『非戦闘員の戦闘力』


 

「暴食……っ」

 

正面に立った悪夢を前に、オットーは背中を冷や汗が伝うのを堪えきれない。

大罪司教を名乗る敵――『暴食』の名はオットーも聞いている。ただ、その名前は。

 

「僕の聞いていた話では、大罪司教の『暴食』はロイ・アルファルドという名前だったはずですが」

 

「あれれ、僕たちより先に俺たちに会ってたのかな?それならお兄さん、普通そうなのに食べ残されてんのスゴいじゃん。悪食のロイならなんでもご馳走なのにさァ」

 

ライ・バテンカイトスを名乗った少年は、オットーの問いかけにケラケラと笑う。その笑い声を聞きながら、オットーは自分の恐ろしい想像が肯定されたと理解した。

――『暴食』の大罪司教は二人、いる。

 

「いえ、正しくは最低二人ですか……」

 

ライとロイ、というよりはバテンカイトスとアルファルドの二人か。最悪、無数にいる大兎のような悪夢を想定する必要があるかもしれない。

『暴食』の制御塔を攻略に向かったのはユリウスとリカードの二人だったはずだが、もしも待ち構えているのが単独でない場合、苦戦どころか敗戦は必至だ。

 

「おい!そんな野郎と仲良くお喋りしてる場合かよ!今はそれどころじゃねーだろーが!!」

 

ジリジリと、額に焼けるような感覚を味わいながら神経を研ぎ澄ませるオットー。その思案の時間に割り込んだのは、ひどくはすっぱな少女の声だ。

無論、その声の主の存在にはオットーも気付いていた。気付いていたから、困惑もある。

 

「フェルト様はなんでこんなところに?避難所で大人しくしてるよう、ラインハルトさんに言い含められてたはずでしょう!」

 

「都市がこんなことになってやがんのに、アタシが避難所で小さく丸まってられっかよ!」

 

勇ましく言ってのけるのは、金髪に赤眼の少女。こうして改めて対面すれば、見間違えるはずもなく特徴的な人物、フェルトだ。

 

「それで落ち着かず、飛び出してきてみたら大罪司教と遭遇って流れですか。だとしたら、僕に負けず劣らず運が悪い……」

 

「そんな悲観的にならなくてもいいだろ、お兄さん。僕たちにとっちゃァ、どんな出会いも美食へのスパイス。『暴食』なんて言われちゃいるけど、下ごしらえの大事さはちゃーぁんと理解してるからさッ」

 

バテンカイトスを中心に、立ち位置はオットーとフェルトで三角形だ。残る頂点の一つ、そこにも人影があるのだが、オットーにはそこにいる人物も見覚えがある。

 

「また会えて嬉しいですよ、キリタカさん……」

 

「沈んだ声と死んだ目で言われると素直に受け取りづらいものがあるよ、君!気持ちはわからないでもないが!」

 

再会を素直に喜べないオットーに、細身に包帯を巻いた姿が痛々しいキリタカの姿がある。

オットーがミューズ商会の本部を脱出し、都市庁舎に合流するときに『暴食』と激突、そのまま安否不明になっていた彼だ。生存は嬉しいが、この現状の舞台での役者としてははなはだ不安が残る。

 

「――――」

 

そしてそれは、オットーもまたフェルトとキリタカの二人に同時に抱かれている感想であろう。

――もっとちゃんと、戦える奴が欲しかった。

 

「非戦闘員が三グループで、敵の主力と接近遭遇。これどんな悪い冗談ですか。やめてくださいよ」

 

「アタシと歌姫中毒はまだ、仲間連れてっからマシだろーが。兄ちゃんの方こそ、一人とか頼りなさすぎる」

 

ぼやくオットーにフェルトが舌打ちする。

その点に関してはオットーも言い訳ができない。フェルトの下には粗野な格好をした大柄の従者。キリタカも何名か、『白竜の鱗』のメンバーを連れている。

単独で身軽なのは、オットーの方だけなのだから。

 

「何人集まっても一緒だってば。お前らじゃ俺たちのこの渇きは癒せないッ!あァ、どこにいるの、探してるよ、会いたい、会いたい、会わせてってねえ」

 

戦力を悲観するオットーたちに囲まれながら、しかしバテンカイトスの態度は泰然自若としたものだ。

少年は両腕をぶらぶらと揺らしながら、恍惚とした顔で意味のわからない言葉を口にしている。

 

