『蒸かし芋』


遠く、意識は波間を漂っている。

揺らめく波紋、まどろみの中、夢と現の狭間で意識は浮き沈みを繰り返す。

 

「――る方法は、他には」

 

「――けかしら。あとはお前の好きにするがいいのよ」

 

遠く、いや近く、彼方と此方の境目で、誰かの言い合う声が聞こえる。

縋る声、突き離す声、涙声、感情を凍らせた声。声。

 

ふと、柔らかな感触に掌を包まれる。

それが誰かの手の感触なのだと、もう幾度か触れた記憶から思い出させられる。

以前にもこうして、この温もりを感じたことがあったはずだ。

 

しかし、その掌の感触がふいに遠ざかる。

こちらの手を離れ、遠く、遠く、触れられないほど高く、高く。

そして、

 

「――必ず、助けます」

 

そんな強い決意だけが残り、置いていかれる。

なにもかもが消えていく、置いていく、行ってしまう。遠く、遠く。

 

そして――、

 

※ ※※※※※※※※※※※※

 

強制的に意識を遮断され、こうして目覚めるのはもう何度目の経験だろうか。

 

見慣れない天井の模様を目にしながら、スバルはぼんやりとそう考える。

シミの数を数えている間に終わるよ、なんて古いピロートークがあるが、異世界の文化レベルでのシミの数でいくと、だいぶ長丁場になるよなぁなんて益体もないことを思って苦笑――脇腹がひきつって、思わず苦鳴が漏れた。

 

「ぉぉう、いって……」

 

痛んだ脇腹に触れようとして、回した左腕に違和感が爆発。感じた違和そのままに左手を顔の前に運び、その不細工さを目にして納得がいった。

 

左腕の指先から手首に至るまでを、白く浮かび上がる傷跡がびっしり埋め尽くしている。さらにその傷は歪で不格好な糸状のもので繋ぎ止められており、裁縫が苦手な子どもがメチャクチャに縫合した、と言われれば信じてしまう出来だった。

 

違和感があるのはそこだけではない。

服の裾をまくると、ひきつった右の脇腹にも似たような縫合。さらには両の足首、右腕の二の腕あたりに右肩周辺、ついでに尻と枚挙にいとまがない。その全てに傷跡と縫合が施されており、ちょっとした改造人間の気分が味わえるほどだ。

 

変わり果てた自分の体の各部を確かめるように撫でる内、かすかな痛みとともにゆるやかに記憶が戻り始める。

そう、自分は確か、森の奥へ子どもたちを探しにいき、魔獣に遭遇して――、

 

「絶対死んだと、思ったけどな……」

 

襲われるレムを庇い、全身に魔獣の牙を浴びた。

猛獣の顎はスバルの肉体を容易く噛み砕き、引き千切り、ボロクズのように切り裂いていったはずだ。命がこぼれ落ちるのを実感し、終わったと半ば確信したはずだったのだが。

 

「ミイラ男……とは言わないわな。こんだけ針と糸で修繕されてるとこみると、キョンシー的なイメージの方が正しいか」

 

あるいは頭にネジの一本でもブチ込んであれば、フランケンシュタインのイメージか。

と、そこまで考えて、はたと己の能天気さに思い至る。

 

「――そうだ。バカ言ってる場合じゃねぇ。レムとか子どもたちは」

 

簡素な寝台から体を跳ね上げて、スバルは状況を把握しようと周囲を見回す。

見慣れない天井、粗末な寝床。狭い部屋にボロい家財と、とてもではないがロズワール邸とは思えない。

そして、入口のすぐ側――木製の椅子に腰掛けて、顔を俯かせて眠っている銀髪の少女の存在に気付いた。

 

「エミリア、たん」

 

呼びかけに応じる様子はない。

うたた寝する彼女の眠りは深いらしく、寝息の深度はかなりのものだ。美しい銀髪は珍しく、整える暇もなかったのかわずかに乱れ、なにより着衣のあちこちには血や泥の跡がひどく残っているのがわかった。

 

負傷した自分。寝台で朝を迎えた自分。すぐ傍らで椅子に座り、眠るエミリア。そして彼女の着衣は血などで汚れている。

それらの点から考えれば、いかに頭の鈍いスバルでも状況は把握できる。

つまるところ、

 

