『怨嗟の声は消えず』


 

こうして空白に意識を支配されるのは、もう何度目の経験だろうか。

 

目の前の理解を越えた光景を前にして、スバルはもう何度も何度もしてきたように言葉を失って立ちつくす。

打ちのめされてきた。これまで幾度も。そろそろ、救われたっていいのではないかと弱音のひとつも吐きたくなる。

こうして繰り返し繰り返し、悲劇ばかりを目にしてきたのだから。

 

立ち尽くすスバルの正面、寝台の上には青髪の少女が横たわっている。

生気の消えた顔は青白く、閉じられた瞳は二度と開くことはない。部屋着なのだろう薄手のネグリジェは、こんなときでなんではあるが、しっかりとした彼女の印象に比べて幼い雰囲気が良く似合っていた。

ふと、スバルは彼女のメイド服以外の格好すら見たことなかったのだなと気付く。そして、初めて目にしたそれ以外の服装が、最期の衣装だ。

 

「どうして……レムが」

 

呟き、髪の毛に手を差し込んでスバルは俯いて呟く。

意味のわからない状況を前に、無駄に空転を繰り返す頭がひどく痛む。寝不足の疲労感もあるのだろう。考えるのがやけに億劫だった。

 

繰り返す都度、実に四度。その内の三度を殺されてきたスバルにとって、彼女は下手人として最も警戒すべき人物だった。

彼女に口封じの指示を出しかねないロズワールや、立場を同じくするだろうラムも条件は同じだが、実際に命を奪われた体験からレムを今回最大の障害だと判断していたのは間違いない。

 

故に今回は彼女らを遠ざけ、渋るベアトリスすら説き伏せて巻き込み、状況を先送り先送りにして命を引き延ばしたのだ。

結果、五日目の朝を迎えることができたのは朗報だったが。

 

「なんで、立場がこうも変わっちまってる……?」

 

スバルを殺そうとするのがレムのはずだ。断じてその逆ではないし、レムが殺されるような理由も思い当たらない。

ふと、スバルは本当に彼女が死んでしまっているのか、それを確かめようと足を前に踏み出す。寝台に寝かされた少女は両手を胸の上で組み、誰がしたのか死に顔は綺麗にされたあとらしく穏やかなものだった。

手を伸ばし、その動かない体に触れようとする。だが、

 

「――触らないで!」

 

勢いよく振られた腕に手を叩かれ、スバルは小さく呻いて顔を上げる。

ベッドを挟んで対面、レムに縋りついて涙をこぼすラムがいる。ラムはいまだに止まる様子を見せない涙を流し続けながら、

 

「レムに……ラムの妹に触らないで」

 

それは一切入り込む余地のない拒絶の言葉だ。

叩きつけるようにそれだけ言って、ラムは再びレムの体に取り縋り、静々と泣きながら囁きかける。まるで、眠る我が子にお伽噺でも語り聞かせる母親のような、献身的で痛々しい姿だった。

 

姉のそんな憐憫を誘う様子にも、妹が目覚めて見咎める気配はない。

青白い横顔、血色の悪い唇。そして鼓動を止めてしまった体。

間近でそれらを見て、スバルはようやっと現実を受け入れる。

 

――レムは本当に、死んでしまっているのだと。

 

「おそらくは魔法によるものだぁね。魔法より、呪術寄りに思えるけどねぇ」

 

よろよろとした足取りで部屋を出たスバルに、扉の隣に立っていたロズワールがそう推測を口にする。

指を立て、藍色の長髪は普段のゆるみ切った表情をわずかに引き締め、

 

「死因は衰弱によるものだ。眠っている間に生気を奪われ、ゆぅっくりと鼓動を遠ざけられて、そのまぁま眠るように命の火を吹き消されている」

 

呪術、という単語にスバルは顔を上げる。

聞き覚えのある推測だ。そして、ロズワールの語る死因にはスバルもまた思い当たる節がある。

それは正しく、スバルが二回目の死の状況で体感した類の異常だ。おそらくは一回目の死因がそれであったと仮定すると、今回のレムの死因はスバルの一回目、間接的な二回目と同じということになる。

なるのだが、

 

「俺はてっきり、あの衰弱させられる魔法もレムの差し金だと思ってたが」

 

魔法で衰弱させ、鉄球で頭を砕かれた二回目。

あの状況を思い起こせば、同一犯の犯行と予想したスバルを責められまい。だが、実際にはレムは呪術による死を与えられており、スバルはこうして呪術の影響はもちろん、鉄球の洗礼さえもくぐり抜けたことになる。

