『それぞれの見解』
「なんだか色々と勝手に決めちゃって、オットーくんには悪いことしたわよね」
会談を終えて自室へ戻ると、エミリアはスバルに椅子を勧めながらそうこぼした。その椅子に腰を落ち着けて、スバルは小さく笑いながら、
「まぁ、オットーの慌てふためきっぷりは後世まで語り継ぐとして、基本的には俺もエミリアたんの考えに賛成だったかんね。不安要素があるとしたら、向こうが準備万端に構えてるだろうところに突っ込むってことだけど」
「でも、わざわざ使者まで送ってきたアナスタシアがそんな危ない橋を渡るなんて考え難いもんね。ミミちゃんがいても、ヨシュアくんを押さえようとすれば押さえられたんだから」
「騎士の身内を使者に出すあたり、ちゃんと『敵』としては認められてるわけだ。俺は昔から戦国時代のドラマとか見て、重要な立場の奴が使者とかで送られるの見てると『なんで斬られねぇのかなぁ』って不思議に思ってたんだけど、こういう裏事情があるからなんだな。まさか実地で知れるとは思わなかった」
ようは周囲とお互いの信頼関係の問題なのだ。
義にもとる行いをしたことが知れ渡れば、それだけで立場は地に落ちる。失墜覚悟で行動するには、どの陣営もまだまだ敵が多すぎる。あるいは陣営が肥え太れば太るほどに潜在的な敵は増えるのだから、権力者ほど暗闘に気を遣うというのはなるほど理に適った流れであるわけだ。
――すでにヨシュア・ユークリウスを使者として迎えた会談は終わり、新ロズワール邸にはまったりとした夜が訪れている。
当日のうちに送り返すのはしのびないと、ヨシュアとミミの二人には一泊していくように話してあり、今回の彼らの目的である都市プリステラへの招待も受けるという形で返事はしてあった。
本題に入ったときは大物ぶった表情をしていたヨシュアが、前向きな返事を受けた段階でわずかに安堵を覗かせていたのは全員の知るところだ。おそらくは相手に与える印象を変えるためのモノクルといった装飾品だと思うが、それを加味してもいささか根が正直すぎるきらいがあの青年にはあった。
「まぁ、その方が兄貴よりよっぽど好感が持てるけどな」
「スバルってホント、ユリウスにだけは素直になれないよね。まだお城で痛い思いをしたこと、根に持ってるんだ?」
スバルの呟きを聞きつけて、面白げな顔でエミリアが茶々を入れてくる。
以前は思い出すだけで羞恥に顔が赤くなり、憤慨に胃袋を熱したものが通過したものだが、しばらく時を置いた今ではどうだろう。
「笑って話せるってほどまで風化しちゃいないのは確かだね。あのときは俺も若かった。反省してないわけじゃないさ。向こうにもそれを求めたいけど」
「スバルもユリウスも、ちゃんと謝って仲直りしてるって論功のときに聞いてるんだけど。上辺だけ許して、お腹の中でドロドロは格好よくないと思うの」
「むぐぐ……でも、人間だもの!」
責めるようなエミリアの視線に、スバルはそれでも意地を張った。
顔を背けるスバル、その横顔をエミリアはしばらく睨んでいたが、そのうちに堪え切れない様子で笑い出してしまう。
「はいはい。もう、スバルったら意地っ張りの頑固者なんだから。でも、プリステラでユリウスに会ってもケンカしちゃダメだからね。スバルは立派な騎士になったんだから、騎士は無闇にその力を振るったりしないものなのです」
「へーい、ご主人様には敵わないでヤンス」
おどけてみせることで照れを誤魔化し、スバルは鼻の下を指で擦る。
それから何気なしにエミリアの部屋で視線をさまよわせながら、ふと思い出したように、
「そういや、エミリアたん。俺、プリステラのことあんまり知らないんだけど、どんな都市なのかって有名だったりするの?」
「むぅ、勉強不足よ、スバルってば。プリステラはルグニカの五大都市の一つで、カララギとはティグラシー大河を挟んだだけの国境沿いの場所よ。大きな湖の真ん中に作られてて、都市中に水路が流れてることでも有名なんだって」
「伝聞形式なのがいかにもあれだけど、水上都市ってやつか。まぁ、昔のヴェネチアでできるんだし、こっちでもやれないことじゃないのかな」
元の世界で水の都といえばヴェネチアが有名だ。
町の中を縦横に運河が張り巡らされており、石造りの町並みに当たり前のように水面の景観が入り交じるという。一度は足を運びたいロマン溢れるスポットとして、スバルにとっても認識されていたような風光明媚な土地だった。
そのため、プリステラの説明にスバルはそんな印象を抱いたのだが、
「ううん、違うわよ、スバル。プリステラは水上都市じゃなく、水門都市」
「水門?」
