『質疑応答』


 

「白鯨を落とし、さらには屋敷を狙った魔女教の大罪司教を撃退。候補者であるクルシュ様と同盟を結び、前述の戦いのどちらでも功績を上げた――ふーぅむ」

 

心なしか寝台に預ける体重を増しながら、ロズワールが己の顎に触れて瞑目する。彼が口にしたのは、夜の間にすり合わせを行うべくスバルが語った、ロズワール不在の間に起こった事態の数々だ。

話が脱線する自分の悪い癖を自覚的に押さえて、自慢話や苦労話を極力排除した客観的な内容説明だったと思う。そして改めて己の行いを振り返り、

 

「……はっきり言って、妄言の類を疑うような活躍ね。いつから冒険活劇の登場人物に鞍替えしたの、バルス?」

 

「お前に言われると微妙に癪に障るんだが……我ながらちょっとどうかと思う活躍ぶりだと思う。これ、自分評価でも他人評価でも軽くヤバい貢献度だよね?」

 

孔明も裸足で逃げ出しかねない結果。ラムが静かに皮肉るように、しかしその功績の圧巻さを認めるように言うものだから、ますますその気が高まった。

 

「望外の結果、という他になーぁいじゃないの。まーぁさかここまでやってくれるとは、私も……そう、誰も予想なんてできなかっただーぁろうしねぇ」

 

自分の内側でそれらの驚きを消化し終えたのか、ロズワールが顎を引いて賞賛の言葉を口にする。彼は珍しくその表情を真剣なものに引き締めたまま、ベッドの前で椅子に腰掛けるスバルを左右色違いの瞳で見つめ、

 

「まーぁず、改めて感謝の言葉を伝えておこーぅか。――私の領地と、領民を守ってくれたことに感謝を。そして、エミリア様への多大な貢献に関しても、彼女の支援者である身として感謝に堪えない」

 

「お、おう。せやな。なんか、そんなかしこまって言われるとちょっとこっちも縮こまるもんがあるな。別にそんな言われるほど……」

 

「バルスは少し、ロズワール様の感謝の言葉の大きさをわかっていないようね」

 

丁寧に感謝の言葉を告げてくるロズワールをスバルは止めようとしたが、それを遮ったのは一歩前に出たラムだ。彼女はその変わらない透徹した眼差しでスバルを見下ろしたまま、

 

「目上の方の言葉を遮り、あまつさえ感謝に対して否定の言葉を投げかけるなんてことは本来なら許されないことよ。ましてや、ロズワール様は辺境伯の地位にあられるお方で、ルグニカ王国の全権の一翼を担う大事なお体。――その感謝の言葉は、バルスの考えているよりずっと重い」

 

「――――」

 

「ロズワール様は立場上、目下のものに簡単に頭を下げるわけにも、感謝の言葉を与えるわけにもいかないの。それをされるということを、もっと弁えなさい」

 

ぴしゃりと、スバルの甘い考えを切り捨てるようにラムが言い放つ。それを聞いたスバルは反論の言葉も思い浮かばず目を伏せる。と、「いやいーぃやぁ」とロズワールがとりなすように軽く手を掲げ、

 

「ラムの言うことはすこーぉしばかり大げさにすぎる。私の言葉なんてものはそーぉんな価値があるほどのものでもない」

 

「ロズワール様」

 

気遣わしげなラムの呼びかけに、ロズワールは頷き、「だーぁが」と続け、

 

「私の立場からの感謝の大きさは別として、スバルくんがやってのけたことの大きさは誰の目にも明らか。そーぉして、それに見合った報酬を与えないことでわーぁたしに向けられる失望やら不平不満やらというものも簡単に想像できるわーぁけ」

 

「……つまり、どうしてくれるって?」

 

「見合った報酬を。――スバルくん、王選の広間でのことを覚えているかね?」

 

喉を詰まらせるスバルを見て、ロズワールの双眸が薄く細まる。

視線に貫かれるスバルの脳裏を過るのは、今もなお思い出せば羞恥と自嘲に胸を焼かれる忌まわしい記憶。あの場の宣言も、向こう見ずな発言もなにもかも、ものを知らず、己を知らず、大事なものを履き違えた馬鹿な小僧の戯言だった。

だが、それでも――、

 

「覚えてるぜ。忘れるわけがねぇ。……忘れちゃいけねぇと、そう思う」

 

