『互いの告白』
肌を刺すロズワールのプレッシャーを感じながら、スバルは自分の今の発言がロズワールの思惑の核心に触れるものだったと理解していた。
ロズワールの笑みは、あの雪の中で大兎に食い散らかされる寸前の、自分の思惑を半ば打ち明けたときのものと同質だ。
観念とも歓喜とも違うその表情は、スバルに警戒心を促させるには十分だった。
「どーぅして、そう思うのかな?」
この期に及んで、すんなりと話を進める気がないロズワールの誤魔化しにスバルは舌打ち。それから「どうしてもこうしても」と前置きして、
「俺の提案のはね方が、正直らしくねぇと思ったからだ。頭のところに全部、『聖域』を解放することが条件だなんて付けられたら、何かあるかもと勘繰るのは当然だろ」
「それについては筋の通った説明をしたつもりだけどねーぇ。そもそも、今後も互いに協力し合うためにも、証を立ててもらうことは必要だ。エミリア様に力を貸し続ける根拠――即ち、最適解を導き出せる君がエミリア様の傍にあること。それを、私に信じさせてほしいということだよ。そのための条件が、『聖域』の解放だ」
「解放に限らず、ここを脱する手段はいくらあってもいいと思うけどな。証を立てるチャンスなら先々でいくらでも用意できるし……」
「逆に聞きたいんだがね」
食い下がるスバルに反論するように、今度はロズワールが指を一つ立てる。言葉を中断されたスバルが黙り込むと、ロズワールは鷹揚に頷き、
「君の方こそ、やーぁけに『試練』に対して及び腰じゃーぁないかね。まるで『聖域』を解放したくない理由が、そちらにあるかのようだよ?」
「解放したくないなんてわけあるか!とっとと結界をこじ開けて、中で解決できない問題を外に引っ張り出してやりてぇよ……けど」
「けど?」
思わず言葉を重ねかけて、スバルはロズワールの話に乗せられかけていることを自覚する。ここで言葉を荒げて考えなしに喋れば、騙し合いはそのままロズワールに軍配が上がることになる。
努めて冷静に、言葉を選んで。
「あの『試練』に挑んで、心を傷付けられるエミリアを見ていたくねぇ」
「だからこその、君の権能だろう?エミリア様が『試練』に躓くのであれば、それを君が代行すればいい。問題はない。大事なのは解放された事実だ、君が言ったようにね」
「ぬ、ぐ……」
まんまと自分が口にした内容で丸め込まれかけて、スバルは唇を噛んで言葉の続きを探す。だが、無理の上に無理を重ねている主張はなかなか筋の通ったものにならない。
「『試練』を突破するのが俺でもエミリアでも、ってのは俺だってわかってる。過去の傷を抉られるアレはエミリアにはきつすぎる。俺が代わるべきだってのも……ただ」
「まさか、君自身にとっても『試練』が辛いから、抜け道を探ろうだなんて甘いことを言っているわけじゃーぁないよね?」
ロズワールの視線がきつくなり、追及の言葉の鋭さが増す。
口ごもるスバルにロズワールは「まさかまさか」と言葉を続けて、
「自分可愛さ、自分が辛いから……そんな理由で別の手段を模索するようなら、君のエミリア様への想いはその程度のものということだーぁよ?」
「そんなことは……ッ!」
「ないと?本当に?どうして言い切れる?誰を信じさせられる?エミリア様を思えば、痛いのも辛いのも苦しいのも、全部を呑み込めて当然だろう?君がエミリア様を愛しているのなら、それができて当然じゃーぁないかね。エミリア様が何より大事で、エミリア様を何より優先して、エミリア様以外の全てをエミリア様を高みに押し上げるための些末な存在と割り切れるのであれば……何ら問題なんてないはずだろう?」
言い聞かせるように、流暢に言葉を並べ立てるロズワールの雰囲気に呑まれかける。
極論そのものといったロズワールの言葉だが、それはスバルの『死に戻り』を理解しているものならば、辿り着いて当然の結論の一つだ。
あるいは魔女の茶会で、サテラに自分の本音を暴かれる前のスバルだったのなら、最終的には同意してしまったかもしれない結論。
――ああ、そうだろうな。
ロズワールのようにはならないと、大事な一つ以外の全てを切り捨てろと言ったロズワールにスバルは宣言したつもりだった。
だが、仮にその後の茶会でエキドナの手を取ったとしたら、きっとスバルはロズワールの望んだ生き方そのものをすることになっただろう。
思考を放棄し、選択肢を潰し、結果だけを求めて、あらゆるものを蔑ろにして。
どれだけ自分が傷付いても、その先に望む未来が、エミリアやみんなの笑顔があるのならそれでもいいと思っていた。
