『リリアナ・マスカレードの情熱』


「アレは何やら不穏の種を抱えておるぞ。ついて行かねば後悔するやもしれんな」

 

「え?」

 

ベアトリスちゃんの手を引いて、何やらもごもごしたスバル様がてってこてってこ公園を出ていきました。

冒頭のやり取りは、それを見送ったところでいきなりプリシラ様が言い出した言葉です。あんまりそれがいきなりだったものですから、エミリア様も目を丸くされてます。互いに見合う美女と美女、ものっそい絵になる光景。

ここはちょっぴし、場違いな感覚を味わいながらも、成り行きをふわふわ見つめさせていただきましょう。

 

ぶつかり合う眼光、飛び散る火花!

切れ長ながら厳しく美しい赤い瞳と、やや緩やかに淡い色彩の紫紺の瞳。

プリシラ様はエミリア様の視線に、形のいい鼻を鳴らして腕を組みます。胸が、胸が強調される。

いっそ暴力的な巨乳が弾むのを見て、私はそっと自分の胸を撫でます。ぺたり。ジッと手を見る。

 

「それってどういうこと?」

 

「どういうこともなにもない。言ったままの意味じゃ。その程度のこと貴様の目にも映っていよう。あえて問い質さんのは思いやったつもりか?ならば片腹が痛いの」

 

「――――」

 

「主従の間でも、隠し事があるのは常……などと考えておるならお笑い草よ。従は頭を持たぬ手足でよい。それを許せば頭たる主の意にそぐわぬ態度も出よう。まさに今の貴様らの在り様そのものじゃな」

 

畳みかけるように険しい舌鋒が飛び出し、エミリア様はすっかり考え込むお顔です。その憂い顔は風に揺れる銀髪との風情が絡み合い、得も言われぬ感動が……正直、頬ずりしたり、はむはむしたら超気持ち良さそうです。

 

「でへへへ……」

 

なーんてしてると、エミリア様の考えもまとまったご様子。プリシラ様に頷きかけ、「わかった」とおっしゃいました。

 

「いいわ、そうする。私も……そうだと思う。主従の考え方はちょっと違うけど」

 

「妾の思慮に意見するのは甚だ思い上がりじゃぞ。それに愚図も愚鈍も等しく害悪よ。議論する暇なぞない。疾く、失せるがいい」

 

「ありがとう。すぐ追いつく……リリアナも、置いてけぼりにしちゃうけどごめんね?」

 

「でへへ、わひゃっ!?」

 

微妙に話の筋を聞き流していたところ、エミリア様が私に謝罪のウィンク。なにこれ役得なんて思いつつ、私はエミリア様にぐっと拳を見せました。

 

「ご安心ください、エミリア様。この『歌姫』リリアナ!エミリア様やスバル様のご帰還を信じて、この公園をどんな苦難や難敵からも守りきってみせましょう!」

 

勢いで歌姫とか言っちゃったけど、自称するの恥ずかしい!やだこれ思った以上に恥ずかしいんですが!

 

「ちょっと何言ってるのかわかんないけど、お願いね。プリシラ、リリアナのこといじめたらダメよ」

 

「気安く妾の名を呼ぶでない。妾の意は伝えたぞ。疾く失せて、あの道化と戯れてくるがよい」

 

「まったく、もう」

 

あんまり仲がよろしくないのか、プリシラ様はとりつくしまもありません。エミリア様は最後まで、ちらちらと私の方を不安そうに見ながら走ってゆかれました。

ああ、さようなら、エミリア様。もっともっと、色々とお話ししたいことがございました。あと単純に全方位から見れるだけでも満足できそうでした。

 

「閃きました。聞いてください。――足下から見つめたい」

 

「たわけ。粗製濫造しておる暇があれば、至高の旋律を追い求めよ。貴様の才は凡俗には到底及ばぬものじゃが、才人に対しても有限の時は平等……なれば一秒の価値は凡俗と貴様で大いに違う。無為の浪費は財の特権じゃが、無自覚にするのではドブへ投げるも同然じゃろうが」

 

「なんだかものすごい褒められ窘められで、私のご機嫌な機嫌も急上昇して乱降下して忙しいんですが!」

 

褒められた?怒られた?頭の良い方は話す言葉もいちいち珍妙奇天烈摩訶不思議で困ったもんです。

私は流浪の吟遊詩人、お恥ずかしいと思ったこともあまりありませんが、学なし家なし墓もなし!ないない尽くしを地で行くのが我が覇道!歌道!

