『忌々しい再会』


 

――硬い土の感触の上、大の字に寝転がって男は動かない。

 

「――――」

 

死んでいるわけでも、眠っているわけでもなかった。

ただ目をつむり、乱れた呼吸を丁寧に整えながら、思考を静かに整理していく。

組み立てて、組み立てて、組み立てて――、

 

「おい、生きてんのか?」

 

「――ああ、生きてるよ」

 

真上から声をかけられ、瞼を開ければ目に映ったのは見知った男の顔だ。

逆さから見ても、粗野な印象が薄れないのは稀有な才能だと感じられる。ともあれ、そのことと現状解決には何の関連性もない。

 

「奴さんらは?」

 

「オレたちを突破して、お前を落としたあとは一目散に逃げてった。お前は……それを何とかしろよ。見てて痛くて仕方ねえ」

 

「それ?……ああ、これか」

 

頭を掻きながら起き上がり、相手に指差された自分の脇腹を見やる。すると、そこには一本の太い矢が深々と突き刺さっていた。

左の横腹に食い込んだそれは、位置がもう少し上なら心の臓を穿っていたか。

危ういところで命を拾った負傷だが、そのことへの感慨はあまりない。視覚的なものだけでなく、自身の肉体が穿たれたことへの感慨も。

 

「実は見た目ほど痛くないぜ?しばらく動きづらくなるだろうが……」

 

「馬鹿が。誰がお前の心配をしたなんて言ったんだよ。見てる側のオレが痛いって言ってんだ。とっとと引っこ抜け」

 

「怪我人相手に乱暴なこと言うね、お前さんも。――と」

 

顔をしかめた相手に言われ、仕方なしにと刺さった矢を引っ掴む。肉が締まる前に抜かなくては抜けなくなるのが矢傷の難儀なところだ。

幸い、刺さって時間の浅いそれは、ぐいと力を込めれば引き抜くことができた。

流れる血は、破った服の切れ端を傷口に詰め込んで強引に止血しておく。

 

「ってわけで、矢の方はご注文の通りだ。あとどうするね」

 

「深手なら下がって休んだろ。逃げた連中はオレが何人か引き連れて叩き潰す。奴らに自分たちが獲物だってことを教えて……」

 

「――そりゃ悪手ってもんだろ、ジャマル」

 

「なに?」

 

今後の方針を述べた男――ジャマルを手で制する。

コケにされたことの仕返しに、逃げる相手を追撃したい考えはわかる。だが、短絡的に攻撃の手を進めれば、痛い目を見させられるのはこちらの方だ。

 

「考えてもみろ。なんだって、連中は堂々とグァラルに入ってきたんだ?自分たちのやったことを考えれば、この街に俺たちがいるのは自明の理だ」

 

「……考えの足りねえ間抜けってんじゃなけりゃぁ」

 

「――わざわざ乗り込んできた。街の外に伏兵まで忍ばせてな」

 

ちらと、ジャマルが引き抜かれたばかりの矢を見て喉を鳴らした。

こう見えて一角の武人であるジャマルには、こちらを捉えた矢の威力と精度がどれほど高度なものだったのかを推し量る目がある。

自然、自分と同じ結論に達したはずだ。

 

「だとしたら、奴らの狙いは……!」

 

「グァラルに入ってる俺たち帝国兵を誘き出して、狩る。こっちの戦力全部で追いかけるならまだしも、小勢で追撃なんてしたら相手の掌だ。――獲物は、どっちかな」

 

「――――」

 

悔しげに歯軋りして、ジャマルが相手の逃げていった方角を睨みつける。

内心、腸が煮えくり返るような激怒に支配されている様子のジャマルだが、その心情は痛いほどわかる。――とは言わない。怒りより、感嘆が胸中を占めていた。

 

我が身を堂々と囮として使い、油断に乗じてまんまと愚かな敵を釣り出す。

紛れもない難敵、戦争の申し子だ。

 