「ならば、私は君の功績に対してこう報いたいと思う。あの場での、君への言葉を本物のものにしよう。――無事、ここを出た暁には君を騎士に任命する」

 

顔を上げる。かけられた言葉の意味が一瞬呑み込めず、動揺したまままばたきするスバルにロズワールは頷きかけ、

 

「公爵と共に白鯨の討伐に参戦し、魔女教の大罪司教の一人を討ち取る手柄を立てたものが無名であっていいはずがない。君の名は、『騎士』ナツキ・スバルの名は名誉あるものとして賞賛とともに国中で語られるべきだ。――そうなれば、あの広間で語った君の言葉を、もう誰にも笑うことなどできない」

 

エミリアの一助になるのだと、なにも両手にない空っぽの若造が吠えた。

夢見がちな若造は現実の前に幾度もへし折られ、絶望し、狂気に沈み、復讐心に駆られて全てを蔑にし、愛に救われ――今、ここにいる。

その時間の全てが、ロズワールの口にした『名誉』によって、確かに価値があるものであったのだと証明される。

 

――今は誰の中にも残っていない、スバルの中にしかいないレムの功績も。

 

「……ありがたく、ちょうだいする。それで、あの戦いに意味が芽生えるんなら」

 

「誇るべき功績だ、誰にも馬鹿になどさせまい。エミリア様の隣で、胸を張って立つ権利を君は手にした。己の力で」

 

「……俺だけの力じゃ、ねぇさ」

 

ロズワールの言葉に口の中だけの呟き。聞き取れなかったらしいロズワールがかすかに眉を寄せるのを見ながら、スバルは一度だけ瞑目して深呼吸。それから瞼を開き、軽薄に肩をすくめてみせると、

 

「シリアスなやり取りだったな、おい。あんまり長々とキャラ崩壊してると、素に戻ったときが恥ずかしいから自重しようぜ。俺、もうすでに顔が熱くなってきたよ」

 

「……そーぅだねぇ。いやはーぁや、らしくないことして肩が凝っちゃったじゃーぁないの。私たちの関係で、真面目に話し合いなんてらーぁしくない」

 

相好を崩すスバルに合わせるように、ロズワールもまたその表情を弛緩させて先ほどまでの雰囲気を霧散させる。そんなスバルと主のやり取りを見やるラムは小さく吐息し、それから「では」と言葉を継ぎ、

 

「次はバルスの方から、ロズワール様へ聞きたいことがあるのでしょう?そのために、話し合いの場からエミリア様まで遠ざけて」

 

「お前の鋭さは話の進行を早めるのに助かるな。……エミリアたんを邪魔者扱いするわけじゃねぇけど、あの子がいるとロズっちの口が固くなりそうだったんでな」

 

ラムの鋭い指摘にスバルが苦笑する。その笑みを見ながら、ラムはふと先ほどまでエミリアが立っていた場所へ視線を送り、そこに無人の空白が生まれているのを改めて確認してから、

 

「それでリューズ様に付き添わせて、『聖域』の視察……ね。バルスがここに残るって聞いて、エミリア様はかなり心細そうにしていたけれど?」

 

「頼られんのは嬉しいんだけど、後々のことを考えると目先の欲望で突っ走ってばっかもいらんねぇなと。たぶん、途中でオットーが合流するだろうし、エミリアたんが一人っきりになる心配は……オットーの野郎がエミリアたんにちょっかいかけたらどうしよう。エミリアたん、超絶可愛いから心配になってきた」

 

「喋りながら自分で自分を不安にさせるのよーぉくないと思うよ?ともあれ、君の考えも間違った話じゃーぁない。――事実、わーぁたしはエミリア様に聞かせたくない内容なら決して、口にしたりしないだろーぉうからね」

 

要らぬ心配事に心を揺らすスバル。そのスバルの前で首を横に振り、いけしゃあしゃあと秘密主義を暴露するロズワール。そんな彼にスバルは片目をつむり、「やっぱりか」という内心を舌に乗せたまま、

 

「意図的にエミリアたんに伝える情報を制限してやがるだろ。……いったい、なに考えてそんな真似してやがる」

 

