『前哨』


 

白鯨を討つ――。

 

事前交渉が終わり、その討伐の二文字が具体性を帯びてくれば、その後の関係者の動きは素早い。

ラッセルとアナスタシアの商人二人は宣言通り、ありったけの武器や道具をかき集めに都を奔走し、クルシュもかねてから準備していた討伐隊の招集、および移動手段である竜車の確保にひた走る。

 

その動きにスバルは以前までの世界で、三日以降の竜車の手配が困難になる経緯の理由を悟った。白鯨出現の報せが王都にも届き、クルシュが街道に隊を展開するために動き出すのがそのあたりの日取りになるわけだ。

 

そうして次々にめまぐるしく人々が走り回るのを見ていると、もう夜更けも近い時間だというのにジッとはしていられない。

 

「俺も――」

 

「できることにゃんてにゃいんじゃない?」

 

と、なにかしらの手伝いを申し出ようとしたスバルに先がけ、その意気をへし折る人物がいる。欠伸まじりの口元に手を当て、眦に涙を浮かべるフェリスだ。

スバルがじと目でその女顔を睨みつけると、彼はその頭部の栗色の猫耳をぴくぴくとさせながら、

 

「物資の手配も討伐隊の編成も、スバルきゅんの領分じゃぁにゃいでしょ?掻き回してややっこしくするのが目に見えてるんだから、大人しくしてなきゃネ」

 

「そんなわけにいくかよ。俺がやろうって言い出したせいで、みんながこんなに動き回ってんだぜ。その俺が……」

 

「はい、そこがマチガイ」

 

スバルの口に指を突きつけ、フェリスが鋭い口調で言葉を遮る。強制的に言葉を切られたスバルが目を細めると、フェリスはそのまま唇に当てた指でこちらの鼻を弾き、

 

「その自分のせいって考え方、フェリちゃんあんまりっていうか、全然好きじゃにゃいかにゃー」

 

「なんでだよ。実際……」

 

みんなが夜を徹して働きづくめになるのは、スバルの発言が発端ではないか。

それをやらせ始めた張本人がぬけぬけと待っているなど――、

 

「クルシュ様が白鯨の討伐を決めたのは、ヴィル爺のためなんだよネ」

 

ぼそり、と小さな声でフェリスは唐突に呟く。

その内容にスバルは思わず「え?」と抜けた声で応じ、

 

「白鯨の討伐はヴィル爺の悲願なんだよ。先代の剣聖――ヴィル爺の奥さんが白鯨にやられたとき、ヴィル爺は傍にいられなかったらしくて」

 

「先代……」

 

「死に物狂いで白鯨の情報をかき集めた。以前に出た場所、その後に出た場所。時期、時間、天候、その他あらゆる条件を並べ立てて、ようやくかすかだけど法則性みたいなものを掴んだの。でも、誰もその話を聞き入れてあげなくて……」

 

孤独に、ひとり書物に、文献に向かい合って血眼になるヴィルヘルム。妻を殺した怪物に復讐する機を狙い、その老剣士がいくつの夜を越えたのか。

――その執念が実り、ヴィルヘルムは白鯨の足取りにわずかながらの光明を得た。それが、

 

「剣聖を加えた討伐隊が壊滅するような相手に挑むなんて、そんな気概は王国にはもう残ってなかった。かといって、他に支援者を募ろうにもなしの礫。ヴィル爺の心境は絶望的だったんじゃないかなって思うヨ」

 

仇を討とうとしても、その憎き相手の足下にすら辿り着くことができない。

その無力感が生む自分への絶望をスバルは知っている。弱さという罪は決して、自分を逃がしてはくれないのだから。

 

「全てをなげうって、ひとりで白鯨に挑むことも考えたみたいだネ。勝てないことより、戦えないことの方が恥だと思う。――男って、バカだよネ。奥さんはきっとそんなこと望んじゃいないだろうにさ」

 

「そうですね」

 

と、フェリスに同意を示したのはスバルの隣に立っていたレムだ。

それまで無言で話に耳を傾けていた彼女は青い髪を揺らし、スバルの横顔をそっと見つめると胸に手を当て、

 

「愛した人には、レムはずっと元気でいてほしいです。たとえレムがいなくなったとしても、レムのことは笑顔で思い出してほしい」

 

「……思い出になる話すんのは、早すぎんだろうがよ」

 

