『自覚する感情』


 

吐息したエミリアは五体投地するスバルを見下ろして、「そういえば」となにかを思い出したように唇に指を当てる。

時たまするその仕草が、妙に彼女にしては子どもっぽくて可愛らしい。

跳ねるように体を起こすスバルに、エミリアはその唇に当てていた指をそのまま己の目のあたりに向け、

 

「それにしても精霊も見たことないなんて、マナの使い方が不安定なの?」

 

「マナの使い方……ね」

 

「目に集中させるくらい初歩でしょう?そのくらいなら……」

 

「リア。そんな単純な話でもないんだよ。君がこれまで見てきた相手が、人間にしてはマナの扱いに長けてるだけ。まあ、それとは別にスバルの事情はちょぴっとだけ特殊だけど」

 

「特殊?」と首を傾げるエミリアに、パックは腕を組んで頷き、

 

「ちらちら見てる感じ、スバルのゲートってうまく開いてないんだよね。精霊術とか魔法と無関係にしても、閉じすぎじゃない?ってレベル」

 

「それって変じゃない。普通に生きてればそんなことないはずでしょう?」

 

「うん、だから変なんだよ。普通に生きてなかったんだろね」

 

二人の視線が結ばれ、頷き合うと息もぴったりにスバルの方を見る。二人の視線を受けるスバルはそれに対し、

 

「俺が口を挟むのを躊躇うような二人の世界……じぇらしー」

 

「ま、まあ、普通じゃないのはわかる話ね」

 

「普通の定義が乱れる!っていうか、人の顔を見て普通とか普通じゃねぇとかかなり失礼な感じだな。お宅の娘さん、そこんとこどうなってるの?」

 

「裏表のない素直ないい娘に育ってくれてボクは嬉しいよ」

 

「親猫馬鹿ここに極まる!」

 

娘に甘いにもほどがあるパックの態度にスバルは顔を掌で覆う。そのオーバーリアクションを目にしながらエミリアは、

 

「なんか二人とも、すごーく仲がいいのね」

 

じと目で二人を交互に見て、そんな風に呟く。

そのツイートにスバルとパックは顔を見合わせ、頷き合うと互いの掌を合わせ(パックは掌に体全体ぶつける感じ)て、

 

「おうよ、超仲いいぜ。波長が合う感じだな。俺と一緒に、お笑い界の頂点を目指さないか!?」

 

「そんなこと言って、どうせボクの体が目当てなんでしょ」

 

「愛とモフりはまた別の話だ。でもきっと、俺は最後には必ずお前のところに戻ってくるよ。男の浮気心くらい、少しは大目にモフモフモフ」

 

掌の感触に掛け合い中断。幸せな顔でパックをモフるスバルに、今度こそ話の続きを諦めたのだろう。エミリアは完全にパックをスバルに委ね、

 

「パックはそっちでスバルと遊んでなさい。私は私で精霊のご機嫌取りしなきゃならないんだから。もう、邪魔しないでよね」

 

「見放されたな」

「見放されちゃった」

 

おどけて肩をすくめる二人を、エミリアは無言で無視。そそくさと距離を開けると、引き連れた精霊と先ほどの続きらしき行為に没頭し始める。

精霊に語りかけるその様子は、やはり先ほどと同じで幻想的な光景だ。その荘厳さの一端に触れたくて、ああした行動に出てしまったのだが。

 

「だから俺の本意ってわけじゃねぇんだぜ。そこんとこよろしく」

 

「ボクによろしくされてもなぁ。まあ、でもこれ以上は怒られるから自重しようか。大事な儀式の真っ最中。精霊として、もう見過ごせないから」

 

「そのわりにはお前もだいぶノリノリで邪魔こいてたけどな。で、けっきょくあれってなにしてんの?」

 

「精霊との契約の儀式。――誓約の履行だよ」

 

聞き覚えのない単語の連発に、スバルは無理解のしかめ面で応じる。パックはその反応に説明の言葉を選ぶように「えーと」と前置きして、

 

「まず、精霊使いは精霊と契約しないと精霊術が使えないんだね。で、契約内容は精霊によって異なるんだよ。ここまではいいかな?」

 

「金貸しによって利息とか担保が違うってわけだな。オーケー」

 

「ボクがオーケーじゃないけど進めるね。それで精霊が求めてくる内容ってのは個々違うんだけど……相手がああいった微精霊みたいな子たちになると、ああして術者本人のマナを介した触れ合いかな。そういうので、わりと簡単に協力を取り付けられるんだよ」