「情報の取捨選択は必要なことだと思うけーぇど?王選候補者であるエミリア様の御身の重要性はわーぁたしよりもはるかに上。だけど、いまだその身は、知識は、資格に伴うほどに洗練されてはいない。学ぶ途上にある方に、あまりに多くを押しつけても無理が生じるだーぁけで……」

 

「それはエミリアたんに、のびのびと学ぶ環境を用意してやれる奴が口にしていいお題目だろうが。知らないことで状況が詰むような情報を、知ってた奴が伝えないってのは道理に合わねぇ。お前にとっても、いいことじゃねぇだろ」

 

わかっていて上辺だけの誤魔化しを口にするロズワールに、スバルは舌打ちを堪えながらも静かな声で追及する。その冷静さを装うスバルの素振りを、ロズワールは片目をつむって無言で見つめ返した。

よく、ロズワールはこうしてスバルのことを片目――左目の、黄色い方の瞳でジッと見ていることがある。意味もなく不安になるような眼差しに身じろぎするスバル。そんなこちらの居心地の悪さを読み切ったようにロズワールは笑い、

 

「まーぁ、確かにいずれは突っ込んで聞かれることだーぁろうとは思っていたよ?だからこそ、私も今回ばかりはちゃーぁんと覚悟を決めていたわけだーぁからね」

 

「覚悟……?」

 

「はぐらかすのもほどほどに、スバルくんの質問に答えてあげよーぅって覚悟。逃げようにもこの大ケガの有様だし、ちょーぅどいい塩梅だと思うけーぇど?」

 

からからと笑い、寝台の上で己の腿あたりを軽く叩きながら言い放つ。

スバルは一瞬、その往生際の良さに驚きで喉を詰まらせつつ、

 

「……どういう、風の吹き回しだよ」

 

「こーぉこまで信用がないのもいくらかさびしいもんだーぁね。もっとも、これまでの君と私の関係を思えばそう思われても仕方のないことだーぁとは思うけど」

 

「警戒心剥き出しで悪いとは思うが、これまでのことがあるとさすがにな。お前、ちっとばかし秘密主義が過ぎるぜ。……今回は、信じていいんだろうな」

 

「もちろん」

 

疑惑の目を向けるスバルにロズワールは頷き、その両手を軽く広げると、

 

「この数日で、君が上げた功績は私の閉ざした心を開くには十分なものを証明してみせた。安心していいとも。これで私は君を信用し、私の心の内を――共犯者として、迎え入れることを認めさせたってーぇわーぁけ」

 

「待て。なんか若干、重たい十字架を背負わされそうな気配がする。そこまで胸襟開いてくれなくてもいい、触りだけにしよう」

 

「ありゃりゃ、こんなに盛り上がってるのにつれないじゃーぁないの」

 

「いや、だってそんないきなり全てを差し出されても、重いっていうか……」

 

付き合い始めたばかりの男女間の恋愛観の違いみたいなやり取りをしつつ、スバルは咳払いして考えをまとめ上げると、「とりま」と前置きし、

 

「共犯者云々ってのは別として、とりあえず聞きたいことを聞かせてもらおう。――エミリアたんに色々、情報制限してる理由だ。まず、話はそっからだ」

 

「――――」

 

またしても、片目をつむるロズワールをスバルは睨みつける。

ロズワールによるエミリアへの情報提供の選別――それがもたらした影響は、前回のループ中のことを含めても計り知れない。

彼女が自身の出生――ハーフエルフであることが、魔女教を刺激する情報であると認識していれば、ペテルギウスによるアーラム村及びロズワール邸への襲撃に対してはもっと有効的な対策が取れていたかもしれない。

それは裏を返せば、そのために奔走したスバルの行動にも影響を及ぼすということであり、結果的にレムの状況の是非すらも――。

 

「答えろ、ロズワール。エミリアたんに王様になってもらいたくて、そのために途中で脱落されたら困るのはお前も同じのはずだ。それなのに、どうしてわざわざエミリアたんの不利になるような情報を隠し持つ。道理に合わねぇ」

 

「その質問に、それならば私はこう答えよう。――君の指摘は全てその通りであり、その通りだからこそ私はエミリア様へ伝える情報を制限している、と」

 

「……!?意味がわからねぇ。エミリアが知らないことが不利になる情報を隠しておいて、それが王選に勝ち抜くために必要だってお前は言うのか?」

 

「そうだとも。その価値は、あったと思うけーぇどね?」

 