感傷的なレムの言葉にたまらず、スバルは軽くその青い髪を小突く。それから当てた拳を掌に変えて、ゆっくりと柔らかな髪に指を差し込んで撫でる。

レムはそんなスバルの乱暴な仕草を受けながら、愛おしげに目を細めて、

 

「そのヴィルヘルム様に声をおかけになったのが――」

 

「クルシュ様、にゃんだよネ」

 

ほう、とフェリスはそのときを思い返すように感嘆の吐息を漏らし、

 

「クルシュ様は本当にお優しいお方。絶望して、悲嘆して、それでも誰も見向きもしないような相手でも、クルシュ様は手を差し伸べてしまう。あのときみたいに――ととと」

 

と、フェリスは慌てたように己の口に手を当てて塞ぎ、その言葉の先を封印すると照れ笑いするように舌を出して、

 

「はい。これ以上はなし。つまり、にゃーにが言いたいのかっていうと、スバルきゅんのおかげってお話」

 

「俺の……?」

 

「横道それちゃったけど、最初はそういうお話だったでしょ?」

 

ヴィルヘルムの過去に話が飛び、失念していた話題をスバルも思い出す。もともとは、白鯨討伐準備の慌ただしさの発端に関しての話だったのだ。

 

「『せい』じゃなくて『おかげ』ネ。この二つは似てるようで全然違うヨ?これでヴィル爺はやっと奥さんに報いることができる。家名をちゃんと名乗ったのだって……」

 

「フェリス。少々、口が軽すぎますな」

 

「にゃっ!?」

 

背後からの声にフェリスが小さく跳ね、ばつの悪い顔で振り返る正面、そこには後ろ手に手を組んだ老紳士が立っている。

彼は小さくなるフェリスを細めた目でジッと見つめると、

 

「あまり人の恥を口外するのは、良い趣味とは言えないと思いますが?」

 

「過去の暴露っていうかぁ、フェリちゃん的にはヴィル爺の解体新書っていうかぁ……」

 

指を突き合わせて、唇を尖らせながら語尾を伸ばして媚びるフェリス。見た目愛らしい上に猫耳なので惑わされそうだが、男だ。

当然、ヴィルヘルムにはその色仕掛けが通じるはずもなく、

 

「いずれにせよ、当人の許可も得ずぺらぺらと喋るものではありますまい」

 

「はぁい」

 

にべもなく切り捨てられて、フェリスは肩を落とすとすごすごと退散する。その背中を見送り、途端に室内に落ちる沈黙。

意図せずしてヴィルヘルムの過去を聞いてしまい、スバルの方は猛烈に気まずくて仕方がない。ここはおあいこにと自分の黒歴史をぶちまけて相殺しようかと思ったが、それはいかにも追い詰められたコミュ障っぽくて寸前で断念。

結果、沈黙が続行してしまい、スバルはない頭を絞って別の話題を探し――、

 

「お聞き苦しいお話を聞かせてしまい、申し訳ありませんでした。老骨のつまらない無為な時間のことです。お忘れください」

 

が、それに先んじてヴィルヘルムがそう告げる。苦々しい笑みが力なくその口元を飾るのを見て、スバルはその意思を尊重しようと心に決める。

なにも聞くな、とそれが老人の意思だ。なにも聞くまい。

 

「――奥様を愛していらっしゃるんですね」

 

――レムさん!?

と、内心で敬称をつけて呼んでしまうほどに動揺。それぐらいの勢いで、まさかの地雷原にレムが足を突っ込んだ。

 

そのスバルのはらはらを余所に、眉を上げたヴィルヘルムは一拍置き、

 

「ええ、妻を愛しております。なによりも、誰よりも、どれほど時間が過ぎようとも」

 

そこに込められた年月の分だけ、ヴィルヘルムの告白は重い。

過去にスバルは幾度か、ヴィルヘルムの口から愛妻家であろう話を耳にしている。そのたびにヴィルヘルムが家人をどれほど大事に思っているのか伝わってきたものだが、それが故人であることを知ってから思い返せば、別の感慨があろうというものだ。

 

「明日の準備がまだありますので、これで。お二人も、今夜はゆっくりとお休みください」

 

押し黙る二人に背を向けて告げ、ヴィルヘルムの背中が遠ざかる。

 

「明日は――」

 

