『追跡』


ペテルギウスの墓標に短い吐息をぶつけて、スバルはそれ以上の戦いの痕跡から目をそらした。

 

そうして振り返れば、スバルを出迎えるのは裾の汚れを払うユリウスと、パトラッシュの背から頭を振って降りるミミとティビーの二人だ。

姉弟への精神汚染の影響もかなり晴れた様子だ。元凶が命を落としたことが大きいのだろう。精神汚染のカラクリだけはイマイチ解けなかったが、おそらく悪影響が残るようなことはないと思っていたい。

 

「一度、あいつに頭の中にまで入られたことのある俺が言っても説得力がねぇな。……本気でなんにもねぇだろうな、おっかねぇ」

 

ペテルギウスが精霊であり、一度は契約状態にまで持ち込まれたのだ。

押し売り的に契約を持ちかけてくる存在というものは、元の世界だろうが異世界だろうが良い印象になる要素がない。ましてやそれが殺し合いにまで発展した狂人となればなおさらのことだ。

 

「殺し合い……ね。日常生活送ってたら一生言わねぇ台詞だな」

 

頭を振りながら、スバルは自分の感性が異世界に染まってきているのを自覚する。それが良いことなのか、悪いことなのかまで判断できなくとも。

 

妙に感傷的になってしまっているのも、大一番を乗り越えたというひとつの安堵感があってのことなのだろう。思えば王都を発端としたこのループは、異世界に召喚されて以来、最大の山場の連続であったといえる。

その最終目標を突破した現状、ある種の虚脱感があってもおかしな話ではない。

 

「ペテルギウス倒してしんみりとか、すると思わなかったぜ。……気持ち切り替えろよ、俺。落ち着いて、振り仰いで、考えてみりゃぁやること満載だぜ」

 

なにせ、エミリアと仲直りするという当初の最大目的がこの回ではまだ果たされていないのだ。

 

王都での喧嘩別れに始まり、その後のクルシュ陣営との同盟や白鯨の討伐。魔女教討伐に絡めて、嘘情報で謀って彼女たちを村から避難させた経緯。そしてそれらの事態の後始末を含めた事後説明――体を張るイベントが終わった代わりに、心をすり減らしそうなイベントが盛りだくさんなのだから。

けれど、

 

「傷付いたり死んだりしない分、そっちの方がずっと気楽だ。平穏な日々の大切さはそれを失って初めて気付くってやつだな。俺は最初から変わらない日常ラブフォーエバーだったけど」

 

ともあれ、村へ戻って討伐隊の面々と合流し、今後の動きを相談しなくてはならない。聖域へ向かわせたラムたちと、王都へ向かったエミリアたちとの合流は二手に分かれる必要がある。もたもたしていると、彼女らが目的地に到着してしまう。

 

岩肌の地面を歩きながら、頭を働かせるスバル。と、その足取りがふいになにかに気付いて止まった。視線の先にあるのは血の跡――ペテルギウスの墓標から伸びる、奴が最後に這いずった道筋の導であり、その始まりの場に、

 

「――福音書」

 

法衣の裾からこぼれ落ちたのか、あるいは最後の最後に縋ろうとして取り落としたのか、福音書は表紙を血と泥に汚しながらそこに放置されていた。

足を向けて拾い上げ、スバルはそのページをぱらぱらとめくる。一度、以前の世界で内容を検めたときと見たところ変わった様子はない。相変わらず中の文章を象る文字は見たことのない文字形式であり、後半のページが白紙なのも同様。

ペテルギウス打倒が成った今、大罪司教という中核に近い人物から話を聞くことはできなくなったわけで、

 

「逆にいえば、手掛かりになりそうなのはこれぐらい……か。とりあえず預かっておいて、クルシュさんとかロズっちに相談してみっか」

 

なお、今の発言でロズワールが後ろにくるのは普通に信頼度の差である。有事の場面で不在だったのが響き、同じ陣営なのに好感度が軒並み下がったロズワール。今後の活躍が非常に期待される。ロズワールが大活躍するような事態、起きないに越したことはないというのが本音ではあるが。

 

福音書の汚れを払って、足を引きずるようにしながらユリウスたちの下へ。直接的な被害はほとんどないものの、ユリウスと感覚を同調していたときの幻痛はいまだにじくじくと体のあちこちを疼かせている。

仮に治療しても、実際に傷を負っているわけではないこの見えない傷の痛みはいつになったら薄らぐのか。考えただけでちょっと恐いと思う中、スバルはふいにユリウスの表情が厳しくなるのを見た。

 

「ようやく決着がついたと言いたいところではあるが、すぐに村に戻ろう、スバル」

 