「会いたい?いったい、なんの話をしてるんです」

 

その言葉尻を拾って、オットーは会話を継続しようとする。バテンカイトスの余裕は根拠のある余裕だ。

彼がその気になれば、オットーたちは一瞬で叩き伏せられる。少しでも時間稼ぎ――あわよくば、隙を作り出す必要がある。

 

「何度も説明させられるのはさすがに面倒だなァ。どうにも他の人たちは口を割ってくれないんだよッ。嫌だ、嫌だね、嫌だよ、嫌じゃないかってね」

 

「――――」

 

フェルトとキリタカは険しい表情で、バテンカイトスの言葉に首を横に振ってみせる。

問われて答えなかった、というのは二人のことらしい。

そして意外と会話が成立している流れから、オットーは『暴食』とは話ができないわけではないと睨んだ。

 

これでも『言霊の加護』で、人類がおよそ意思を交わすことができようはずもない相手とも会話してきたのだ。

交渉してみせよう。どんな難題でも、スバルを取り巻く問題に比べればマシな方だ。

 

――力、貸してくださいよ、ナツキさん。

 

「そう言わず、力になれるかもしれません。どうぞ、話してみてください。要求にあった、人工精霊のお話とかでしょうか?」

 

かなり危険な踏み込み。よどみなく口にすることで、あるいはバテンカイトスの導火線に着火しかねない言葉選びだった。が、バテンカイトスは首を横に振る。

少年はオットーが会話に応じるつもりがあると受け取ると、嬉しそうに笑って、

 

「僕たちが知りたいのは一個だけ……さっきの、あの都市中に聞こえる放送。アレをした、英雄を探してるんだよ」

 

「――――」

 

前言撤回。

やっぱりスバルは力を貸してくれなくていいし、できれば名前も貸してほしくなかった。

 

「その愛しい愛しい英雄が、俺たちを裁きにきてくれるらしいんだよ。この小さな胸が、それを求めて張り裂けそうなのさッ」

 

「……このひたすら厄介な相手を呼び寄せる性質、なんとかならないのかな、あの人」

 

本人がいれば「望んでねぇよ!」と言い返しただろうが、この場にいない人物に恨み言をこぼしても仕方ない。

オットーの反応に、フェルトが顔をしかめて、

 

「だーから会話しようとするだけ無駄だって言ったんだよ!誰が身内を売ってたまるかってんだ。そんな容赦ねー真似、ラインハルトぐらいしかしねーよ」

 

「その評価もどうかと思いますけど、フェルト様が監禁されていた下りは見ていたので何も言えません!」

 

鼻息の荒いフェルトは、バテンカイトスの同じ質問に口を割らなかった様子だ。キリタカも同じらしい。

二人とも、バテンカイトスの要求がスバルのことであるとはわかっているだろうに、即座にそれを投げ捨てた。

 

「――――」

 

それは人の判断としては善性だが、この場においては性急すぎると言わざるを得ない。

早い話、スバルは売られたとは思わないだろう。

 

「聞いた相手が悪かったですね。彼女たちはお探しの英雄さんとの接点が薄い。演説に感化されて避難所を飛び出してきてしまった、単なるせっかちさんにすぎません」

 

「はぁ!?」

 

「し――」

 

オットーの物言いにフェルトが青筋を浮かべる。が、代わりに彼女を黙らせたのはキリタカだ。

さすがにミューズ商会の商会主は、オットーの判断を即座に理解した。同時に、ちらと視線がこちらを向く。

その問うような視線に、オットーは顎を引いた。

 

「問答無用でないのなら、英雄の下へご案内しましょう。僕も自分の命は惜しい。その保障はしてもらいますが」

 

「へえ!知ってる?知ってるんだ?俺たちの英雄の場所を!愛しい英雄の姿を!あの弱くて脆くて、支えてあげないと不安で仕方ないあの人を!」

 

「――?ええ、はい」

 

気勢を吐くバテンカイトスの発言に、オットーは違和感を覚えながら頷いた。

まるで、少なからずスバルを知っているような発言だ。自分の英雄像を口にしているにしては、あまりにもナツキ・スバルという人間を見知った口振りだった。

 

「いいえ、ご案内しましょう」

 

