『腸狩りVS聖域の盾』


 

「いいか?屋敷にいる要救助者は全部で四人。全員が女の子だ」

 

走る竜車の車上で、スバルは指を四本立てて説明している。

高速で流れる景色と荒れた道。にも拘わらず揺れない車体と浴びない風。何度味わっても不思議な感覚だと頭のどこかで考えながら、スバルは真剣な顔で立てた指を見ている二人に対して頷きかける。

 

「一人はフレデリカ。ご存知ガーフィールの姉貴だ。襲撃者がきた場合、時間稼ぎが期待できるのはフレデリカぐらいだな」

 

「姉貴かよォ……正直、もう十年も顔合わせてねェッからなァ」

 

気まずそうな顔をしながら、ガーフィールは短い金髪を掻き毟る。

『聖域』に留まり、意固地を張り続けてきたガーフィールだ。外の世界に行くために『聖域』を捨てていった、と決めつけていたフレデリカとは顔を合わせづらいことだろう。

 

「本気で十年も顔を合わせてないんですか?辺境伯やラムさんのお話からすると、お屋敷と『聖域』の間では何度も行き来があったようですけど」

 

「姉貴も色々気まずかったんだろォよ。ロズワールの野郎についてきたこたァいっぺんもねェし……手紙だきゃァ、何通も何通もきてッたみてェだがよォ」

 

「きてたみたいってのは?」

 

「読まずに全部ババアに預けてた」

 

拗ねた顔で視線をそらすガーフィール。気まずい姉への態度はもう、完全に子どものそれだ。再会したとき、さぞや感動のご対面となることだろう。

スバルが吐息すると、似たような感慨を得たらしい最後の同行者であるオットーが手綱を引きながら、

 

「それで、二人目がペトラちゃんですかね」

 

「そうだな。ロズワール邸の期待の新人メイド、ちょっとおませなペトラが二人目。この子は裏表なしに完全に普通の村娘だから、狙われると百パーヤバい」

 

実際、今のところロズワール邸襲撃の流れでのペトラの死亡率は百パーセントだ。

もちろん他の三人の死亡率も軒並み高いのだが、ペトラの場合は戦闘力の有無の問題が早々に始末されてしまうパターンが多い。

保護するのならば、速攻で見つけ出さなくてはならないだろう。

 

「もう一人がレム。ラムの妹だ。お前は覚えちゃいないだろうけどな」

 

「いまだに俺様ァ半信半疑だぜ、大将。ラムにそっくりの双子の妹なんて言われッてもよォ。長ェ付き合いの俺様が忘れるなんて、んなことがあんのかよォ」

 

「それこそ片割れのラムすら忘れる類の『呪い』だぜ。それの解決に関してはまた話は変わってくるけど……ともあれ、レムの心配は急務ってほどじゃない。屋敷を襲う殺し屋――エルザの標的にレムが入ってないからだ。多分、依頼の時点でレムの存在が知れてなかったからだと思う」

 

「そうは言っても、屋敷で寝ているレムさんが見つかればタダでは済まないでしょう?」

 

「……それは、間違いねぇよ」

 

エルザのことだ。

依頼に含まれていないレムであっても、発見すれば面白半分に手を伸ばすだろう。実際、スバルがこの目で見ていないだけで、レムが殺害されたケースもループの中であった。

能動的に動かないレムが、エルザがたまたま開けた部屋の中にいないことを祈るのみ。

 

「いずれにしても、相手頼みはあんまり良策とは言えませんねえ」

 

「お前たちに頼って、敵対する相手にも頼る。これがナツキ・スバル流の兵法、名付けて『逆風林火山』だ」

 

「か、かっけェ……ッ!」

 

拳を固めて目を輝かせるガーフィール。

適当な発言にこれだけ期待が寄せられるとスバルにも珍しく罪悪感が芽生える。もっと改めて時間が取れるときに、ガーフィールには正しい風林火山を享受することとする。

そう決心しながら、スバルは「しかし……」と眉を寄せてガーフィールを見た。

 

「さっきっから見てておっかねぇんだけど、本当にその状態で効果あるのか?」

 

「急ぎだってんだからしゃァねェだろ?俺様だって、もっといい手段があるってんならそっちの方がいいッけどよォ」

 

