『精霊騎士』
――考えなくてはならないことが、無数にある。
メイザース領への行軍を再開し、風を切るスバルたちが行わなくてはならないことが大きく分けて二つ。
『屋敷にいるエミリアたちや、村の人間を危険から遠ざけること』
『襲撃を企てている魔女教と戦い、『怠惰』のペテルギウスを仕留めること』
前回は後者を優先し、成し遂げることで前者の目的も同時に達成しようとしたが、それは予想外のペテルギウスの生き汚さによって阻まれてしまった。
奴の憑依がどれほどの範囲で、どんな条件下で、どんな相手に通用するのかはわからない。だが、事実として奴はスバルたちに先回りし、あの場所でこちらを待ち伏せ、あの大惨事を巻き起こしてくれた。
過信は禁物――否、打てるべき手立ては全て打たなくては最善には至れない。
「となると、やっぱり一時避難――最悪、屋敷と村の放棄は必須だ」
スバルとて、それがどれほど彼らにとって無情な判断であるのか理解はできる。
住み慣れた生活基盤を投げ捨てて、それで着の身着のまま走り出せといわれて納得などそうそうできるものではない。けれど、やってもらわなくてはならない。
――命には代えられないはずだ。
時に命よりも優先しなくてはならないことがあるのがわかってはいるけれど、それでもやはり命は極々限られた可能性を除き、最優先であるべきなのだから。
それだけは、スバルも譲るつもりがまったくない。
「時間のこと考えると、避難と魔女教の攻略は同時にやらなきゃならねぇ」
ペテルギウスがどこまで周到に準備しているかは不明だが、あの規模の集団を屋敷の周囲に潜ませている以上、村の異変にまったく気付かないというのは都合が良すぎる。十中八九、街道を行くスバルたちの竜車を襲ったときのように、見張りが立っていると考えるべきだろう。
避難を急がせれば、それが魔女教に割れて動かれる可能性が高まる。となれば、魔女教には動かれる前に叩き潰す必要がある。
「手順は、前回のでほぼ大丈夫なはず。……八ヶ所しかアジトが見つからなかったのは気にかかるけど、今回で残りのアジトを発見できれば」
勝率はぐっと上がる。少なくとも、まだ見ぬ魔女教徒に奇襲を受ける可能性だけは完全に消すことができる。対処すべき脅威がペテルギウスに限定されるのであれば、それでも十分な戦果といえる。
そして最大の懸案事項であるペテルギウスへの対処には、
「見えざる手に対抗できる、俺がいなきゃ話にならねぇ」
――それだけは、決して譲れないラインだった。
前回、話を長引かせてペテルギウスの注意を引き、ヴィルヘルムの奇襲によってひとり目のペテルギウスを倒すことは叶った。今回も、流れとしてはそれを踏襲する形でいいだろう。問題は二人目以降に遭遇した場合――、
「いや、生け捕りを考えるべきか?死んで憑依するって展開になるなら、死なせなきゃいけるってことになるんじゃ……」
口にしてみて、それが意外なほどの盲点であったような気がしてならない。
これまで、ペテルギウスが憑依と思しき行為をしたのは二度。いずれも乗り移っていた体が死を迎えたとき限定であり、その後の憑依対象に関しては条件を絞れないでいたが、そもそも『憑依させない』状況を作れれば話は違う。
そして、奇襲がうまくはまるのであれば、その状況を作り上げることはさほど難しい話ではないのではないだろうか。
「そうだ。仕留めるったって、なにも殺すことばっかり考える必要はないんじゃねぇか!封印……みたいな方法があるのかわからねぇけど、それが可能なら」
いける、とそう思う。
奇襲で意識を失わせれば、あとは猿轡をして木にでも括りつけておけばいい。見えざる手すらも届かない距離で孤立させてしまえば、アレはただの喚き叫ぶだけの無力な狂人となるだろう。