「俺はまた、エミリアたんに借りを作っちまったってことか……」

 

「どうかな。多少なりとはリアにも感謝すべきだとは思うけど、今回はもっと感謝すべき相手が他にいると思うよ、ボクは」

 

スバルの自責の呟きに応じたのは、銀の髪の奥から姿を見せた灰色の猫だ。

彼は眠るエミリアの頬を肉球で軽く撫で、それから浮遊してスバルの顔の前に浮かび、

 

「や、おはよう。目覚めはどんな気分だい?」

 

「絶好調、とは言いづらいな。知らない間に改造人間だ。脳みそいじられる前に脱出して、組織の連中に復讐するマスクドヒーローをやりたくなる」

 

「改造……ああ、スレッドのことか。仕方のない処置だよ。ただ回復させる分には、君の体内のマナじゃ足りなかった。繋ぎ合わせるだけでも道具に頼らなきゃならなかったのさ。それがなきゃ今頃、きっとバラバラだよ?」

 

「ゾッとしねぇ話だよ!それにしたってもう少し裁縫うまい奴がやってもよかったんじゃねぇかな」

 

縫合それ自体は気にしないとしても、その手際の悪さには物申したい。特に裁縫レベルSの称号に与る身としては、基礎から叩き込みたいところだった。

そんなスバルの言葉にパックは「いやいや」と手を振りながら、

 

「人の体に針を通すなんて久しぶりだったから。もうあっちこっちに力が入っちゃって大変だったよ」

 

「よりにもよってお前かよ!むしろよくそのちっさい体で裁縫できたな!?」

 

「動かないから楽だったよ。出血がひどかったから傷口凍らせながらやったところが多いんだけど、それは我慢してね」

 

「傷跡が妙に白いのはそれが理由か……男の子だから、痕が残るとかでぴーぴー騒いだりしないけどさ」

 

傷跡の各部を見回しながら、それからスバルは改めてパックに向き合う。

パックはそのスバルの姿勢にきょとんとした顔をしたが、そんな黒い眼の彼にスバルは深々と頭を下げて、

 

「おかげで助かった、ありがとう。俺はまた命を拾った」

 

「うんうん、素直なのはいいことだ。それに今回は君もそれだけのことをした。それで君が倒れたとあってはあまりに浮かばれない。だからいいってことだよ」

 

スバルの感謝の言葉に、パックは照れるでもなくそう応答する。彼のその言葉に胸のつかえを外されながら、スバルは「それじゃ」と前置きして、

 

「それだけのことをした、とは嬉しいお言葉だけど……実際、あのあとどうなった?正直、俺は森で犬どもにガブガブされたところから記憶がねぇんだが」

 

「ガブガブとはまた可愛い表現だね。運び込まれてきたときの君の状態からすると、もっとこう『ムシャボリグシャブチッブチッミチバリブシャー』って感じだったと思ったけど」

 

「おいおい、その効果音だと間違いなく死んでるよ。腕の五、六本はないパターンだぜ、俺ひとりじゃ足んないよ」

 

「うん、だからまあ、青髪のメイドの子もかなりひどい有様だったよ」

 

あっさりと気楽な様子で言われて、スバルの喉が思わず凍る。そんなスバルの反応にパックは「もっとも」と付け加えてから、

 

「あの子の場合は鬼化の影響でガンガン傷が治るからね。村までスバルを担いで戻った時点で、目立った外傷はなかったよ。治癒魔法の必要もないぐらいだね」

 

「無駄にビビらせんなよ。……ともかく、レムも村に戻ってんだな。あともうひとり、俺と一緒に担いでこられた子とかは」

 

「いたから安心していいよ。子どもたち六人にもうひとりを加えて七人。そしてスバルと、青髪の子が力持ちでよかったね。結果的に君の判断は大正解だよ」

 

ぱちぱちと、口で言いながらならない掌を打ち合わせるパック。肉球の柔らかみが邪魔して拍手の音が出ないのだ。見ていると和む光景に口元が緩みかけるが、スバルはそれを首振りで追い払うと、

 

「パック、何個か聞きたいことがあるんだけど、大丈夫か?」

 

「リアが起きないように小さい声でならね。ボク自身の顕現は夜の内に溜め込んだマナでしてるけど、夜中の間に出てたときはリアのオドを使ってたから」

 