なにが、とこちらから問いを発するより前にユリウスが顔を上げた。

その表情を真剣な形に引き締めるユリウス、その彼の手の中にはスバルと同じく、今しがた拾い上げたばかりと思われる対話鏡があり、それは途切れていないのであればフェリスとの交信を継続しているはずだ。

 

不穏な空気に眉を寄せ、スバルが無言で先を促すと騎士は頷き、

 

「フェリスの尋問で、魔女教徒が気になることを言ったらしい。避難させた方々が危険にさらされるかもしれない」

 

と、スバルの思惑の根本を揺るがしかねない発言をしたのだった。

 

※※※※※※※※※※※※※

 

「おっかえり~。無事に大罪司教はぶっ殺せたみたいでよかったじゃにゃい」

 

地竜にまたがり全力で村に戻った四人を出迎えたのは、物騒なことを語りながら心底楽しげなフェリスだった。

あっけらかんとしたその態度に、それまでの緊迫感が唐突に薄れる気がしてスバルは嘆息。ただ、彼の態度はいつでもそんなものなので今さら言及もしない。

 

ぐるりと首を巡らせ、スバルは村の中央に集まっている討伐隊の面子を見る。

今回の襲撃はこちらが圧倒的に優位に立った状態からの奇襲だ。それでも少なくない負傷者が出ている様子に、魔女教徒の底知れない部分が垣間見える。ただ、死者が出ていないことだけがスバルにとっての救いだった。

 

「全員、戻ってきてくれてるんだよな?」

 

「トラトラトララ~って合図したじゃにゃい。ちゃんと本命以外の指先も潰しておいたってば。何人か捕虜も取れて、そのおかげでわかったこともあるし、ネ」

 

猫の瞳を細めて、フェリスはちらりと村の端へ目を送る。そこには縛られた黒装束の人物が四名ほど捕えられており、そこには先に捕えた行商人のひとりもいる。

捕虜たちは揃って呆然自失の体で下を向いていて、おそらくはすでにフェリスの手で精神の均衡を失っているのだろう。

その手腕に頼もしさとおぞましさのようなものを同時に感じ、スバルは眉をひそめながら彼に呼び出しの詳細を目で問う。と、彼は細めた目のまま顎を引き、

 

「捕まえた人から聞き出せた話にゃんだけど、どうも別働隊があるみたいにゃの。ここいら一帯に潜ませるんじゃにゃくて、街道を監視する的な立場の?」

 

「おいおい!まさか、ペテルギウスの指先って話じゃねぇだろうな!?森と崖と行商人一行で十ヶ所!指なら十本で終いだろ!?まさか足まで含めるとか子どもみたいなこと言い出すんじゃねぇだろうな」

 

「本人のいたところは指じゃなくて本体だから、指なら九ヶ所しか潰せてにゃいんじゃにゃーい?」

 

スバルの物言いにフェリスがそう押してくる。「うぐ」とスバルは声を詰まらせ、それが屁理屈のようでありながら否定できない論理であることもわかっていた。

視線を泳がせ、スバルはそうであった場合の対策を練るために頭を回転させる。もしもあの墓標の下に埋まる亡骸が、最後の一体でなかったとしたら――、

 

「すごいネ、その諦めの悪い目」

 

「――あ?」

 

「今、フェリちゃんはスバルきゅんに天地がひっくり返るような情報を伝えたつもりにゃんだけど……諦めるどころか、すぐにどうにかしようとしたよネ。うんうん、その態度はいいと思うヨ」

 

ウィンクしてスバルに笑いかけ、フェリスはさっきまでの態度を掻き消す。その変貌ぶりにスバルは一度だけ目を瞬かせ、それから顔色に朱を差し込ませ、

 

「まさかお前、俺をからかったんじゃねぇだろうな!?」

 

「それはにゃいよ。そこまでは期待しすぎ。今の話がフェリちゃんの悪ふざけだけだって言うにゃら、それでもう心配しなくて済むだろうから縋りたくなっちゃうのもわからにゃくにゃいけどネ。そこの部分は良くにゃいと思うヨ」

 

からかい口調に図星を差され、スバルはまたもやり込められる不快感に口をつぐむ。が、反論したい気持ちを堪えて首を振り、

 

「とにかく、さっきの話は事実なんだよな?」

 

「ホントだよ。あ、でも指先がどうって話とは違うけどネ。『怠惰』の魔女教徒は打ち止めみたい。――街道を張ってるのは、『怠惰』の関係者じゃにゃい」

 

フェリスの言葉に顔をしかめ、ほんの数秒で彼の言いたいことの意味がわかる。

この戦いで、『怠惰』以外の魔女教徒との接触があったとすればそれはひとつしか可能性がない。

 

