『密入城とその結果』


 

「こうもトントン拍子にいくと、どうにも不安になんなぁ」

 

頭を掻き、スバルは周囲を見回しながら嘆息する。

石造りの頑健な通路は横幅およそ二メートル弱。大人が四人も並べば詰まる程度の狭さだが、使用人が行き交うぐらいの利用目的の場なことを考慮すれば十分な広さといえる。ロズワール邸の各廊下などが、不必要にでかくて掃除が大変なだけだ。

ともあれ、

 

「もっと色んな障害かかるの予想してたのに――まさか一発クリアとは」

 

人気のない通路――『王城』の地下通路の一角に身をひそめ、スバルは警備のザルぶりに人知れず吐息をこぼしたのだった。

 

※ ※※※※※※※※※※※※

 

――『ドキドキこっそり登城作戦byカドモンプレゼンツ』が実行に移されたのは、三人の悪巧みからほんの小一時間ほどあとのことだった。

 

「いいか、絶対に俺の名前を出すな。貴族街……上層区まではこの手で入れるが、城に入るのは別の手を探せ。いざとなったら上層の西区にいるヘネヘヘってやつを尋ねろ。穏便に下に戻してくれっから」

 

自分に累が及ばないよう念押しする傍ら、いざというときの逃走経路の情報をもたらすのを忘れない。どこまでいっても面倒見の良さが抜けない強面の店主だ。その人の好さが災いして、こんな無謀に付き合わされているともいえるのだが。

 

カドモンの提案(彼は否定するだろうが)によってスバルが上層に忍び込むのは、商い通りから上層区へ向かう荷竜車の荷に紛れての密輸作戦に決まった。

下層――商い通りなどの商業区や庶民の暮らす平民街。そして貧民街などを含めた王都外周部の連なりをまとめてそう呼ぶらしい。その下層区から上層区へは定期的にこうした運搬があるらしく、詰め所の管理も比較的緩いのだという。

 

「そんだけ商人が信頼されてるってこと?」

 

「商人が信頼されとるというよりは、上の機嫌を損ねてこの割のいい取引きをご破算にするような間抜けでないと思われとる……というべきじゃろうな」

 

スバルの疑問にそう答えたのは、腕を組む筋肉質の巨漢だ。己の禿頭を一撫でするロム爺の装いは、つい先刻までの着古したボロから比較的見れる清潔なものへと様変わりしている。その理由を問うスバルの視線にロム爺は気付き、

 

「上層区は入ってしまえばさほど怪しまれんとはいえ、それでも身綺麗にしておいた方が人目にはつかんで済む。小僧の場合はそれも不要の気遣いじゃが」

 

「ま、ま、俺の立場としちゃ今はそれなりの家の下男ですんでね。初めての王都進出ということで、服装にもけっこうなお金がかけられてますことよ」

 

品定めするような視線に手を掲げ、スバルは自分の今の格好を見下ろし笑う。

ロズワール邸での使用人生活にあたり、レムが用意してくれた男性用の礼服だ。汚してもいいとの仰せだが、見た目と触感でわかる高級感に、基本小市民気質のスバルは必要以上の慎重さで取り扱いをしてきたほぼ卸し立ての一品。

 

下層区ではそのフォーマルさが逆に悪目立ちの要因にもなっていたようだが、逆に上層区ではその異質さが中和されてマイルドな感じになるだろうと判断。

そんな納得を得ながら、スバルは「それより」と身綺麗にしたロム爺を見上げ、

 

「にしてもアレだな。ロム爺もマジでついてくるとかかなり心配だな、俺」

 

今をもって最大の懸念事項であるそれに触れて、スバルは恐々とそうこぼす。

上層区への人身密輸に際して、スバルへの同行を申し出たのはロム爺自らだ。正直、見つかる可能性をわずかでも減らしたいスバルとしては断りたい提案であったのだが、

 

「なに、上層に入ることに関しちゃそれなりの場数を踏んどるからな。儂が盗品蔵に集まった品々をどこに融通しとったと思う」

 