ロズワールの返答に思考がかき乱されて、スバルは眉を寄せて困惑を露わにする。そんなスバルの反応にロズワールは寝台を軋ませ、

 

「スバルくん、君が言いたいのはつまりこーぅいうことだーぁろう?エミリア様の王選参加の報を聞き、魔女教が動き出す可能性があった。事実、魔女教は動き出し、私の領地に襲撃をかけてきた。私はそうなる可能性があったことも、そうなった場合に備えてなんらかの対応策を練ることもできたはずだ、と」

 

「……そ、そうだよ。その通りだよ。誰だって思う、当たり前の話だろうが。俺は知りゃしなかったが、このあたりじゃ魔女教とハーフエルフの関連性ってやつは当たり前の常識ってもんなんだろ?実際、お前も知ってたはずだ。それなら、どうしてなにも準備せずに……いや、それ以前に、なんで屋敷を離れて『聖域』にこもった?」

 

「私は『聖域』に軟禁されていたわけで、意識して何日も屋敷を留守にしたわけじゃ……」

 

「詭弁は通用しねぇよ。お前がそのケガして軟禁状態に入ったのは、アーラムの住人の不満感情を発散するために墓所に挑んだからだ。つまり、魔女教対策で俺が村から人払いした結果……その前にお前が戻らなかったのは、お前の意思だろうが」

 

「理詰めに怒っている相手とは議論の甲斐がある。じーぃつに、いい傾向だ」

 

単純な言い訳にスバルが反論すると、ロズワールは誤魔化せると思ってもいなかったのか気楽な態度で肩をすくめた。その様子が気に入らずに一歩、スバルは前に出るが、

 

「……ラム」

 

「ロズワール様は負傷の身よ。それでもバルスを焼き尽くすのに指先一つで十分でしょうけど……乱暴を働くのを、ラムの前では許しはしない」

 

「お前は納得してんのかよ。捨て石みたいな扱いにされたってのはお前も一緒なんだぞ。あのとんでもねぇ連中が村にくるのを知ってて、その鉄火場から自分だけとんずらこいてやがったんだ。許せんのかよ」

 

「許すも許さないもないわ。ロズワール様のされる行いの全てをラムは許容する。ラムがどう扱われようと、どう切り捨てられようと、同じこと」

 

「お前――ッ!!」

 

理解できないほどのラムの忠節に、スバルの喉が激情で塞がる。

それでもとっさに暴力に訴えかけないのは、スバルの理性がどこかで眼前の二人のどちらにも敵わないと冷静に判断していたからか、あるいは――、

 

「……レムだって、そんなわけわかんねぇことのために犠牲になったんだぞ」

 

「――?誰のことを言っているのかわからないけれど、他人の名前はラムにはなんの関係もないわ。ラムにとって、ロズワール様が全てで、それ以外は瑣末なこと」

 

絞り出すようなスバルの嘆願は、ラムの心には欠片の響きももたらさない。

わかっていたことだ。レムの存在を忘却した彼女に、それを訴えてもなんの意味もないことを。そして、同時に理解したことがある。

 

元々、ラムのロズワールへの異常なまでの忠誠はわかっていたつもりだった。

だがその頑なさが、スバルの知るこれまでのラムとは違う狂気的なものを孕んでいる。その原因はやはり、レムの存在の忘却が大きい。

 

彼女たちの過去になにがあったのか、詳しいところをスバルは知らない。が、レムの語った断片的な情報を繋ぎ合わせれば、ラムとレムの姉妹が共依存のような関係性にあったことはようと知れる。

姉への罪悪感と劣等感――その合間で揺れ動き、コンプレックスを募らせて姉への依存度を深くしていたレム。その不安定さが表立っていて目立たずにいたが、妹と向き合うラムの方にもそれらの片鱗は表れていた。

 

レムにとっての世界の大半がラムで構成されていたように、ラムにとっての世界もまたレムとロズワールの二人で構成されていた。コンプレックスに一つの決着をつけ、その狭かった世界にスバルを始めとして様々な要素を迎え入れ始めたレムは変わろうとしていた。しかし、ラムの世界は依然、狭いままだったのだ。

その器の半分を占めていた存在を文字通りの忘却し、今やラムの世界はロズワールただ一人で構成されている。

 

過激ともいえる、ロズワールへの過剰な忠誠心の発露は、そこに原因があるのだ。

 