その遠ざかる背に、スバルは思わず声をかけていた。

足が止まり、振り返らない背中にスバルは、

 

「明日は俺も、レムも参戦しますから」

 

「それは……」

 

「同盟相手が強敵と戦うってのに、黙って見過ごす奴がありますかよ。心配しなくてもレムは戦えるし……俺にだって、やれることがある」

 

矢継ぎ早に言葉を並べて、スバルはヴィルヘルムから否定の言葉が出るのを未然に遮る。そして、

 

「力合わせて、あのクジラ野郎をぶっちめてやろうぜ!俺も全力で手伝うから!」

 

サムズアップして歯を光らせ、スバルはヴィルヘルムとの共闘を誓う。

その宣言にヴィルヘルムはしばし無言だったが、

 

「妻は、花を愛でるのが好きな女性でした」

 

ぽつりと、それはスバルの誓いへの返答とは趣の異なる言葉で、

 

「剣を振ることを好まず、しかし誰よりも剣に愛された。剣に生きることしか許されず、妻もまたその運命を受け入れておりました」

 

今代の剣聖であるラインハルトの実力を知れば、その加護が人の身に与えられるには余るものであることがようと知れる。

それはその加護を与えられたものの未来まで、可能性まで限りなく狭めてしまうほど途方もないもので。

 

「その妻の剣を折り、剣聖の名を捨てさせたのが私だったのですよ」

 

非才の身、とかつてヴィルヘルムは自身のことをスバルにそう語ったことがある。

それ故に彼は今の領域に至るまでの半生を剣に捧げたとも。

 

その悲願を達するまでの間に、この老人は何度挫折を味わい、何度心を挫かれたことだろうか。そして――、

 

「剣を捨て、ひとりの女性となった彼女を私は妻とした。それで全ては彼女を許したのだと、剣聖ではないテレシアとして生きられるのだと。――ですが、剣は彼女を逃がしてなどいなかった」

 

剣を捨てたはずのその女性が、どうして白鯨の討伐隊に加わったのか。

しかし、ヴィルヘルムの述懐はその点に触れず、

 

「スバル殿、感謝を」

 

ひと息に、

 

「明日の戦いで、私は私の剣に答えを見つけられる。妻の墓前にも、やっと足を向けることができましょう。やっと、妻に会いにいくことができる」

 

言い残し、ヴィルヘルムは今度こそ退室する。

残されたスバルはヴィルヘルムの覚悟に、同じ男として一種の尊敬の念を抱かずにはいられない。

人はあれほどまでに真摯に、愛を貫けるものなのだ。

 

「スバルくんは……」

 

と、静かな室内に残る二人の内、レムの声がふいに落ちる。

無言で視線をそちらへ向けると、ちょうどこちらを見上げる彼女の視線と視線が絡み、

 

「レムがいなくなったら、同じくらいに長く覚えていてくれますか?」

 

「……縁起でもねぇから答えたくねぇ」

 

憮然とした声で言って、スバルはレムの額を軽く指で突く。

彼女はその指の触れた額に手を当てると、まるで求めていた答えを得たかのように幸せに笑ったのだった。

 

※ ※※※※※※※※※※※※

 

翌朝、白鯨討伐までのタイムリミット――十七時間半。

 

「よろしゅう頼んまっせ、兄さん!!」

 

早朝の冷たい空気の残るクルシュ邸の庭園に、その陽気な声は大音量で響き渡る。

広い屋敷の隅から隅まで届きそうな声だ。

 

それを目の前で、至近距離から浴びせられたのだからスバルの方はたまったものではない。耳に手を当てて顔を盛大にしかめ、抗議を込めて睨みを利かせるが、

 

「お嬢から話は聞いてますさかい!今日はワイらも鯨狩りに混ぜてもらいますよって、あんじょう頼んますわ!!」

 

「声がでけぇよ!!俺のアクションがそのつぶらな瞳に入ってねぇのか!?」

 

豪風が吹きつけるような声で話しかけられ、対抗するスバルの声も思わず大きくなる。そのスバルの精いっぱいの発声を心地よさげに受け、その鋭い牙の並ぶ口を全開にして笑うのは犬の顔をした獣人だ。

 

赤茶けた短い体毛で全身をびっしり覆い、やや色の濃い焦げ茶の毛がモヒカンのように縦長の頭部を飾っている。目つきは鋭く、口には刃のような犬歯がずらりと光っているが、目尻をゆるめてバカ笑いする姿には愛嬌があった。

