『幼い交渉』


 

「今日の最後の訪問者が卿、というのも面白い趣向だな」

 

予定が狂わされたにも関わらず、クルシュはどこか上機嫌な様子でそう笑い、応接室の椅子に深々と腰掛けている。

正面、彼女と向き合う形で座るのはスバルとレム。クルシュの背後にはヴィルヘルムとフェリスが控えるように立っており、いつか見た光景だとスバルは思う。

 

一度目、屋敷に戻ると宣言したときの場所と面子。そして、今回スバルが持ち出す話題もまた、あのとき以上に紛糾しそうな話題であった。

なにせ、事はスバルとレムが屋敷に戻るというだけでは収まらない話なのだから。

 

「幸い、夕食を外で取る理由はなくなった。屋敷での食事の用意が整うまで、卿に付き合う時間はある」

 

「前もってなにも言わないで、こんな時間なんて普通取れにゃいんだから。スバルきゅんはクルシュ様の懐の深々さに感謝すべきだよネ」

 

「まあ、事実としては交渉相手に振られたことで時間が空いたためだがな」

 

「やだ、クルシュ様ってば体面を偽ろうだなんて考えない漢っぷりが素敵……!」

 

主従がいつも通りの茶番をする間、スバルは頭の中で切り出し方を吟味する。

制限時間を考えれば、あまりまごついているわけにはいかない。かといって、話運びが悪すぎても目的が拾えない。

 

「ま、話としてはシンプルにまとめた方がいいわな」

 

迂遠に冗長に会話を長引かせれば、それはクルシュの性格上不興を買うだろう。

話すべきことは決まっているのだから、それを躊躇っては話にならない。

 

気を入れ替え、表情を変えたスバルにクルシュが座る姿勢を直し、「さて」と前置きするとこちらに手を差し出し、

 

「卿から求めた会談だ。始め方は卿に任せるとしよう。――なにが望みだ?」

 

本当に、話の早い相手だとスバルは思う。

渇いた唇を舐めて湿らせ、スバルは向かい合うクルシュの前で深呼吸。それから、

 

「魔女教って連中が、ロズワールの領地の襲撃を企んでる。それを叩き潰すために、クルシュさんの力が借りたい」

 

単刀直入に、スバルは目的を達するのに必要な条件を切り出した。

魔女教を殲滅するために必須の戦力――ロズワールの領地にそれが期待できない以上、それは余所から引っ張り出すしかない。そして、クルシュの下にならばその力があることを、短い滞在期間ではあるがスバルは知っていた。

 

切り出したスバルの言葉に、スバル以外の四者がそれぞれの反応を見せる。

わずかに眉を動かすだけのリアクションのヴィルヘルム。驚いたように目を見開き、クルシュの様子を心配げにうかがうフェリス。スバルの隣で凝然と唇を引き結び、横顔に視線を突き刺してくるレム。

そして、

 

「なるほど、魔女教か」

 

応接室のテーブルに肘をつき、組んだ手の上に顎を乗せるクルシュが笑った。

嫣然とした微笑みは艶を含んだものであり、これまで彼女に対して凛々しく鮮烈な印象を強く抱いてきたスバルにとって、新たな一面を垣間見せるものだった。

 

ともあれ、火蓋は切ってしまった。

本題にいきなり切り込んだ以上はノンストップでかかるしかない。早まり始める鼓動をなだめながら、スバルはクルシュの次なるリアクションを待つ。

 

が、彼女は最初の一言以上のものを吐き出そうとしない。そのことを怪訝に思い、スバルがかすかに眉を寄せると、

 

「どうした?言ったはずだぞ、卿が話をする場面だと」

 

「いや、だから……それは言った通りで……」

 

「まさか、要求を突きつけただけで終わりとでも言う気か?その要求をなぜ求めるのか、要求を切り出す根拠はなんなのか。その要求に応じることで、こちらにどんなメリットがあるのか。それらを示されなければ交渉とは言えん」

 

うぐ、と声に詰まるスバルを見据えて、クルシュは退屈そうに片目をつむる。

その仕草だけで役者が違うことを思い知らされつつ、スバルは相手のペースにはまりそうな自分を叱咤し、話を続ける。

 

「そりゃ、そうだ。すんません、失礼しました。いや、俺もこういう交渉みたいなことってあんまり経験ないからさ」

 

「未熟な身を理解するのも必要なことだ。気にすることはない。だが、時間は夕食までと区切っている。――それは、忘れることのないようにな」

 

