『業の深い男へ続く船旅』


 

「歌姫に心を奪われた男、ね。そりゃなんというか……格好いいように見せかけて実は全然格好よくない渾名で呼ばれてる奴だな」

 

勿体ぶったアナスタシアの答えを聞いて、スバルはそんな感想をこぼす。

それに笑ってしまうのは、言った本人であるアナスタシアだ。彼女は自分の柔らかな髪に手を差し込み、毛先を指で弄びながら、

 

「せやね。その呼ばれ方も、敬称よりかは愛称みたいな扱いや。ただ、他でもない本人が公言してるんよ。自分は歌姫に、心を奪われたんやーてな」

 

「えっと、それってつまりどういう?」

 

「一人の女性に心を奪われて、そのことへの愛を憚らずに公言できる。――王選の場での君の振舞いに、近しいものがあるとは思えないかね?」

 

「黒歴史でもねぇけど、嫌がらせに思い出させるのはやめろ」

 

ユリウスの揶揄するような物言いに、スバルが唇を曲げて舌打ちする。

一年前の王選の場での醜態は、振り返れば頭を抱えて転がり回りたくなるような出来事だ。そのときの思いは間違っていなかったにせよ、主に表現方法の問題で。

ともあれ、

 

「だいぶ頭が残念な感じに仕上がってるってのは実体験として理解した。んで、人となりはどんなもんなの?」

 

「大袈裟な呼ばれ方が特徴的やけど、本人はそこそこ真面目で柔軟なお人やね。ミューズ商会の跡取りなんも、長男ってだけが理由で継げるもんでもない。前提として本人の商才があってのこと。その点に関しては疑う必要はないわ」

 

「それは僕も保証しますよ、ナツキさん。ミューズ商会の若旦那……キリタカ・ミューズの名前はわりと有名です。もともとミューズ商会は主に魔鉱石を扱う商会としては老舗ですが、キリタカの手腕はそんな歴史ある屋号の中でも評価されてます」

 

アナスタシアの補足をするのは、どうやら商人繋がりでその評判を知っていたらしいオットーだ。しかし、彼はキリタカを擁護したその矢先に、今度はアナスタシアへと睨みを利かせながら、

 

「当然ですが、エミリア様が求める純度の高い魔鉱石の話は優先的に、魔鉱石を取り扱う専門の商家に当たりました。あまり大っぴらに動けなかったとはいえ、ミューズ商会にも打診したはずです。……あちらが懐を明かさなかったのは思惑があることとして、アナスタシア様がそれを知り得た理由の方が気にかかりますね」

 

「そら信用度の問題やないの?あとは誠意の問題かもしらんね。欲しがる当人が顔を出した方が、覚えがいいのは当たり前のことやろ?」

 

「……と、いうことにしておきましょうか」

 

白を切るアナスタシアに、オットーはそれ以上の追及を断念する。それからオットーは話の主軸を、件の魔鉱石の方へと移した。

 

「まず、こちらの求める魔鉱石の実在は確かなんですね?」

 

「疑う気持ちもわかるけど、確認されたらすぐばれるような嘘はようつかんよ。目立つところにあるし、向こうも白切ったりはできんはずやから」

 

「なるほど。交渉に関してはこちらの責任で行っても構わないんですか?何か、僕らに紹介する上で条件を出されていたりとかは」

 

「心配性やね。それも安心し。ウチはエミリアさんらが探してる魔鉱石の在り処に心当たりがあったから、それを親切に教えたってるだけ。その理由はさっき、ウチとオットーくんとの間で合意したもんな?」

 

恩義に値札は付けない、こそがアナスタシアの言い分だ。

オットーが合点がいった様子で口を閉ざし、魔鉱石の取り扱いにおける合意は取れた。そして会話が一区切りつくと、そこでおずおずとエミリアが手を挙げる。

 

「あの、ちょっと聞いても大丈夫?」

 

「なんでもどうぞ。商売も人間関係も、突き詰めたら信用の問題やもん。そのための最善、疑問解消で尽くせるなら安いもんや」

 

「それも金がかからないからとか言いそうだな……」

 

「時間給が発生するならそれも別やけどね。ま、おおよそはその予想の通りで間違ってないよ。ナツキくんも、仕込んだらモノになりそうやね」

 

アナスタシアの微笑みに、スバルは肩をすくめて無言で辞退を表明。その傍らで質問の許可を得たエミリアが、そっと首を傾げると、

 

