『魔女教狩りの顛末』


「猿でもできる魔女教狩りの概要だけど、単純な話……白鯨と一緒だな。俺の臭いで他を釣って、フィッシュした奴を撃破する。簡単だろ?」

 

スバルの提示した草案の内容の軽さに、車座になっていた面々が一様に顔をしかめる。それはそれぞれ当惑であったり、憂慮であったり、不安であったり、横の人が変な顔をしているから真似してみたりだとか違いはあったものの、総じて根本の部分では同様の判断からきていた。即ち、

 

「知性のない獣と同じ扱いは危険じゃないのかい。いくらなんでも、魔獣と同じような手管で釣られてくれるほど易い相手じゃないだろう」

 

「易い相手なんだよ、これが。少なくとも、気配消せる的な実力者が俺の後ろからついてくるパターンなら、かなりの確率でいけるはず」

 

ユリウスの指摘にスバルは首を振り、以前の記憶を回想する。

魔女教が網を張る森の中、スバルの存在は彼らには手に取るようにわかられていたらしい。どんなルートを通るにせよ、奴らは必ずスバルの前に現れる。それはとりもなおさず、彼らが嗅ぎ取る魔女の残り香というものが、スバルの肉体から周囲に漂っていることの証左であるのだろう。

だが実際のところ、魔女教徒はスバルの存在に気付くことができても、それ以外の存在への探知は特別優れていないのではないか、という疑惑があった。

 

「魔女教の連中と俺が前に絡んだとき、あいつらは俺に夢中で後ろから飛んできた別の相手には気付かなかった」

 

スバルを取り押さえようと手を伸ばした魔女教徒が、鉄球に頭を砕かれた瞬間があったことを、曖昧な記憶の中にスバルはかすかに覚えていた。

――竜車から投げ出され、傷だらけになって呻き声を上げていたスバルを、レムが必死で魔女教徒から守ろうとしてくれたときの記憶だ。

 

あのとき、奴らはレムの存在に、先制攻撃を受けるまで気付くことがなかった。

それはスバルに意識を集中しすぎていたからというのもあるし、レムが山中で気配を消すのが得意な実力者であった点も多分に影響しているだろう。

つまり、

 

「俺って餌をぶら下げとけば、あいつらは視界に入ってこない他の人は目に入らない。それで森中のあちこちにいるはずの奴らを釣り出して、アジトを見つけ出す」

 

「そして見つけたアジトを急襲、か。――だが、異常はすぐに知れ渡る。そうなれば他のアジトの信者が動き出すのは明白だ」

 

「だから、数が必要だってんだよ。見つけたアジトを監視して、然るべき合図の後に一斉攻撃で一網打尽。どうよ?」

 

スバルが指を立てて提案を締めくくると、ユリウスは思案するように唇に触れる。その傍ら、フェリスは「にゃるほどねぇ」と感心したように頷き、リカードやミミといった傭兵団も一考の価値ありと感嘆していた。そんな中、

 

「ひとつ、気になるですけど」

 

と、言いながら小さく手を上げるのは小柄な獣人――ミミにそっくりな背丈と顔立ちの中、モノクルで片目を飾る愛らしい少年、ティビーだ。

ミミとヘータロー姉弟の末弟と紹介された彼は、姉や兄よりもさらに理知的な光を灯した目でスバルを見つめ、

 

「雇い主さんはとても魔女教の事情に詳しいご様子ですけど、それって信用してもいい情報なんです?相手はあの、不明不詳曖昧模糊の魔女教ですよ」

 

事情通過ぎるスバルに疑いの眼差しを向け、ティビーはそう疑心暗鬼を口にする。その彼のもっともな発言に、スバルは小さく渇く舌を鳴らし、

 

「あいつらとは、因縁があってよ。実際、そうやって腹探られるだろうってのは思ってた。思ってたけど……信じてもらうしかない」

 

説明することはできない。

死に戻りを語れば心臓が、それが己のものか相手のものかわからないまでも、この世の終わりのような苦痛を味わうことになる。

だから、それがスバルにできる精いっぱいギリギリのラインだ。これ以上を求められるのであれば、応じることはできないのだから。

 

そのスバルの答えを受け、ティビーはますます瞳を細めて、さらなる追及の言葉を口にしようとする。――が、

 

「正直、根拠もなく信じろとだけ言われてもですね……」

 

「なにをしんぱいしてんのかわかんないなー。もっとでっかくかまえてなよ、男の子だろー、ティビーはー」

 

と、そのティビーの姉が豪快に笑いながら、その後ろ頭を思い切りに叩いていた。

すさまじい破裂音がして、ティビーの首がもげそうなぐらいに前に傾く。そのままつんのめりかける後ろ首をミミが掴み、目を白黒させる弟と顔を向き合わせ、

 

「このおにーさんはアレだよ。あの、でっかい魚をやっつけるのにすんごいがんばったんだよ?あれだけがんばってた人が、ミミたちになにかひどいこととか考えてるわけないじゃんか。考えなくてもわかるよー、バッカだなー」

 

「お、お姉ちゃんは!」

 

首を振り、焦点を合わせたティビーが食い下がろうとするが、その出鼻をまたしても快哉に笑うミミが挫く。彼女は前のめりになるティビーの顔に、自分の額を出してタイミングを合わせ――激突、ティビーの目に火花が散る。

