『ロズワールの思惑』


 

目覚めたスバルが最初に感じたのは、額に触れる誰かの指先から感じるくすぐったさであった。

 

「この指の細さと柔らかさと遠慮がちな触り方は、エミリアたんか」

 

「――当たってるけど、すごーく恐い当てられ方した気がするのは気のせい?」

 

触れてくる掌に遮られて、瞼を開いたスバルの視界は閉ざされている。が、指の隙間から見える美貌の片鱗と答えに、スバルは小さく口元をゆるめて、

 

「んにゃ。このタイミングで俺にさわさわしてんのなんてエミリアたんしかいねぇだろうなって思ったから勘で言っただけ。さすがに指の感触で誰かわかったりしないよ?」

 

「そうなんだ。ちょっと安心した。……体、起こせそう?」

 

「どうにか……ん、大丈夫げ」

 

目覚めの軽口を応酬しつつ、スバルは寝かされていた寝台で上体を起こす。軽く首を回してあたりを見てみれば、そこは見覚えのない建物の中だ。

体を預けていたのも粗末な造りのベッドであり、寝転がり慣れたロズワール邸の寝具とは比較にならない。ともあれ、意識を失う前のことを回想し、

 

「どっからどこまでがイメージ映像で、どこからは現実だったやら」

 

墓所――その中に足を踏み入れて、直後に崩落に巻き込まれたと感じたのが現実世界におけるスバルの最後の記憶だ。その後、墓所の中でとぼけた女――『強欲の魔女』と接触したのは、魔女の言を信じれば彼女の夢の中ということだが。

 

イマイチ、判然としない記憶に悩みながら、額に手を当てるスバルはエミリアを見る。寝台の横、椅子に腰掛けた彼女は静かにスバルが考えをまとめるのを待ってくれている様子で、そんな彼女にスバルは「えーっと」と前置きし、

 

「聞きたいこととか、話したいこととかちょいちょいあるんだけど……まぁ、その前に言っとかなきゃなことが」

 

「うん、なに?」

 

小首を傾け、エミリアが可愛らしく聞いてくる。――が、目が笑っていない。

紫紺の瞳の透徹した輝きに射抜かれながら、スバルは肩を小さくして、

 

「ご心配をおかけして申し訳ありませんでした。ちょっと調子乗ってました、俺」

 

少なくとも、エミリアの露払いぐらいはやれるだろうと自惚れていた。

その結果が最初の一歩での躓きであり、現状だ。

スバルの謝罪を受け、エミリアは小さくその唇から吐息を漏らすと、

 

「もう。ホントに心配したんだから。入ってすぐ、悲鳴を上げて気絶しちゃうんだもん」

 

「悲鳴はともかく、気絶してた?」

 

「白目を剥いて、ね。痙攣までし出すからホントにどうしようかって。ケガしてるようにも、変な魔法にかかってるみたいにも見えなかったし……」

 

言葉を濁すエミリアに、スバルは自分の醜態を改めて自覚する。

なるほど。おそらく、墓所に踏み込んだ直後に遭遇した崩落――あの落下の感覚からすでに、『強欲の魔女』の夢に招かれていたものと考えていいらしい。

実際のスバルは入口で即座に寝こけており、エミリアに余計な負担を強いたという救いのない状況だったようだ。

 

エミリアのために、危険がないか調べてくる――今となってはその決意も、とんだ笑い話であるが。

と、そんな自己嫌悪にスバルが顔をしかめていると、

 

「――お?っだよ、ようやっとお目覚めじゃねェか。いいご身份だな、オイ」

 

そう言いながら、軋む戸を開けて金髪の青年――ガーフィールが入ってくる。

彼は寝台の上のスバルの様子を軽く流し見て、それからエミリアへ目を向けると、

 

「だっから言ったじゃねェか、体に異常なんざねェってよ。見ての通りだろが」

 

「……それでも心配するに決まってるじゃない。原因不明で、あんな急に倒れられたりしたら。そっちは慣れてるかもしれないけど、こんなこと慣れていいことじゃないでしょ」

 

「ハッ、強がんな強がんな。こっちの兄ちゃんが倒れたの見て、泣きそうな顔で慌てふためいてやがったくせによ。『アオミグロより青い顔』たァまさにあのこった」

 

「なっ――!?」

 

どこまでも荒っぽいガーフィールにエミリアが反論したが、それへの彼の返答は唇を尖らせていたエミリアを大いに赤面させるものだった。

その言及にエミリアは音を立てて椅子から立ち上がり、

 

「な、泣いてなんかないわよっ。心配で慌ててたのは確かだけど、私は別に……」

 

「あァ、はいはい。内緒だったな、内緒。悪ィ悪ィ。でも別にいいじゃねっかよ。隠すようなことでもねェんだからよ」

 

「そういうんじゃないの。私が心配して、その……泣きそうになってたなんて聞いたら……」

 

反論も途中で尻すぼみになり、エミリアがちらりと横目でスバルをうかがう。

それまで、二人の会話を無言で見守っていたスバル。彼女の視線の先で、無言のスバルがどうしていたかというと――。

 