 

「お手軽な感じなんだな。つっても、今の言い方だとちゃんとした精霊は別なんだろ?そこんとこどうなんですか、精霊さん」

 

「賢い子は話が早くて助かるよ。……変に頭が回るから、余計な脱線して話が進まないって感じもするんだけど」

 

いやあ、と照れて頭を掻くスバル。パックはそんなスバルに生温かい視線を向けて、己のヒゲをいじりながら、

 

「スバルの言った通り、ボクを始めとした意思ある精霊はもうちょっと要求内容が厳しい。その分、術者に貢献するつもりだけどね。ボクはこれでもそれなりに力のある精霊だから、リアに付けてる誓約は厳しいよ」

 

「さっきから気になってたけど、そのリアって呼び方可愛いな」

 

「君のエミリアたんには負けるよー。ボクも今度からそうしようかな」

 

「――お願いだから、絶対にやめて」

 

スバルの脱線にパックが悪乗りし、そこへエミリアが怒り顔で割り込む。

見れば、こちらを睨む彼女の周囲からは精霊の輝きが消えている。どうやら精霊トークショーも終わったらしい。

スバルは立ち上がりながら尻についた草を払い、

 

「親睦会は終わったのか?案外、ちょろい感じで済むんだな」

 

「二人が邪魔するから集中が乱されて打ち切ったの。離れてても人の神経逆なでするんだから……もう才能よね」

 

「出会ってはいけない二人が出会ってしまった……的な。なにかが始まる予感がするな。胸のドキワクが止まらないぜ」

 

自分の胸を叩いてビートを刻んでいると、エミリアが掌を差し出してくる。そこへスバルの下から離れるパックが着地。

彼は丸い黒い瞳でエミリアを見上げ、含むように笑うと、

 

「大丈夫。探ってみた感じだと、スバルには悪意とか敵意とか害意ってものは見当たらない。ちょっと性根がねじくれてるけど、いい子だよ」

 

「ちょ……」

 

パックの散々な評価にエミリアが思わず絶句。

彼女はスバルの様子をうかがいながらも、慌て口調でパックをつつき、

 

「なんで本人の前で……しかも、そんな評価。本当のことでも、言われたら傷付くでしょ?」

 

「あー、いいっていいって。探り入れんのは当然の話だろ。俺みたいな素姓の知れないナイスガイ、疑るのが当たり前だ。……今のエミリアたんのフォローには傷付いたけどね!」

 

思わず口を手で塞ぐエミリア、彼女の素直な反応にスバルは苦笑い。

こちらに触れてきたパックが、探りを入れてきているのだろうというのはスバルにも予想がついた話だ。

ここまでまともな情報ひとつ出さないスバルを、無警戒に受け入れるほど彼女らは不用心ではない。さっきのラムとレムの唐突な出現にしても、どこかしらでスバルの動向を見張っているからこその芸当だろう。

 

「とはいえ、うまく説明する手段はねぇし」

 

記憶はあるけど戸籍はない、というのがこの世界のスバルの現状だ。

説明は難しい上に、頭おかしい人物認定を受ける可能性が高い。それならばいっそ、パックの人格判断に乗っかってしまえばいい。

ある程度、心の読める彼ならばスバルの状況をより正確に伝えてくれるだろうと、さっきのやり取りにはそんな打算があった。

ある種の賭けではあったが、そんなスバルの打算にパックは笑い、

 

「平気だよ、リア。っていうか、スバルはそのあたりもわかってる。まんまとボクの読心を利用するなんて、悪い子だよ、この子は」

 

「光栄な評価だね。そのままうまく取り成してくれよ、マイフレンド」

 

呼びかけにパックは少しきょとんとした顔をする。それから実に楽しげに笑い出すと、

 

「そんな風に扱われるのは本当に久しぶりだよ。うん、好ましいなぁ」

 

嬉しそうなパックの態度にスバルは意味深なものを感じるが、彼はそれを言及するより先にエミリアの顔の前に浮き上がる。

それから瞳をつむる彼女の額に額を合わせ、変にシュールな光景を作った。

 

「食らえぇぃ!パック流超絶奥義『猫の額インパクト』!!」

 

沈黙する二人に置いてかれるのがさびしくて、アテレコして寂寥感を紛らわす。が、集中している二人はノーリアクションでさびしさが増すばかり。

 

「くそ、俺はなんて無力なんだ……これ以上、二人の気を引くような作戦が思いつかない。俺、落涙」

 