「ラムもあーぁんまりスバルくんを刺激しない。べーぇつにスバルくんも、私に乱暴を働いたりするつもりはないとーぉも。ちょこーぉっと、足が前に出ただけ」

 

「ロズワール様がそう仰るのでしたら」

 

「そそ。平気へーぇいき。でしょ、スバルくん。怒っているように見えるけど、君は激昂なんてしちゃーぁいない。我を忘れて殴りかかるなぁーんて、話し合いを無碍にする選択は取れないはずじゃーぁないかね」

 

「どういう、意味だよ……」

 

「簡単なことだーぁよ。以前までの君なら、これまでの話のどこかで激発し、怒鳴り散らして話し合い事態をおじゃんにしてしまっていたことだろう。それをせず、怒りを噛み殺しながらも議論を継続できる……大人になった、ということだーぁね」

 

軽く拍手して上っ面だけの賞賛を送ってくるロズワールに、スバルは喚き散らしたい激情が胸を熱くするのを感じる。だが、それをしてしまえばますます相手の思う壺だと踏み止まり、深々と息を吐くことで激怒の波を押し返す。

――その行いこそが、先のロズワールの言葉を肯定している事実に気付いて、自分で自分に苛立つことを押さえられなかったが。

 

「さーぁて、これ以上、若人をいじめていても大人げがない。君が成長の兆しを見せてくれたかーぁらには、私の方からもちゃーぁんと大人の器量を示すべきだよね」

 

「……そうしてくれ。とにかく、さっきの質問の明確な答えだ。はぐらかすのは抜きで答えろ。お前はどうして、エミリアに魔女教のことを隠してた。どうして、魔女教がくるのがわかってて、最大戦力のお前が屋敷を離れた!」

 

「どちらの質問の答えも、一つで答えられるとも。――私が魔女教と相対することを避けるために、私はそれらを行った」

 

「は――?」

 

静かな声音で整然と返され、スバルは逆に理解が遅れる。

噛み砕き、呑み込んで、脳で言葉を味わってから、その内容が沁み込み、

 

「意味が、わからねぇ。お前が魔女教と戦わないためって……なんのために?生理的嫌悪感があいつらにあるとか、そんな話じゃねぇだろうな!?お前が……お前がいれば、あんな奴ら一網打尽だったんじゃないのか?被害だって……」

 

「なるほど。たーぁしかに私がいれば、今回の騒動の被害はきーぃっと減らせたことだろうと思う。私は自分の力量を正しく理解しているつもりでいるし、この国で十指に入る実力者であることを自覚してもいる。断言しよう。私がいたならば、此度の魔女教の襲撃はあっさりと撃退せしめたことだろう」

 

「それがわかっててなんで――!」

 

「だから、だよ」

 

唾を飛ばすスバルに指を突きつけて制止し、それからロズワールはスバルへ向けた指を天井に向けると、

 

「私が活躍してしまえば、それはエミリア様の手柄にも君の手柄にもならないだろう?私が名を上げても、仕方がなーぁい」

 

「――――ぇ」

 

なにを言われたのか、スバルには本気で理解できなかった。

いっそ冗談であるとか、軽口であるとかロズワールが続けてくれるのを祈って、スバルは言葉を区切ったロズワールの次なる言葉を待つ。

しかし、沈黙するスバルの様子にロズワールは首を傾げ、

 

「否定の言葉は出ないよ?せっかく、起こるのがわかり切っている災いだ。うまく利用しない理由が、どこにあるというのかーぁな?」

 

「お、お前……なに言ってんのか、自分でわかってんのか……?」

 

「――?スバルくんがなにを問題にしているのかの方が、わーぁからないね。あれかな。アーラム村に出かけた被害であるとか、魔女教を撃退するために力を貸してくれた傭兵団やクルシュ様の私兵であるとか……そのあたりの損害に関して、どうにかできたんじゃないのかみたいな話がしたいのかな?」

 

声を震わせるスバルの内心をことごとく読み取り、ロズワールはまるでそれが当たり前のことのように言い放ってみせる。

その答えにスバルは今度こそ心胆が震え上がったのを感じた。

 

以前、パックと会話したとき、あの精霊は眠るレムを前に「この子のおかげでリアが助かった」と発言し、スバルを激昂させた。

あの一件があったことで、スバルは自分の感性と精霊との感性の間に言葉にできない大きな溝があるのを痛感した。逆をいえば、あのときに感じた怒りには根本から存在として異なるものであるという理解があった。

