『エミリア陣営・魔人・精霊・精霊使い』


 

インパクトの瞬間に頬骨が軋み、長身が軽々と宙を舞って壁に叩きつけられる。だけに留まらず、衝撃は脆い木造の壁を貫き、殴られた体を木片塗れにしながら屋外へと吹っ飛ばした。雪の上を滑る体が白煙を上げ、もんどりうって転がっていく

 

「――――」

 

うつ伏せに地面に倒れ伏す体はピクリとも動かず、あるいは死んだのではないかと疑いたくなるほどの静寂がその空間に満ちた。

ぶち抜かれた壁越しに吹っ飛んだ長身と、中に残る吹っ飛ばした張本人を代わる代わる見る。その視線を受け、吹っ飛ばした側は満足げに息を吐き、

 

「あァ……やってやったッぜ、なァ、オイ」

 

鋭い犬歯を噛み鳴らし、いい笑顔で言い切る金髪の少年――ガーフィール。

彼に殴られたロズワールにラムが駆け寄るのを見ながら、スバルは頭を掻いて、

 

「お、おう。せやな」

 

と、かろうじて答えたのだった。

 

※※※※※※※※※※※※※

 

屋敷で別れたガーフィールたちが『聖域』に合流したのは、エミリアの『子作り宣言』から半日後の、大兎決戦のちょうど翌朝のことだった。

 

パトラッシュに竜車を引かせ、『聖域』へやってきたのはガーフィール含め六名。

ロズワール邸に救出に向かったレムやペトラ、フレデリカら女性陣の無事と、救出組として居残ったガーフィールとオットーの無事も確認できて一安心だ。

ただ、それ以外にもおまけとして付いてきたのが、

 

「あらあ、お兄さんまた会えたわねえ」

 

そう言って、竜車の隅で簀巻きにされているのはお下げ髪の少女――エルザと共に屋敷に襲撃をかけた、魔獣襲撃の演出家であるメィリィだった。

まさかの再会に絶句するスバルに、メィリィは屋敷で顔を合わせたときと同様に悪びれない態度で、親しげに声をかけてくる。

 

「ちょっとお、お話聞いてくれるう?あの金髪のお兄さん、女の子の扱いが荒っぽいと思うのお。ぐるぐる巻きにして放置なんてひどすぎるじゃなあい?お兄さんもそう思ってくれるでしょお?」

 

「そうだな。俺なら何されるかわかんねぇから口まで塞いでおくけどね。……お前が捕まったってことは、エルザはどうなった?」

 

「さあ、知らなあい。でも、エルザでもあの大火事じゃ助からないんじゃなあい?だとしたらやっとあの子も死ねたんだし、私はそれでいいと思うのお」

 

仲間だったはずのエルザの生死に、メィリィはさしたる興味を持っていない。彼女の言葉にスバルは眉を寄せる。

 

「捕虜待遇を求めるなんてずいぶん余裕があるんだな。たぶん、あんまりいい未来は待ってねぇぞ。やらかしたことがやらかしたことだ」

 

「そうねえ。でもお、失敗しちゃったから仕方ないかなあって。それにおめおめと戻ってもお、どおせママに怒られちゃうだろおしねえ」

 

「ママ、ね。屋敷でも何回か聞いたけど、お前らの元締めみたいな奴がいるのか。……まぁ、そのあたりもロズワールに聞けばはっきりするだろうけどな」

 

「食事は三食、ピーマルは入れないようにしてよねえ」

 

話の終わりを態度で示して、メィリィは気楽な調子で背中を向けた。彼女への待遇は、後回しだろう。いずれにせよ、ロズワール邸襲撃における貴重な証人だ。

ガーフィールが彼女を捕まえる頭があったのが、地味に意外だった。

 

その後は『聖域』に無事や、逆にアーラム村の村民たちの無事。『聖域』から先に脱出した避難民が近隣の町で無事に保護された話などを聞いて、全員の安否を確認。

ホッと胸を撫で下ろしたところで、冒頭のケジメの一撃と相成ったわけだ。

 

「一発ぶち込んでひとまず許してやるッ分、俺様ァ優しい方だッと思うけどなァ」

 

壁に空いた穴を見ながら、ロズワールを殴った腕を振るガーフィールがそうこぼす。スバルとしても、ロズワールに対しては色々と物申したいところがあったので、ガーフィールの怒りはもっともだと思うのだが、

 

「その一発が俺の十発分以上の威力がある場合、優しいって言葉に対して首を傾げたくなっちまうな……」

 

「悠長なこと言ってんなッよ、大将。ほれ、大将もいってこいや」

 

腰の引けたスバルの答えに鼻を鳴らし、ガーフィールは何か差し出してくる。何事かと彼の手元を見れば、それは森で拾ってきたとしか思えない木の枝だ。

かなり立派で太く長い。ちょうど、野球の木製バットのような感じだった。

 

「……これでどうしろと?」

 

「さすッがに何発も入れんなァ性格が悪ィからよォ。一発は一発だッけど、これで強力なのぶち込んでやりゃァ誰に文句付けッられる筋合いもねェなと」

 

「今の見た後で追い打ち入れろっつーんなら、それで十分に性格悪ぃよ!」

 

おまけに武器使用。これで一発は一発なんて言い出せば屁理屈の領域だ。しかし、ガーフィールはスバルの答えに首を傾げ、穴の外を顎でしゃくった。

 

「でもよォ、大将がそう思ってても、他の奴ァそうじゃァねェみたいだぜ?」

 

「え?」

 

嘆息気味のガーフィールにつられて外を見ると、ちょうどラムによって立たされたロズワールの前でフレデリカが拳を振り上げているところだった。

 

「旦那様、お覚悟――!」

 

フレデリカのたくましい腕が風を切り、ガーフィールが殴ったのと同じ左頬に拳が突き刺さる。哀れ長身が再び吹っ飛び、今度は数メートル離れたところにあった木の幹に体ごと激突して止まる。と、衝撃を受けた木に積もっていた雪が落ち、崩れ落ちるロズワールが雪の下敷きになった。

フレデリカはそれを見届け、満足そうに頷きながら手を叩いている。

 

「あれ!?お礼参りの流れにみんな賛成な感じなの!?」

 

「大将、ケジメってなァつけなきゃなんねェんだ。やったことの落し前ァやらなきゃよっぽど後でぎこちなくならァ。別に俺様も治癒魔法かけッてやらねェなんて真似するつもりァねェよ。エミリア様も控えてっしなァ」

 

目を回し、雪から頭を出すロズワールのところにはペトラとオットーも順番待ちしている。殴られるロズワールをラムが引っ張り出し、いざというときのためにエミリアが治療役として控えている状況だ。

 

「っていうか、エミリアたんは治療役でいいんだよね?まさか順番待ちじゃないよね?エミリアたんにもあそこに並ぶ資格があるっちゃあるけど」

 

「さァな、性格的に難しいとこもあるんじゃねェの?どっちにしても、見たッ通りだろうよ。だから大将、ほれ」

 

改めて押し出される木製バット。それをスバルはおずおずと受け取り、

 

「俺もやらないと、話に入れねぇってことだよな?」

 

「まァそこまでァ言わねェッけどよォ。大将だって、あの野郎の横っ面にぶち込んでッやりてェ気持ちはあんだろ?そんだけの話だ」

 

背中を押されて、スバルは家の外へと歩み出る。

壁に空いた穴の内側でガーフィールが親指を立てていた。スバルの仕草を見て真似しているらしい。まだ違和感のある弟分の見送りを受け、スバルはゆっくりとロズワールへのケジメ隊の一番後ろに並んだ。

ちなみに今は、ペトラが濡れた布をロズワールの顔に向かってフルスウィングしたところだった。

 