「その言い方、俺も昔は悪かったんだぜって語る親父みてぇでウザい。ってか常習かよ、頼れる以上に危ねぇよ、このジジイ」

 

同意を求めてスバルはカドモンを見やるが、強面は二人の会話から離れて竜車を率いる御者との話し合いに集中している。ロム爺が乗り込むことに関して一言もコメントがなかったのを見るに、老人がこの手口を用いるのも一度や二度ではないらしい。

上層へ密輸させる、とカドモンが口にした際に、御者がそれほどリアクションしなかった事実もそれを後押ししていた。

 

「この場合は詰め所の衛兵の緩さを嘆くべきか、それすら利用して小金稼ぎに利用する商人たちのたくましさに親指を立てるべきか……」

 

「問題が起きればカドモンたちにも累が及ぶ。それなりの信頼関係がなければこんな無茶はできん。儂がいるから小僧の相乗りも叶うわけじゃ、ほれ感謝せい」

 

「俺みたいな品行方正な未来ある若者を大喜びで悪道に引き込むとか、悪い大人の典型だわ。こんなジジイには絶対ならねぇと誓いつつ、上辺だけは感謝するよ。さすがだぜ、ロム爺!よっ、今日も頭が輝いてるぅ!」

 

「わはは、口の減らんクソガキめ。詰め所の前で荷台から蹴り落としちゃろうか」

 

互いに笑顔を交換し合い、その不毛さに至って同時に吐息。

それからスバルは肩をすくめながら話題を最初に引き戻し、

 

「んで、けっきょくのところどうしてついてくるんだ?ロム爺のおかげで荷竜車のフリーパスはいいけど、そっちが危ない橋を渡る理由は実際ないべ?」

 

単純にカドモンの顔見知り、というだけでは実現しなかった事態だ。

ロム爺の協力あったればこそと納得しているだけに、彼がそうしてスバルの無茶を肯定する理由に明確な意味づけができない。

そんなスバルの問いにロム爺は難しい顔で眉間に皺を寄せ、

 

「小僧の話じゃ、フェルトの奴は『剣聖』に連れていかれたという話じゃろ。それならそれで、上で聞き込んだ方が可能性があると思っての」

 

『剣聖』と口にしながら苦い顔をするロム爺。その単語を耳にして、スバルは赤毛の青年の姿を回想し、彼の住まいも上層にあるのだなと記憶する。

それなりの家柄の出なのは間違いないのだし、『剣聖』とまで呼ばれる存在としては当然の成り行きだ。とはいえ、大仰な表札が門前にかけられているとも思えないこの世界で、彼の屋敷を探し当てるのはかなり至難な気がするが。

 

「ラインハルトの家がどれだかわからない上に、わかったところで呼び鈴鳴らしてご対面って流れになんないんじゃない?あのイケメンならそんなアポなし突撃でも歓待してくれそうな雰囲気するけど、どうよ」

 

「そんな馬鹿な真似は小僧しかせん。儂がやるのはあくまで下調べと、後々のための準備じゃな」

 

「後々の、ための?」

 

首を傾げるスバルに、ロム爺は「ああ」とかすかに顎を引き、

 

「フェルトを連れ戻すための布石、じゃ。屋敷の場所さえわかれば、あとはある程度の金とコネで、屋敷の詳細を調べることも可能じゃろう」

 

「なんか俺とはまた別のベクトルでだいそれたことしようとしてね?俺もだけど、ロム爺もだいぶついちゃいけない導火線に点火してる気ぃすんな」

 

過激な意見を口にするロム爺をたしなめるスバルだが、客観的に見れば二人の目的のテロリズムぶりには大差がない。片や王城へ忍び込むのを目論んでおり、片や貴族の邸宅への侵入計画立案中――現行犯で即切り捨てもあり得る罪状である。

 

「フェルトに限っちゃ、相手がラインハルトなら心配いらないと思うけど。ぶっちゃけここよりいい生活してる可能性の方が高くねぇ?それこそ、俺みたいに使用人かなにかに拾い上げられて人生満喫してるかもよ」