「ん?あ、続けていいよ。どうぞどうぞ、うひひ。そっかぁ、へー、そっかぁ。エミリアたんが俺のことを泣きながら心配してくれたんだ。そっかぁ、うへへ」

 

「なんとなく、こういう反応するんじゃないかなって」

 

力なく肩を落とすエミリア。その彼女の前で、なおも鼻の穴を大きくしているスバル。意中の女の子に心から心配されて、不謹慎ながらも喜びを隠せない。

そんな現金極まりないスバルとエミリアの反応を見て、さしものガーフィールも「なるほどなァ」と感慨深げに呟き、

 

「今のは俺様が悪かったわ。いや、珍しいぜ。俺様が素直に悪ィの認めんの」

 

と、大して自慢にもならない内容で自省を表明したのだった。

 

※※※※※※※※※※※※※

 

「ちゃんとしつければ、犬でも許可が出るまで食事を我慢できる」

 

冷たく、触れれば切れそうな鋭さの込められた声だった。

響くその声音はゆっくりと言葉を区切りつつ、しかし合間にこちらの反論を許さない凄味に満ちている。

 

「つまり、言いつけを守るということは犬ですら守れる最低限の約束事と言えるわ」

 

かつかつと、高い靴音が木造りの床を固い音色で叩いている。

歩みのリズムは一定で、それはこちらの正面を左右に行き来するのを繰り返す。

規則正しい間隔がかえって足音の人物の心情の冷静さを示しており、相対する側の精神的余裕を容赦なく削っていくのがわかった。

 

「さて――」

 

声音と靴音、そしてなんの感情も宿らない瞳がこちらを、スバルを射抜き――、

 

「犬でも守れるような約束事が守れない生き物は、果たしてなんと呼べばいいのかしら?バルス、わかる?」

 

「忠告聞かなくてすみませんでした――ッ!」

 

小柄な少女に対し、スバルはその場で膝をつくと深々と頭を下げて謝罪を叫ぶ。

だが、そのスバルの全霊の叫びを向けられた相手は小首を傾け、

 

「すみません、だなんて謝罪を求めていたように聞こえた?質問が聞こえないばかりか、話の前後まで聞こえていないようね。ラムの忠告がそもそも耳に入っていなかったのだと思えば、納得できないことでもないようね」

 

「そのちくちくとした遠回しな嫌味やめてくれませんかね!?反省してるし、本気で悪いと思ってるのに心が潰されるよ!いっそ直球で詰ってくれた方がマシだ!」

 

「死ねばよかったのに」

 

「直球すぎる!!」

 

少女――ラムからの慈悲のない叱責を受けて、スバルは床の上で頭を抱える。が、実際に自分のやらかしたことを思えば、甘んじて受けざるを得ない罵倒だ。

わざわざかけてもらった忠告を真正面から裏切って、その上で周りに散々な迷惑をかけたのだから。

 

「はーぁいはい。ラムもそのあたりで許してあげなーぁって。どーぉせ、エミリア様にも同じようにお説教されたんでしょ?繰り返してもしょーぅがないことだし、被虐趣味のスバルくんを喜ばせるだーぁけだからね」

 

「そんなマゾ趣味ねぇよ。俺が地雷踏みに行くのはただの性分だ!」

 

空気が読めないだけ、ともいう。

自慢にならないことで胸を張るスバルに、ラムはもはや心底呆れたとばかりに長く深いため息をこぼし、無言で背を向けてロズワールの方へ。

いまだ寝台に横たわる彼の隣に静かに控えると、こちらと向き合う形になるロズワールが「さーぁて」と言葉を継ぎ、

 

「まーぁずはご無事に戻られてなによりです。『試練』の前に躓かれては色々と予定も狂ってしまいますかーぁらね。スバルくんのことは完全にただの手違いだけどねーぇ」

 

意味ありげな含み笑いをぶつけられ、スバルは腕を組んで小さく鼻を鳴らす。そんなスバルの態度をたしなめるように、隣に立つエミリアがスバルの脇をつねり、

 

「いたっ。痛いってば、エミリアたん」

 

「いつもなら擁護してあげたいけど、今日はスバルが悪いもの。……ラムからそんなこと言われてたって知ってたら私だって」

 

スバルを先に行かせたりしなかった、と続けたそうに言葉を途切らせるエミリア。そんな彼女に苦笑を向けながら、スバルも「だから言い出せなかったんだよ」と内心で呟く。先に忠告されていたと知れば、エミリアは頑としてスバルに危険な役回りを命じたりはしなかっただろう。

逆にラムの忠告がなければ、スバルもあそこまでエミリアの前に露払いしようと思い立ったかはわからない。つまり、

 

「お前の忠告は誰も幸せにしなかったぜ、ラム」

 

「事の発端がラムにあるような言い方を犬がしているわ。……と間違い。犬以下と訂正しないと、犬に失礼だったわね」

 

責任転嫁するスバルを、これ以上ないほどの蔑視でラムが迎え撃つ。毒気の薄れないメイドの態度にはむしろ感心したくなる。似たような評価を、あちらもスバルに対して抱いていることと思うが。

そんな本筋と無関係な二人のやり取りはさて置き、ロズワールは寝台の上でゆるりと足を組み替えると、

 

