『雪の中の熱情』


 

墓所の前まで乱暴に連行されて、入口付近に投げ出されて転がる。

雪というべきか霜というべきか、シャーベット状のものが口の中に入った不快感を吐き出し、スバルは露出した肌が痛みを痺れと錯覚する中、首だけで振り返る。

 

「ずいぶん……扱いが、雑だな」

 

「気ィ遣ってやるほどの頭ができてねェんだよ。てめェが雑に扱われってる分にゃァまだマシだろォが。それとも、こっちの女の方が雑に扱われてェかよ?」

 

横倒しにスバルを見下ろしながら、白い息を吐くガーフィールがこれ見よがしに腕の中のレムを見せつける。

人質、というような発想をガーフィールがしているかはわからないが、それは正しくスバルに対しての脅迫材料になり得た。

 

「レムに、妙な真似だけは……すんな」

 

「てめェがこっちの要求に応えるつもりがある限りァ、そうしってやるよ」

 

静かな声で言って、スバルは薄く雪の降り積もる地面に手を着き、かじかむ手を駆使してどうにか立ち上がる。すぐ脇に立つ、スバルをここまで運んできたリューズの複製体がぼんやりと、スバルの方を見ていた。

相変わらず、ボロだけをまとったみすぼらしい姿だ。この寒さの中では、あまりにも装備として貧相だと感じるが。

 

「この子たちの格好、どうにかならねぇのか。……寒そうで、見ちゃいらんねぇよ」

 

「こいつらの素性ァわかってんだろ?寒さを感じる能なんて、端からくっついちゃいねェよ。時間稼ぎなら、付き合ってやる理由はねェぞ」

 

「穿つんじゃねぇよ。俺だって、時間稼いで状況が好転するとは思ってねぇよ」

 

吹雪くような視界の中、スバルはガーフィールの忠告を背中に聞いて、墓所の方へと向き直る。

白くけぶる世界に、ぽつんと浮かぶ石造りの遺跡。エキドナの墓所は猛威をふるう自然現象の前でも悠然と、不気味にその口を広げて挑戦者を待っている。

この中に、エミリアがいるはずなのだ。

 

「エミリアが入って、どのぐらい経つ?」

 

「一昨日の晩からだっから、そろそろ二日目ってェとこだな。正直、死んでっさえなきゃァどうなっててもいいっけどよォ」

 

「お前の立場としちゃ、そうだろうよ。……お前が中に入って、引っ張り出してくるって選択肢はなかったのか?」

 

「俺様ァ墓所には入れねェ。そういう契約って、ことになってる」

 

含むような言い回しで、それがガーフィールの立場の全てだ。

『聖域』の住民のどれだけが知っているのかはわからないが、ガーフィールはやはり墓所に踏み込んだことがあるのだ。そしてエキドナに会い、強欲の使徒としての権利を手に入れて、リューズの複製体の指揮権を所持する資格を持っている。

彼がそれをなぜ隠し、その上で『聖域』を解放させまいとするのかはわからないが。

 

「中に入って、エキドナに聞ければ……わかるのかな」

 

「ぶつぶつ言ってんじゃァねェよ。言ったはずだぜ、とっとと入れ。中の半魔を引っ張り出してきて、この雪景色をとっととやめさせろ。さもねェと、俺様もやりたくねェことをやらなきゃいけなくなっからよォ」

 

腕の中のレムを軽く持ち上げ、ガーフィールは鋭角に頬をつり上げてみせる。似合わない笑い方だが、彼が実際にその示威行為を実行できる人物だとスバルは知っている。彼の本音がどうであれ、『聖域』を守るためならば、想い人と同じ顔をした少女の一人や二人、容易く爪にかけることだろう。

 

「レムに、何もするな。――それが俺の条件だ」

 

「……行けよ」

 

冷たい風の中、できる限りの冷徹な声で言い残して、スバルは墓所の中へ足を向ける。背後、ガーフィールがスバルの背中をじっと見ている。

彼の真意がわからない。そして、彼に伝え忘れたことがあったのを思い出す。

 

