『四度目の正直』


 

「財布、ある。ケータイ、ある。コンポタとカップ麺も無問題。ジャージとスニーカーに綻びなし。そして当然……」

 

ジャージの裾をめくり、首を後ろに向けてえっちらおっちらと背中を確認。

腰のあたりと背中の真ん中、そのどちらにも傷跡は見当たらず、二本のナイフが生えているという非常事態も起こっていなかった。

 

「ふぅ、よかったぜ。背中の傷とかマジで剣士の恥だかんな。一応は剣道部に籍を置いていた人間として、人の道は踏み外しても剣士の道は踏み外せねぇ」

 

ぼやきながらぺたぺたと無事な背中を触って回る。肩のあたりに一本だけ長い毛が生えているのを見つけて、悪戦苦闘の果てにそれを引っこ抜き、やっと一息。

 

「つまりこれはアレだな、信じ難い話だけど……」

 

吐いた息で抜いた毛を吹き飛ばし、空いた手で顎に触れながら通りを見渡す。

場所は通りを変えておらず、八百屋の前から少し離れただけの露店の隅っこだ。怪しげな壺だの皿だのを並べる胡散臭い店主に迷惑そうに見られながらも、腕を組んで壁に寄りかかるスバルは態度を改めない。

 

日差しは高く、風は柔らかだ。大通りは人だかりで賑わっていて、そこをたまにトカゲの引くトカゲ馬車が通過する。そろそろスバルも砂埃に慣れ始め、軽く手で顔の前を仰ぐ程度のリアクションがせいぜいだ。

体からは負傷の気配すら跡形もなく消え、腹に収めたはずのコンポタは何度だって味わえるお得な状態。そして触れる顎の感触は引っかかるものがないつるりとしたもので、

 

「俺としたことが、自分の特技を忘れるとは情けねぇ話だ」

 

己の顎の無精ひげの伸び具合で、時間経過をある程度把握できるという職人技。一定の男性ホルモンを持つ存在にしか許されない特権を応用した自分の荒業に、惚れ惚れするような自信を抱いていたスバルは確信する。

 

――己の顎の無精ひげが、コンビニに行く前に剃った直後と変化がないことに。

 

「つまり、アレだな」

 

顎に触れていた手を前に向けて、露店の店主含めてこちらを見ていた群衆に見えるように指を鳴らし、

 

「――死ぬたびに初期状態に戻ってる、ってことらしい」

 

馬鹿馬鹿しいと決めつけていた、そんな考えを結論とすることにした。

 

※ ※※※※※※※※※※※※

 

「死に戻りか……なんつーか、まさに『負けて死ね』って能力だな」

 

元ネタの場合は『負かした上で巻き戻す』といった感じの能力だが、負けて戻ってくるパターンからすると文章的には今の自分の状態の方が相応しい気がする。

 

「もっとまともに言うと……『時間遡行』ってやつになんのか、これ」

 

限定的ではあるものの、いわゆる『タイムトラベル』を実行していると考えられる。つまるところ、今のスバルは夢の『タイムトラベラー』というやつなのだと。

 

正直、つい十数分前までは可能性として浮上はしていたものの、条件の厳しさから敬遠していた答えでもある。

まだ、流離いの超人的ヒーラーが通りかかった、という展開の方がクリアする条件が少ないように感じていたためだ。

もっとも、あり得ないとしていた条件というのも、

 

「時間系の魔法なんて最強パターンだから、序盤から俺が持ってるのおかしいし、そもそも時間遡行って夢ではあるけど実現は無理だろ。常識的に考えて」

 

言ってから、そもそも『異世界召喚もの』のどこが常識的なんだろうと首をひねる。

そう考えてしまえば、さっきまで頑なに否定していた気持ちも萎えようというものだ。

 

「おまけに『死に戻り』してたって考えると、どうにもこれまでの不自然さの辻褄がきっちりかっちり合っちまうんだよな……」

 

一度目の死は、つまるところサテラと二人で盗品蔵に入ったときのことだ。

無防備な腹を切り裂かれ、大声を出して危険を報せることもできずに、むざむざサテラを巻き添えにしてしまった言い訳無用の最悪の展開。

 

そして二度目の死は、ロム爺とフェルトが殺され、その後の抵抗もむなしくエルザに惨殺されたときだろう。一度目の『死に戻り』の際には日の高さの違いは日にちの違いだと思い込んでいたが、事実としては『同じ日のあの時点』に戻っていたというわけだ。

 

三度目の死はまさについさっき、ほんの十数分前に体感したばかり。

まさしく、犬死というのにこれ以上ふさわしい死に方はあるまい。

まさか最序盤の雑魚キャラに殺されようとは。選択肢一個ごとにBADENDイベントを仕込む、出来の悪いADVのような後味の悪さだった。

 

「っていうか、俺はほんの半日程度の間に三回も死んだってことか……」

 

人生が普通に考えれば一回だけのことを思うと、たった半日で三回も死ねるというのはあらゆる意味で常識を覆したといえる。

十七年間、わりと平凡に生きてきたつもりだったのだが、これまでに十七年間×三百六十五日×三回もデッドオアアライブを掻い潜って生きてきたのだと思うと少し感慨深い。

 