つまり、

 

「呪術とレムは別個……?協力関係には、どうなんだ?」

 

二回目の死因のケースだと、呪術による衰弱の影響を受けた上での襲撃だ。手を組んでいるとするのが自然だが、今回のケースはどうなる。

仲間割れ、と思い浮かべてスバルは首を振る。そも、呪術師のポジションがわからない。条件から言って、呪術師は屋敷に近しい人間でないと変なのだ。

そうでなければレムと接触の機会を持てないし、なによりレムの行動の動機と条件が重なる人物でなければならない。

 

三度目の世界の発言を鑑みるに、レムがスバルを口封じに殺そうとするのはロズワールのためになればと思ってこそなのだ。間接的にエミリアの障害の排除にもつながるそれは、行き過ぎとはいえ忠誠心の賜物だ。

故に回避できないのでは、とスバルを精神的に追い詰めることにもなった前提条件、それが呪術師との関係性のせいで大きく揺れ動いてしまう。

 

どうにも納得のいく筋道が立てられず、顎に触れて思考するスバルは苛立ちを隠せない。疲労感の蓄積もあって、今の頭の血の巡りは最悪だ。

碌な結論が出るわけがない、とわかっていても、考えること以外のできないスバルは考えるしかない。そうして、

 

「まさか、協力関係も×して完璧に別件なのか……?」

 

レムと呪術師の間に、なんら関係性がないとすればどうだろうか。

一回目はスバルが呪術師の標的にされ、そのまま死亡。二回目は呪術師の術中にかかったスバルを、レムがなんらかの理由で殺害。三回目は純粋に忠誠心からの暴走で、レムがスバルを殺害。これには呪術師は無関係。

そして四回目の今回は、

 

「俺がなにもしなかったから、レムが呪術師の標的になった……?」

 

因果関係はわからない。そもそも、スバルが呪術師とやらに命を狙われる理由すら不明なのだ。あるいは呪術師の狙いは屋敷中の人間とも考えられるが、そうなるとロズワールやエミリアといった重要人物を省き、スバルやレムといった立場の低いものが標的として優先される理由が思い浮かばない。

 

けっきょくは、呪術師の素姓が判明しない限りは堂々巡りだ。思考が八方ふさがりを感じて停滞し、スバルは苛立ちに舌を打って考えを打ち切る。と、

 

「ずいぶんと、真剣に悩んでいたようだねぇ?」

 

少し高い位置から、ロズワールがスバルを見下ろしてそう呟く。青と黄色のオッドアイは、まるでスバルの品定めでもするかのように細められており、自然と内心を見透かされる不愉快さにスバルは眉を寄せた。

そんな自分の不作法に気付いたのだろう。ロズワールはすぐに居住まいを正すと、スバルに対して目礼し、

 

「失礼したね。私も少々、気が立っているようだ。さぁすがに、可愛がっている使用人がこんな目に遭わされたと思うと、ね」

 

謝罪を口にしながらも、ロズワールの態度は本当の意味では決して和らがない。彼は腕を組み、組んだ腕を指で軽く叩きながら、

 

「火で炙り、水で犯し、風で刻み、土に沈める。――それぐらいのことをしなければ、この返礼にはならないと思うぐらいだ。こんなことを聞くのもなんなんだけど……お客人、なにか心当たりはないかねぇ?」

 

低い声で呟かれたそれに、冗談めかした響きは欠片も含まれていない。

まっさらの本音だろう恫喝を言葉にして、ロズワールは試すようにスバルを見据える。ふと、スバルは自分の置かれている状況の悪さを自覚し、どう応答すべきか悩む。が、スバルが口を開くより先に割り込んだ声があった。

 

「昨夜あたり、警戒するようにって。そう言ってたよね、スバル」

 

振り仰ぐ方向、愕然と目を見開くスバルの視界に入ったのは、顔を洗うように短い腕を動かす灰色の猫――パックだ。

思わぬ彼の発言に言葉もないスバルに、パックはその首を傾け、

 

「心情的にも恩義的にも、君に肩入れしたいのは山々なんだけどね。それを優先して物事の見極めを誤ると、報われない子がいるから」

 

黒い眼をそっと部屋の方へ向け、パックはピンクの鼻を手で擦る。

普段と変わらぬひょうきんな態度でありながら、それでもレムの死に思うところがあるのだろう。挙動も少なめに身じろぎし、

 