微妙に及び腰なスバルの言葉に、ガーフィールは不満げな顔で応答する。

ガーフィールの物言いはもっともだが、スバルの方の言い分も仕方のないことであった。なにせ今のガーフィールは、竜車の車体の外に掴まって、窓越しにスバルたちと会話をしている状態なのだ。

窓枠を掴んでぶら下がり、ガーフィールは高速で回る車輪の横で地面と足を擦らせながら、竜車に引きずられるようにして走行している。

 

以前、憎き敵を車輪に突っ込んで倒した経験のあるスバルにとって、手が滑っただけで再現映像ができるその状況は決して心穏やかで見てはいられない。

 

「これ何かの間違いでお前がバランバランになったりすると、俺のPTSD待ったなしだし屋敷の方も打つ手なくなるんだけど」

 

「んだァ、大将。ずいッぶんと心配性じゃねッかよォ。大丈夫だっつーんだよ。ほれ、ほれほれ!ほれほれほれ!」

 

「やめろぉ!!死ぬぞ!!お前の前に俺が死ぬぞ!!」

 

掴んだ窓枠を起点に、腕の力だけでぐるんぐるん回り出すガーフィール。『風除けの加護』の中であることと、ガーフィールの人間離れした握力があって初めて成立する曲芸だ。実際、ガーフィールに掴まれた窓枠は変形して軋むほど握りしめられており、竜車の持ち主であるオットーが後で悲嘆に暮れるのが目に浮かぶ。

ともあれ、

 

「『地霊の加護』の影響は、地に足がついてないと発動しないときたもんです。ガーフィールが万全か、それに近い状態で屋敷に到着できなきゃいけない以上、必要な措置と割り切るしかないでしょうね」

 

「その理屈はわかっけどさ。お前、これ外から見たら竜車に乗り込もうとしてる奴を振り落すために全力で走らせてるの図だぞ。そしてその実態は十四歳の男の子を車外に放り出して、地面に引きずらせながら高速で走り続けてるの図だ」

 

「外聞も内情もそういう言い方されると尋常じゃないんですけどねえ!?」

 

手綱を引いている側のオットーとしては、外からそう思われるのは避けたいのが心情だろう。手加減なしに車体を引いている地竜の二頭、パトラッシュとフルフーの二体は手綱を持つ御者の意思は素知らぬ顔で走りっぱなしだが。

 

ガーフィールが曲芸紛いの走行をしているのは、つまりそういう事情だ。

大まかな傷は『聖域』の時点でエミリアの魔法によって治療されているが、体の中から失ったマナであったり血であったり、そういったものまでは回復していない。

『聖域』から屋敷までの距離は約半日。パトラッシュたちが順調にぶっ飛ばしても、どこまでスバルたちの体力を回復する余裕があるか。

 

『地霊の加護』で大地から力を掻き集めているガーフィールが切り札であることは変わらない。スバルとオットーはあくまで、彼が全力で戦える場を整えるだけだ。

 

「そッれでよォ、話が中断してんぜ、大将」

 

「あ?」

 

「さっきの話ッだよ。助けなきゃいけねェのは四人で、まだ三人だぜ。最後の一人の名前が聞けちゃァいねェ。どこのどなた様だよ」

 

体を持ち上げ、竜車の中を覗き込むガーフィール。彼はスバルにぶつけた疑問と同様の視線をオットーに向けるが、オットーは首を横に振って肩をすくめる。

 

「生憎、僕はその最後のお一方とは顔を合わせてないんですよ。お屋敷にいたのは一週間ぐらいですが……その間、すれ違うこともなくて」

 

「顔も見たことねェ相手に顔も見たくねェぐらい嫌われるって、大丈夫かよ、兄ちゃん」

 

「多分そういう理由で会えなかったわけじゃないと信じたいんですが!」

 

不憫なものを見るガーフィールの視線に、オットーは必死の顔で反論する。

そんなやかましい二人のやり取りを見ながら、座席を拳で打つスバルは息を吐いた。

 

「最後の一人は……ベアトリスは、多分、俺じゃなきゃ連れ出せない」

 

「――――」

 

スバルの言葉に、オットーとガーフィールの二人は口を閉じてこちらを見た。

声音に込められた真剣な響きに、理由を聞かずともそれを信じてくれたのだろう。なんとも、心強い仲間たちだ。

 

「ベアトリスは俺が連れ出す。連れ出してやる。そうしなきゃならねぇんだ」

 

