『守りたいモノ』


 

「――ッ!」

 

ズドン、と強い音が鳴った瞬間、離れたところで一斉に動物が地を蹴った。

平原の途中で見かけた小さな森、その木陰で草を食んでいたのは鹿とよく似た動物だ。雄々しく発達した角と黒い体毛から『黒鹿』と呼ばれており、それ自体はルグニカ王国にも生息している異世界ではメジャーな動物と言える。

 

そして、音と衝撃に飛びのいて散っていった群れの中、置き去りにされたのは草の上に倒れる一頭の黒鹿だった。

その黒鹿の胴体には太い矢が突き刺さっており、一撃で心臓を破壊されている。

ぴくぴくと四肢が震えるのは死後の痙攣であり、それもやがてゆっくり止まるだろう。

いずれにせよ――、

 

「お肉、仕留めたノー!」

 

「……肉テ。せめて黒鹿って言えシ」

 

「え?今、なんて言ったノー?クーナの声は小さくてよく聞こえないノー」

 

喝采の声を上げたのは、強弓を射ったホーリィだ。

朗らかな笑顔だった彼女は、自分の傍らの少女――クーナの呟きが聞こえず、不思議そうな顔で首を傾げ始める。

しかし、それを見たクーナは唇を尖らせると、

 

「何でもねーシ!血抜キ!さっさとするゾ」

 

「あ、待ってほしーノー!」

 

のしのしと歩き出すクーナの背に、ホーリィが慌てて続こうとする。が、その前にホーリィは「わ」と足を止め、くるっと後ろを振り向いた。

そのホーリィの視線の先、そこには彼女らの連れの影があり――、

 

「せっかくだかラ、ちょっと休憩していくノー。スバルもそれでいいノー?」

 

「……あ、ああ、別に、全然大丈夫だけど、いいぜ」

 

休憩を提案するホーリィに、滝のような汗を流しながら答えるスバル。

そのスバルを見て、ホーリィは「よかったノー」とクーナの背中を追いかけた。それを見送り、ゆっくりとスバルはその場に膝をついた。

そんな疲労困憊のスバルの後ろ、背負子に乗せられたレムは小さく息をついて、

 

「……意地っ張り」

 

と、スバルに聞こえないように呟いたのだった。

 

△▼△▼△▼△

 

「いや、マジでちょっと舐めてかかってたわ。俺が長男じゃなかったら弱音吐いてた。長男だから耐えられたけど、次男とか末っ子なら無理だったわ」

 

集めた枯れ枝をまとめ、涼やかな風の中でスバルが言い訳をする。

それをレムは白けた目で、ルイは何を考えているのかわからない惚けた様子で聞いている。とはいえ、その内容にレムは呆れたようにため息をついた。

 

「意味がわかりません。そもそも、我慢強さに兄弟の有無が関係あるんですか?」

 

「今のは一種のお約束のボケってやつなんだけど、わりと忍耐力と兄弟の有無の相関性ってあるような気がする。ほら、長男は両親に厳しく育てられて、末っ子は甘やかされるみたいな話ってあるだろ?」

 

「だろと言われても知りません。一人っ子だった場合は当てはまらないじゃないですか」

 

「その場合、甘やかされつつ厳しく育てられる羽目になる……まさに、俺が長男にして末っ子という一人っ子の特性に当てはまる男だからな」

 

両親の仲睦まじさを考えると、スバルに兄弟がいないのはなかなか不思議なことだ。

父と母の愛情を独り占めした自覚はあるので、兄弟姉妹がいたらどうなっていたのかと思わなくもないが、現実が変わるわけでもない。

 

「それに、俺がいない今まさに弟妹が増えてないとも限らない……」

 

「――――」

「あーうあー」

 

恐ろしい想像をするスバルの傍ら、目を伏せるレムの膝でルイが戯れている。

移動中、スバルの背中に固定されている背負子だが、地面に下ろせばそのまま椅子として活用することも可能な優れモノだ。

おかげで、わざわざレムに乗ったり降りたりを強要しないで済む。

もっとも、レムにはスバルの手を借りっ放しである状況に忸怩たる思いがあるのかもしれないが、それはしばらく味わってもらわなくてはならない屈辱だった。

 

「兄弟……」

 

「うん?」

 

「自分の前に生まれたり、あとに生まれたりした家族……私には、いたんでしょうか」

 

