で自分を見るエミリアの瞳に何を見たのか、ガーフィールが吠える。

エミリアはその紫紺の瞳に複雑な感情を宿し、ガーフィールの要求に小さく首を振り、

 

「ガーフィール……あなた、何をそんなに怖がってるの?」

 

「俺様が、怖がってる……だァ?」

 

「怖がってるじゃない。だから大きい声を出して、精いっぱい腕を伸ばして、地面を踏んづけて自分を奮い立たせてるんでしょう?」

 

「俺様の何を、わかったみてェに……」

 

「わかるわよ。だって……」

 

声の小さくなるガーフィールに、エミリアはそこで一度言葉を切り、一呼吸置いて言った。

 

「――私もずっと、色々なことを怖がりながら生きてきたもの」

 

エミリアの、自分の弱さを理由にした言葉に、ガーフィールは息を止めた。

己の胸に触れて、そこにない結晶石の感触を確かめるように指を動かし、エミリアは儚げな色を瞳に浮かべながら続ける。

 

「ずっとたくさんのことに怯えて、今日まで歩いてきたの。一緒にいたパックに色んなことを預けて、寄りかかって……それも意識しないで、歩いてきたの。それを今日になって、ついさっきになって、やっと少しはわかったように思えてて」

 

「うるせェ」

 

「まだ、何が正しいのか、私が何をしなくちゃいけないのかちゃんとはわかってない。でも、『何か』があるんだって、それはわかった気がするの。その『何か』が、この墓所の中でなら見つかる。だから、ここをどいてはあげられない」

 

「黙れ。消えろ。俺様に、何も言うな」

 

「……あなたはその『何か』を、本当はもう持ってるんじゃないの?」

 

「――――ッ!」

 

問いかけに、限界を迎えたガーフィールが弾かれたように顔を上げる。彼は膝をかすかに曲げると、そのまま小柄な体躯を爆発させるように跳躍。

凄まじい速度でエミリア目掛けて飛びかかる。――だが、彼女にガーフィールの体が届く寸前、二人の間にスバルが割って入った。

 

「ガーフィール!」

 

「――ちィッ!」

 

飛び込んでくるガーフィールの体に腕を伸ばし、エミリアへの軌道から庇いながら激突。衝撃にもみ合いになりながら転がり、あちこちを打ち付ける痛みに顔をしかめる。数度上下が反転した感覚の後、地べたに仰向けの状態で止まる。そして、倒れるスバルの首元に爪を当てたガーフィールがエミリアへ牙を剥き、

 

「今ッすぐだ!今すぐに、この場所から離れろ!じゃァねェと、こいつの首を引き裂いててめェの服を真っ赤に染め直してやらァ!」

 

「スバル――」

 

恫喝にエミリアが構える。

パックは失えど、それでも彼女は精霊術師。契約した微精霊の力を借りて、魔法を行使することは可能な実力者。ガーフィールとの戦闘も、勝敗は別として可能だ。

故にエミリアはとっさにマナを展開させようとする。

 

「エミリア、やめろ!俺のことはいい!どうせ、やれやしない!」

 

「黙れッ!いい加減、うんッざりだ!てめェと、この女の戯言にゃァ耳が腐り落ちる!その軽い口の端を切り開いて、顎が落ちれば無駄口も叩けなくなるか、あァ?」

 

「――づっ」

 

仰向けのスバルにのしかかり、ガーフィールが鋭い爪をスバルの左頬へ走らせる。先端が頬の肉を鋭利に抉り、焼けつく痛みにスバルは小さく苦鳴を上げた。

しかし、それでも、目は屈しない。

 

「俺たちをどけて、墓所を壊して、それでどうなる……逃げて逃げて逃げて、逃げ切れると思ってるのか」

 

「自分の後悔だぞ。どこのだァれが何とかできる?アレは端っから俺様たちを逃がすつもりなんざァねェんだ。それがどうして、わからねェ!」

 

「わからねぇよ、ガーフィール。――だって過去は、後悔は、乗り越えられる」

 

「――――」

 

スバルの断言。

その言葉に、ガーフィールとエミリアの二人が同時に息を呑んだ。

 

「苦しくて、辛くて、情けなさ過ぎて顔向けできねぇって諦めてた。けど、どうにもならねぇなんて思ってたのは俺だけで、本当は何もかも、そんなことなかった」

 

仮初の出来事、偽物の両親、記憶の再現である、まやかしであったとしても。

スバルは己の中の最大の後悔と向かい合い、そこで一つの答えと別れを得た。

『試練』は確かに苦痛をスバルに与えた。思い出すだけで軋む、この胸の中にあるものは紛れもなく、『試練』が過去とともにスバルに焼き付けた苦しみの烙印だ。

 