「あるいは絶望的に生きるのが下手糞だな」

 

ぬるま湯の元の世界の空気から抜けられていないせいで、こちらの世界の即死イベントの連発に体がついていけていないのだ。

危険だとわかり切っている場所にひょいひょいと誘い込まれてしまっているのも、ぽんぽん死んでいる一因ではあるだろう。

 

「一回目と二回目の因果関係からすると……俺はたぶん二回、エルザにやられてるな」

 

一回目、盗品蔵の暗闇に潜んでいたのはエルザだったのだろう。

倒れていた大柄の老人の死体はロム爺で正しかったわけだ。あの場でスバルの失言と無関係に、ロム爺が殺害される展開の想像がつかないが。

 

「フェルトはあのとき蔵の中に……そこまでは確認できなかったか」

 

当然、フェルトの交渉にロム爺は付き合ったはずだ。

となると、ロム爺が殺害される経緯には彼女の関わり合いは欠かせない。二回目のやり取りと符合させると、フェルトが欲を掻いたせいで交渉が決裂した可能性が高い気がする。

 

「無用の挑発でもかまして、口封じされたのかも」

 

負けん気の強そうなフェルトならやりかねない話だ。

その口封じが済まされてしまったところに、スバルとサテラがタイミング悪くも到着というのが一回目のあらましだろうか。

 

「二回目はもっと単純だな。その口封じの場面に俺が居合わせただけだ」

 

そう考えると、スバルたちが殺されたあとにサテラは蔵を訪れたのだろうか。

彼女の魔法の技能は知っているが、詠唱の時間をあの殺人鬼が与えてくれるかはかなり際どい気がする。十中八九、サテラの方が分が悪い。

 

「つか、二回も同じ相手に殺されてんだ。単純に考えて、エルザは出会ったら死亡確定の地雷キャラってことでFAだろ。それに……」

 

対策を講じる必要がどこにある、と胸中で冷めた自分の声をスバルは聞いた。

そう、エルザと遭遇した場合のことなど考える必要がどこにあるというのか。

 

彼女と遭遇する可能性があるのは、端的に言って『盗品蔵』のみだ。

そしてそこに赴く理由は『サテラの徽章』であり、サテラの徽章を取り戻すという目的は『彼女に助けられた恩を返す』という理由に則する。

しかし、『死に戻り』によって召喚直後の時間まで巻き戻ったスバルにとって、その恩義の行方は文字通り時間の彼方へ消え去っているのだ。

 

三度目の状況で、接触したサテラの冷徹な反応がそれを物語っている。

彼女はスバルを知らなかった。それはとりもなおさず、この時間軸のサテラとスバルに何の関係もない証左であり、返すべき恩義の消失を意味する。

ならば徽章のことなど綺麗さっぱり忘れ去って、あの脅威と再び遭遇するというBADENDフラグを回避すべきだ。

 

どうして『死に戻り』などという状況が用意されたのかはわからないが、せっかく先の展開を知れる技能があるのだ。避けられる地雷は避けて通る、それが正しい。

タイムトラベルものにつきものの展開だ。そうでなくては意味がない。

 

「幸い、ケータイが金になることはわかってるしな。ロム爺に頼らなくても、適当に信用できそうな店を見っけて売っ払えば軍資金は作れるだろ」

 

聖金貨二十枚以上、というのがどの程度の金額かわかり難いが、適当な宿に何泊かできるぐらいの金額ではあると思う。あとはそこで牙をとぎつつ、ガブリとやる日を待つだけだ。

 

「まぁ、何をガブリとやるのかってのはまだノープランだけど」

 

これといって突出した知識もなければ、拘り抜いた趣味があるでもない。あらゆる情報に対して広く浅く、それが現代人のスタンス。スバルも漏れなくそのひとり。

 

「これはケータイ売り払ったら、その金がなくならないうちにどっかの店に下働きとして雇ってもらうとかしかねぇな……」

 

就労経験のない自分でやっていけるか甚だ不安だが、少しくらいブラックな労働環境でも刀傷沙汰よりはマシだろう。半日に三回死ぬような目には遭わないで済むはず。

 

「そうなりゃ話は簡単だ。とっとと行動しないと日が暮れちまう。なあ、オッサン」

 

「さっきからブツブツ言ってると思ったらなんだネ、急に。なあ、とか言われても知らないヨ、ワタシは」

 

隣で露天商をやってる主人が、同意を求めるスバルに迷惑そうな顔で答える。

頭にターバン巻いて、壺だか皿だかを売ってる露天商だ。スバルが隣でぼそぼそとやってるのと無関係に、客が寄りつくような店構えには見えない。

 

「俺もこうやって持ち物売ったらいいのかな……でも、この残念な壺とかと一緒の感じで売って儲かんのかなぁ。どう思うよ、オッサン」

 

「他人の売り物見ながら残念とか言わないでヨ!なんなの、チミ!」

 