 

貧民街での薄汚い格好ではわからなかったが、身綺麗にすればフェルトはかなり見れそうな顔立ちをしていたように思う。ラインハルトあたりならその辺の美観に気付き、貧乏に喘ぐ彼女を哀れに思って引き取ったとかあり得ないだろうか。

首を横に振り、そんな上から目線の同情心で動く人物にも見えなかったな、とスバルは内心のラインハルト像に合わせてその意見を自分で否定。

ともあれ、彼女が酷い扱いを受けているとは考えにくいのは事実だ。が、スバルのそんな呑気な考えにロム爺は難しげに唇を引き結び、

 

「いや、ならん。相手が誰である、というのはこの際問題ではないんじゃ。あの子の身柄が上層にある。――それが早晩、マズイ事態を引き起こしかねん」

 

頑な、というより懸命なロム爺の態度にスバルは不信感を覚える。

それは彼女の身を案じているという部分も含んでいたが、それ以上にもっと強い感情が私心として孕まれているように思えたからだ。

しかし、スバルがその真意を問い質そうと口を開くより前に、

 

「おーい、準備ができた。本気でやるなら早めに乗り込んでくれ。三両目の荷台に頼む。爺さんはいつもの手筈だからそっちのガキに教えてやってくれ」

 

御者との話し合いを終えたカドモンが戻ってきて、スバルたちに準備が終わったことを報せてくる。ロム爺はそれに手を掲げて応じ、物言いたげなスバルを静かな瞳で見据えてから、

 

「なんにせよ、まずは詰め所を突破せんと話にならん。お前さんじゃから特に注意しておくが、余計なことはするでないぞ。緩んでおるとはいえ王都の衛兵じゃ。見つかったらかなり懐が痛む結果になる」

 

「そこでぶった斬られるとかじゃなく、金払えば済んじまうってあたりにそこはかとなく腐敗の温床を感じるけど……気をつけるよ」

 

微妙に納得いかない気持ちながらもスバルは頷き、歩き出すロム爺の背に続く。

上層へ向かう竜車の数は四台あり、商い通りの広い道幅の半分近くを占有するかなり巨大なものだ。荷を引く地竜も、スバルがこれまでに見たいずれのものとも種類が異なり、細身でトカゲのような印象を受けた奴らと違い、足が太く短いそれは鈍重なカメのような雰囲気をスバルに思わせていた。

 

計四頭の地竜に四台の荷車。スバルとロム爺が乗り込むのはその中の三番目の荷竜車であり、荷台に載せられている主な商品は――、

 

「すげぇ生臭いと思ったら、ひょっとしてこれって魚系の積み荷?」

 

「鼻が曲がりそうになるから、衛兵の目も入り難い。儂らの臭いも紛れるから好都合じゃな。ほれ、臭い消しようの香料を忘れるな」

 

鼻孔に注ぎ込まれる生臭さに顔をしかめるスバルに、ロム爺が手に持っていた緑色の小袋を渡す。受け取った袋は掌に収まる小さなサイズで、外側からその臭いを嗅いでスバルは悶絶。

立ち込める生臭さを上回る刺激臭に鼻が痛み、鼻血が出そうなほどの疼痛が顔面を殴りつける。思わず袋を取り落とすスバルに、屈んだロム爺が袋を拾い、

 

「儂らの生命線じゃぞ、無碍に扱うでないわ、罰当たりめ」

 

「今まさに天罰を前借りした気分だけど、なんだこれ!?鼻が曲がるとかじゃなくて、比喩表現抜きで鼻が取れるかと思ったわ!」

 

「カルナゴの粉末は最初こそ刺激臭が強いが、体にかければ数分でその強烈な臭いごと体臭も消してくれる。魚臭いまま上層を歩いておると、せっかく綺麗な格好しておってもすぐに悪目立ちする羽目になるぞ。必要な苦しみと思って味わえ」

 