「でも、その痛みも何もかもひっくるめて、俺は過去を呑み込んだ。呑み込めた。……確かに魔女は性悪で、信じようと思って裏切られたことも忘れられねぇ」

 

脳裏に浮かぶ、常に妖しげな微笑をたたえていた真っ白い魔女。

彼女への複雑な思いは、どれほど時間をかけてもきっと解けはしない。

 

けれど、あのときに得た思いまでは、裏切る必要はないはずだから。

 

「俺は魔女に感謝してる。過去に向き合えて、よかった。逃げて、逃げて、逃げ続けてたけど……逃げ切れなくて、よかった」

 

「――――」

 

「ガーフィール。――お前はまだ、家族との過去から逃げるのかよ」

 

「な……ッ!?」

 

スバルの問いかけに、ガーフィールが顔色を変える。

怒りに顔を赤くし、驚愕にその色を白くし、そして今、蒼白になる。

 

牙がかちかちと鳴るのは、小刻みに歯が震えているからだ。

寒気、あるいは恐怖を感じたような形相で、ガーフィールはスバルを間近で見下ろす。

 

「俺様の、過去……を、誰ッから……」

 

「おおよそ、お前の思い当たる全員から……だ。それを、裏切りだと思うかよ?それとも別の何かだと、お前は思うか?」

 

「ぅ、あ、ふぅ……ッ」

 

激情が噴き上げるあまり、ガーフィールは言葉すら紡げずに途切れ途切れに呼吸する。断続的な息遣い。激しい動揺をすぐ目の前にしながら、スバルは畳みかける。

 

「魔女は、お前が外の世界を怖がってるって、そう言った」

 

ガーフィールの答えはない。

 

「フレデリカは、外の世界へ一緒に行こうって差し出した手を振り払われたって言ってた」

 

ガーフィールの答えはない。

 

「リューズさんは、お前が墓所で見たのは、母親との別れだったって言ってた」

 

ガーフィールの答えは――、

 

「はは、おや……ッ」

 

「お前とフレデリカの事情は、上辺だけは聞いてる。人間の母親と、亜人のハーフの父親違いの姉弟。クォーターのお前らは『聖域』の結界に縛られてない。だからフレデリカはいずれ結界が開かれたときに、ここにいる人たちを迎え入れてもらえる場所を作るために『聖域』の外に出た」

 

「姉貴……ッ」

 

「でも、お前はフレデリカの手を取らずに中に残った。その理由はなんだ?お前は何がしたくて、何のために、この場所に今もいるんだ?」

 

息が切れる。

スバルを地面に押し付けるガーフィールの手に、徐々に力がこもり始める。スバルを黙らせようという行いではない。ガーフィール自身、何かに縋るように力を込めていなければ、今にも崩れ落ちてしまいそうなほどに疲弊している。

 

「墓所でお前は過去を見た。見たのはお前の母親が、お前とフレデリカを『聖域』に置いて出ていくところ……か?」

 

「――――」

 

「お前が外の世界を忌避するのは、それが理由か……」

 

無言の態度を肯定とみなす。

ガーフィールは押し黙ったまま、しかしこれまでにないほど弱々しい目でスバルを見ている。睨んでいるとすらいえない、力のない視線。

抱え込んでいた秘密を暴かれることを恐れる、小さな子どものような顔つき。

胸に、他人の傷口を抉ることへの罪悪感が芽生える。その感覚をねじ伏せて、スバルはガーフィールの真実に迫る。

かすかに見えた傷口に指先を突っ込み、力ずくで穴を広げ、血を流させながら、

 

「母親に捨てられたから。自分を捨てていった母親が憎いから、母親を連れ出していった外の世界が憎いから、お前は外の世界を憎悪するのか……!」

 

リューズと交わした話し合いの結論。

エキドナの残した『ガーフィールは外の世界を恐れている』という言葉。

家族との別れが、ガーフィールの心に残し、今も棘となり痛みを与え続けている要因。

 

スバルの断言めいた言い分に、ガーフィールは必死に首を横に振る。

 

「違う!違う、違う違う違う違う違う違う違う!!てめェにいったい、なっにがわかるってんだよォ!知ったような口ばっか、叩いてんじゃァねェ!」

 

「そうだ!俺が言ったのは想像で、叩いたのは知ったような口だよ。お前の本音は、お前からしか聞き出せない。そうじゃないってんなら、お前の本心はどこにある!?」

 