 

「余人には計れぬ奇癖も、見えておる世界が違えば仕方ないというものか。とはいえ、無知は誇らしげにするものではないがな。貴様の崇める歌の是非にも関わろう」

 

「いぃえぇ!そんなことはございませんっ!」

 

「――ほう」

 

「ぎゃひっ!」

 

反射的に反論してしまった途端、プリシラ様の声がものっそい低くなりました。おまけに細めた目の美しいやらおっかないやら、おどれしかしここで屈するリリアナじゃぁありませんぜ。

 

「や、やめてくださいよぅ、プリシラ様……私はなにも、プリシラ様に逆らおうってんじゃぁ……」

 

「才に見合わぬ卑賤な振る舞いはやめよ。貴様の価値が落ちるとなれば、それは貴様の歌声を評価した妾への侮辱であろうが。許す、思うがままを語るがいい」

 

掌の皺を合わせてお幸せ戦法が通用しない!

しないばかりか何やらプリシラ様はまたしても小難しいことを。えーっと、つまり言ったっていいのかしら?

 

「そのですね……プリシラ様は、学がなければ歌の出来にも関わるとおっしゃいましたが……」

 

「そうじゃな」

 

「ですが、学のあるなしは歌の本質には関わらないと私は思ったりしてみたりするんですよぅ」

 

「ほう、なぜそう考える」

 

「――歌に心を揺らされることに、条件はないからです」

 

歌には、力がある。

自分自身の歌声に、それだけの力があるだなんて自惚れちゃいません。私はまだまだ未熟、目標の高さと矛先の正しさだけは信じていますが、まだはるか遠い道の途上。

歌声は未熟、演奏も未熟、だけど込める心は幼い頃から完熟しているつもりです。

 

「歌を楽しむのに、学なんて資格は必要ありません。歌で悲しむのに、心さえあれば十分です。歌へ怒りを覚えることすら、裸一貫でできることなのです」

 

リュリーレと、この小さい体でも歌は十分。

難しい言葉はいらない。学ぶ気持ちは尊いけれど、学ぶ機会がなければ歌も楽しめないだなんて、そんなのは吟遊詩人の選ぶ道ではない。

吟遊詩人は歌に生かされている。そして歌が相手を選ばず響くのならば、吟遊詩人もまた聴衆は選ばない。

 

「私は歌に心を込めますが、ややこしい裏のあれこれを込めるつもりはありません。聞いた方の心に残るものは、聞いた方の自由――歌はただそれを楽しむものです。心に残り、時折、ふと無意識に口ずさむ。……そんなことが私の歌で起きるのなら、生涯をかける価値がある」

 

「――ふむ」

 

「はっ!」

 

すっかり気合いが入って高潔吟遊詩人状態でしたが、相手は飛ぶ鳥を全滅させる勢いの王選候補者!

中でも特別に難しい性格と噂されるプリシラ様。ちょっと一緒に歌って踊ったぐらいで、距離を詰めただなんて思って調子に乗りすぎたやもっ!

 

「ま、まあ、そんな風に思う今日この頃なわけなのですよぅ……あくまで、一例としてですが。ええ、一例です。へへ、聞き流していただいてもへっちゃらなんで……」

 

「よいな。貴様……いや、そなたやはりよいぞ」

 

「へ?」

 

打ち首御免と言われて飛んで逃げるつもりだった足が、そのプリシラ様の言葉にがっしり掴まれる。

っていうか、今、プリシラ様笑いました?不敵にとかじゃなく、こう、なんか、可愛い感じで。

 

「無粋は妾の方であった。そなたはそなたの歩みを進めるがよい。何かあれば妾を頼れ。そなたには目をかける価値があるじゃろう」

 

「でぃええええ!?」

 

なぜだかわかりませんが、思った以上の高評価!