 

「ぁうっ」

 

「そーやって、いっつもいっつもこかざしい……ん?こかざ?こざか?こざこざしい……?」

 

「こ、小賢しいです?」

 

「そー、それ。そればっかりしてるとおっきくなれないぞー」

 

弟に頭突きした姉が、その弟のたんこぶのできた額を指で突き、さらにその顔を涙目にさせた上でちらとスバルを振り返る。

 

「ティビーはさっきの魚とたたかってないからなー。だから、あのおにーさんが信じらんないなのかもだけど、そんならお姉ちゃんを信じればいーよ」

 

「…………」

 

「お姉ちゃんが、おにーさんを信じてるから、ティビーはお姉ちゃんを信じてついでにおにーさんも信じてみなよ。もしもなにかあっても、ティビーだけはお姉ちゃんが守ってあげるしー?」

 

笑いながら弟の肩を叩くミミ。その言葉にティビーは少しの間だけ驚いたように目を見開いていたが、すぐに毒気を抜かれた顔で吐息を漏らす。

そのティビーの態度に、二人のやり取りを見守っていた周囲の人々も破顔。思わず笑い声が溢れ出す中、不思議そうな顔でミミが首を傾げ、

 

「どーしたの?」

 

「気にせんでえーわ。ってか、お前はそのまんまでえーよ。よー言うた」

 

大きな掌が真上から、ミミの小さな頭をすっぽりと覆って乱暴に撫でる。

首をぐりぐりと回されながら、それでもくすぐったそうに目をつむるミミを、リカードはひどく楽しげに撫でくり回して、

 

「気になることはあるっちゃあるんやけど、事ここに至って兄ちゃんを疑うんはちゃうやろな。その段はとっくに抜けたっちゅー話や」

 

唖然と、それら状況の流れに置いてけぼりのスバルにリカードがウインクする。そのリカードの態度に追従するように、「そうですな」とヴィルヘルムが頷き、

 

「私の宿願が果たされたのも、スバル殿の協力あってこそ。なればこそ、スバル殿の嘆願に私が応じるのは必定。疑いを抱くことも、疑念を生ずることも無用です」

 

「俺、は……」

 

ヴィルヘルムの信頼を預けてくる眼に、スバルは唇を震わせる。

言い訳が出てこない。全てを話すことができない。そんなスバルを、それでもヴィルヘルムは、リカードは、ミミは信じてくれるという。それは、

 

「それが、スバル殿がやり遂げた結果から生じた信頼です」

 

事情を話せないスバルを、それでも彼らが信頼するに足るだけの実績。

レムがスバルをどうしたって信じてくれたように、今の彼らもまたスバルの言葉の真偽に戸惑いこそすれ、その真意に疑念を抱くことはない。

 

『死に戻り』を繰り返し、その果てにスバルがようやく得た、未来の情報を彼らに伝えるひとつの方法――それが今、目の前にこうして繋がっていた。

 

※ ※※※※※※※※※※※※

 

『べ、別に信じてもらえたからって嬉しくないから。これは嬉し涙じゃなくて、お気に入りのアニメの最終回を録画しそこなったときのことを思い出して出てきた涙なだけなんだから、喜んでるとか誤解しないでよねっ』

 

――と、彼らとのやり取りの果てにスバルが照れ隠ししたのは別の話であるが、そこからの魔女教狩りの作戦は速やかに打ち合わせ通りに実行された。

 

メイザース領に入り、おそらくは魔女教が潜伏しているはずの森へスバルが単身で侵入。その背後から、ミミやティビー、ヴィルヘルムといった隠密技能に優れた面々がつかず離れずで尾行する。

スバルの臭いに引かれて魔女教徒が姿を見せれば、彼らに案内させてアジトを発見し、討伐隊の一部を伏せて配置し、それを繰り返す。

 

「ペテ公が言ってた話を鵜呑みにするなら……アジトの数は、たぶん十個」

 

自分の部下の存在を、ペテルギウスは確か『指先』と称していたはずだ。

スバル奪還のためにレムが戦い、壊滅させたグループを『薬指』と呼んでいたことも記憶に残っている。それが正しければ、ペテルギウスの潜伏先も含めて、今回の魔女教は十個の小規模集団に分割されているはずである。

 

そして実際、スバルの体臭をばら撒きながらの森林徘徊の甲斐もあり、見事に七つまでのアジトを発見するには至った。

しかし、残りを二つとした時点で日がかなり高いところまで昇ってしまい、これ以上時間をかけては伏兵に置いてきた面々の存在が露見しかねない。

その判断の下、いくらかの不安を残しつつ、スバルは見覚えのある林中を進み、ペテルギウスが待つ断崖へ。そこで、件の『怠惰』と相対し――、

 

「やったか!?」

 

飛び込んできたヴィルヘルムの斬撃が走り、ペテルギウスの細身が背後から斜めに両断される。肩から腰までを撫で切りにされたペテルギウスは驚愕に顔を歪め、その血走る瞳でスバルを睨みつけ、

 

「まさ――」

 