「オド?」

 

「外界から取り入れるのがマナ。対してオドは元々、その生物の体内に備わっている、文字通り魂の力だよ。マナと違って、オドは身を削ることになるからあんまり使ってほしくないんだけどね」

 

言いながら、パックは困った娘を見るようにエミリアの方に視線を送る。

つられて彼女の寝顔に見入りながら、スバルは今のパックの言葉にすんなりと納得がいっていた。エミリアならば、誰かを助けなければならないときに身を削る必要があるなら迷うまい。昨夜の段階でパックが必要になり、それで削るのが自分のことでいいのならば、決断に欠片の躊躇いもなかったと想像がつく。

 

「そうすると、俺はエミリアたんに身を削らせてまで助けてもらったってことになるのか?」

 

「それもあるね。でも、昨日の場合のボクの出番は主に子どもたち――スバルが森から連れ帰った子たちだね。その子たちの解呪が目的だったから」

 

「解呪……そうだ!それもあった。子どもたちは大丈夫そうなのか?呪いは?」

 

「それも安心」

 

詰め寄りそうなスバルを手で制し、パックはその猫面を愛嬌のある笑みの形に歪めて、

 

「回復魔法で衰弱もだいぶ抑えられてたし、解呪もうまくいったから問題ない。子どもたちの呪いは確かに解呪したよ」

 

太鼓判を押すように、己の胸を叩くパック。その姿にスバルは深い息を吐き、自分の行動が無意味に終わらなかった事実に安堵する。

そして、安心すれば現金なのが人間の体というもので、

 

「お」

 

安心感が胸中を支配した直後、スバルの腹の虫が大きな悲鳴を上げる。

腹に触れて、その空っぽな感覚に痛みに似たものを覚えながら、そういえば昨晩は夕食を取り損ねていたなと思い出す。

 

「ちなみにボクはマナを摂取していればお腹が減らないんだ」

 

「別に聞いてないけど。しかし、マナってそこらじゅうにあるわけだから、空気吸ってるだけでお腹いっぱいとか植物みてぇだな」

 

「水と日光もいらないよ。必要なのは愛情だけ。精霊と付き合っていくには、決して忘れちゃいけない大切なことさ」

 

「へいへい。表とか、見にいってもいいか?」

 

扉を指差して問いかけると、腕を組んだパックが何度か頷き、

 

「いいと思うよ。少し体を動かして、つぎはぎ状態な自分を確かめてみた方がいいからね。あ、スレッドは体に馴染めば勝手に体内に吸収されて消えるから」

 

「おー、よかった。さすがにこのミミズがのたくったみたいな縫い目でオシャレ気取るのは難易度高い。生まれるのが早すぎた二百光年ぐらい、みたいな」

 

渾身のボケに対してパックは笑みのまま首を傾ける。

伝わらなかったらしい。本当は「光年は距離だよ」的な突っ込みから、「それぐらい違う星のセンス」的なボケに繋げる黄金のパターンだったのだが。

 

パックの許可を得て、スバルは部屋の外へ向かう。

途中、扉のすぐ隣で眠るエミリアに小さく頭を下げる。下げた際に彼女の寝顔が目に入り、その安らかな寝顔に鼻息が荒くなって悪戯したい気持ちでいっぱいだったのだが、すぐ側にいる保護者の目が厳しくて断念。諦めて外に出た。

と、

 

「ああ、まぁ、当たり前っちゃ当たり前か」

 

部屋を出て、すぐ正面にあった玄関から建物の外に顔を出したところで、騒然となっている村の様子にスバルはそうこぼした。

 

時刻はまだ朝日が昇り始めて間もないといったところだが、村の中央にある広場にはすでに多くの人影が集まっている。

小さい村落だ。そこにいる人々の数で、村のほとんどの人員が勢ぞろいと言えよう。年寄りや女性、子どもたちが肩を寄せ合って不安そうにするのを、屈強な青年を中心とした一団が守るように周囲を囲っている。

村人を守るように囲うのは、昨夜も子どもたちの捜索に尽力していた青年団だ。彼らの囲みの中に、スバルは目的の顔ぶれを見つけられずに首をひねり、それから人の出入りが多い別の建物の方へ足を向ける。