こちらの胸に小袋を押しつけるロム爺の意地悪な笑顔。スバルは憮然とそれを受け取り、できる限り鼻から離そうとズボンの方のポケットに入れる。

そんなやり取りを交わす二人を、急かすような仕草でカドモンが手振り。これ以上の時間の無駄は許されないと、意を決して荷台に乗り込む。

 

予想通り――いや、予想以上の生臭さがスバルに襲いかかり、出発間近にして早くも心が折られそうになる。

生魚などを冷やす目的でなんらかの冷房手段が働いているらしく、荷車の中は肌寒い以上の冷気が漂っている。吐く息の白さを目にしながら、スバルは身の置きどころを探して視線をさまよわせる。

 

「そうきょろきょろするでない。隠れ場所は入口から少しいって……そう、そこの木箱の陰じゃ。儂も隠れるから体を小さくせいよ」

 

「なにが悲しくて筋肉ジジイと密着二十四時だよ……床とか魚汁で濡れてねぇだろうな、新品なんだぞ、この服」

 

「その貧乏性で服が血に塗れる可能性を思えばそっちの方がマシじゃろ。木箱の中身は魚の塩漬けじゃし、そっちの方がまだ臭いもマシのはずじゃ」

 

とっとと行けと背中を押すロム爺。その掌に押されるのと、軽い揺れを切っ掛けに竜車が動き出すのは同時だった。奥へと隠れるより前にスバルは荷車の入口から顔だけ覗かせ、こちらを見送るカドモンに最後の別れに手を振っておく。

ぞんざいにその手振りに手振りで応じ、カドモンはもうこちらを見たくないと意思表示するように背を向けて、商い通りを反対へと歩き出す。

それを見届けて今度こそ、スバルも荷台の奥――指示された木箱の片隅に腰を落ち着けて、初めての密輸に早まる鼓動を押さえることに意識を集中するのだった。

 

※ ※※※※※※※※※※※※

 

――心臓の鼓動の痛みに顔をしかめ、自らの行いの無謀さを軽く後悔しながらの運搬路。そんなスバルの心配が大した問題でもなかったと証明されたのは、無事に詰め所を抜けたと御者台に座る男がこっそり伝言を入れてくれたおかげだった。

 

商い通りを出発してほんの二十分ほどのことだ。

あまりにあっさりとした流れは思わず拍子抜けしてしまうほどで、事実スバルは冗談でも聞かされたような驚き顔をロム爺に向けて、

 

「詰め所抜けるのってこんな簡単なの?中身の検めすらなかったぞ?」

 

最悪、漫画で読んだように荷台に槍が次々と突き刺され、暴力的検閲みたいな事態が起こることも想定していただけに、床に伏せる準備などをしていたスバルは肩透かしを食ったような心境だ。

そんなスバルの杞憂をロム爺は鼻で笑い、

 

「じゃから言ったじゃろう、暗黙なんじゃよ。実際に食料関係として商い通りから上層へ持ち込まれるのは先頭三台の竜車だけ。儂らの後ろにある四台目の竜車には、詰め所の衛兵がお目こぼしせざるを得ん代物がいくつも積まれとる」

 

人の悪い顔でそう告げるロム爺の態度は、この詰め所のゆるゆるな監視網の詳細を端から知っていたこと請け合いの答えだった。

それを聞いてスバルは唇を尖らせ、その性悪さに不満を露わにし、

 

「つまり出来レースってことかよ、ビビって損した。っつか、その言い草ってことは後ろに積んであるのは賄賂ってことでいいの?」

 

「包み隠さず言えばそういうことじゃの。この荷竜車が途中で止められると都合の悪いものが上には多い。少々のことでは止められん」

 

腕を組んでそう呟き、しかしそれからロム爺は真剣な眼差しをスバルに向け、

 

「ただし、その連中の機嫌を損ねるのはご法度じゃ。見つかって不利益を被るのは連中も望むところではない。言い訳の機会なんぞ与えられずに、ばっさり始末されてそのまま真相は闇の中――哀れお陀仏じゃ、よいな?」

 