フレデリカの死を、弟であるガーフィールに語るのを失念していた。

寒さで、怒りで、頭がどうにかなっていたとしか思えない。

 

今の自分は、正常なのだろうか。正常なのだとしたら、どうして正常でいられるのだろうか。

ペトラが死に、疑ったフレデリカが潔白で、戻った『聖域』はこの有様。ガーフィールとの関係は最悪で、他の『聖域』に残った面子の安否はようと知れない。

 

これだけの悪環境が続いてなお、どうして正常でいられるのだろうか。

考えることを止めてはならない。諦めてはならない。前を見て、上を見て、掴むべき未来を掴むために、積み重ねられるものを積み重ねなくてはならない。

そうでなければ、どうして、スバルは――。

 

「――――」

 

墓所の乾いた床を、スバルの靴音だけが断続的に打っていた。

墓所の外と違い、内側には猛威をふるう寒気の影響がほとんど感じられない。寒さが振り切っている、などという錯覚とも違い、事実として影響が薄いのだ。

スバルが墓所に踏み込んだことで、資格あるものを出迎える墓所の機能が働き出し、暗かった遺跡内部にほのかな明かりがともる。

 

ぼうとした明かりが壁伝いに奥へと誘うのに従って、スバルは体内の血が凍り始めているようなぎこちなさで、四肢を駆使して墓所を攻略する。

そして、長く感じた通路を抜けた先、ぽっかりと開けた空間がある。

 

第一の試練、過去と向き合わされる『試練』の間だ。

そうして辿り着いたその場所で、

 

「――スバル?」

 

待ち望んだ銀鈴の声音が、スバルを柔らかに出迎えてくれていた。

 

※※※※※※※※※※※※※

 

暗がりの中、名前を呼ばれたスバルは正面の人影に目を凝らす。

うっすらと遺跡の暗さに目が慣れ始めてきて、長い銀髪と吸い込まれるような紫紺の瞳が視界に飛び込んできたとき、堪え切れずにスバルは彼女の名前を呼んだ。

 

「エミリア」

 

「そう。そうだよ、スバル。……私だよ」

 

短い四文字を音にして、それに返事があったことにスバルは崩れ落ちそうになる。

大げさだとも思うが、堪え切れない情動であった。

 

疲労感、倦怠感、喪失感。

とかく、スバルを打ちのめした感覚は多いが、エミリアを前にしたことで、ここまで張り詰めて意識してこなかったそれらに膝が折られたのだ。

 

前のめりに倒れそうになるスバルを、とっさに伸びてきた腕が捕まえる。

柔らかく、温かな感触だ。見上げたすぐ先に、白い美貌がスバルを見つめていて、状況も忘れてスバルは驚きに息を詰まらせた。

今、エミリアに優しく抱き止められている。

 

「あ、た、ごめ……力、抜けちまって……」

 

「大丈夫。わざとだとか、狙ってやったんだーなんて疑ってたりしないもん。狙ってやってたとしても、こうして受け止めちゃっただろうし」

 

スバルの言い訳に言葉を被せて、エミリアがこちらの逃げ道を塞ぐ。

それが責めるどころか優しくフォローするものだったから、スバルは安堵に深い息を吐き――エミリアの様子がおかしいと、即座に気付いた。

 

エミリアの様子は、いつもと変わらない。

優しく、穏やかで、ちょっぴり天然が入っていて、思いやりに満ち溢れていて、可愛くて、どこか子どもっぽいところも魅力的で――いつもと変わらなすぎる。

 

今のエミリアのいつも通りは、ロズワール邸で穏やかな時間を過ごしているときのいつも通りだ。

『試練』を突破できず、使命感に張り詰めていたエミリアのいつも通りではない。

 

「え、エミリア……俺がいない間に、その……」

 

――なにか、気持ちに変化が訪れるようなことがあったのか?