湿った気持ちのいい音が、『聖域』の中に木霊する。

 

※※※※※※※※※※※※※

 

「えー、それでは改めて。一通りのケジメも行ったというわけで、今回の出来事におけるお互いのすり合わせと今後のお話をしたいと思います」

 

咳払いをしてから司会進行の音頭を取り、スバルはざっと顔ぶれを見渡す。

大聖堂に揃ったのは此度の騒動に関わった主要な人物だ。とはいえ、それだけでも結構な人数であり、大所帯になったものだとスバルは感傷に浸る。

 

大聖堂にいるのはスバル、エミリア、ベアトリス、ロズワール、ラムの初期ロズワール邸メンバーに加え、オットー、フレデリカ、ペトラの後期ロズワール邸メンバー。さらに『聖域』の主要格としてガーフィールとリューズが参じている。

眠るレムの身柄は今、リューズの家に預けられており、ピコ以下リューズ複製体が複数体制で看護に当たっている形だ。

 

「スバル、なんだか遠い目してるけど大丈夫?まだ体調が万全じゃないの?」

 

「んや、そんなことないよ。ちょっと感慨深く思ってただけ。エミリア派の人間も一挙に倍。『聖域』の人たちやアーラム村の人たちまで含めると、もうちょい支持数は上がってくわけだけどね」

 

「……そうよね」

 

スバルの答えに、エミリアも同じような目をして顎を引いた。

『聖域』において、自らの意志を示して踏みとどまり、大兎との防衛戦を繰り広げたエミリアへの評価は、少なくとも『聖域』の住人やアーラム村の青年団からは高くなったはずだ。いざというときに頼れる人物=王の資質ではないが、遠巻きにされていた頃を思えば雲泥の差だろう。

接する機会さえ増えれば、エミリアの人柄は彼らにも知れるはずだ。そうして少しずつでも理解が広まればいいと、スバルはひとまず思っている。

 

「と、話題がそれちまったな。んじゃ、本題に戻そう。とりあえずのところ、『聖域』と屋敷で起こった出来事は共有したよな?後は問題の引き金を引いた奴への責任追及というか、細かい話が聞きたいとこなんだが……」

 

スバルの言葉に、その場にいた全員の視線が件の首謀者へと向けられる。

大聖堂の端で、ラムの膝に体を預けたままぐったりしていたロズワールは、その視線を浴びたことに気付いて目を開けると、

 

「おーぉや?皆で無抵抗の私をこれだけいたぶっておいて、まーぁだ痛めつけ足りないってーぇ言うのかい?」

 

「やられて自業自得だろうが。エミリアたんに治癒魔法までかけてもらっておいて、白々しいこと言ってんじゃねぇよ。俺はそれより、ラムの方が意外だった」

 

「……なんのこと?」

 

口の減らないロズワールに舌を出し、スバルは話の矛先をラムへ向ける。膝に乗せたロズワールの手を握るラムは、スバルの言葉に眉を寄せた。

その彼女の視線にスバルは「いや」と前置きし、

 

「本調子でないとはいえ、よくラムがロズワールへのケジメを黙って見てたなって思ってよ。あんだけロズワールがやられたら、間違いなくぶち切れると思ったのに」

 

「愚問だわ、バルス。……ラムだって、ロズワール様が何一つ誤らない人だなんて思ってるわけじゃないわ。ただ、誤っている道であろうとお味方をしたい。そう思ってしまうのは仕方ないでしょう。そんなこともわからないの。愚かしいわね」

 

「話の頭と尻で二回も愚か者扱いすんなよ!でも、その理屈だとお前」

 

「ええ。ロズワール様はガーフたちに殴られても当然のことをしたわ。それなら殴られるのは仕方ない。殴られた後、優しく手厚く扱うのはラムの勝手だもの」

 

相変わらず、ラムの愛し方は男らしく筋が通っている。

ロズワールに対して献身的に接する彼女の姿に、誰も文句をつけられない。唯一、ガーフィールだけがジレンマに襲われている顔をしていたが、何も言えないのは昔から同じ手法で言いくるめられているからだろう。

 

「物好きな娘かしら。腹にあんな火傷まで負わされて……ベティーと銀髪の娘がいなかったら、傷跡だってそのまま残ったに違いないのよ」

 

そのラムに言葉をかけたのは、スバルの隣にちょこんと座るベアトリスだった。

膝を立てて、スバルの左肩に体重を預けている少女は、命を繋いだラムの治療をエミリアと協力して行い、傷跡を消した上でラムをここまで持ち直させている。

 

「ベアトリス様とエミリア様には感謝しています。ですが、繋がった命で何を愛するかまでは口出しされたくありません」

 

「ベティーもそこまでしてやるほど親切じゃないかしら。これだけ色々とやってくれた男に尽くして、また傷付くのだとしてもそれはお前の自由なのよ」

 

「――それだけは、もうしないよ」

 

売り言葉に買い言葉。

ラムの言いようにベアトリスが厳しい言葉を並べると、それを聞いていたロズワールが体を起こしてそう言っていた。

その響きに言葉を交わしていた二人は息を止め、スバルも唾を呑み込んだ。

 

起き上がったロズワールは、化粧を落とした素顔をさらしている。

道化のメイクを消した美丈夫は片手で自分の左目を覆い、右の青い瞳の方で聖堂にいる面々を見渡し、深く頭を下げた。

 

「もう、決してこの場にいる誰かを犠牲にし、その上で事を成し遂げようと思い上がった手法は取らないよ。――我が師の、その魂に誓おう」

 

「――――」

 

「それに、ベアトリスに三度も殴られるのは御免なのでね」

 

顔を上げて、ベアトリスを見ながらロズワールは冗談めかしたように言う。それを聞き、ベアトリスはぷいっと顔を背けた。

 

「二度目は、お前が戯けたことを抜かした罰かしら。三度目は知らんのよ」

 

「そうしたいものだね。私も、また全員から仕返しをされるのは避けたい。ガーフィールとスバルくんの容赦のなさに、さすがの私も死を覚悟したよ」

 

「俺の一撃をアレと同列にするか?そこまで強烈じゃなかっただろ」

 

ただ、どうせ殴るのなら効果のあるやつをと思ったのは事実だ。

振り抜いた一発が綺麗に顎の先端を掠めて、三半規管を揺らされるロズワールが立てなくなる姿はそれなりに見物だった。

ともあれ、ロズワールの表明にはそれなりの真剣味があった。ならば、信じてみようと思うのも吝かではない。彼のこの心変わりにはおそらく、決死で挑んで福音書を燃やしたラムの姿に、何か感じ入るものがあったのだろうと思えるからだ。

 

「あれだけ拘ってた福音書から外れて、今のお前の態度にはちょっと拍子抜けしてるけどな。正直、自暴自棄になりそうなロズっちの説得が、俺が『聖域』でやらなくちゃいけない最後の仕事だと思ってたのに」

 

「煩わしい問題の芽は先に摘んでおいてあげたんだよ。どう言い繕おうと、私は君との賭けに負けた。我を見失い、福音書にも契約にも背いて雪を降らせたあの瞬間にねーぇ。そして、そうまでした結果を君たちは根こそぎ叩きのめしてみせた」

 

「……まぁ、ガーフィールとエミリアたんが頑張ってくれたからな」

 

「その肝心な場面で自分の名前を出さないところが、君の悪い癖だろーぉね。いずれにせよ、結果は結果だ。無理難題と思われた『試練』のことごとくを踏破し、『聖域』は解放された。……私の負けだよ」

 

「――あのよォ、大将」

 

観念した顔で肩をすくめるロズワール。その彼にスバルが言葉に窮していると、割り込むように手を挙げたのはガーフィールだ。

彼は鋭い目つきでロズワールを睨んだまま、鋭い牙をカチカチと鳴らし、

 