「……うん、わかった。へぇ、スバルって色々と考えてるん……なんで女座りでさめざめと泣いてるの?」

 

「気ーにーすーんーなーよー!で、今のってなに?」

 

「意識共有っていうかそんな感じだよ。口で説明するより、ボクが感じたものをそのまま感じてもらった方が話が早いでしょ?」

 

スバルの疑問に端的に答えて、パックは定位置の銀髪の隣へ。肩に乗るパックに手を添えて、エミリアは「そういうこと」と頷く。

 

「パック経由だけど、スバルのことは伝わったから。……疑って、ごめんなさい。わかってても、いい気分じゃないでしょう」

 

「美人に探られるって文章的にちょっと興奮しない?次はぜひ、パックじゃなくてエミリアたんが直接俺の脳をまさぐっていいぜ」

 

サムズアップして歯を光らせる。そんなスバルにエミリアは絶句。その反応を見て、またやらかしたと内心で後悔が全力疾走し始めるスバル。

調子に乗って戯言が飛び出す悪い癖が出た。そして、

 

「違う違う違う、そういう変態的な意味じゃなく、そう……我々の業界ではそういう痛いのもご褒美です」

 

その後のフォローを自分でしくじるのもスバルの悪い癖である。

ひきつった笑みで冷や汗が流れてくるのをスバルは実感。もはや汗か涙か雨かよだれか、四分の三でドン引き確定の液体が顎を伝う。

そんな汚れ芸人まっしぐらな状態のスバルにエミリアは小首を傾け、

 

「――ホントに、スバルって不思議」

 

「ほぇ?」

 

「実体のある精霊を当たり前みたいに扱って、おまけに私みたいな……ハーフエルフにも色目が使えるなんて」

 

「冗談でもビックリする」と小さく笑う。

『冗談でもなければ、そんな驚かれることしてますか?』というのがスバルの内心の発言だが、それすら忘れて彼女の微笑に見惚れる。

 

その微笑みが、あの路地裏で見たのと同じくらい、透き通った純粋な笑みだったからだ。儚さとも切なさとも遠い、見ていて嬉しくなるような。

 

――そんな彼女の表情に見惚れる自分の感情を、スバルは初めて自覚する。

 

「ヤバい」

 

「え?」

 

「いや、俺、こんなのほら、超久々だから……さ。いやマジに」

 

口の中がからからに渇き、苦しくなる呼吸に早まる鼓動。

目の前がちかちかし始めて、顔を真っ直ぐに上げていられない。熱が首筋から顔まで上がっていて、感情に制御がきかない。

 

「どうしたの、大丈夫?」

 

問いかけてくるエミリアが、下がったスバルの顔を下から見上げる。上目づかいにこちらを案じるその顔が、あまりにも可愛かったから、

 

「ふぉおおおおおうっ!!」

 

雄叫び、真後ろへ目掛けて大きく跳躍。バク転での状況離脱を図る。

逆さまになりながら地面に手を着き、華麗に回転する予定が朝露で手が滑り脳天から落ちた。そのまま頭頂部で芝生を滑り、一メートル地点で倒れる。

 

「きゅ、急にどうしたの!?」

 

「うぉぉぉぉぅ、痛ぇ、すげぇ痛ぇ。やべぇ、頭とかハゲてない、てない?……あ、白」

 

頭部を抱えて地面を転がるスバルに駆け寄り、どうすべきか手をおろおろと動かすエミリア。そんな彼女を下から見上げてのスバルの一言。

一瞬、訝しげな顔をしたエミリアの頬が、その意味に気付いて一瞬で紅潮。

短いスカートで、地面に転がるスバルの前にきたもんだから、

 

「不可抗力、不可抗力です!狙ったわけじゃないッス!」

 

「本音は?」

 

「ごちそうさまでした」

 

正座して手を合わせ、銀髪の女神にはんなりと頭を下げる。

顔を上げると、そんなスバルにエミリアは微笑。――さっきの微笑と違って、そこには幾分かの嗜虐的な色がまじっていて、

 

「そんな顔も魅力的であった、まる」

 

「――反省しなさいっ」

 

落下してきた氷塊は、手加減を考慮してもだいぶ大きかった。

 

※ ※※※※※※※※※※※※

 

「あー、痛ぇ……これ本格的にハゲ始まってねぇかな。大丈夫?」

 

「ちょっと大きめのたんこぶができてるだけよ。――私の優しさに感謝した方がいいと思うわ」

 