言外にスバルの軽挙妄動をたしなめるロム爺。その重々しい雰囲気にさしものスバルも軽口を挟めず、厳かに頷いて同意を示す。

揺れる荷竜車が傾斜にかかっており、上層入口――貴族街を抜けたことが、進む車輪の地面を噛む音が舗装されたものへと変わったことを教えてくれていた。

 

「もうしばし進んだところで竜車を降りる。あとは儂の既知のところをめぐって、貴族街で情報収集じゃ。……小僧、お前さんもそうしておけ」

 

「……それだと俺の目的が果たせないんだけど」

 

「あんまりお前さんが我を押すから上層までの侵入は手助けした。が、それより上に忍び込むのは現状不可能じゃろう。ただ命をドブに捨てるだけのことじゃ。色々と差し迫っておるのはわかるが、準備が足りん」

 

正論を叩きつけられて押し黙るスバル。そんなスバルの頭を固い掌で乱暴に撫で、ロム爺は「それにな」と前置きして、

 

「準備をせんで事に挑むというのは、『失敗を準備している』という見方もある。急いても望んだ結果は得られん。ならばせめて……わかるな?」

 

「そうやって大人目線で説教かまされると反論しづれぇよ」

 

頭の載る掌を力ずくでどかして、スバルは荷台で体育座りのまま老人に背を向ける。その拗ねたような態度にロム爺は苦笑したが、荷台の幌の隙間から外をうかがい、そろそろ予定の降下地点であると判断すると、

 

「ほれ、降りるぞ。わざわざ荷竜車を止めると不自然になる。速度が遅いからケガする心配はないと思うが、竜車の速度に合わせて走りながら降りるんじゃ」

 

幌の隙間に腕を入れ、ロム爺が体を外に送り出すスペースを作り出す。光の遮断されていた荷台に太陽光が差し込み、瞳を焼かれる痛みにスバルは外を見やる。

 

路面の舗装されている感覚から想像していた通り、上層の貴族街は下層の町々の作りとは根本からして一線を画している。

簡素な作りの建物が狭苦しく立ち並んでいた商い通りや貧民街と違い、貴族街にある建物はその一軒一軒が大きさも敷地面積もはるかに広大だ。スバル視点では無駄遣いとしか思えない広い空間を遊ばせ、中央に建物が鎮座している。

物語で見かける豪邸の雰囲気が近い。ロズワール邸ほどの大きさを誇る建物はさすがに見当たらないが、あれこそ無意味にでかい空間を広々と使っているからこそ出来上がったロズワールの遊び心の一品だ。ラムとレムの姉妹が優秀でなければ、屋敷を維持することもできずに終わるだろう遊興のひとつ。

 

なるほど、それらを目にしてスバルは本格的な意味で上層と下層の違いを肌で実感する。それこそ物語的な貴族と庶民の格差というものが、この王都ルグニカにあっても蔓延っているという証左だろう。

 

後ろの竜車の賄賂のことも含めていい印象ではないが、その悪行の尻馬に乗ってこうしているのもまた事実。もともと清廉で潔白な性格というわけでもない。あっさりとその葛藤を割り切り、スバルは意識を竜車からの降下に専念。

 

「どうじゃ、いけそうか?」

 

「竜車からの落下未遂に関しては前科があってな。……ちょっと恐いから、お手本とか見せてくれると感謝で金一封とか送りたくなる」

 

「変に強がらんところはいいところじゃな。よし、見とれ」

 

自分のへたれを正直に告白するスバルに頷き、ロム爺が先に降下を行う。

片手を荷台の縁にかけたまま身を乗り出し、老体は慣れた動きで全身を外へと送り出す。その後は両腕で荷台に掴まり、タイミングを見計らって地面に足をつける。そのままだと竜車に引きずられて、さらに車輪に巻き込まれて挽肉大惨事となるのが予想されたが――。

 

「市中引き回しは実現せず……これってひょっとして?」

 

「加護が働いとるからな。手を離さん限りはそうそう投げ出されん。そして」

 

王都までの道のりで乗った竜車と同じく、この荷竜車にも風の加護が働いているらしい。外に身を出している影響を感じさせないまま、ロム爺が気楽な動きで荷竜車に合わせて走り出す。