「本気ッでこの野郎、仲間に加えたまんまにすんのかよ。正直ッなとこ、俺様ァまだまだ納得しちゃいねェんだぜ?」

 

「ガーフィール……」

 

「当たりッ前だろォがよォ!この野郎が、『聖域』と焼けた屋敷に何してくれたと思ってやがる?大将たちがいなけりゃァ、村ァ兎の餌場にされッて、屋敷にいた姉貴も嬢ちゃんたちも腸女に遊び殺されてたんだ!そんな真似しでかすような野郎を囲い込んどいて、またいつ寝首を掻かれるかわかったもんじゃァねェ!」

 

吠えるガーフィールが床を叩き、大聖堂の建物がかすかに振動する。

ガーフィールの言い分はもっともだ。ケジメ、という形でロズワールをそれぞれが殴って話し合いのテーブルについてはいるものの、それはあくまで弁明を聞くという形を整えるための儀式に過ぎない。

 

ロズワールが己の目的のために、ここにいる全員の命を危険にさらしたのは事実であり、スバルは実際に皆が命を落とすところすらも何度も目にした。

今、こうして全員が無事で顔を揃えることができているのは、犠牲になったいくつもの世界と、それを重ねた上で全員が協力することができたからに他ならない。

スバルとて、ロズワールに叩きつけたい怒りや、詰め寄りたい感情はある。ガーフィールの言った通り、相容れないと背中を向けたい気持ちだってあるのだ。

だが、

 

「それでもロズワールの力が、俺たちには必要だ」

 

「大将……ッ!」

 

「エミリアが、王選って場所で勝ち抜くにはロズワールの協力が欠かせない。こいつって支援者を失えば、エミリアは王選から為す術もなく脱落だ。落し前を付けさせるのは当然だが……はいさよならってわけにはいかないんだよ」

 

「家族をッ殺そうとした野郎を、許せってのかよォ!?」

 

「――――」

 

感情的なガーフィールの言葉がスバルに突き刺さる。

言葉だけでスバルが頭を押さえつけようとしても、ガーフィールは納得しないだろう。フレデリカを、リューズを、ガーフィールはそれぞれ失いかけたのだ。

家族を守る、そのために十年以上の日々を己を鍛え続けてきた少年にとって、ロズワールこそ許し難い大敵に違いないのだから。

 

「私は……旦那様を、許しますわ」

 

「……姉貴!?」

 

しかし、そのガーフィールの主張に反対意見を出したのは、他でもない彼の血縁者であり、自らも殺されかけたフレデリカだった。

長い金髪を揺らす姉の言葉に、ガーフィールは凝然と目を見張る。

 

「何を言ってやがんだァ!この野郎は、屋敷ごと姉貴を……」

 

「だとしても、私は今こうして生きていますわ。ガーフが救ってくれたおかげで」

 

「そんなもんァ結果論だろうが!野郎は殺そうとした!姉貴を!婆ちゃんを!それが……それが全部じゃァねェかよォ!」

 

「……十年以上、私は旦那様にお世話になりましたわ」

 

肩を上下させるガーフィールに、フレデリカはその瞳を細める。慈愛を感じさせる眼差しは、成長した弟の怒りに感動しているようでさえあった。

 

「私は私の目的のために、旦那様が差し出してくださった手を取った。そして、それからの時間で多くを学ばせていただき、今ここにある。俗な言い方をするなら、私は私の目的のために旦那様の厚意を利用させていただいたのですわ。それならば、貸し借りという意味ではゼロではありませんの?」

 

「恩義と命が一緒の話ッになってたまるかよォ!またいつ、野郎が裏切るか……」

 

「あー、熱くなってるところすみませんが、口を挟んでもいいですかね?」

 

フレデリカの言葉にガーフィールが食い下がろうとするが、それに待ったをかけたのは今度はオットーだ。

手を挙げたオットーに、ガーフィールの怒気に満ちた視線が向けられる。しかし、オットーはその視線を「落ち着いて落ち着いて」となだめるように受け流した。

 

「ガーフィールの感情論はひとまず置いておくとして、ロズワール辺境伯が今回のようなことをしでかす可能性……それに関しては、とりあえずないものと思っていただいていいかと思うんですが」

 

「あァ?何を言ってやがんだ、てめェ。眠てェのか?寝かせッぞ、オイ」

 

「契約ですよ、契約。ナツキさんと辺境伯との間には、今回の決着をどう見るかという点で契約が結ばれていたんです。ですよね、辺境伯」

 

沸点間近のガーフィールに、オットーはあくまで冷静な対応だ。

契約の確認をスバルではなく、ロズワールに対して行う点も強かといえる。ロズワールはオットーの意図を悟り、軽く目を見開いた。

 

「オットーくんの言う通りだーぁとも。私とスバルくんとの間で成立していた契約の結果、私はスバルくんの方針に逆らえない」

 

「方針ってなァ……」

 

「福音書を捨てて、エミリアを王にするために協力しろ。それが俺がロズワールに契約させた内容だ。だからロズワールは、もう今回みたいな真似はできない」

 

最後を引き継ぎ、語るスバルにガーフィールは歯軋りした。

賭けの内容はスバルの勝利だ。契約はロズワールを縛り、福音書をなくした彼は記述とずれた未来を型にはめることもできない。

無論、それでロズワールが無害な存在になったかというと別の話だが。

 

「だッとしても、それでやらかしたことが帳消しになるわッけじゃァねェ!もうやらねェ、すいませんでしたで済むっつーなら『ロゴスの復讐は右手だけじゃ足りない』なんてこたァ起こらねェんだ!」

 

ガーフィールの叫びがなおも主張するように、ロズワールの所業に対して飲み込むか拒絶するかの姿勢は意見が割れる。

 

飲み込むで一致するのはスバル、オットー、フレデリカ。

拒絶の姿勢を示すのはガーフィール、ペトラ。

決めかねているのはエミリア、リューズといったところか。

 

ベアトリスとラムに関しては、どちらへ転ぶかについては静観の姿勢にある。ロズワールに対する付き合い方が、いずれの陣営とも異なる二人だからだ。

 

「ペトラ……」

 

ガーフィールと同じく、強硬にロズワールへの怒りを露わにするペトラ。

彼女はスバルの呼びかけに、スカートの裾を掴んで顔を赤くしていた。

 

「いくらスバル、様に言われても嫌。旦那様は……ご領主様は、村のみんなにひどいことをしようとしたんでしょ?みんなご領主様を信じてたのに。わたしも、ご領主様のこと、いい人だと思ってたのに……!」

 

「……耳の痛い言葉だーぁね」

 

幼い少女の糾弾には、さすがのロズワールも眉をひそめる。

陣営の思惑や細かな事情抜きで、もっとも住民感情を反映しているのはペトラの意見だろう。子どもだから、というわけではない。ロズワールがこれまでに領民に対して見せてきた領主としての姿勢への素直な評価と、今回、ロズワールがそれを裏切ってしでかした行いへの怒りは、ペトラの姿勢がまざまざと語っているということだ。

 

現状、アーラム村の住民や『聖域』の人々に、今回の騒ぎの首謀者がロズワールであった事実は伝えられていない。

代表者のような立場でペトラがこの場に参加しているのは、屋敷でのやり取りの断片から事実に迫り、それでも確信を得るまで言葉にしなかったペトラという少女の聡さを信用してのことだった。

これでペトラが年相応に、根掘り葉掘りを聞き出そうとする浅慮さを見せれば適当な言で丸め込んだかもしれない。しかし、そうはならなかった。

 

「何度も言ってるけど、ロズワールの力が俺たちには必要だ。ここでロズワールを切るってことは、エミリアの道を閉ざすってことになる。協力したくないって言われても、逆にふんじばってでも協力してもらわなきゃならねぇんだ」