その後は、パックにでも頼んで氷漬けの仮死状態にしてどこか人の手の届かない秘境にでも飾りつけてもらえればなおいい。
「なにか、悪いことを考えている顔をしているようだよ、君」
光明が見えて、その口の端を悪人じみた笑みに歪めるスバルにユリウスが言う。並走する彼はそれまで思案に沈むスバルを無言で見ていたが、その表情の変化に打開策が見えたことに気付いたのだろう。
その端正な横顔をかすかに綻ばせ、風になびく髪を軽く手で撫でつけると、
「考えがまとまったのなら、聞かせてもらいたいものだね。――戦うと、そう決めた君の判断を」
「穴があるかもだからもうちょい詰めてぇんだが……時間惜しいけど、もっぺんみんなに足を止めてもらった方がいいか?」
いずれにせよ、先ほどの説明にいくつかの補足と変更を加えなくてはならない。
行軍している面々にそれぞれ声をかけ、再び車座に集まるのはそれなりに時間を食う工程であるのだ。時間が惜しいと逸る今、それは少しばかり意気を挫くことになりそうでいやなのだが――。
「いや、その必要には及ばないよ。君の言葉の伝達、私が請け負おう」
小さく首を振り、ユリウスはスバルの判断を不要と言ってのける。その彼の発言の意図が読めず、スバルはかすかに眉を寄せた。そして、そんな彼の前でユリウスは持ち上げた右手の指を軽く弾き、次の瞬間――光が溢れる。
「な――!お前、それは……」
「大気に満ちる、淡い意思の輝き。この美しさを、エミリア様の傍にいたのなら君も見たことがあるだろう?」
誇るように笑いかけてくるユリウス。その彼の周囲を取り巻くように、淡い輝きが遊泳し、地竜にまたがる彼に寄り添ってついてくる。
そして、その光の正体をスバルは知っている。何度も何度も、それを間近で、愛しい少女の傍らに見続けてきたのだから。
それは――、
「微精霊……」
「正確には、精霊としての格を得る前の蕾。――準精霊とでも呼ぶべき存在だ」
「準、精霊って……準騎士みたいに言うなよ」
その呼び方の拘りに、スバルは口の端を引きつらせながらどうにか応じる。
応じたその顔が引きつるのはなにも、ユリウスの整った容姿から放たれるドヤ顔を自分のものと比べて落ち込んだからではない。そのことへの雑感は後回しにし、スバルが思うのは準精霊を伴うユリウスの素姓――それはつまり、
「お前、精霊術師だったのか!?」
「精霊術師でもある、が正しいと言うべきだろうか。騎士として、剣の腕を磨くことも努力を欠かしたつもりはないのでね。もっと正確に呼ぶのであれば、私のことはこう呼んでほしい」
スバルの驚きに瞑目し、わずかなタメを作るユリウスにスバルは口を開く。
この流れ、そしてこの展開で口にされる次なる台詞は――、
「大魔道士――!!」
「精霊騎士と……んん?」
違った。
声を震わせ、名台詞をなぞったスバルにユリウスは怪訝な表情。スバルは慌て、恥ずかしさに赤くなりそうになるのを手振りで誤魔化し、「あ、いや、違う」と失態を誤魔化しつつ、
「あ、あー、おほん。それで精霊騎士!そう、精霊騎士ねー!なるほど、ふぅん、すげーな、納得ですよ。ええ、ホント。精霊ねぇ……精霊騎士!?」
「驚いてもらえてなによりだ。そこまでだとは、予想していなかったがね」
落ち着いたふりをして、呑み込んで理解して、それから驚きに唾を吐き出すスバルにユリウスは苦笑。
腕をそっと彼が前に伸ばすと、その腕を止まり木とするように揺らめく光たちが集まり始めた。それはそれぞれ、色の異なる光を放つ六種類の精霊であり、その事実を認識してスバルは気付く。
六色の、それぞれ色違いの精霊を従えているということは、
「まさか、お前って六系統全部の魔法が使えちゃったり?」
「――なるほど。事前知識なく、その点に気付く君はなかなか頭の回転が速い。伊達にメイザース卿の下で過ごしていたわけではないようだね」