寛大さを示しつつ、タイムリミットに触れるあたり飴と鞭を弁えている。

スバルは語るべき内容を改めて整理しつつ、

 

「まず、力を借りたいって頼む理由はだが、その……単純に、戦力不足だ。魔女教の数に対してこっちの数が全然足りない。結果、襲撃に対抗できない」

 

「確かに、単純な話だ。が、そこはメイザース卿で事足りるのではないか?彼の人物の集団殲滅力はルグニカでも随一だ。物の数ではあるまい」

 

「相手がひと塊ならそれもありなんだが、そうもいかない。ロズワールの体が一個っきゃない以上、二ヶ所襲撃されたら詰むからだ」

 

少なくとも、魔女教は村と屋敷を襲うことは確定している。そして仮定の話ではあるが、奴らは通りがかりの竜車に対しても襲いかかっていた気がする。人払い、といった単語が何度かペテルギウスの口から発されていたのがその根拠だが。

 

「なるほど、理解できないでもない。しかし、それではメイザース卿の領主としての怠慢ではないか?自分の領地を守るため、武力を保持するのは領主の義務だ。仮に自分の力を過信してそれを疎かにしたのだとすれば、評価を下げざるをえまい」

 

「そのへんはまったくもってその通りとしか。とにかく、それが理由で魔女教の手当たり次第なやり口には抗えない。戦力が、数として欲しいのはそういうことだ」

 

襲撃場所が二ヶ所に限定できるなら、二ヶ所を同時に防御できる戦力があればいい。ロズワール不在の可能性がある以上、片方をレムとラムの二人に任せるのであれば、もう片方には別の頼りになる存在が必要だった。

ちらと、ヴィルヘルムに視線を送りながら、スバルはクルシュに嘆願する。通るのであれば、ヴィルヘルムはぜひとも借り受けたい戦力だ。

 

スバルの視線の意味を察しているだろうに、ヴィルヘルムはそれに対してのリアクションを起こさない。クルシュはわずかに目を伏せるスバルを見ながら、傍らのフェリスに手を振ると、

 

「しかし、魔女教か。やはり、動き出してきたようだな」

 

「ですネ。まあ、ハーフエルフのエミリア様が表舞台に立った時点で、そのへんのところは予想されてた通りですけど」

 

クルシュの言葉にフェリスが同意を示し、その態度にスバルは眉を寄せる。

が、そのことを問い質すよりも、スバルの意識を引いたのは隣から立ち上る激情の余波だった。視線をそちらへ向ければ、無言のレムが唇を引き結んで俯いている。

その感情を意図的に排した表情を見れば、その内心がかえって穏やかならぬものであることが手に取るようにわかる。

 

『魔女教』というフレーズを最初に耳にしたのは、確かレムの口からだった。彼女にとっては忌むべき対象であるらしい魔女教は、今やスバルにとっても最大の敵となっている。きっと、彼女と同じくらい険しい顔を自分はしているだろう。

 

憤るレムを見て頭を冷やすスバル。その様子を見ていたクルシュが己の長い緑髪を背中に流し、「それで?」と首を傾け、

 

「事情は把握した。次は協力者に当家を選ぶ理由と……根拠だな」

 

「協力者にクルシュさんたちを選ぶのは、今の状況からいって一番可能性が高いからだ。俺とレムをこうして面倒見てくれてるのもあるし、他の王選の候補者と比較すると手を組みやすい立場にあると思う」

 

このあたりは聞かれるだろうと答えを用意していた部分だ。

もっとも、スバルの本心を言えば、クルシュよりもさらに与し易いだろう相手は他にいる。が、現状の接触し易さを優先した結果、先にこちらに交渉を持ちかける流れになったというだけだ。

 

「与し易し、か」

 

そのスバルの答えを受け、クルシュは小さく呟くと意味深に笑う。その笑みの意図を測りかねるスバルに、彼女は「ひとつ、訂正させてもらう」と指を立て、

 

「卿らを客人として扱っていることで誤解を招いたのかもしれないが、考えを改めてもらいたいことがある」

 

「……なんスか」

 

「卿らを私は敵として扱っていない。が、エミリアは私にとってはすでに政治的敵対者であるという事実だ。いいか?私はすでに、彼女と敵対している」

 

存外に厳しい言葉を強調し、クルシュは自分の立場をはっきりと表明する。

その態度にスバルは一度目の世界を回想し、

 

「いや、でもこうして今は俺たちを……」

 