だが、オットーはその違和感をねじ伏せる。

スバルのことだ。大罪司教ともう二、三人顔見知りでも驚くことはない。さすがに全員と因縁があるとまでは思わないが、『強欲』『暴食』『色欲』『憤怒』――全員だった。もともと全員だった。

 

「やけにしょぼくれた顔してんねえ、お兄さんさァ」

 

「余計なお世話ですよ。それより、どうしますか。この場で僕たちを皆殺しにして手がかりなしと、全員の命を保障する代わりに英雄と遭遇。――どっちにします?」

 

「嫌な感じの話し方だなァ、取り引きってやつでしょ?そういう頭を使うようなこと、僕たちも俺たちも苦手なんだよねえ」

 

「だったら、言われるがままにオススメの方を選んでみるのも悪くないですよ。これ商売人目線のお話ですけど」

 

「……ふーん」

 

会話の主導権は握れている。大罪司教のわりに、バテンカイトスは素直だ。そこだけが見た目通りに子どもっぽい気がして、歪んだアンバランスさが彼を怪物にしている。

ひょっとすると、あるいは彼も可哀想な少年なのかもしれな――。

 

「――今、僕たちを哀れんだだろう?」

 

オットーの内心をそんな感傷が掠めたとき、ふいに低い声でバテンカイトスが言った。

 

「え?」

 

「その目、覚えがあるんだよ。見下す目だ。嘲る目だ。僕たちを商品だと思ってる目で……あァ、そうか。さっきから嫌な感じがすると思ってたんだ」

 

オットーを見るバテンカイトスの瞳に、露骨な嫌悪と敵意が浮かんだ。

 

「お前、商人だろ?物に値段付けて、他人に売り払って私服を肥やす連中だ。人間の価値も思惑も、全部全部!天秤の上に載せて計算する亡者だろ?」

 

「それは……ちょっと、見解の相違があると思うんですが」

 

雲行きが一気に怪しくなり始めて、オットーは綱渡りの心境だったところに目隠しを追加する。

渡りきれるかどうか――それは話し合いを見守る、フェルトやキリタカの顔色からも答えは見えていた。

 

「誰がお前らの話なんて聞いてたまるかよッ!所詮、この世は暴飲ッ!暴食ッ!食って、食んで、しゃぶって、啜って、飲み込むまで信用ならない!」

 

地団太を踏んで、牙を剥き出すバテンカイトス。

溢れ出す鬼気は押さえようがない。爆発を目前とした炸裂弾に、小細工も言葉ももう届かない。

 

「結局、こうなるんじゃねーか」

 

フェルトが不満げに言って、その手の中でナイフを回す。奇しくも、得物はバテンカイトスも両手に括り付けた短刀だ。とはいえ、技量にははるかな差があろう。

 

「そうなると、頼れるのは『白竜の鱗』の皆さん……」

 

「おいおい!一応、オレたちもいるってんだよ!」

 

フェルトの横にいる従者が声を上げているが、フェルトは首を横に振った。つまりは賑やかし担当だろう。

修羅場で役に立たないスバルみたいなものだ。

 

「そう考えただけで、あの人の価値すごい下がるな……」

 

「お話し合いは、終わりましたかァ?」

 

バテンカイトスがゆっくりと、オットーたちの顔を眺める。全員の顔に、戦う気概がある。

それを見取り、バテンカイトスは満足そうに頷いた。

 

「美食においては下拵えと素材が大事。良品が揃って初めて、食の美徳が活きてくるッ!」

 

「わかるような、わからないような……」

 

「わからなくて大いに結構ッ!俺たちの美学は、僕たち以外の誰かにわかってもらおうなんて思っちゃいないッ!さァ、それじゃそろそろ――イタダキマス!」

 

会話の間に狙いは定まっていたのだろう。バテンカイトスが大口を開け、凄まじい跳躍力でオットーへ迫る。

水際に立っていたオットーは、飛び込んでくる冒涜者に指を突きつけて、

 

「保険が保険のままで済んだらよかったんですがね!」

 

「――はァ?」

 

「こういうことです――!」

 

疑念に眉を寄せるバテンカイトスの前で、オットーが二度靴音を高く鳴らす。

その音を聞いて、引き寄せられるように――。

 

「――――ッ!!」

 

オットーの背後の水路から飛び出す、水竜の群れが一気にバテンカイトスへと押し寄せていった。

 