そのまま、狂人がなにを口にしようとしたのかはもはや永遠にわからない。

弧を描き、血を払いながら風を破る銀閃が横一線に振り切られ、狂人の首が血の噴水をぶちまけながら軽々と空へ吹っ飛ぶ。

 

目の前で首が飛ぶスプラッタな光景にスバルが絶句。直後、真上からさらに飛び込んできた巨躯が、その両手で振りかぶった長大な鉈を一気に振り下ろし、首を失って崩れ落ちる胴体を汚い切れ味で押し切り潰した。

肉が地と鋼に挟まれてひしゃげる音が盛大に響き、水音が鳴るのを聞いてスバルの喉を嘔吐感がせり上がる。口の中が焼かれるような液体を、どうにか外に吐き出すのだけは根性で堪えて、その場にしゃがみ込んだスバルは涙目で顔を上げ、

 

「お、終わった……よな?」

 

「これで終わってへんなら、魔女の恩恵ってやつをワイも信じる気になるやろな」

 

スバルの恐る恐るの問いかけに、鉈を肩に担いだリカードが応じる。刃先についた肉片を指でこそぎ落とす姿から目をそらし、スバルは足下――そこに、もはや原型をとどめていないペテルギウスの亡骸を見た。

ここまで人体が破壊されてしまうと、いっそ作り物の感があって現実味に乏しい。かえって嘔吐感が遠くなる感覚に安堵しつつ、

 

「他のみんなは、うまくやってくれてっかな」

 

「大罪司教が本命とはいえ、主力がこちらに集まりましたからな。――もっとも、フェリスとユリウス殿ならば指揮に問題はないでしょう」

 

はね飛ばした首を確認し、戻ってきたヴィルヘルムは小さく肩をすくめる。

そう老剣士が太鼓判を押してくれてはいるのだが、スバルとしては不安が尽きない。数はこちらが勝り、さらにアジトを見つけた上での奇襲だ。手加減抜きでかかるよう指示しておいたし、基本は生き埋め優先なのだから問題は生じにくいはずだが、

 

「魔女教徒、わりと武闘派揃いなんだよ。レムでも苦戦するレベルで」

 

「フェリスはんはともかく、ユリウス坊なら問題ないやろ。あれとまともにやり合えるんは、ワイらの中でもヴィルはんとワイくらいやしな」

 

「……そうか、あいつそんな強いのか」

 

リカードの答えに、スバルの心中はやや複雑だ。

頼りになる味方という意味で、ユリウスが強いのは大歓迎なのだが、いまだに根強い苦手意識がそのあたりを微妙に受け入れ難くしている。

ともあれ、

 

「こっちの穴は塞がったし、増援ないよな?」

 

「ボクとお姉ちゃんの共振波で、崖下の洞穴は完全に倒壊しましたです。中に誰かいたんならお気の毒ですです」

 

崩落し、埋もれた洞穴を確認していた獣人姉弟が戻ってくる。ティビーの報告を受けて、スバルは改めてこの場の危険が排除されたことに安堵。

それから片目をつむり、ペテルギウスだったものの残骸に目を向け、

 

「想定外からの奇襲で一気に片付ける。――正直、どうかとは思う手段だったけど、悪く思うなよ。お前の方がよっぽど、クソ野郎なんだからな」

 

この世界においては未遂に終わったことだが、それでもペテルギウスの行いはスバルにとって許し難いことだ。聞けば、『怠惰』を名乗るこの男はこれまでにも世界の各地で同じような被害をいくつも起こしている。情状酌量の余地などあるはずもない。

 

崩落の下敷きになった魔女教徒も、そのあたりは同罪といえるだろう。

振り返ると、彼ら自体にスバルが危害を加えられた覚えはないが――レムが、あれほど傷付けられたことを思い出せば、沸々と沸き立つ怒気がスバルにもあった。

 

「魔女教徒ってのは……」

 

「うん?」

 

「こいつらってのは、なにをしたくてこんなことしてんだろうな。魔女なんて、世界中から嫌われてるわけわかんない存在だってのに」

 

ぽつりと、スバルが呟いた疑問に全員が首を傾ける。

スバルに同行し、ペテルギウス討伐に付き添ったのはこの場の四人のみだ。ヴィルヘルムは難しげに眉を寄せ、リカードは興味薄そうに鼻面に皺を集めた。そしてミミは朽ちたペテルギウスに足で土をかけていて、口を開いたのは残されたひとり。

 

「破滅願望でもあるんじゃないです?そうでないなら退廃的な思考か、世界で一番自分たちが不幸だと思い込んでいて道連れが欲しいとかです?」

 

「ネガってんなぁ。欠片もわからねぇ……とは、口が裂けても言えねぇけどさ」

 

破滅願望は、全てを巻き込んでなにもかも有耶無耶にしてしまいたいという気持ちは、絶望的な状況に追いやられた人間なら誰しも思い当たる節があるだろう。

特段、スバルはその傾向が強かったから、わからないでもない。

 

そんな感傷的な言葉を口にするスバルを、「おいおい」と手を振りながらリカードが鋭い眼で射抜き、牙を剥き出し、

 

「あかんぞ、こんな奴らに同情なんぞ。こいつらとはな、気持ちひと欠片、髪の毛一本ほどもわかり合ったらあかんねん。せやないと、仲間や思って引き込まれんで」

 