ただしその上背は軽く二メートルほどあり、筋骨隆々の肉体を革製と思しき黒の衣服に包む姿は野生と文明が殴り合いの果てに和解した感が溢れている。

 

自称ではコボルト、と名乗っていたが、どう考えてもコボルトの体格ではない。スバルの中のコボルトのイメージは、犬の顔で二足歩行する小人である。特徴の二つまでは合致しているが、最後のひとつが違うだけでこうも印象が変わるものか。

 

「あかんでー、ナツキくん。リカードは都合の悪いことは聞こえん耳の持ち主やから。うまく付き合うコツは、ちゃんと距離開けて話すこと」

 

「だから紹介した側なのにそんな離れたとこ立ってんのか!せっかくセットした俺の髪型が乱れに乱れる!セットするほど長くないけどな!」

 

己の短髪を前後に撫でくりしながら絶叫し、スバルは離れたところで含み笑いを隠さないアナスタシアへ不服を申し立てる。

そのスバルの様子に獣人――リカードはその大きな掌でこちらの肩を小突き、

 

「お嬢になんて口利いとんねん、兄ちゃん!ワイの雇い主やねんからもうちょい優しくしたってや!!基本、誰相手でも銭勘定抜きで話せんから普通のお友達に飢えてんねや、今ならちょろいで!」

 

「リカード。自分、隠しごとに向かないんやから悪口は言わん方がえーよ?」

 

「悪口違うやん!!お嬢心配しとんねや、ワイ!カララギからこっち出てきて知り合いも少なくて心細いやろ!?せやからここに!ほら!てれれれー、友達一号くんやでー!!」

 

「人を間に挟んでぺちゃくちゃ喋るな!あとあんまし人の頭ガクガクやるんじゃねぇよ!首がもげる!」

 

常人外れ――この場合、正しい意味で人外の腕力で頭を振り回され、マジメに首の関節が奇妙な音を立てるのでその場から離脱。

転がるようにしてリカードの射程距離から逃れると、スバルは無理やりに回された首の角度をいじって筋を確認し、

 

「危ねぇ危ねぇ、決戦前なのに雑談してて負傷離脱とか笑えねぇよ。さしもの俺もこれだけ気分盛り上がっててそのオチは受け入れらんないぜ……!」

 

「なんや、けったいな兄ちゃんやなあ。仲良ぉやろう言うてるだけやのに」

 

「実力行使伴ってんだろうが、俺は俺よりアクが強い奴とか苦手なんだよ!」

 

ピーカブースタイルで頭を振りながら、スバルは近づいてくるリカードから円運動を利用しながら距離を保つ。

じりじりと、距離が縮まらないまま睨み合いを続ける二人。その二人のやり取りを円の外から傍観するアナスタシアがおり、傍目にはわけのわからない状況だ。

と、そこへ、

 

「その様子を見ると、顔合わせは済んでいるようだな」

 

言いながら、庭園へ降り立ったのは緑髪の麗人――クルシュ・カルステンだ。

彼女は普段の礼装ではなく、装飾を極端に減らした薄手の甲冑姿である。各部関節部分が空き、動きやすさを重視したそれは防御力に不安がありそうだが、

 

「戦装束は動きやすい方がいい。心配せずとも、土の加護が刻まれた鎧だ。私のマナが尽きぬ限り、見た目以上の頑健さを発揮する」

 

「相変わらず魔法と加護がチートがかってる世界だよな……俺もまだ目覚めてないだけで、加護とか眠ってないもんかしら」

 

「どれだけ長く眠っても呼吸の仕方は忘れまい?加護持ちにとっての加護はそれと同じだ。自覚がないのであれば諦めるがいい」

 

ずいぶん前にも誰かに似たような否定をされた経験があり、スバルは唇を尖らせると舌を鳴らして願望を投げ捨てる。

そのスバルの子どもじみた反応を横目に、クルシュはスバルの正面に立って頭を掻いている獣人を見上げ、

 

「なるほど。話には聞いていたが、噂以上の兵だな。卿がアナスタシア・ホーシンの……」

 

「ワイは雇われですわ。クルシュはんの方こそ、実物はまた……」

 

腕を組んで巨体を見上げるクルシュを、リカードが鼻を鳴らして見下ろし返す。彼は鼻面に皺を寄せ、絞るように喉を鳴らして笑うと、

 