「いや、別にロズっちから魔法の手ほどきみたいなの受けた経験は……あー、風呂場でちょこっとだけあったか」
互いに股間のブツをぶらぶらさせながら、ちょっとした魔法の講釈を受けたのも今では遠い記憶だ。思い返せば、あれもこの世界では失われた経験なのだけれど。
そんなスバルの時間遡行者にしかわからない呟きはさて置き、ユリウスはその腕に取り巻く精霊たちをこちらに見せつけ、
「察しの通り、私はこの子たちの協力で六種類の属性の全てを扱える。今はまだ蕾の準精霊だが、やがて美しい花として咲き誇る日が訪れることだろう。そのときこそ、精霊騎士として私と彼女たちが真に立つべきときだ」
「浸ってるとこ悪いけど、準精霊に性別とかってあんの?精霊になると……精霊ってみんなパックみたいに自己主張激しい体とか持ってる設定なのかな。あいつの場合は自分が男っていうかオスの自覚あるみたいだったけど」
パックの場合、エミリアの父親ポジションを自認しているようだったから性別に関しては間違いないだろう。たまに女親としての複雑な気持ちも持ち合わせているようで、それなりに苦労が垣間見える部分もあったが。
ともあれ、スバルのそんな問いかけにユリウスは当たり前のように首を傾け、
「これほど美しい輝きの子たちを、女性として扱わないわけにはいかないだろう。君はなにを疑問に思っているんだい?」
「なんかその点だけお前とわかり合えそうで嫌な気持ちになったよ!話が進まないから先に行ってもらっていい!?」
「ほんの冗談だよ、優雅な心を持ちたまえ。――では、インとネス。お願いする」
スバルの叫びにユリウスが気障ったらしく肩をすくめ、それから指先に止まる二つの光――白と黒の輝きに声をかけると、精霊がにわかに光を強め始め、
「陰陽を司る準精霊、インとネスだ。系統魔法の掛け合わせと二人のマナへの干渉を調律すると、本来は難しいとされるこんなことができるようになる」
「こんなことっつーと……」
「言葉にせずとも伝わる意思――即ち、意思疎通の高等魔法『ネクト』さ」
片目をつむってウインクし、光が駆け抜ける集団を染め上げる。
そして光の中に呑まれたスバルの脳裏に、ふいに届き始めたのは――、
『おなかすいたー。おなかすいたおなかすいたおなかすいたおなかすいたよー。ライガーのせなかの毛はあったかいなー、ねむいなー、でもねたら怒られちゃうなー。ティビー怒るとすぐにおやつをとりあげちゃうもんなー、ひどいなー、ミミはおねーちゃんなのにさー、ぶーぶーぶー。リンガたべたいー』
「うるせぇぇぇ――――ッ!!!」
届くはずのない距離と心の思念波が、とんでもない勢いでスバルの中に流れ込んできた。誰のものなのか、考えるまでもない心の波だったが、波濤のごとく押し寄せるそれはひとりのものだけでは終わらない。そう、
『メイザース領までおよそあと二時間、その後、魔女教との戦闘になる。テレシアの墓参りは、王都に戻ってからになるか』『あかん、けっこう傷がしんどくなってきたわ。泣き言もらしとる場合やないけど、我慢きかなくなったら本気にならんとあかんかもなぁ』『お姉ちゃんがお腹すいたときの顔をしてるです。甘やかしたらいけないのに、甘やかさないと面倒な気が。お兄ちゃんがいないからボクがこんな苦労しなきゃならないです』『ご命令だから仕方にゃいけど、クルシュ様が心配だにゃー。無事に王都に帰ってくださるかな。白鯨も倒せたし、これで王選ってクルシュ様の独走で安定みたいな?あー、早く帰って褒めてもらいたいっ』『ちくわ大明神』
「誰だ今の――!?」
「君だよ。と、少しばかり共感性を薄めよう。君は少々、マナへの干渉力が弱いのかもしれないな。効き目が強すぎる、というのも問題だ」