「そこまでだいそれた話してねぇよ。完全に考えてることの一個もわからないような奴らが同じ人間にいると思ったら恐いじゃねぇか」

 

「せやから、それが間違いや」

 

抗弁するスバルの額を指で突き、リカードはその指で洞窟を、そして土の下に埋もれていくペテルギウスの亡骸を示し、

 

「同じ人間、と思ったらあかんのや。ワイらとこいつらとは別の生き物や。せやからわかり合えんし、言葉も通じひん。理解なんぞ求めると、『福音』が届けられても知らんで」

 

「福音……お前、なんか知ってるのかよ」

 

幾度も、その単語はペテルギウスが口にしてきたものだった。

『福音』――それをスバルはペテルギウスが手にしていた、黒い装丁の本のことだとばかり思っていたのだが、

 

「魔女教狩りに乗り気だったのも気になるし、お前もあいつらと因縁あるのか?」

 

「……あんな、兄ちゃん。知らんようやから言っとくけど、魔女教と関わらんようにするのも、あいつらを理解しようとすんな言うのも、常識や。魔女が散々嫌われとんのとおんなじ、一般常識や。福音も、そんな小難しい話やない」

 

首を振り、リカードはスバルの問いかけを面倒くさそうにかわす。その態度にスバルは物申そうと口を開きかけたが、それに先んじてヴィルヘルムが、

 

「福音、というのは魔女教の教徒のいずれもが手にする……そうですな、教典のようなものと言ってもいいかもしれませんな」

 

「教典……?」

 

「なんぞ、魔女教に入る見込みがある奴のとこに送られてくるんやと。そんでもって、それを手にしたら最後……あら不思議、魔女信奉者の出来上がりっちゅうわけや」

 

「な――ッ!?」

 

おどけた仕草で語ってみせるリカードに、スバルは思わず絶句する。

その言葉を深読みすればそれはつまり、『福音』と呼ばれる書を送りつけられた人間が、その書によって洗脳されて意に沿わない形で魔女教に加えさせられている可能性があるということではないのか。

 

「もしそうなら、生き埋めになった連中はとばっちり……」

 

「スバル殿、それは違います」

 

慌て、顔を蒼白にするスバルを、ヴィルヘルムが口早になだめる。彼は目を泳がせるスバルを安心させるように深く頷き、

 

「『福音』が届いた時点で、そのものはすでに後戻りができないのです。そして、それを開いた時点で当人の意思は明白。洗脳されているなど、そんな救いは連中にはありませぬ。あなたには、相対した大罪司教が正気に見えたのですかな?」

 

「い、いや、それはないけど……あれは例外って気も」

 

常軌を逸したペテルギウスの態度は、洗脳とはまた別の意味合いで魔女教の汚染度が心配される。正直、それを根拠に納得を導き出すのは至難だが、それでもヴィルヘルムが気休めを口にするとも思えず、スバルは生じた懸念を呑み込んで、忘れる。

 

「ねーねー、もーいーんじゃないの?ここでぺちゃくちゃしててもしょーがないし、そろそろみんなのとこに戻ろーよー」

 

と、ここまで会話に参加していなかったミミが焦れてそう言い出した。

彼女は下履きの尻部分から出ている尻尾を振りながら、ペテルギウスの死体を完全に簡易埋葬し終えると、その場でぴょんぴょんと跳ね、

 

「敵はもうぶっころしたんだしさー、ほかのみんながぶっころせたかどーかたしかめにいかなきゃじゃんかー。ねー、そーしよーよー!」

 

「喋り方間延びしてんのに落ち着いて聞くとかなり物騒だな、お前。見た目の愛らしさと相まってわりと俺はカルチャーギャップ受けてるぞ」

 

「えへへー、かわいいとか照れるー」

 

都合のいい部分だけ聞いて、照れるミミに吐息を漏らしてスバルは振り返る。

洞窟は完全に沈黙し、ペテルギウスの亡骸が再生を始めるような衝撃的な気配もとりあえずはない。かなり拍子抜けする状況ではあるが、ミミの言葉通り――この場でできることは、そして少なくとも今日この日の魔女教徒の対決は終わりだ。

それも、スバル側の完全勝利というこの上ない形で。

 

「いやでも、そんなうまくいくと思うか……俺だぞ?これまでどんだけ誠心誠意頑張って裏切られてきたと思ってやがる。そんなうまい話が……なにか、落とし穴が必ずどこかに……」

 

「なにを疑心暗鬼になっとんねや。はよ行こうや。待ちぼうけさせてまうで」

 

ぶつぶつと、己の戦果が信じ切れないスバルにリカードが呆れ顔で言う。

その彼の呼びかけに「お、おう」と微妙に信じ切れない未練を残しつつ、スバルは歩き出した彼らに続いてその場をあとにする。

ぐるりと森を周回し、それぞれ配置してきた仲間たちと合流しなくてはならない。彼らの無事が確認できて初めて、今回の戦いを勝利という形で締めくくれるのだから。

と、

 

「――といなくなったと見せかけて、復活してるとかいうフラグじゃね!?」

 

走って戻ってきたスバルが砂煙を立ててスライディング。

顔を上げる正面、ペテルギウスの粗末な墓はそのままで、下から這い出してきた気配もない。復活フラグ、なしと見た。

 