「『暴食』の魔女教徒――!」

 

「白鯨が『暴食』だっていうにゃら、単独でいたのはおかしいって話ににゃるよネ」

 

瞳を細めるフェリスの答えに、スバルは合点がいったと拳を握りしめる。

以前のループでの話だ。白鯨が出現し、霧を抜けた際にスバルは魔女教徒とニアミスした経験があった。そのとき、彼らに襲われたのは同行していたオットーであり、その位置がペテルギウスの指先と符号しないことは気掛かりではあったのだ。

――つまり、

 

「リーファウス街道のどっかに、隠れてる魔女教徒がいる?」

 

「そ。どーする?」

 

首を傾げてのフェリスの問いかけ、それに対してスバルは口元に手を当てる。

今の想定が確かならば、状況はまだ切り抜けられたわけではない。しかし、それで焦って判断を曇らせるわけにはいかないのだ。もっとも、

 

「その事態はある程度、想定してたはずだ。そのための保険、だろうが」

 

「わぁるい顔で笑うんだから。弱々だったかわゆいスバルきゅんはどこへ行ったのやらー」

 

両手を上げてバンザイして、フェリスはスバルの答えに目をつむる。

フェリスの反応からも、彼がスバルと同様の安心感をその『保険』に抱いている証拠だ。スバルが張った保険、それは――、

 

「なんのために『怠惰』攻略難易度が上がるってわかってて、こっちの最大戦力をエミリアたんたちに振ったんだよ。こういう場合のためにリソースを割いたんだぜ」

 

言いながら、村に戻った面子に視線を走らせるスバル。

その中に、討伐隊の中でもっとも頼れる戦力である人物がいない。――剣鬼、ヴィルヘルム・ヴァン・アストレアの姿が。

 

『怠惰』ペテルギウス・ロマネコンティとの決戦を前に、スバルが彼の剣鬼に頼み込んだのは戦いにおける剣としての助力ではなく、大切な人物を守るための盾としての役割だった。

もともと、街道の見張りなどの関係で魔女教徒が潜んでいる可能性は警戒していたのだ。故に王都側へ逃がしたエミリアと村人たち、彼女らに何らかの被害が及ばないように細心の注意を払っていた。

 

ペテルギウスとの戦いにおいて、精霊術師であるユリウスを除けば『精神汚染に対抗できない』人間以外は等しく憑依される可能性があった。精神汚染に襲われる存在はペテルギウスの憑依対象外であり、戦力にならない代わりに敵に回る可能性もない安全な仲間であると判断したともいえる。

逆にペテルギウスの精神汚染に抵抗力を持つ、ヴィルヘルムを始めとした人材はペテルギウスの憑依を招きかねなかった。故にスバルは『自分以外』の憑依対象者を戦域から遠ざけることを選び、憑依に対抗手段を持つ自分とペテルギウスの天敵であるユリウスだけを伴って戦場に臨んだのだ。

 

「街道に潜んでる魔女教徒ってのが、どれぐらいの数がいるのかはわかってるのか?『怠惰』の関係者だけで、このあたりにゃ百人近い数がいたんだ。いくらヴィルヘルムさんでも多勢に無勢……」

 

「見張り、って言ったでしょ?人数は大したことにゃいみたい。二、三十人ならヴィル爺と側近さんあたりでどうとでもなる人数だし問題にゃいと思うの」

 

スバルの懸念は魔女教徒が大群で待ち構えていたケースだったが、それはフェリスの言葉で否定される。もともと、『暴食』担当の白鯨単体であの霧の街道の脅威としては十分以上だったのだ。その配下といってもいいかわからないが、そういった役割の教徒の数がさほど多くないことには信憑性があった。

 

「――そのぐらいの話で事が済むのであれば、こうも戻るのを急がせたりはしなかったろう。フェリス、あまり回りくどいことをするべきじゃない」

 

ただ、そんなスバルの安堵に気がゆるんだ部分を見逃さなかったのだろう。それまで背後でミミやティビーの姉弟を気遣っていたユリウスがこちらへ歩み寄ってきて、スバルの肩を叩きながらフェリスに苦言を呈した。

そのユリウスの言葉にスバルが何事かと眉を寄せると、フェリスは「さーすが」と小さく口元を綻ばせ、

 

「ヴィル爺の実力は信じてるし、少人数の魔女教徒の襲撃にゃんて心配するほどのことでもにゃいよ。いざとなればエミリア様だって戦えるんだし、戦力的な意味で不安はなし。ただ、ちょこーっと気ににゃることが、ネ」

 

「なんだよ、気になることって」

 