「お……」

 

不意に、レムからそう問われ、スバルは思わず息を詰めた。

ハッとして顔を上げれば、レムは膝の上のルイの髪に指を搦めて構ってやりながら、その青い瞳をスバルの方へと向けている。

その、淡い光に揺らめく感情はわからない。たぶん、レム自身もよくわかっていないのだろうと思う。

ただ――、

 

「初めてだな。お前が、俺から記憶のことを聞こうとしたの」

 

「ここがどこで、あなたが誰で、私が誰で、何をするつもりで、どの面を下げて。……これまでにも何回も質問したと思います」

 

「そういうネガティブなやつじゃなくて。あと、どの面下げてはまだ言われてなかったと思うんだよ……」

 

チクチクとしたレムの物言いに苦笑し、しかし、スバルは微かな安堵を得ていた。

レムに言った通り、彼女がポジティブな意味でスバルに何かを質問したのはこれが初めてのことだった。それを、スバルは関係性の前進と捉える。

 

正直、シュドラクの集落を離れてからここまでの道中、スバルはずっと不安だった。

なにせ、あれだけスバルに対して敵意と疑念を露わにしていたレムが、数日がかりで町へ向かうというスバルの提案を拒絶しなかったのだから。

 

はっきり言って、シュドラクの集落を離れるための最大の障害は、スバルの言葉に聞く耳を持ってくれない頑ななレムだとばかり思っていた。

そのレムがスバルの方針に逆らわず、協力的だった。――奇跡を信じるのではなく、いったいどんな災いの前触れなのかと思ったほどだ。

 

しかし、現時点でレムは協力的だし、背負子の上でスバルにあれこれと無茶を言って困らせることもしなかった。むしろ、ちょこまかと動いて行軍を邪魔しようとするルイを窘め、スバルの負担を減らそうとすらしてくれている。

 

「――――」

 

「なんです?話す気はない、ということですか?」

 

「いやいや、違う違う。それは早とちりってもんだ。ただ、ほら、俺とレムの関係ってぎくしゃくしてただろ?」

 

「今もしていますし、ぎくしゃくではなくギスギスしています」

 

「そのギスギスが、ちょっと和らいだかなって思ってんの!」

 

汚らわしいものを見るようなレムの目に、スバルは改めて心を傷付けられる。が、その傷もレムからもらったものとして大切に保存し、頬を指で掻いた。

 

「俺も、レムの全てを知ってるわけじゃない。でも、今のレムよりはレムについて知ってる。聞きたいことがあるなら、答えられるだけ答えるつもりはある。でも……」

 

「信じられるかどうかは私次第……」

 

「ん」

 

短く頷いて、スバルはちらとレムの様子を窺う。

彼女はルイの髪を指で梳いてやりながら、思案するように眉を寄せていた。それからしばらくして、レムは再びスバルの目を見つめ返すと、

 

「わからないんです」

 

「わからないって……自分のことが?」

 

「あなたのことがです。……あなたが、いったいどういう人なのか、私にはちっともわかりません。感じるものと、見たものが一致しないから」

 

きゅっと唇を引き結び、レムの視線が冷たい熱を帯びる。

それは心の距離が離れたのではなく、真剣味を増したということだ。レムがスバルを見定めようと、その瞳に真剣味を増した。

それは、少なくともスバルの人間性を吟味するに値すると考えてくれた証だ。

 

「……頭ごなしに邪悪の化身扱いされてたのから比べると、大躍進って感じだ」

 

「今でも、邪悪の化身であることとは紙一重だと思っています。……ただ、薄紙一枚を挟んでもいいと思えるようになっただけで」

 

「――――」

 

付け加えてくれた一言が、レムからの譲歩の握手のように感じられた。

安堵と共に、スバルは差し出されたその見えない握手を握り返す。空中で見えない手と握手するスバルにレムは不審そうな顔をしたが。

ともあれ――、

 

「じゃあ、俺とレムの薄氷の関係に薄紙が一枚挿入されたところで……どうする?何か聞きたいことあるか?」

 

「……もう少し、考えさせてください」

 

スバルの方は胸襟を開く準備ができているが、それを聞いたレムは首を横に振った。

レムの方の準備――正確には、レムがスバルを信じる準備がまだできていない。

今の、スバルを信じ切れない状況で話を聞いても、その情報を持て余すとレムは心配しているのかもしれない。

正直、そう懸念するレムに対してもどかしさを覚えないと言えば嘘になるが。

 