とその前に、

 

「――バルス、起きたのね」

 

後ろから声をかけられて、スバルは足を止めて振り返る。

呼ばれ方ですぐに察しがついたものの、そうして本人の顔を見ると自然と安堵の気持ちが勝るのがわかった。

 

背後に立つのは桃髪のメイド――ラムだ。

彼女は見慣れた給仕服の袖をまくり、その手にザルのようなものに、大量の蒸かした芋のようなものを乗せて運んでいるところだった。

 

わずかに湯気の立つ芋からは、ほのかに塩に近い香りが漂ってきていて、空腹のスバルの胃袋を期待と高揚感で喝采させる。

先ほどパックが口にした擬音に近い音を腹から鳴らすスバルに、ラムは「ハッ」と鼻を鳴らしてから、

 

「あれだけ重傷で心配かけておいて、目が覚めたらすぐに食料を求めるなんて浅ましい。犬に噛まれて犬が伝染ったんじゃないの?」

 

「犬が伝染るってどんな状態だよ、という突っ込みもほどほどに、ふーんへーえ、そーぉ、心配してくれたんだぁ?」

 

背を伸ばし、身をかがめ、体を左右に振りながらラムに歩み寄ってドヤ顔。

そのスバルのからかいの態度にラムは目を細めて、

 

「食らうがいいわ」

 

「そふほず!」

 

口の中に蒸かした芋が強引に突っ込まれて、文字通りに喉を潰される。

おまけに灼熱が口の中を蹂躙し、スバルは上を向きながら「はふ!はふ!」と動物のように荒っぽく呼吸。それから、

 

「死ぬかと思ったわ!うまかったけど!」

 

「おいしかったでしょう。できたて……いえ、蒸かしたてよ」

 

「なんだそのキメ顔、腹立つわ!うまかったけど!」

 

「はいはい、もう一個あげるから黙って貪っていなさい」

 

芋を渡され、子どものようにはしゃいで受け取る。ラムはそんなスバルをしばし蔑むように見てから、

 

「まあ、昨夜の件に関しては素直にお礼を言っておくわ。ご苦労さま」

 

「ご苦労ってどこまでも上からだな、お前。いや、別にいいんだけど……お前がお礼を言うようなことか?」

 

「領民になにか不利益があれば、領主の責が問われる。あのままジャガーノートの群れに子どもが脅かされていたら……と思うと、バルスの行動は正解だったわ」

 

「ジャガーノート、ね……」

 

それがあの黒い魔獣の名称なのだろう。

たいそうな名前が付けられているものだ。聞けば一発で、遭遇しただけで命が脅かされる類の存在だとこちらに伝わる。

スバルの頷きに、ラムは森の方へ視線を向けながら、

 

「昨晩、ほつれていたらしい結界は結び直したわ。そのあとも、一晩かけて結界に問題はないか見て回ったから、こちらへ抜けてくる魔獣はいないはず」

 

「こっちから抜けていかない限り、か?ガキ共が結界越えて向こう側いって、赤ん坊連れて戻ってきたら意味ないぞ」

 

「耳が痛いわね。結界が張り巡らされて以来、魔獣とは小競り合いすら起こらないものだから気を抜いていたのよ。――言い聞かせておくわ」

 

言い方がやや穏便でないのは、彼女も彼女なりに苛立つところがあるからだろう。スバル的には巻き込まれたことに関しての不愉快さだが、彼女にとってはおそらくはロズワールの指示をきちんと聞かない村人に対してだ。

行き過ぎた彼女の忠義を思えば、説教される村人が哀れでならない。

 

内心でその哀れな村人に手を合わせながら、スバルはふと立ち眩みを覚える。

思わず体がふらつき、頭を押さえるスバルをラムは軽く手で支えて、

 

「無理はしないことよ。実際、大精霊様やベアトリス様がいなければ、死んでいるのが当然の傷だったんだから」

 

「ベア子の名前が出てくるってことは、あいつにも借り作ったのか……痛恨!」

 

「大精霊様のお願いとはいえ、ベアトリス様が禁書庫はおろか屋敷の外へ出てくれるなんて珍しいことよ。屋敷の外では十全には振舞えないお方だけど」

 