「そう。湖の真ん中に作られた都市なものだから、雨量によっては都市の中に大量の水が流れ込んじゃうらしいの。それを防ぐために都市の周囲を高い塀で覆って、水量を調節するための水門をいくつも置いてるんですって。その水門がすごーく立派で有名だから、水上都市じゃなく水門都市って呼ばれてるの」
エミリアの説明で一転、スバルの中で麗らかな水の都が水の監獄のイメージに切り替わった。せっかくの美しい景観を予想させる趣も、高い高い壁に周囲を囲まれるとなってはイマイチ台無しだ。
どうしてまた、そんな意味深な仕組みを作ったのかとスバルは首をひねる。
「よくわからないんだけど、都市の成り立ちには色んな説があるみたい。当時の技術の限界に挑んでみたかったとか、魔法にも龍にも頼らずに水害を克服しようとしたとか、すごいのだと悪い魔獣か何かを閉じ込めてやっつけるためだったとか」
「どれも現実感がないようで、微妙に可能性があるあたりが人間の業だね」
凡人の発想力ではなかなか到達できないが、一部の天才と呼ばれるような人種は常識がかけるブレーキというものをそもそも持たない。そういった考えを実行に移すこともままありそうだ。
ともあれ、
「向こうの腹の内が読めないのは変わらねぇまんまだな。……わざわざ親切にこっちが探してるもんを教えてくれただけとは思えねぇけど」
「そう?疑うばっかりじゃなくて、もっと人の親切を信じてみるのはどう?」
「残念ながら、王選の対立候補はどいつもこいつも癖があるんでね。それに主従で揃って思惑が信頼できるところが正直なとこない」
クルシュ陣営はクルシュの人柄は信用できるが、記憶をなくしたクルシュが接したままの善良なお嬢様を維持しているかはわからないし、何よりフェリスが何をしでかすのか警戒を解けない部分がある。ヴィルヘルムがうまくブレーキをかけてくれていればいいが、あの剣鬼も不安を抱えていないわけではない。そのあたりの事情を推し量るに、手放しで信用するのは難しい。
アナスタシア陣営はそのまま、アナスタシア自身の動向と考えが不明瞭だ。
今回の招待状にしても真意が見えない。百歩譲ってユリウスが、騎士道に生きる騎士そのものであったとしても、アナスタシアが主導権を握っているのは事実。彼女の私兵である『鉄の牙』も、構成員の人柄と職業意識は別だ。侮れない。
フェルト陣営も、ラインハルトとロム爺は信用に値するかもしれない。が、やはり肝心のフェルトの心情が読めないのだ。少なくとも王選にやる気を出している以上、あの小賢しく生き汚い少女が何を企むかは無警戒で事には当たれない。
もし仮に正当な理由でラインハルトを動かし、敵対することがあれば、武力で対抗することなど夢のまた夢なのだから。
そしてプリシラ陣営だが、正直言ってここが一番読めない。
主従揃って、スバルにとっては信用も信頼もできないという点が大きい。アルとは同郷という共通点を持っているが、あれでプリシラに対する忠誠心の強い男だ。それでスバルに手心を加えてはくれないし、プリシラ自身の気紛れさが恐ろしい。笑顔で首を落としにきてもおかしくない、そんな不条理さがある。
結局のところ、一年ほどの時間が経過しても候補者の互いの腹は割れていない。
あの王城での時間以上に彼女らを知るには、もう少し踏み込む必要があるだろう。そういう意味でも、今回の誘いに乗るのは『アリ』なのだ。
「ぶっちゃけ、アナスタシアに借りを作るのは怖いんだけどな。そもそも、あいつらはどこでエミリアたんが無色の魔鉱石を欲しがってるのを知ったんだか」
「王城でパックを見せちゃったから、パックが自由に動かせないって知られちゃうと困るもんね。だから、すごーく慎重に動いてたはずなんだけど……やっぱり、人の耳に入っちゃったら口から出ちゃうのって止められないのよね」
「そういうことになんだろなぁ。これでエミリアたんが首尾よく魔鉱石を手に入れても、他の陣営からすれば元通りになっただけ。貸し分だけプラスだもんな」
もっとも、パックが戻ってくれば、自身で魔法を使えるようになった分だけエミリアの戦力は増強されている。とはいえ、エミリア個人の武勇がどれだけ高まったところで、王選という戦局にはそれほど影響はない。
せいぜい、ホラだと思われている『大兎』討伐の功績に説得力が持たれるだけだ。
――『聖域』における、三大魔獣が一角『大兎』の討伐。
エミリア陣営において、魔女教の『怠惰』討伐とは別のこの功績は、現在のところ残念ながら公式には認められていない。
それというのも、肝心の大兎討伐の瞬間を誰も目撃しておらず、その亡骸を証拠として提出することも不可能な倒し方をしたのが問題であった。
