『不老不死の実験』


 

――不老不死。

それは、古今東西、ありとあらゆる物語の中で掲げられる、命あるものにとって思いつく一つの理想だ。

 

永遠に老いず、永遠に朽ちず、輪廻転生に交わらず、延々と『自分』という存在を継続し続けること。それは命の理に背くとわかっていても、多くの人を魅了してやまない個という生命の到達点なのだ。

 

「不老不死……ね」

 

ぽつりと、繰り返すようにその単語を口にして、スバルはそのあまりに現実味のない言葉に笑ってしまいそうになる。ただ、頬は引きつり、正しく笑みを作ることはできなかった。

馬鹿馬鹿しいことだと笑い飛ばしたい一方で、魔女の実験が決して絵空事でないことを事実として知る心が戦慄を隠せない。

 

「案外、魔女も俗っぽいこと目的にするもんなんだな。不老不死なんてもんはもっとこう……自分のちっぽけな命に執着する小者が目指すイメージなんだが」

 

「命を惜しむことを小者と思うかどうかは個人の感覚じゃろうが、少なくとも『強欲』の魔女は己の命に関して、達観した見方をしていたわけではなかったようじゃな。当たり前のように死を恐れて、それを克服するために手段を講じた。……大抵の場合、それは力不足と能力不足で単なる夢物語で終わるはずじゃが」

 

「厄介なことに、エキドナは十分能力があった。講じる手段もいくらでも思いついたかもしれない。その賢い頭で考え付いたのが、これか」

 

隣に座るピコを見下ろし、スバルは何とも言えない感情に唇を噛む。

見下ろされるピコは、そんなスバルの視線に何ら反応を見せない。黙って、何かしらの言葉をかけられるのを待つように待機状態を維持し続けている。

その姿を見ていて、スバルは「あぁ」と息が抜けるような音を出して、

 

「そうか。中身がないってことは……人格がないって、そういうことなんだ」

 

「操り人形めいた状態。まさしく、準備されたまっさらな器の状態じゃな。あとはそこに、望んだものを盛り付けるだけで念願が叶うところじゃった」

 

「でも実際、そんなうまくいくもんなのか?そりゃ理論的なもんはわからないけど、大雑把にはやろうとしたことのイメージはつくさ」

 

空っぽの器の中に、自分の記憶と知識をダウンロードして上書き保存する。

これがデータか何かであれば、スバルとてここまで忌避感を示しはしないだろう。

だが今、話題に上がっているのは一人の人間としての人格そのものの話だ。それも、スバルにとっては見た目も中身も、知っている人間のものである。

 

「記憶を自分から抽出して、それを空っぽの体に流し込む。成功して、それが体が朽ちそうになるたびに繰り返せるってんなら、それは確かに一種の不老不死だよ。だけど……」

 

人格と、記憶と、それを引き継ぐという可能性は確かに『死』の克服に近い。

それこそ人格をデータのように保存しておけば、何かの間違いで器が壊れてしまったとしても、別の器に新しくインストールすれば復活は可能だ。

 

複製可能な人格と、複製可能な肉体。――エキドナの不老不死は理論上成立する。

 

――だがそれでは。

 

「並行世界の自分と遭遇したとき、人はパニックを起こして、絶対に相手を排除しなくちゃいけないみたいな使命感に襲われるって話だ」

 

「…………」

 

「それだけ、自分以外に自分がいるって感覚は耐え難いもんなんだろうよ。想像するだけで、俺だって気持ち悪くなる未来が目に見えてるぐらいだ。なぁ、リューズさん」

 

「なんじゃ」

 

「こうして、複数の……リューズ・メイエルの体を作り出せるってことはさ、複数の体に同じ数だけ人格を放り込めるってことだ。つまり、自分を永続させるだけじゃなく、自分を複数体作り出すこともできるってことになる」

 

さっきの理論に従うなら、それも可能なはずだ。

そして、ただ『理論』だけに則って考えるのであれば、『自分』を維持し続けるためのバックアップと、予備と、それらは多ければ多いほどいい。

スバルに考え付いたことが、魔女に思いつけなかったとは思えない。

 