まさかの出来事に目が点。プリシラ様はそのまま上機嫌に、公園の噴水の縁に腰を下ろします。大胆におみ足を組みまして、足長っ!じゃなくて。

 

「私、生き残りました?」

 

「仮に世が滅ぶことがあれば、生き残る妾がそなたを死せる群衆の最後においてやってもよい」

 

「世が滅んでも生き残る気満々!閃きました、聞いてください。――絶対絶望女子」

 

「妾に捧げる曲とあれば、さぞ高尚なものであろうな?」

 

「……はやめて、定番の『邪竜討滅戦士録』で!」

 

上機嫌でも、笑いながらスッパリやられそうな雰囲気がなんかもうすごいんです。

プリシラ様が噴水を背後に佇まれる前で、私は焼いた靴を履かされた乙女のごとく必死になります。リュリーレを掻き鳴らし、何度も歌い込んだ曲に没頭する。

 

極限集中で世界を置き去りにする感覚――私は『歌人領域』なんて呼んでますが、それに没入したい!

こい、没入こい!不安もビビりも忘れさせろ!

うひゃひゃーい、煩悩まんてーん!!

 

※※※※※※※※※※※※※

 

「――演奏をやめよ」

 

「べへへ、たまんねーなぁ……って、はい?」

 

煩悩が多すぎて『歌人領域』に入れないなんて不安視してましたが、何の問題もなく没入でけてました。

で、完全にラリラリ歌えていたんですが、プリシラ様が険しい顔で立ち上がっておいでです。はて?歌ってる間に粗相でもありましたでしょうか。

 

「プリシラ様?」

 

「気付かぬか?街が奇妙にざわついておる。……妾が無聊を慰める間に、何くれかが悪さを働いたようじゃ」

 

「はぁ……」

 

イマイチ、プリシラ様のお言葉はすんなり頭にとけ込んできません。

つまり、どゆこと?

 

「プリステラに災いの陰あり、という話じゃ。この調子だと……あの道化の勘働きも無関係ではあるまい。実に気に食わん流れじゃな」

 

道化、というのはスバル様のことのはず。勘働きがどうのということは、ベアトリスちゃんを連れて出てったことやエミリア様が追いかけたことも関係が……?

 

スバル=『幼女使い』

ベアトリス=『幼女』

エミリア=『凄腕魔法美少女』

 

「よもや!プリステラで何か事件が起きたと!?」

 

「やはり歌以外のこととなると極端に血の巡りが悪いようじゃな。万事に秀でた妾と違い、一部の能力だけ傑出したものはこれだから扱い難い。妾好みではあるが」

 

目をつむったプリシラ様、いつの間にか取り出した扇で頭痛でも感じたみたいに頭をつついてらっしゃいます。

そんなプリシラ様のお言葉には色々と物申したいですが、今はそれどころじゃござんせん。

 

「確かに、公園からも人の姿が消えて……」

 

「それはそなたが演奏中、あまりに見苦しい風体をさらしておったからじゃ」

 

えー、原っぱに寝転んで歯でリュリーレ弾くぐらいのことは許してほしかったりするんですがー。

 

「おほん。それに、何か事故や事件が起きたらすぐに都市庁舎の魔法器で都市全域に声が届くはずですよぅ。キリタカさんが注意してますし、今朝も私が……」

 

「あの大げさに声を届けるアレか。確かにそなたの歌を都市中に聞かせる試みは面白いが……どうじゃろうな」

 

「――?」

 

毎朝の恒例となった都市内放送に加えて、水門都市プリステラは大水門の存在のおかげで、ちょいと避難意識の高いところです。都市の至るところにある避難所は、ご近所様にもしっかりと周知されていることでしょう。

なのに――。

 

「あれ……なんでしょ」

 

胸が、なんだか奇妙に疼きます。

おかしい。私の胸に古傷なんて曰くありげでカッコいいものはないはず。それなら、この感覚は――。

 

「……くるな」

 

私の笑顔がひきつり、「ほえ?」と呆けた声が出たところで、プリシラ様が急にお空を見上げました。

 

――都市放送が鳴り響いたのは、そのすぐあとです。

 

『ってなわけなんで、クズ肉どもはぜひぜひ惨めで残念にらしくらしく死に腐りやがってくださーい、きゃははははっ!お送りしやがりましたのは、魔女教大罪司教『色欲』担当!カペラ・エメラダ・ルグニカ様でしたー!きゃははははっ!』