他でもない、スバルがそうしなくてはならない。

たとえベアトリスが表面上、それを望んでいないように振舞ったとしても。

 

「大将がそう言うんならそうなんだろッよォ」

 

「近くのアーラム村の方々も、できるなら避難させるべきですかね。混乱を避ける意味でも、それはうまいこと僕がやりましょうか」

 

スバルの覚悟に、二人はそれぞれの態度で後押しを表明する。

スバルにはスバルの役割を。そして、自分たちには自分たちの役割を。

 

まったく、本当に、頼りになる連中だ。

 

「ありがとうよ、馬鹿二人」

 

「素直に礼が言えないんですかねえ、馬鹿一人!」

 

※※※※※※※※※※※※※

 

戦いは一挙に、その苛烈さを増して豪奢な屋敷に破壊をまき散らしていた。

 

「――ォォォォォ!!」

 

「あァァァ!!」

 

鋼と鋼の打ち合う音が、擦過音に紛れる火花が、弾かれる斬撃と打撃の衝撃が、月明かりの差し込むロズワール邸の日常を崩壊させていく。

軽やかな音を立てて窓ガラスが弾け、床を砕かれる衝撃に絨毯が舞い上がり、壁に掛けられた絵画が咆哮とともに粉砕される。

 

「いいわね、あなた、最高だわ」

 

「ラム以外ッに言われッても大して嬉しかァねェよ!!」

 

盾を握り込む右腕が射出され、身をかわす女の横を抜けて壁に突き刺さる。そのまま身を横に滑らせていく女を追いかけ、ガーフィールは右腕を振った勢いのままに反転、裏拳気味に左腕を女の影に叩きつけた。

 

「残念」

 

「まァだ終わらねェ!」

 

避けた女が刃を振り上げるより、左腕を叩きつけたガーフィールが再び身を振り、右腕を壁から抜いて打撃を放つ方が早い。女は構えたナイフを振り下ろすのを中断し、腕を上げた反動でそのまま後ろへと宙返り――ガーフィールの打撃が、女の足が通り抜けた刹那の空間を粉砕する。

 

「らァァァ――!!」

 

左の裏拳。

右の剛拳。

左後ろ回し蹴り。

右の直突き。

左の胴回し回転蹴り。

 

回りながら次々と攻撃を繰り出し、下がり続ける女への追撃の手を緩めない。やがてガーフィールの連撃を避けるのに手いっぱいだった女は、下がる足が廊下の終点に辿り着いたことを察して顔を上げた。

 

「ぶっ潰れろやァ!!」

 

踏み込み、ガーフィールは引いた両腕を同時に解放。

発射された両の拳が風を穿ち、暗闇の廊下で月光を反射する銀色の暴力が女に迫る。

生身の人間が直撃すれば、間違いなく挽肉になるほどの獣の剛腕。女は背を壁につけたまま、軽く膝を曲げて右の足裏を壁へ当てた。

そして迫る両拳に対して狙いを定めて、曲刀の先端へ突っ込ませるように刃を差し出す。再び鋼の軋り合いと、二つの盾の隙間に刃が捻じ込まれる。だが、

 

「そんな小細工が通るかァ――!」

 

女の目論見は、二つの盾の合わせ目に刃を差し込み、突っ込むガーフィールをそのままナイフで串刺しにすることだろう。しかし、ガーフィールの膂力は女の細腕一本でどうにかできるほどやわなものではない。

曲刀は先端を縦に挟ませたまま、ガードを突破できずに歪に曲がってへし折れる。

その寸前――、

 

「では、小細工もう一つ重ねてはいかがかしら?」

 

壁に当てた足を支点に、女の体がくるりと縦に回る。

瞬間、後方回転するために上がる女の左足が、先端を盾に噛ませたナイフの柄尻を蹴りつけ、盾同士の隙間をわずかにこじ開ける。

その開いた隙間を、

 

「そしてこれが本命」

 

「――ッ!?」

 

逆さになる女の左手が、盾に隙間を生んだものとは別のナイフを握っている。禍々しい形状の曲刀はこれで三本目、いったい何本のナイフを隠し持っているのか。

 

盾と盾と刃の隙間を、身幅の薄いナイフが易々とすり抜ける。

空気を切り裂く音すらさせずに迫る致命の刃は、ガーフィールの首を際どく狙う。とっさの獣化でも、致命傷必至の急所中の急所だ。

しかし、ガーフィールはそれに対して凶悪な手段に出る。

 