膨大な情報が一気に流れ込んでパンクしそうになるスバルを見て、ユリウスが対の精霊に指示してその勢いを弱めてくれる。
他者の表層的な思考が流れ込んでくる状況がやや収まり、どうやら情報の取捨選択ができるようになったことを確認すると、スバルは改めてユリウスを振り返り、
「で、つまりこのネクトって魔法が……止まらなくていい理由か」
「作戦会議にはもってこいの魔法だ。効果はそれほど長くない上に、広範囲にまで通用するほどではない。付け加えれば、こうして意識をある程度に共有するには互いの間にある程度の信頼がなければならない。心を許しているのかどうか、それを測る試金石にもなるというわけだ。戦闘に応用するのは難しいがね」
「そうなのか。心の声が聞こえるとか、戦ってる最中に使えたら超強そうじゃね?」
漫画やアニメでも、読心能力者が強キャラの一角なのはもはやお約束だ。
が、スバルのそんな安易な考えにユリウスは薄く微笑むと首を横に振って、
「共感性であると言ったはずだ。弱過ぎれば今のように思考は届かず、逆に強め過ぎてしまえば……」
「しまえば?」
「他者と自分の境がわからなくなってしまう。自分に斬られて死んでしまうというのは、やや恐ろしい想像だとは思わないかい?」
「うぐ……そういうもんなのか」
思いのほか、他者の思考に横入りするというのは危険を伴うらしい。
便利さの反面、そういった困難があることにスバルは小さくうなるが、そんなスバルにユリウスは「しかし……」と言葉を継ぎ、
「インとネスがネクトの魔法の見極めを誤るのは珍しいことだ。ひょっとすると、スバル、君は精霊との親和性が高いのかもしれないな」
「精霊との親和性ってーと、相性がいい的な?」
「そういうことになる。こればかりは生まれ持った資質が大きい。精霊術師になれるかどうかは、ひとえに精霊に契約を結ばれるほど親しくされることにある。これまで、そういったことに心当たりはなかったかい?」
「と、言われてもなぁ」
手綱を握りながらであるので腕は組めず、しきりに首を傾げて考え込む。が、そもそもスバルが生きてきた元の世界では精霊の存在自体が認められていない。こちらにきてからも、危機的事態に大精霊が駆けつけてくれてイヤボーンするような機会があったわけでもなく、そもそも精霊との接触経験も、
「エミリアたんが屋敷の庭で微精霊と、毎朝のお話をしてたのチラ見してたぐらいが関の山だしな。他の精霊だとパックとしか会話経験ねぇし……やだ、俺の経験低すぎ……!」
「機会に恵まれなければ、そういうこともあるか。ならば今回のことが終わったあとで、エミリア様に教えを乞うてみてもいいかもしれないな。可能性はあると思うよ」
唇をゆるめるユリウスの言葉に、スバルは眉間に皺を寄せる。
そんな反応にユリウスは「なにかな」とあくまで優雅な風体を崩さず、「いや」と応じるスバルは彼から視線をそらし、
「いやに協力的でどうしたもんだろ、と思って。他意があるんじゃねぇのか」
「精霊術師は純粋に数が少ない。話題が共有できそうな相手がいただけでも貴重なことだ。故に手を差し伸べる手間をいとわないよ、私は」
「今すぐに使えるってんなら考えるんだけど、そういう場面でもねぇしな。……ま、ご厚意自体はありがたく受け取っとくよ」
思わぬ形で差し出された可能性に、しかしスバルは思いを馳せるのを後回しにする。剣でも魔法でも、才能がないと否定されてきたのだ。精霊術師としての自分の才能に期待が持てなかったというのもあるが、今は純粋にその時間も惜しいというだけ。
「とりあえず、さっきのネクト……だったか、それ頼む。弱めで、テレパシー的な便利さが残る塩梅でな。もう、人の頭の中が流れ込んでくるのはごめんだ」