「ふぅ、あるわけないよな、そんな三流ホラー」

 

「さっきからなにをやっとんねん!とっとと戻らんとえーかげん怒るわ!!」

 

疑心暗鬼の抜けないスバルを殴りつけ、リカードが乱暴にその体を肩に担ぐ。

長身の獣人に担がれて、今度こそスバルはその場を離れた。

今度こそ。そして――、

 

「おにーさんがうるさいから念のためー」

 

と、ミミが放った魔鉱石がペテルギウスの墓を爆砕。

今度こそ憂いなく、魔女教大罪司教『怠惰』のペテルギウスは粉々になったのだった。

 

※ ※※※※※※※※※※※※

 

「その様子なら、どうやら無事にそちらも片付いたようだね」

 

森を渡る中途で待機させていたパトラッシュを拾い、その背にまたがるスバルを見上げてユリウスは口元に微笑を刻んでいた。

ほう、と軽く息をつくユリウスの前髪はかすかに乱れ、その荘厳な近衛騎士の制服には返り血がいくらか散っている。手にした細身の剣の刀身を拭く姿を見るに、どうやらこちらでは先制攻撃からの圧勝とはならなかったらしく、

 

「君の合図が空に上がった時点で、折悪く四名ほど外に出ていたところでね。仕方なく、潜伏場所の破壊と信者の始末を同時にやらざるを得なかった。この場にいたのが私でよかった、というべきだろう。フェリスでは少々、面倒になったはずだ」

 

言いながら、拭き終えた剣を鞘に収めるユリウス。彼が首をめぐらせた先には、前述の通り四名の黒装束の亡骸が転がっている。

優雅な彼の態度を損なわない、丁寧に一撃で始末された死体たちだ。それぞれが首や胴の一ヶ所を貫かれ、そこから血を流して倒れ伏している。スバルの記憶ではそれなりに手練れのものたちだったはずなので、ユリウスの実力の高さがそれとなく証明された形となっていた。

 

「それで、大罪司教は?」

 

「ヴィルヘルムさんが首をはねて、リカードが胴体は叩き潰した。そのあと、小猫の姉が悪ふざけで死体も粉々に吹っ飛ばしたから確実だよ」

 

さすがのスバルも墓まで粉微塵にされたのは驚かされたが、その行いもスバルを思ってだと言い切られてしまえば文句も言いづらい。言ったけど。

ちなみに全員から容赦なく叱られた姉は完全に拗ねてしまい、今は唇を尖らせて弟の背中の上で丸くなっている。負ぶらされている弟は完全にとばっちりだ。

 

しみじみとスバルが頷いていると、ユリウスはその視線をこちらの背後――ヴィルヘルムへ向ける。その意味ありげな目配せを受け、ヴィルヘルムは「間違いありませんよ」と静かな声で応じ、それを受けて初めてユリウスは相好を崩すと、

 

「ふむ、安心したよ。ヴィルヘルム様がそう仰るなら間違いないだろう。少なくとも、この場における魔女教の指揮官は打破できたようだね」

 

「お前、俺の答えを信用してなかっただろ!?俺だって遊びじゃねぇんだからちゃんと目を皿のようにして確認したわ!むしろ二回も三回も見たわ!」

 

「すまない、謝罪しよう。と、謝ったところで切り替えていこう」

 

「お前が切り替えるんじゃねぇよ。そういうとこが嫌いなんだ!」

 

地団太を踏み、ユリウスの超然とした態度に怒りを露わにするスバル。そんなスバルをユリウスは生温かいものでも見るように横目にして、それから周囲を見回しつつ、

 

「リカードの姿が見えないが、彼は?」

 

「あの似非コボルトならフェリスのお出迎えだよ。とりあえず森の中で戦闘の気配は現状ないってヴィルヘルムさんが言うもんだから、手分けして迎えに行った方が早いと思ってよ」

 

最悪、戦いの気配はすでに戦闘が終了してしまっているパターンも考えられる。

その場合、戦闘力に乏しいフェリスを含めたグループが、一瞬で壊滅させられているというようなとんでも事態になるが。

 

「ま、そうならないためにフェリスのとこには実力者を集めてもらったしな。これでいくらあいつが回復特化型で攻撃方面はてんでダメでもどうにか……」

 

「わざわざ気遣ってくれちゃってア・リ・ガ・ト♪」

 

ふ、と背後から耳元に息を吹きかけられて、スバルの手足が衝撃にピンと伸びる。ちらと目だけで振り返れば、すぐ間近に可愛らしい小さな顔がこちらを見つめており、それが男だとわかっているだけに赤くなるどころか顔が青くなった。

 

「ホントに誰得だよ、これ。やめろ、マジやめろ。振りじゃねぇぞ、次にやったらその可愛い横っ面に必殺パンチぶち込むからな。ビッグバンインパクトするから」

 

「もう照れちゃって、きゃーわいいんだから。心配しなくても、スバルきゅんのフェリちゃんはちゃーんと戻ってきてあげたからネ」

 

ウインクと投げキッスを一緒に差し出してくるフェリスにげんなりし、肩を落としながらスバルは彼の様子をとりあえず確認。ざっと見たところ、彼の姿に別れたときと違いはない。ユリウスと違い、そちらは万事うまくやれたようだ。