「どんな気分なんだろうな。自分を他にも準備できるなんて、そんな状態。自分が失敗しても、どうにかなる『保障』がある状態って。理解できるか、リューズさん」

 

「……そればかりは、儂にも永遠に理解できんじゃろうな。人格を抽出する技術は儂の知るところではない。儂という個は、この一個の体が失われたときに消失する。そういう意味では、儂もスー坊も、やり直しの利かん体という点は変わらんよ」

 

「そうか。そうだよな。……ああ、そうだろうさ」

 

リューズが漏らした言葉に、スバルは思わず渇いた笑いが出るのを堪えられない。スバルの反応にリューズは眉をひそめて見せたが、その真意は彼女には絶対にわからないだろう。

 

「そういうことか。ああ、なるほど。お前がやけに馴れ馴れしかったのも、今ならなんとなくわかるよ」

 

脳裏に浮かぶ、白髪の魔女にスバルはそんな感慨をこぼす。

自分の複製体を用意し、そこに人格を移して生き長らえる不老不死の目論見。それをするということは、命に『保障』をつけるということに他ならず、

 

「それなら、今の俺と、何がどれほど違うってんだ」

 

嫌悪感を抱くことなど、できようはずもない。

むしろ、親近感が湧いたほどだ。親近感と呼ぶには後ろ暗すぎる感情は、あるいは同類を見つけた黒い喜びだったのかもしれない。

 

自分なりのやり方ではあるが、不老不死の一端に辿り着いたエキドナ。

魔女に翻弄されるがままに、目的を果たすために『死』を繰り返すスバル。

 

ともに、たった一個のはずの『命』に対し、反逆する立場なのは変わらない。

だとしたら、とスバルは思うのだ。

 

――だとしたら、俺を理解できるのはエキドナだけなんじゃないのか。

少なくとも、その精神性を理解できるとしたら、それは。

 

「スー坊?」

 

「……リューズさんの、立場はわかった。エキドナが何をしようとしてたのかも、だ。その上で、聞きたいんだけど……エキドナの狙いは、成功したのか?」

 

「狙い……」

 

「空っぽの器の準備は、こうして出来上がってるのが俺の目でもわかる。あとはそこに自分の人格を上書きするだけだ。その上書きは成功したのか?いや、もっと単純に言えば……」

 

――エキドナは、この世界のどこかで今も生きているのか?

 

言葉にならなかったスバルの問いかけ。

その中身を理解したリューズは瞑目し、縋るようなスバルの視線に対し首を振った。

 

ゆるゆると、首を横に。

 

「いいや、残念じゃが……魔女の計画は成功せんかった。魔女の人格を引き継ぎ、命を繋いだリューズ・メイエルの肉体は存在しない」

 

「な、なんでだ?頭の中身を吸い出す、人格のダウンロードが成功しなかったのか?」

 

「だうんろーど、が何かはわからんが、人格を抽出する技術自体はできておったはずじゃ。叶わなかったのは、もっと別の要因じゃな」

 

「別の、要因っつーと……」

 

「単純な話じゃ。器に対し、注ぐ水の量が多ければ水は収まり切らずに溢れ出す。一部が溢れてしまえば、それは元の存在とは呼べない別のものじゃろう」

 

器、という単語の部分でスバルはリューズを、そしてピコを見る。

彼女らの小柄な体躯を目にしながら、

 

「器……つっても、体の大きさの問題じゃないよな」

 

「魂の大きさ、とでも呼ぶべきなのかもしれんな。人には、その魂に見合った入れ物というものが存在する。エキドナという魔女の魂を受け入れるには、リューズ・メイエルという娘の器では大きさが足りなかったというわけじゃ」

 

「それ……どうやって確かめたんだ?」

 

「最初の複製体に自分の知識を注ぎ込もうとして失敗し、初めて魂と器の大きさの問題に直面した。とはいえ、その時点ですでにリューズ・メイエルの肉体はクリスタルの中、複製体を次々に作り出す構造は組んだあとじゃったから……本来の目的が果たせずとも、器だけは次から次へと生み落され続けたというわけじゃ」

 

意外と、後先考えていない行いもあったものだとスバルは思う。

エキドナという人物にしては、詰めの部分でずいぶんとありえない見落としをしたものだ。その後、リューズが増え続けることに関しても、何の処置もしていないというのがますます彼女らしくないように感じてしまう。