「……殺し損ねたの、本格的にしくじったなぁ」

 

ジャマルと同じ方角を眺めながら、しみじみとそう呟く。

それから、「まぁ」と気を取り直したように一息を入れて、

 

「報復の機会はあるだろうさ。――奴らはどうせまたくる」

 

「そのときは、絶対に容赦しねえ」

 

怒りを押し殺した相槌に、賛同を示すように無言で頷いた。

そして、ひとまずはこの一戦を敗北と見定める。その上で――、

 

「ジャマル」

 

「おう。……なんだ、その手は」

 

地面に足を投げ出したまま、両手を伸ばしたこちらの様子にジャマルが眉を寄せる。

その察しの悪さに首を傾げながら、「見りゃわかるだろ」と言葉を継いで、

 

「おんぶ」

 

「一人で死ね!」

 

何とも、友達甲斐のない返事だと肩をすくめた。

 

△▼△▼△▼△

 

強く、硬い地面を踏みしめ、肩で風を切りながら大股で前進する。

目的地に近付くにつれ、牛車から身を乗り出させるような逸る気持ちは抑えが効かず、ついにはその瞬間を目前に、体は勢いよく飛び出していた。

 

周囲の、色々と引き止めるような声が聞かれた気がしたが、耳に入らない。

それらを振り切り、一直線に目的の建物へ。集落の中央、ひと際大きな木組みの建物へと乗り込むと、中にいた複数の人間の視線がこちらへ集中した。

そして――、

 

「――戻ったか。存外、早かったな」

 

いけしゃあしゃあと、そう言ってのけたのは鬼面を被った尊大な男だった。

その、当然と言わんばかりの態度に何も言わず、真っ直ぐに前へ突き進む。そのまま勢いに任せ、見下ろす男の鬼面を伸ばした手で容赦なくむしり取る。

さしたる抵抗もなく面を外され、男の秀麗な面持ちが露わになった。

その鼻持ちならない魔貌の胸倉を掴み、立ち上がらせる。そして、その顔面に振りかぶった拳を叩き付けようとして――、

 

「待テ、スバル」

 

殴り飛ばす寸前、引いた右腕を後ろから無理やり止められた。

髪の先端を赤く染めた長身、この集落の族長であるミゼルダの制止だった。この期に及んでと、その行動に物申そうと口を開きかける。

だが、それより早くミゼルダは「いいカ」と前置きし、

 

「顔はやめロ。他なら許ス」

 

「おらぁ――!!」

 

「――っ」

 

ブレないミゼルダの回答を受け、一拍ののち、伸び切った胴体へと拳を打ち込んだ。

顔面を殴られる覚悟があったのか、それを外された男が苦鳴をこぼして後ろへ下がる。それだけで、溜まった鬱憤の全部が晴れるわけではないが――、

 

「これでチャラになったと思うなよ、クソ野郎……!」

 

「――ふん、欲の皮の張った男よな」

 

傍らに落ちた鬼面を拾い、被り直しながら口の減らない男――アベル。

溜まりに溜まった鬱憤の原因でもある男へ一撃を叩き込み、スバルは荒く息を吐いた。

 

この一発を叩き込むためだけに、三日以上の道のりを逆走して戻ったのだから。

 

△▼△▼△▼△

 

「見たまえ、妹よ!これが、かの有名な『シュドラクの民』の集落だそうだ!噂に違わぬ秘境の奥地にあるのだね!大発見だ!」

 

「おお!すごいな、あんちゃん!見て見て!みんな、あたしみたいに腹筋バキバキだ、バキバキ!あんちゃん、バキバキ!」

 

「バッキバキだ!」

 

そんな、場所を選ばない呑気な兄妹の感想が集落の空へ木霊する。

忌憚ない感想を交換し合うのは、なし崩しに『シュドラクの民』の集落へと招かれることになったフロップとミディアムのオコーネル兄妹だ。

広場の真ん中、牛車の上の兄妹は物珍しさに集まったシュドラクたちに囲まれている。どうやら物怖じしない性格は土地や環境を選ばないらしく、多数の注目を集めながらも、怯えや警戒、不安の類を一切見せない大物ぶりだ。