「時にエミリア様……墓所は、いかがでしたか?」

 

「……スバルのこともあったから、あまりゆっくりと見て回ったりはできなかったの。でも、空気の嫌な臭いと肌に刺す不快な感触は覚えてるわ」

 

墓所の印象を、かすかに眉根を寄せるエミリアがそう語る。

基本、悪い評価に対しては言葉を濁すことが多い彼女をしてその評価。そんな口さがない評価を聞いて、ロズワールは「そうですか」と小さく笑う。

それから彼の左右色違いの瞳は部屋の隅――そこで、壁に背を預けて話し合いを眺めているガーフィールへ向いた。

 

「ガーフィール。『資格』は確認できたのかな?」

 

『資格』という単語にスバルが眉を上げ、ガーフィールの方を見る。

金髪の青年はその短い髪を乱暴に掻き毟り、鋭い犬歯を剥きながら、

 

「俺様は入口の手前までっしか行けてねェが……墓所の灯火はちゃんと光ってたぜ。エミリア様に『試練』を受ける資格があんのは間違いねェだろよ」

 

「墓所の灯火……?」

 

聞き覚えのない一文にスバルが首を傾げると、ガーフィールは煩わしげに手を振り、

 

「墓所の中にいくつも蝋燭みてェなもんがついててよ。日の出てる間に、資格のある奴が墓所に入ると火がついたみてェに光るって仕掛けになってやがんだよ。無事にその歓迎が受けられた奴ァ、夜の『試練』を受ける資格があるってこった」

 

「逆に資格のないものが墓所の中に無理やりに踏み込めば、スバルくんやわーぁたしのようになるってわーぁけ」

 

ガーフィールの言葉を引き継ぎ、最後の締めを口にしたロズワールが両手を広げる。それは彼自身の肉体を示す所作であり、今も血のにじむ包帯に覆われた全身が痛々しい。――それが、墓所に無理に踏み込んだものの受ける罰だというなら。

 

「俺とお前で、なんかずいぶんとペナルティの重さに差があるな。入っただけの俺と違って悪さしたんじゃないか」

 

「悪さって、たーぁとえば?」

 

「入口の横でもよおして立ちションしたとか。そら墓所の管理人も怒るっつの」

 

「それが事実なーぁら、スバルくんが倒れたのはわーぁたしのおしっこがちょろちょろ引っかかった場所ってこーぉとになるけどねーぇ」

 

軽口に軽口を返され、スバルは嫌な顔をしながら気持ち軽く全身をはたく。そんなスバルの仕草に頬をゆるませながら、ロズワールは「でーぇも」と首を振り、

 

「同じ拒絶でも被害の大きさが違う……てーぇいうのはよく気付いたね。実際、わーぁたしとスバルくんの受けた傷の違いは大きい。でも、理由は簡単だ」

 

「……マナの、ゲートの暴走」

 

ポツリ、とロズワールの言葉の途中で解答が差し込まれる。

声に視線を向ければ、それを口にしたのは唇に指を当てるエミリアだ。彼女は思わしげに目を伏せ、己の銀髪の先を落ち着かない素振りで弄びながら、

 

「墓所に入ったとき、すごーく嫌な気分になったの。あれはゲートに一方的な干渉を受けたからだと思う。条件に引っかからなかったから、私は見逃してもらえたみたいだけど……条件に合わない人に、あの干渉が牙を剥くんだわ」

 

言葉にする内に確信へと変わったのか、徐々に語調に力がこもり始める。エミリアは顔を上げ、その紫紺の瞳に痛々しいロズワールの姿を収め、

 

「干渉はゲートを通じて対象に襲いかかる。……それなら、ゲートの数が多くて大きい人ほど、受ける干渉が大きくなって」

 

「ご名答。わーぁたしぐらいになると……ま、弾けなかったのが奇跡ですかーぁね」

 

さらりと恐ろしげなことを言ってのけ、ロズワールは片目をつむるとスバルに「才能なくてよかったね」と嫌味を向ける。

 

「つまり、魔法使いとか才気溢れる人間ほど死にかけるってことか。意識不明だけで済んだ俺が、魔法使いとしての器が小さくてよかったってこったな」

 

「そ、そうだけど……その自己評価、辛くないの?」

 

「できないこととか届かないことを思い知らされるのはわりと慣れてっかんね。大丈夫、俺は俺にしかできないことでエミリアたんへの愛を示すよ。とりあえず、泥臭く愛の言葉を囁き続けることから始めていい?」

 

「王選が終わって周りが落ち着いたら考えてあげる」

 

「最短でも三年後!?」

 

それでも聞いてもらえるかどうか確約されていない。

つれないエミリアにスバルは肩をすくめる。それから「しっかし」と言葉を続け、

 

「資格云々は別として、魔法使い殺しの空間だよな。誰が仕掛けたんだが知らねぇけど、性格悪い手口としか言いようがねぇ」

 

「代々の管理がメイザース家である以上、術式を組んだのはわーぁたしのご先祖様の誰かってーぇことになるだろうね」

 