異次元へ吹き飛ばし、この世ならざるところへ送り込んだ。
大兎の顛末はつまりそういうことだが、真剣な顔でこれを語ってもなかなか信じてはもらえない。なにせ、ベアトリスが用いたアル・シャマクは現代ではすでに失伝した魔法であり、ベアトリス自身のマナ不足もあって実演することもできない。
結果、大兎の討伐は王都へ報告は挙げられているものの、功績としての評価は棚上げの状態になっている。詳細を話そうとすれば、自然と『聖域』の詳細にも触れなくてはならなくなるため、ロズワールが領内に報告していない隠れ集落を抱えていた事実まで露見する。結果、強硬に主張するのは断念せざるを得なかった。
今後、十年単位で大兎の出現が確認されなければ、改めて今回の報告の是非について信憑性が生じてくるとのことだが、その頃に功績を認められてもはっきり言って手遅れもいいところである。
降って湧いたような功績であるため、エミリアはそれほど拘っていないが。
「それでも悔しいことには変わりねぇっつーか、どんだけだよ。クソ、俺があの兎の化け物に何度、痛い思いを味わわされたことか……」
「でも、誰が信じてくれなくても、大兎をやっつけたのは本当のことだもの。それであんなに怖い魔獣に誰も傷付けられずに済むんだから、それでいいじゃない」
「エミリアたんは優しくてポジティブすぎるなぁ……」
正しい行いをしたら、それを正当に評価されたい。
大らかな姿勢を示すエミリアと話していると、スバルは嫌でも自分の小ささを自覚させられてしまう。実際に、エミリアの言うように考えられればどれほどいいだろうか。しかし、現実にはスバルはそうできない。
具体的には正しく評価されない事態に、胸がムカついて仕方ないのだ。
そんな不貞腐れたスバルの顔を見ながら、エミリアは唇を緩める。
時々、エミリアの瞳が優しげな光を宿し、そうして自分を見ることにスバルは気付いていない。そのときのエミリアの表情が、子を見守る母とも年下を見る母性とも違う、何とも言えない複雑な感情を交えていることにも。
「それに功績のお話なら、スバルが頑張ってくれたことは認められてるじゃない。白鯨の討伐と、魔女教の『怠惰』をやっつけたこと、論功の場でもちゃんと」
「あれは……おこぼれに与っただけってイメージが俺の中で強くてさ。白鯨に関しちゃ俺より必死になってた人たちが先にいて、俺は最後の最後でちょっといいとこ取りしたってだけだ。『怠惰』に関しちゃ、そんなつもりじゃなかった」
ペテルギウスとの戦いは、ただエミリアを守りたい一心だったのだ。
否、それも自分の心を正しくは見れていない。実際にペテルギウスに対するスバルの心境は、エミリアを守りたい心とペテルギウス個人への憎悪、両方があった。
どちらが勝っていたかではない。どちらもスバルの本音で、私心だった。
故に私怨に近い戦いの結果を、世のため人のためと評価されると据わりが悪い。
「大兎のことだって、そんな風にスバルが思うのと同じ。四百年間も世界を困らせてた魔獣の二匹が、こんな短期間で次々にやっつけられた……っていうのは、私が言うのもなんだけどすごーく出来すぎに思えるもの」
「そら、そうだね。そのどっちにも自分が関わってるとか、俺もちょっと出来すぎのきらいはあるなぁと思う。最後の一匹に出くわさないのを願うぜ」
「――うん、そうね」
スバルとしては言霊に力が宿ることを信じて、残る『黒蛇』とやらとは接敵しないことを心より祈る。が、それに対するエミリアの答えはどこか固い。
まるで『黒蛇』に対して、何か思うところでもあるかのような態度だった。
「それで、プリステラのことなんだけど」
しかし、そのことを追及するより先に、話の内容が変えられてしまう。
そうした態度をエミリアが取るとき、それは彼女が語りたがっていないというささやかな表明だ。少しは学習したスバルも、そうなったときは無理に話を聞き出そうとはしないことにしている。
たまにはその気遣いを忘れて、以前と変わらない体たらくを晒すこともあるが。
「招待を受けるのは確定として、行くのは本当にさっきのメンバーで大丈夫かしら?あとでロズワールとも相談はするつもりだけど」
「大まかにはそれでいいと思うよ。エミリアたんが確定枠で、当然だけど騎士の俺とパートナーのベア子が同行。あとは真面目な話、戦力としてガーフがきて、何故かついてくる気満々のオットーが一緒。本当はペトラかフレデリカもきてくれると、エミリアたんを不自由させないで済むんだけど……」