「素敵」

 

「――ほふぇられへも、うれひくにェ!!」

 

うっとりと呟く女の眼前に、ガーフィールは顔を突き出す。

鋭い犬歯ががっちりと、女の左手の刃を文字通り食い止めていた。わずかに切られた口の端から滴る血と、ナイフ特有の鉄臭さが鼻を突く。

 

「くせェ!!」

 

顎に力を入れて、ガーフィールはナイフを一瞬で噛み砕いた。

砕け散る破片を吐き出し、なおも逆さの女の頭に真下から爪先を打ち上げる。頭蓋を弾けさせる手加減抜きの蹴りに対し、女は即座に引いていた左腕を捧げた。

 

濡れた布切れを壁に叩きつけたような音がして、真っ赤な鮮血が通路に飛び散る。顔にかかる血を袖で拭い、鼻から息を深々と吐いてガーフィールは振り返った。

数メートル離れた距離に、逃げ場のない行き止まりから逃れた女の姿がある。ただしその左腕は、手首から肩までの骨を幾重にもへし折られて歪にねじくれていた。

 

「腕一本で逃げ切るッたァやってくれんじゃァねェか。あァ、口が痛ェ」

 

「……ふふ、ありがとう。ああ……痛い、痛いわ。生きてるって、実感する」

 

「んだァ?斬るだけじゃなく斬られるのも好きだってかよォ?俺様にゃァ理解できッねェな。まァ、わかりッ合う気は頭っからねェけどよォ」

 

じくじくと血をこぼしながらも陶然と微笑む女に、ガーフィールは生理的な嫌悪感を催しながら腕の盾を打ち合わせる。と、それから女のさらに後方に気付き、

 

「よォ、姉貴。まァだそんなッとこでジッとしてやがんのかよォ。見てたッ通り、悪ィが格好いいとこばっか見せてもやれそうにねェ。とっととやるこたァやってくれや」

 

「……え、ええ、そうですわね」

 

口ごもりながら、フレデリカはガーフィールの言葉に何とか頷いてみせる。

正確にはこのときフレデリカは、黙って見ていたのではなく、動けなかっただけだ。それほどまでに、ガーフィールと女の戦いは高次元のものだった。

少なくとも、フレデリカが今の戦いに交じっていれば、最初の数合の打ち合いの時点で早々に脱落したことだろう。両者の技量はそれほど卓越している。

 

ちらと、フレデリカは女の後ろ姿を見ながら目的の部屋――レムの眠る部屋を見る。距離にしてみればほんの数メートルなのだが、女よりはるかに部屋に近いはずの自分が、あの女より先に部屋に辿り着けるビジョンが浮かんでこない。

部屋に辿り着けさえすれば、レムを担いで内側の窓から逃げることもできるのに。

 

「そんなに警戒することはないわ、お姉さん」

 

「……え?」

 

「私、今あなたの弟さんに首ったけだもの。あなたがどの部屋に用事があって、そこで何をしようとしても関知しないわ。興味が、全部そっちにないのだから」

 

「――――っ!」

 

振り返りもせず、フレデリカの行動の安全を保障してみせる女。

彼女の言葉に嘘はないだろう。そんな風に相手を謀るような女とは思えないし、その必要性がある女でもない。何より、今の言葉の真実味は聞いたもの全てに伝わる。

 

女の意識は今、全霊でガーフィールに注がれている。

フレデリカのことなど、もはや本当に一顧だにしていない。

 

なのに、女の立ち姿からはむしろ、屋敷中を包みかねないほどの鬼気が溢れている。最初に向き合ったときの禍々しさが児戯に思えるほどの、濃密な暴力的な殺意が。

 

「姉貴」

 

「――信じていますわ」

 

ガーフィールの短い言葉に、フレデリカもまた短い言葉で信頼を伝える。

フレデリカは女の鬼気で満たされる空間を、まるで水の中を泳ぐような圧迫感を味わいながらも踏破し、目的の部屋に辿り着いて――、

 

「――――」

 

最後にもう一度だけ、ガーフィールに視線を向けてから部屋の中に滑り込んだ。

それを見届けて、ガーフィールは深々と息を吐く。

 