 

その実態は、情報の少ない未開の部族に囲まれた状況であるのだから、命の危機や身の危険を覚えた方が正常で適切な反応だとは思うが。

 

「ずいぶんと騒がしい連中を連れ帰ったものだ。あれが、貴様らの旅路に必要な要員なのか?だとしたら、俺と貴様とでは価値観が違うな」

 

「価値観が違うってのは否定しねぇよ。俺とお前とじゃ見えてるもんが大違いだ。って言っても、その態度はいくら何でもどうかと思うぜ」

 

「ほう?」

 

集会場の床に座り、数日前と同じように正面から対峙するスバルとアベル。

先ほど、スバルの制裁の一撃を腹に喰らったアベルだが、その言動には反省の意思が見られない。謝罪が欲しいとも、するとも思っていなかった相手だ。

だが、フロップたちへの言及は聞き逃せなかった。

何故なら――、

 

「アベルさん、あの方たちは私たちが巻き込んでしまったんです。都市の前で立ち往生する私たちに親切にしてくれた。……ただそれだけの理由で」

 

「――――」

 

スバルの怒りの理由、それを代わりに説明したのはレムだった。

前回と違い、集会場の人払いはされておらず、スバルとアベル以外の顔ぶれも話し合いに参加している。

スバルの傍らには正座したレムと、同行者枠だったクーナとホーリィが座り、アベルの傍にはミゼルダとタリッタの姉妹がそれぞれ同席していた。

ちなみにルイだが、彼女は年齢の近いウタカタが面倒を見てくれている。今頃は広場の牛車で、シュドラクに囲まれるフロップたちのところだろう。

ともあれ――、

 

「お二人の協力あって、私たちは無事に帰り着くことができました。代わりにフロップさんたちも、都市の兵士たちに狙われる立場に……」

 

「違うな、訂正してやる。俺たちや、外の連中を狙っているのは都市の兵ではない。帝国の兵だ。この国に仕えるもの共が、貴様らの敵となったのだ」

 

「――――」

 

鬼面越しの、アベルの冷たい言葉がスバルとレムへと突き刺さる。

その渇いた物言いを聞かされ、レムは力なく薄青の瞳を伏せるばかりだ。確かに、それは否定し難い事実なのだと、スバルも理解はしている。

しかし、それを理解することと、感情が納得することとは別問題だ。

 

「陣地の帝国兵に睨まれたのは俺のミスだ。敵対も、俺が選んだ行動の結果でもある」

 

「そうだな。『シュドラクの民』と接触する以前から、貴様の結んだ因縁だ」

 

「その因縁に言い訳はできない。敵を作ったのは、間違いなく俺だからだ。――でも、その因縁のツケを払わされるのは、俺だけでよかったはずだろうが」

 

落ち度の大半がスバルにあることは事実だが、ここで問題なのはアベルの姿勢だ。

彼は最初から、スバルたちがグァラルに入った場合の危険性を理解していたはず。生き残りの帝国兵と遭遇し、攻撃される可能性に気付いていたはずだ。

だからこそ――、

 

「事前にクーナとホーリィに、俺たちを街の外で待つように指示しておいた。俺たちが追われて街から逃げ出したら、それをフォローさせるために」

 

「ホントホント、危ないところだったノー。私とクーナがいなかったら、今頃はスバルの頭が斧で真っ二つになってたところなノー」

 

どっかりと胡坐を掻きながら、丸い団子を頬張っているホーリィが呑気に言い放つ。その隣で気まずげな顔のクーナと違い、彼女は場の雰囲気を理解していない。

もちろん、ホーリィたちの助力にスバルは感謝している。彼女たちの協力がなければ、頭を割られる被害は現実のものとなっていた可能性が高い。

 