「仕方ないわよ。西方領主を集めた会合で、ロズワールが忙しくなるんだもん。ペトラの勉強のために同行するのは、ずっと前から決まってたことなんだし。ペトラはすごーく悔しがってたけどね」
「ペトラのロズワール嫌いは、『聖域』のことで筋金入りだからな。ロズワールが面白がってるからラムも何も言わないけど、俺はちょっとドキドキしてるぞ」
メイドとしても少女としても、正しくたくましく成長しつつあるペトラだが、その心根の部分はまだまだ幼い危うさが残っている。
特に主人であるロズワールへの厳しい態度が顕著で、裏でこっそりロズワールに差し出すお茶に雑巾の絞り汁を入れていてもおかしくない。とはいえ、スバルも心情的にはペトラの味方なため、そのぐらいなら仮に目撃しても見過ごす構えだ。
一度、そうして崩した信頼は長い時間をかけて復旧する他にない。少なくともペトラがロズワールの言葉に耳を傾けるには、一年では足りなかったようだ。
「そうすると、ストッパーと行儀見本でフレデリカが同行するのは確定だろうし、屋敷に残るのはラムになるのか。おいおい、不安になってくるな」
「どうかしら。今回の会合はアンネが出てくるっていうから、クリンドさんも一緒でしょ?クリンドさんならペトラに親身にしてくれるだろうし、フレデリカまで一緒に行く必要はないかもしれないわよ」
「クリンドさんか……あの人も正直、ようわからん人だからな」
屋敷改修前、しばらく居候したミロード家の万能執事の青年を思い出す。
その仕事ぶりの洗練された凄まじさたるや、目で追えないほど――という意味のわからない称賛の言葉が似合ってしまうのだ。
ちなみにスバルが技術的に修めつつあるパルクールも、最初の基礎はクリンドの指導によって学んだものである。肉体的に凡人の域を出ないスバルにも、無理がないレベルで肉体操作術と移動術の心当たりを探している最中、彼の指導を受けたのだ。
屋敷を移動してきてから、何度か遊びに訪れたアンネローゼと同行したクリンドにその後の練習も見てもらったが、彼はガーフィール手製のアスレチックゾーンを服の裾も乱さず、汗一つ掻かずに走破してみせる。化け物だ。
「まぁ、誰ぞが屋敷に残るかは別にしても、心配するのは野暮だな。それよりか俺らの方が慎重にならねぇと。そのへんはエミリアたんにも言えることだぜ」
「うん。相談もしないで決めたの、反省してる。あとでちゃんとオットーくんにも謝らないと」
「面子を気にするようなタイプじゃないけど、引きずるタイプではあるからね。俺の方からも言っとくよ。俺が泣くまでエミリアたんを叱っておいたって」
「ふふ、ありがと」
拳骨を振り上げる素振りを見せるスバルに、エミリアが薄く微笑んだ。それから彼女はそっと胸元、そこを飾る青い結晶を繋ぐペンダントに触れる。
その結晶こそが、大精霊パックが今も眠る仮の寝所だ。
本来の能力を発揮するどころか、意志疎通するだけの機能すらその石にはない。中でパックが身じろぎの一つでもしようものなら、容易く砕け散ってその存在を解き放つ――とはエミリアとベアトリスの言だ。
そうなったとき、制御の利かないパックは大破壊を周囲にもたらし、やがてはマナの不足で元ある場所へと消えていく。
そうならないためにも、結晶石にはエミリアの莫大なマナが常に送り込まれ、その存在を維持している。あとはその存在を繋ぎ止める無色の魔鉱石を加工し、相応の結晶石を作り出せば復活できるはずだ。
今回、アナスタシアが持ち出したのはその使用に耐え得る魔鉱石の話というわけだ。
「またパックとちゃんとお話できたら……話したいことも聞きたいこともいっぱいあるの。だから――」
押し黙り、瞑目するエミリアはその先を言葉にはしなかった。
長い睫毛が微かに震えるのを見ながら、スバルは静かに頭を掻く。エミリアが何を思っているのか、ぼんやりとしかわからないけれど。
「とっとと戻れよ、猫精霊。俺もお前に、恨み言が山ほどあんだからな」
と、彼女の騎士らしく、彼女の意思に悪態混じりの同意をしたのだった。
※※※※※※※※※※※※※
「僕ぁね!これでもちゃんと皆さんのことを考えて発言してるんですよ!」
グラスをテーブルに叩きつけて、今宵のオットー・スーウェンは荒れていた。
エミリアとの話し合いや晩餐を終えて、夜の日課の前にオットーを訪ねたスバルは先ほどから延々と、酒を傾けて愚痴をこぼす内政官に付き合っていた。
「ずっとこの調子ッだぜ。さすがの俺様も、耳が痛ェよ」
呆れた態度を隠さずに言い放つのは、スバルと並んでオットーの愚痴を聞いているガーフィールだ。短い短髪に指を突っ込んで頭を掻く彼は、鋭い牙をカチカチと鳴らしながら自分のグラス――ミルクの入ったそれを舐めるように呑んだ。