 

「その、最初の複製体はどうなった?全部は入り切らなくても、一部は魔女の記憶を受け継いだんだろ?半端でも、魔女のコピーって言えるんじゃないのか」

 

「器に水を溢れるまで注いだとき、その溢れる部分を選択することまでは誰にもできんじゃろ?日常生活に支障をきたさない、些細な記憶の部分が溢れるならまだしも、重大な問題をもたらす部分が溢れてしまったんならそれはもう人格をなさん」

 

遠回しなリューズの言葉に、スバルは失敗作となった最初のリューズ=エキドナを思う。つまり、魔女の想定とは程遠い別の『何か』が生まれてしまい、

 

「話では、最初に生まれた複製体は完全な人格破綻者で、半端に『強欲』の魔女の力を引き継いでいたが故に厄介な存在だったと聞いておる。処分するのにも結構に難儀したようじゃ」

 

「処分……そう、か」

 

「もちろん、一度の失敗で全てを投げ出すほど、魔女は諦めがよくもなければ無責任でもなかった。最初の複製体を処分したあとは、次の複製体に自分の人格を移し替えるために、魂の総量を変化させられないかと苦心したと聞いておる」

 

「その発想が、魂で出てくるのがすげぇよ」

 

エキドナの考えはつまり、データを別の媒体に移し替えるために、その大きなサイズを圧縮して送り出すという考えに他ならない。あるいは不要な部分をあらかじめ削って、受け取る側の空き容量に合わせるという考えでもいい。

ある程度、パソコンなどに触れてデータの概念を理解しているスバルだからその発想に至れるだろうが、パソコンなどのデータのやり取りを知らず、ましてや語るモノが『魂』という次元でそれを発想するエキドナの思考がすさまじかった。

 

最初の複製体が失われたと聞いたとき、スバルは正直、落胆していた。が、すぐにエキドナが別の手を打とうとしていたと知り、そこに希望を見た。

しかし、そのスバルに「じゃがな」とリューズが前置きして、

 

「新しい手段を模索しても、魔女がそれを試すことはできんかった」

 

「な、なんでだよ。言っちゃなんだけど、試すための土壌は準備できてたじゃねぇか。現にリューズ・メイエルのコピーは何人も……」

 

「『聖域』での実験を続けるより前に、『嫉妬』の魔女が動き出したからじゃ」

 

「――――」

 

「『嫉妬』の魔女は世界の半分を飲み尽くし、その過程で自分以外の六人の魔女、全てを食らい尽くしたという。『強欲』の魔女も例外ではない。不老不死で命を繋ぎ続ける魔女の目論見は、他でもない魔女の手で断たれることとなった」

 

その『嫉妬』を除く六人の魔女の顛末についてはスバルも知っている。

あの夢の城で、エキドナが語り、そしてじかに会わせてもくれた魔女たち。いずれも『嫉妬』の魔女に滅ぼされ、この世から消失した夢に残る残滓だ。

あるいはああして精神だけでもこの世に留まり続けていることが、不老不死を果たせなかったエキドナの最後の意地とやらだったのかもしれない。

 

「……魔女がいなくなったあとの『聖域』は、どういうことになったんだ」

 

「もともと、この土地の管理自体はロズ坊のメイザース家が受け持っておった。メイザース家と魔女の間に、どんな契約が交わされていたのかまでは儂は知らんがな。それが連綿と続き、今はロズ坊がこの『聖域』を維持、管理しとるわけじゃ。といっても、ロズ坊がするのはここが滅ばない程度に物を流通させて、時折、この『聖域』に見合った立場の子を新たな住人として連れてくるぐらいのことじゃな」

 

「それ以外の内部のことは、リューズさんに任せっきりってことか。リューズさんは自分のことを、獲得した個が個性だって言ってたけど……」

 

「儂は複製体という個の縛りでいえば、最初から三番目の複製体じゃ。増え続ける器の管理と『聖域』でのリューズ・メイエルの役割を引き継ぐために、あらかじめそれなりの人格を植え付けられて生まれた。今も、その役目に沿っておる」