「――わかった。お前の準備が整うのを待つよ」

 

「……他人事みたいに言わないでください。あなたの日頃の行動にもかかっていると、そう言えなくもないと思いますから」

 

「なるほど……つまり、俺がレムの好感度とか信頼度をバンバン稼いでいけば、それだけ早くルートが開放されてくれるって寸法か」

 

「意味はわかりませんが、不愉快な話をされたのはわかりました」

 

顎に手を当てたスバルの納得に、またしてもレムの不満度が溜まる音が聞こえた。

と、そんな会話を繰り広げるスバルたちの下へ――、

 

「お待たせしたノー。いい感じに黒鹿の解体が終わったノー」

 

そう、満面の笑みでホーリィが戻ってくる。

彼女は肩に担いだ枝の先に、解体した黒鹿を吊るしてご満悦だ。そのご機嫌なホーリィの後ろで、解体作業に勤しんでいたらしいクーナは疲れ顔でいる。

 

「なんデ、全部アタイがやんなきゃなんねーんダ……」

 

「だっテ、クーナがやった方が上手にできるノー。せっかくのお肉が台無しになったラ、私、食べても食べてもお腹が空いちゃうノー」

 

「なんでだヨ!食ったら食った分はちゃんと腹に溜めとケ、不思議ちゃんガ!」

 

呑気なホーリィにクーナが怒鳴るが、ホーリィはそれを笑って聞き流してしまう。

それから、ホーリィはスバルが集めていた枯れ枝の束に目をやる。

 

「お、ちゃんと集めてくれてるノー。感心感心なノー」

 

「狩りができねぇんだ。このぐらいはやらせてもらうって。……火の付け方、勉強させてもらっていい?」

 

「ベンキョー?聞いたことない言葉なノー」

 

「教えてもらうって意味だロ……」

 

首をひねったホーリィが、クーナの指摘を受けて「そうなノー」と嬉しげに笑う。

そして、ホーリィは手荷物から小さな黒い石を出すと、スバルに見えるように手早く打ち合わせ、その火花であっさりと枝に火を付けてみせた。

 

「お、おおー、すげぇ。職人技だ」

 

「火付け石なノー。コツさえ掴めばらくちんなノー。スバルもやってみるノー」

 

「やらせてくれんの?じゃあ、ちょっと拝借して……」

 

ホーリィにぽんと火付け石を渡され、スバルは見様見真似でさっきのホーリィの動きをなぞってみる。すると、三回目までは失敗したが、四回目でようやく火花が生まれる。

あとは、それを枯れ枝の上で同じようにやれば――、

 

「ついた!」

 

「よくできたノー!これでお肉が出てきたらいつでも焼いて食べれるノー!」

 

「こいつの言ってる肉っテ、肉になる前の動物のことだから真に受けんなヨ」

 

小さな達成感を得るスバルを、ホーリィとクーナが両極端に評価する。

その二つをどちらも胸に留めつつ、スバルは焚火の上で焼かれていく黒鹿の肉を眺め、「それにしても」と話題を切り出した。

 

「鹿の群れを見つけたとき、ホーリィの早業がすごかったな。気付いたらもう矢を射ったあとだったから」

 

「クーナが群れを見つけてくれたおかげなノー。おかげで新鮮な肉にありつけたノー」

 

「アタイは群れがいるって言っただけダ。……早撃ちはともかク、弓を射るぐらいはシュドラクなら誰でもできるゾ」

 

「クーナ以外は、なノー」

 

「うグっ」

 

嫌なところを突かれたと、クーナの表情が苦々しく強張った。

そのクーナの反応に、レムが「そうなんですか?」と目を見張る。

 

「意外でした。クーナさんは目がいいと、そうミゼルダさんから聞いていたので……」

 

「……目がよくてモ、腕が悪くちゃどうにもならねーんダ」

 

「弓の腕だト、ウタカタにも負けちゃうクーナ、可愛いノー」

 

「うるせーナ!」

 

ウタカタ以下と評価され、クーナがホーリィの腹に手刀を打ち込む。が、ホーリィはその一撃をふくよかな体であっさりと跳ね返した。

そのお約束らしいやり取りをレムは微笑ましげに見ているが、ウタカタの弓の腕の話を聞かされるスバルはなかなか複雑な心境である。

 