「姉貴を見逃したのァ余裕……とかって話じゃァねェだろうなァ」

 

「これだけ上物の相手を前に、余裕でいられるほど浮気な女に見えて?私は今、あなただけだわ。――ああ、たまらない」

 

匂い立つような色香と、血臭満ちる鬼気が同居した凄絶な女の笑み。

ガーフィールはいっそ情熱的ともいえる熱視線を浴びながら、両足を広げて身を低くするスタンスを取った。

 

「正直、ゾッとしかしねェ。食いちぎって、引き裂いてやらァ」

 

「私もあなたの腸は、傷をつけずに引きずり出すのを約束するわ」

 

左腕をだらりと下げたまま、女は無事な右手に構えたナイフを回す。

そして、胸が床に触れそうなほどの前傾姿勢になると、

 

「私は『腸狩り』エルザ・グランヒルテ」

 

「……超最強の盾、ガーフィール・ティンゼルだ」

 

名乗り終えた瞬間、先に女が動く。

 

女――エルザの微笑が闇に霞むように溶け、負傷の影響を感じさせない神速の疾走。床を蹴る最初の音がしたと思えば、壁を穿つような音が上下左右から連続する。

 

床を蹴り、壁を蹴り、天井を蹴り、エルザの姿は跳躍を繰り返しながらガーフィールへと迫っていた。狙いを絞らせない速度と、ガーフィールがこれまでに相対したことのない生物の動き。悪夢めいたこの挙動で迫る存在など、人型にも獣型にもありえない。

何よりも驚嘆すべきなのは、その速度が明らかに負傷前よりも速いことだ。

 

「面白ェ――ッ!!」

 

跳躍する影に対して、ガーフィールは牙を剥いて笑うと行動を起こす。

相手がトリッキーな動きで仕掛けてくるのであれば、ガーフィールの反撃もまた同じだ。跳躍を繰り返す相手に対して、四肢を床に着くガーフィールは後ろ足を爆発させた。

 

屋敷の直線の廊下を、人間大の質量弾と化したガーフィールが突き抜ける。

盾を正面に構えて、猛虎の突進力を発揮する衝撃波に割れた窓ガラスや壁の破片が一斉に吹き飛んだ。

 

「がァァァ!!」

 

その結果も見届けず、雄叫びを上げてガーフィールは床に腕を突き刺して強引に制動。即座に身を反転させて再び獣の姿勢を取り、後ろ足が床を砕く。

 

爆発音が屋敷を揺るがし、破壊に巻き込まれる絨毯が散り散りになりながら舞い上がる。赤い布地の切れ端を体に引っかけて飛ぶガーフィール――瞬間、

 

「――――ッ!!」

 

「あはははは!!」

 

天井を足場に急降下するエルザの刃と、廊下を真っ直ぐ飛ぶガーフィールの盾が噛み合う。衝撃がつんざき、鼓膜を貫く音の暴力が月光の廊下を鋭く揺すぶる。

 

笑いながら弾かれるエルザが横に高速回転。斬撃の威力に進路を曲げられたガーフィールが頭から横の壁に突っ込み、石壁をぶち抜いて客室に転がり込んだ。

 

「ばァ!」

 

白煙をたなびかせながら、転がるガーフィールは即座に傍らにあった寝台の足を掴む。腕の筋肉が肥大し、百キロ近いそれを軽々と持ち上げると、今しがた自分が砕いて飛び込んできた穴へと向かって投げつける。轟音、両断、真っ二つになったベッドの向こう側から黒装束の女が銀色の刃を投じる。

左の盾で打ち払い、右側の盾で接近するエルザの顔面を砕きにかかる。が、これは屈むエルザの逃げ遅れた三つ編みを掠めるにとどまった。黒髪の先端が鼻先をくすぐった直後に、背筋を駆け上がる怖気に従ってガーフィールは前へなりふり構わず飛ぶ。股下から伸び上がる斬撃をかろうじて避け、弧を描く刃に背を削られながら扉をぶち抜いて再び廊下へと戦場を移した。

 

息つく暇もなく、ガーフィールを追って飛び出してくるエルザ。その細い腰を目掛けてガーフィールの蹴りが放たれる。直撃、感触がない。女は異常な体捌きで身を回し、蹴りの衝撃を腹の表面を撫でさせるような軌道へ変えて回避。逆に足を伸ばした状態で動きの止まるガーフィールへ、曲刀の先端が音を切り裂きながら迫る。