「いずれ富豪として名を上げる男だよ。ケータイ成金とでも呼んでくれ。……それって巻いてると頭とか痒くなんない?なんで巻いてんの?ハゲてんの?」

 

「意味わからない上に失礼極まりないヨ!どっか行ってよ、商売にならないじゃない!」

 

微妙に女言葉っぽい主人の態度はかなり冷たい。

行きずりの他人に接する人間の心なんて、どの世界でも一緒だよなぁと内心でため息。

 

「でもさ、自分が切羽詰まってても人のこと助けちまうお人好しもいんだよ」

 

大切なものが盗まれたあとで、それを盗んだ相手を追いかけてる途中で。

無関係の役立たずを助けて、そんな奴を時間をかけて治療して、それのお礼も貰わないで立ち去ろうとして。

役立たずの自己満足に付き合って、ひどい最期を迎えてしまうお人好しが。

 

「三回も繰り返してみると、色々とわかってくることもある。いや、それでわかってこなかったらだいぶ頭可哀想だけど、俺の頭はそこまでじゃない」

 

「なにを言い出したのヨ、今度は」

 

「たぶん、パターンがあんだよ。運命って言い換えてもいいな。――何度やり直しても、この展開は必ず起こるって運命が。たとえば……」

 

一回目でも二回目でも、三回目でも、サテラはフェルトに徽章を盗まれる。

一回目と二回目はいずれも、盗品蔵でロム爺が殺される事態が起きていた。おそらくは一回目の盗品蔵でもフェルトは殺されていたのだろう。

ならば、二回目も盗品蔵の現場に到着しただろうサテラはどうなった。

足手まといの役立たずはいないが、あのエルザに勝ち得たのだろうか。

 

「それはわからない。わからねぇまんまだ。だけど、わかることもある」

 

このまま四回目の今回も事態を放置しておけば、間違いなくフェルトとロム爺は殺されるだろう。そして、サテラとエルザは一戦を交えることになる。

あの二人が死ぬからなんだというのか。盗品をまとめて裏で売りさばく小悪党と、盗んだ品物を悪びれもせずに高値で売りつけようとする剛腹な小娘だ。

二人まとめて犯罪者、いなくなって清々するというものだろうに。

 

「あー、やっぱ俺って現代っ子ってことなんだろうなぁ。こんな気持ち、パソコンの前じゃすっげぇバカにしてたくせによぉ」

 

同情とか慈悲とか馬鹿馬鹿しいと、そう振舞っていたはずだ。

少なくとも、スバル自身はそれを偽ってきたと思ってはいない。自分は情が薄い人間だと思っているし、現代人は誰もがそんな感情が希薄なものだ。

だからどんな事態に陥ったとしても、さほどの情動もなく淡々と受け止めると思い込んできた。知人が何人か死ぬなど、その範疇を出ていない。

 

「なのに、嫌なんだよ。気持ち悪ぃんだ。善人とは程遠いよ、二人とも。――でも、いっぺん知り合った奴らが殺されるって知ってて、見過ごすのは無理だな」

 

けっきょくは、そう振舞っていただけという話なのだろう。

全てはバーチャル感覚でのお話。実際にそれがリアルな重みを伴えば、容易く宗旨替えしてしまう程度の薄っぺらさでしかない。

別に拘ってる宗旨でもないから、引き剥がれたところでダメージないけど。

 

「それにやっぱサテラ……ってか、あの子も見捨てられねぇし」

 

名前を呼び掛けて、それが偽名なのだろうなとスバルは思う。

思い返せば一度目の世界で、彼女はその名前をあまり口にしたがってはいなかった。その上での三度目の世界のやり取りだ。嫌でも痛感するというもの。

ようするに信頼が足りなかったということだろう。好感度不足だったため、名前獲得イベントの成否処理で失敗判定を食らったということだ。

 

「んだらば、今度は名前くらい、ちゃーんと教えてもらえるように頑張りますか」

 

その場で屈伸して、スバルは「うーん!」と体を大きく伸ばす。

「ちゃーんちゃーちゃちゃっちゃっちゃっちゃ!」とラジオ体操を始めるスバルに、露天商の主人はもはや言葉もない様子だ。

そんな絶句する彼の前でラジオ体操第二をやり切って、いい汗をかいたスバルは店主に振り返ると、シュタッと手を挙げ、

 

「男にはやらなきゃならねぇときがある。――そうだろ、オッサン」

 

「そうネそうネそうヨその通りヨ、だからとっとと行ってヨ」

 

わりと決め顔でビシッとしたつもりが、反応の悪さに頬がひきつりそうになる。

おざなりの手振りで背中を押されて、スバルはすたこらと長い長い思考に沈んだ露天商からひとっ走り離れた。

しばし人込みをかき分け、二百メートルほど走ったろうか。

 

「さて……」

 

立ち止まったスバルは短い前髪をかき上げるアクション。

無駄に爽やかさを演出しつつ、右へ左へ視線を走らせ、自然な動きで壁に手を当てて寄りかかり、瞑目しながら再び髪を撫でる。して、

 

「偽サテラって、どこに行ったら会えっかな」

 

と、かなり先行き不安な発言で見切り発車が始まった。