「波長は先ほどのことでおおよそ掴んだ。問題はないよ。――ネクト」
ユリウスが唇に指を当て、そこに宿る対の精霊が輝き出す。
気障ったらしい詠唱の直後、先ほどのように淡い光が周囲を押し包み、
『あ、あー、どんなもんだろ、全員、聞こえてますかー?』
恐る恐る、スバルが心の声を伝達。届くように、と念じて送り込んだそれは、まかり間違って魔法が不発していれば、単なる読心能力者がいると信じ込んでいる頭のお可哀そうな中二病患者だが。
『聞こえます、スバル殿』
『聞こえとるで、安心しぃ』
『むむむ!わかってるんだぞー、ミミのこころをおまえが読もうとしてることはなー!てきたいそしきのまわしものめー』
おおよそ、スバルが期待した通りの返事が返ってきた。若干一名だけ、頭の可愛そうな中二患者みたいなことになっている人物がいたが、それは生温かく無視し、
『ユリウスの魔法で、念話っていうかそんな状況だ。さっきの話にいくつか追加したいことがあるんで、とりあえず聞いてくれ。質問その他は随時受け付ける』
全員から同意の意思が伝わってきたことに安堵し、スバルは先ほどの草案を語り始める。素人の考えた、穴だらけの作戦だが、全員で考えればマシな形になるだろう。
解決策を探り、最善を得るために思考と行動をやめない。
剣も振れず、魔法も使えず、なにもできないスバルの、それが戦い方なのだから。
『それでまず最初の変更点なんだが、何人かの人に村の方に先に入ってほしい。そこで、俺が頼んでおいた保険と合流してほしいんだ』
『保険、ですか』
心に直接届くそれは声色での区別が難しいが、代わりに伝わってくる感情の波で相手を判別することができる。自然、落ち着いた色合いのそれがヴィルヘルムのものであるのがスバルに伝わり、心の声に対してなのに顎を引いて応じてしまい、
「おおう、ついうっかり頷いちまった。電話越しにぺこぺこお辞儀する日本人的な部分がこんなところで……!」
『兄ちゃん、変な感動しとるとこアレやけど、ちゃんと魔法の有効活用しぃや。ユリウス坊が怒ったら恐いで』
『このぐらいで怒るような狭量さは持ち合わせてはいないよ。純粋に、限られた時間を浪費する部分に関しては評価を下げざるを得ないが』
『ちゃ、ちゃんとやるよ!今、やろうと思ってたとこだよ!保険!保険の話な!』
リカードとユリウスの呆れが伝わり、スバルは心でどもる不思議な感覚を味わってから、ゆっくりと作戦概要を語り出す。
『王都出発の前に、アナスタシアとラッセルさんに頼んでこう触れ回ってもらった。――街道の途中で、王都を目指してる行商人連中をメイザース卿が雇いたい。積み荷は言い値で買い取るから、足を貸してほしいってな』
『――!スバル、それは』
『痛い出費になるだろうが……領民の命には代えられない。領主として、当たり前の考え方だろ?特にあの野郎、不在だかなんだかで肝心な場面で役立たねぇんだから』
金で解決できる事態で、それが自分の金でないのなら躊躇う理由もないというわりと最低の理由だが、スバルのその作戦はうまくはまっていたようだ。
事実、前回の村には少なくない数の行商人が集まり、竜車と地竜を村の端々に並べて準備を進めていた。
――エミリアたちや村人、その身柄を乗せて一斉に避難するための準備を。
『親書……って形で、一応は手紙を王都から出発してもらった使者に持たせてある。魔女教が襲撃してくるかもってことと、行商人たちの竜車に乗って避難してほしいって内容だ。筆跡鑑定とか小難しい判断がここにあるのかはわからねぇけど、エミリアたんならちゃんと判断してくれると思う』
さすがに、最初は混乱があるはずだとは思う。
実際、無事に手紙が届いたところで、その内容がすんなり呑み込めるものでないのはスバルも承知だ。それだけに、問題はもっと別のところにあると考える。