 

だが、ロズワールにはそれがない。彼はスバルの怒りの原因を理解しているし、スバルがなにを言いたいのかもわかっている――その上で、酷薄な判断ができるのだ。

だがそれは、

 

「結果論、だろ。お前がなにを言いたいのかは、なんとなくわかる。魔女教の襲撃に対して、誰が指揮を執って誰が手柄を上げるかってのが王選に少なくない影響を与えるってのは理解できる。……ロズワールがそれをしちまったら、望んだ効果が得られないっていうのも。でも!」

 

歯を剥き、スバルは大きく腕を振りながら、

 

「お前が不在で、なにも伝えなかったのが原因で何人死んだと思ってる!?確かにでかい被害はなかった。なかったけど、ゼロじゃないんだ。人が死んだぞ。こっちだけじゃなく、魔女教の奴らだって……」

 

「私がいたところで、魔女教徒への対処はなにも変わらない。全員、ことごとく灰に帰すだけのこと。こちらに味方したものの損害への非難は受けるけど、敵対したものたちに対する恨み言は筋違いじゃーぁないかね」

 

「――ッ。それでも、もっと穏便に……違う、そんなことじゃない!なにもかも結果論だって話なんだよ!確かにうまくいったさ。被害は少ない、相手は全滅させた。エミリアたんは無事だし、アーラム村の人たちだって無事に避難させられた。……でもそれもこれも、全部たまたまだ。本当だったら――」

 

本当だったら、スバルがなにかをする前に村の人々も、屋敷も、エミリアも。

 

「死んでた、はずなんだ。今回みたいになんか、うまくいったりしないで……みんな無惨に、苦しめられて、辛い思いをして……殺されてたんだ」

 

顔を覆い、スバルは涙まじりになりそうになる声を必死で押し殺す。

塞いだ瞼の向こう、浮かび上がるのはスバルがかつて見た忘れられない地獄の光景。

焼け落ちる村。あちこちに散らばる屍。子どもたちの亡骸。そして屋敷の庭に打ち捨てられたレムの死体。凍りつき、終わっていく世界。

 

――全て、スバルが『死に戻り』できなければ覆せなかった世界だ。

 

「お前がいれば、あんなこと起こらなかった。……お前は知ってて、見殺しにしたんだ。お前が何度も、あの人たちを殺したんだ……」

 

「履き違えてもらっては困る。襲撃したのは魔女教であって、私じゃーぁない。そして魔女教の襲撃は君の手で未然に防がれていて、君の言う被害者なんてものは出ていない。――妄言の繰り返しに過ぎない」

 

「――そうかよ」

 

冷然としたロズワールの言葉に、スバルは肩を落として低い声で応じる。

妄言――そう決めつけられてしまえば、スバルの言葉でそれを覆すことはできない。『死に戻り』のことを訴えかけることができない以上、現実的に『起きていない出来事』でロズワールを非難することはできないのだから。

 

あの地獄を知っているのはスバルだけであり、あの地獄の光景を生んだ責任をロズワールから消し去ってやったのもまた、スバルなのだから。

 

「……俺がなにもできないダメな奴のままだったら、お前はどうしてたんだよ。エミリアに王になってほしいのは、お前も同じはずだろ。レートが偏りすぎて、賭け事として成立すらしてねぇ。……ここで終わる可能性の方がずっと高かったはずだ」

 

「でも、君はその下馬評をひっくり返してくれた。――それじゃ不満かね?」

 

「不満だよ。お前はそんな、不確定な要素に身を委ねるような奴に見えない」

 

賭け事に挑む人間には種類がある。勝つか負けるかわからない戦いに、運のみを持ち込んで勝負に出る人間。運だけに左右されないよう、自分にできる限りの最善手を整えて、最後の一片だけを運に委ねる人間。

そして、最初から最後までの筋道を事前に準備し、勝ちが決まっている八百長を賭け事と嘯く人間だ。

 

「お前は賭けなんて、そもそもやらないタイプだ。どうして、そうできたんだよ」

 

「――信じていたんだよ、君のことを」

 

スバルの再度の問いかけに、ロズワールが声の調子を落として応じる。

その答えを聞き、スバルの口から思わず失笑が漏れた。

 