「傑物やな。これは王選、けっこうしんどいのとちゃいますか、お嬢!!」

 

「そやからこうやって恩とか売りつけとるとこやないの。値札にいくら書いてもらえるか、リカードの仕事ぶり次第やからね」

 

肩をすくめるアナスタシアに、盛大に音を爆発させてリカードが爆笑。

スバルはそのあけすけなリカードの態度がクルシュの不興を買わないか不安になるが、相対するクルシュはそんなリカードの様子を気に留める素振りもない。

彼女はスバルの方をちらと見ると、

 

「昨晩は休めたか?」

 

「おかげさまで、な。クルシュさんたちが動き回ってる中、呑気に寝てたみたいで寝心地はあんまよくなかったけど」

 

「適材適所、だ。卿の仕事としては、昨晩に私やラッセル・フェロー。アナスタシア・ホーシンを集めて白鯨討伐を結論付けた時点で果たされている。もっとも、ここで終わりにするつもりもないようだがな」

 

振り返り、真正面からスバルを見つめるクルシュ。

その真っ直ぐな視線に居心地悪く、スバルは身をすくめてみせるが、

 

「討伐戦に参加する、とのことだが……卿は戦えるのか?」

 

「戦えねぇよ?戦力として俺を数えるなら、それはちょっと猫の手を借りたいにしても切羽詰まりすぎって言っておく。犬の手にしな、大きいけど」

 

「今、ワイの話してへんかった!?」

 

「してねぇよ!ホントに都合のいい耳だな、オイ!」

 

話の途中に割り込んだリカードに怒鳴り返し、スバルは気を取り直すように額を掻きながら、「ただ」と前置きして、

 

「白鯨相手なら、俺って人間がわりと役に立つ……と思う」

 

「聞こう。その根拠は」

 

「あんまし、俺自身も信じたくないんだが……どうも俺の体臭って、魔獣を引き寄せる性質があるっぽいんだよね」

 

微妙にニュアンスを変えつつ、スバルは自分が参戦した際のプランを伝える。

スバルの体から発される魔女の残り香――どういう経緯でそれがスバルの肉体に沁みついているのか不明だが、ジャガーノートのときと同じでこれが白鯨を引きつける役割を果たすことは期待していいだろう。

 

問題は白鯨の脅威がジャガーノートを数十倍したものであり、かつスバル単独では白鯨の接近を回避することも、ましてや迎撃などもっての外という点だ。

 

「だから足の速い竜車かなんかに乗せてもらって、白鯨の鼻先を走り抜けまくって気を引く……とかが被害出さず、かつ有効的な使い方じゃねぇかと」

 

正直、自分で口にしていてどうかと思うプランである。

戦力として期待できないけれど、生餌として役立つから戦場を振り回してくれ。と申し出ているのだ。自殺願望持ちも青ざめる役割分担だが、

 

「驚くべきことに、嘘の気配はないのだな」

 

顎に手をやり、半信半疑といった眼差しだったクルシュが肩の力を抜く。『風見の加護』がスバルの発言の真偽を暴き、その作戦の有効性を考慮するに至ったのだろう。

彼女はひとつ頷き、

 

「ならば、足の速さと持久力に優れた地竜を卿に使わせよう。レムと相乗りすれば移動に関しては問題ないだろうからな。ただし、基本は私の指示に従ってもらうぞ」

 

「あ、やっぱりクルシュさんも戦場に出るのか」

 

「屋敷で椅子に深々と座って、吉報を待つのが私にできると思うか?」

 

甲冑の金具を指で弾き、クルシュは凛々しい面立ちに精悍な笑みを浮かべる。

その男前な姿にスバルは首を横に振り、わかり切ったことを聞いたと小さく謝罪を口にした。

 

「――そろそろだな」

 

スバルの謝意を受け取り、クルシュが片目をつむってそう呟く。

その言葉を切っ掛けにしたように、庭園に次々と関係者が集まり始める。

 

先頭を切り、姿を見せたのは戦着に衣を変えたヴィルヘルムだ。

軽装備の老剣士は急所のみを守る最低限の防具だけを身につけ、腰には左右に計六本の細身の剣を携えての姿。

後ろに続くフェリスは女性用と思しき曲線型の騎士甲冑に身を包み、武装はといえば短剣が腰に備えつけてあるのみ。自身の能力を鑑みて、後方支援に徹すると割り切っているからこその姿勢といえる。