 

キンキンとした声がプツッと途切れて、それっきり静けさが戻ってきました。風の音と、噴水から溢れる水の音。それがあんまり自然すぎて、今までのことが夢みたい。

 

「ずいぶんと、思い上がった口を叩くものじゃな」

 

あ、夢じゃない。夢じゃなかったみたいです。

だって隣にいるはずのプリシラ様の声が怖いし。どのぐらい怖いかって、振り向いてそのご尊顔を確認するのを、私の鋭敏な生存本能が「それダメよぅ!」って言ってくれてるぐらいなんですってば。

 

「えと、あのですね、プリシラ様……アレはほら、ひょっとしたら単なる催しというか……ちょっとした悪ふざけみたいな、そういう可能性もあるんじゃないかなーって私は思ってみたりするんですが」

 

「願望と推測は根本から違うものじゃぞ。悪質な冗談の可能性で、誰が魔女教などと血生臭い名前を使うものか。ましてや相手は大罪司教を名乗っておる。アレらが時機も場所も手段も選ばぬ狂人揃いなのは知っていよう」

 

「ぐぬぬ……」

 

「それにこの都市には、その狂人の一人を殺した道化もいる。となれば、奴らが躍起になってかかるのも当然であろう。そなたのように楽観して、取り返しのつかなくなるものがどれだけいるかは知らんがな」

 

プリシラ様の言葉は相変わらず難しいですが、今回はだいぶ私にもわかるように噛み砕いてくださった模様。

その結果、過不足なく私の頭にも状況が入りました。

魔女教の襲撃を大罪司教が主導は確実、しかも都市庁舎も乗っ取られてしまった感がすごい。

そうなると……。

 

「き、キリタカさんはどうなってしまったんでしょう?」

 

「さて、知らぬ名じゃな。都市の重要人物で、庁舎に詰めておったとすれば身の安全は保障されまい。妾もどうやらここで歌とせせらぎに耳を傾けておる場合ではないようじゃな」

 

プリシラ様はそう言うと、扇を手にしたまま颯爽と歩き出してしまいます。って、あの、そっちは避難所があるのとは全然別の方角なんですけど。

 

「あのあのっ、避難所へ向かわれるんじゃないんですか!?こう、緊急事態の際は決まったのと違う行動をするとややこしいことに!」

 

「避難所に隠れて頭を下げるのは、事態が水の流れのように過ぎるのを待てばよいだけのものじゃろうが。此度の問題はそれとは別よ。妾らが動かねば片付かぬ」

 

「で、でわっ、大罪司教をやっつけに!?」

 

都市庁舎に殴り込みをかける王選候補――!

ぜひ見たい、というのは当然ですが、勝ち目のない戦場に飛び込ませてもそれは悲劇にしかなりません。

そもそも、プリシラ様って自信満々だけど、戦えるお人なんでしょうか?

 

そんな疑問を込めた私の言葉に、プリシラ様は扇で口元を隠しながら振り返って、小首を傾けると、

 

「いや、その前にシュルトを回収せねばならん。アルはどうとでもしようし、あの愚物はどうなろうとも構わん。じゃが、シュルトの愛らしさは替えが利かぬ故な。妾が回収してやらねば、どこぞで泣いておらぬとも限らん」

 

「え?え?」

 

「アレのことじゃ。おそらく、妾の今朝方の言葉に従って酒屋をさすらっておろう。そのあたり、少し足を運んで拾いにゆく。まったく、手のかかる奴じゃ」

 

ぶつくさと言いながら、プリシラ様は迷いなくとっとこ公園の出口に向かってしまいます。私はその状況わかってるのに状況を見てない判断に目が回ってしまい、はてさてどうしたものかと呆けるばかり。

と、プリシラ様が振り返って、

 

「別に妾に付き合えなどとは言わぬが、あまり妾より離れると『日輪』の範囲より外れるぞ。混乱をきたした衆愚に塗れたくなくば、妾についてくるのが賢明じゃな」

 

なにそれ怖い!どういうことなの!?