一緒に戻ってきたリカードに、フェリスと同行していた他のメンバーも続いてきている。これでどうやら、

 

「全員、無事に合流……失敗したとことか、ないよな?」

 

「ここを含めて、戦闘が二ヶ所で発生したようだけれど、問題はなしだ。さすがはヴィルヘルム様の旗下で鍛えられた方々だ。地力が違う」

 

フェリスに同行したのは特に、その中でも選りすぐりのメンバーだったと聞いている。『青』の二つ名を持つフェリスの技術の希少さからすれば当然の扱いだが、それならそれで前線に惜し気なく送り出すクルシュの思惑もイマイチわからない。

 

「それが、クルシュ様の誠意ってことだヨ。言わせんな、馬鹿」

 

「む……」

 

と、そんなスバルの思惑は完全に顔に出ていたらしく、こちらの考えを完璧に読みとったフェリスにそう罵倒される。

ともあれ、

 

「魔女教の大半は壊滅ってとこだが……問題は、あと二つのアジトが見つかってないことだ。頭は潰したから、楽観的に考えれば手を引くと思うけど……」

 

「相手は魔女教や。普通に考えるんわ、やめといた方がえーやろな」

 

スバルの懸念を肯定するように、腕を組んだリカードがそう口にする。どうやら周囲の意見も彼に賛成らしく、その表情を厳しくして重々しく顎を引くものが多い。

実際、スバルもそれら不確定要素を放置したまま事を終えるのは論外と考えていた。故にそれらに対しても堅実な対処を選ぶ。

 

「森を探って、残りの魔女教も狩り出そう。皆殺しにしようって乱暴な話じゃないけど……少なくとも、捕まえてみる価値はあると思う」

 

「自決される可能性が高いとは思うがね。……これまでもずっとそうだった」

 

甘すぎるスバルの認識を改めるように、ユリウスは静かな声でそう告げる。それに息を呑むスバルに、しかしユリウスも苦しげな色を横顔に浮かべて、

 

「殺さずに済むのなら、そうするのがいいに決まっている。捕縛を最優先に、残りの教徒を捜索するのは賛成だ。だが、ロズワール様に事の次第を伝えにいってもいい頃合いであるとも思うが、どうだろうか?」

 

「……ああ、そっか。そうだよな」

 

その提案に、スバルは完全に頭からすっぽりと抜け落ちていた現実を思い出す。

あえて、スバルは真っ先に屋敷へと駆け込み、エミリアを危機から遠ざけるという選択肢を選ばず、魔女教の速やかな排除を選んだ。それは未来を変えすぎることで、ペテルギウスの襲撃の有無を既知の状態からずらさないためという要素が大きい。

そして、今は見事にそのペテルギウス本人を打倒したのだから、

 

「俺、屋敷に戻っても、いいのか……」

 

ぽつりと、そう口にした途端、ふいの現実感がスバルを襲う。

顔に血が上り始め、久しく意識していなかった感覚が全身をひどく熱くした。

 

今なら胸を張って、屋敷に凱旋することができる。

手柄を誇ってエミリアの前に顔を出し、数日前の無様や信頼を裏切るような数々の振舞いを謝罪することだってできる。あのときは自分のことしか考えていなくて、ひどく無意識に傷付けた彼女に、心の底から謝罪を告げることが。

そして仲直りして初めて、スバルは改めてエミリアとの関係を始められるのだ。

 

「やべ、滾ってきた。そうとなれば一刻も早く屋敷に帰りたい。ゴーホーム!ヤンキーゴーホームだよ!」

 

「いきり立つのは自由にゃんだけど、こっちの話も優先してネ。で、実際のところどーしちゃう?魔女教の連中だけど、さ」

 

じたばたと辛抱たまらなくなるスバルを見て、フェリスが意地悪げに目を細めてたしなめる。うぐ、と口ごもるスバルに、仕方ないと首を振ったのはユリウスだ。彼は指をひとつ立てると周囲の視線を自分に集め、

 

「こうしよう。ロズワール様の屋敷に向かうものと、このまま森の中の魔女教を捜索する二つの組に分かれる。屋敷へは使者として、なにより関係者としてスバルが向かうべきだろう。道中、魔女教に襲われないとも限らない。ヴィルヘルム様と、数名が護衛につけば十分。残りは私やリカードを筆頭に森の探索、どうだい?」

 

速やかにまとめてみせたユリウスが、最後に確かめるようにスバルを見た。

手間を省いてあげた、と言わんばかりの顔つきにいらない反骨心が湧くものの、スバルはそれを深呼吸で堪えて、

 

「それでいこう。ユリウスの手筈通り、みんな頼む」

 

「わかりました」

 

スバルが頼み込むと、老剣士が頷いて応じる。

それを皮切りに周囲の面子も次々と賛同し、この場はそれで収められた。

そうして全員の意思が統一され、皆がひと塊となったところでふいにユリウスが手を上げ、「いいだろうか」と前置きし、

 

「私はユリウスではなく、流れの傭兵のユーリだ。そこだけ間違わないように」

 

「もう今さらその設定誰も覚えてねぇよ!!」

 