 

遅れて入ってきたのはくすんだ金髪の持ち主、ラッセルである。徹夜明けの表情には疲労があるが、双眸だけが爛々と輝いていて意気込みの程がうかがえよう。

すでに先んじて庭園に到着していたアナスタシアとラッセルが合流し、なにがしかの会話を始めるのを横目に、巨躯を揺らすリカードが獰猛に口を歪めて笑う。

 

主要の人物たちが揃い始めると、続々と続くのはスバルが名前を知らない歴戦の兵たちだ。クルシュが編成した討伐隊のメンバーなのだろう。主だった面子だけがここに呼び出されたのか、その人数は十名ほどとかなり少ない。それも、

 

「なんかずいぶん、若さの足りないメンバーに見えるな」

 

ぼそり、と思い浮かんだ感想をそのまま口にするスバル。

目の前、討伐隊のメンバーがずらりとヴィルヘルムの後ろに列を為しているのだが、その彼らの平均年齢がだいぶ高めに思えるのだ。筆頭のヴィルヘルムをして六十を越えているのだが、付き従う騎士たちも五十代を下回ってはいまい。

ヴィルヘルムの強さを身を持って知る身として、彼の老剣士の技量への不安はないつもりだが、他の面々まではどうなのか――。

 

「全員、白鯨に縁のある方々だそうですよ」

 

「レムか」

 

「はい。スバルくんのレムです」

 

言いながら、ふいに湧くように隣に舞い戻ったレムにスバルは視線を向ける。

常と同じ無表情、戦に出向くというのに変わらない格好はメイド服のままで、朝の合流時にその点を指摘してみれば、

 

「この給仕服はロズワール様の手製で、防護の加護がある戦闘用メイド服です。ですからなんの心配もありませんよ」

 

とのことだ。余所行き用、炊事用、雑務用、遊興用に戦闘用と幅広い。なのに選択肢はメイド服一択なのだから、ロズワールの性癖はさもありなん。

ともあれ、

 

「白鯨に縁ってことは……過去の討伐隊の関係者とか、そのへんか」

 

「一戦を退いている方が多いようですけど、ヴィルヘルム様の呼びかけに従って集まられたとか。錬度も士気も、十分以上に感じられます」

 

「復讐に燃える老兵たちってシチュエーションか……燃えるな」

 

そう口にする反面で、過去に白鯨との因縁を持つ彼らが今回の討伐隊に加わっていることも、昨夜のフェリスが口にしたクルシュの『優しさ』なのだろうか。

それで作戦自体の雲行きが危うくなるなら本末転倒だろうが、そのあたりの部分に関して妥協するような性格ではあるまい。ヴィルヘルムの執念もまた、足手まといを軽々しく戦場に連れ出すような生易しいものではないはずだ。

場合によっては戦場に辿り着く前に、余計な足枷は間引くぐらいしかねない。

 

「考えてみたら、そのポジションって今回はまさに俺……!」

 

「クルシュ様の討伐隊はそのようになっていますけれど……あちらの方々は」

 

慄然と唇を震わせるスバルをさて置き、レムが気にするのは討伐隊の老兵と反対側。庭園の端に展開し、先ほどから別空間のような雰囲気を醸し出す一団だ。

レムの視線を追ってその一団を目に入れて、スバルは「ああ」と納得の息を吐き、

 

「アナスタシアの私兵……ってか、雇ってる傭兵団って話だ。カララギ出身らしくて喋り方が独特なのと、見た目が独特だな」

 

「独特だらけですね。ですが、アレがそうですか」

 

関西弁じみた喋り方にはその内慣れるだろうが、スバル的にはなかなか慣れない見た目の問題。

アナスタシア率いる傭兵団はまとめ役であるリカードを始めとして、全員が二足歩行する動物――つまりは獣人で固められた兵団なのだ。

 

一見して戦闘力の高いリカード。それに匹敵しそうな体躯の持ち主から、スバルの腰ほどまでしか背丈のない、白の体毛がふわっふわな熊っぽい獣人などもいる。杖を持っているところを見ると、直接戦闘より魔法的な方向に特化しているのだろう。

そんな彼らが三十人ほど並んでいて、スバルにとっての異世界ファンタジー性を良い感じに煽ってくれている。

 