「そのキリタカさんのことはわかったんだけど、『歌姫』って人がどんな人のことなのか気になって。有名な人なの?」

 

素朴な疑問だが、それは確かにとスバルも頷く。

キリタカ・ミューズがご執心の歌姫。そもそも、スバル知識ではキリタカの家名であるミューズというのが、『歌の女神』か何かの名前だった記憶がある。奇妙で数奇な偶然の符合だが、歌姫に引き寄せられる運命だったとすればロマンだ。

 

「歌姫ってのが『荒れ地のホーシン』みたいに過去の偉人とかじゃなければの話だけどな。さすがに歴女方面に走られると付ける薬が見当たらねぇよ」

 

「その点は安心して構わない。現代の『歌姫』リリアナ嬢は、この都市プリステラに滞在している実在の女性だ。今は件のキリタカ氏に囲われている……といっても過言ではない立場だろう」

 

「今は、ってことはもともとは違ったのか」

 

「もともとは旅をしながら歌を歌う、吟遊詩人だったと聞いている。そうして方々を巡る途中、キリタカ氏に見初められての今があるのだと」

 

ユリウスの答えを聞きながら、スバルは鳥籠に入れられた小鳥をイメージする。

元は自由に生きていた鳥が、権力者の目に止まったことで籠の鳥にされる。なんともいかにもな展開ではあるまいか。

聞くだに偏執的な愛情を示すキリタカだ。そのリリアナという人物も、外に出られずに閉じ込められる不幸な時間を送っているのだろうか。

 

「そりゃよろしくない話だな。歌は誰に制限されるもんでもない、自由なもんだぜ」

 

「その点については同意見だが、何か誤解を生んでいる気がするね。もっとも、キリタカ氏のリリアナ嬢への執着を思えば、抱くなというのが難しい考えだが」

 

「俺の中で着々と、そのキリタカって奴への好感度が下がっていくぜ。交渉だけど大丈夫かよ。俺のイメージだと、すげぇ偏屈で話が通じそうにないんだが」

 

でっぷりと肥え太り、脂ぎった欲望まみれの典型的嫌な金持ちが思い浮かぶ。

オットーが先ほど挙げたように、こちらの魔鉱石を求める要求も素知らぬ顔でスルーしていた手合いだ。好意的なイメージを持てという方が無理だろう。

 

「そんな好色そうな奴の前に、エミリアたんを連れていくとかゾッとしないんだが」

 

「エミリア様はおそらく問題ないはずだ。キリタカ氏は少し扱いが難しい御仁ではあるが、そう見境のない人物でもない。ただ……」

 

そこでユリウスが言葉を切り、その先をどう言語化するべきか瞳を迷わせる。

彼にしては珍しい逡巡にスバルが眉を寄せると、ユリウスは小さく吐息。それから視線をエミリア、そしてスバルと順番にずらして、

 

「万一を考えて、ベアトリス様は連れていかない方がいいかもしれない」

 

「それどういう意味だよ!?」

 

「ちなみにキリタカさん、ウチとも快く話し合いに応じてくれるんよ。それで大体、事情が伝わってくれると思うんやけど」

 

ユリウスの言葉と、アナスタシアの言葉。

立ち上がったスバルはその二人の意見を集約し、一つの答えに結びつく。

それは、

 

「……ロリコンか?」

 

「他人には推し量ることが難しい、譲れない基準を抱いている人物と言い換えよう。無論それは、アナスタシア様の魅力を損なう理由にはならない」

 

「お前のフォローにも優雅さが欠けることってあるんだな」

 

苦しいユリウスのフォローだが、アナスタシアは気にした風もない。

否定されなかったことで、スバルはその諸問題に納得した。したが、正直なところ「またかよ」という気分がないでもない。

 

「厄介なロリコンなんて、クリンドさんだけで十分だってのに……」

 

万能執事の細面が思い出されて、スバルは頭を抱えたい気分になる。もっとも、クリンドとそのキリタカとでは決定的に違う部分がある。

それは、おそらくクリンドはアナスタシアには興味を示さないという点だ。

 

内面のロリさを重視するクリンドは、たとえその外見がロリであったとしても、相応に中身が成長していれば興味を示さない。それはリューズへの態度と、エミリアを尊重する姿勢から証明されている。彼の目に世界がどう映るかは不明だが、その目はエミリアの内面の未成熟さを見抜き、彼女を精神ロリとして敬っていた。