「あ、そりゃ悪いこと……でもねぇな。なんだよ。お前のご先祖様ってイメージ通りすぎるじゃねぇか。転生してるみたいだぞ、ロズっちの家」

 

先代が死亡すると、次代の当主にその意思が宿る傀儡系の家系という説。

考えただけでおっかないそれを首振りで否定するスバル。そんなスバルの言葉にロズワールはとびきりのジョークを聞いたように笑い、

 

「そういう魔法を研究していた家もあったけーぇど、ずーぅいぶんと前に取り潰しになったはずだーぁね。……そして、あの墓所の環境を君は魔法使い殺しの空間だーぁなんて言ったけど、もっと正しい呼び方があるんだよ」

 

「ってーと?」

 

「簡単な話だよ。――あそこには魔女の瘴気が満ちているんだ。ゲートからマナを通じて相手を狂わす、悪夢のような環境。それを瘴気と、そう呼ぶんだーぁね」

 

瘴気、という単語の出現にスバルは眉根を寄せ、以前にも聞いた覚えのある内容であると記憶を探る。前にその単語を耳にしたのは確か――、

 

「嫉妬の魔女の話だ。確か魔女が封印されてるって場所にも、その瘴気が満ちてるとかどうとか……」

 

「よーぉく知ってるじゃないの。まーぁ、これは有名なお話だーぁからね。今も嫉妬の魔女の眠る封魔石の祠には、視界もおぼつかないほど濃密な瘴気が満ちている。墓所が条件に合わないものを拒絶する瘴気なら、こちらの瘴気は誰であろうと精神を侵し、肉体を滅ぼし、魂を凌辱する正真正銘の悪意の現象だ。魔女復活を掲げている魔女教の信徒すら、近寄れないともっぱらの噂だーぁもんね」

 

「魔女教の奴らも入れねぇのか……ってのも、当たり前か。入って封印が外せるってんなら、人目を盗んでその祠に駆け込んじまえば奴らの勝ちだもんな」

 

魔女の復活――それを至上の目的として叫んでいたペテルギウスを思い出す。

ただひたすらに独りよがりな愛を叫んだあの狂人をしても、直接的な手段で魔女を救い出す方法には踏み切らずにいたのだ。彼の正体が精霊であった事実も踏まえると、それこそ瘴気の前には無力だったと考えるべきだろうが。

 

「とーぉにかく、そんなわけで魔女の封印は魔女自身の瘴気によって誰も近づけないから解くことができない。ましてや祠に近づこうとすれば、それは監視塔から地上を見守る賢者シャウラの目を掻い潜らなければならなーぁいしね」

 

「なんか前にも聞いたな、賢者シャウラ。俺の知ってる賢者はこれで二人目だ。フリューゲルと、そのシャウラと」

 

呼び名が被っているのはどうなのだろうとスバルは思うが、そのあたりの違和感は他の人にはないのだろうか。そんなスバルの疑問にロズワールは小さく笑い、

 

「フリューゲルって、あーぁの大樹のフリューゲルかな?たーぁしかに彼も賢者とは呼ばれているけーぇど、賢者シャウラと比べるのはちょこーぉっと厳しいかな」

 

「なんでだよ。同じ賢者だぞ、賢者贔屓すんなよ。フリューゲルさんにちょっとした恩がある俺の前でフリューゲルさん侮辱するとただじゃすまねぇぜ」

 

なにせ彼の賢人には、白鯨討伐の折に大いに世話になった関係だ。

フリューゲル氏もまさか、四百年越しに自分の植えた木が化け物退治で役立つとは思ってもみなかったろう。それを喜んでくれるかどうかは別だが。

 

「あれだけでかい木だったんだし、きっと折れた部分に関しては色々と有効活用が……いや、ひょっとして時限爆弾の騒ぎで吹っ飛んじゃった可能性も?」

 

「どーぉもすり合わせなきゃいけないことがまだまーぁだありそうな気がするねーぇ。ともあれ……エミリア様」

 

顎に手を当てるスバルからエミリアへ視線を移し、ロズワールの低い呼び声。それを聞いたエミリアが顔を上げ、「ええ」と応じると、

 

「話が戻りますが、資格があってなぁーによりでした。これでエミリア様は墓所の『試練』を受けることができます。となると、聞かなくてはならないことが」

 

厳かに、低い声で告げるロズワールの声音からは悪ふざけの響きが消えている。それを受けるエミリアも真剣な眼差しで先を促しており、それを見届けて、

 

「簡単なお話です。――『試練』を受けて、いただけますか?」

 

短い問いかけが室内に落ち、エミリアは唇を引き結んで沈黙を生む。

当然といえば当然の話の流れだ。『試練』を受ける資格があるかを確かめ、それが確かにあることを確認して戻ったのだ。その質問は当然の流れ。だが、

 

「答えの前に聞きたいんだけどよ。その『試練』って、どうしても受けなきゃなんねぇもんなの?」

 

エミリアが返答を口にするより前に、一歩彼女の前に出たスバルが手を上げる。その問いにロズワールの隣のラムが険悪な感情を瞳に宿すが、ロズワールはそんなメイドを掲げた手で制すと、

 