でもそれだけの苦境に耐えることだけを選んだナツキ・スバルは、最後の瞬間に彼女らの隣で同じように笑えているだろうか。
――笑っていなくてはならないと、義務感だけに急き立てられて乾いた笑みを浮かべているのではないのか。
「……お前の言うことは、ある意味じゃ正しいんだろうな、ロズワール」
「ある意味、とは?」
片目をつむり、スバルの意味深な返答にロズワールが首を傾げる。
その黄色の眼差しを見つめて、スバルは吐き出すように、
「お前の言う通り、全てをかなぐり捨てて、エミリアだけを守ろうって走り続けられるんなら……きっとエミリアだけは救えるんだろうさ。でも、それじゃ不十分だ」
「不十分……」
「俺はエミリアを救う。でも、エミリアだけじゃ満足できない。レムも、ベアトリスも、『聖域』の奴らも屋敷の奴らも、王都で世話になったたくさんの人たちも……みんな、まとめて救い上げたいって思ってる」
「――――」
「たった一人で満足できるお前の生き方は、俺にはできないよ。欲張りなのが俺なのかお前なのか、正直なところわからねぇけどさ」
一人を想い続けて、それだけのために全てをかなぐり捨てる姿勢はある種、美しい。
『愛』に生きると、そう表現してしまえばそれ以外の何物でもない尊い行いだ。
ロズワールのやり方は、一人の男の生き方としては完成された一つなのかもしれない。
けれど、その真似事をするには壮絶な覚悟が必要で、魂を削るように、大切なものをそぎ落としていく生き方はスバルにはできそうもない。
相変わらず、自分の器はちっぽけで――スバルは、わがままな子どものままだった。
「……どーぅやら、まだ君の覚悟は研ぎ方が足りていないらしいねーぇ」
「…………」
「少しだけ……そう、少しだけ、期待してしまったよ。ひょーぉっとしたら、私が望んだ先を見れるのかもしれないと。だが……やはりそうはいかないみたいだーぁね」
残念だ、と口にしながら首を振るロズワール。
今のやり取りで、ロズワールにはスバルが自分の思惑通りの覚悟を決めかねていることが露呈してしまった。
非情の覚悟で攻略に挑む姿勢をスバルに求めるロズワールにとって、今のスバルは期待外れの欠陥品だ。同時にそれは、自分の人生の終端を見たということに他ならない。
「いったい、あと何度……私は君に落胆させられるのだろーぉね」
「そう思うなら、もっと俺に協力的になってくれてもいいと思うぜ。お前が俺に遠慮なく手を貸してくれるだけで、大部分の問題が解決するんだが」
失望の色を隠さないロズワールに、スバルは皮肉を言うように告げる。
事実、戦力面でまったく無策のスバルにとって、ロズワールの力は喉から手が出るほどにほしい。魔獣の森で炎を降らせた絶大な魔力や、襲撃してきた大兎を的確に屠っていく技術――大兎の脅威に対するには、ロズワールの協力は欠かせない。
逆を言えば、ロズワールさえ味方に引き込めれば『聖域』側の問題の半分はクリアできることになる。
しかし、ロズワールはスバルのその安直だが確実な要求に首を横に振り、
「残念だが、そうはいかない。現状の君に協力することは、私にとってはメリットが少なすぎるからねーぇ。仮に……そう、仮に君が私の力を借りることでこの局面を乗り切ったとしようか。覚悟の曖昧なままに、先へ進んだ君やエミリア様は必ずどこかで壁にぶつかる……そうなったとき、また私に頼るのかね?本来ならここで済ませておくべき覚悟を後回しにして、取り返しのつかない状況に陥って右往左往すると?」
「…………」
「スバルくん、私はね……私の目的のために、信頼を預けられる相手でなければ力を貸す決断はできない。寄りかかられるばかりの関係など、私の目的には必要ない。だから君には何としても、私を納得させ、前へ進む覚悟を見せてほしいんだよ」
「お前の、目的……」
「今回は、そうはならなかったようで残念だ。また次の機会に期待しよう。君が本当の意味で、自分の力を正しく受け入れられたときに、ね」
話は終わりだ、とばかりにロズワールは体の力を抜き、ベッドに体を横たえる。
ロズワールにとって、『今』の自分が生きる意味はこれで失われた。消化試合のような心持ちで、失敗したスバルがやり直すのを見届け、果てるつもりなのだろう。
このまま会話が終われば、スバルはここにきた目的を何一つ果たせないままだ。
すごすごと引っ込むことなどできないと、退室を促すようなロズワールの手振りを目にしながら、スバルは必死に頭を回転させ、