一方でキリタカは外面ロリを重視する人物だ。アナスタシアはおそらくスバルと同年代と見ているが、それにしては未成熟な体つきをしている。今後の成長の芽がほぼないことを考えると、合法ロリともいうべき姿だろう。そんな彼女に好意的であるキリタカの性癖は、言わずと知れている。

 

「うちのベア子は、クリンド型にもキリタカ型にも対応できる万能ロリだからな……」

 

「なんかよくわかんないけど、だいぶ失礼な言われ方されてる気がするのよ」

 

「馬鹿、違ぇよ!俺はお前が心配なんだよ!お前……お前は、どんだけ存在するだけで危ない魅力を持ってるんだ。ちょっと自覚して俺を安心させろよ!」

 

「え、ぁ、ぅん……し、心配されてるなら仕方ないかしら。ふふふ」

 

危機感の足りなさを指摘したのに、ベアトリスが嬉しそうにスバルの裾を掴む。とりあえず、その手を上からホールドして逃がさないように。

しばらく、この都市ではベアトリスから目を離さない方が得策かもしれない。

 

「ええと、つまり背の小さい子が好きな人ってことでいいの?」

 

「純真な答えやね。そうやなくて、もっと単純に青い果実をもぐことに快感を……」

 

「スタァァァァップ!うちの箱入り天使にそれ以上、変なこと吹き込まないで!そいつのことは俺が理解した!これ以上は不要だ!はい、やめやめ!」

 

左手でベアトリス、右手でエミリアを庇うスバルの大立ち回り。過保護ぶりを発揮するスバルにアナスタシアが笑い、ユリウスすらも苦笑する。

 

「ナツキさんの姿勢はともかくとして、条件その他は呑み込めました。できれば早々にキリタカ氏と渡りをつけたいんですが、商会の方へ出向いたらいいですかね?」

 

「そうやねぇ。キリタカさん、あれで結構忙しい立場にある人やから。都市運営にも携わる立場なんもあって、都市庁舎か商会か、どっちかにおるんちゃうかな」

 

仕切り直そうとするオットーに、アナスタシアがそう応じる。それを受け、オットーは顎を引きながらスバルたちを振り返り、

 

「さすがに、きていきなりの会談は難しいでしょう。まずは事前に話を通して、落ち着いた話し合いをする場を設けたいんですが……ひとっ走り、どっちに行きます?」

 

「そうだな……正直な話、どっちっていうかそもそもこの町の地図も全然頭に入ってねぇし、無茶としか言いようがない選択肢なんだが」

 

正門から見下ろせる限り、プリステラの大きさは半端ではない。王都ほどではないにしても、見覚えのない町並みというのはそれだけで脅威だ。これで方向感覚には自信があるスバルだが、水路を優先して歩道が入り組むプリステラでは、そのご自慢の感覚もどれほど役に立つものか。

 

「たぶん、水路を利用した小舟の案内人がいますよ。観光目的で訪れる人も多いですから、金づるだと思ってちやほやしてくれるはずです」

 

「ここだけの話、俺って船酔いすごいんだよね。小学校のとき、修学旅行先で湖を船で渡ったときに尋常じゃない酔い方して総スカン食らってさぁ」

 

「よくわかんないけど心が痛くなる思い出なのよ」

 

淡く傷だらけの思い出を回想するスバルに、ベアトリスが不憫そうな顔。

ともあれ、過去を悔やんで今を踏み出せないのも情けない。スバルは道に迷う心配がないなら、どちらでもいいかとオットーの提案を吟味する。と、

 

「話し合いの途中にすまないが、その心配は杞憂と言わせてもらおう」

 

「ユリウス、どういうこと?」

 

割り込むユリウスの言葉に、エミリアが目を丸くして聞き返す。

そのエミリアにユリウスは薄く微笑み、

 

「簡単なお話です。キリタカ氏との会談については、すでにこちらの方から人を出して申し出ています。じきに使いが戻れば、詳しいお話もできるかと」

 

「使いって?」

 

「実弟のヨシュアと、リカードというものを使いに出しています」

 

ユリウスの答えを聞いて、スバルはこの場に同席していない二人がどこに行ったのかに納得した。同時に、その心遣いを小憎たらしくも感じる。

ある種、予想された問題に対する当然の気遣いであるともいえるが、

 