「クーナの目で見張って、ホーリィの腕が俺たちを助ける……遠距離から弓矢の狙撃、二人の技能の合わせ技ってやつだ」

 

「……あそこまでヤバい状況とハ、アタイは聞いてなかったけどナ」

 

補足するクーナの言葉に力がないのは、スバルたちに対する負い目がある証拠だ。

とはいえ、クーナの抱いている罪悪感はお門違いのものと言える。グァラルへ入る前、別れ際に彼女がくれた言葉がスバルにヒントを与えてくれた。

その忠告がなかったら、ホーリィの言った助力を得ることはできなかったろう。

ただし――、

 

「その考えが適用されるのは、クーナとホーリィの二人までだ。――こうなるってことを完璧に予測してたお前に、俺は優しくするつもりはない」

 

だからこそ、戻って最初にしたことがアベルへの制裁の一撃だった。

あれを受け、アベルが反省の様子を見せればまた話も違っただろう。だが、大方の予想通り、アベルは反省どころか悪びれもしない。

彼は変わらぬ尊大な視点のまま、スバルたちの怒りを弄んでいる。

現に今も、鬼面の向こうの鋭い眼光に何ら陰りはない。

まるで今にも、「それがどうした」と言い出しそうな様子ではないか。

 

「おい、黙ってないで何とか言ったらどうなんだよ」

 

「――それがどうした」

 

「……本気で言いやがった」

 

忌々しい想像が的中し、スバルはアベルの言葉に歯を軋らせて視線を鋭くする。

しかし、アベルはスバルの糾弾の眼差しなど涼しげに受け流し、

 

「猛然と舞い戻り、俺を一撃したかと思えば、並べるのはつまらぬ恨み言ばかりか?そも、俺は最初から貴様に忠告したはずだ。――容易い道のりではないと」

 

「ぐ……っ」

 

「目先の安寧に飛びつき、頭を使わなかった報いと知れ。焼かれた陣の最寄りの街など、敗残兵が目的地とする可能性が最も高い。自明の理だ」

 

「だったら……だったら、最初からそう言えばよかっただろうが!」

 

片膝を立てたアベルの言葉は、いちいちスバルの未熟に突き刺さる。

だが、そもそもスバルは自分の非は理解しているし、認めてもいる。自分の考え足らずと、それ以前の行動が生んだ不幸ないきさつが爆発したのだと。

しかし、危険があるとわかっていて、それを見過ごしたアベルの行いはシンプルな利敵行為――敵味方の観点が的外れなら、罠に嵌めたも同然だ。

 

「お前は最初から全部わかってた。俺たちがグァラルで、生き残りの帝国兵と出くわす可能性も、都市から泡食って逃げ出す可能性も、そのどさくさでレムが……」

 

「――――」

 

「とにかく!お前は全部わかってた。なのに、黙ってやがったんだ」

 

勢いに任せて口を開けば、言うべきでない言葉も飛び出しかける。とっさにそれを自制して、スバルは隣にいるレムの顔を見ないよう、アベルに怒りを集中した。

怒りの炎を昂らせるスバル、それをアベルは涼しげ――否、冷ややかに見ている。

その透徹した眼差しで、この男はいったいどこまで世界を見通しているのか。

そして、見通していながら何のために、スバルたちを翻弄するのか。

 

「答えろ、クソ野郎。お前、なんで俺たちを……」

 

「余計な手間を省いたまでだ」

 

「余計な手間……?」

 

噛みつかんばかりのスバルの剣幕に、アベルは嘆息と区別のない音でそう言った。

その答えにスバルが目を瞬かせると、アベルは緩やかに集会場の地面を手でさすり、その掌に渇いた土を拾い上げると、

 

「貴様のような輩は、賢者の忠告よりも愚者たる己の目で見たものを重視する。俺の口から何を語るよりも、降りかかる雨滴の厳しさは雄弁だ」

 

「――――」

 

「おかげで痛感しただろう。――貴様らに、逃げ場はないと」

 