 

そんなことを問いかけようと、スバルは言葉を選ぶ。

だが、それがスバルの口から伝えられる前に、ぽつりと、

 

「――さびしかった」

 

「……え?」

 

エミリアの呟きがはっきり聞き取れず、スバルは眉根を寄せて聞き返す。

銀色の美貌は、顔を上げればすぐ傍だ。息がかかるほどの距離にある彼女の瞳を見つめて、スバルは今度こそ一言一句聞き逃すまいと意識を張る。

そんなスバルと真っ向から見つめ合い、エミリアは言った。

 

「さびしかったよ、スバル。――だって、私を置いていっちゃうんだもん」

 

「あ……いや、それは……違くて。置き去りとか、そんなつもりじゃなくて……」

 

「――――」

 

「手紙にも、書いたと思うんだけど……やらなきゃいけないことがあって。それでちょっとだけ、一緒にいれなかったんだ。エミリアをさびしがらせたのは、本当に反省してる。そんな思いまでさせたのに、やらなきゃいけなかったことってのも、ちゃんとやり切ってこれなくて、それで……」

 

「ふふっ」

 

早口に、スバルはじっと見つめてくるエミリアの瞳に言い訳を重ねた。が、その言い訳が言い終わる前に、堪え切れないといった様子でエミリアが噴き出す。

その反応に、スバルは目を疑うしかない。

 

話の途中で、それもこんな張り詰めた場面での会話で、エミリアが噴き出す?

笑う要素がどこにあったというのか。それ以前に、エミリアはそういった反応を選べるような性格の少女ではないはずで。

 

「そんなに一生懸命に言い訳しなくたって、怒ってないですよーだ。スバルったら、顔青くしちゃって……ふふっ」

 

「え、エミリア……?」

 

「大丈夫だってば、スバル。スバルはちゃんと手紙を置いていってくれたし、たくさんたくさん、たーくさん、私のために書いていってくれたもん。さびしかったし、泣きたいなって思ったこともあったけど……手紙、何度も読み返したから」

 

いじらしいことを口にして、エミリアは微笑を深くする。

魅入られそうな愛らしい笑みに、スバルの胸を掴むような甘い囁き。彼女がスバルの残した手紙を大事に、それも心の支えのようにしていてくれたなど、聞かされただけでスバルの心は熱い熱情に浮かされそうになる。

 

だが、その熱情に押し流されそうになる自意識をせき止めて、スバルはエミリアの変調にふつふつと嫌な予感を感じずにはいられない。

どこかがおかしい。何かが変なのだ。さっきから感じている違和感が、一度も修正されないままにここまできてしまっている。

 

何がおかしい。どこに違和感がある。エミリアが、こんなにも愛おしいのに。

こんなにも愛おしいまま、エミリアがスバルに応えてくれているのに。

 

「エミリア……『試練』は、どうなった?」

 

「試練……」

 

「そうだよ、『試練』だ。そのためにここに入ったんだろ?一人で行かせるなんて辛いことさせてごめん。それも謝りたいし、どうなったのかも知りたい。ダメでも、俺はそんなこと何とも思わないけど、今こうしているってことは……」

 

「ダメ、ダメだったよ?第一の『試練』を、過去を私は乗り越えられてない。期待と心配してくれてるのに、ごめんね」

 

「あ……」

 

エミリアの答えに、掠れた声が喉から漏れてスバルは後悔する。

今の音が、エミリアには落胆に聞こえたかもしれない。だとしたら、スバルは彼女に「気にしない」と言った直後にそれを裏切ったことになる。

そんな焦燥感に駆られるスバルだったが、ふいに頭に滑らかな感触。

エミリアが、スバルの短い黒髪に指を差し込み、頭を掌で撫でていたのだ。

 

行動の真意がわからず、スバルは目を白黒させる。そのスバルの驚き顔にエミリアはにっこりと笑い、頬を赤く染めながら、

 

「スバルって、たまに私の髪の毛を触りたがるでしょ?だから私も、たまにはスバルにこうしてみたいって思ってたの。ふふ、スバルってば隙だらけー」

 

「エミ、リア……?」

 

「あのまま、私を置き去りにしたまま、スバルがいなくなっちゃったらどうしようって……すごく、すっごく、すごーく、いっぱい考えちゃったんだよ。すごーく、恐いなってそう思ったの。だから、スバルがさっききてくれたとき、嬉しかった」