ラムの手の支えで体勢を立て直し、スバルは軽く頭を振る。

どうも、血が足りていないという感じがする。ロズワール邸初日の朝と似たような気だるさがあり、手足の先が重いのは深刻なマナの不足というやつだろうか。パックの話では相当な負傷を繋ぎ止めたという話だ。

もともと貯蔵量の少ないスバルの保有マナでは、枯渇していても不思議ではない。

 

「もう少し、村の経過を見守ってから屋敷へ戻るわ。呪いを解呪した子どもたちの様子も気になるし……ジャガーノートの対策についても」

 

「対策っつっても、結界張ってオッケーってわけにはいかねぇの?」

 

「これまでの小競り合いでならそれでもよかったかもしれないわね」

 

スバルのささやかな疑問に、ラムはいつもの無感情な顔でそう応じる。

が、感情のないはずの彼女の瞳に見つめ返され、スバルの背筋はまるで氷を差し込まれたように鳥肌が立つのを止められない。

彼女はそんなスバルに一言ずつ、噛み含めるように、

 

「村に被害を、ましてやロズワール様のお屋敷の、関係者であるバルスに、これだけのことをしておいて、不干渉で済ませるなんて、あり得ない」

 

「ど、どうするおつもりで……?」

 

思わず敬語になってしまうスバルに、ラムはふっとその威圧感を消し、己の桃髪を軽く指で梳きながら、

 

「掃討するわ。――もっとも、ロズワール様がお戻りになられてからの話。ロズワール様が戻られれば、それほど時間のかかる話ではないもの」

 

全幅の信頼を寄せる言葉に、スバルの反論の余地もない。

ロズワールの実力の程は知れずとも、そのラムからの彼への絶大な信頼の程は思い知ることができた。

 

その後、スバルはラムからあと二個ほど蒸かし芋を強奪してから別れる。

別れたあとで彼女が向かうのは、今も心細げに身を寄せ合う村人の一団。彼女なりに、思いやっての行動なのだろう。その意思表示が蒸かし芋というあたりが、なんともラムの淡泊な雰囲気が出ていてらしすぎるが。

 

「でも蒸かし芋うめぇ。マジ塩加減が絶妙すぎる」

 

受け取った蒸かし芋をかじりながら、その後もスバルは村を散策。

体の調子を確かめる傍ら、森から回収してきた子どもたちの安否の確認も同時進行だ。子どもたち当人は昨晩の疲労、解呪によるマナの消耗もあって眠りについたままだったが、子どもたちの親からは過剰なほどの感謝を受けた。

正直、感謝されたくてやったわけでないスバルは死ぬほど焦り、これ以上ないほど狼狽した挙句、大したボケをかますこともできずに照れ臭さから逃走を選んだ。

 

思わぬ歓迎ぶりに冷や汗を掻きつつ、スバルは主な目的を回収したなと判断。最初眠っていた部屋に戻り、エミリアの起床を待とうなどと思いつつ、まだ青髪の少女と顔を合わせていないことに思い至る。

 

――ふと、返り血を浴び、哄笑を上げる鬼の姿が脳裏を過った。

 

瞬間、スバルの身を震わせたのは、恐怖などという感情ではなかったと思う。

もっと圧倒的な、生物として見上げるほど上位の存在を目前にしたような、言葉にし難い感情だ。あるいはそれを、人は畏怖と呼ぶのかもしれない。

 

額から白い角を生やし、人ならざる力を用いて魔獣を葬るその姿は、まさしく伝承に残る鬼のイメージそのものだった。

その彼女を前にして、今まで通りに振舞えるだろうか、そんな不安がある。

 

「いやいや、双子のラムにあんだけ大丈夫だったのにどんな心配だよ。レムが鬼ならラムだって鬼だろ……俺、すげぇ貴重な体験してねぇ!?」

 

軽口で怖気づく自分を忘れさせつつ、スバルは頭を振って記憶を一新する。

昨晩の、一番衝撃的なシーンばかりを思い返すからそんな気分になるのだ。もっと鮮やかで、そんなキツイ情景など忘れられるような爽快感に満ちた光景を――。

 

鉄球が魔獣の頭を砕き、胴体を吹き飛ばし、群れをぶち抜く情景が浮かぶ。

 