「らしいといえば君らーぁしい質問だーぁけどね。『試練』を受けないと、『資格』があるものは聖域から出ることができない。このあたり、ガーフィールから聞いたりしてないかーぁな?」

 

「それは聞いてる。けど、それはエミリアたんがやらなきゃいけないって理由にはなってねぇだろ。『強欲の魔女』の墓所なんてキナ臭ぇ場所なんだ。どんな危険が起こるかわかったもんじゃない。そんな場所に、王選参加者で大事な身の上のエミリアたんを行かせるなんて、どうなんだよ」

 

「ふーぅむ。まーぁ、正論といえば正論だーぁね。単純に『試練』を受けるだーぁけなら、他の資格持ち……それこそ、そこのガーフィールでも構わないわーぁけだし」

 

「あァ?俺様かよ。べっつにいいんだぜ、俺様は。『試練』挑んでさぱっと突破しちまって、『バルバルモアの右の右の左』ってことにしてもよォ」

 

水を向けられ、親指で自分を示すガーフィールが歯を剥いて笑う。途中、口にした言い回しは最終的にただ右を向いただけの話に聞こえたが、スバルはそれを無視して単純に彼の発言の頼りがいのある部分にのみ目を向ける。

実際、『試練』が誰か一人だけが突破すればいいものであるなら、それをエミリアがやる必要はないのだ。資格のある、もっと確実性のあるものが挑めばいい。

――最悪、試練に挑むのは『資格』を与えられたスバルであっても。

 

「――いんや、それはちと困るんじゃのぅ」

 

それは、部屋の入口からふいに届いた誰のものでもない声だった。

戸に背を向ける形でいたスバルは、聞いたことのない声に驚いて振り返る。戸の脇の壁に背を預けるガーフィールがおり、彼はスバルの視線を受けると小さく顔の前で手を振って、

 

「俺様じゃねェよ。こっちのババアだ」

 

言いながら、彼は振った手でそのまま傍らを示す。そこに視線を落とせば、小柄な彼の隣にはさらに小さな影が立っており、

 

「誰がババアじゃ。口の減らん、腐れガキに育ちおって」

 

薄赤の長い髪を垂らした、小さな小さな女の子がやけに大人びた態度でそう言った。

目鼻立ちの整った、愛らしい顔立ちの少女だ。年齢はペトラと同じぐらいで、おそらくは十一、二歳といったところか。薄赤の髪はウェーブがかっており、細い毛質と相まって見るからにふわふわな様子だ。服装は裾を引きずるほどぶかぶかの白いローブを羽織るというもので、袖から手が全部出ていないところが実にあざとい。

なにより、その喋り方とガーフィールの呼び方からして、

 

「いずれ出てくるとは思ってたが、ここで出てきたかよ、ロリババア……!」

 

「なんじゃ、ずいぶんと不本意な呼ばれ方をしとる気がするのは儂の気のせいか?」

 

「えーっと、確かそのロリってベアトリスによく使ってる……小さいって意味だっけ?」

 

スバルの驚愕に、少女が不満げな顔でこちらを見上げる。呟きを聞きつけたエミリアがスバルとの付き合いの経験値の高さを現代知識で証明する中、スバルは指をひとつ立てて、

 

「そう、エミリアたん正解。より詳しく言うなら、俺の攻略範囲外に幼いって意味だ。このロリという言葉とババアが組み合わさることによって、見た目は幼いのに中身がババアという奇跡のコラボーレションが完成する!俺的にはそもそもロリキャラが手が出ないんでアレだが、ギャップ萌えの妙は理解できるぜ!」

 

「ぎゃっぷもえ?」

 

「普段は凛々しくお姉さんぶってるのに、ちょっとしたところで子どもっぽかったりイマイチ常識に疎かったりころっと素直で騙されちゃったりな女の子とかもギャップ萌えに含まれたりするよ!」

 

早口に長々と語るスバルに、エミリアは「そんな子がいるんだ……」と唇に指を当てて納得顔。語った特徴がそのまま自分に当てはまることに気付かないあたりが愛しくてたまらないのだが、話のタネにされた件の人物は不機嫌な様子で、

 

「で?さっきからそのロリはわからんが、ババアババアと連呼しとるのは儂のことじゃろ?初対面でまた、ロズ坊よりも失礼な奴がきたもんじゃのぅ」

 

「おっと、これは失礼、マドモアゼル。俺の名前はナツキ・スバル!今をときめく魔獣ハンターだ。まぁ、どっちもトドメ刺したの俺じゃないんだけど」

 

サムズアップして威勢よく名乗り、尻すぼみな自己紹介を終える。と、それからスバルは掌を相手に向け、怪訝な顔をする相手を「さんはい」と促し、

 

「名乗ったんだからそっちも自己紹介タイムお願いします。簡単なプロフィールと趣味・特技。自分のチャームポイントを付け加えるとなおよし」

 

「……リューズ・メイエル。この聖域の、一応の代表者をやっとる身じゃな」

 

スバルの戯言を聞き流し、ロリババア――リューズと名乗った人物は、そのぶかぶかの袖から指先だけ出して己の額を掻き、

 