「未練や迷いが残れば、魂は救われずに魔へ堕ちる。それは一介の精霊としても、そして少なからずあの子と接したボクとしても、悲しいことだよ」

 

小さな首を横に振り、言いたいことは言ったとパックは体を再び丸める。そっと掌の上でそれを見守り、ベアトリスも無言でスバルを見つめていた。

そこにどんな感情が込められているのか、あれほど表情豊かな少女だったというのに、今のスバルにはそれすら確かめることが叶わなかった。

 

「……スバル」

 

不安そうにエミリアがスバルの袖を引き、なにかを訴えかけるように潤んだ瞳を向けてくる。

なにか知っていることがあるのなら、と呼びかけひとつで伝わる思い。

そんな彼女の懇願に全霊を投げ打って答えてあげたいと思う一方で、縋りついてくる彼女を払いのけたい衝動もまたスバルの本心だった。

 

なにか知っていることがあるのなら、と軽々しく全員が口にする。

だが、そんなのは本当ならスバルの方が声を大にして叫びたいことなのだ。それこそ、事態の真実を知るものがいるなら、今すぐに名乗り出てほしいほどだ。そして山のように浮かぶ疑問の数々を全て叩きつけて、この出口のない袋小路から引っ張り出してほしい。

 

しかし、現実にはそんな都合のいい黒幕は姿を現さないし、スバルに対して向けられる四対の視線の意味合いが変わることもまたない。

良かれと思ってしたはずのパックへの忠告が、今回はこうして裏目に出た。なにかを知りつつも言葉にしないスバルへ、パックすら不信感を抱いただろう。そのパックと深いつながりのあるエミリアも、スバルに対して少なくない疑念を抱いて当然だ。

 

周回を繰り返し、そのたびに良くなるようにと足掻いてきた。しかし、結果はなにかひとつするたびに裏目に出て、想像以上の悪い状況を連れて戻ってくる。四面楚歌、それを何度繰り返せばスバルと同じだけの心痛を味わえることだろうか。

 

「スバル」

 

はっきりと、自分の名を呼ぶエミリア。

押し黙るスバルの態度に、拭い切れない疑念を抱いた証拠だ。そんな彼女の当たり前の反応に、しかし物悲しさを感じながらスバルは考える。

なにもわかっていないも同然の状況で、どう話せば彼女らを納得させられるだろうか。あるいは、なにも知らないスバルに彼女らも失望するとは思うが。

 

ぐちゃぐちゃになったまとまらない思考。

口にして、いっそ楽になってしまいたい、そう思った瞬間だ。

 

世界の停滞と黒い靄――それはスバルの諦めに誘発されるかのように、再び彼の諦観を糧に世界を侵食した。

 

言葉を失う。否、言葉を発する唇が微動だにしない。

当然、手も足も目も舌も動かず、空気すら完全に世界から切り離される。音と動きが失われ、無音と停止の絶対空間の再来に、スバルは文字通り絶句。

 

先日、『死に戻り』をエミリアに告げようと判断した際、それを強制的に遮断させた理不尽な現象だ。

黒い靄は以前より早く、より優美に黒い腕を作り出す。以前は手首から肘ほどまでだったその手が、わずかに二の腕の輪郭を形作って姿を現した。

 

前回と同じく、腕は躊躇う素振りを見せずに、停止するスバルの胸へ忍び込む。そして内臓と胸骨を柔らかに撫でて心臓に達し、

 

――瞬間、思考が消し飛び、精神が即死しかねない痛みが全身をつんざく。

 

「スバル!?」

 

憂いの悲痛な声を聞き、スバルは自分が現実に舞い戻ったことに気付く。

胸を押さえ、額に大量の汗を浮かべて、膝をついて荒く息をしていたことにも。

 

心配するエミリアに軽く手を上げて、スバルは今の現象を振り返る。

エミリアに『死に戻り』を告げようとした際、あの黒い靄はそれを妨害する意味でスバルに警告を与えた。

そして今回も、同じような意味で姿を見せたとするならば――、

 

「ループの内容に触れないで、説明するのが無理だからか……?」

 

少なくともさっきの心情で、スバルが執拗な問い詰めをかわせたとは到底思えない。だが、仮にそれが事実なら、この状況は最悪だ。

内心をぶちまけたいと思っているスバルと、スバルの内心を解き明かしたいと思っている面子。黒い靄にとって、これ以上の活躍の場はあり得ない。

 