「アナスタシア当人が戦えない分、金の力は貸してくれるってことらしい。リカードはなんか俺の周りをうろちょろしてるって話だから、ケンカしないようにな」

 

「スバルくんになにも危害を加えないなら、レムの方から事を荒立てるようなつもりはありませんよ。あれ、スバルくん、せっかく整えてあげた髪の毛に乱れが」

 

「ああ、これはさっきリカードの野郎にぐしゃぐしゃされてさぁ」

 

「ぶっ飛ばしましょう」

 

「結論早いな!?」

 

大して乱れてもいない髪型が火種になりかけ、スバルは慌ててレムを制止。

それからふと時間を確認――そろそろ、出発の予定時間だ。

 

「と、その前に」

 

庭園にピリピリとした空気が張り詰め始め、すでに整列している討伐隊にならって次々と関係者たちも姿勢を正し始める。前に出るクルシュが、出発前の口上を始める雰囲気が流れてきた。

その合間を掻い潜り、スバルはレムをお供に会話する商人二人の下へ。

 

「二人を商人――金払いさえよければとりあえず話聞いてくれる心の持ち主だと見込んで、ちょいと話があるんだけどさ」

 

ひとつ、白鯨狩りの前に『布石』を打っておくことにした。

 

※ ※※※※※※※※※※※※

 

「――四百年だ」

 

定刻となり、集った戦士たちの前でその言葉が始まりを告げた。

 

重々しい響き、張り詰めた空気。伸ばした背筋に痛みが走るような鋭い感覚の中で、場に集まる全員からの注視を浴びるクルシュが堂々と胸を張る。

カルステン家の刻印が刻まれた宝剣を地に突き立て、柄尻に手を置くクルシュは一息の間に全員の顔を見渡し、

 

「世界を襲った最悪の災厄。『嫉妬の魔女』の跋扈、その魔女の手で生み出された白鯨が世界を狩り場とし、我が物顔で弱者を蹂躙して、それほどの月日が過ぎた」

 

過去に世界の半分を滅ぼし、いまだに恐怖の語り草を残される嫉妬の魔女。

その魔女の僕にして、主が倒された今となってもなおも自由を謳歌する霧の魔獣。あまりに多くの犠牲を生み、数多の戦意を呑み下した本物の怪物。

 

「白鯨により、奪われた命の数は数え切れない。その霧の性質の悪辣さも相まって、犠牲者の数は正確には誰にもわからないというべきだろう。四百年の時間を経て、銘の刻まれた墓碑と、銘すら残すことのできない墓碑の数は増えるばかりだ」

 

クルシュの言葉に下を向き、歯を食い縛って嗚咽を堪える老兵がいる。握り固めた拳に爪を突き立て、血をにじませる老兵がいる。

その胸の内側に尽きることのない激情を溜め込み、なおも静かにその怒りを爆発させる機会を待ち続けた老剣士がいる。

 

彼らの無念が、積み上げられてきた屍の数だけの怨念が、庭園の空気に暗く澱んだ闇を取り巻き始めている。――だが、

 

「だが、その無念の日々は今日をもって終わる」

 

「――――」

 

「我らが終わらせる。白鯨を討ち、数多の悲しみを終わらせよう。悲しみにすら辿り着けなかった悲しみに、正しく涙の機会を与えよう」

 

「――――ッ」

 

「すでに主を失った身で、なおも終わらぬ命令に従う哀れな魔獣を終わらせよう」

 

胸が熱くなる。

無言で、スバルと同様の感慨を誰もが胸に抱いているのが伝わってくる。

 

下を向いていた老兵が、拳を固めていた老兵が、目をつむっていた老剣士が、今はその眼を開いて、正面に立つクルシュを見つめている。

それらの視線の熱を受け、クルシュは手を前に突き出し、声を大にする。

 

「出陣する!――場所はリーファウス街道、フリューゲルの大樹!」

 

「――おう!!」

 

応じる声が重なり、地を踏み鳴らす轟音が庭園を揺るがした錯覚を生む。

噴き上がる戦意の熱に浮かされ、スバルも大声で唱和する。

その中で一際強く、高く、クルシュが抜き放った剣を空に向けて突き上げ、

 

「今宵、我らの手で――白鯨を、討つ!!」

 

白鯨討伐戦――異世界召喚されて以来、最大の作戦が今、始まる。