 

「大将、それじゃ平行線だってんだよォ」

 

「平行線だ。なら妥協点を探さなきゃならねぇ。お前はロズワールに、何をさせたらひとまず呑み込む気になる?ぶっ殺すのは、悪いが止めなきゃならねぇ」

 

「――ちィ」

 

立ち上がりかけるガーフィールを牽制するように、スバルの隣に座るベアトリスが立ち上がる。背丈の低い少女でも、座り込んだ少年を見下ろすには十分だ。

注がれる視線に舌打ちし、ガーフィールはロズワールを睨み付けると、

 

「まずァ、『聖域』に住んでたジジイババアの衣食住の保障だ。ここに残る奴らにとっても、出ていく奴らにとっても等しく安全を保障してもらう。姉貴がやろうとしてッたことの、本格的な第一歩だ」

 

「いいさ、請け負おう」

 

「屋敷も焼けて、家も金もなくなったなんて言い訳ァ聞かッねェぞ、おォ?」

 

「焼けたのはメイザースの別邸だよ。本邸は別にある。資金難なんてつまらない状況に陥るような、準備不足の無様はさらさないつもりだよ」

 

自信満々に応じるロズワールにはスバルも驚いた。

焼け落ちた屋敷が別邸、というのがスバルには初耳だったからだ。正直、ここを出たらどこに住めばいいのか少し悩んでいたのが馬鹿らしくなる。

 

「その条件に加えて、二つ約束……いや、『契約』しろ」

 

「――――」

 

指を二つ立てるガーフィールに、ロズワールは無言。

ロズワールにガーフィールは立てた指の一つを折り、

 

「一つァ、大将がさっき言ってたやつだ。あの条件を守るってのを、この場にいる全員の前で重ねて誓え。もう、ふざけた真似ァいたしませんってなァ」

 

「……ああ、いいとも。それでもう一つは」

 

「簡単だ。――それを破ったら、てめェの頭は俺様が噛み砕く」

 

ゾッと、底冷えするような殺気がガーフィールから放たれる。

真っ直ぐにロズワールへ突き刺さったはずの殺気は、余波だけで大聖堂にいる全員の肌を切っ先で撫でるようにして通り抜けていった。

 

「いいさ。――その契約も、等しく結ぼう」

 

故に、ほんの数秒後にロズワールが首肯して受け入れた途端、波が引くように殺気が消えるのを感じて、スバルは強張っていた体の力を抜いて息を吐いた。

ガーフィールは不機嫌な顔で胡坐の膝に頬杖をつき、

 

「……俺様からァ、ひとまずそんだけだ。嬢ちゃんも、それで納得しとけ」

 

「でも……」

 

「親に話してもダチに話しても、誰も幸せになりゃァしねェよ」

 

まだ何か言いたげだったペトラが、ガーフィールのその言葉に口をつぐむ。それから少女は隣のフレデリカに泣きそうな顔を向け、頷くフレデリカの胸に顔を押し付けて嗚咽を殺した。誰もが胸の痛くなる光景だった。

 

「とにかく、アーラム村と『聖域』の両方の住民への保障とか、屋敷が燃えた後の拠点はどうなるのかとか、後身の問題はあるにしても、今回の騒ぎの責任追及と事情のすり合わせはできたもんだと思ってもいいか?」

 

ペトラが泣き止むのを待ってから、改めてスバルは意見をまとめる。

全員にこれで異存がなければ、『聖域』と屋敷を取り巻く問題の話し合いの第一段階は終了だ。あとは諸々の問題を個別に解決して――、

 

「はい」

 

しかし、全員が沈黙を選ぶ中、ただ一人だけ手を挙げた人物がいる。

他でもない。この集団の旗頭であり、ロズワールの処遇に対しての意見をまだ述べていなかったエミリアだ。

彼女は皆の視線を一身に浴びながら、隣のスバルに発言の許可を求める。

 

「いいよ、エミリアたん。この際だから、なんでも言ってやって」

 

「じゃあ、お言葉に甘えて言わせてもらうね」

 

スバルに頷きかけ、エミリアはロズワールの方を見た。その視線を受け、ロズワールは片眉を上げ、意外そうな面持ちでエミリアの言葉を待つ。

そして、エミリアは言った。

 

「ロズワールは、まだ一番大事なことをやってないじゃない。それをしなきゃ、この話し合いを終わるわけにいかないわよ」

 

「一番大事なこと……?」

 

エミリアの発言に心当たりが浮かばず、ロズワールは怪訝な顔をする。スバルも首をひねり、エミリアが何を言い出したのかに思考を走らせた。

同じように周囲がするのを見ながら、エミリアは小さく吐息をつくと、

 

「悪いことをしたら、ごめんなさいってしなきゃダメじゃない」

 

「――――」

 

「さっきからみんなして、悪さの反省の証にアレしろコレしろって言ったり、ロズワールももう悪さしないって先生に誓いますなんて言ったりしてたけど、そんなことよりも先に、言わなくちゃいけないことがあるでしょ?ロズワール、一回でもそれをみんなに言ったの?私、聞いてない」

 

ぷりぷりと頬を赤くして、エミリアがロズワールにそうまくし立てる。

その内容があまりに幼稚なものに思えて、全員が言葉を失っていた。だが、それを口にするエミリアは紛れもなく、冗談抜きで本当に怒って指摘している。

 

エミリアが怒っている。エミリアが本当に怒ることなどめったにないのに。そのめったを起こして、エミリアが怒っているのだ。

みんなが忘れてしまっていた、当たり前を当たり前にやらせるために。

 

「ロズワール」

 

スバルがロズワールの名前を呼ぶ。

呆気にとられた顔でいたロズワールがスバルの方に視線を向け、意表を突かれたその顔にスバルは思わず唇が緩んだ。そして、

 

「謝れよ、ロズワール。これからも一緒にやってこうってんなら、人としてそれが当たり前のことだ」

 

「――――」

 

エミリアの意見にスバルが同意し、その意思は大聖堂の全員に伝わる。

注視されるロズワールは、向けられる視線の意味と要求を悟り、息を呑んだ。

 

「――うん、それでいいのよ」

 

ロズワールの謝罪を見たエミリアが、そう言って笑ったのがひどく印象的だった。

 

※※※※※※※※※※※※※

 

――棺の中に眠る女性を見下ろして、スバルは何ともいえない顔をしていた。

 

「私の先生を見て、ずーぅいぶんと失礼な顔をするじゃーぁないの」

 

スバルの顔を横から覗き込み、その表情にケチをつけるのはロズワールだ。

墓所の中、最奥の部屋で二人――スバルとロズワールは棺を挟んで向かい合う。誰も間に入れずに、交わさなくてはならない言葉を交わすために。

だが、その前に、

 

「これが本気で、お前の先生だったっていう『魔女』エキドナだってのか?」

 

「そーぅだとも。生前の美しさのまま、魔鉱石の中で肉体は眠り続けておられる。こうして再びあいまみえる機会が得られるとは、生きてきた甲斐もあったというもの」

 

「俺にしてみたら、子孫の体を次々に乗っ取ってたっていうお前のストーカー紛いの行動力にうわぁな気分だよ」

 

「それ、ベアトリスにも同じこと言われたねーぇ」

 

楽しげなロズワールには悪いが、スバルの方は笑う気にはなれない。

ベアトリスから聞いた、ロズワールが行ってきた魂転写技術による命の永続。以前に似たような冗談を言ったことがあったが、まさかそれが事実だったなどスバルも夢にも思っていなかった。

代わりに、一族を上げてのエキドナフリークぶりについては、一族と見せかけて実はロズワール個人だったというところに納得もしている。

 