なにせ、スバルは一度、ウタカタの毒矢で命を落とした身だ。

威力という意味ではウタカタの非力さではスバルを殺せないだろうが、鏃に毒を塗っておけば殺傷力に関しては大きなハンデは生まれない。

狩猟し、獲物を獲るという観点で毒はあまり歓迎されないだろうが。

 

「それに……」

 

口元に指をやり、スバルは強弓のことで少し考えてしまう。

それは帝国兵の陣地に囚われる前、森の中でスバルやレムを襲った『狩人』の存在だ。一度は魔獣からスバルたちを守り、一度はスバルを殺害した弓の名手。

あの狩人の正体はいまだに明らかになっていない。

だから、ホーリィが黒鹿を射抜いたときにはスバルの血の気が引いたものだった。

ただ、先のシュドラクの弓の扱いの話を聞くと――、

 

「――シュドラクの誰か、って以上は考えるだけ無駄か?」

 

あの時点で、スバルたちは森に入り込んだ怪しい不穏分子だ。

大きい声を出してレムを探していたスバルを、怪しい害敵と判断して排除しようとしても無理ないのかもしれない。その後の、魔獣を交えた一戦でも同じこと。

そもそも、狩人は魔獣からはスバルたちを守った。――一概に敵であると、そう断言する理由に薄いと言えないこともないのだ。

 

「ホーリィさんとクーナさんは仲がよろしいんですね」

 

そうスバルが考え事をしている最中、レムとホーリィたちの話が弾んでいる。

レムが踏み込んだのは、ホーリィとクーナ――スバルたちに同行してくれている、若き『シュドラクの民』の二人についてのことだった。

ただし、仲がいいと言われて笑ったのはホーリィだけで、クーナの方は嫌そうな顔をした挙句、「うげえ」と舌を出すまでした。

 

「なんだその反応と顔。どっちも美少女がしちゃいけないもんだぞ」

 

「腐れ縁なのを思い出させられただけだゾ。アタイは苦労させられっ放しダ……」

 

「あははは、クーナは苦労性なノー」

 

「だ・れ・の・せ・い・ダ!」

 

怒り心頭のクーナがホーリィに掴みかかり、その肩をぐわんぐわんと揺する。しかし、二人の体格差は大きく、細身のクーナの倍近い質量のあるホーリィはびくともしない。

結局、したいがままにしても疲れるだけのクーナが肩を落とし、「クソぉ」と悔しそうに歯軋りするのが決着だった。

 

「私とクーナは同じ日に生まれたノー。お隣さんデ、姉妹みたいなものなノー」

 

「アンタみたいなノ、姉でも妹でもお断りだシ……」

 

「あ、そろそろいい感じに焼けてきたノー」

 

「聞けヨ!!」

 

とことんマイペースなホーリィに、クーナの抵抗は空しく響き渡る一方だ。

その様子を見ていると、振り回されるクーナの姿にどことなく苦労性の武闘派内政官が重なって見える。

 

「クーナは髪の毛緑に染めてるし、イメージカラーが被ってる……登場してない場面でも自己主張の強い奴だな、あいつ」

 

当人が聞いていたら、「濡れ衣もいいとこなんですがねえ!?」と言い出しそうな言いがかりだったが、この場にいないのでそれは幻聴として処理する。

ただ、肉の焼き色についてあれこれと言い合うホーリィとクーナを見ながら、レムが少しだけ目尻を下げ、「羨ましいです」と呟くのが聞こえた。

 

「そうやって、あけすけに言い合える相手がいて……」

 

「……あー、レム、一個だけいいか?」

 

呟きに込められていたのは、切実でありながら明確な羨望。

記憶のないレムにとって、スバルを含めた周囲は暗闇の中からやってくる侵略者のようなもので、真の意味で心安らぐタイミングはないのだろう。

その張り詰めた心を癒す術になるかはわからないが――、

 

「なんですか?」

 

「お前が聞きたいって思うまで黙っておくって言ったけど、一つだけお漏らしする」

 

「――――」

 

「お前には、お姉さんがいるんだ。お前の双子の姉で、お前を心底大事に思ってる。……だから、お前はどこにいても、一人ぼっちにはならない」

 