※※※※※※※※※※※※※

 

――オットーが水竜の群れをたぶらかすのに成功したのは、ひとえに『憤怒』の権能の効果が大きい。

 

都市全域、とまでは言わずとも超広範囲にまで拡散した『憤怒』の権能は、市民の感情を大きく揺さぶり、かすかに芽吹いた不安の種を一気に開花させ、絶大な混乱と疑心暗鬼を生み出す結果を招いた。

もっとも、それを逆に士気高揚に利用したのがナツキ・スバルの先頃の演説であり、水竜の力を借りるに至ったオットーの暗躍の根拠でもあった。

 

「う、おおおおお――ッ!?」

 

押し寄せる水竜の群れの物量は、空中にあったバテンカイトスでは受け止められない。

 

手足のない蛇のような胴体をくねらせ、百キロは下らない質量の水竜が複数体でバテンカイトスを押し潰す。

ぬらぬらと青光りする鱗を覗かせながら、押し潰したバテンカイトスに次々と牙が向けられた。

 

「水竜の狩猟は残酷ですよ」

 

獲物に牙を突き立て、回転して肉を引きちぎる。あの小さな体に無数の水竜、肉片すらも残るまい。

 

「――――」

 

後味はよくない。

『憤怒』の権能の影響で、強い興奮状態にあった水竜たちを『言霊の加護』で言葉巧みに騙くらかした。

都市混乱の主格を討つと、甘い名目で誘って協力を取り付けたのだ。大罪司教との激突がなければ、反故にせざるを得ない約束だったが――ご覧の有様だ。

 

「すげーな!これ、兄ちゃんがやらしたのかよ!」

 

喝采を上げて、フェルトが駆け寄ってくる。

かなり残虐な光景を前に眉一つ動かさないあたり、彼女も肝は据わっているようだ。

 

「怒れる水竜に矛先を与えてやっただけです。大罪司教だろうとなんだろうと、自然の流儀には勝てませんよ」

 

「そうかもしれませんが……思った以上に恐ろしいことをする人だ、あなたは」

 

歩み寄ってくるキリタカも、どちらかといえば真人間寄りの感想を漏らしている。

 

「ともあれ、ご無事でよかったです。キリタカさんも、まさか生きてらっしゃるとは……」

 

「背中をばっさりやられましたが、幸い、『白竜の鱗』は名うての傭兵。治療役も揃えています」

 

とはいえ、痛々しい様子なのは免れない。

ただ、そんな怪我を押してまでキリタカが動き回っている理由ははたしてなんだったのか。

オットーの視線の意味を察したように、キリタカが真剣味を宿した表情で胸に手を当てた。

 

「決まっているでしょう。意地ですよ。私にはプリステラ運営の重役としての立場がある。放送は聞きましたが、全部お任せしますと引っ込んでいるわけにはいかない」

 

「その心意気は立派だと思いますが……」

 

「もちろん、まともに戦って私が役立つ可能性が薄いぐらいはわかっています。でも、そんな私にも意地を突き立てることぐらいはできるはず」

 

熱のこもったキリタカの発言は、『憤怒』の権能とスバルの演説の相乗効果でかなり浮かされている。

なるほど、市民の心の支えになっただろうスバルのあの演説は、使命感の強い人間には薬が効きすぎる。

普段なら恐怖と理性が止めるはずの、無謀な行動を許してしまうほどに。

 

「ただの無謀なんて、そんな風に考えるんじゃねーよ」

 

そのオットーの心の内を読んだように、フェルトが唇を尖らせて言った。

 

「大事なもんのために戦う権利は誰にでもあんだ。大げさな理由なしに、大した根拠がなくても、何かしてーって気持ちは誰に止められるもんでもねーだろ」

 

「それは……一個人の考えであって、責任ある立場の人には許されない判断ですよ」

 

「もののたとえだよ!それに、今回がそうだとは言ってねーじゃんか。ちゃんとアタシもそいつらも、勝算があるから飛び出してきたんだよ」

 

「勝算、ですか?」

 

キリタカをフォローし、その上で食い下がるフェルトは鼻の下を指でこすりながら、

 

「あの兄ちゃんの放送はアタシも聞いてた。ラインハルトの馬鹿も、アンタと一緒に都市庁舎に合流したはずだ。アタシ以外の関係者、みんな揃ってたんだろ?」

 