「宿の前でのお出迎えといい、ずいぶんと手際がいいんだな」

 

「招いた側として、手回しして当然の気遣いだ。さして言及するには値しない事柄だよ、スバル。詳細については口を噤ませてもらうがね」

 

「さよけ」

 

勿体ぶった大袈裟な物言いは変わらない。ユリウスに対する敵愾心をさらに強めながら、一方でスバルは彼の陣営の行動の速さの謎に頭を悩ませてもいた。

ともあれ、

 

「それなら、業腹ながら二人が戻るのを待たせてもらうとしようか。お出かけしようにも、うちのボディーガードが戻ってきやがらねぇし」

 

「それよ」

 

足を崩して気楽に構えながら、スバルは宿に連れ込まれて以来、姿の見えないガーフィールのことを話題に出す。途端、アナスタシアがそれに食いつき、

 

「ウチの方もミミたち戻ってこぉへんし、どうなってんの?あの子、あのガーフィールって子、どんな子なん。そこのとこ、詳しく話してもらうえ」

 

「名前はガーフィール・ティンゼル。ちょっと夢見がちで、空想好きな十五歳。固いものを噛む癖と、いびきがうるさいのが玉に瑕。でも真っ直ぐ一途で、好きな相手にはタコ殴りにされても想いを曲げない純情青年でもある」

 

「なにそれ好感度高いやん」

 

自分のところの可愛い妹分を取られまいと、アナスタシアも必死なようだが甘い。スバルはスバルで、ガーフィールは可愛い弟分なのだ。ミミとくっつけたいかは別として、ガーフィールを高く売り込むことについては何ら疑問を抱かない。

 

「歌姫さんってどんな綺麗な声で歌うのかな。私、すごーく気になる。どこかで会えたらお願いして歌ってもらうってできるかな」

 

「リリアナ嬢はとても社交的な女性です。きっと、エミリア様のお願いならば無下にされませんよ。キリタカ氏とお会いすれば自然と顔を合わせることもあるでしょう。そのときにでもお願いされればよろしいかと」

 

「わ、そうなんだ。楽しみ」

 

一方で、エミリアも話題の歌姫に興味津々の様子なのを、ユリウスの言葉でさらに期待度を高めている。

そんな二組の主従の会話を見ながら、オットーがため息をこぼして、

 

「王位候補者同士って、もっと殺伐とした関係だとばかり思ってたんですけど……これって僕が気を張りすぎってことなんですかねえ?」

 

「気を落とす必要はないのよ。お前が考えすぎっていうより、スバルとエミリアが考えなさすぎなのかしら」

 

珍しく、ベアトリスがオットーに同情的に応じる程度には、この都市にいる間の彼の心身共に疲労するだろう予感がしのばれるのだった。

 

※※※※※※※※※※※※※

 

やっと戻ったガーフィールがスバルたちに合流したのと、アナスタシアの使いとしてキリタカ・ミューズにアポを取りに行っていたヨシュアたちが戻ったのはほとんど同じタイミングのことだった。

 

「キリタカ氏はご多忙だそうで、今日は都市庁舎ではなく商会の事務所の方にこもりきりだそうです。一応、そちらに足を運んでもらえれば時間は作っていただけると」

 

「そかそか。うん、ご苦労やったね、ヨシュア」

 

主と兄の下に戻ったヨシュアは、到着しているスバルたちを一瞥してから報告を上げる。アナスタシアがそれに満足げに頷くと、それから彼の視線がこちらを向き、

 

「……遠方よりご足労いただき、ありがとうございます。すでにアナスタシア様よりお話があったかと思いますが、キリタカ氏の方にはお話を通してあります」

 

「おう、わざわざありがとうよ。おかげで余計な時間ロスが起きずに済むぜ」

 

「お気になさらず。あくまで自分はアナスタシア様からのご命令に従ったにすぎません。本当なら兄様とスバル様を会わせないようにしたかったのにです」

 

「お前は正直だなぁ、相変わらず」

 

正直にスバルを敵視するヨシュアに、目を丸くしたのは珍しくユリウスだ。彼は弟がスバルに抱く敵愾心を知らなかった様子で、

 

「ヨシュア。彼も含めて全員がアナスタシア様の招いた方々だ。賓客に対する失礼はそのまま、主であるアナスタシア様の名に傷をつける。慎むように」

 