地べたにあぐらを掻いて頭を撫でるスバル。半分涙目のスバルに対し、さすがに不機嫌そうに冷たく応じるのは顔を背けたエミリアだ。

二人の間には数メートルの間隔があり、さっきの行いで生まれた溝がそのまま現実の距離感となって表れている。

 

ちらと、その白い横顔を上目でうかがう。ぷいと、顔を背けられた。

ちら、ぷい。ちら、ぷい。ちら、ぷい。ちらちら、ぷいぷい。

 

「遊ばないのっ。私は怒ってるんだからね」

 

「わざとじゃねぇのにさぁ、ちょっとしたすれ違いからの自爆なのに」

 

漫画表現で言えば絆創膏を貼りたくなるぐらい、くっきり浮かんだたんこぶ。

激突の瞬間は本当に目の奥で火花が散ったほどだ。下手したら、再び八百屋の前に引きずり戻されるかと思うような威力。

今でこそぴんぴんしているが、食らった直後は意識が朦朧としていたほど。ちなみにやりすぎたと思ったのか、倒れるスバルをおろおろと見守るエミリアが小動物的でまた愛らしかった。

薄目でその様子をうかがっていたのがばれて、また怒りを買ったのだが。

 

「君も難儀な性格だねえ。もっと楽にしたらいいのに」

 

「気楽に手抜きで生きててこれだよ。お前、そのポジいいなぁ」

 

羨ましげなスバルの視線の先、そこにいるのはエミリアの膝の上でリラックスするパックだ。先ほどまで掌サイズだったその姿が、今は人間の幼児ほどの大きさにまで巨大化し、細い膝に頭を乗せて感触を楽しんでいる。

 

「そんな卑猥な気持ちはボクと無縁だよー」

 

「黙れ、そして人の心を読むな。思春期男児の頭の中だぞ、えらいことになってんだよ。エミリアたんも例外じゃねぇ」

 

「あんまりボクの娘でいやらしいこと考えてると消すよー」

 

「怒るよぐらいの感覚で抹殺しようとすんなよ!?」

 

冗談めかしているが、本気だろうなと内心で冷や汗。

それにしても、とスバルは前置きして二人を眺めながら、

 

「毎朝の毛づくろいを欠かさないこと、ね。なんかさっきから精霊との契約とか誓約がちょろい感じにしか思えねぇんだけど」

 

「そんなことないよ。精霊によってはもっと要求が厳しい。マナを常人の何倍も与えることとか、好戦的だと一日一殺とかあるよね」

 

「比較対象が殺伐としすぎ……そしてお前は娘を甘やかしすぎ」

 

一例と比べるとパックの条件は楽勝すぎる。身内との契約が甘くなるのは、どんな世界のどんな時代でも一緒なのだろう。縁故採用万歳。

 

胸中でコネ採用について思いを巡らしながら、スバルは珍しくぼんやりと無言でエミリアとパックの触れ合いを見つめる。

そも、スバルがぺちゃくちゃと余計なことを喋り続けるのは、誰かがいる空間で無言の時間があることに苦痛を感じるからだ。

他者が介在するのに無言、そんな状態にスバルは『お前が喋らないからだんまり決め込まれてんだろうが』的な圧迫感を得るのである。

そんな悩ましい強迫観念に普段なら苦しめられるのだが、不思議なことに今はその独りよがりな焦燥感がどこにもわき上がってこない。

 

――無言、無音、静寂であること。

目の前の心温かな情景がどこか、それによって支えられているのがスバルにも感じ取れたからなのかもしれない。

 

パックの短い毛をすくい、撫でつけるように整える指の動きは優しい。表情はスバルとの諍いも忘れ始めたのか、毛づくろいに没頭する横顔は真剣味を帯びながらも穏やかで、それだけで魅せられてしまう。

ああ、完璧に視力が落ちてるなぁとスバルは思う。

 

「にやにや」

 

口に出してスバルを見る、読心能力持ちの猫が憎たらしい。

触れずとも他者の感情を読み取るあの猫ならば、今のスバルの胸中を占めるなんとも甘酸っぱい感覚の正体を掴んでいることだろう。

期せずして弱味を握られた形だ。もちろん、面白くはないが、

 

――我ながら、茨の道を選ぶもんだよなぁとも思う。

 

美しく流れる銀髪は、まるで月の雫のように幻想的だ。新雪のように白い肌は透き通るようで、紫紺の瞳は魅了の呪いでも放っているかのようにスバルの意識を惹きつける。細く長い手足、華奢な体は抱きしめれば折れてしまいそうな儚さでありながら、決して折れない強い心を芯に持っていることもスバルは知っている。気高く、美しい、理想的な人物だ。