肺を圧迫されながら、スバルは苦しげな顔を見せずに声を上げる。

真下から浴びせられる声に、ガーフィールが表情を強張らせてのけぞる。

 

「外の世界に出ていったフレデリカを拒絶して、『聖域』を守る使命に自分を縛りつけて、結界を開こうとする『試練』に挑むのに邪魔をする!お前は何を、何を恐れてる!何を怖がってやがる!外の世界が、憎いんじゃねぇのか!」

 

「ち、違う……ッ!」

 

「お前たちを捨てていった母親が憎いんじゃないのか!『試練』に挑んで、自分が捨てられる姿を見て、だからそれを怖がってるんじゃないのか!」

 

ガーフィールの表情が悲痛に歪む。

スバルを押さえつける手を外し、ガーフィールはスバルの言葉の追及から逃れようと体を起こそうとしている。

逃がしはしない。

腕を伸ばし、ガーフィールの首裏を掴んで、遠ざかろうとする体を引き止める。

息がかかる距離で、血に濡れた悲壮な顔つきを睨みつけ、訴えかける。

 

「答えろ、ガーフィール!お前が、何を怖がっていたのか!」

 

リューズとの話し合いの結論、エキドナの言葉、ロズワールやフレデリカの態度、ラムのガーフィールを見る目つき――スバルは、そこに違う答えを見ていた。

もしも本当に、そうだとしたら。

 

「違う、俺様は……俺様は……ッ」

 

「お前は本当は、どう思ってたんだ!!」

 

「俺様は……俺、は……母さんに……ッ」

 

息を呑み、空を仰いで、ガーフィールは牙を震わせ、言った。

 

「――幸せになって、ほしかった……ッ!」

 

※※※※※※※※※※※※※

 

「邪魔だったんだろ!?俺や姉ちゃんが、幸せになるために邪魔だったんだろ!?」

 

溢れ出す。

これまで、ガーフィールが溜め込んできた全てが。

 

「そんなこたァわかってる!俺や姉ちゃんは捨てられた。そんなのは当たり前だ!」

 

胸中に抱え込み、誰にも打ち明けてこなかった、ガーフィールの理由が。

 

「望んだわけでもねェガキで、それも亜人の血が混じってんだ……そんなの、外の世界で生きてくのに邪魔になるに決まってる!置いていこうとして、捨てていこうとして、何がおかしい……何も、間違っちゃいねェ……ッ!」

 

震える声は隠せず、震える瞳だけは隠そうとするように、掌で顔を覆って。

 

「捨てられた理由はわかってる。だから、捨てた母さんを恨んだりはしねェよ!当たり前だろッが!俺や姉ちゃんは、母さんの人生の邪魔だったんだ!俺たちを捨てて、母さんは幸せになるために『聖域』を出ていったんだッ!」

 

まだ幼い日のガーフィールは、自分たちを置いて『聖域』を出る母を見送った。

そのときにはまだ理解できずにいた感情。しかし、確かに根を張っていたそれは彼の中で長い時間をかけて育ち、一つの答えという花を咲かせていた。

 

母親は自分たちを、そうやって捨てていったのだと。

しかし、

 

「けどなァ、あの夜……俺ァ、見た。墓所の中で、『試練』の中で、俺は見た、見たんだッ。お、俺たちを置いて、『聖域』を出てった母さんが……出てすぐ、竜車ごと崖崩れに巻き込まれて、土砂に呑まれて死んじまってたんだってことを……ッ」

 

「――――!」

 

「このことは、姉ちゃんだって知らねェ……姉ちゃんも、母さんはきっとどこかで俺たちのことは忘れて幸せに暮らしてるんだって思ってやがんだ。……でも、本当は違う!母さんは、俺たちを捨ててすぐ!死んじまったんだッ!」

 

ガーフィールの口から、泣き叫ぶように語られる真実の断片。

それが持つ意味の残酷さに、事情を知るスバルも、知らぬエミリアも打ちのめされる。

 

声を失う二人の前で、ガーフィールは顔を覆ったまま、嗚咽のような荒い息をこぼす。

 

「死んじまったんだよォ……幸せに、なれなかったんだよォ……」

 

スバルは、答えを返せない。

 

「なんでだ?幸せになるために、外の世界に出ていったんじゃなかったのかよ?」

 

エミリアは、答えを返せない。

 

「幸せになりたいから、俺たちを置いていったんじゃなかったのかよ?」

 

スバルもエミリアも、ガーフィールに答えを返せない。

 