そのスバルの言葉を聞いて、レムが丸い目をさらに大きく見開いた。

告げてしまってから、スバルは我慢すべきだったかと自問自答したが、すぐにこの決断が正しかったと自分に言い聞かせることにした。

 

レムが、スバルを信頼できるのを待つと言ったばかりで、舌の先も乾かぬうちにと罵倒されても仕方のない行動だった。

でも、レムの不安はもちろん、スバルの方も限界だったのだ。

 

せめて、ラムの存在ぐらいは伝えてもいいだろう。

きっと今も、遠く、ルグニカの地から妹の身を案じているだろうラム。――共感覚によって、レムの存在を感じているだろうラムのことを。

 

「俺にはわからないけど、目をつむって想ってみると、感じられるかもしれない。それを双子の共感覚って言うんだと」

 

「共感覚……」

 

いくらか躊躇いながら、レムがおずおずと自分の胸に手を当て、目をつむった。

そのままじっと、同じ日に同じ母親から生を受けた自分の半身――双子の姉の存在を求めて、レムの意識が暗い夜の海に向かって手を伸ばし始める。

しかし――、

 

「……何も、感じられません」

 

「そう、か。……やっぱり、イメージできないとキツイのかな」

 

ゆるゆると首を横に振り、レムが共感覚の失敗を報告する。

一瞬、繋がれないラムの身に何かがあったのかと不安な気持ちも湧いたが、それ以上に距離――物理的にも精神的にも横たわるそれが大きいと判断した。

正直、共感覚がうまく繋がった場合、一気に色々なことが好転した気がするので、かなり惜しい気持ちになるのだが、それを表には出せない。

 

一番悔しいのはレムだ。

今はせめて、レムの悔しい気持ちを支えてやれなくては――、

 

「――ぁ」

「うー?」

 

だが、スバルが慰めの言葉を選ぶ間に、レムの唇から微かな吐息が漏れた。

理由はレムの胸に当てた手、その手に重ねられたルイの手だ。ルイはレムの膝に頭を乗せたまま、真下からレムを案じるように手に手を重ねている。

その、ルイの仕草にレムは唇をやんわりと緩め、

 

「ありがとうございます。大丈夫ですよ」

「あー」

 

レムが気丈に微笑むと、それを見たルイも嬉しそうに笑う。

その二人のほのぼのとした空気を見て、スバルは出遅れたことと、役割を横取りされたことに奥歯を噛みしめた。

 

「クソ……やっぱり、お前は俺の敵ってことか……!」

 

「だから、どうしてそうなるんですか。大人げないと思わないんですか?」

 

ルイを睨みつけるスバルを見て、レムにまたも見損なわれる。

それを知らず、スバルの視線を受けるルイは上機嫌に手足をバタつかせていた。

そして、そんなスバルたちのギスギスした関係を余所に――、

 

「焼けたノー!」

 

「まだ生焼けダ!!」

 

と、すでに出来上がった関係性の二人が声を上げていたのだった。

 

△▼△▼△▼△

 

――全体で四日かけて、一行は無事に『グァラル』へと到着した。

 

「あれがグァラル……立派な壁に守られてんだな」

 

遠目に見えるのは、高い壁に囲まれた城郭都市だ。

最寄りの町と聞いてイメージしていたものとだいぶ格差のある光景に、スバルは予想を外された驚きと、棚からぼた餅の二つの感覚を味わっていた。

 

「ずいぶんと厳つい街の雰囲気……巨人でもくるの?」

 

「巨人族?それなラ、もうずいぶん前に滅びかけたって聞いてるゾ」

 

「そうなの?じゃあ、俺が知ってるジジイって最後の巨人族なのかな……」

 

真面目に答えてくれるクーナに、スバルはそんな益体のない感想をこぼす。

スバルの知る唯一の巨人族であるロム爺が、まさかそんな希少な立場だったとは驚きだ。とはいえ、鬼族もかなり数が少ないという話はレムから聞いていたので、こちらの世界でも種族の生存競争はなかなか厳しいものがあるのかもしれない。

 

「落ち着いて考えると、エミリアたん以外のエルフ関係者とも出くわしたことないし、エルフもだいぶ少なかったりするのかもしれねぇな」

 