「乗っ取った子孫への罪悪感は……聞くまでもねぇか」

 

「メイザースはもともと、そのための家系だ。私が始め、私が繋ぎ、私が築き上げてきた。誰に非難されることも、何ら痛痒には思わない」

 

「ご立派、ストーカーの鑑」

 

「それほどでもないとも。それより、私も確認したいところだーぁね。君が『試練』の中で見た、エキドナを名乗る先生と別人の話を」

 

目を細めて問い質してくるロズワールに、スバルもまた目を細めた。

ロズワールの語るエキドナと、スバルが夢の城で出会ったエキドナとの相違。これが棺の中の女性を見つけたときの、スバルに訪れた衝撃であった。

 

改めて、棺の中の女性の姿にスバルは目を向ける。

長い白髪に透き通る肌。美しい顔立ちに、すらりとした体を包む黒のドレス。個々の特徴はエキドナと一致している。なのに、それは明らかに別人なのだ。

 

スバルの知るエキドナは、棺の中の女性よりわずかに年代が若い。顔立ちも美しさそのものより可憐の色が濃く、白い髪もこの女性より短い長さで揃えられていた。

似ていないわけではない。あるいは姉妹と言われれば素直に信じられる。

しかし、

 

「先生は天涯孤独だったはずだ。妹はもちろん、娘と呼べるような存在もベアトリスを除いてはいなかった。それは私が誰より知っている」

 

「なら、『試練』の中にいたエキドナは誰だ?若返ったこの人……って感じでもなかった。二人は別人だ。年齢がどうとかって問題じゃないことぐらい、俺にだってわかる」

 

「無関係の存在が『試練』に割り込むはずがない。仕切っていたのがその人物であるのなら、必ずや関係者のはずだ。あるいは私の知らないうちに、外側から手を加えた何者か……ということも考えられる。けど」

 

その先の言葉をロズワールは続けなかったが、スバルは彼がそれをありえないことだと断じているのを感じ取った。根拠はわからないが、ひょっとすると自分のストーカー力に自信があるのかもしれない。自分の目を盗んで、先生に悪さを働くなんてありえない、という自信だったら嫌だ。

 

「失礼な想像をされている気がするねーぇ」

 

「気のせいっていうかお前のせいだよ。それに、エミリアも俺と同じエキドナを『試練』の中で見てるって話だ。少なくとも、この人じゃないエキドナを」

 

スバルが最初に棺の女性を確認したとき、エミリアも同席していた。ベアトリスが母親と呼ぶ棺の女性が、エキドナと呼ばれる別人だとスバルたちが気付いたのはそのときが初めてのことだ。

夢の城の彼女が何者なのか――結局、その結論は得られないまま、今のロズワールとの対談が始まってしまっている。

 

「もう一度、『試練』のシステムで夢の城に入ることはできないのか?」

 

「術式を破壊する形で墓所の機能は制止させられたんだよ?すでに失われた技術だし、条件が複雑なんだよ。それに墓所に立ち込めていた瘴気も逃げてしまった。ここはもう、本当にただの石でできた歴史あるだけの墓場なのさ」

 

「そう、か……」

 

確かめられないことに対しての落胆と、夢の城の彼女にもう会えないことの落胆がスバルに同時に襲い掛かる。なんだかんだで、裏切られたことも含めてスバルは彼女や、彼女を取り巻く『魔女』たちと接することを悪くないと思っていた。

故に、その機会を失ったことは、素直にスバルに寂寥感を呼び込むのだった。

 

「……どうにもならないことは後回しにしよう。それで、お前はこの棺の女の人をどうするんだ?土に埋めるのか?」

 

「土葬も火葬もするつもりはないよ。スバルくん、勘違いをしないでほしいんだがね。……私は先生との再会を求めているが、それは先生の亡骸とのご対面を待ち望んでいたわけじゃーぁない。それはあくまで、過程に過ぎないよ」

 

「どういうことだ?」

 

ロズワールの言葉にスバルは眉を上げ、不信感と警戒心を募らせる。

スバルはてっきり、ロズワールが望んでいた想い人との再会とは、墓所の中で安置されている亡骸との対面を望んでのことだと思っていた。

実際に墓所の中に女性の亡骸があることを知るまでは思わなかった可能性だが、こうして中に安置されているロズワールの師の女性を知った時点で、スバルがそう考えたのも無理からぬことだろう。

しかし、ロズワールはスバルのその考えをあっさりと否定して、

 

「私が望むのは、血が通い、魂が宿り、息を吹き返した先生と再び言葉を交わすこと。亡骸を取り戻すことは、段階としては一つ目に過ぎない」

 

「死んだ人間を、蘇らせる……!?そんなこと……死者蘇生できるような魔法がこの世界にはあるっていうのか!?」

 

「勘違いしないでほしい。あくまで、先生にはその目が残されているというだけの話だよ。通常の死を迎えたいずれの命も、呼び戻すことなどできるはずもない。死者蘇生なんて都合のいい魔法、決してオド・ラグナは許さないだろうからね」

 

「オド・ラグナ?」

 

聞いたことのない単語の出現にスバルが顔をしかめる。

 

「オド・ラグナは、そうだね……言ってみれば、世界の根源に存在するマナの貯蔵庫。いや、世界そのものを一つの生き物だとしたときの中核、世界にとってのオドと呼ぶべきだろうか。明確にどこにあって、意思があるのかないのか全ては想像の域を出ないものでしかないが」

 

「世界にとってのオド……それが許さないってのは?」

 

「その説明をするには、今日に至るまでの魔法の歴史を軽く紐解く必要があるね」

 

「三行で」

 

「それは厳しい」

 

簡略的な説明を求めるスバルに、ロズワールは顎に触れてしばし言葉を選ぶ。それからなるべくわかりやすく、言葉を噛み砕いて説明を始めた。

 

「今、この世界に現存する魔法はいずれも、過去に存在した魔法使いが編み出したものに他ならない。マナの扱いに優れたものが、己の属性に即した魔法を扱い出すのが初期の魔法の発生。魔法を使える人の割合が多くなり、能力にも差が生じ始めると、そういったものを名前や系統抜きに分類するのは難しくなるんだ」

 

「それで、魔法に名前を付けたり、属性で分けられるようになるわけだ」

 

「そういうことだね。そうして魔法の技術や知識が広まっていく中、傑出した才能を持つものもまた生まれ始める。彼らはすでに存在する魔法とは別の、新しいマナの使い道を編み出し、新たな魔法とする。魔法の発展は常に、一握りの天才による新しい発見を、それに続く凡百の魔法使いが使い潰すことで続いていくんだ」

 

「お前が一握りの天才だからか、微妙に棘のある説明だな」

 

「嫌な思いをしたことも、一度や二度じゃないからねーぇ」

 

いつの世もどこの世界も、秀ですぎるものは周囲に疎まれる。ロズワールにもそういった視線や妨害に苦しめられる、人間的に未熟な頃があったのだろう。今ならばきっと笑って、ばれないように仕返しの一つもしていただろうに。

 

「それで、オド・ラグナとどう繋がるんだ?」

 

「魔法、そしてマナという力の源の存在。それらについての研究が進み、マナの使い方に既存とは全く違うアプローチを仕掛け、驚くべき効力をもたらす魔法を生み出すものが傑出した天才の中に頭角を現し出す。それらはいずれも他の魔法とは比較にならない影響力を発揮するもので、魔法使い単体で地形を変えることができるようなものまで出てくる。――すると、決まって彼らは同じものを見るのさ」

 

「…………」

 

「淡く、それは自分が当然のように扱うマナ。しかし、それまでに彼らが触れてきたマナとは圧倒的に違う莫大な力の塊――いわゆる禁術に目覚めた魔法使いは、誰もがその巨大なマナの存在を目にし、遠からず精神を病むことになる」