未成年の彼に酒を呑ませないのは、スバルが取っている方針だ。ちなみにこれはフレデリカやラムの賛同も得ており、ガーフィールの飲酒に関してはロズワール邸では二十歳までは許さないつもりである。ちなみに悪いオットーに唆されて一度は酒に口を付けたガーフィールだが、その気性に反して酒には滅法弱かったらしい。
以来、酒瓶を見るだけでも顔をしかめるぐらいに苦手意識が芽生えていた。
もちろん、スバルも元の世界の法律を破るつもりがないため、実質的に屋敷で酒を呑むのはロズワールとオットー、それにラムとフレデリカのみだ。
そしてこの部屋の中では、今も酒を呑んで管を巻いているオットーだけというわけだった。
「そう腐るなよ。さすがに勝手に決めた今回のことはエミリアも反省してる。相談すべきだったってな。まぁ、結果は変わんなかったと思うけど」
「物事は結果だけの問題じゃないんですよ。過程も大事なんです。話し合いの帰結がどこに落ち着くのか、話し合う前に決まってることだって別に珍しくもなんともないんですから、そういうのはどういう流れを辿るかが重要なんです。今回については特に、無防備に相手の誘いに乗った……相手の掌ってのがいけませんよ!」
取り成そうとするスバルに対し、オットーは唾を飛ばしながら猛反撃する。
いちいち正論だから反論のしようもないが、その内容を聞いていると、
「なんかいよいよ、お前も完全に内政屋だよな……取り込まれる当初はあんなに抵抗してたのに。嫌よ嫌よも好きのうちってことか」
「誘い受けってェやつかよ、まどろっこッしィじゃァねェか、オットー兄ィ」
「あんたらは出会った頃から清々しいぐらいに変わりませんねえ!?」
息の合った連携でオットーを突っ込ませ、スバルとガーフィールは手を打ち合わせる。ロズワール邸では歳も近く、ある種の友情もあるこの三人でまとまっていることが多い。会話の流れが綺麗に今の形で落ちることも、様式美のようなものだ。
オットーは本人の意思はともあれ、内政官としての適性は十分にあった。
商家の息子としてそれなりの教育を受け、行商人としての経験から世間慣れもしており、本人が計算高く頭の回転が速いという優良物件。どこぞで騙されて路頭に迷うか奴隷に身を落とすより、よほど好待遇で迎えられているはずだ。
もっとも当人は書類仕事をしながらも、いまだに「こんなはずじゃなかったんですけどねえ……」と首をひねっていることが多い。往生際の悪い男だ。
今ではロズワールの秘書っぽかったり、エミリアの補佐官としての役割が板についており、メイザース辺境伯の領地経営についてもどっぷり浸かっているため、もはや足抜けなど絶対に不可能なのだが。
「なんですか、その憐れむような目つき。絞められる前の鳥を見る顔ですよ」
「これはどちらかというと、卵を産み続ける代わりに生きることを許されている柵の中の鳥を見る顔だよ」
「なお悪いんですけど!?」
「騒ぐな、こぼすっつーんだよ。大将もあんまッしオットー兄ィをからかうもんじゃァねェよ。前に一日十オットーまでって決めたッだろがよォ」
「何の単位ですかねえ!?一日十オットーって何の単位ですかねえ!?」
オットーが顔を真っ赤にして叫ぶが、スバルたちは無言でそれに応じない。
酒が回り始めるとこれだからいけない。ストレスが溜まりやすい仕事に励むオットーのために、定期的にこの酒宴は開かれているが、かえって酒宴をしているときの方がオットーのストレスが溜まっているのではないかと心配になる。
「まぁ、オットー的にはこうやって叫ぶのが一番の解消法なんだろう」
「納得いかねえ!」
「へいへい、オットー兄ィは大人しくお代わり注いで呑んどけ。そんで大将、確かめたいことが俺様の方にもあんだが」
「おお?珍しいな。いいぜ」
ぶつくさと文句を垂れながら、オットーが減った分の酒をグラスに注ぎ直し、ちびりちびりと舐め始める。
それを横目にガーフィールが、口の周りをミルクで白く汚したまま、
「ズバリ、今回の敵の狙いッに決まってんだろッがよォ。これまでァ、他の候補者って連中たァ小競り合いも起こっちゃいなかったが、こんだけ正面切ってケンカ売られッてんだぜ。何もしねェってこたァねェんだろ?」
「って、お前的には真っ向から果たし状でもぶつけられた気分なのか、これ?」
「ッたりめェだろ。向こうだって、その気があるに決まってらァ。あのひょろひょろのヨシュアって野郎はともかく、あの隣にいた猫人の小娘がいたろ?」
――あの子、小娘呼ばわりするけどお前と同い年だよ?