 

どう考えても、異世界からきた青臭いひきこもりには目がない。

 

「こうしてるだけでも、贅沢ってもんなのかねぇ」

 

考えているともやもやしてくる不可思議な感情。

スバルは立ち上がり、それらを振り払うようにまた木剣を振り始める。

 

こんな言葉にしづらい感情を抱いたのは、それこそ小学生までさかのぼる。おまけにけっきょくその感覚も、十年近く引っ張った挙句に伝えることすらなく終わった類のものだ。

それらの感覚がよみがえるたびに、振りの速度は鋭くなる。

 

「消えろ煩悩!くたばれ後悔!百八匹いようが知るか!全部たたっ斬ってやんぜ!やんぜ!」

 

見えないなにかを切り倒し、そのたびに強気な発言が出る。

おうとも、もやもやに悩むなど自分らしくない。悩まず、明快に、スパッと適当な答えを選ぶ。それでこそ、菜月昴という男だろう。

 

「おーおー、男の子だ。ふふふ、見てて飽きないね」

 

「はいはい、動かないの。……でも、ホントにそうね」

 

葛藤を惨殺し続けるスバルを見て、二人がそんなコメント。

暴れる背中を見て、そっと唇をゆるめるエミリア。彼女のその横顔には、さっきまでの気まずい怒りは見当たらない。

それに目敏く気付かないあたりが、スバルのスバルたる所以だった。

――と、

 

「どうかした?二人とも」

 

なにかに気付いたエミリアの声に、スバルも素振りをやめて屋敷の方に視線を送る。屋敷から楚々とした仕草で出てきたのは、桃髪と青髪が目立つ双子のメイドだ。彼女たちはどこか落ち着いた佇まいで腰を折り、

 

「「当主、ロズワール様がお戻りになられました。どうかお屋敷へ」」

 

一瞬のずれもない完璧なステレオ音声。

乱れない連携にも驚かされたが、スバルが驚いたのはさっきまでの彼女たちとの態度の違いだ。

スバルと一緒に茶化し合うような軽さのあったさっきと異なり、こうして目の前に立つ二人の少女は確かに邸宅の使用人としてふさわしい貫録を備えている。

 

早い話が、プライベートモードから仕事人モードへ切り替わっていた。

 

「そう。ロズワールが。……じゃ、迎えに行かないとね」

 

「「はい。それからお客様も。目が覚めているなら、ご一緒するようにと」」

 

パックが縮み、エミリアの銀髪の中へ沈む。己の髪を撫でてそれを受け入れ、彼女はわずかに感情を静めた表情で立ち上がった。

その横顔に違和感を覚えながらも、ご指名されたスバルも汗を拭う。スッと側に歩み寄る青髪が、懐から出した布でそれを引き継いだ。

 

「悪いな」

 

「いいえ、使用人として当然の務めですわ、お客様」

「いいえ、使用人として当然の仕事だから、お客様」

 

やったのは青髪なのに、当然のようにふんぞり返る桃髪。ちょっぴりさっきまでのやり取りの気配が戻ったな、と安堵を得ながらスバルは振り向き、

 

「で、ロズワールってのは誰のこと?」

 

「この屋敷の持ち主……そっか、説明してなかったのよね」

 

自分の落ち度に気付いたように、エミリアは掌を口に当てる。それからどう返答すべきか眉を寄せながら悩み、

 

「えっと、そうね。ロズワールは……会えばわかるわ」

 

「諦め早いな!そんな特徴ないの!?」

 

「「「「ううん、逆」」」」

 

驚きの四重奏で返ってきて、スバルは木剣を取り落とすほど動揺。

落ちる木剣を軽く足で弾き、回転するそれを易々とキャッチした青髪が厳かに一礼して下がり、姉妹に並ぶ。それから桃髪が屋敷を手で示し、

 

「どんな言葉を並べても無駄。ロズワール様の人となりは、ご本人に会ってご理解なさってお客様。ええ、きっと大丈夫」

 

桃髪と青髪は顔を見合わせて頷き合い、エミリアも渋々それに同意。困惑するスバルに対し、エミリアはその肩を軽く叩いて屋敷へ向かいながら、

 

「――きっと、スバルとは気が合うから。頭の痛い話だけど」

 

そう、気の重くなるような言い方で呟いたのだった。