「寝ておったときは気付かんかったが、無礼通り越して哀れな坊じゃな。寝床など貸して損した気分じゃ」

 

「寝床っつーと、ひょっとしてさっきまで俺が寝てたのって」

 

「そう。リューズさんのお家。墓所から近かったのもあって、ガーフィールに運んでもらって……さっきは本当にありがとうございました」

 

と、頭を下げるエミリアにリューズはゆるゆると首を振る。そのやり取りを見るに、どうやら二人の間にはスバルが意識のない間の面識があるらしい。

ともあれ、世話になったのが事実となれば、

 

「そうとは知らず、失礼なこと言ってすみません。寝床、貸してくれて助かりました。礼を言うのも遅れて、重ねてすみませんッス」

 

「……なんじゃ、驚いた。ガー坊と違って素直に謝れるんじゃな。ナツキ……スバルじゃったか。スー坊じゃな」

 

「なんか兄弟で天気予報始めそうな呼び方だけど、それでいいや。こっちは、リューズさんって呼ばせてもらうし」

 

感謝の意を表明したところで、リューズの方の不機嫌はひとまず解除。平和的に互いの呼び方が決まったところで、スバルは「ところで」と言葉を継ぎ、

 

「さっきリューズさん、それは困るって言ってたけど、どして?ガーフィールが『試練』クリアしたら困ることとかあんの?」

 

「切り替えの早い坊じゃの。ああ、そうじゃ。困る。大いに困るんじゃ。なにせ、聖域の出身者が『試練』に挑むとなると、契約を違えることになるでな」

 

「また契約か……」

 

たびたび飛び出す契約やら盟約やらのがんじがらめに、スバルも嫌な顔をしてロズワールを見る。と、その視線を受けた彼は肩をすくめてみせ、

 

「ざーぁんねんだけど、その契約とメイザース家は無関係……と言い切れるほど無関係じゃーぁないんだけど、主犯じゃーぁないのよ。あぁーくまで、私の家は補助する形なんでーぇね」

 

「保身的発言いいから説明はよ。契約の内容詳しく、三行で」

 

「手厳しーぃね。まーぁ単純に言えば、『聖域』から住人を解放するための条件が『試練』の突破なわーぁけだけど、その試練に挑むのは資格を持った外部のものでなくちゃーぁならないってこーぉと。つーぅまり、現状だと……」

 

「対象は私しかいない、ってことよね」

 

ロズワールの説明の最後を引き取り、エミリアが静かな口調でそう結ぶ。ロズワールは頷きでそれを肯定し、ちらとリューズの方へ視線を送ると、

 

「そーぉして、そのことはすでに『聖域』の住人もみーぃんなが納得済み。エミリア様が『試練』に挑み、それを突破されることを期待してるってーぇわけです」

 

「こんなこと聞いて及び腰になってるなんて思われたくないけど……仮に、私以外の人が『試練』に挑んだ場合はどうなるの?」

 

エミリアの紫紺の瞳がガーフィールに向き、たとえばの仮定で話を進める。それに応じたのはリューズであり、彼女は「それがの」と前置きして、

 

「これまで、少なくとも儂が生まれてからの時間で、『試練』に挑んだものは皆無じゃ。故にその仮の話はできん。挑んだことがないのは、住人もそれ以外も同じことよ」

 

「今まで一人も?聞くの恐いけど、リューズさんていくつよ」

 

ロリババア、という存在の普遍的な設定を思えば、スバルの今の質問の答えは聞くのが恐いレベルの内容だ。実際、リューズは「そうじゃな」と遠くを見る目をして、

 

「さすがにこの場所ができた頃のことは知らんからの。せいぜい、百十数年といったところじゃと思ったが」

 

「十分すぎる!少なくとも、俺が今まで会った人の中じゃ最高齢だよ」

 

精霊と、精神体になった魔女を除けば、ではあるが。

そんな注釈は呑み込んで、スバルはちらとエミリアを心配する目を向ける。しかし、その視線を浴びながらも、エミリアの表情には暗い色などは落ちておらず、

 

「とにかく、事情はわかったわ。私はどっちにしろ、『試練』を乗り越えられなきゃこの聖域から出られないってことなんだし、受けて立つわ」

 

「決意のエミリアたんも勇ましくて見惚れるけど、もうちょい慎重策を探った方がよくね?裏道でも抜け道でもなんでも探して、挑むのはそれからでも遅くねぇと思うんだけど」

 

「人がやる気になってるのに、そうやって水差すの、すごーくよくないと思う」

 

が、あくまで危険な可能性を遠ざけたいスバルの言い分に、エミリアは唇を尖らせて不満げな顔をする。そんな彼女の責める視線を受けながら、

 

「なんか、怪しいっていうか乗せられてるっていうか、そんな違和感が拭えねぇんだよな、実際。ちょっと状況が整いすぎてるってか、この道に乗るように整備された上に交通整理までされてるみたいでさぁ」

 

「全然意味がわかんない。たまにスバル、すごーくわからんちんなこと言うもの」

 

「わからんちんてきょうび聞かねぇな……」

 

定例のやり取りでエミリアの視線が鋭くなると、スバルは慌てて「いやいや」と手を振りながら、

 