「俺たちを捨てていったのに、幸せになれずにすぐに死んじまったってんなら……」

 

答えのない問いかけを、ガーフィールは口にし続ける。

それはきっと、

 

「俺たちの寂しい思いは、捨てられた悲しい気持ちは、どうしたらいいんだよォ?」

 

――ずっとずっと、彼の心の内側で唱え続けられていた問いかけで。

 

「母さんには、幸せになってほしかった……ッ!」

 

涙声に、力がこもっていた。

顔を覆っていた掌を離して、ガーフィールは歯を食いしばって息を吐き出す。

噛みしめた歯が割れそうなほどに、鋭い犬歯が己の唇を突き破るほどに。

 

「悲しい思いも!捨てられた寂しさも!その幸せのために意味があったんだって、俺にそう思わせてほしかった!俺に母さんを、憎ませてほしかった……ッ!」

 

母への思いは行き場を失い、ガーフィールの心は墓所を通じて『聖域』へ閉じ込められる。

ぶつけられる場所をなくした激情は、彼の体の中で魂を糧に炎を絶やさず燃やし続けた。

 

「でも、母さんは死んじまった……!俺も姉ちゃんも、悲しい思いをしただけだ。母さんも幸せなんかになれないで、重い石と砂の下敷きになって、苦しみながら死んだんだ」

 

その結論を経て、己の中で燻ぶる思いの灰の中で、ガーフィールは決めたのだ。

 

立ち上がり、ガーフィールがスバルから体を離す。

墓所を見上げ、ガーフィールは低い声で、

 

「――外の世界なんか、絶対に行かせねェ」

 

震える声だった。

怒りであり、悲しみであり、激情の残滓であり、今も燃える炎であった。

 

ガーフィールが振り返る。

体を起こしたスバルを見下ろし、彼は鋭い牙を噛み鳴らした。

 

「幸せは、置き去りにして出ていったって手に入りゃァしねェんだよ!何かを変えようとすることには痛みが伴って、誰でもその痛みに耐えきれるわけじゃねェんだ!」

 

「――――」

 

「どうにもならない奴らだって大勢いるんだ!ここにいるのは、そんな奴らばっかりだ!どうすりゃいいんだよ!そいつらは、幸せになるための犠牲になって、悲しい思いをすればいいのかよ!俺や、姉ちゃんみたいになればいいのかよォ!」

 

「――――」

 

「俺が、俺様が――守る」

 

拳を握り固める。

吠えることをやめ、静かな決意を双眸に宿し、ガーフィールは息を吐く。

 

「俺様が、守る。俺様の手の届く範囲は、俺様が全部守る。守って、守って、守ってみせるから……誰も失わせたりしないから……誰も母さんみたいな思いはさせないから……!」

 

怒りではないもの、悲しみではないもの、それがガーフィールの心を震わせる。

スバルも、エミリアも、ガーフィールが抱いてきた思いの前に動けない。

二人の前でガーフィールは両手を広げて、墓所を背にして、叫ぶ。

 

「俺様が、結界になるんだ!本物の、外と内をわける、結界に!」

 

「ガーフィール……」

 

「だから!俺様が!『聖域』を、みんなを!婆ちゃんを守るんだ!俺様にしかできねェんだ!俺様しか知らねェんだ!知らなくて、いいんだよォ!!」

 

血を吐くようなガーフィールの覚悟、叫び、決意。

それを前に、言葉は紡げない。

 

ガーフィールはもはや、全ての覚悟を固めている。

ならば、

 

「――スバル」

 

「大丈夫だ、エミリア」

 

エミリアが、立ち上がって前に出るスバルへと声をかける。

心配げなそれに手を振り、スバルはガーフィールの前へと歩み出た。

 

腕を伸ばせば届く距離で、二人は向かい合う。

もう、言葉ではガーフィールを止められない。

それならば、やることは一つだ。

 

「このわからず屋の頑固野郎が……」

 

「――――」

 

「お前の覚悟は、わかったよ。勘違いしてた。それで、お前もまだ勘違いしてる。だから……それを、正してやる」

 

ガーフィールがかすかに身を低くし、両腕を垂らす。

無防備に見えるそれは、しかし異常な鬼気を放つ本気の構えだ。

 

その眼前で、スバルもまた両手を持ち上げて構える。

ガーフィールを相手に、言葉は届かないと決めて、彼の土俵で勝負するために。

 

「お前を徹底的にねじ伏せて、教えてやるよ。――お前は優しくて、弱い馬鹿野郎だってことをな!!」