終わらない質問は終わらない責め苦を意味する。それに気付いた瞬間、スバルは堪え切れない痛みへの恐怖に、唇を震わせて後ずさる。

その行為は、

 

「――なにか知っているのなら、逃がさない」

 

部屋の中で泣き崩れていた少女にとって、許し難い愚行に見えた。

 

刹那、突風が部屋の扉を激しく揺らし、スバルの前髪にその余波を叩きつける。当然の暴風に目をつむった直後、

 

「いづ……っ!」

 

頬を鋭い痛みが突き刺し、スバルは思わず掌で顔を覆う。触れた掌にじっとりと感じるのは、開いたばかりの傷口から滴る出血の感触だ。

それが今の風による負傷だと気付き、スバルは驚きを部屋の奥へ。

 

寝台に横たわる妹を優しく撫で、その手とは反対の手をこちらに向けながら、桃髪の少女が憤怒を宿した目でスバルを睨んでいた。

 

「なにか知っているなら、洗いざらいぶちまけなさい」

 

「待て、ラム!それは……」

 

できない、と口にするような愚挙だけは己で自制した。

それを口にした瞬間、この場の収拾をつけることは絶対にできなくなるだろう。だが、それを言い止まったところで、打開するための一言など出てこない。

なにが引き金となって、再びあの警告を受けるのかスバルにはわからない。

その痛みへの恐怖が、ラムに対しての正しい判断力を失わせる。

 

結果、スバルの言葉は尻すぼみになり、彼女の勢いを鎮火するには至らない。

口をつぐむスバルに、ラムは再びの警告の意味を込めて風を送り出す。

 

陳腐な表現が許されるのならば、それはやはり『風の刃』とでもいうような現象だった。

おそらくは風に関係する魔法だ。カマイタチを巻き起こす魔法は斬撃のような鋭さを一閃、スバルへ届くまでの進路上の壁と扉を切り裂き、頬を裂いたときのような一撃を叩き込んでくる――それが、ふいに消失した。

驚き、声を詰まらせるスバルとラム。そんな二人の間で、

 

「――約束は、守る主義なのよ」

 

呟き、スバルの前に立ったのはクリーム色の髪をした少女だった。

ベアトリスは掲げた掌を軽く振り、ラムの繰り出したカマイタチを事もなげに消し去ったことを誇るでもなく、

 

「屋敷にいる間、この人間の身の安全はベティーが守るかしら」

 

「ベアトリス様……!」

 

退屈そうに言い放つベアトリスに、ラムは憤慨して唇を噛む。

彼女の態度を横目に、ベアトリスは傍らに立つ長身を見上げると、

 

「ロズワール。お前の使用人がお前の客人に無礼を働いているのよ。屋敷の主として、そのあたりはどう判断するのかしら」

 

水を向けられ、ロズワールは一瞬だけ眉を寄せる。が、すぐにいつもの余裕を取り戻すと、片目をつむって肩をすくめ、

 

「確かに誠に遺憾なことだとも。できるなら私もすぐに彼を客人として改めて歓待したい。その胸の内を吐き出し、身軽になってくれたのならすぐにでも」

 

「……こいつは昨晩、ベティーの禁書庫にいたのよ。だからこの一件とは関係ないはずかしら」

 

「事態に重きを置くべきはすでにそこにない。ベアトリス、君もそぉれぐらいは十分に承知しているはずじゃぁないかね?」

 

交渉は決裂し、ロズワールは肩をすくめたそのままに両手の掌を上へ向ける。その掌にふいに、色とりどりの輝きが複数浮かび上がるのが見えた。

 

魔法に関する知識がまるでないスバルであっても、それが凝縮された魔法力が可視できる状態なのだと気付かされる。

赤と青、黄色に緑――四色の淡い光が浮かぶそれが、どれだけ規格外なのかまではわからずとも。

 

ロズワールのパフォーマンスにベアトリスはその可愛らしい鼻を小さく鳴らし、

 

「相変わらず、小器用な若造なのよ。少しばかり才能があって、ちょこっとだけ他人より努力して、ほんのわずかだけ家柄と師に恵まれた……そんな程度で、器用貧乏から抜け出せたとでも思っているのかしら」

 

「そぉっちこそ、相変わらず手厳しいねぇ。もっとも、時間の止まった部屋で過ごす君が、常に歩き続ける我々とどれほど違えるか――試してみたいと、思ったことがないといえば嘘になるとも」

 