「それは契約が結ばれているからだ。エミリアと、従者を介してではあるが私との間に、対価と対価で契約があるからこそ卿らを迎え入れている。その約定がなくなれば立場は明快であるし、約定と関係のない部分では相争う立場でしかない」

 

スバルの取り縋る声をぴしゃりと切り捨て、クルシュはその線を譲らない。

一度目の世界でも、彼女は契約を破棄するスバルにはっきりと敵対宣言を告げていった。それは誠実であるともいえるし、融通が利かないのだともいえる。

つまり、

 

「手を結んでくれる芽はない、ってことですか」

 

「そのこととこのこととは無関係、という話だ。言ったはずだぞ、ナツキ・スバル。交渉であるならば、互いが納得して同意できるだけのメリットを提示せよと。ここまでではまだ理由と、前提条件を確認しただけに過ぎない。根拠と、純粋にこちらがそちらへ戦力を貸し出す利点を聞かせてもらわなくては」

 

もっとも、と彼女は途中で言葉を継ぎ、

 

「根拠、に関しては必要ないともいえる。エミリアの素姓が大衆に知れた時点で、魔女教が動き出すのは予想されていたことだ。その情報の出所が確かであれ、想像の産物であれ、いずれにせよ確証に近いものがある」

 

魔女教が動いた、というこの交渉の前提条件に関して、クルシュは一切の疑問を抱いていないらしい。それはこの世界特有の、この世界で生きるものたちにとっての共通認識であるらしく、素人交渉で場を進めるスバルにとっては不幸中の幸いだ。

魔女教のことがそれだけ知れ渡っているという事実は、はっきり言って虫唾が走るという次元の話であったが。

 

「つまり、交渉に必要なのは互いの利点だ。卿らの場合は、当家の力を借りることで魔女教という脅威を排除できる。ならば、当家がそちらに手を貸すことで得られるものはなんだ?それを聞かせてもらおう」

 

「じゅ、純粋に人助けとか……」

 

「面白い冗談だ。あまりに面白すぎて、ヴィルヘルムに剣を抜くように冗談を言ってしまいたくなる」

 

この場で帯剣しているのはヴィルヘルムとフェリスの二人だが、自分の一の騎士ではなくヴィルヘルムにそう命じるあたり、パワーバランスが知れようというもの。

ともあれ、冗句の類で回避できる場面ではない。スバルは全霊で頭を回転させ、

 

「あー、その、だな。たとえば、今回の窮地に手を貸してもらえることで、こっちの陣営にもの凄い貸しが作れたりとか……」

 

「――その提案を受け入れる場合、それはエミリアの王選の離脱を意味するが、それがわかっての発言か?」

 

「え?」

 

言葉を遮られ、差し込まれた鋭い指摘にスバルは口をぽかんと開ける。が、そのスバルを見やるクルシュの視線は刃のような剣呑さを孕んでおり、

 

「当然のことだろう?自分の領地の危機を余所の領主に丸投げするなど、王たる器以前の問題だ。領民を守り、従わせることができずして、どうして国を背負って立つことなどできよう。ナツキ・スバル――ひとつ、さらに勘違いを正そう」

 

指を立て、クルシュは押し黙るスバルに突き刺さりそうなそれを向け、

 

「卿は、エミリアの陣営を背負ってこの交渉を行っている。卿の発言の是非の全ては彼女にかかり、卿の発言は即ちエミリアの重みだ。判断は気軽に行うべきではなく、口にしたことを容易に翻すこともできない」

 

「あ、う……」

 

「その上で、再度問おう。――今回の件で貸しを作るのであれば、それはエミリアの陣営の敗退を意味する。それで、いいのか?」

 

いいわけが、ない。

今さらながらにスバルは、自分が立っている場所がどこなのかを理解し始めていた。

 

スバルがいるのは、なんら責任を負う必要のない気楽な討論場ではない。発言のひとつで多くの人間の立場が揺らぎ、王国の趨勢すら左右する場面。

望んでスバルが立った場は、まさにそんな重圧が必然の舞台なのだ。

 

「でも、それでも……」

 

両肩にかかる重さに潰されそうになり、スバルは唇を噛みしめて声を震わせる。

クルシュの発言の通り、彼女の力を今の条件で借り受けるのであれば、それはエミリアが返しようのないほどの遅れを彼女に許すことになる。

王選の巻き返しなど、緒戦のこの時点で差をつけられてどれほどできるものか。

 