言いながら、アベルの掌から土がパラパラと零れ落ちる。

たったそれだけの仕草で、スバルはひどく明瞭に八方塞がりなのだと突き付けられたような錯覚を覚えた。

 

神聖ヴォラキア帝国の皇帝ともなれば、言葉巧みに他者を操ることも容易いこと。

海千山千の猛者たる皇帝の前では、スバルの訴えなど檻の中の猿の喚きに等しい。

そして事実、スバルは頭を抱えるしかない。

 

「……結局、お前は何をどうしたいんだよ」

 

「俺の目的はすでに告げた通りだ。奪われたものを取り返す。そのために、今ある帝国は俺の敵だ。それはお前にとっても敵でもある」

 

「――。俺に、お前に協力しろって?」

 

「ひとまず、俺に貴様を害する理由はないと説明した」

 

頭を抱えるスバルに、アベルの言葉が毒のように染み入ってくる。

明瞭な答えを掴ませないアベルの話術は、スバルを煙に巻くような老獪さを備えているようであり、一方でスバルを試しているようにも感じられる。

 

再三、アベルはスバルに言明せず、しかし言い続けてきた。

 

自分の頭で思考し、選び取れと。

ここでも、アベルは論ずるなら自分の土台へ上がってこいと挑発している。現状、スバルは彼と同じ議論の場にすら上がれていない。

そして、スバルが大人しく舞台に上がるのを待つほど、皇帝閣下は優しくない。

 

「この劣勢で、俺がお前に協力する理由があるか?お前を帝国の連中に売り渡した方がよっぽど賢い……頭を使ったら、それが上策とも言えるだろ」

 

「貴様に『シュドラクの民』を掻い潜り、俺を連れ出せる力量があればの話だ。加えて、俺を突き出す先も慎重に選べ。陣を焼くのに中核の役目を果たした貴様を、諸手を上げて歓迎してくれる帝国兵がどれほどいる?」

 

「それは……」

 

「ましてや、貴様はグァラルに赴いて戻ったばかり……相手から見れば、わざわざ蜂の巣をつつきにきたも同然の行いだ。自分がどれほどの危険人物として認識されたか、全く自覚がないと見える」

 

「――――」

 

つらつらと並べられるアベルの言は、的確にスバルの逃げ場を塞いでいく。

実際、ちらつかせた脅しの内容の履行はスバルには不可能だ。アベルの言う通り、スバルにはミゼルダたちシュドラクを謀り、アベルだけを連れ出す方策などない。

その上、アベルを連れてグァラルへ辿り着けたとして、無理やりに門を突破して逃亡したスバルの言葉に誰が耳を貸してくれるというのか。

 

『お前さん、やっぱり殺しておくべきだなぁ!』

 

目を背けたくとも、スバルの脳裏にはトッドの凶相が蘇る。

ホーリィの矢で撃ち落とされたトッドだが、その場から逃げるのに必死だったスバルたちは彼の生死を確認していない。――否、十中八九、生き延びている。

あれしきで離脱するほど、トッドの漆黒の殺意は易いものではなかった。

 

つまり、アベルを手土産に帝国へ投降する案は、立案の時点で計画倒れだ。

そうでなくても、スバルに他者を差し出して自分たちだけが助かる手は取れない。それをするにはたぶん、スバルの倫理観はお利口で真っ当すぎる。

 

「全部、お前の掌の上だってのか?気に入らねぇよ」

 

「――。生憎と、俺の掌で転がせるのは一部の人間だけだ。そうではない一部を御し切れなかったからこそ、今、俺は土の上に座っている」

 

「――――」

 

吐き捨てたスバルへの返答、それはアベルの自嘲にも聞こえた。

彼の表情は見えず、声の調子にも変化はなかった。だが、自嘲のようだった。それは珍しく――否、スバルが初めて聞いたアベルの自嘲だ。

そして、それは紛れもない現実認識を彼が行っている証。

 