「真面目に答える気はねぇってことか」

 

「君が私の話を信じるか信じないかは別として、私は真実を語っているよ?今夜のこの場所で、君を欺くようなことはしないと決めているからねーぇ。言えないことには言えないと言い、都合の悪いことは口を噤んで語らない。だが、口にしたことが偽りでないことだけは誓おう」

 

失望に彩られたスバルの言葉に、ロズワールは厳かな口調で言ってのける。だが、それもどこまで信用したものか。すでにここまでの話し合いでロズワールへの好感度を軒並み減らしたスバルに、額面通りに受け取るような余裕はない。

三白眼の目つきをより鋭くするスバルに、ロズワールは首を回し、

 

「もう一度、言おう。――私が今回のような判断をしたのは、君を信じていたからだ。君ならばエミリア様の状況悪しと見れば、クルシュ様との同盟を成立させるために奔走し、その上で魔女教撃退に尽力して為し遂げ、功績を上げると信じていた」

 

「仮にそれが事実だとして、どうして俺なんぞを信じるなんて判断になるんだ!お前が俺のなにを知ってる!たった一ヶ月の付き合いで、そんな信用が置かれるほど俺がなにか成し遂げられる男に見えたのか?」

 

いけしゃあしゃあと美辞麗句を並び立てるロズワールに、床を踏みつけてスバルは反論する。指を突きつけ、今の言葉を自ら否定するように首を振り、

 

「そんなわけがねぇな。お前と別れたとき、俺は正真正銘のクズだった。そのクズが多少なりともマシになったのは、その後のことがあったからだ。そしてその後のことは、俺の中以外のどこにも残ってない。――俺の、なにを信じたんだよ!」

 

ロズワールが片目をつむる。黄色い瞳が、居心地悪くスバルを見ている。

その視線を振り払うように、スバルは思い切りに床を蹴りつけ、

 

「話にならねぇ。今のままじゃお前、頭空っぽの馬鹿なガキが全部うまいことやってくれるって信じて、領民もなにもかもほっぽり出して遊んでたってことになんだぞ。自分の立場も未来も賭け金にするには、遊び心に溢れすぎてて言葉もねぇよ!」

 

「……どうやら、今日の話し合いはここまでのようだーぁね」

 

怒りを露わにするスバルと対照的に、ロズワールの方は寂しげに呟く。

その呟きを聞きつけたスバルは「ああ!」となおも尽きない苛立ちを舌に乗せ、

 

「お前がまともに話をする気がない以上、なにを言ったって無駄だろうよ。今の話し合いのあとでなに言われたって、もう信じる気になんてならねぇ」

 

「君の中で私の評価が大暴落したのが純粋に残念でなーぁらないとも。……確認は不要だと思うけど、今夜のことはエミリア様には」

 

「言うわけねぇだろ。内容そのままでも脚色したのでも、話して得られるメリットがありゃしねぇ。そこまで計算してるから、べらべら適当ほざいたんだろうが」

 

ロズワールの真意がどこにあるにせよ、エミリアと彼との間に軋轢が生まれることは王選を続けていく上で望ましくない。ましてや、今はエミリアを代表にアーラム村民を含むロズワール陣営が一丸とならなくてはならない状況だ。

ロズワールの思惑に乗るのが癪であるとはいえ、『試練』に挑むことでエミリアの評価は相対的に上がる。――なにもかも、彼の掌の上の出来事として。

 

「なにもかも理解して、私への堪え難い怒りを抱えてなお……テーブルをひっくり返すような真似はできない。やーぁはり、君は私が見込んだ通りだったよ」

 

歯軋りして口惜しさを堪えるスバルにロズワールの声。顔を上げるスバルに、ロズワールはその表情を実に嫌らしく歪めると、

 

「君こそまさしく、私の共犯者にふさわしい――とね」

 

「……てめぇ、碌な死に方しねぇぞ」

 

「知っているとも。私は間違いなく、地獄に落ちる。だからこそそれまでに、できる限りの横暴を現世で尽くしておかないといけないね」

 

言い放つロズワールに鋭い一瞥を向けて、スバルは無言で背を向けると乱暴に部屋を出る。

これ以上、会話を交わしても無駄になる。真意を語るつもりがない以上、そしてその思惑を破り捨ててやることができない以上、不毛なやり取りになるだけだ。

だが、

 