 

「人格の植え付けって……そんなこと、できるのかよ」

 

空っぽの器に、役割を果たすための擬似人格を植え付けるといったところか。

ロボットに擬似AIを持たせて、人間らしく振舞わせる――スバルのいた世界ですら実用化は遠く、あくまで想像の産物でしかなかった状況だ。

それに対し、リューズは首を縦に振った。

 

「無論、容易なことではなかったがな。魂の存在しない、空の器じゃからこそかろうじて可能だった。それも、実験段階では本当に簡単なことしかできんかったようじゃが」

 

最初の内は難儀したもんじゃ、と笑みを口の端に覗かせるリューズ。

 

「記憶はないのに役割だけは与えられとる、というのは不可思議な感覚じゃ。日々の時間が、ゆっくりなのにすさまじい勢いで流れていく。それを不可思議だと思えるようになるまでにも、ずいぶんな時間がかかった」

 

「……増える複製体は、どうしてたんだよ。このピコとリューズさんを除いたら、この『聖域』でも見かけた試しがねぇけど」

 

「リューズとしての役割を果たす四人以外、他のリューズは『聖域』の各所に散らばせておる。侵入者に対する目の働きや、伝達の役割を持たせてな。同じ複製体同士じゃと、面白いことに思考の伝達が可能なんじゃよ」

 

以前、ガーフィールが『聖域』の目、などと口にしていたことがあった。あれがリューズの複製体のことを指していて、それが『聖域』の周囲を監視するように散らばっていたのなら、なるほどあの日のアーラム村の避難民大脱出が、あっさりとガーフィールに見破られたことも納得ができる。と、そこまで考えて、

 

「ちょ、ちょっと待て、聞き捨てならない部分があった。リューズとしての役割を果たす四人、ってなんだよ」

 

「ふむ、そこか。それも簡単な話じゃ。複製体といっても、さすがに人の体の構造の全てをマナで再現し続けるのには莫大な負荷がかかるんじゃ。マナが尽きれば肉体は消える。精霊と違い、霧散してしまえば再構成などできんじゃろう。あるいはやり方はあるのかもしれんが、少なくとも儂は知らん」

 

消失と再構成、記憶の継続を幾度も果たす精霊の存在を思い出す。もっとも、彼らの場合は消えた後に『戻る』場所としての依り代などが存在するため、消えたといっても厳密に消失したわけではない。が、リューズたちにはそれがない。故にマナの枯渇による死は、その個体の死を意味するのだ。

 

「一人が動ける時間はそう長くない。体に無理が利かんぐらい動かなくなった時点で、失ったマナを取り戻すのにおよそ三日はかかる。その間、リューズ・メイエルが『聖域』に存在しないことで不都合が起きるのは避けなくてはならん」

 

「それで、四人のリューズさんってことか」

 

「一日交代で、四日ごとにリューズ・メイエルとしての役割が回ってくる。それ以外の場面では、儂も他の器と変わらん。……リューズ・メイエルという看板を背負っただけの、空っぽの器。そう言って、いいかもしれんな」

 

皮肉げなリューズの言葉に、スバルはとっさに何を言っていいのかわからない。

何を言っても空々しい、わかったような口を叩くだけのことに思えてしまう。ここで押し黙ることはそれこそ、リューズの皮肉を肯定するだけになるとわかっていても、スバルの唇は言葉を紡ぐことはできなかった。

 

「気落ちするでない、スー坊。儂も他の複製体も、納得してこの役割に準じておる。それは最初のリューズ・メイエルも同じことじゃ」

 

「最初の……。そうだ、それも聞きたかった」

 

「うん?」

 

「リューズさんたちが、リューズ・メイエルの複製体のリューズさんたちが魔女の言葉に従ったり、『聖域』を守ろうとする理由はわかるんだ。でも、リューズ・メイエルって女の子は、どうして魔女に協力したんだ?」

 

クリスタルの中に閉じ込められて、永遠を奪われた少女。

これまでの話を聞く限り、空っぽの器にリューズ・メイエル本人を注ぐような試みは含まれていない。つまりリューズ・メイエルは自分の体を実験のために捧げ、自身の魂は行き場をなくしたクリスタルの中で終えることを選んだことになる。