自分の配下の謀叛を許し、王座を追われた無冠の皇帝。

深い森の中、『シュドラクの民』の集会場の土に腰を下ろしている状況こそが、彼にとっては言い訳のしようのない失態の証左なのだろう。

 

「――――」

 

そのアベルを正面から見据えながら、スバルは静かに思案する。

今後の自分の、自分たちの方針についてもそうだが、アベルの真意がわからない。またも彼の思惑に乗せられて、同じような不幸に見舞われるのは御免だ。

 

実際、アベルはいったい何を考えているのか。

スバルも、まさかアベルがあれこれ手を凝らしてまで自分を自陣に引き入れようと画策するとは思わない。そこまでの価値、彼はスバルに見出さないだろう。

にも拘らず、アベルがスバルを手元に起きたがる理由があるとすれば、それはスバル自身というよりも、他の付属物への関心――、

 

「――旦那くん!ここの人たちは実に愉快で懐が広いな!感心したよ!」

「うおわぁ!?」

 

息を詰め、スバルが真剣に思案する真っ最中だった。

集会場の入口に足を滑らせ、そのよく通る美声を響かせたフロップが姿を見せる。彼は集会場の中、並んだ面々の顔を眺めながら、

 

「いやはや、ご挨拶が遅れて申し訳ない!どうやら、こちらにいらっしゃるのがこの集落の代表の皆様とお見受けする。やや!クーナ嬢とホーリィ嬢のそっくりさんも!」

 

「本人ダ」

「なノー」

 

「そうだったか!これは失敬!」

 

長い前髪を手で撫で付け、フロップがきびきびした動きで集会場の真ん中へくると、そこで人好きのする笑みを浮かべながら一礼した。

 

「改めまして、僕はフロップ・オコーネル!妹のミディアムとボテクリフと一緒に行商をしているものだ。色々理由があって旦那くんと奥さんと姪っ子ちゃんの珍道中に同道する立場となったらしい。以後、皆様によろしくお願いするよ!」

 

「礼を弁えているようナ、弁えていないようナ……」

 

フロップの勢いのある挨拶を受け、タリッタが頭の痛いような顔をする。それから、彼女はちらと隣のミゼルダの顔を窺うと、

 

「姉上、どうされますカ?部外者には下がるよう命じテ……」

 

「そうだナ……いヤ、色男ダ。部屋に置いておこウ」

 

「姉上……」

 

腕を組んだミゼルダは、フロップへの待遇を顔で判断した。

非常にシンプルな理屈でわかりやすいミゼルダ判断だが、族長としての姉を支えるタリッタは頭が痛いことだろう。もちろん、それだけがミゼルダの判断基準だった場合、スバルが集落に残れなくなるので、他にも何かあるのだとは思うが。

 

「そうだ、ミゼルダさん、一個確認したい。フロップさんは俺の客というか、俺の独断で連れてきちまったんだ。けど、『血命の儀』を受けさせるのは……」

 

「『血命の儀』?もしや、この集落に伝わる伝統的な歓迎の儀式か何かかな!?それはぜひ、僕も体感してみたいのだが!」

 

「伝統的な儀式だけど、歓迎にしては手荒いんだよ」

 

儀式への挑戦に前向きなフロップだが、さしもの彼も魔獣と戦わされる可能性を提示されたら及び腰になるだろう。あるいはそれを聞いても態度が変わらない可能性もあるのが怖いのだが、とにかく、それをさせたくはない。

 

「――壁一枚隔てていたときからわかっていたが、騒がしい輩だ」

 

そして、そんなフロップの態度を歓迎しないのが、鬼面を被った冷酷な皇帝である。

日差しの温かみのあるフロップと、冷たい血の流れるアベルとでは実に対照的だ。少なくとも、アベルがフロップを好む理由がなさそうだと、スバルの方の血が凍る。

 

「やや!珍しいお面だが……もしや、集落の長だろうか。特別な格好をしている人というのは、特別な立場にあるものだと何かで読んだよ!」

 