と、全員の意思が統一された叫びが森の空に木霊した。

 

※ ※※※※※※※※※※※※

 

「ヤバい。なんか心臓バクバクしすぎて吐きそう」

 

もたれかかり、弱気にそう呟くスバルにパトラッシュが小さく嘶く。心なしか嫌そうな態度なのは、背の上のスバルが真面目に嘔吐感を覚えているのが賢い彼にはわかったからだろう。それでも振り落とさずにいてくれているのが、二人の間に培われたせめてもの信頼感といったところだが。

 

「乗り慣れていない地竜の疲れが、安心してドッと出ましたかな?」

 

「それもあるかもだけど、たぶんそれとは別。……ぶっちゃけ、エミリアたんと顔を合わせること考えたら恐さが炸裂してきた」

 

なにせ、思い返せば最悪の別れ方をしているのだ。

スバルからすればもはやそれも二週間以上前の話であり、あの瞬間の激情はかなり消化されてきている。が、エミリアにとってはほんの四日前。スバルと違ってその後、彼女に劇的な心境的変化が訪れているとも思えない。

それは前回のループ、その折に彼女と触れ合ったわずかな時間で確認済みだ。そのときにスバルがやらかした、最悪のミスについても同様に。

 

「経緯を詳しくは知りませんが、確か喧嘩別れなされていたとか」

 

「そのものズバリですけど、キツイなー。なんですよ。なんですんで、顔を合わせるのが気まずいんです。うう……胃が、胃が痛い。あと胸が痛い恋心で」

 

「白鯨に挑むときより辛い様子ですな。気持ちはわかりますとも」

 

軽口でどうにか気分を誤魔化そうとするスバルにヴィルヘルムは微笑。その柔らかな態度に意外なものを覚えて、スバルは「へえ」と感嘆をこぼし、

 

「ヴィルヘルムさんも、やっぱ奥さんと喧嘩したときとか気が重かった?」

 

「それはもちろん。私の場合、妻を怒らせると物理的に勝てませんでしたからな。よく強制的に斬り伏せられたものです」

 

「やっぱ剣聖って半端ねぇな!?」

 

「そのあとは力ずくで腕に抱いて、怒りが溶けるまできつくしていたものです」

 

「やっぱ奥さんネタエグイとこくるな!?」

 

復活の嫁話に油が乗り、ヴィルヘルムはどこか晴々しい顔だった。

その振り切った態度に羨望を抱き、スバルは自分の頬を思い切りに叩く。こうして先達がわざわざ固くなった心を解そうと気遣ってくれているのだ。その思いを無碍にするなど、それこそ男児として失格だろう。

 

「まさか本気で奥さんネタを今後も押していく天然なわけじゃないよね?」

 

「なにを仰っているのかわかりかねます。――おや」

 

恐々としたスバルの問いかけに、ヴィルヘルムは素知らぬ顔で応じる。と、それからふと、前を見る彼の目が細められた。

その視線を追い、スバルはいつの間にか道幅が広がり、正規の街道――屋敷と村へ繋がる道に入り、それも村が見えかけてくる位置にいるのだと気付く。

ヴィルヘルムの視線の先、その件の村の入口がわずかに覗けていることにも。

 

「あの村が屋敷に一番近い村ッスよ。って、ヴィルヘルムさんは知ってるのか」

 

「ええ。一度、フェリスとともにお屋敷にお邪魔しましたからな。村も横切りはしましたが……妙ですな」

 

依然、目を細めたままにしたヴィルヘルムは、わずかに緊迫感をその全身から発し始めていた。その不穏な様子に不安を掻き立てられて、スバルは嫌な予感が腹の奥底から浮かび上がってくるのを感じ、

 

「ど、どうしたんですか、なんか変なことが……」

 

「竜車がやけに多く、村に止まっています。――スバル殿、ここでお待ちを。様子を見て参りますので」

 

言い置き、ヴィルヘルムは同様の言葉を同行する部下たちにもかける。

それから軽く地を蹴ると、その身が風に乗ったような速度で道を飛び越え、すぐさま滑るように村の中へと飛び込んでいった。

 

そうして、ヴィルヘルムが中に駆け込んでからおおよそ三分。

回避したはずの異変が再び襲ってきたのではあるまいか、と内心の不安にスバルは歯の根を鳴らす。脳裏に過るのは二度も見た村人たちの凄惨な死に様であり、なにも映さない少女――ペトラの顔がはっきりと焼き付いている。

もう、あんなのは二度とごめんだ。それなのに、それを回避しようと頑張ったのに、いったいどうして――。

 

「スバル殿」

 

と、目をつむって半泣きになりかけるスバルを、騎士のひとりがふいに呼んだ。思わず顔をそちらへ向ければ、彼は村の方を指差してなにかを示す。つられて指の先を追いかけると、村の入口でヴィルヘルムが手を振っているのが見えた。

その姿には先ほどの緊迫感など微塵も見当たらず、慌ててそこへ駆けつけてみて、スバルにもその理由がようやくわかった。

 

村の中には多数の、二十台以上の竜車が並べられている。当然、それを引く地竜と御者もセットで村に入っている状態だ。

その見覚えのない竜車の群れがどこからきたのか、その理由は――、

 

「ああ、そっか。俺の保険じゃねぇか」

 