荷竜車の速度はおおよそ、ゆっくりと自転車をこいでいる速度に相当するだろうか。小走りよりは早いが、短期的な全力疾走よりはずいぶん遅い。一歩が常人よりかなり大きいロム爺にとっても、速度に合わせるのは難しい話ではなかった。

 

手を離し、ロム爺の体が完全に荷竜車の加護から外れる。途端、巨体に自然の流れで慣性の法則が働くが、その影響を予期していたロム爺にとってはその威力は微々たるものだ。姿勢が揺らぐこともなく、そのまま駆け足で竜車についてくる。

その鮮やかな手並みを見守り、スバルは思わず感嘆の吐息。そうしてロム爺への賞賛を表現するスバルを見上げ、竜車に並走するロム爺が手を叩き、

 

「ほれ、儂を見習って降りてこい。なんなら儂が優しく抱きとめてやるぞ」

 

スバルの負けん気を刺激して発奮させようとでもするような言葉。それを投げかけられるスバルは、しかし幌の隙間から笑顔でロム爺を見下ろしている。

走るロム爺を見習い、縁に手をかけて外に体を出す――その素振りは出てこない。

 

意外な軽業を披露しなくてはならないことに内心で怖気づいているのか。そんな懸念がロム爺の眉間に皺となって寄せられるが、小走りで竜車を追うロム爺の走行距離が三百メートルを越えたあたりで老人がスバルの思惑に気付く。

彼は皺を寄せていた眉間に青筋を浮かべ、顔を赤くして唾を飛ばしながら、

 

「さ、さては小僧!お前、そのまま降りんで王城に入るつもりじゃろ!?」

 

スバルの真意を看破しながら、走るロム爺が焦燥感にかられた顔で怒鳴る。

それを聞き流しながら、スバルは彼の言葉を肯定も否定もしない。しかし、無言で幌を閉じようとするその態度が、事実の肯定であるのを如実に示していた。

 

――竜車が王城に荷物を運び込む。

 

その後は失言と悟ったのか何度も言い直していたが、カドモンが最初にそうこぼした事実をスバルの耳は忘れていない。

この竜車の目的地が王城であり、運ばれる荷物が城の食糧庫へ運び込まれることはおおよそ間違いない。違えばそこまで――ロム爺と一緒に貴族街で降り、そこから王城への侵入経路を探す案よりはよっぽど確率が高いはずだ。

 

スバルの思惑を察して追っていたロム爺だったが、場所が貴族街からさらに中心地へと向かうとさすがにそれ以上の追跡は断念せざるを得ない。

スバルに譲れない目的があるように、ロム爺にも優先させるべき理由がある。目立つ悶着を起こしてしまうのは、双方の利益にそぐわない。

それを理解しているからこそ、口惜しげな表情で道を外れ、路地の一角へと巨体を滑り込ませる背中を見送ったスバルには罪悪感がある。

 

けっきょく、カドモンの厚意もロム爺の思いやりも無碍にしてしまう形だ。

二人の最大限の助力に対し、裏切りで応じたと判断されても仕方のない態度だった。が、それでもスバルは厚意を利用したし、今さら言い訳するつもりもない。

 

――エミリアの側にいくこと。

 

今のスバルにとっての優先事項はまさにそれただひとつだけだった。

そのために自分の間に横たわる問題は全て、無視すべき条項の羅列に他ならない。

王都は危険が蔓延する歪な土地だ。その場所にエミリアを無防備でさらすなど、スバルの心情的に許されるものではなかった。

 

せめてスバルが彼女の側にいれば、なにかしらができるかもしれない。

あるいは『ダメだったとしても、どうにかできる可能性が自分にはある』とスバルは無意識に思っている。

 

――それがあまりにも傲慢で、非人間的な思考であることには気付かずに。

 

荷竜車は積み荷たちに生じた些細ないさかいなど知らぬ顔で、舗装された滑らかな道のりを王城へ向かってゆったり進んでいく。

賄賂の発覚など可愛らしくなるほどの火薬を積んだまま、ゆっくりと、ゆっくりと。

 