不甲斐ない、とフェルトが感じているのだとしたらそれは間違いだ。世の中には適材適所の言葉があるように、できる人間にしかできないことというものがある。

その理屈に沿うと、自分がここにいる理由がわからなくなりそうだったので、オットーは追及はやめておく。

 

「ハインケル氏はちゃんと取り押さえてあるんですか?」

 

「カンバリーに避難所で見張らせてるよ。アタシはガストンと二人で、取るもの取りにいった帰りだ」

 

取るもの、と言ってフェルトがガストンの方へ顎をしゃくる。大男の手には白い包みが握られており、細長い槍のようなものに見えた。

 

「それは?」

 

「ロム爺……うちの参謀役の知恵袋に持たされてた秘密兵器らしい。魔法器だってよ」

 

「魔法器!?このタイミングで、なんて都合のいい!」

 

本来、なし得ないような結果を引き寄せることを可能とするのが魔法器の力の凄まじさだ。

秘密兵器と聞かされれば、期待の一つも高まる。

 

「使えるようになる条件がちーっと面倒なんだけど、そこさえクリアすりゃ威力は折り紙付きだ。つっても、今の奴は兄ちゃんが片付けちまったから、別の奴に……」

 

「――っ」

 

フェルトが口にした言葉がきっかけではないだろうが、オットーの耳に悲鳴が届いたのはそのときだった。

 

弾かれたようにオットーが振り返り、その反応にフェルトやキリタカが目を丸くする。彼女たちには今の悲鳴が聞こえていない。当然だ。

それは人にわかる声で上がった悲鳴ではないのだから。

 

「思ったよりは楽しめる相手みたいだけどさァ……ただの水トカゲってのは食いでがないよねえ。美食家の僕たちとしちゃ、前菜としても出来が悪いッ」

 

聞こえてきた、この世の全てを嘲り倒すような声。

同時に、奪い合うように獲物を貪っていたはずの水竜の群れが跳ね回る。尾が、胴体が、頭が振り乱される姿は先の攻撃のときの興奮状態にも似ているが、ひきつるような苦鳴と噴き出す血が、明らかな異常を他者に伝える。

 

「フェルト様、その魔法器……威力はあるんですよね?」

 

「ロム爺の話じゃ、ラインハルトでも防げねーって話だぜ?」

 

「なるほど。それは心強い……キリタカさん!」

 

「な、なんだい?」

 

しっかりとした受け答えのフェルトと、水竜の様子にいくらか気後れした顔のキリタカ。

彼の護衛である『白竜の鱗』はまだしも、非戦闘員であるキリタカが留まることは危険なだけだ。

 

「ここは僕とフェルト様と、『白竜の鱗』の皆さんで時間を稼ぎます。その間に、キリタカさんは都市庁舎……いや、一番街の第八避難所に!」

 

「そこに向かって、何があると!?」

 

「――行けば、全部がわかります。キリタカさんが持ち出してくれた勝算が、そこで活きる」

 

オットーの宣言に力をもらった顔で、キリタカは顔色を変えると力強く頷いた。

彼は背後の護衛たちに振り返り、

 

「聞いての通りだ。私はこれから、オットー氏の指示通りに避難所へ向かう。諸君らはここで、彼らと共に戦ってほしい。都市を守るために」

 

「我々の仕事は若の警護……だったはずなんですが、いつの間にこんな厄介な立場になったんですかね」

 

「違うぞ。仕事は僕の警護じゃない。僕の目的を手伝ってくれ、が最初の契約だ」

 

苦笑する『白竜の鱗』へ、キリタカは真面目腐った顔で答える。その一人称が僕になっているのは、都市の責任者という立場よりキリタカ個人の想いが勝ったからか。

 

「僕の目的を手伝ってくれ、『白竜の鱗』。大事な職場である都市プリステラを守り、僕らの愛しい歌姫、リリアナを救うために戦おう」

 

「振り向いてももらえないってのに」

 

「微笑みかけてもらえないことと、想い続けることには何の関係もない。僕はリリアナを愛している。命懸けになるのにこれ以上の理由はない」

 

言い切って、キリタカはオットーとフェルトを見た。

そのまま彼は、その手に提げている鞄を持ち上げ、

 

「必ず、辿り着いてみせましょう。この都市の地図とリリアナのことは、誰より私が知っているのですから」

 