指で小さく丸を作り、その小さな気掛かりとやらを表現するフェリス。彼はスバルの先を促す言葉に頷き、サッとその場を譲るように身を横へずらすと、

 

「そこから先は、肝心な部分に気付いた本人に聞かせてもらっちゃおう。というわけで、貴重な意見を出してくれたオットーくんでーす」

 

拍手しながらフェリスが囃し立てると、居心地の悪そうな顔のオットーがその後ろから現れる。思わぬ人物の登場にスバルが目を見開いて驚いていると、オットーはそんなスバルに「すみません」と頭を下げ、

 

「驚かせたようですみません。まずは、無事に戻られてなによりでした。皆さんが負けてしまわれると、僕としても自分の安全が保障できなくなりますから」

 

「自分に正直でけっこうなこったが……お前がなにに気付いたって?ぶっちゃけ、出だしからしてあんまりいい予感がしねぇんだが」

 

耳を掻きながら、スバルは嫌な予感が高まりつつあるのを感じる。オットーはそんなスバルの不安をなるべく刺激しないよう、声の調子を押さえながら頷き、

 

「さっき、そこで顔見知りの商人の方が――エルグリードさんが捕虜になってることに気付きまして、魔女教徒……だったんですよね」

 

「名前超かっこいいな、あのオッサン。……で、まぁその質問はその通りだ。知ってる人間がそうだって言うなら、ケティって人もそうだったぞ」

 

「そのケティさんのことです」

 

知人が悪質な宗教にどっぷり浸かっていたと聞いて、さぞ気分の重いことだろうとスバルはオットーの内心に同情の念を抱く。が、オットーはそんなスバルの気遣いにはさほど関心を示さず、かえって前に踏み出すと、

 

「ケティさんが魔女教徒だったことには驚いていますし、残念でもありますが問題は別です。――ケティさんの竜車は、避難に利用されていますよね?」

 

「――?ああ、使ってる。持ち主はともかく、持ち物に問題はないだろしな。竜車の数もギリギリっちゃギリギリだから、遊ばせておくわけにもいかなくて」

 

「そして、行商人の皆さんが竜車に乗せていた積み荷は村に下ろして、代わりに住人の方を乗せて避難……これで間違いないですか?」

 

詳細に拘るオットーに「ああ」と疑問を浮かべたまま応じる。それに対して彼は顎に手を当てて、「やっぱり」となにかに確信を得たような素振りで瞑目。そのまま少し沈黙が続き、スバルが何事なのかと焦れたところで、

 

「竜車から下ろしたはずの荷物の中に、あるべきものの姿がありません」

 

「あるべきもの……つーと」

 

オットーの発言に目を走らせ、スバルは村の倉庫に押し込んだ行商人たちの積み荷の数々を思い出す。もともと、王都で鉄製品を取り扱う予定だった人物が多く、その大半は剣や鎧、武器防具の類に集約していた。変わり種であるならば、最後に保護したオットーの油などが該当するが、

 

「それがどうかしたのか?」

 

「僕、みんなを出し抜こうとしてここまで飛ばしてきたって言ったじゃないですか。つまり、メイザース領での儲け話を聞いたのはみんなと同じ場所でなんですよ。当然、ケティさんとも一昨日の時点で接触してました。そのとき、ケティさんが竜車に積んでいたはずのものが積み荷の中に見当たりません」

 

「積んでいたはずの、荷物……?」

 

オットーの語り口に、スバルは内容が不穏な方向へ転がり出したことに気付く。

そんなスバルの態度を確信に押しやるために、オットーは小さく顎を引くと、

 

「――大量の火の魔鉱石。竜車の七、八台ぐらい、跡形もなく吹っ飛ばせるようなそれが行方不明になっています」

 

と、そう言ったのだった。

 

※※※※※※※※※※※※※

 

――死亡したケティの竜車はエミリアたちの避難組の避難に利用されている。

 

オットーの話を聞いたあとで、記憶を探ったスバルの脳細胞はそう結論した。本来の御者を失った竜車には、それぞれ討伐隊の中からひとりを選んで御者の役割を割り振っていたのだ。

どの竜車であるかまでは覚えていないが、ヴィルヘルムにもその役割が割り当てられており、剣鬼が乗り合わせているのもそのいずれかの竜車で間違いない。

 

「魔鉱石を積んでたってのは事実なのか?途中で下ろした可能性も……」

 

「いざというとき、避難する予定の村民やエミリア様に奇襲をかけるはずの教徒がそんなことをするだろうか。スバル、楽観と希望的観測は違うものだ」

 

「てめぇはこのタイミングで正論を……いや、わかってる。俺が悪い」

 