とは野暮なので突っ込まなかったが、ミミがどうしたのだろうか。スバルの目にはミミはいつも通り、無邪気に茶や茶菓子に手を伸ばしているだけに見えた。
無論、夕食もそんな塩梅だったのだが。
「あのチビ、あァ見えて相当強ェだろ。んで、あの部屋の中だけッかと思ってたがよォ、晩飯のときの食堂でもジッと俺様を睨んでやがったぜ。ありゃァ、あの場で俺様が一番、腕が立つって気付いてやがったに違いねェ」
「そうなのか……?いや、確かにミミが結構強いのも、微妙にバトルジャンキーっぽいところが目立つのも確かなんだが」
そんな思惑を腹に隠しておけるほど、賢いキャラには到底見えない。明け透けというか、ぶっちゃけ頭空っぽな少女としかスバルには思えないのだが。
「少なくとも、屋敷にいる間ァ俺様が気ィ張ってらァ。向こうに行っても、できるなら大将とエミリア様の単独行動は避けた方がいいぜ。オットー兄ィはともかく、大将たちが欠けたら取り返しが利かねェ」
「言っときますけど、僕がいなくなってもこの領地は詰みますからね!?そこんとこ、もうちょっと理解して大切に扱ってほしいなあ、もう!」
警戒を促すガーフィールだが、オットーを軽んじているわけではない。
そう言わざるを得ないぐらいに、警戒をしろとスバルに印象付けているのだ。もちろんそれにかこつけて、オットーで遊ぶのを忘れていないのもあるが。
「その点に関しちゃ、お前頼りなとこは否めねぇよ。あれやこれや言うのもなんだから手短だけど、頼りにしてるぜ、ガーフィール」
「おォよ、頼られてやるぜ。『超最強の盾』改めて、『レジェンド・オブ・ガーディアン』ガーフィール・ティンゼルにな!」
ビシッと親指で己を指差し、そう誇らしげのガーフィールにスバルも頷いた。
そうして自分のグラスの中のミルクを飲みながら、ちょっとガーフィールの肩書きが格好よすぎるかもしれないと反省する。
いずれガーフィールが国中に轟くような武勇を上げたとき、今のもの以上の肩書きが思い浮かぶだろうか。そのときの自分のインスピレーションに、そこまでの期待をかけていいものだろうか。
「インビジブル・プロヴィデンスのときのようなキラメキが、またしても俺に訪れるかどうか……女神が何回俺に微笑むか、完全に気紛れだからな」
「難しいこと考えてやがんな、大将。ッけど、思い悩む必要ァねェよ。大将はいざとなりゃァやる男だぜ。そこんとこァ、俺様も信頼してらァ」
エミリアもそうだが、ガーフィールからの信頼の眼差しもなかなか強制力が強い。それに見合うだけの努力をしなくてはと、自然とそう思わされる。
無論、ガムシャラに目標を定めず走り続けることが、その信頼に応えるための最善であると勘違いはしないつもりでいるが。
「まぁ、ガーフィール付きならうちの陣営はとりあえず戦力的には安心だろ。エミリアたんも単体戦力としては相当だし、ベア子付きなら俺もそこそこ。問題があるとすればオットーだが……お前、本当についてくんの?」
「当たり前じゃないですか!僕が行かなかったら、エミリア様とナツキさんがどんな素っ頓狂な話し合いを終えてくるか気が気じゃありませんよ!」
交渉事において、ここまで信頼がされていないのもいっそ清々しい。
エミリアは見たまま素直で純真だし、スバルも性格と意地が悪いわりには世慣れしていない。オットーからすれば、カモと思われても当然なのだろうが。
「それにプリステラって言えば、かつて『荒れ地のホーシン』の名前で知られたカララギの建国者の出身地でもありますからね。国境沿いでカララギと隣接してるのもあって、商人からすればそれはもう大変に縁ある土地ですよ。僕も一度は足を運ばなくてはと、そう思っていました」
「お前、もうとっくに商売から足を洗ってるじゃん。今さら何すんの?」
「言っときますけど、僕がずっとここで内政官に甘んじてると思ったら間違いですからねえ!?僕の最終目的は依然、自分の店を持つ大商人になることです!ここにいるのは必要な寄り道、目的地へ辿り着くための必要な寄り道なんです!」