 

「それがオド・ラグナ……世界の根源だっていうのか?」

 

「人間の体が病魔や怪我を恐れるように、世界だって自分の根幹を揺るがしかねないものに対しては拒否反応を示す。オド・ラグナについて最初の見解を発表したものはそんな風に言ってもいたね。実際、オド・ラグナを見て心を壊したものたちの共通点は、魔法史を塗り替えかねない新しい魔法に至ったものたちだった」

 

それらがどれほど強力な魔法だったかはわからない。

全ての魔法は理論の半ばまで明かされているが、完成した術式は公開される前に実用される前に、それを頭の中に描いた魔法使いの心諸共に破壊されるからだ。

 

「死者の蘇生も、その一つだってのか?」

 

「失った愛する誰かと再会したい。その気持ちは誰もが描く普遍的なもので、それに心動かされる天才も一定数以上いた。誰もが辿り着く寸前で、オド・ラグナによって心を失うことになったけどね」

 

「…………」

 

皮肉な話だと思う。

オド・ラグナが実在するのかも、実際にオド・ラグナが魔法使いたちの心を砕いたのかもわからない。それでも、彼らは追求しただけだ。自分の才能の限界を。あるいは誰もが焦がれる願いの成就を。

 

「一説では、オド・ラグナはこの世の全てを司る世界意思とも言われている。眉唾ではあるが、『加護』も実はオド・ラグナによって与えられているのではないか――なんて説もあるぐらいだよ」

 

「関わらせないようにしたり、自分から関わってきたり……どこでも、雲の上の連中のやることは筋が通ってないもんだな」

 

「雲の上の連中って表現は面白いものだね」

 

オド・ラグナを神と同列に扱うスバルに、その理屈を知らないロズワールが笑う。思いがけない話が聞けたが、本題はオド・ラグナとは別の部分にある。

スバルは気を取り直して話を戻し、

 

「で、お前が求める先生との再会は、そのオド・ラグナの逆鱗に触れないもんだと」

 

「そーぅとも。別に禁術を発動させるわけでも、特別な力や術式を必要とするわけでもない。私はむしろ、君の存在の方がよほどオド・ラグナの不興を買わないか心配なぐらいなんだがね」

 

「……俺も今の聞いててそう思ったけどな」

 

『死に戻り』――ロズワールに詳しい条件を明かすつもりはないが、スバルの特質は見様によっては死者蘇生の禁忌に接しているといっても過言ではない。

実際、スバルは『死に戻り』を行うことで自らの死の運命を変え、さらには周囲の人々の命までも救い出している。これがオド・ラグナの目に触れていたとしたら、先ほど聞いた厳しい基準をクリアしていると思えるはずもない。

あるいはスバルを『死に戻り』させている存在は、そのオド・ラグナの力すらもしのぐほどの力の持ち主だとでもいうのか。

 

「想像するだにゾッとしねぇよ。それで、お前のその方法ってのは……」

 

「悪いけど、それを今の君に話すつもりはないね」

 

首を振って話を続けようとしたスバルに、ぴしゃりとロズワールが言い放った。

一瞬、彼が何を言い出したのかわからず、スバルは目を白黒させる。

 

「は、お、あ?お前、何を言ってんだ?」

 

「聞いたまま通りだーぁとも。私は君に、私の最終目的の達成手段を教えるつもりはない。そこまでは君と私の契約の条文に、盛り込まれていないはずだからねーぇ」

 

「そりゃ、そうかもしれねぇけど……だからって!」

 

「これだけははっきりさせておきたいんだけどね、スバルくん」

 

食い下がろうとするスバルに、ロズワールが冷たい声で応じた。彼は棺をぐるりと迂回してスバルの傍へ歩み寄ると、スバルを見下ろしたまま指を立てる。

 

「福音書という道しるべを失い、私は『こうあるべき』という道を見失った。しかしそれで目的を諦めるつもりは毛頭ない。以前のようなアプローチは、君との契約に縛られてできない。仮につまらない邪魔をしようものなら、ガーフィールに首を千切られるだろうからそれもできない」

 

「……ああ、そのはずだ。なら、お前に何ができる?お前の目的を明かして、俺たちにも協力を仰ぐ以外に何の道が選べるんだ」

 

「簡単な話だよ。――私は君を、見張り続けることにする」

 

「――――」

 

見張る。決して穏やかならぬ申し出に、スバルは言葉を発せない。スバルを見下ろすロズワールの双眸は、違う色の輝きでありながら同じ感情を灯している。

 

「幸い、エミリア様を王にしようという君の目的は、私の目的を達するための道筋と重なっている。本来、ここで君は何事にも揺るがない鋼の意思を獲得し、何を失ってもエミリア様のために尽くす、傷だらけの騎士になるはずだった」

 

「…………」

 

「だが、その道は絶たれた。しかしその代わりに、君は自らもっと辛く苦しい、茨の道を歩くことを選んだんだ。私は君に敬意を表すると同時に、哀れにも思う」

 

「なんだと?」

 

聞き捨てならない。自分を睨み付けるスバルに、ロズワールは首を横に振る。それは正しく、憐憫をスバルに思うが故の素振り。

彼は苛立ちと疑問符を浮かべるスバルに掌を向け、

 

「君はここで、失うことを知るべきだった。失ってなおも、大切なものだけは必死で守り抜く『賢人』になるべきだった。私は君を、これでも救いたかったんだよ」

 

「それの、何が賢いんだ。失くすこと飲み込んで、それの何が!」

 

「失うことを拒絶し、全てを拾いきることを決めた君はこの先、傷付くことになる。取り返しがつかないほどに傷付き、失うことを繰り返し、その失ったものを取り返すために躍起になり、見えない傷を増やし続ける。それがあまりに、哀れだ」

 

「――っ」

 

「そして『賢人』であることを拒絶し、『愚者』であることを選んだ君の選択に、私は決して優しくしない。当然だろう?そうあることを選んだのは、君なのだから」

 

言葉の出ないスバルに、ロズワールは伸ばした手で肩に触れてくる。

わずかに体を震わせるスバル、そのスバルの顔にロズワールは己の顔を近付け、そっと耳打ちするように囁いた。

 

「――この先、君の周りで君が守るべき誰かが失われることがあれば、私は躊躇いなく残った者を速やかに焼き、私自らも灰になろう」

 

「……!?」

 

「君は全てを拾うと決めたんだ。取りこぼすことなどあってはならない。失った世界は未来に続いてはならない。失うことを受け入れた君の未来が、私の望まない未来へ続く可能性がある限り、私はそれを否定する。――福音書が失われた以上、私を目的に誘ってくれるのはスバルくん、君と君の歩みだけだ」

 

顔を離し、ロズワールはスバルの胸を軽く押した。

大した力でもないのに、スバルはまるで突き飛ばされたようによろめき、後ろの壁に背中をぶつけて息を詰まらせる。

 

目の前に立つ男が、ロズワール・L・メイザースが、恐ろしかった。

 

考えは変わった。福音書に頼り切ることをやめ、成就のために無理にスバルやエミリアたちへ苦難を投げ込むような真似も決してしまい。スバルが望めば目的のために協力し、エミリアを王へ歩ませることに全力で力を貸すだろう。

だが、スバルが少しでも誤ったところを見せれば、ロズワールはその全てを一瞬でひっくり返し、台無しにしてしまう覚悟がある。

 

嘘でも偽りでも何でもない。ロズワールは、必ずそれをやるだろう。

 

「なに、そう恐がることはないよ。君が君であり、君の役割を果たし続ける限り、私は君に全力で協力しよう。――私と君との、それが契約だ」

 

「……契約書の内容は、もっとちゃんと吟味しろって教訓だな」

 