焦りに唇を震わせるスバルの答えを、目を細めるユリウスがたしなめる。髪に指を差し込むスバルは素直に謝罪し、それからオットーにさらに詳細を問う。

 

「倉庫の中に魔鉱石は見当たらない。俺も検めたし、それは間違いない。オットーはここにくる前に、竜車の中の現物は見たのか?」

 

「残念ながらはっきりと。大きさは拳大ほどまでいかない安物ですが、数が麻袋いっぱいにありました。一斉に砕けば、目的を果たすには十分な量だと思います」

 

だが、そんな麻袋の存在は確認されていない。

スバルやユリウスも、その安全確認を取ったからこそ、魔女教徒が使用していた竜車という怪しげな道具を再利用する気にもなったのだ。

 

「術式が仕込まれていないのは確認していたが……純粋に竜車自体に魔鉱石を仕掛けるといった手段は考慮の外だ。私の失態だ、すまない」

 

「お前が悪いわけじゃねぇ。俺が気付かなきゃいけなかった」

 

ユリウスの謝罪に首を横に振り、スバルは自身の落ち度のあまりに唇を噛む。

魔法を使用することが当たり前の世界において、精霊術師であるユリウスが魔法的な方法に気を回すのであれば、物理的な方法を疑うのはスバルでなくてはならない。

それを見落とした結果、スバルは乗り越えたはずの事態が再び暗礁に乗り上げてしまったことを自覚せざるを得ないのだから。

 

「魔女教徒の襲撃はヴィルヘルムさんがいれば問題ない。武力的な意味で、あの人を突破できる存在なんてそういるはずがねぇ。でも、ブービートラップは話が別だ。こればっかりは、気付かなきゃどうしようもねぇ」

 

「無論、無駄骨の可能性もあります。疑うだけ疑って、実際には魔鉱石はそれぞれ教徒に分配。竜車への仕込みはありません……という可能性も」

 

焦燥感を得るスバルを慰めるつもりではないだろう。オットーの言葉は可能性を提示し、それをスバルに否定させるためのものだ。その思惑に乗るように、スバルは「いや」と首を横に振って、

 

「捕虜にした人と、死体が確認できた奴のボディチェックはしてある。魔鉱石どころか、福音とやらも見当たらねぇ。……魔鉱石は、竜車に仕掛けてあるんだ」

 

そのぐらいの嫌がらせ的な偏執ぶり、ペテルギウスなら確実にやってのけるはずだ。実際、スバルはペテルギウスが自身の肉体ごと竜車を一台爆破した事実があることを知っている。あのときは、本人の体に仕掛けがあるものと判断していたが、

 

「似たような仕掛けを教徒に、竜車に仕掛けてておかしくない……!フェリス!今から竜車を飛ばして、王都の方に向かった避難組に追いつけるか!?」

 

「けっこう厳しいヨ?王都組の出発がだいたい一時間と半分くらい前だし……見つからないで避難するのが目的だから、そう飛ばしちゃいにゃいだろうけど」

 

もともと、拠点がばれては困る『聖域組』と、霧の脅威が失われたことが魔女教徒に知られていない『王都組』では課した隠密性のレベルが違う。聖域組は見つからないことに最大限配慮しているが、王都組は街道を速く抜けることを主眼に置いている。

追いつくのにも、かなりの問題が考えられるのだ。

 

「またか……またなのかよ。これだけやって、俺はまた……!」

 

自分の手出しできないところで、大切な人の運命を左右されなければならないのか。

以前にも感じた己の無力さに、スバルは再び打ちのめされそうになる。だが、そうして再び迫る絶望に歯を噛みしめるスバルに、

 

「ひとつ、いいですか、ナツキさん」

 

手を上げて会話に割り込むオットーが、その柔和な顔つきに真剣な光を灯している。その彼の態度の変貌にスバルは覚えがあった。

それはこの世界ではなく、以前の世界で彼と本当の意味での初対面のとき――やけ酒で酩酊状態にあった彼は、スバルとの話の中で交渉を目前に今と同じ顔をした。

つまり彼は今、

 

「なにか、今の俺と取引きできるものを持ってるってのか、オットー」

 

「察しのいい方、嫌いじゃないですよ。――ナツキさん、僕は現状かなりの崖っぷちなんです。乗っけてた積み荷は時期を逃して二束三文で売り払えるかどうか。一発逆転にかけて今回の儲け話に乗ってみれば、欲を掻いたせいで肝心な場面に乗り遅れる大惨事。命あるだけ儲けものとは言いますが、それを笑える立場じゃないんです」

 