下手な体勢から放たれた先ほどの斬撃と違い、噛みついて止めようとすれば今度は頭を両断される速度と威力。ガーフィールの判断は一瞬、刃の軌道に右の盾を滑り込ませて受け流し、流れるそれをさらに左の盾が受け止めてさらに流す。

軋る音。弾け飛ぶ赤と黄色の火花。驚嘆に見開かれる黒瞳と、胴を開けた女。ガーフィールは雄叫びを上げて蹴り足を床に叩きつけ、体勢を作ってエルザの横腹に牙を突き立て、大仰な異名に相応しく内臓をぶちまけさせてやろうとする。

 

「――――ッ!」

 

その牙の一撃を中断し、勢いそのままに頭を引き下げたのは本能としかいえない。

 

避け遅れたガーフィールの左耳が吹っ飛び、血霧の中を転がり抜けて回避行動。壁に足をつけ、追い縋る斬撃を天井へ逃れて避ける。避ける、避ける、避け切る。

突き刺した腕で天井を割り、上階の一部を崩落させることでガーフィールはエルザの追撃に隙間を生み、その間に離脱する。絨毯の上に手足をつき、ガーフィールは消失した左耳の上半分からの出血を掌で押さえた。

 

荒い息をつき、焼けるような痛みにガーフィールは歯噛みする。それから、もうもうと立ち込める噴煙を切り裂いて、歩み出てくるエルザを見て口角を上げた。

 

「てめェ……その左腕、使い物にならねェようにしてッやったはずだけどなァ」

 

「そうね。痛かったわ。でも、人の体の傷は癒えるものだから」

 

「俺様の狭い常識の話で悪ィが、ぐしゃぐしゃになった腕が二分で治りやがるってなァ人間の体の話じゃァねェよ」

 

というより、生物の範疇を超越している。

ガーフィールの『地霊の加護』であっても、砕けた腕を動かせるようにするには数時間の休息を必要とする。マナが芳醇な土地を選び、全力でだらけてそれだ。

戦いの中で、ましてやこの短時間で、傷の癒えきる体などとんでもない。

事前にスバルから『殺しても死なない』と聞いてはいたが、その時点でしていたガーフィールの推論が現実味を帯びてくる。

 

「ともなりゃァ、話は早ェ。てめェ、人間じゃァねェな。生まれがどうだかァ知らねェが、少なくともそれはやめてやッがる」

 

「見た目に似合わず、意外と頭が回るのね」

 

「ラム以外に褒められッても大して嬉しかァねェってんだよ。それにその異常な回復体質に、俺様ァ心当たりがある」

 

指を突きつけ、ガーフィールは己の推論を口にする。

ガーフィールはこれで、意外と思われるかもしれないが本が好きな人物だ。それというのも退屈な『聖域』の中、力関係で拮抗する相手のいないガーフィールにとって、読書というのはそれなりに重要な時間潰しだったのだ。

とはいえ、ガーフィールが好んだのは冒険小説や神話、伝承の類であり、知識を蓄えるという方面には残念ながら興味が向かなかった。

 

「俺様が読んだ本の中にゃァ、本当にいるんだッかわッかんねェような化け物、英雄、そんなもんが溢れッ返ってやがった。そん中に、てめェのそれと同じ体の奴もいた」

 

「……絵本の中の、妄想の産物と並べられてもさすがに困るのだけれど」

 

「絵本じゃァねェし、ちゃァんと文字ばっかの本だ。……ちょくちょく絵も入ってやがッけどなァ、んなこたァいい。それにこれは妄想の産物たァ言い切れねェ」

 

澄ました顔でエルザはガーフィールの言葉に耳を傾けている。

とりあえず話が終わるまで付き合うあたり、戦いの中で見せる凶相とは印象の噛み合わない女だ。

その顔色を、変えてやる。

 

「なァにせ、昔いた魔女様にもおんなじ体の奴がいたって話だかんなァ」

 

「――――」

 

ゆらゆらと、刃の先端を揺すっていた動きが止まった。

エルザの黒瞳は何気ない動きでガーフィールを見る。その目に見えるよう指を突きつけ、

 

「――その体、『吸血鬼』って奴だろッがよォ!」

 

「別に血を呑んだりはしないのだけどね」

 