「あれ、鬼になったとこ省いてもスプラッタしか思い浮かばねぇぞ。しかも、うぇ、思い出したら気持ち悪く……」

 

血と内臓の饗宴がふいに思い出され、スバルは嘔吐感に口元を押さえる。

そのままふらふらと建物の端へ向かい、草むらにしゃがみ込んで荒い呼吸。どうにかこうにか堪えられそうで、ホッと安心する。

なにせ空腹だったところにようやく詰め込んだ蒸かし芋だ。しかも、ラムなりの思いやりの込められた大切な一品。無駄にしたとあっては男の名が廃る。

 

なんとか嘔吐を堪え切って、スバルは自分で自分を褒めながら大きく頷く。

それから、改めてレムと向き合おうと顔を上げて、

 

「――ちょうどいいところにいたのよ」

 

草むらの向こうから、クリーム色の髪を縦ロールにした少女が姿を現していた。彼女はスバルの姿を認めると、こちらに手招きして、

 

「話があるかしら。ちょっと付き合う……「おろろろろろろろろ」」

 

気取った感じのベアトリスの言葉尻にかぶさって、堪えたはずの奴が全部出た。

 

「きゃあああああああああああ!!」

 

存外、可愛らしい悲鳴を上げるなこいつ、などと思いながら、スバルはもう一度出たからには止まらない芋を吐き出し続ける。

白く、白く、蒸かした芋はとどまることなく、排出され続けた。

 

※ ※※※※※※※※※※※※

 

ひとしきりの騒ぎが収まり、スバルがベアトリスに連れてこられたのは、魔獣の森のすぐ側の建物の裏だった。

 

以前はここは自営業の小さな店が軒を連ねていたはずだが、さすがに魔獣の騒ぎがあった翌朝とあっては、このあたりを意味もなくぶらつく村人は見当たらない。

もぬけの殻となった家々が並ぶ今のこの場所は、なるほど村の中で内緒話をするのならもってこいのポジションといえるだろう。

 

「で、そんなとこに呼び出して、いったいなんのご用件だ?」

 

「さっきまで戻してた奴の態度じゃないのよ。反省するかしら」

 

「ああ、背中さすってくれてありがとな、少し楽になった。あ、そういえば俺の体を繋ぎ合わせるのも手伝ってくれたとか」

 

「前者と後者で同じような感謝のされ方をすると、ベティーも少しお前との接し方に悩むところなのよ」

 

どちらにせよ、感謝しているのは事実なので素直に受け取ってもらいたいところだが。

そんなスバルの思惑はさて置き、ベアトリスは彼女らしくもなく、しきりに視線をさまよわせ、戸惑うように自分のスカートの裾を指でいじり回している。

 

なにか言い難い話がある、という態度だ。

わりとスバルに対しては率直に、なんでも口にする彼女らしくない態度だと思う。あるいはその表情が年相応に、『親に怒られるのを恐がる子ども』のような雰囲気に思えなくもないことも影響しているだろう。

 

そんな顔をされてしまえば、乱暴にその先を促すなんて真似はスバルにもできない。腕を組み、建物に背を預けて、スバルは彼女の言葉を待つことにする。

が、その待つ姿勢はそれほど長くは必要なかった。

 

スバルが先を求めなかったことが、逆に彼女の決断の後押しになったらしい。

ベアトリスは瞑目し、それから覚悟を決めたようにその瞳を押し開く。

そして、

 

「にーちゃにはにーちゃの考えがあってのことなのよ。でも、そのことを黙っているのはお前に対して公正とは言えないかしら」

 

にーちゃ、と彼女が慕って呼ぶのはパックのことでしかあり得ない。

先ほども会話を交わしたばかりの灰色の小猫の姿を思い浮かべ、スバルは彼女の口ぶりに首を傾けて疑問を表明する。

 

ベアトリスはそんなスバルに対して、

 

「にーちゃはあの雑じり者の娘に肩入れしているから、あの娘を優先する。それは精霊として正しいことなのよ。でも、ベティーとしては不満があるかしら」

 

「お前、なにを……」

 

言おうとしているんだ、というスバルの言葉は続けられなかった。

それより先に、かぶせるようにベアトリスが口を開いていた。

 

彼女は告げる。

 

「――あと半日もしない内に、お前は死ぬのよ」