聞くだに悲惨、悲劇的というより喜劇的なオットーの境遇だが、今はそれに言及している余裕もない。スバルは頷き、無言のまま彼の先を促す。

オットーは小さく息を吸い、一度まばたきしてから改めて顔を上げ、

 

「取引きをしましょう。それに応じてくださるのであれば、僕は僕の全霊を尽くしてあなたを目的の場所へ――先にいった竜車に追いつくとお約束します」

 

「追いつける……ってのか?今から出発して、どうやって!」

 

「それをお話する前に確約していただきたいんです。取引きに応じてくださると。僕が差し出せるのは、僕自身にとってもかなり大きな意味を持つものですから。簡単には協力できません。仮に脅されたとしても、です」

 

「武力行使なんて乱暴な真似しねぇよ。方法があるなら教えてくれ。お前が出す条件ってやつも、俺ができるならなんだってやってやる」

 

オットーの両肩を掴み、スバルは彼の口にする条件とやらを求める。

もうすでに五回繰り返し、そして今、スバルはこれまでにない十全な結果を得ているという自信があった。それらの結果を全て棒に振ることになるぐらいなら、諦めなど蹴飛ばして最後のひと踏ん張りに挑めることの方がどれだけ幸せだろうか。

 

そしてスバルの懇願にオットーは一度呼吸を止める。それは彼にとっても、差し出す条件が今後の人生を左右しかねない大一番であったからだ。

複雑な思いが一瞬の間に彼の瞳の中を膨大な勢いで過ぎ去るのがわかる。それらの葛藤を乗り越えて、オットーは条件を口にする。それは、

 

「メイザース辺境伯の関係者であるナツキさんに、僕にメイザース卿とお目通りの叶う機会を設けてもらいたいんです。できるなら今回の功績に、積み荷の油を買い取っていただければ幸いです。……言い値で、いかがでしょう」

 

目を細めて、オットーは商売人の顔つきを作るとスバルを試すように言った。

それは最初に最大限の要求を叩きつけ、そこから譲歩を引きずり出す交渉の初歩的な組み立てだ。オットー自身、法外な値を吹っ掛けられる条件でスバルが呑むとは微塵も思っていないだろう。ただ、状況が切迫している中でスバルからかなりの譲歩を引き出すことは可能であるとも見ている。

その状況を利用することに対して、罪悪感や良心の呵責といったものは必要ない。使える状況はなんでも利用する。身の破滅を前にした商売人にとって、千載一遇のチャンスを見逃すほど愚かしいことはないのだから。

 

そうした覚悟を固めて、スバルの次なる言葉を待つオットー。

そしてそんな彼の前でスバルは唾を呑み、言った。

 

「またそんなことでいいのか、お前は!よし、なんでも買ってやるし、あの変態に会いたいってんならいくらでも会わせてやる。交渉は成立だ!」

 

「えっ、なにそれこわい」

 

以前の世界のリフレクション――オットー自身が知る由もない流れで、スバルと彼との交渉は再び彼に軍配が上がったのだった。

不戦勝、というそれを彼が喜ばしいと思うかは別の話であるが。

 

※※※※※※※※※※※※※

 

「イアを君に同行させる。もしも竜車に魔鉱石が仕掛けてあるのが事実であったとすれば、イアならばそれに気付けるはずだ。活用してくれ」

 

そう言って、自身と契約する準精霊の一体をユリウスはスバルに預けた。

淡い赤の輝きを放つその精霊は、ユリウスの指示に従ってスバルの頭上をくるくると回る。やがて、納得したかのようにスバルの頭の上へ着地。そこを定位置と決めたかのように落ち着いてしまった。じりじりと頭頂部が熱い。

 

「おい、これ禿げる危険性がねぇか?ハゲとデブだけは絶対にならないようにするのが俺の人生の最大の目標なんだが」

 

「イアが実体化している時間はそう長くはないよ。君のマナの流れを感じ取れば、溶け込んで大人しく……ほら、もう姿が見えない」

 

スバルの懸念を笑い飛ばし、ユリウスが指を差すと確かにもう頭上の熱はない。ただ、目には見えなくなってもその存在を近くに感じることはできる。これが、精霊を伴うという感覚なのかとスバルは納得したように頷き、

 

「それにしてもいいのかよ、俺に精霊預けるなんてことして」

 

「心得のない君を行かせて、後悔はしたくない。本来なら同行したいところだが……」

 

言葉を途切れさせ、ユリウスはその端正な面持ちに悔しげな色を浮かべる。彼の口惜しい感情の源はわかる。それは無理やりに地面に座らせられている彼の隣で、その体に青い光を放つ掌を当てる人物が理由だ。

 

「こんにゃに傷だらけで無茶言わにゃい。やせ我慢しててもわかるんだから。それにマナもほとんどからっけつ。大技、使いすぎたでしょ?」

 