言い切ったのを聞いて、吐息まじりのエルザの体が床を蹴った。

すでに完全に癒えきった左腕と右腕、両手に曲刀を振りかぶってガーフィールへ迫る。斜めに迫る斬撃を掲げた両の盾で受け、同時に右足を突き上げて直蹴り――同じ軌道でエルザからも蹴りが放たれ、靴裏同士がぶつかり合って後方へ吹っ飛ぶ。

 

「気に入らねェ!左手も完全に元通りかよォ!」

 

「あなたの方も、時間稼ぎの間に耳の治療は終わったでしょう?これでおあいこ」

 

ばれていたか、とガーフィールは内心で舌を出した。

喋り続ける間、傷を塞いでいた左手で治癒魔法を使い、左耳の負傷は治療済みだ。欠けた部分は徐々に戻るのに期待するとして、それでもエルザと同じだけの負傷を負えばガーフィールの治癒魔法では応急処置止まり。

 

「否定しねェってこたァ、吸血鬼ってのァ当たりか?」

 

「周りがどう呼ぶのかは周りの自由。私は血は吸わないし、食事も普通。日差しの下に出ても衛兵が騒ぐだけで、どうということもないけれどね」

 

「じゃァ、腸がー腸がー言ってんのァ吸血鬼だからか?」

 

「それは私の性癖。色鮮やかな腸と見るのと、温かそうな内臓に触るのが好きなだけ」

 

「そっちの方がよっぽッど恐ェよ」

 

ガーフィールの前で、邪魔っけな黒いマントを脱ぎ捨てるエルザ。

それを見て、さらにエルザのやる気が増すと判断したガーフィールは牙を噛み鳴らし、両腕の盾を打ち合わせながら、

 

「世界は広ェぜ……ちっとしんどいが、うまッくやれよォ、大将」

 

そう言って、再び突っ込んでくるエルザに対して、ガーフィールもまた咆哮を上げながら盾を振り下ろしていった。

 

※※※※※※※※※※※※※

 

――扉が開かれたとき、部屋の中から流れ出してくる大量の紙の匂い。

 

むせ返るようなそれは、長い時間をその場所で過ごしたが故の月日の重みか。あるいは『時の止まった部屋』という通称をなぞらえるなら、月日はまるで関係ないのか。

 

「そのあたり、ちょうど『聖域』で色々と考えさせられることがあったばっかりだからよ。お前の答えってやつも一つ、聞かせてもらいたいもんだな」

 

「――どうして」

 

主の許可も得ずに、スバルはずけずけとその書庫の中に足を踏み入れる。

相変わらず、静謐さと陰気さの同居した空気だ。日の光が差し込む窓も、換気用の小窓すらない。長居すれば胸が悪くなり、気が滅入ることは間違いない。

 

出迎えるようにスバルを見上げる少女の顔が、疲弊しきっているのだからなおさらだ。

 

「どうしてまた、お前はこの部屋に辿り着けたのかしら?呼んだ覚えがないのよ」

 

「悪いが、お呼びじゃなくても現れるのが俺って男だ。中学生の頃、呼ばれてない友達の誕生日に顔出して、微妙な空気にしてやったときが忘れられねぇぜ」

 

さすがに空気の読めないスバルでも、次からは自重しようと思った出来事だ。

もっとも、「じゃぁ、今日はいいか!」と割り切って誰よりも騒いで帰ってきたので、次からは誰の誕生日にも呼ばれなくなったのだが。

 

「切なさで胸がはちきれそうになるから、その話はやめにしとこうぜ」

 

「やめにするもなにも、お前が勝手に始めたかしら。何もかも、勝手な奴なのよ」

 

「ああ、勝手なんだ。だから、お前がどれだけ嫌がっても俺はここにくる」

 

正面、少女が息を呑んだのがわかった。

その少女の瞳に映るように、スバルは恭しくその場で頭を下げてから、

 

「お前を連れ出すぜ、ベアトリス。――今度こそ、お前は俺の手で太陽の下に引きずり出されて、そのドレスを泥だらけにして真っ黒になるまで遊ぶんだ」

 

スバルの啖呵を聞いて少女――ベアトリスは、いつものように脚立の上に座ったままで自分の体を抱いた。

 

その腕に、黒い装丁の本を抱えたまま、震える瞳がスバルを見つめていた。