「そうじゃなく、この状況は仕組まれてる感がすごいってこと。ハーフが外に出られなくなる場所に呼びこまれた挙句、出るにはエミリアたんが頑張らなきゃな状態。おまけにすでに周囲は説明済みの納得済みて」

 

「仕組まれたって、誰に」

 

「誰って、そんなの一人っきゃいねぇじゃん」

 

エミリアの疑問にそう応じ、スバルはその場でくるりとターン。それから回転の終端でビシッと指を突きつけ、

 

「なあ、そうだろ?」

 

「あァ?俺様?」

 

「あ、違った、ごめん、回りすぎた。こっちこっち――なあ、そうだろ、ロズワール」

 

「しまらないことこの上なーぁいね」

 

苦笑し、ロズワールはスバルの行いをそう評価。が、それからすぐにその片目を閉じ、黄色い方の目にスバルを映すと、

 

「けーぇど、相変わらず察しがいい。実際、この状況をわーぁたしは望んで作ったからね。もーぉちろん、舞台自体にまで手を加えたりはしてなーぁいけどさ」

 

「なんとなく、わかってきたぜ」

 

ロズワールの言い方に片眉を上げ、スバルはその思惑の一端を掴む。話についてこれていないエミリアは困惑顔だが、そんな彼女に事の裏側を暴いて聞かせる。

 

「まず、おかしいと思ったのはロズワールのケガだよ。そもそも、『試練』に挑む資格がないことをロズワールは知ってるはずなんだ。ここがもともとメイザース家の管理する土地ってこともあるし、ガーフィールとかと面識があって当たり前なんだから」

 

「それは……そうよね。うん、そうだわ」

 

「となると、資格がない自分が墓所に入ったら拒絶されることをロズワールは知ってたはずだ。それなのに、どうしてロズワールは中に入った?特に理由もない世の中への反抗か?それとも、被虐趣味が我慢の限界に達したか?どっちも有力だけど、俺はどっちでもないと思う」

 

「もーぉしもーぉし。スバルくんの中で、わーぁたしってそんなイメージ?」

 

不本意そうなロズワールの語りかけを意識的にスルーして、スバルは「つまり」と指を立てると、

 

「こうしてケガしてるのはロズワールの思惑通りで、意味がある。そんでもってその意味ってやつはたぶん、王選にも関係してると俺は睨んだ」

 

「…………」

 

「ところでちょっと聞きたいんだけどさ。アーラム村の人たちって、今は大聖堂とかいう場所に集められてるんだよな?」

 

スバルの急な話題転換。それを向けられたのはロズワールの隣に立つラムだ。沈黙を守っていた彼女はスバルの質問に軽く顎を引き、

 

「ええ、そうよ。住人たちは揃って大聖堂……そこで、聖域の住人たちに軟禁される形になっているわ」

 

「それだよ、軟禁。さっきは墓所を見にいくってんで話が途中で終わっちまったが……軟禁、ってのはどういう状態なんだろうな。どうして、聖域の連中がロズワール含めて村の人たちを軟禁する必要がある?」

 

次にスバルが顔を向けるのは、壁際に佇むガーフィールだ。彼はスバルの問いかけに鋭い目をさらに細くして、「決まってんだろ」と言葉を継ぎ、

 

「言っとくがな、ここァ困ったときの逃げ道ってェわけじゃねェんだ。いっくら領主様とその連れたァいえ、抱えた問題放置されてる状況でいいように使わっれていい気分はしねェよなァ?」

 

「抱えてる問題ってのは当然……」

 

「この聖域より外の世界に出られない、ことじゃな」

 

スバルの言葉を引き継いだのはリューズだ。彼女はその幼い顔立ちに似合わぬ苦労の滲んだ陰を顔に落とし、目を伏せながら細い声で、

 

「さっきも言った通り、儂は生まれてすでに百数十年。しかし、一度もこの聖域の外へ出たことはない。なにせ、生まれた時分より契約によりこの土地に縛りつけられておるからの。だからこそ、半ば諦めもついておるが……希望は手放せん」

 

「外の世界、見てみてェんだよ、ババアも。他の奴らもだ。その機会が得られるかもしれねェってんなら、齧りついてでも引き寄せる。弱った領主様やら、人質にできる村人やらが手に入ったってのは好都合だった」

 

リューズとガーフィールの言葉に、にわかに室内の空気が変わる。

つまり彼らは今、スバルたちの前で軟禁の理由――即ち、犯行の動機を供述しているのだ。これまで意識していなかった部分ではあるが、スバルと彼らの関係は軟禁する側とされる側。加害者と被害者の関係でもあるのだから。

 

「ってことは、アレか。お前らは、村人たちを人質に……自分たちを『聖域』から解放することを求めてるってことか」

 

「そう取ってもらってかまわん。そして、その条件を達成できるのが……」

 

ちらと、リューズは言葉尻を濁らせながらエミリアを見る。

その視線の意味を受け止め、エミリアは改めて己の立場を自覚したように、

 

「私。――そういうことなのね」

 

事態の推移を納得して受け入れ、それからエミリアは一度だけ瞑目。数秒してから目を開けた彼女には、もう迷いの感情は見えない。覚悟を、決めてしまっていた。

 