「蕾たちの補助があった。私自身の魔力はほとんど使っていない。もっとも、それでこの有様なのだからつくづく私には才能がないと実感するところだがね」

 

「お前のそれはただの嫌味だろ。ったく、とにかくいいんだな」

 

精霊の存在を傍らに感じながら、スバルは治療に専念するユリウスに最後の確認。彼は顎を引き、「ああ」と短く応じて、

 

「友人に可愛い我が子を貸し出すんだ。君も、それなりに配慮してもらいたいが」

 

「友達とか素面で正面からいうのやめてもらえます?さっきは状況が状況だったから聞き流したけど、そのあたりについては後々にちゃんとお話がしたい」

 

むず痒い呼びかけにスバルはぶっきらぼうに答える。ユリウスはそれをただ微笑だけで受け流し、居た堪れないスバルはそれを誤魔化すようにフェリスを見て、

 

「他の人たちの治療も任せた。ユリウスもそうだし、あの小猫姉弟もな」

 

「あいあい、スバルきゅんも気をつけてネ。スバルきゅんが死んじゃうと、クルシュ様もきっとガッカリされるだろうから……さ」

 

発言の最後でトーンが低くなったのが若干気掛かりだったが、そもそも彼の場合はそうやってスバルの神経を揺さぶる享楽的な部分がある。

あまり真剣に取り合わずに内容部分だけありがたく受け取って、スバルは二人に手を振ると村の入口へ。そこにはパトラッシュと、自分の地竜と竜車とを繋ぐオットーが待ち受けており、

 

「では、参りましょうか、ナツキさん」

 

「ああ、道案内とその他もろもろ頼むぜ、オットー」

 

御者台に乗り込み、オットーの隣に座ってスバルは前を望む。オットーの巨体が売りの地竜の隣に、漆黒の体躯のパトラッシュが並んでいる。比較するとかなり体格差があり、一緒に竜車を引っ張ることには不安が感じられるが、

 

「『風除けの加護』が地竜には働きますから、体格差のある二体が並んでも問題ありませんよ。どちらも雌ですから、『聞いた』ところだと折り合いは悪くなさそうです」

 

スバルの疑問を表情から読み取ったのか、隣に乗り込むオットーが手綱を握りながらそう言った。

その彼の口にした『聞いた』という言葉の違和にスバルは「うーむ」と首を傾げ、

 

「どうしました?」

 

「いや、やっぱりこの世界の加護ってのはすげぇなと思って。才能みたいなもんだと思っていいんだろうけど、俺の常識だと測れねぇことが多すぎる」

 

「この世界の加護って、ずいぶんと他人事みたいに言いますね、ナツキさん。それに加護持ちは加護持ちで苦労もあるんですよ。特に僕の『言霊』の加護は小さい頃は制御ができませんでしたから」

 

感嘆するスバルの反応に苦笑で応じて、オットーは自身の加護をそう語る。

 

オットーの持つ『言霊』の加護。

それの開示と行使が、オットーがスバルへの協力を申し出た取引きの内容だ。『言霊』の加護の効果は単純にして明快、それはどんな相手であっても『言霊』を交わすことが可能になる加護であり、

 

「地竜含めて動物と会話することまで可能、と。メイザース領まで最短距離を突っ走ってこれたのも」

 

「僕の地竜……フルフーにもだいぶ無理をさせましたよ。鳥やら虫やらに抜け道悪路なんでも聞いて、本気出しましたからね」

 

道とは思えない道まで通って、メイザース領への一番乗りをやってのけたらしい。その結果が『一等賞おめでとー』と魔女教に捕まえられる様なのだから笑えない。

ともあれ、彼の加護に従えば、

 

「先行してるエミリアたんたちに追いつくのも、難しくない」

 

「いや、難しくはありますよ?ただ可能性は十分にあるという話でして、そもそも協力することがさっきの取引きの条件ですから結果に結びつくかどうかとか、第一に仕掛けられてるかもな魔鉱石が爆発するかどうかも不明で……」

 

「先行してるエミリアたんたちに追いつくのも、難しくない――!」

 

「そんないい顔して言い切られても困るんですってば!」

 

繰り返すスバルの信頼が重すぎてオットーが叫ぶが、それに取り合っている暇はそれこそない。スバルはその表情から感情を消すと、小さく長い息をつき、

 

「頼むぜ、オットー。お前が頼りだ」

 

「……本当に、殺し文句ですねえ、チクショウ」

 