ファンタジーもののお約束として、長命種というものは寿命が長い代わりに繁殖力が弱く、あまり数を増やせないというのがよくある話だ。

それに加え、この世界には『嫉妬の魔女』への恐怖があるため、ハーフエルフが忌み嫌われている実情がある。当然、ハーフエルフが生まれる土壌である純血のエルフにも、そうした因習が圧し掛かっている可能性は考えられた。

 

「エミリアたんのいないところでエミリアたんを思う。クソ、ベア子ともしばらく会えてねぇし、エミリアーゼとベアトロミン不足が深刻になってきた気がする」

 

どちらの栄養不足も、処方薬はエミリアとベアトリスとの接触だ。

真面目な話、不安や緊張状態が続くことの心的疲労はかなりのものなので、スバルの安心材料たる二人の声が聞けるだけでもかなり楽になるのだが。

 

「ラムにペトラ、フレデリカたちの声が恋しい……この際、ロズワールの声でもいい」

 

「あの、無意味な葛藤はいい加減にしてくれませんか?」

 

「あ、悪い」

 

こぼれ出すスバルの独り言を、背中のレムに聞き咎められる。

旅の間、スバルは背負子のレムを他者に預けることなく見事に運び切った。初日や二日目は運送のコツが掴めておらず、体力の無駄な浪費が目立ったが、三日目からはペース配分とバランス感覚が掴めたおかげでかなり歩みも捗った。

 

「もう、レムを背負わせたら俺の右に出る奴はいないぜ」

 

「そんな不名誉なことで競わないでください。あと、ホーリィさんたちが」

 

背中合わせの姿勢なので、レムに指摘されるのはスバルの背中側だ。彼女の言葉に従ってスバルがくるっと振り返ると、ホーリィとクーナの二人がいる。

そして、だるそうに頭を掻いているクーナの隣、ホーリィがスバルたちの方へ一歩進み出ると、

 

「じゃあ、無事についたからこれでお別れなノー」

 

「あ……二人は街には?」

 

「入る意味がないだロ。アタイたちの役目ハ、アンタたちを送り届けることダ」

 

「そっか。……二人には本当に助けられたよ」

 

突然の別れの挨拶に、しかしスバルは当たり前のことだったと自分を戒める。

二人はあくまで、『シュドラクの民』からの厚意でついてきてくれただけなのだ。道中、何度となく二人に助けられ、すっかり甘え気分になっていた。

 

狩りの腕前と朗らかな性格で旅を和ませてくれたホーリィ。

聞けば答えてくれる真面目さと意外な博識さが頼りになったクーナ。

 

二人と別れ、スバルは今度こそ、レムと――否、レムとルイの三人旅となる。

帝国の陣地でもシュドラクの集落でも、他に誰かしらがいたが、今度は違う。

 

「……ったク、情けない面すんなヨ」

 

「悪い。情けない面って……うおっ!?」

 

と、先々の不安に揺れたスバルの黒瞳を見て、クーナが何かを突き出してくる。

とっさにそれを手で受け止め、予想外の重みにスバルは前に傾いた。渡されたのは白く細長い包みだ。それはずっと旅の間、ホーリィが背負っていたモノでもある。

てっきり、彼女らの旅の必需品だと思っていたのだが。

 

「そういや、一回も開けてなかったような……これは?」

 

「スバルのモノなノー。ちゃんと町までつけたら渡せっテ、族長から言われてたノー」

 

「俺のモノで、町についたら……?」

 

ホーリィの言葉の真意がわからず、スバルは疑問に眉を顰めた。しかし、そのスバルにクーナが「いいから開けロ」と乱暴に促す。

それを受け、スバルは背負子を地面に下ろすと、白い包みを開いた。

そこには――、

 

「あ……」

 

「これは……角、ですか?」

 

スバルの腕の中、一抱えほどもある大きさの白い塊。それを見たレムの呟きが、スバルにもそれが角――それも、魔獣の角だと正体を教えた。

見覚えのあるものだ。見たのは二度、はっきり見たのは『血命の儀』のときで。

 

「もしかして、エルギーナの角か?」

 

「そうなノー。折ったのはスバルだかラ、それはスバルのモノなノー」

 

「貴重品ダ。そのでかさなラ、高く売れるゾ」

 

「――っ!」

 

高く売れると聞かされ、スバルは彼女らの計らいに息を呑んだ。

つまり、ホーリィたちはこの魔獣の角を、スバルたちがルグニカ王国へ帰るための路銀に換えろと、そう言ってくれているのだ。

そのための荷物を、そうとは言わずに運んでくれていた。

 