「……申し訳ありません、兄様」

 

不貞腐れた目をするヨシュアに、ユリウスは小さく吐息。それから謝意を宿した目でスバルに目礼し、

 

「すまない。私の方からも非礼を詫びよう。普段の弟ならこのような振舞いは断じてしないのだが……環境が違うからか、気が立っているようだ」

 

「別に気にしねぇけど、慣れない環境ならお兄ちゃんがちゃんと手綱引いといてやれよ。兄弟に揃って噛みつかれるのは御免だぜ、俺は」

 

「ふ。肝に銘じておくとしよう」

 

皮肉とジョークの合間のようなスバルの言葉に、ユリウスが顎を引いた。

その様子をヨシュアは不満そうに見ていたが、スバルがその目に気付くと慌てて顔を背ける。なんとも、根が深い嫉妬心というべきだろうか。

 

「それじゃ、せっかくの御厚意に甘えて私たちはキリタカさんのところに行ってみるわね。お宿はここだと思ってて大丈夫かしら」

 

「そう思ってもらってええよ。『水の羽衣亭』は珍しいだけやなしに、満足度やらなんやらでも実績のあるお宿なんよ。夕食も楽しみにしててな」

 

「そうなんだ。じゃ、それも楽しみにさせてもらうわね」

 

自信ありげなアナスタシアに、エミリアが手を叩いて微笑む。それから彼女は長い銀髪を手で撫でつけると、

 

「憂いなしにおいしくご飯を食べるためにも、キリタカさんとはちゃんとお話ができるようにしなくちゃ」

 

そう言って立ち上がるエミリアを先頭に、スバルたちは揃って旅館を出る。

キリタカのいるミューズ商会の事務所までは、店の前の水路にヨシュアが手配してくれた水路船を待たせているとのことだった。

 

「オイ、大将!俺様を置いてッくんじゃァねェよ!困んだろうが!」

 

水路へ足を向けようとした四人を止めたのは、慌てて旅館から飛び出してきたガーフィールだった。輝く金髪や衣服をわずかに汚した彼は、やけに疲れた顔つきで四人に合流し、

 

「あァ、ひでェ目に遭ったぜ。でけェ犬面のオッサンがこなきゃ、もっとブンブン振り回されッとこだったかんなァ」

 

「犬面ってことはリカードか。声のでかいオッサンに止められるまで、ミミとデートしてはしゃいでたんじゃねぇのか?」

 

「デートだァ?冗ッ談じゃァねェよ。あのチビに引っ張り込まれてすぐ、チビそっくりの別のチビが出てきて、半泣きのチビに殺されッそうになったってんだよォ。反撃して泣かすわけにもいかねェし、方々走り回らされたぜ……」

 

ガーフィールの話だと、その大惨事を止めてくれたのがリカードだったとのことだ。ミミはもちろん、その騒ぎを助長した弟二人――おそらく、冷静沈着なティビーはとばっちりだろうか。姉を取られまいとシスコンぶりを発揮したヘータローがもっとも叱られた形になったようだが、とにかくそれで離脱できたらしい。

 

「で、案内されて茶の間に顔出したらもう大将たちがいやがらねェッからよォ。慌てて追っかけて出てきたってェわけよ」

 

「ああ、そりゃ悪かった。俺たちはこれから、目的の魔鉱石を持ってるって奴と交渉に出向くとこでな。落ち着いて考えると、護衛のお前抜きで行ってたらお前連れてきた意味がわかんなくなるとこだったわ」

 

「そりゃァねェぜ、ったくよォ」

 

安堵した様子のガーフィールをパーティーに加えて、スバルたちはそのまま水路船の待つ水場へ向かう。感じのいい船主が水路で待っており、手配された船にスバルたちは一人ずつ乗り込んだ。

船は小型船と言うべき大きさで、観光者や都市の住人が移動するための足と割り切っているらしく、船主を含めて八人ほどが乗れる程度の枠しかない。

 

「あまり船を大きくしすぎると、都市法に抵触するのと、私らのような案内人の場合は互いの行き来も考えなくちゃなりませんのでね。譲り合いですわ」

 

浅黒い肌の船主は、そう言ってスバルの疑問に答えてくれる。

基本的に街道をゆく竜車ではあまり気にしたことがなかったが、こうして都市の中での移動手段として確立されている水路船では、ある程度の交通ルールが設定されているとのことだ。