クルシュに今の提案を持ちかけるのであれば、エミリアの王選はここで終わりだ。

だが、彼女の力を借りられないのであれば、ロズワールの領地を待つのは魔女教の狂信者たちによる蹂躙だけ。

 

天秤は揺らされ、スバルの脳には痛みと軋みがひっきりなしに訪れる。

それらに思考の隅々までノイズをぶつけられながら、歯を食いしばってスバルが出した結論は、

 

「それでも、手を貸してほしい」

 

「……王選の、脱落を意味するとしてもか」

 

「命あるだけ、マシだろ。――死んじまったら、おしまいなんだから」

 

肩を落とし、スバルは落胆と失望を隠せないままそう応じる。

死んでしまえば、おしまいだ。あの村の惨状を、そして隣に控えるレムのあまりに無残な死に様を、もう一度、この目で見る勇気などスバルにはない。

頭を下げて、屈辱に耐えて、それで命が拾えるのならばそうするべきだ。

 

そして、クルシュはそんなスバルの答えを受け、「わかった」と顎を引き、

 

「――それならば、カルステン家は一切の戦力を卿には貸し出さない」

 

と、そう断言したのだった。

 

※ ※※※※※※※※※※※※

 

――一瞬、クルシュがなにを言い出したのかわからず、スバルの時間は凍りついていた。

 

「――は?」

 

漏れた声は疑問符こそついているものの、理解が及ばない故に意味を為さない単なる音に過ぎない。が、クルシュはそれを受け、すらりと長い脚を組むと、

 

「繰り返す。当家は卿の要求であるメイザース領への助力――ひいては、エミリアへ戦力を貸し出すことをしない」

 

再度、より分かりやすく噛み砕いての発言。

その整然とした物言いが、かえって理解度の低いスバルを小馬鹿にしているように感じられて、

 

「ふざ――ッ!」

 

次の瞬間、込み上げてきた怒りを舌に乗せて吐き出そうとして、スバルはその短慮を寸前で押さえ込んだ。

声を荒げ、感情のままに喚き、事態が好転した試しがない。ましてや相手は自分よりずっと場数慣れしていて冷静だ。

膝を叩き、リズムを取ることでその気勢をゆるめながら、

 

「なんで、そうなる……?」

 

絞り出すように当然の質問を差し出す。

感情に訴えかけるより前に、相手の言い分をまず聞く。それから妥協点を探し、すり合わせて答えとする。交渉の基本であり、投げ捨てるわけにはいかない。

スバルの判断に、ペテルギウスの殺――村一つの存亡が懸かっているのだから。

 

そのスバルの低い問いかけに、クルシュは指を二つ立てると「まずひとつ」と前置きし、

 

「卿がこちらの利として提示、苦渋の末に呑み込んだエミリアの王選の脱落だが……これはこの交渉においては手札にならない。わかるか?」

 

「な、なんでだよ。ライバルが減るのはそっち的に十分な見返り……」

 

だからこそ、命とは引き換えにできないからこそ、もっとも天秤の反対に乗るものとして重いそれを対価としてベッドしたのだ。

エミリアが王座を目指すのを知りつつ、けれどたくさんの命と天秤にかけて。

 

歯噛みして食い下がるスバルに、しかしクルシュは首を横に振り、

 

「言っていて気付かないのか?エミリアの脱落に関していえば、私の関与に関わらず発生する事柄であるのだと」

 

「なにを――」

 

言っている、と続けようとしてスバルは気付いた。

そして、その気付いて愕然と顔を強張らせるスバルにクルシュは頷き、

 

「卿が言った通り、誰の助力もなければエミリアは自領を守り切れない。それはそのまま、エミリアの王選の脱落を意味する。私が手を伸ばすまでもない」

 

むしろ、とクルシュは立てたままだった指を振り、

 

「下手に手を出して、私の陣営がエミリアの脱落に関わったと他の陣営に知られることの方が大きくなる。知っての通り、この王選において現状でもっとも有利な立場にあるのは当家だ。ここで他の陣営を早くもひとつ蹴落とす真似をして、他の陣営に一斉に目の仇にされるのは避けたい」

 

静観すれば、彼女はスバルが提示した利点をそっくりそのまま手に入れられる。そのためにわざわざ危険を冒し、火中のクリを拾うような真似をする必要はない。

だが、それでは――、

 

「魔女教に襲われるロズワールの……領地の、あの村の連中は見殺しにするのか!?」

 

「勘違いを正そう。そして、話題をすり替えるな、ナツキ・スバル」

 