 

「プリシラ様?その、探し人を見つけたらどうするんですか!?ねえ、プリシラ様ってば!」

 

無言でズンズン進む背中を慌てて追いかけ、私たちは避難所へ逃げ込む人々を尻目に都市を堂々ゆきます。

その背中があんまり力強いものだから、ひょっとして魔女教大罪司教なんていってもそこまで怖がる必要ないのかな、なんて……。

 

――そんな勘違いをしていたと、私が思い知らされたのはそれからすぐのことでした。

 

※※※※※※※※※※※※※

 

プリシラ様の言葉に従って、都市の中を進みます。

不思議なことに、プリシラ様は具体的な目的地の場所はわかっていないご様子なのに、水路や街路の分岐点に辿り着くと、何の迷いもなくささっと道を選ばれます。

 

それが結果的に合っているので、道案内を買って出たはずの私の出番なし!

 

「プリシラ様はプリステラは初めてではないんですか?すいすい歩かれますね、どビックリです」

 

「いいや、初めてじゃ。妾の名に似て、その上で風光明媚な水の都となれば一度は足を運ばねばとは思っておったがな。このような機になるとは思わなんだ」

 

「そですか、残念です。本当はもっと心安らぐ美しい都で、こんなせかせか歩くような場所じゃないんですよぅ」

 

水門都市プリステラは、もちろん観光的にも飛び抜けて見所のある場所ですが、吟遊詩人らしからぬ長期滞在をしている私に言わせれば、中を歩いて楽しめる都市!

プリステラに根を張るミューズ商会だって、キリタカさんの代から特にその方向に尽力しているそうで。

 

まぁ、キリタカさんも私にややこしい話を振るよりは、ちやほやしてくれることの方が多いので何とも言えませんが……キリタカさん、無事なんでしょうか。

 

「というか、そもそも誰とも出くわさない!道を歩けば人に、水路を覗けば水竜に、歌を歌えばキリタカさんに出くわすこの都市で、なんたる異常事態!」

 

魔女教も最初の放送以来、ウンともスンとも言わず音沙汰がありません。おまけに人とも水竜とも出くわさないとなれば、耳に届くのは風と水の流れる音のみ。

静かです。でも、なんか静かなだけじゃない気がします。この静かさには、あるべき静かさが欠けている?

 

「ちょこまかと歩き回るでない。ほれ、そこは右じゃ。妾の言う通りにせよ」

 

「へ?あっちの通りに行きたいんじゃないんですか?でしたらそこの橋で水路を越えた方が近道ですよぅ。もう、プリシラ様ってばおっちょこちょいなんですから」

 

「ほう――」

 

「ひぃっ!すみませんすみませんナマ言いました!」

 

距離が縮まったと思って距離の近い方の道を教えたのに失敗でした!ってかその「ほう」ってすっごい怖いです!獣の眼光……否!獣を狩るものの眼光!

 

「妾の言う通りにせよ。悪いようにはせぬ」

 

「へへぇ、こっから先はプリシラ様に絶対服従ですよ、私っ!」

 

プリシラ様の指示に従って、その後もなんでかちょいちょい遠回りしながら進みます。その間もなぜやら誰とも出くわさない。そろそろ間が持ちません!

 

「歌いながら陽気に歩きましょうか?」

 

「そなた、歌は場も相手も選ばぬと言ったな。だが、歌が相手を選ばずとも、相手が歌を選ぶことはある」

 

「――?」

 

「しばし、喉を休めていることじゃな。いずれにせよ、そなたが歌う機会はすぐ巡ってこよう」

 

「はぁ」

 

そのまま、プリシラ様は見通したような目で言いよります。

思わせぶりな言い方とか、率直実直直角を本分とする私には非常に息苦しいのですが、お口閉じてだんまりです。

さてやれ、そんな妙に寂しい都市紀行も――、

 

「――ここじゃな」

 

足を止めたプリシラ様が見るのは、都市の各地に設置された避難所の一つ――この場所は二番街の集会場だったでしょうか。

都市中央の都市庁舎が、都市全体の話し合いをする場所なら、各数字街の集会場はその区画の意見をまとめ上げる場所です。

キリタカさんは三番街の集会場のまとめ役で、都市中枢の運営にも影響力を持っているとかなんとかかんとか。

 

「おぉ、意外にも手堅い場所を押さえていくんですね!いったいどこへ連れていかれるものかと、正直、ちょっぴしビビビっていたところでした!」

 