それは肉体という外面を永遠に生み出し続ける代わりに、魂という自分そのものはそこで終わりを迎える自死も同然の決断だ。

 

あの幼い少女は、どうしてそんな決断を下すことができたのか。

あるいは魔女は、少女の同意を得ずに無作為に実験台を選んだとでもいうのか。

できるなら、後者であってほしくないと願いながら、スバルは問いかける。

 

「リューズ・メイエルは、何を思ってこの実験に参加したんだ?」

 

「……リューズ・メイエルは魔女に交換条件を持ちかけ、その条件を魔女が呑んだのを理由に実験に参加したと聞いておる。心配せんでも、無理やりではない」

 

「交換条件……その、内容については聞いても?」

 

「聞いても、スー坊にはきっとわからんと思うがな」

 

もったいぶるようなリューズにスバルは無言の視線を向ける。意地を張る子供のような目にリューズは顔をしかめると、深いため息をこぼした。

 

「リューズ・メイエルが魔女に持ちかけた条件、それは『聖域』の存続じゃ」

 

「『聖域』の……存続?」

 

「魔女が実験台として用意したこの『聖域』という実験場、この環境を維持し続けることこそがリューズ・メイエルの願い。無論、自身の実験を続けるために『聖域』を残しておく必要があった魔女はこれを快諾。そして魔女亡き今も、リューズ・メイエルとの約束は守られたまま、儂らの手で二人の契約は守られ続けておる」

 

「いやでも、それは……順番が、あべこべだ」

 

『聖域』が実験に必要だったのはエキドナであり、リューズ・メイエルは実験のために『聖域』に集められた存在のはずだ。その実験台である少女が、魔女に『聖域』の存続を願い出る。それでは順番が噛み合っていない。

 

「たとえ実験台扱いであったとしても……迫害されていた土地よりも、『聖域』の方がずっと居心地が良かった。そう、考えるのはどうじゃ?」

 

「……それはあまりに、救いがなさすぎるだろ」

 

「救いはここにある。故にこそ、リューズ・メイエルは実験にその身を捧げた。結果が実ったかどうかは、儂やその娘を見て判断してもらう他にないがの」

 

すっかり冷めてしまった茶をすするリューズに、スバルは言葉を続けられない。

傍らのピコは自分の境遇に関する話題が一通り終わっても、なんのアクションも見せてくれない。ただ、黙ってスバルの裾を摘んでいるだけだ。

 

「この子は、どうして俺に懐いてるんだ?中身が空っぽだっていうし、そもそも最初は俺なんかいないものぐらいに扱ってたはずなんだが」

 

「それはアレじゃ、スー坊がリューズ・メイエルの水晶に触れたからじゃ。指揮権が書き換えられて、スー坊が上書きされたんじゃろ」

 

「指揮権……?」

 

またしても新しい単語の出現にスバルが眉をひそめる。

訝しげなスバルに頷き、リューズは「ほれ」と指を一つ立てると、

 

「試しに、その娘になんぞ命令してみるがいい。おっと、破廉恥なのはいかんぞ。見た目、儂と一緒なんじゃからな」

 

「言われなくてもこのロリ体型に欲情したりしねぇよ?俺、健全に同い年ぐらいの女の子好きだから。……ピコ、ちょっと肩もんで」

 

リューズに憮然とした顔で応じてから、スバルは傍らのピコにそう命じる。その声を聞きつけた少女は顔を上げると、かすかに顎を引いてスバルの命令を肯定。ベッドの上によじ登り、スバルの背後に回り込むと、

 

「お、おーおー、いい感じいい感じ……あれ?ちょっと、ピコさん?力強いよ?セーブしてセーブして……ちょ、ヤバい、ピコさん、セーブしてえええ!!」

 

「肩をもむ、という概念は知っておっても力加減は未知数じゃ。そこらへんから学ばせてゆかんと、そういうヘマをやらかすことになる」

 

「わ、わかってて俺を試しただろ!?」

 

なおも継続して肩をももうとするピコを振りほどき、定位置に戻るよう指示してからスバルは軋んだ肩を大きく回す。骨まで割られそうなピコの握力に慄きつつ、スバルは「それにしても」と首をひねり、