叫ぶスバルを冷たい眼差しで射抜き、クルシュは表情に鋭さを宿すと、

 

「領地を守る力がないのはエミリアであり、無能さで民草を失うのもエミリアだ。断じて、私ではない」

 

無力、無能――その言葉に思い切り頭を殴られたような衝撃をスバルは覚える。

クルシュの主張に反論をしたい。だが、浮かぶのはひたすらに幼稚な感情論ばかりで、彼女の正論に抗う力が湧いてこない。

 

「どうやら、言いたいことは終わりらしいな」

 

口を開けては閉じを繰り返すスバルの態度に、片目をつむるクルシュが呟く。彼女はそのまま開けた右目で部屋の窓から外の空を見やり、

 

「もうすぐ、地の刻に入る――夕餉の時間だ。定刻通りだな」

 

話をそう打ち切り、クルシュは席を立とうとする。

その取りつく島もない態度にスバルは焦り、

 

「ま、待て!」

 

立ち上がりかける彼女を手で制し、腰を浮かせたスバルは唇を湿らせ、頭を必死でめぐらせてクルシュと交渉を続けようと試みる。

 

「ほ、本気で見捨てるのか?村の奴らにはなんの落ち度も、理由もないのに!」

 

しかし、スバルの口から出たのはあくまで相手の温情に縋るかのような女々しい言葉の羅列だけ。それを聞いたクルシュはかすかな失望を瞳に浮かべ、

 

「言ったはずだ。力足らずは私ではなく……」

 

「知ってて見捨てるってのは!悪じゃねぇのか!?力があるなら、助けられるならどうして助けない!?助けてなにが悪い!別の領地の話なら、票数に関係ねぇって知らん顔か!?」

 

遮り、無礼を知りながら激情を叫ぶ。

スバルの剣幕にクルシュが眉を寄せ、そのあまりに不躾な態度にフェリスが瞳を怒りに染めて「ちょっと」と前に出ようとする。が、

 

「フェリス、いい」

 

「でも、クルシュ様……今のはいくらにゃんでも」

 

「剥き出しの気概だ。応じねば、私の格が落ちる」

 

不服そうにうなるフェリスだが、クルシュの命に従って静々と下がる。それを目の端に入れながら、クルシュは改めて椅子に座り直し、

 

「見過ごすのは、見殺すのは悪ではないのか、か」

 

深々と、吐息をこぼしながらスバルの言葉を反芻する。

その態度にとっかかりを、最後の可能性があると縋るように飛びつき、

 

「そうだ!王様目指すんだろ?国の全部を背負おうってんだろ?なら、村一つ見捨ててなにが王だって話じゃねぇか!」

 

いきり立ち、唾を飛ばし、拳を固めてスバルは力説する。

たたみかけるスバルの言葉、それを受けてクルシュは考え込むように目をつむり、それからゆっくりと、

 

「ひとつ、考えを正そう」

 

と、言って指を二本立て、透徹した眼差しでスバルを睨みつける。

 

その視線の鋭さにたじろぎ、しかし指と台詞の食い違いにスバルが顔をしかめると、クルシュはその唇を小さく挑発的にゆるめて、

 

「先の二つの理由の二つ目だ。それで卿の疑問も大方が晴れよう」

 

先の理由――それはつまり、クルシュがエミリアを助けない理由。それは、

 

「答えは――卿の話に当家を動かすほどの信憑性がないから、だ」

 

これまでの言葉が、前提が、ひっくり返るような発言でスバルを打ち抜いた。

信憑性がない、の一言でこれまでのやり取りを切り捨てられ、

 

「は?」

 

「魔女教か。なるほど、動くことはありえよう。奴らの教義と、これまでの活動からそれは明白だ。が、問題はその先だ」

 

「その先……?」

 

「簡単な話だ。なぜ、奴らが次にどこを狙うのか、卿に特定できる?」

 

立てた指をそのままスバルに突きつけ、クルシュは刺すような声と視線で、

 

「奴らの得体の知れなさは不可解なまでに徹底している。これまで、根絶やしにならずに四百年近くも存続してきたのがいい証左だ。そんな奴らの次なる愚行が、どうして卿に知り得たというのだ?」

 

「それは……だが、あんただってさっきはそんなこと」

 

「奴らの情報網の薄暗さは歴史が証明している。掴んだのであれば、その根拠を示してもらう。そうでないならば、知り得る理由はただひとつ」

 

押し黙るスバルに代わり、クルシュがゆっくりと噛み含めるように、

 