そんな二人の初邂逅は、フロップがアベルの奇抜な格好に言及して始まった。

目立つ鬼面からフロップがそう判断するのも無理はないが、アベルをシュドラクの人間とみなすのは難しい。なにせ、鬼面以外の部分が文化的に他のシュドラクとはかけ離れている。改めて見ると、ちぐはぐすぎる格好だ。

 

「考え方は悪くないが、注意力と思慮が不足しているな。先ほど、行商を生業としていると語っていたが……」

 

「ああ、そうなんだ!我が妹のボテクリフが引く牛車に品物を乗せ、帝国の各地を巡って商いをする……僕たちは、風とさすらう流浪の兄妹なのさ!」

 

胸に手を当てて、歌うようにフロップが答える。

すると建物の外、広場の方から「さすが、あんちゃんだー!」という声が聞こえた。壁一枚隔てていても、絆の深い兄妹である。

 

しかし、そんな微笑ましい関係性の証明も、アベルにとっては冷え切った心を温める材料にならなかったらしい。

アベルはフロップの答えを聞いて、「ふん」と小さく鼻を鳴らすと、

 

「――ナツキ・スバル、貴様はこれらを街で拾ったと話したな」

 

「人を物扱いするな。そもそも、正確に状況を言い表すなら、俺たちがフロップさんに拾われたって表現の方が正しい」

 

「重要なのは本質の方だ。些事にかかずらわる暇はない。だが、こうして貴様が戻ったことを初めて褒めてやろう。大儀であった」

 

「褒められてる気がしねぇな……何を企んでやがる」

 

正直、フロップとアベルの相性は悪いというのがスバルの見立てだった。

そのため、フロップには広場で待ってもらい、折を見て紹介するつもりだったのだが、アベルの反応はスバルの予想外のものだった。

もっとも、アベルの関心はフロップの人間性ではない。無論、声の大きさしかわからないミディアムの存在でもないだろう。となれば、答えは明確だ。

 

「商人、貴様はグァラルにどの程度親しんでいる?」

 

「それはいい質問だ、村長くん!僕はなかなか、グァラルでは顔が広い方であると自負しているよ。なにせ、あまり遠出すると命がないのは目に見えている!行商するにしても、決まった土地を行き来して旅慣れしなくてはならないからね!」

 

「慎重と臆病の紙一重って感じだナ……」

 

常に前向きな自信に満ち溢れたフロップの回答に、クーナが呆れたような吐息する。

だが、そのフロップの答えを聞いて、鬼面の向こうでアベルが押し黙った。――否、スバルの耳は微かに、沈黙以外の音を拾っていた。

それは、アベルの喉が小さく鳴った音だ。

 

「僥倖だ。拾い物だぞ、ナツキ・スバル。――都市に親しんだ行商なら、抜け道の一つや二つに心当たりはあろう」

 

「おい、待て、アベル。抜け道?何を言い出した」

 

「また他者に答えを求めるのか?俺の再三の問いかけの意味が理解できていないと見える。そのような蒙昧に、俺がくれてやる言葉などないぞ」

 

「――――」

 

いちいち腹立たしい物言いだが、アベルの言葉に言い返せない。

この場で話し合いを割り、背を向けて去るにはナツキ・スバルは孤立無援を地でいきすぎているのだ。故に、忌々しくとも思案する。

――否、考えなくても、アベルの考えはおおよそ掴めていた。

今しがたの、フロップへの問いかけを聞けばそれは明白だ。

 

「アベル、お前、まさか……」

 

「巡りの悪い頭でも、使えば答えは見出せよう。ああ、貴様の考える通りだ」

 

唇を震わせ、頬を強張らせたスバルを見返し、鬼面の向こうで透徹したアベルの視線が冷酷な方針を物語る。

そして、スバル以外のものたちにも知らしめるよう、アベルは言った。

 

「――城郭都市グァラルを陥落させる。次の拠点として、あの都市が必要だ」