「寄り道したッ先が終生の地にならねェとも限らッねェけどなァ」
足抜け云々は現実味のない話だが、憧れの土地という補正と内政官としての交渉補佐の役割があるのなら、オットーの同行には正当性しかない。
なんだかんだ言って、オットーがいなくては回らないことをこの場の――否、ロズワール邸の全員が理解している。そう評価されていることをオットーも知っているからこそ、一見、冷遇に見えるこの状況でもここを離れないのだ。
「まぁ、被虐体質って可能性もあるけどそれは置いといて」
「なんか失礼な納得をされてる気がするんですが気のせいですかねえ!?」
「そんな大した話でもねぇよ。やり手のアナスタシアがくる以上、どんな悪条件持ち出されるかわかったもんじゃねぇ。お前も頼りにしてるぜ。文のオットーと、武のガーフィール。そして俺が賑やかし担当だ」
「もっと頑張れよ!!」
適材適所というものがある。
スバルが今から死ぬほど頑張ってもガーフィールより強くはなれないし、死ぬほど勉強してもオットーほど役立つ文官としては間に合わない。
「俺には俺のできることを、ってな。そこはベア子と入念な相談をした上で、前向きに善処する方向で一つ」
「実際、エミリア様とベアトリスがいりゃァ、大将はひとまず大丈夫だろ。そォなると、やっぱオットー兄ィは俺様がカバーするしかねェな。気ィ付けてくれよ」
「なんで僕が一番の足手まといみたいな感じに……納得いかないんですけどねえ」
開き直りのスバルと、子守りでも引き受けたようなガーフィール。オットーはうじうじと愚痴りながら、酒をちびちびと傾ける。
さてやれ、そうしていい塩梅に夜も深まってくると、
「んじゃ、明日も忙しくなりそうだし、そろそろ俺は引き上げるとするよ。ガーフィールはどうする?」
「俺様ァ、もう少しオットー兄ィと飲んでく。つか、シャトランジ盤でそろそろ勝ち星がつけてェんだ。酔っ払ってる今ならいけんだろ」
立ち上がるスバルを余所に、ガーフィールが部屋の奥から引っ張り出してくるのは遊戯の駒と盤だ。シャトランジと呼ばれるボードゲームで、ルールとしては将棋やチェスに近い。こうした遊具はどの世界にもあるのだな、と感心したものだ。
これでなかなかオットーはこの手の勝負に強く、ガーフィールも躍起になっているが黒星を積み重ねているらしい。ちなみにスバルはオセロなら尋常でない腕前なのだが、将棋やチェスとなると途端に弱い。
「あんまり夜更かしするなよ。背が伸びなくなるからな」
「よォ、それ前から言われッてっから実践してんだけど本当に効果あんのかよ。この一年、あんまし伸びてッ気がしねェんだけど」
「お前の場合、フレデリカに吸われた分があるからどうだかちょっとわかんない」
「クソ姉貴ァ!」
ガーフィールが牙を剥いて騒ぎ、シャトランジ盤をテーブルの上へ乱暴に置く。そのまま背中を丸めて、小さい駒を丁寧に並べ出すのだから落差が激しい。
その背を見下ろしながら、スバルは赤ら顔のオットーに手を挙げ、
「オットーも深酒するなよ。二日酔いで役に立たなかったら、いよいよペトラにまで軽蔑されることになるぞ」
「あの子、最近、僕に対する態度がキツイ気がするんですけど気のせいですかね。ナツキさんの方からも言ってくださいよ」
「攻めが甘いって?」
「もっと甘くなるようにお願いしてくださいませんかねえ!?」
それは無理な相談だ、とスバルは苦笑することで答えとし、ゲーム盤越しに睨み合う二人を残して部屋を出る。
廊下の途中に設置された魔刻結晶から、そろそろ日付が変わる頃合いであることが伝わってくる。いつもなら自室で床に入る時間だが、
「ちょっといつもより遅くなっちまったけどな」
そう言い訳めいたことを口にしながら、スバルは自室のある東棟三階への階段を上がらずに、女性陣の眠る部屋が並ぶ西棟へと向かう。
そして、
「――お邪魔します」
スバルはその部屋に入る前に、必ず扉をノックする。