※ ※※※※※※※※※※※※

 

そんな恩人たちとの悲しい別れを乗り越え、ひとりで試練に挑まなくてはならなくなったスバル。

彼の前に立ちはだかる幾千もの危機と苦難、その中で生まれる友情や愛。そして潰えていく命、野心、夢――それを踏み越え、血を流しながら進み、

 

「的な展開が理想だったんだけど、これ実際マズイんじゃね?」

 

あっさりと城の食糧庫から抜け出し、警備状況ザルの城内を歩きながらスバルは呆れを吐息で表現するしかない。

 

荷竜車による旅路はロム爺を置き去りにしてから三十分ほど続き、竜車はスバルの身柄を乗せたまま王城の敷地内へと易々と入り込んでしまった。

途中、城に辿り着くまでの道中で四台目の竜車だけが道を外れていったが、あれこそは載せた賄賂を別の経路に届けにいったのだろうと判断している。

そういう意味では先頭三台の目的地が城以外でなくて、スバル自身も命を拾ったというところだが。

 

「塩漬けの魚と同棲した甲斐があったってとこだな。体に塩気がついたのは誤算だったけど、臭い消しでどうにかしたし」

 

まだ体のあちこちに白い粉末がついているような気がして、神経質にそれらをはたき落としながらスバルは自分の機転を賞賛する。

さすがに王城内に入り、積み荷を下ろす際には荷台を開かないわけにはいかない。その場で御用となる可能性に対し、スバルは塩漬けの魚の木箱に入り込むことでこの難を逃れた。

実際にはスバルの隣の木箱までは中身の確認が行われており、スバルの入った木箱まで検められなかったのは神がかり的な偶然だったのだが。

 

その後、積み荷の移動自体は風の魔法の応用らしく、人の手が直接かからないような運搬によって食糧庫内に運び込まれた。そのおかげで不自然に重い木箱の違和感も気付かれず、無茶と無謀に無理をかけ合わせたハイブリッドな蛮行はまさかの成功を成し遂げてしまったのだった。

 

スバルにとっては幸運な事態であったが、この王城の無警戒さは中にいるだろうエミリアの身の安全の心配へと即座に繋がり、手放しで喜べることでもない。

スバルはそれらの情報を加味して食糧庫を抜け出すと、人気の少ないエリアを選んでこうして地下を進んでいるのだった。

 

「さて、しかし潜り込んだはいいものの……完全にノープランだな」

 

ぶっちゃけ、この場にきたはいいものの、どうすればいいかは完全に白紙だ。

エミリアを陰から見守る、というのが可能ならばそれが最善だが、さすがに彼女がいることになるだろう王城の中枢まで見つからずに行けるとは思っていない。

最悪、途中でスバルの姿が露見しても、なし崩しにエミリアと合流できれば無碍には扱われまい、というような図々しい打算がスバルにはあった。

 

この場まで潜り込んでしまえば、さしものエミリアも怒るだろうがスバルを追い返そうとは思わないだろう。誠心誠意謝って、彼女の温情に縋ればいい。

事ここに至って楽観的な思考に走るスバル。そこに反省の色は垣間見えず、今の彼を見れば他の人間がどう評するかは幸か不幸か誰にもわからない。

そして、

 

「やべ、人がくる……っ」

 

正面から人の気配を感じ取り、スバルは慌てて視線を周囲にめぐらせる。

場所は地下通路であり、おそらくは使用人たちが利用するだけの簡素な場所だ。粗末な作りの扉が並ぶ中、スバルはとっさに近くの一室に身を滑り込ませた。

 

入り込んだ一室には幸いにも人影はない。

狭い部屋は使用人が利用する更衣室のような場所なのだろうか。いくつかのクローゼットが並び、甘い香りから女性用の部屋なのだと背徳感が浮かぶ。

が、今はその甘美な感覚を味わう余裕もない。スバルは慌てて奥のクローゼットを開き、中になにもないのを確認するとそっと身をそこへ隠す。

 