 

「衝突して沈没しても、船主の腕の悪さなんて言われちまいますんでね。親の代から受け継いできた船でもあるんで、沈めちゃ顔向けもできませんや」

 

「そりゃそうだ。あの水竜とかとトラブル……面倒事とか起きたりしないの?」

 

「譲り合いって言いやしたでしょう?水の中じゃあ、水竜に敵うわきゃないってんで、水竜を見かけたらお先にどうぞってのが習わしですわ。中には小型の水竜に引かせる案内船もありますんで、一度ぐらいは乗ってみてもいいと思いますぜ」

 

船主が快活に笑ってオススメしてくれるので、スバルも一度ぐらいはと体感してみたい気持ちになる。地竜を初めて見たときの興奮。水竜にもそれに近いものが感じられるだろうかという期待感があった。

 

「船で水の上を渡るなんて初めて。すごーくドキドキしちゃう」

 

「そうなんだ?そういや、海とかねぇんだもんな、こっちって」

 

「海って?」

 

「終わりがない水たまりみたいなもん。俺の地元だと周り一帯がそれだった」

 

「ふーん……でも、それなら喉が渇いても助かるから安心ね」

 

エミリアの子どもみたいな回答にスバルは笑う。

残念ながら、喉が渇いて海水を飲むのはデッドエンドフラグだ。塩水そのものの海水の話は、ここでしても仕方がないので割愛するが。

 

「どこの川も、ほとんどは橋がかかっていますからね。橋を経由しないで密輸する場合は、船を利用することもままありますが」

 

「実体験みたいに語るんだな、お前」

 

「べ、別にやったことはありませんよ!?あ、あくまでそう、又聞きの知識ですけどね!嫌だなぁ、変な疑いかけないでくださいよ、まったく!」

 

「オットー兄ィ、なんか汗すっげェぞ」

 

自白みたいなオットーの発言を全力でスルーして、船主の合図とともにゆっくりと小舟が水路の主流へと乗っかる。

水の流れの左車線を、都市の中央へ向かって流れ出す小舟。不思議なことに、船縁から水路の反対側を見ると、そちらの流れは斜面の角度に逆らって上っていく。

 

「これ、水の流れがどうなってんだ?」

 

「ふふふ。私、実は知ってるの。ほら、町のあの端っこの方を見てみて」

 

首を傾げるスバルの肩を叩き、エミリアが遠くの方を指差す。そちらに目を向けると、都市を囲む外壁に隣接する高い石造りの塔が見えた。巨大な塔はどうやら、丸い都市のそれぞれ東西南北の一本ずつ、それぞれ存在を誇示している。

 

「あの塔が、町の中の水の流れを制御してる制御搭なの。中にすごーく複雑な仕組みの魔法器が組み込まれてて、水の魔鉱石の力で稼働してるんだって。都市にある大きな水門も、あそこで動かしてるらしいわよ」

 

「へぇ、不思議なもんだな。個人的には水の上って違いはあっても、やっぱり交通ルールで左車線になってんだって新鮮な驚きがあるけど」

 

エミリアの説明に頷いて、スバルは都市の中を流れる水路の不思議機構を知る。

水門都市プリステラはなるほど、他の都市と比べて確かに色々と違う部分が多い。都市法を始めとして、知らなければならないことはまだまだ多そうだ。

 

「都市法もそうだけど、都市の運営だかにも関わってるって話だったよね」

 

「キリタカさんのこと?そう言ってたわね。どんな人かな……なんとか話を聞いてもらって、それで魔鉱石を譲ってもらえたら助かるんだけど」

 

胸から下がるペンダントに触れて、エミリアが自信なさげにそう呟く。

彼女の呟きを聞きながら、スバルは顎に手を当てて目を伏せる。そして、ゆっくりと流れる小舟の動きに頭を揺らして、小さく呟いた。

 

「――――ぃ」

 

「……今、なんて言ったのかしら」

 

消えそうなほど小さな呟きを、どうやらベアトリスだけが聞き留めたようだ。ベアトリスの怪訝そうな声に、船主以外の全員がスバルを見る。

そんな仲間たちの顔を順繰りに見渡して、スバルは微笑んで言った。

 

「ヤバい、吐きそう」

 

――一瞬にして、船の上が大騒ぎになった。