「ほれ、何をしておる。早々に入るぞ、ビビビり娘」

 

集会場なら、たぶん偉い人とか誰かしらいるでしょうしね。それにこのあたりの住人の逃げ込む拠点ですから、ここまで見れなかった人恋しさも癒される――。

 

「てめえ、ふざけるな!ぶち殺してやる!!」

 

そんな幻想が、出迎え一発目の怒声で吹っ飛びました。

血の滲むような怒声には、その強い言葉を脅しだけで片付けるつもりが毛頭ない、本物の殺意がありました。

 

よくよく、乱暴な殿方が軽はずみに使うものと違う、本物の殺意――私も吟遊詩人で女、各地を流浪するとなれば安全な道行きばかりではなく、危うい局面も何度か迎えてきましたが……その感覚に匹敵する『怒り』。

私に向けられていないものだから、匹敵するだけで済んだ、暴力と殺意を伴う『憤怒』でした。

 

「ぷ、プリシラ様……?これは……」

 

思わず、私は腰砕けになりそうで隣のプリシラ様に縋ろうとします。ですが、プリシラ様は私の腕をさっと避けて、ひどく退屈そうな目で集会場を見回しました。

膝をついた私は、信じられない気持ちでプリシラ様と同じものを見渡します。

――その、阿鼻叫喚を。

 

集会場の中では、押し込まれた人々が口々に罵り合い、激しい憎悪の声を上げながら掴み合っていました。

 

人の数は五十……いえ、百?二百?

とにかく大勢の人が、見境なく隣同士の人間を突き飛ばし、老若男女が一緒くたになって暴れている。

 

罵り合い……罵声は敵意と悪意に染まり、行動の暴力は害意と殺意を帯びる。血を流して倒れる人もたくさんいて、集会場の端には頭を抱えて震える幼子の姿も。

 

これは、いったい、なんなのでしょうか。

 

「ふむ……さすがにこれだけ有象無象おると、シュルト一人探し出すのは骨じゃな」

 

茫然自失してしまう私を置いて、プリシラ様は鼻を鳴らしながら阿鼻叫喚に顔色も変えません。

……いえ、あの、とんでもない状況ですよ?なんでそんな平然と?

 

「この程度のこと、この都市の至るところで起きておったに決まっておるじゃろうが。鈍いそなたは気付かなかったかもしれんな。――煩わしい道は妾が避けたのじゃから」

 

「避けたって……!」

 

言っていて、ようやくその意味を理解しました。

プリシラ様が道中、わざわざ遠回りになるような道を選んで進んでいた理由――それは、同じように争い合う人々のいる道を避けていたからだったのです。

私だけがそのことに気付かず、のうのうと何事もない街並みだなんて間の抜けたことを言っていた――!

 

「こんな風に、押し合いへし合いしてるのも……魔女教と関係があるってことなんですか?」

 

「ただの不安でいがみ合うなら、それが衆愚の限界と切り捨ててやりたいところじゃが、違うな。こ奴ら……いいや、この都市の全域に馬鹿馬鹿しい力を被せている輩があろう。その結果がこれというわけよ」

 

プリシラ様のお言葉は、肝心な部分がわからない。

ただ、わかることもある。それはここでぶつかり合う方々が、そんなつもりがないのにやらされていること。

 

「な、何故に私は無事なのでせう。私には特別、その力みたいなものに対抗する能力があるとは……いえ、まさかこの瞬間に目覚めた……!?」

 

「妾の『日輪』の威光であろうよ。ひょっとするとそれがなくともそなたははねのけたやもしれぬが……よいじゃろう。それより」

 

プリシラ様が目を細めて、罵り合う人々を眺めました。「ほう」のときに私を見る目と同じ。つまり怖いときの目です。その目をしているなら、次の一言もきっと怖い。

その予想は当たりました。

 

「こう騒がしくては探し人など夢のまた夢よ。どれ、少しばかり威圧して黙らせてやらねばなるまいな」

 

「……へ?」

 

そう言って、プリシラ様はしんどそうな仕草で『空中から剣を抜き』ました。いいえ、それだと正しくなくて。

もっと正確に言うと、光が剣になった?