「今日あの場にいたものを、誰一人失わせないのが君の役目だ、スバルくん。誰一人欠けないまま、エミリア様を高みへと連れていってくれ。そうすれば、私もまたそこで目的を果たすことができる。先生と、再会することができる」

 

力なく俯くスバルに、ロズワールは長い息を吐いて頷いた。

そして、靴音を鳴らして背筋を正すと、

 

「本邸に戻り次第、ロズワール・L・メイザース辺境伯の名に置いて、ナツキ・スバルを騎士として任命する。――約束は、果たそう」

 

「…………」

 

騎士叙勲。

スバルにとっては喉から手が出るほど欲した、エミリアの隣に立つ資格だ。

この流れで言われても喜び半減だが、こうまで口にした以上、ロズワールはそれを必ず守るだろう。スバルに協力しないメリットが、彼には存在しないのだから。

 

スバルが無言で顎を引くのを見て、ロズワールは身を回して出口へと向かう。話は終わりと、そういう意味だろう。

しかし、その靴音が部屋を出る直前で止まり、ロズワールが振り返った。

 

「そうそう。君に全面的に協力すると話したばかりだからね、これもちゃーぁんと報告しておこうか」

 

「……なんだよ」

 

「――ベアトリスの殺害を『腸狩り』に依頼したのは私だが、『魔獣使い』による前回と今回の襲撃は私の意図とは無関係の事柄だ」

 

「――は?」

 

これ以上何を、と思っていたスバルの口がぽかんと開く。

ロズワールの口にした内容の意味がわからず、スバルは説明を求めて硬直したままだ。その顔にロズワールは片目をつむると、

 

「言ったままだよ。王都でのことと、ベアトリスの殺害は私の依頼だ。だが、フレデリカやペトラを殺すように依頼したことはないし、内情を細かに伝え聞かせるほど時間はなかった。依頼自体、福音書の記述に従って、王選開始前にしたものだしね」

 

「何を、馬鹿なこと……だって、エルザとあの子は仲間だったぞ!だったら!」

 

「つまり『腸狩り』含めて、私とは別個の意図が屋敷の襲撃には働いていたと、そういうわーぁけだよ」

 

「――――」

 

「苦難が連続するようで、実に抗い甲斐があるだろう?」

 

皮肉な言葉を残して、今度こそロズワールの靴音が遠ざかっていく。

残されたスバルは、今も頭蓋に反響する声に心を掻き乱されたまま、動き出すことができずに墓所の冷たい壁に背を預けたままでいた。

 

何もかもが片付いたはずの問題は、まだまだ火の気を燻らせたままでいる。

その残り火の熱を感じながら、スバルは頭を抱えて、深い息を吐いた。

 

※※※※※※※※※※※※※

 

「しょぼくれた顔をしているのよ」

 

そんな風に思い詰めるスバルを救ったのは、憮然とした幼い声だった。

 

いつの間にか座り込んでいたスバルは、目の前でドレスの裾が揺れるのを見る。豪奢な生地を上に視線で辿れば、腕を組んでスバルを見下ろす愛らしい顔があった。

 

「ベア子か」

 

「ロズワールの奴に何を言われたのか知らないけど、ベティーの契約者がそんな面するのはやめるかしら。ベティーの格が落ちてしまうのよ」

 

「そりゃ大問題だ。いいとこ見せるって言ったばっかで情けねぇしな」

 

頬を叩き、スバルは頭を振る。

ベアトリスは膝を折ると、そのスバルと視線の高さを合わせて目を細めた。

 

「よっぽどひどいことを言われたと見えるかしら。……泣き言、聞いてやってもいいのよ。今なら特別サービスかしら」

 

「幼女の胸に飛び込んで泣き言って、絵面最悪だから遠慮しとくわ。本気でヤバそうになったら、一も二もなく飛び込むけど」

 

「ま、そのときに気が向いたら一緒に抱え込んでやってもいいのよ」

 

鼻を鳴らしてベアトリスが立ち上がり、スバルも重い腰を持ち上げた。

尻を払って前を向くと、ベアトリスが棺を見つめている横顔にぶつかる。

 

「……それが、お前のお母様なんだよな」

 

「そして、スバルの知る『エキドナ』とは違うエキドナって話かしら」

 

スバルにもベアトリスにも、それが何を意味するのかはわからない。

ただ、ベアトリスが亡骸とはいえ母と再会できたことはよかったと思う。これでここに眠るのがスバルの知る方のエキドナだった場合、ベアトリスにとってもロズワールにとっても残念なんて話ではない。ロズワールが悔しがる分には今の心情的にばっちこいだが、ベアトリスが悲しむ姿はもう見たくもなかった。

 

なにせベアトリスはすでに、願い続けた再会を一つ見失っているのだから。

 

「リューズ・メイエルのクリスタルは、どうしたんだろうな」

 

「……わからないのよ」

 

ベアトリスの呟きに、スバルもまた途方に暮れた気持ちになる。

 

『聖域』の森の奥、放置されていたエキドナの研究施設。そこにはリューズの複製体を生み出すシステムであり、『聖域』に結界を張り巡らせる核としても機能していたオリジナルのリューズ・メイエルが安置されていたはずだった。

ちょうど、目の前にある棺の女性と同じように、リューズ・メイエルはクリスタルに封じられていたはずなのだ。

 

――そのリューズ・メイエルのクリスタルが、忽然と姿を消してしまった。

 

かつての友人との再会を心に決めて、スバルと共に施設へ向かったベアトリスはその惨状に言葉をなくしていた。スバルも、先に自分だけで確認にきていればと悔やむ結果を招いた。

 

クリスタルのあった部屋の床には大穴が空き、クリスタルを支えていた土台ごとリューズ・メイエルの肉体は消え失せていた。

異臭の漂う部屋の中、地下に落ちたのではないかと疑い、エミリアに頼んで微精霊を地下へ向かわせたが成果はなかった。施設の下には空洞があり、それが地下通路のような形で森の中へと続いていたのだ。

 

クリスタルを持ち去った何者かは、その通路の存在を知っていて、結界が解けたのを見計らってクリスタルを持ち出した――そう結論付ける他にない。

 

その盗難の犯人の目的がなんであったのかはこの際問題ではない。

問題なのは、本来なら行われるはずだったベアトリスの友人との再会、その機会を奪われたことだ。気丈に振舞ったベアトリスだが、気にしていないはずがない。

 

いずれ必ず取り戻し、あるべき再会の場面は果たされる。

スバルはそう、心に決めていた。

 

「まぁ、偉そうに言っても、俺一人の力じゃたかが知れてるからな」

 

肩を回して腕を伸ばし、スバルは自分の無力さを苦笑まじりに認める。

 

力ではベアトリスと筆頭に、エミリアやガーフィールにも頼ることになる。

知恵ではオットーに助けられたように、嫌だけどロズワールに頼ることもあるだろう。他の部分でもフレデリカやペトラに、支えられる部分が大いにあるに違いない。

相変わらず、スバルの腕も力も届く範囲が短く狭いのだ。

 

「スバル、何を笑っているのかしら」

 

「んにゃ、弱いって情けねぇときもあるけど、そうじゃねぇときもあるよなって。今後とも、お前にはよろしくお願いしますってするしかねぇしさ」

 

「何を言ってるのかわかるような、わからないようななのよ」

 

スバルの言葉の意味はわからずとも、頼りにされていることだけはしっかり感じ取ったベアトリスが薄く笑う。その微笑みに頷いて、スバルは「そりゃそうだろ」と前置きした上で、

 

「そこまでわかられるところは期待してねぇよ。見透かされたら情けねぇもん。それにしても、精霊使いってすげぇんだな。俺、あんだけ魔法ぶっ放したことなんかなかったから興奮しちまったよ」