「村の人たちに、ひどいことをしたりはしてないのよね?」

 

「ったりめェだろ。これでぞんざいに扱うってんなら八つ当たりと変わりゃしねェ。そんなみっともねェ真似だきゃァ死んでもごめんだ」

 

そうして、やると決めたエミリアが己のことを後回しにする力は計り知れない。危険かもしれない試練に挑むと決めておきながら、すでに村人など他人の心配に意識が向いているのがいい証拠だ。

そんな彼女の強さと弱さが、スバルを引きつけてやまない理由でもあるのだが。

 

「不満そうな顔、してるじゃーぁないの」

 

「……当たり前だろ。けっきょく、思惑に乗せられてることは変わらねぇ。乗ってることに気付かないから、乗ってることに気付いても乗らざるを得ないに変わっただけだ」

 

悔しさに歯軋りを堪えつつ、スバルは笑みを含んだ目で見てくるロズワールに舌打ちをする。ただ、そっと思い出したように彼を振り返り、

 

「言いそびれたけど、ケガの原因だけどよ」

 

「うんうん、言ってごらん。採点してあげよーぅじゃないの」

 

「パフォーマンス。いや、布石ってとこだな」

 

首筋を指で掻きながらのスバルの言葉に、ロズワールの表情がかすかに強張る。そんな彼の反応を見ながらスバルは片目をつむり、

 

「軟禁状態に入って、アーラムの人たちがあっさりとそれを受け入れたとも思えねぇ。当然、反発はあったはずだ。それを収めるために、なにかしら行動を示す必要があったと思う。領主のあんたが大暴れしてガーフィールとかを追っ払えればそれでよかったんだろうが……聖域の人たちも領民だ。そんな真似はできねぇよな」

 

「ふむ。となると、どーぅなるかな?」

 

「ガーフィールたちが出す条件を呑むしかない。つまり、『聖域』からのハーフたちの解放。だけどこれにはエミリアたんの協力が不可欠。けど、それじゃ村人も住人も納得しちゃくれない。となれば、話は簡単だ。――『試練』に挑んでみせて、要求を呑む意思も、軟禁状態から解放しようとする意志もどっちもあったと示せばいい」

 

「――――」

 

「瘴気でどんだけダメージ食らうかまで予想してたかは知らねぇけど、死なない予測がついてりゃ挑めない賭けでもない。結果的に受けるダメージが大きければ大きいほど、真剣味も伝わるし同情も買える。その後の真打ちにも、期待がかかるって寸法だ」

 

つまるところ、ロズワールの負傷のなにもかもが彼の思惑通りの演出通り。

領主であるロズワールの実力の高さは、領民であるアーラム村の村人たちも知るところだ。そんな彼がこれだけの負傷を負うような『試練』。それを、乗り越えて自分たちを救ってくれる存在が現れればどう思われるだろうか。

 

「以上、悪意と偏見とご都合主義をまとめ上げて想像してみるけど、答案用紙はどんなもんよ」

 

「――いーぃやぁ、おーぉどろいたよ。これは本当に、実に実にじーぃつに、驚いてしまった。ほんの数日で、きーぃみになぁーにがあったって言うんだろうねーぇ」

 

スバルの言葉にロズワールは喉の奥で笑い、賞賛を向けてくる。

手を叩き、彼はその表情に晴れやかなまでの笑顔を張りつけ、

 

「すーぅばらしい。ほぼ、完璧な正答といっていーぃとも。そこまで読み切られるとは思ってもみなかった。やーぁっぱり、君は拾いものだったじゃーぁないの」

 

「そらどーも。反吐が出るぜ」

 

感激してやまない様子のロズワールだが、推測を肯定された側のスバルは胸糞の悪さを隠せずに視線をそらす。

彼の思惑も、その思惑を読み切れた自分も、その思惑がまさしくエミリアのための行いであり、それを内心で肯定的である自分に対しても、胸が悪くなる。

 

スバルとロズワールの悪巧みにも気付かず、エミリアはなおもリューズやガーフィールと『試練』含めた話題に意識を割いている。

そんな彼女の背中を見つめながら、スバルは今の話を彼女には決して聞かせまいと固く心に決める。

 

ただ、彼女は前だけを見つめてくれていればいい。

高潔で、気高くあってほしい彼女に、後ろ暗いこんな思惑は知られたくない。

被れる泥はスバルが被り、浴びせられる賞賛を彼女が受け取れればそれでいいのだ。

 

王選において、いまだなんの功績も立てていない、足場も固まっていないエミリア。

彼女の王選の始まりが、この『聖域』から始まるのだとすれば、自分は最大限の努力でそれを助けていけばいい。

 

決意を新たに、覚悟を固く、スバルは決める。

そうして、拳を握りしめるスバルの背後で、寝台に体重を預けるロズワールが、

 

「……ほぼ、正解だ。墓所に入った理由は、それだけじゃーぁないけどね」

 

そう小さな声で呟いたのは、寝台の横に控える桃髪のメイドの耳にしか届かず、聞いた彼女も痛ましげに目を伏せる反応を残すのみだった。