二人の間に魔法力の高まりが生じ、大気が歪むような錯覚をスバルにもたらす。

知らず、当事者であるスバルを置き去りに戦意を高め合う二人。

何故、こんなことになっているのかスバル自身にわからない。ただ、二人を止める言葉を発せないのもまた、スバル自身が歯を噛むしかない事実だ。

 

「しぃかし、君が身を張って守るほどとは。よぉっぽど彼が気に入ったのかなぁ?」

 

「冗談は性癖だけにするかしら、ロズワール。ベティーの理想はにーちゃその人なのよ。あの人間じゃ、愛らしさも毛深さも物足りないかしら」

 

可視できる四色の魔力を高めるロズワールに対し、ベアトリスは悠然と構えたままこれといったアクションはとらない。

しかし、ただ立っているだけのはずの少女の周囲、空間が歪曲するほどの圧倒的な現象が生じているのが、間近に立つスバルには感じ取れた。

それが単なる集められた力の余波であり、指向性を持ったその力がどれほどの効力を発揮するのか、想像しただけで背筋が凍る。

 

「どうしてここまでするのかね?」

 

「契約は絶対なのよ。それを破れば、ベティーはベティーでなくなる。契約に対して誠実であることは、なによりも優先される」

 

ロズワールの吐息にそう応じて、ベアトリスは「もっとも」と言葉を継ぎ、

 

「この状況を狙って、ベティーとの契約を利用したとしたら、とんでもない食わせ物ってことになるかしら」

 

「俺は!そんなつもりじゃ……!」

 

流し目でスバルの方をうかがい、ベアトリスは無感情の瞳をすっとそらす。

スバルが彼女に望んだのは、あくまでこれまでの死因に関わる現象を危険視してのことだ。

断じて、こんな状況になることを望んだわけではない。

 

「どうでもいい、そんなのは全部、どうでもいいのよ!」

 

地団太を踏み、そのやり取りに割り込んだのはラムだった。

全員の注視を受けながら、彼女はスカートの裾をギュッと握りしめ、

 

「邪魔をしないで、ラムを通して。レムの仇を……なにか知っているなら、全部話して。ラムを……レムを助けて……」

 

悲痛な訴え、だがスバルにはそれに返してやれる言葉がない。

だんまりに対して与えられるのは、激昂と失望が宿る見えない刃だ。しかし、それはまたしてもスバルに届くことなく遮られ、

 

「ごめんね、ラム。私はそれでも、スバルを信じてみる」

 

ベアトリスの隣に並び、ラムを牽制したのはエミリアだった。

彼女は掌をラムの方へ向け、その肩にパックを乗せながらスバルに歩み寄る。そうして言葉を探すようにわずかに俯き、

 

「スバル、お願い。……あなたがラムを、レムを救ってあげられるなら、全部話して?」

 

そこに込められた慈しみの感情に、スバルは己の卑小さを感じて恥じた。

事ここに至ってなお、エミリアはスバルの側に寄って立とうとしてくれている。この周回では碌な態度を示さず、今も肝心のことに口をつぐんで語ろうとしないスバルを、だ。

 

そしてそんな彼女の心遣いに対して、何ひとつ返せない自分の弱さにも。

 

「ごめん――」

 

言い残し、スバルは後ずさるに任せて彼女から距離を置く。

一瞬、こちらを止めようと伸びかけたエミリアの手。それはスバルに届くよりも先に、繰り出された風の刃の迎撃へと回されることになり、結果、その場の誰もがスバルの足を止めることは叶わなかった。

 

「スバル――!」

 

呼び止める声を振り切り、スバルは廊下を形振り構わず突っ切る。背後、魔法力のぶつかり合いが発生したのを感じながらも、振り返る勇気すら浮かばない。

 

エミリアがあれほど心を砕いてくれたにも関わらず、スバルにはあの恐怖に立ち向かう勇気がなかった。

弱かった。どうしようもなく脆かった。だから、ありとあらゆる好意も善意も蔑ろにして、自分本位に逃げ出している。

 

もうなにをすればいいのかわからない。

どこへ行けばいいのかも、どう考えるべきなのかも、全部。

 

ただ――、

 

「――絶対に、殺してやる!!」

 

背後から聞こえる、血を吐くような少女の絶叫。

半身を失った彼女の、身を裂くような復讐の叫びだけが後を追ってくる。

それから逃げるように逃げるように、耳を塞ぎ、頭を振り、声にならない声を上げながら、スバルは全てを投げ出して走った。

 

走り続けた。