それは、
『手紙の内容に早くに判断をつけさせるためにも、行商人たちだけでなく、きっちり状況を把握しているものに行かせるべきだと』
『呑み込み早くて助かる。実際、村の人間と行商人たちがもめるのはほぼ確実だ。そこを緩和して、迅速に避難させたい。本音をいえば、俺が行くのが一番手っ取り早いってのはわかっちゃいるんだが』
顔見知りであり、それなりに村人たちの信頼を勝ち取っているスバルであれば、その説得にそれほど時間を要さないのは重々承知の上だ。
戦闘力もなく、使者として村に赴き、屋敷にいるエミリアたちを説得するのも、スバルが行くのが得策なのは間違いない。ないのだが、それではまずいのだ。
スバルがそちらへ回ってしまえば、必然的に魔女教の相手は残った主力たちに預けることになる。ただの魔女教徒との戦いに彼らが敗北するなど考えてもいないが、ペテルギウスだけは問題が違う。奴と正面から相対するには、
『大罪司教とやり合うには、俺がいなきゃ駄目なんだ。現状だと……俺と、ヴィルヘルムさんじゃなきゃあいつには勝てない』
『――根拠を、聞かせてもらって構わないだろうか。自惚れではないが、私もヴィルヘルム様の足手まといになるような腕ではないつもりだ。ましてや、主戦場に君を行かせるというのは』
スバルの言葉に、即座に反論を持ち込んだのはユリウスだった。
彼の自負の意味も、裏付けもスバルには理解ができる。確かに単純な技量でいえば、ペテルギウスの相手はユリウスにも務まるだろう。だが、それでは駄目だ。
あの狂人と向かい合うには、腕前や志などは問題にはならないのだから。
『大罪司教はどういう手品かわからねぇけど、おかしな術を使う。食らった相手の正気を失わせて、戦えなくするようなやつだ。精神汚染って俺は呼ぶけど、それに耐えられるのが俺とヴィルヘルムさんしか思いつかない』
『精神汚染っていうと……白鯨の霧みたいにゃ?』
フェリスからの声が届き、スバルはそれに同意の思念を送る。
その上で、並走するユリウスに口を閉ざしたまま振り向き、
『正気を失わせるそれを、白鯨も同じように使ってきた。あの戦いで、正気を失わなかった奴には目があるが……白鯨と戦ってないお前の耐性は、俺にはわからねぇ』
『もしもその場で正気を失えば、私は君たちの戦いの枷になる……そういうことか』
口惜しげに瞑目するユリウスだが、論理的な反証が思い浮かばないのだろう。
苦しげな表情と悔恨が強い感情が直接的に今は伝わってくるため、白鯨との戦いに参戦することができなかった彼の苦悩が痛いほどわかった。
これ以上、その彼の感情にダイレクトに触れていると、困ったことになりそうでスバルは顔をそらし、
『そんなわけでヴィルヘルムさん。俺と一緒に、悪魔と戦ってもらいてぇんだが』
『我が身は今、スバル殿の剣です。あなたが握り、私が斬る。――その道筋に、覚悟を問うのは無粋でありましょう』
『なにそれヤバい、渋すぎて濡れる』
『どこがー?なにがー?』
『お姉ちゃんはお静かにするです』
抱かれたいぐらい格好良く決められてしまい、震えるスバルを余所に姉弟が漫才を行っている。
作戦会議としては甚だ不謹慎な流れと言わざるを得ないが、これも今の自分たちの持ち味といえるだろう。そもそも、軍隊として機能しているわけではない、同じ目的を向いているだけのならず者の集団なのだ。
先頭に立って引っ張っていこうというのが、無気力で無力で凡人で最低の人格者であるところの自分なのだから、そうなろうというものだ。
だからこそ、スバルは迷わないし、必要以上に気負うこともない。
預けられるところは預けて、やるべきことはやって、全部どうにかしてやろう。
『それじゃいっちょ頼むわ。――頼って縋って、おんぶに抱っこさせてくれ』