「――お前の思惑通りに、誰も彼もが踊ってやると思うなよ」

 

拳を握り固めて、夜道を歩きながらスバルは覚悟を新たにする。

明日、ロズワールはエミリアを『試練』に挑ませ、『聖域』のものたちとアーラム村の人々の意識を、ハーフエルフへの蔑視を覆そうとしている。

その過程で生まれるかもしれない、エミリアへの負担の数々をあの男は考慮しない。結果、エミリアがどれだけの傷を負おうが、心が擦り切れようが、へらへらと笑って己の思う通りにしようとするだろう。ならば、

 

「それだけはやらせねぇ。あの子は……エミリアは、俺が守る」

 

『試練』に挑む資格――墓所で見た夢が夢でないのなら、スバルにはそれが与えられたはずだ。

魔女の気紛れであるかもしれないそれで、ロズワールの企みを阻んでみせる。あの男の味方を顧みない行いで生まれるかもしれない痛みを、涙を、全て止めてみせる。

 

「――それがこの『聖域』で、俺がやらなきゃならねぇことだ」

 

突き上げた拳の向こうに、青白い月が浮かぶ。

手の届かないそれを握りしめるように強く拳を固めて、スバルは銀色の愛しい少女を思い描きながら、道化の悪意じみた企みと真っ向からぶつかると決意した。

 

※※※※※※※※※※※※※

 

「――本当に、よろしかったのですか?」

 

乱暴に同席者がいなくなったあとの部屋で、やり取りを見守っていたラムが静かに問いかける。それを聞き、彼女の主は力なく首を横に振ると、

 

「ああした反応があるのは予想していたことだーぁしね。わかってはいても、若者の心を抉るのはなんとも気が沈むものだよ」

 

「ラムの前では、嘘なんてつく必要はないんですよ?」

 

「気遣ってくれるのは嬉しいんだーぁけど、今のは本音だから。なに、ラムの中でも私ってば嬉々としてそういうことやっちゃうように見えてるの?」

 

無言で目をそらすことで主への返答とし、ラムは先のやり取りの合間に乱れた寝台のシーツを整える。その際、主の腹の横あたりにあった固い感触が指先に触れ、彼女はそれをシーツから引っ張り出すと、

 

「ロズワール様。こちらの方を」

 

「ああ、ごーぉめんごめん。スバルくんに見られると、やーぁやこしいことになりそうだったからねーぇ。しかし、お尻の下に敷いたりなんかしてるなんて罰当たりなこともあったもんだよ。気をつけないと」

 

手渡されたそれを大事そうに受け取り、ロズワールはその表面を軽く撫ぜる。それから彼は「ともあれ」と己の顎に指を当てて、

 

「エミリア様の資格も確認したし、スバルくんも焚きつけた。明日の夜には『試練』が始まるとして……ラムは、どうなると思うかーぁね?」

 

「ロズワール様のお考えはラムにも計り切ることはとても。……ロズワール様でしたら、どうなるのかはご存知なのではありませんか?」

 

「そこまで便利なものでもないんだよねーぇ。魔女教の手にしている不完全なものに比べれば幾分上等だけれど、彼女が求めたものには届かない紛い物に過ぎないし。さっきのスバルくんとのやり取りだって、どこまで記述に沿えたものか」

 

反省するように吐息をこぼすロズワールにラムは小さく眉を上げ、それからおずおずと躊躇いがちに、

 

「では、先ほどのバルスへの言葉の数々は……」

 

「いくらか演技はしていたものの……大半は本音ってとこだーぁね。いやさ、ああしてスバルくんが怒るのはもちろんわかっていたよ。わかってはいたけれど、私にだって少しは言ってやりたいこともあるってーぇもんじゃないの」

 

ラムに対してロズワールは弁明するように手を振り、それから「なにせ」と言葉を継ぎ、

 

「意中の相手を貶められて、腹立たしく思うのは自分ばかりと思われてはいかにも癪だーぁからね。大人げない、私の意地悪ってーぇやつだよ」

 

言いながら笑うロズワール。

その腕の中に大事に大事に抱えられている、黒い装丁の本。

 

ロズワールの指先はその本の装丁を、ゆっくりゆっくりとなぞり続ける。

愛おしげに、愛おしげに、ゆっくり、ゆっくりと――。