 

『試練』に失敗したと、そう語った直後だというのに、エミリアの瞳にはスバルしか映っていない。熱を持つ瞳が、潤んだ瞳が、スバルを見つめている。

そこに、自分がこうして映る日を、スバルがどれだけ待ち望んでいたことだろう。

彼女に熱を持って名前を呼ばれ、情熱に潤んだ瞳に見つめられることを、どれだけスバルが焦がれていたことだろう。

 

全ては今、この瞬間、この熱情を味わうそのために。

だから――。

 

「スバル。もうずっと、一緒にいよう?一緒にいて?あなたがいてくれたらもう、私は他に、なんにもいらないから――」

 

盲目的な愛をエミリアが唱えてくれる日を、こんなに恐ろしいと思うときがくるだなんて、スバルは想像もしていなかった。

 

※※※※※※※※※※※※※

 

スバルを腕に抱いたまま、エミリアは熱のこもった言葉を並べ続ける。

 

「最初、スバルがいなくなったって聞いたとき、すごーく辛かったの。恐くなった。だって、私、全然ちゃんとできてなかったから……それで、スバルに呆れられちゃったんじゃないかって。そう思ったら、恐くて怖くて、体の震えが止まらなくて……」

 

「――――」

 

「でも、手紙があるって気付いて、それがスバルの字だってわかって、すぐに恐いのが収まったわ。スバルってすごいのね。あんなに恐いと思ったのに、すぐにそんな気持ちも吹き飛ばしてくれて……うん、私いつも、スバルに助けられてるなぁって」

 

「――――」

 

「手紙の内容も、嬉しかった。私に心配かけないようにって、たくさんたくさん書いてくれたよね。すごーく時間かかったよね。そうやって、私のために時間を使ってくれたことも、その間、私のことをきっと考え続けてくれたことも、嬉しかった」

 

「――――」

 

「手紙の中でもいっぱい、スバルは私に『好き』って、そう言ってくれてたね。竜車の中で言ってくれたときも、すごーく嬉しくて、泣いちゃったけど……手紙を読んでも、やっぱり泣きそうになっちゃった。それぐらい、大きなものを私はもらってたんだって……そう思ったの。それに気付いたの」

 

「――――」

 

「だから戻ってきてくれたスバルを見たとき、もう止まらなくなっちゃった。胸の奥で、一番深いところで、小さな私がスバルの名前を呼んでるの。そうしたら、こうやって手を伸ばして、触って、そうしたくてたまらなくて……」

 

「――――」

 

「ね、スバル。今までごめんね。私、ずっと酷いことしてたよね。こんな風に思ってくれてたスバルのこと、ずっと我慢させてたんだよね。それがすごーく残酷なことだったんだって、今は少し、わかってるの」

 

「――――」

 

「こんな気持ちを抱えて、それでも我慢してるのって辛いよね。私、我慢してるスバルの前で、勝手すぎたよね。スバルのこと……考えたいって、わかりたいって思ってたはずなのに、全然わかれてなかった」

 

「――――」

 

「でも、今は違うわ。スバルのこと、ずっと考えてる。ずっと思ってる。スバルが私のことを……その、好きって言ってくれたみたいに、思ってくれてたみたいに……今は私も、スバルのこと……そう、思いたい、かも」

 

「――――」

 

「ううん、ごめんね。今の、卑怯だよね。恐くても、私が何を考えてるのかわからなくっても、スバルは私に、ちゃんと言ってくれたもんね」

 

「――――」

 

「だから、私も、ちゃんと伝える。――伝えます」

 

「――――」

 

「ね、スバル。私は、あなたが、好きです。あなたのことが、大好きです。あなたのことを考えて、あなたのことだけを考えて、ずっと一緒にいたいって、そう思います」

 

「――――」

 

「スバルも、私をそう思ってくれてると……嬉しいな……なんて」

 

「――――」

 

「えへへ。うん、うん……好き。スバル……大好き」