「そのようですな。王都を出た時点で、これを?」

 

「うん。アナスタシアとラッセルさんにお願いして、ちょいとな」

 

立ち並ぶ竜車の群れの圧巻さに苦笑いして、スバルは村の中央を見る。そこにはどうやら竜車の群れの代表者と、村の代表者が言い合いをしている光景が広がっていた。

おそらく、話が通っていない両者の間で意見が割れているのだろう。竜車の群れの到着がスバルの想定通りだとすれば、うまく話を運ばせるには少々の時間が必要なはずなので、今はまさに仲裁が必要なタイミングといえるだろう。

 

「タンマ、タンマ!はい、こっち注目!お互いに色々と言いたいことはあるだろうけど、まずは俺の話を聞いてくれ!」

 

パトラッシュから降りてそちらへ駆け寄り、剣呑な雰囲気になりそうな両者の間へスバルが割って入る。

言い合っていたのは二人の男女で、とりあえずは剣幕の強めだった男の方を振り仰ぐ。と、スバルはその人物を見て思わず「あ」と小さく声を漏らした。

見覚えのある顔だったのだ。確か、一番最初のループのときにスバルにオットーを紹介してくれた人物であり、

 

「名前はえーっと、忘れちまったけど……あんた、王都の組合からのお触れでここにきた行商人で合ってるよな?」

 

「そうだけど……お前は?行商にしちゃ、見ない顔だが」

 

「俺はどっちかってーと、雇い主側だよ。ちょい手違いで話が通ってないんだわ。俺がうまいこと上にも中にも通してやっから」

 

頼んだはずの親書が屋敷に届けられていれば、ここまで混乱は起きていないはずなのだが、おそらくはまだエミリアの手元には上がっていないのだろう。

彼女が状況を知っていれば、最善の判断をしてくれているはずなのだから。

 

「ま、そんなわけで、ストッププリーズ」

 

言い募ろうとする男を制し、スバルはさりげなく周囲に目を配る。ひょっとしたら接点の多かった商人、オットーあたりも紛れていないかと思ったのだが、彼の姿はちらと見渡した限りでは見当たらず、少しばかり残念な気持ちを味わった。

それから振り返り、スバルは今度は女性に向き直る。村側の代表として立っているらしき彼女は、赤みがかった茶髪をやわらかに伸ばしたつり目がちな人物で――。

 

「とりあえず、話を聞いてくれや。この一度見たら忘れられない、親しみ深い三白眼の持ち主に免じて――あんた、誰だ?」

 

そのスバルの言葉に、目の前の女は意味がわからないとでも言いたげに眉を寄せた。

だが、その彼女の反応の方こそスバルには理解できない。なぜなら、

 

「俺はこの村の人間は全員、顔を知ってるし、知られてる自信がある。だってのに、俺はあんたの顔を知らないんだが……代表面してここに立ってるあんたは、誰だ?」

 

逸る気持ちに急き立てられて、スバルは口早にそう問い詰めた。

そしてそれは今日という日のこの瞬間に至るまで、気を引き締め続けてきたスバルにとって、最初にして痛恨の失言であった。

 

――ふいに爆発したように、目の前の女の影が急激に膨れ上がる。

 

「――な!?」

 

その見覚えのある光景にスバルは絶句し、そして気付いたときにはすでに遅い。

膨れ上がった影は空に上がると、渦を巻くように広がり始めて、糸がほどけるように幾重もの黒い魔手へと形を変え――視界に映るあらゆる人々へ襲いかかった。

 

集まっていた行商人たちも、遠巻きに様子を見ていた村人たちも、スバルの異変をいち早く察して駆けつけようとしたヴィルヘルムやその部下も、そして目の前で起きた事象にただひとり気付いていながら、硬直してチャンスを見逃したスバルも。

 

全員の首に黒い腕が巻きつき、その動きを完全に封じ込んでいた。

 

「こんなはず……だって、これは……」

 

喉が圧迫される強烈な力に喘ぎ、スバルは額をドッと汗で濡らしながら驚愕に全身を貫かれていた。

この現象は、この事象は、まぎれもなく、仕留めたはずの――。

 

「あぁ――脳が、震、える」

 

ぽつりと、目の前で、ひとりの女がそう呟くのをスバルは聞いた。

 

愕然と目を見開き、スバルは眼前の相手を見つめる。

手を伸ばせば届きそうな距離で、顔を俯ける女が持ち上げた指を口に含み、ひどく乱暴にその先端を噛み潰した。血が滴り、その所業に動きを封じられた誰もが息を呑む中、異様な静寂の世界の中、女が顔を上げた。

 

その口元を血で染めた、凄惨な狂笑で飾りながら――。

 

「ワタシは魔女教大罪司教……」

 

ケタケタと、ケタケタと。

 

「『怠惰』担当――」

 

狂笑が、哄笑が、嘲笑が、響き渡り――。

 

「――ペテルギウス・ロマネコンティ、デス!!」

 

殺したはずの男の名を、高らかに女が名乗るのを聞いた。

 

ケタケタケタケタと、狂笑が響き渡っている。

 

ケタケタ、ケタケタと。

 

――ケタケタ、ケタケタ、ケタケタケタケタケタケタ。