返事がないことはわかっている。それでも希望を抱かずにいられないからか。
あるいは返事がないことを確認することで、忘れないようにするためか。
――この胸の内で絶えず燃え続ける炎の熱さを、忘れないようにするためか。
「――――」
扉を開けると、日没後はすっかり暗くなってしまっている部屋に出迎えられる。
簡素な部屋だ。屋敷に無数にある客室の一室と間取りは変わらず、置いてある調度品などはむしろ明確に少ない。部屋の中央にベッドと窓にカーテン、そして小さく簡易のテーブルと、花瓶に花が活けてあるのだけがささやかな気遣いか。
そのことに文句を付ける人間がいないとわかってはいても、あくまで実際的な面を優先する姿勢がスバルは好きではない。
感傷的であるとか、センチメンタリズムがすぎるとか、そんな風に言われても人間的な温かさを求めてしまう。それを弱さだと切り捨てられる日は、ひょっとしたらスバルには一生訪れないのかもしれない。
身近なところの女性陣はそんなスバルの心情吐露に、
『そんな風に割り切れる人なら、私、スバルと何回ケンカしても分かり合えたりしなかったかもしれないと思うの。だからそのままのスバルが、私はすごーく好き』
『足りないのに欲しがりなのはよくない癖なのよ。スバル一人なら到底無茶でしかないかしら。……だから一人じゃない今は、欲張っててもどうにかしてあげるのよ』
「甘やかされてんなぁ。あと、エミリアたんは意味深な発言で俺を惑わしすぎ」
あんまり気軽に『好き』だの『格好いい』だの言わないでほしい。
スバルの気持ちをはっきり伝えても、エミリアの精神の成長がそれに追いついてこない。いまだ、男女間の恋愛という意味では二人に進展はまるでなかった。
もっとも、急に進展されてもスバルの方の心の準備もできていない。二年、せめて三年――いやさ、できるならもっと、というヘタレ具合であった。
「なんて、お前のところにきていつまでもエミリアやベアトリスの話ってのは失礼なもんだよな。ペトラあたりに聞かれたら本気でどやされる」
事によると、ペトラはあの年齢で男女間の機微には屋敷で相当に秀でている部類かもしれない。なんだかんだで恋愛下手というか、一途も過ぎれば毒となるロズワールを筆頭に、屋敷の面々はそういったものに弱い気がする。
ガーフィールのラムへの思いは小中学生の域を出ないし、それはスバルも人のことは言えない。ラムの行きすぎた忠誠心は男女の愛と断ずるのもややこしく、フレデリカに至ってはそのあたりが完全に不明だ。オットーはたまに浮名を流していたと酒の席で言っているが、それは嘘だろうと全会一致で見栄と判断している。
まだ十三歳の少女に後れを取っているとは、大人の面目丸潰れだ。
「そう考えるとどうだろうな。レムが目覚めてても、なんかその状態はあんまり変わってない気がするな。俺がヘタレだからか、お前が俺を尊重してくれるからか」
椅子を引きながら言って、スバルはベッド脇に座り込む。
カーテンの隙間から差し込むわずかな月明かりが、ベッドの中で寝顔を晒している少女をかろうじて視界に浮かび上がらせる。
月光を浴びる白い面、桜色の唇。短い青い髪に、意外と女性的さに富んだ体を薄いネグリジェで包み、規則正しい呼吸で胸を上下させる眠り姫。
――もう一年以上も、こうして眠り続けたままの少女。
「今日は報告することがいっぱいあるぞ。なんせ、招かれざる客がとんでもない問題を持ち込んでくれたからな。まず、俺は朝からいつも通りに――」
眠ったままの少女に、スバルは穏やかな顔のまま語りかける。
語り口は普段のひょうきんさを装いつつも、声の調子はひどく優しい。うたた寝する幼子を気遣うような声音で、一日の出来事を楽しげに聞かせる。
少女の返事はない。それでも、その逢瀬は毎夜、続けられる。
特に語ることの多いこの夜は、月がさらに大きく傾くほどの時間まで、スバルと眠り姫とのささやかな夢語は続いたのだった。