 

「ただ触っただけで指揮権だかなんだかが移譲って、ちょっとセキュリティがゆるすぎねぇか?悪意を持ったロリコンがあそこにいったらどうするんだよ」

 

「あの場所に踏み込むのは偶然ではあり得んし、なにより指揮権の移譲も容易いわけではない。少なくとも、『強欲』の使徒として認められておらんとな」

 

「……んん?」

 

湯呑みを傾けるリューズの言葉に、もう幾度目になるかわからない聞き捨てならない部分があった。腕を組み、スバルは「あのー」と恐る恐る、

 

「すみません。その『強欲』の使徒っていうのに、心当たりがないんですが」

 

「エキドナに認められたもの、それが使徒たる資格じゃ。墓所の中で、何かそれらしいことを受けておらんか?何かもらったり、与えられたり、体に入れたり」

 

「墓所の中で……」

 

夢の城でエキドナと相対したときのことを思い出し、リューズが語るような荘厳な受け渡しが何かあったろうかと考える。が、思い当たる節がない。

あの場所でスバルがエキドナから与えられたものといえば、多少の知識と安堵とかなりの恐怖体験。それと、

 

「……まさか、ドナ茶のことじゃないだろうな」

 

「ふむ、ドナ茶?」

 

「エキドナが自分の体液とか言って、巧妙にお茶と見せかけたものを差し入れてきて、二度ほど飲んじまったんだが……」

 

「冗談でもなんでもなく、それじゃろうな」

 

「あの野郎、ホントになんてもん飲ませてやがんだ!!」

 

怒りに思わず立ち上がってしまうスバルを、「まあまあ」とリューズがたしなめる。彼女は憤懣やるかたないといった風情のスバルに、

 

「そうは言っても、それがあったからこそのこの状況じゃ。悪いことばかりでもなかったじゃろ?」

 

「俺に内緒でそういう仕込みをしてたってのが腹立つんだよ!人の体になにしてくれてんだ。『強欲』の使徒とか、ただでさえ魔女関係で色々とややこしいのに、重ねてくんなよ。魔女ってのはどいつもこいつもよぉ……」

 

知らない間に『死に戻り』の契約を済ませている『嫉妬』の魔女といい、勝手に自分の使徒に加えている『強欲』の魔女といい、魔女というのはそんなのばかりか。

 

「とにかく、スー坊はそれでこの『聖域』におるリューズ・メイエルの複製体の指揮権を得た。儂にすら、言うことを聞かせることができる」

 

「リューズさんにも、通用すんのかこれ」

 

「意思のないその娘たちよりは抵抗力があるが、究極的には逆らえん。どうじゃ、年頃の男児なら嬉しかろう?」

 

「だから俺、ロリコンじゃないんだって……」

 

艶めかしい目を向けられても、ぴくりとも反応しない。

小気味よく笑うリューズを横目にしながら、スバルは明らかになった『聖域』の謎を思い返す。

奥にひっそりと隠されていた施設。その中に封じられたリューズ・メイエルと、その複製体を生み出すシステム。六日後までに起こる破壊と、それに付属する問題。

そして施設の存在を語る上で欠かせないのが――、

 

「リューズさん、いきなりで悪いんだが……ちょっと協力してくれ」

 

「なんじゃ、いやらしいことなら儂より無垢な連中を」

 

「それはもういいから」

 

あくまでスバルを思春期にしたいらしいリューズを一蹴し、立ち上がるスバルは背筋を伸ばしながら天井を仰いだ。

 

「指揮権、これ俺の他に持ってる奴が最低でも一人いるよな」

 

「――――」

 

「そいつに話を聞きたいのもあるんだけど、もう一個、気になることがあってよ」

 

脳裏に浮かぶ、二人の人物。

片方は、二十人にも及ぶリューズの複製体に指示を出していた、『聖域』を守る大虎であるガーフィール・ティンゼル。

そしてもう一人は、

 

「どうして、俺を扉渡りであの施設に送り込んだのか。そろそろ、その答えを聞きたい頃だぜ……」

 

クリーム色の髪の巻き毛の少女に、問い質すための機会を得ようと、スバルはそう決断していた。