 

「我が陽剣の輝きに魅せられるがいい――」

 

プリシラ様の握る剣は、異様に美しい装飾で彩られた柄から刀身まで真っ赤な真紅の宝剣。それはプリシラ様の手の中でまるで太陽のように輝き出し、集会場全体を一気に照らし出し……眩しっ!明るっ!照らし出すとかいう次元じゃなく、太陽ができたみたいに目が焼ける!ぎ、ぎああああ――!

 

近くで直視したせいで、私の両目に甚大なダメージが!

ゴロゴロと転がって距離をとって、私は今の一撃の文句をプリシラ様に言おうと――して、気付きました。

集会場が静まり返り、争っていた人たちの視線がプリシラ様に向いていました。そりゃー、そうでしょう。あれだけ物理的に明るい人が現れたら、そりゃーみんな争う手も止まるというもんです。

そして、その手と声が止まった中に、

 

「プリシラさまぁ――っ!!」

 

泣きじゃくり、壁の端にいた男の子が駆けてきて、その可愛い顔を赤くしながらプリシラ様に飛びつきます。プリシラ様も、その男の子を真正面から受け止め、癖のある桃色の髪を優しく撫でました。

 

「妾にこうまで手間をかけさせるとは、そなたぐらいのものであるぞ。とんでもないことをしておる自覚はあるか、シュルト」

 

「ぼ、僕……もう、もうダメかと思ったで、あります……!でも、プリシラさまぁ……プリシラさまぁ……っ」

 

「聞く耳持たぬか。まぁ、童は泣くもの故、責めはせぬがな」

 

ポンポンと、優しく男の子の頭を撫でる姿にビックリしました。

いえ、プリシラ様がわざわざこの子を探しにきたぐらいですから、そりゃー可愛がってるんだろうとは思っていましたが、実際にその現場を見てみると違和感がものすごいわけで。プリシラ様とのギスギス道中、思い出すほど首がねじ曲がる。

ですが、これだけ目立った真似をしといて、素直にここで収まると思っちゃーいけません。当たり前ですが、衆人環視の再会はこの場の全員の注目の的!

それも怒れる群衆の矛先は、今しがた光り輝いたプリシラ様へ向かいます。しかも今気付きましたけど、あのピカッた剣が見当たらないんですが。

 

「プリシラ様、さっきの剣はどちらに置き忘れられました?」

 

「あれは燃費が悪いのでな。使わぬときは陽光に還しておるのよ。ふむ……」

 

私の質問にそうお答えになりまして、プリシラ様が自分を見る人たちを眺める。相変わらず、湖面を眺めるみたいに静かな……というか、冷めきった目でして。

 

「何をじろじろと妾を見ておる、不届き者どもめらが。妾の美貌に見惚れるのは人の常じゃが、時と場合と自らの立場を弁えよ。まず、跪くのが礼儀じゃな」

 

「なぜにそのような挑発をば――!?」

 

シュルトくんとやらをその胸に挟んだまま、プリシラ様が悪い顔で地面を指差して、その場にいる全員に膝を折るよう命じます。当たり前ですが、普段よりもより怒りやすい皆さんが激怒して、一気に押し寄せてきました。

地鳴りみたいに激しい音が響いて、へたり込んだままの私は大慌てで尻を滑らせて下がります。なのに、プリシラ様はその場に立ったまま。いえ、ちょっと。

 

「この女ァ!ふざけてんじゃ……」

 

「まず貴様じゃな。――せいぜい、派手に飛ぶがいい」

 

大柄の男性が、怒りに任せてプリシラ様に掴みかかったと思った瞬間、プリシラ様が伸びてくる手をあっさりと避けて、その厚い胸板を押し返しました。

直後、私の倍ぐらいは体重がありそうな男性が、まるで木の葉みたいに吹っ飛びます。いえ、本当に、誇張なしで軽々と。

 

「――ッ!?」

 

そのまま男性の体が、突っ込んできていた人たちに直撃して大惨事。押し返されて薙ぎ倒されて、まるで並べた立て板を倒すお遊戯みたいに転がり転がり。

結果、最初の出鼻が挫かれて、その勢いが止まります。先頭にいた以外の人たちの足も、プリシラ様のその威力を見て竦みました。

 