 

「……そうかしら」

 

「まぁ、アレもお前におんぶにだっこにゃ違いないから威張れた話じゃないけどさ。精霊使いになったって言っても、実感は正直なとこねぇし」

 

ベアトリスとの契約も、禁書庫崩落の流れに呑まれてかなり簡略的だ。

もちろん、ああして名前を呼ばれて、引き寄せた腕に収まってくれたとき、確かな繋がりを感じられたのだからそれでいいのだとも思えるが。

 

「スバル。――大事な話があるのよ」

 

「おう?」

 

ふと、ベアトリスが真剣な面持ちでスバルに言葉を投げかける。

それを受け、首をひねりながらスバルは何事かと言葉を待った。

 

「まず、スバルはベティーと契約したことで精霊使いになったけれど……ベティーの精霊としての格が他と大きく異なるのよ。だから、純粋な精霊使いとして自分を考えるのはちょっと趣が変わってくるかしら」

 

「まぁ、俺の知ってる他の精霊は人型じゃないし、意思持って喋って動き回るのもパックぐらいだったしな。ちょっと違うのぐらいはわかる」

 

これまでのスバルが知る精霊使いは、エミリアとユリウスぐらいだろうか。

エミリアはパックと契約し、それ以外にも微精霊ともうまく付き合っていた。ユリウスは逆に微精霊よりは強力な準精霊と複数の契約を交わしており、これも強力な精霊使いとして機能していたはずだ。

もう一パターン例外として、邪精霊ペテルギウスがいるが――これは、スバルにとっては思い出したくもない相手なので割愛する。例外も例外だろう。

 

「ベティーは……ううん、厳密にはベティーとにーちゃは他の精霊とは根本から違う存在なのよ。母様……魔女エキドナに作られた、人工精霊に当たるかしら。それもはっきり言って、完璧な方法で生み出すことは技術的に難しくて……通常の精霊に比べて比類なく強力な代わりに、いくつか欠点があるのよ」

 

「欠点……」

 

その単語を口にするとき、ベアトリスの表情に屈辱の色が走った。

プライドが高く、そして母親に対して並々ならぬ敬愛を抱くベアトリスだ。自分の存在の根本部分に、不完全な部分があることなど認めるのは辛いことだったろう。

しかし、ベアトリスは吐息一つでその弱さを掻き消すと、

 

「にーちゃとベティーとでも欠点はそれぞれ違うけど……ベティーの持つ欠点は、まず契約者の独占をしてしまうかしら」

 

「契約者の独占?」

 

「端的に言ってしまえば、ベティーとの契約を維持するだけで、契約者の精霊使いとしての能力をほぼほぼ使い切ってしまうのよ。だから……その、ベティーと契約しているスバルは、ベティー以外の精霊とは契約できないかしら。微精霊とも、準精霊とも同じことなのよ」

 

「……あー、そういうことか」

 

ベアトリスの言い分に合点がいって、スバルは何度も頷いてみせる。

つまり、ベアトリスとの契約を維持するのにリソースを割きすぎて、他の精霊との契約を受け止める容量がスバルに残らないのだ。

エミリアが用途に応じて、パックではなく微精霊に頼っていたりしたのに対して、ベアトリスと契約するスバルにはそれができないと。

 

「まぁ、ちょっと残念な気はするけど、それは甘んじて呑み込むとするさ。お前との契約はデメリット無視して余りあるメリットだしな。微精霊との契約云々のために、お前を手放すつもりもないし」

 

「そ、そう」

 

スバルの答えを聞いて、不安そうに瞳を揺らしていた頬が少し緩む。しかし、ベアトリスはすぐにその表情を消すと、咳払いして、

 

「ま、まだもうちょっとあるかしら。まぁ、今の話に比べたらささやかな問題に過ぎないのよ。気楽に聞いてくれていいかしら」

 

「そうか。とりあえず、わからないことだらけだから何でも言ってくれ」

 

「えっと、ベティーはちょっと、そうちょこっと他の精霊に比べると、精霊としての格が高いのもあってその……ね、燃費が悪いのよ」

 

「燃費……車みたいなこと言い出したな」

 

ゲームなどでも、強力な魔法や召喚獣ほどMPの使用量が多い。この使用量と威力のつり合いこそが燃費だが、言いづらそうに続けるベアトリスはどんなものなのか。

 

「あれ?でもお前、燃費悪いとか言ってたわりには大兎との戦いのとき、ガンガン魔法使ってたし、俺にも使わせてたし、俺から吸ってもいなかったよな?」

 

「あれは、長いことベティーが溜め込んでたマナから賄ったかしら。初陣でいきなりベティーの魔法に必要なだけ引っ張ってたら、スバルが何回干からびても足らんのよ。そのあたりは感謝してほしいかしら」

 

「ま、まぁそうだろうな。俺がアレやろうとしたら、どんだけ絞られることか」

 

ミーニャの連発に、最後の特大のアル・シャマク。

シャマク一発でガス欠するスバルの体で、賄いきれるはずもない。

 

「でも、今後もそうするってわけにはいかないだろ?俺もお前の契約者って立場になったわけだし、当然、お前のためにマナは提供しなくちゃだよな」

 

「その点に関しては頼らせてもらうのよ。ベティーもにーちゃも、人工精霊は核となるオドから自然にマナを生成できないかしら。だから、大気や契約者からマナを分けてもらうしかないのよ。そしてベティーは、人からしかそれを分け与えてもらえないかしら」

 

「そうなのか。……じゃあ、屋敷にいたときはどうしてたんだ?」

 

「……や、屋敷にいたみんなから、ちょっとずつ勝手に貰ってたのよ」

 

さすがに罪悪感のある内容なのか、ベアトリスが顔を背けながら言った。

恥じている顔が、スバルがじっと見ている間にみるみる赤くなる。マナドレインが精霊の間でどんな意味合いを持つのかわかりかねるが、今のベアトリスの様子を見るにもちろんお行儀のいい行いではないということなのだろう。

 

「それに関しては、ベア子が深く反省している様子だから追及しないどこう。で、俺から回収する分で日常は賄うとして、貯めてた分はあとどれぐらい残ってるんだ?」

 

スバルのマナの貯蔵量はたかが知れていて、ベアトリスは燃費が悪い。

となると、必然的にベアトリスの強力な魔法の数々は、ベアトリスのこれまでの貯蔵魔力から少しずつ切り出して使うことになる。

故に、その残量を把握しておくことは必須。

 

「――ないかしら」

 

「……ん?」

 

「だから、ないのよ。四百年分の貯蔵マナ全部、この間の初陣でぶっ放したかしら。禁書庫の喪失でも結構持っていかれたし……最後のアル・シャマクがトドメなのよ。ベティーが貯め込んだマナは、空っ欠になったかしら」

 

それはつまり、こういうことだろうか。

 

ベアトリスの貯蔵魔力ゼロ。

スバルのマナ、ベアトリスという精霊を日々維持するのに精いっぱい。

燃費の悪いベアトリス、強力な魔法を使うだけのマナは貯まらない。またベアトリスとの契約により、スバルは微精霊の協力を得られない。

 

「ってことは……魔法使えない精霊と精霊使いのコンビが誕生しただけか!?」

 

「ま、まぁそういう風に言うこともできなくはないのよ」

 

「それ以外の何とも言えねぇよ!え?嘘、マジで!?」

 

結論から言って、つまりスバルは精霊使いとなったことで、幼女を手に入れたということだ。

 

「お前これ、急に先行き不安になったぞ!?大丈夫か!?」

 

「えへぺろ、かしら」

 

「笑えねぇよ!!」

 

新しく生まれた、二人足して半人前の精霊使いのコンビ。

その言い合う声が、墓所の中に長く長く、ずっと木霊していた。