神妙なスバルの言葉に胸を打たれたように、オットーは観念した顔でため息。それからしっかりと手綱を握り固めて、二頭の地竜に走り出すよう指示を出す。

竜車が引かれて、パトラッシュとフルフーの二頭が力強く地を蹴り出し、エミリアたちの追跡が始まる。

 

「ああもう、やってやりますよ!やってやってその恩を着せて、骨までしゃぶってやりますからね――!」

 

ヤケクソなオットーの叫びが、『風除け』の加護に紛れてスバルにしか届かなくなる空に響いていた。

 

※※※※※※※※※※※※※

 

前述の経緯を経て、スバルたちはエミリアたちを追って街道を走っていた。

ここまでの悪路の連続は悪夢そのもので、語り出せばオットーへの恨み節で半日が埋まってしまいそうな環境のオンパレードだった。

 

ほとんど垂直の崖を駆け下る積極的な自殺行為や、今にも落ちそうな数年前に手入れされるのを放棄されただろうオンボロの吊り橋を踏破(しかもスバルたちが渡った直後に落ちた)であったり、命懸けの走行の数々で何度死に戻りを覚悟したことか。

 

ただ、それだけの苦労を重ねた甲斐あって、リーファウス街道の半ばに入り込んだスバルたちはかなりの好タイムを叩き出していた。同じ疾走をもう一度やれと言われても、二度とできないだろう奇跡が巻き起こってこの状況なのだ。

 

「そう納得させておかねぇと、俺はもうパトラッシュに恐くて触れねぇ!」

 

悪路を竜車で行かせるオットーもオットーだが、その手綱越しの命令を受けて死の道を駆け抜けたのはパトラッシュともう一頭なのだ。繰り手次第ではここまでの活動が可能なのかと思えば、今後のパトラッシュとの付き合い方に不安が生じてしまうのもやむを得ないことなのだと思ってもらいたい。

ともあれ、

 

「左の林を抜けましょう!その方が王都へ最短で行けます!」

 

「林っていうか、獣道すらなさそうだぞ!?本当に大丈夫か!?」

 

「――――」

 

「なんで無言なんだよ、お前!?」

 

スバルの怒声に取り合わず、オットーは竜車を操って林の方角へ。

されるがままのスバルはせめて木々の直撃だけはありませんようにと手を組み、荷台の上で頭を下げて防御態勢。

木の根を踏んだ衝撃で竜車が跳ねて、林に入ったことが緑色になる視界でわかる。猛スピードで障害物だらけの場所に入るなど自殺行為にしか思えないが、文字通り地竜と意思疎通可能なオットーからすれば、慣れた程度の行いらしい。

彼が行商人のスタンダードだとすれば、思った以上に豪胆でなければ務まらない職業なのだろうか。

 

「――ナツキさん!!」

 

と、スバルがそんな物思いにふけっていたところ、ふいにオットーの声が響く。その声に込められた切迫した感情に身を起こし、スバルが慌てて御者台に向かう。

スバルが御者台に顔を突っ込むと、オットーは耳に手を当てて周囲を見回しており、

 

「どうした、なにがあった?」

 

「木々が騒がしいというか……鳥や虫が大騒ぎして、消えました。それにフルフーも怯え出して……なにか、なにかがきます!」

 

オットーの警戒を促す叫びに、スバルも息を呑んで周囲を見回す。

だが、視界一面が木々の群れに覆われた林の中では、その警戒心も役に立たない。スバルのその考えを読み取り、オットーも「わかりました」と頷くと、

 

「横へ走って、林からすぐに出ます。ナツキさんは後方の警戒を――」

 

「……いや、その必要はなくなったぜ」

 

方針変更を行って、オットーが地竜たちに指示を出そうとするのをスバルは手で制す。その顔は背後、オットーの指示通りに後方の警戒をしようとしたままの状態で、竜車の後ろに置き去りにされる景色を向いている。

 

木々がへし折られて宙を舞い、乱暴な行いに林が次々に死んでいく。

破壊が巻き起こり、スバルたちの駆け抜けた直後の地面がめくれ上がり、『それ』は周囲の被害お構いなしに真っ直ぐにこちらを目掛けて直進してきていた。

 

「飛ばせ、オットー。――絶対に、捕まるなよ!!」

 

「ナツキさん!?」

 

振り返りかけるオットーを制し、スバルは荷台の後ろへ駆け込むと、接近してこようとするそれに対し、怒りを剥き出しにした表情で吠える。

 

「てめぇ――どんだけしつこいんだよ、クソ野郎!!」

 

叫ぶスバルの視線の先で、膨大な漆黒の影が蠢いている。

 

屍から黒の魔手を垂れ流すように伸ばし、もはや人の形を失った妄念の塊――ペテルギウスの残骸が、スバルを追って背後に迫っていた。