「見ての通り、妾はその気になれば貴様ら全員を切り伏せることも可能じゃ。面倒ではあるがな。妾の手にかかりたいのであれば、順番に並んでくるがいい。今日ばかりはその願い、妾の時間を割いて叶えてやらんこともない」

 

「――――」

 

そう堂々たる声で言って、プリシラ様がじろりと周りの人たちを睨みます。

そりゃあーた、そんなこと言われて飛んでくる人たちはいやしません。さっきまでの怒り狂った様子もどこへやら……いえ、怒りは皆さんの内に残っています。ただその矛先として、プリシラ様を選ぶほど見境をなくしてはいないだけで……。

 

「いないようじゃない。であれば、妾はここになぞもう用はない。妾の従者は無事に見つけたのでな。貴様らはせいぜい、妾のいなくなったあとで興じるがいい」

 

「え!?」

 

プリシラ様はそんなことを言うと、泣きべそをかいたままのシュルトくんの手を引いて、そのまま集会場の外へ向かおうとします。向かってますけど、これホントに外に出ちゃう感じの流れですか?え、それって大丈夫なんです?

 

「あ、あの!この人たちをこのままにしておいて……」

 

「妾がいなくなれば争いは再開……まぁ、最後は殺し合いになってもおかしくなかろうよ。じゃが、妾がそれを止める理由なぞどこにもないじゃろう?」

 

「それは……」

 

そうかもしれない。そうかもしれませんが、それでいいんでしょうか。

いくらなんでも、それで投げていくのは状況がひどすぎる。

 

「ぷ、プリシラ様は王選の候補者で……」

 

「妾とてできることとできぬことがある。妾がやんごとなき立場にあることは疑いようもないが、それを理由に無理を押し通すのはまた話が違おう」

 

「ぐひっ……!」

 

先回りして止められてしまい、もはやぐうの音も出ません!

でも、でもでも、自分たちがいなくなったら争いが始まるのがわかってて、それで逃げ出す薄情な真似ができましょうか。

そんなこと、私は――。

 

「それとも、そなたがそれをするか?」

 

「――え?」

 

口ごもったところに、プリシラ様が低い声でそう囁きました。

それはなんと言いますか、ええと、その、やけに魅力的な提案に聞こえて。

 

「そなた、妾に言ったな。歌を楽しむのに資格はいらぬと。場所も相手も選ばぬことが歌の本質であると。ならばその神髄で、彼奴らめを救ってみるか?」

 

「…………」

 

「そなたは妾の『日輪』に入れている。そして妾はこうも言った。何かあれば妾を頼れと。早々に切る手札じゃが……それもまた一興よ。妾はそなたの歌を聴くためであれば、ここで足を止めてもいい」

 

挑発的に、プリシラ様が腕を組みました。癖なのか、胸を持ち上げる。

暴力的な巨乳の谷間が見える。自分の胸を触る。ペタリ、ジッと手を見る。

 

その掌に、汗が浮かんでいました。

 

「やれる……でしょうか?」

 

「やったところでどうなるわけでもない。――そなたがそう考えておるのであれば、やるだけ無駄であろうがな」

 

歌に力がないと、そう考えているんであればそうでしょう。

そうでしょうが、そうでしょうが、そうではないでしょうが――!

 

背負っていたリュリーレを外して、しっかりと両手に握りしめる。

まだ私の聴衆になっていない、怒りを腹の内に溜め込んだ人たちが見ている。なんということでしょう!これから、私が歌おうっていうのに!

 

――人が楽しく歌い出そうってときに、ケンカなんてしないでほしいもんです!

 

「シュルト、しばし待て。面白いものが見れる」

 

「は、はいであります」

 

プリシラ様とシュルトくんが、リュリーレを構えた私の後ろに立っています。

どんな顔をしているのか、ええい、チクショウ、見なくてもわかる!

 

女リリアナ!リュリーレ一つで世界を渡り、いずれは英雄を吟じる吟遊詩人!

ここで引いちゃぁ、女も人生も廃るってもんでしょうが!

 

「閃きましたぁ!聞いてください。――水面に揺れる、水門都市!」

 

いっぺん正気に返って、それから私に熱狂しなさい!

ケンカなんてしてる暇があるんなら、その方がよっぽど有意義なんですから!