あとは息をひそめて、通路に現れた気配が行き過ぎるのを待てばいい。

見つかってもどうにかなるだろう、と楽観しておきながら、見つかったらタダでは済まないような状況に身を置く。確固とした状況が用意できていないが故の芯のぶれが出てしまっているが、今の彼には瑣末なことだった。

 

とりあえず、この状況を乗り切って、名乗り出るなりなんなりのアクションはそれから起こせばいい。

だが、そんなスバルの目先のことだけを考えた行いは、

 

「――この部屋が臭うの」

 

乱暴に開かれた扉と女の声に、あっさりととん挫させられてしまう。

緊張感で心臓が口から飛び出しそうになる感覚。血が音を立てて引いていくのを感じながら、スバルは絶望感に鳴りそうな歯を噛み殺す。

クローゼットは更衣室のロッカーなどと違い、内から外を覗き見れるような便利な穴はついていない。つまり、スバルは暗がりの中で相手のアクション以外に外の様子を想像する手段をもたないのだ。

 

緊張に喉が詰まりそうになりながら、スバルは改めて己の行いを後悔する。

舐めていた、バカにしていた、調子に乗っていた。図に乗っていた。

いざこうして窮地に立たされてみれば、自分の軽はずみな行動の馬鹿さ加減がようと知れる。どうして、こんな無茶を平然とやってのけたのか、つい先刻までの自分の判断の全ての意味がわからない。

 

しかし、理性で混乱しつつもそう判断しておきながら、スバルは外の人物に対して名乗り出るという選択肢を選べない。

まだ、ひょっとしたら存在はばれていないかもしれない、という蜘蛛の糸よりなお細い希望に縋る気持ちを捨て切れないのだ。

その渾身の居たたまれなさに苛まれ、息をひそめるスバルに対し、

 

「――五秒しか待たねぇ。俺以上に、俺の姫さんは我慢弱いかんな」

 

閉じたクローゼットの戸板越しに、くぐもった声がそう宣告するのが聞こえる。

どこか気の抜けたような声音だが、そこに込められた意思に嘘がないのは静寂の中に響く鞘走りの音が証明している。

こうして宣告しているのをハッタリだと開き直り、一縷の望みにかけて居留守で事態が収まるのを待つ――そんな選択を選ぶ度胸はない。

 

「五、四、全部飛ばして――」

 

「タンマ、ストップ、話せばわかる!――出る、すぐ出るから、ウェイトだ」

 

せっかちに刃を走らせようとする声に焦り、スバルは恐々と戸を押し開く。ゆっくりとクローゼットが軋んだ音を立て、据えた臭いの漂っていた場所に涼風を流れ込ませ、刹那の間だけその絶望的な気持ちを優しく撫でた。

もっとも、その後に続くのは言い訳無用の糾弾タイム。スバルのしでかした事態を思えば、とてもではないが軽い罪で済む状況ではない。

想定していなかったわけではないが、ある程度はどうにかなるかもしれないと楽観的に考えていたのも事実。問答無用で叩き伏せられるより前に、切れるカードを切るべき――そんな発想に至るスバルの前で、

 

「ほれ見よ、アル。妾の言った通りであったろう?」

 

聞き覚えのある尊大な声がして、思わず顔を上げるスバルの正面、橙色の髪の少女が不遜に笑い、手にした扇子のような小道具をこちらに突きつけ、

 

「この道化とは近い内に再会する、とな。思いのほか早くて驚きじゃったが」

 

「あー、まぁそうな。さすが姫さん、お目が高ぇよ。そして、お前はついてねぇ」

 

彼女の傍らに控える中年――漆黒の兜に今日も軽装の異様、アルが前半は少女に同意し、後半はスバルに同情するような声の調子でそうこぼす。

 

問答無用で叩き切られるような事態だけは避けられたのではないか。

そんな安堵感がスバルの全身を襲い、気付けばスバルはその場にへたり込んで、渇いた笑いを漏らしながら長い息を吐くしかなかった。