「卿もまた、魔女教である場合、だ」

 

「ふざけ――!」

 

今度こそ、怒りのままに爆発しようと喉を絶叫が駆け上がる。だが、それはまたしても寸前で制止させられた。

今度は自分の良心や自制心の結果ではない。

 

「――――」

 

――これまで延々と、スバルとクルシュのやり取りを無言で見守っていたレムが発する、まさしく鬼気というべき濃密な気配によってだ。

 

スバルの隣で、レムは膝に手を乗せて姿勢正しく椅子に腰掛けている。しかし、無表情を保つレムからは大気が歪みそうなほどの覇気が溢れ出しており、それが今しがたの会話に起因していることは火を見るより明らかだった。

 

「クルシュ様、お戯れはおよしください」

 

部屋中の視線を一身に浴びながら、レムは声音は普段と変わらないものを発し、慎ましやかにクルシュの方へ首を傾けると、

 

「スバルくんが魔女教だなんて、そんなはずがないじゃありませんか」

 

「――そうかな?ナツキ・スバルの発言を省みて、知り得た理由が口にできないならそうと断ずるより他にない。卿は、心当たりはないのか?」

 

「――ありません」

 

刹那の躊躇いがあったことに、クルシュは果たして気付いただろうか。

スバルから魔女の臭いを感じ取るレムだけが、今のクルシュの何気ないかまかけに引っかかるものを覚えて舌を弾いていた。

ともあれ、

 

「いずれにせよ。その二つが理由で、当家がエミリアに手を貸すことはできない。――そもそも、卿は交渉役としての権限を与えられてはいまい?」

 

「――う」

 

「先ほどは卿の肩にエミリアの進退が乗る、などと脅しもしたが、それ以前の問題だ。卿が背負うものなど、今のこの場にはなにもありはしない」

 

勝手に突っ走って、勝手に守ろうとして、身勝手にしくじっている。

クルシュの言葉は冷徹に、スバルの剥き出しの心を抉り、切り裂いていく。

 

激情は霧散し、スバルの胸中を占めるのは熱いものから冷たいものへと様変わりし始め、口は酸素を求める魚のように無様な開閉を繰り返した。

そんなスバルを、クルシュは哀れむような目で見て、

 

「今の卿には私を動かす力はない。大人しく、守られていることだ」

 

「――――!」

 

それは幾度も、幾度も、繰り返し繰り返しぶつけられた言葉だ。

スバルに無力を認めさせ、無知さを押しつけ、不甲斐なさを強要し、無茶な無謀な無様さを嘲笑っていく、腐った同情心だ。

 

なにもかもが思い通りにならず、スバルを忸怩たる思いが支配する。

どうして、なぜ、誰もかれもが、スバルに思いを遂げさせてくれないのか。なにが間違っているというのか。正しいことをしようとしているはずなのに。正しいと思って、助けられると信じて、そう行っているはずなのに。

 

「魔女教は、くるんだよ!あいつらが、村の人たちを皆殺しにするんだ……!」

 

喉が張り裂けそうなほどの怒りを、悲しみを込めて、スバルは訴える。

 

見てきた光景があった。触れてきた死があった。

親しい人々が、大切な存在が、なにもかもが凍りついて白い結晶へ姿を変える。

 

それは確かに起こることなのだ。放置しておけば必ず起きる無慈悲な現実なのだ。

なぜ、それをわかってくれないのか、阻止させてくれないのか。誰も邪魔をせず、ただただスバルに運命をねじ曲げさせてくれないのか。

 

「殺す、殺せばいいんだ!魔女教の奴らなんか、あいつらなんかみんなぶっ殺しちまえばいいんだ!そうすれば、全部丸く収まるんだよ!わかるだろ!?あいつらなんか、生きてたらいけねぇんだ!殺す、力を、殺す、貸してくれ!」

 

その場に膝をつき、地べたに這いつくばって懇願する。

床に頭を擦りつけて嘆願すれば、同情を瞳に宿して見下してくれるぐらいなら、道化でもなんでもやるから力を貸してほしかった。

犬の真似でも畜生の役割でもなんでも負う。それで、この殺意が叶うなら――。

 

「――卿の行いの源泉はそれか」

 

だが、そんなスバルの恥をさらすことを躊躇わない行いは、

 

「魔女教憎し、それが卿がエミリアに近づいた理由なのか」

 

――判断に私情を交えない権力者には、欠片の憐憫も抱かせなかった。