「一瞬、格好いい気がしたけどやっぱり気持ち悪かった」

 

フェルトの感想にオットーも同感だったが、そこは口に出さず、キリタカの覚悟に無言で頷きかけた。

 

「――そろそろ、準備はいいかい?」

 

悶えていた水竜たちの動きが止まり、白目を剥いた彼らは瀕死の状態だ。

その群れの隙間を抜け、ゆっくりとバテンカイトスがやってくる。少年の姿をした冒涜者は、自分を睨みつける敵対者を確かめて嬉しそうに自分の肩を抱いた。

 

「いいね、そうこなくちゃ。無謀と勇猛は違うし、自棄と不屈も全然別!それがわかってる顔だ。嬉しいよ。やっとお前たちも、俺たちの食卓に乗る資格を得た」

 

「ここまでのアタシたちはゴミ箱直行だったってか、いちいちムカつかせてくれやがんなー、こいつ」

 

「敵として認められたのが良いか悪いかはまた別ですよ。個人的には侮ってもらえていた方が、よっぽど打てる手が多いと思うんですけどね」

 

このあたりの考えは、スバルあたりならわかるだろうか。あるいは今の自分の考えも、スバルの影響を露骨に受けたものなのだろうか。嫌な想像だ。

ともあれ、

 

「キリタカさん!」

 

「――武運を祈る!」

 

オットーの呼びかけに従い、キリタカがこの場を離脱するために走り出す。ただ一人、戦場を逃れようとするキリタカの姿に、バテンカイトスが首を傾け、

 

「やめてくれよォ。せっかく、やる気と空腹感が優しく噛み合ったとこなんだから、さァ!」

 

逃げるキリタカの背を追って、バテンカイトスの体が勢いよく前に跳躍する。小柄な体の全身を使い、斜めに宙を飛ぶ速度は信じられないほど早い。

あわやそのまま、バテンカイトスの牙がキリタカへ届くのを素通りしてしまう。――寸前だ。

 

「ガストン!」

 

「これで死んだら、オレは泣いて化けて出るぞ!」

 

フェルトの声が大気を切り裂き、ほぼ同時に飛び出していた巨漢がバテンカイトスの進路上に割り込む。

両腕を顔の前で交差し、腰を落として構えるのはフェルトの従者ガストンだ。

 

「邪魔するなよォ――」

 

腕の短剣を振るい、邪魔者をバテンカイトスが切り倒そうとする。鋼の刃が鈍くきらめき、一撃がガストンの剥き出しの腕に突き刺さる。

快音が響き、バテンカイトスの短剣が折れた。

 

「はぁ?」

 

「――――」

 

疑問符を浮かべたバテンカイトスの声は、そのままそれを見ていたオットーらの疑問でもあった。

ガストンの体勢は変わっていない。彼はその腕で、バテンカイトスの短剣をへし折った。

 

「うちの大男は硬いだろーが。アタシの鎧役なんでな」

 

ビビらせてやった、と嬉しそうなフェルトが、その手の中のナイフをバテンカイトスへ投じる。バテンカイトスはそれを、ガストンを蹴りつける勢いで回避。

後方宙返りしながら距離を開ければ、道を塞ぐように『白竜の鱗』が位置を変える。

キリタカの離脱、これは叶った。

 

「ふーん、へーぇ。なるほど」

 

まんまとしてやられた形になったバテンカイトスだが、その顔に張り付いた享楽的な笑みは崩れない。

バテンカイトスはそのまま、相対するオットーたちを順繰りに眺めて、

 

「ルイが喜びそうなのは、三人かな」

 

震える吐息でそう囁くと、折れた短剣を腕から外す。これで左手は素手、武装が右手だけだが――。

 

「なんでか、全然差が埋まった気がしないんですが」

 

相変わらず、オットーの警鐘は最大の危険を訴えて鳴り響き続けている。

そのけたたましい音源を頭から追い払い、オットーはフェルトの横顔を見る。その幼い顔には変わらず、威勢のいい戦意が燃えているのを見て、決断した。

 

逃げの手はなし、戦おう。

 

「この一年、ちょっとした武闘派よりも戦ってる機会が多いのは、商人としてどうなんですかねえ」

 

口の中だけでこぼしたその声は、誰にも届かない。

 

だから言葉の内容のわりに、それを悲観した声の調子でなかったことも、誰も気付かなかった。