「結構、重たいもんだろうに……」

 

「アンタだっテ、ずっとレムを背負ってたろーガ」

 

「それにそれに私、とっても力持ちなノー。だからへっちゃらだったノー」

 

その思惑に声を震わせるスバルに、クーナもホーリィも何のことはない顔をする。

二人の配慮に、スバルは文字通り言葉もない。

 

「――――」

 

道中助けてもらって、こうして路銀の当てまで作ってもらった。

にも拘らず、スバルは彼女らと別れ、自分の国へ帰る。――ホーリィたちはシュドラクの仲間たちと合流し、アベルと共に帝都奪還の戦いに加わる。

その道程で、大勢の生き死にを生み出しながら――、

 

「俺は……」

 

「――馬鹿なこと考えんじゃねーゾ」

 

「――――」

 

「守りてーもんを守るために戦えヨ。アタイたちモ、おんなじダ」

 

衝動的な言葉が口をつきそうになったスバル、それをクーナが鋭く止めた。

彼女は常のけだるげな雰囲気のまま、煩わしげな様子でスバルを睨みつける。

 

不満が多く、ホーリィに対していつも苛立っているクーナ。だが、彼女は一度だって、シュドラクから離れたり、ホーリィを嫌う素振りを見せなかった。

シュドラクの一員として、アベルと共に戦うことを当然だと思っている。

 

――それは、彼女の言う『守りたいもの』が定まっている証なのだろう。

 

「のらくらしてんなヨ。アタイは目がいいんダ。馬鹿やってたら、すぐに見えル」

 

「それでクーナが教えてくれたラ、私が弓矢でドカーンってやっちゃうノー!」

 

「……ああ、そりゃ怖いな」

 

優しく突き放されたと、スバルは二人の言葉にそれを理解した。

ここで衝動的に動けば、二人の――否、『シュドラクの民』の優しさを無下にする。そんなことは、スバルを同志と呼んでくれた彼女たちのためにもできない。

 

「ありがたく、こいつは旅の足しにさせてもらう。二人とも、世話になった!」

 

二人の意を汲んで、スバルは込み上げた思いを呑み込んだ。

それを受け、ホーリィとクーナはそれぞれの態度だが、頷いてくれる。

 

「ホーリィさん、クーナさん、道中ありがとうございました。お二人と、『シュドラクの民』の皆さんへの感謝、忘れません」

 

「そうしてくレ。アンタは忘れ物が多いらしいかラ」

 

「それは言い過ぎだと思うノー」

 

せめて挨拶だけはと、背負子から降りたレムが二人との別れを名残惜しむ。

意外だったのはルイも、ホーリィとクーナと離れ難い素振りを見せたことだ。特に、接し方に遠慮のないホーリィとは仲良くなっていたようで、しばらくルイは彼女のお腹にしがみついたまま、そこから離れようとしなかった。

 

「じゃあナ、スバル。忘れるなヨ、アンタを見てル」

「なノー!」

 

「ああ!ホントにありがとう!ありがとな!」

 

大きく手を振る二人に背を向けて、スバルたちは三人旅へ。

預かった魔獣の角は包みに戻し、ルイに背負わせる形で任せてある。手が空かないスバルの苦渋の決断だが、ホーリィたちの言葉が効いたのか、ルイは包みを落とすまいとしている様子で、大人しくスバルたちについてくる。

 

「あの子も、色んなモノを見ているってことですよ」

 

「……あいつが好奇心の塊なのは知ってるんだよ」

 

背中のレムにそう言われ、スバルは苦々しい気持ちでそう答える。

『暴食』の大罪司教たるルイ・アルネブは、あらゆる人生を貪り、自分に最適な人生を探そうとしていた、よく言えば探究者、悪く言えば雑食だった。

だから、少し殊勝な姿を見せられたぐらいでは、スバルの心証は変わらない。

変わらないはずなのだ。

 

「いくぞ」

 

背中のレムのため息が聞こえてくるのを感じながら、スバルは歩き出す。

そのスバルについてくるように、ルイの足音も聞こえる。

 

ヴォラキア帝国に突入した当初の三人きり。

ようやく、全員が同じ方向を向いていると言える形で、三人は進む。

 

そして城郭都市、グァラルの門を潜ったのだった。