「……お前を納得させられるような、俺の覚悟の示し方ってのはなんだ?」
「ふむ……本音を言えば、そのあたりのことも私と接していくことで察してほしい部分ではあるんだーぁけど、そのためだけに何度もやり直すのはいかにも無駄手間だからね」
繋いだスバルの言葉にロズワールが反応し、彼は再び上体を起こすと顎に手を当て、
「大枠としては『聖域』の解放、こういうことになる。ただ、『聖域』の解放に至るには君の行動が不可欠で、それには何度やり直しても構わないという覚悟が伴う必要がある。『聖域』が解放されるということは、おのずと君が覚悟を決めた結果の証明ということだよ」
「どうして、そうなる。確かに答えとしちゃそれが一番近いのかもしれないが、それだけなら別に……『試練』を乗り越えるだけなら、俺が何もかもを切り捨てる覚悟がどーのって話には繋がらないだろ。エミリアが、自分で『試練』を越える可能性だって……」
「それはあり得ない」
ロズワールの発言は極端が過ぎる気がして、スバルはとっさに反論を連ねる。が、それに対する彼の答えは端的で、冷え切ったものだった。
その鋭さに思わず鼻白むスバルに、ロズワールは立てた指を振り、
「君の儚い期待が結実することはないよ。エミリア様が、『試練』を乗り越えるなーぁんてことはあり得ない。そんなことができるほど、アレは心根が強くない」
「……アレ、だと?」
「そうとも。育った環境や因習の影響もあるだろうけど、アレは駄目だよ。たった一人で立つことなどできるはずもない、弱く脆い、小さな子だ。罪悪感と自責の念に急き立てられて動く姿など、健気すぎて憐れみさえ覚える」
淡々と、これまで聞いたことのないエミリア評を下すロズワールにスバルは絶句する。
健気で、頑張り屋で、お人好しで、懸命なエミリア。今は巡り合わせが悪く、『試練』に対しても答えを出せずにいるが、時間をかければ彼女は必ず過去を克服し、『聖域』を解放に導くだけの力があるとスバルは信じている。
ただ、スバルがそれでもエミリアの代わりに『試練』を引き受けようと思っていたのは、その必要な時間が確保できないことと、傷付くエミリアを見ていられないからだ。
断じて、エミリアが『試練』を突破できないなどと、諦めて見ているからではない。
「なのにお前は、エミリアは無理だって……それなら、それならどうしてここに!」
「君がいるからだ。君の存在があれば、何の力もない弱々しいハーフエルフであったとしても王座を目指せる。否、王座につける。当然だ。そうならない道は全て君が排除し、君は彼女の望みを完遂させる。それだけの力が君には備わっている。エミリア様に価値があるとすれば、それは君という最強のカードを手に入れたことだ」
「俺が……最強の、カード……?」
目が回りそうなロズワールの畳みかける言い分と、自分が最強などという絵空事のような言葉を投げかけられてスバルは困惑する。
無力な自分とは縁遠い形容詞だ。そして、ロズワールの言葉はあまりにも、エミリアという存在に対して侮辱的なもので、許し難い。
「ふざけるな!エミリアが……エミリアがどれだけ頑張って、どれだけ色々考えて、苦しい思いしてまで『試練』に挑んでると思ってやがる!見たくない過去を掘り返されて、それでもあの子は……必死で頑張ってるんだぞ!お前はそれを!」
「結果が出なければ全ては無駄だ。そしてその結果が出ないことを、私なんかよりも君の方がずーぅっと、よくわかっているんじゃーぁないのかね。エミリア様のその頑張りの結果が出ていたのだとしたら、君がここへ戻ってくる理由などないのだからねーぇ」
「――――ッ!」
激昂して声を荒げても、冷静さを損なわないロズワールには通用しない。それどころか熱くなった思考に冷や水を浴びせられるように、スバルの方が言葉を封じられる始末。
事実、ロズワールの言い分は現実の一端を示している。
スバルの見てきた限り、エミリアが『試練』を――第一の『試練』すらも乗り越えられた回はない。彼女は懸命に挑み続けるが、過去の壁はその試みの前に立ちはだかり、そのたびに心を挫いて摩耗させていく。
本心から信頼を預けられるパックに寄りかかることもできず、擦り切れるエミリアはやがてスバルへの依存心を愛情と勘違いし、壊れてしまうのだ。
その未来を知っているから、ロズワールの言葉にスバルは感情的な反論しかできない。けれど、エミリアを侮辱する言葉を黙って見逃すことなどできるはずもない。
エミリアを見下し、スバルの『死に戻り』に過剰な期待を寄せるロズワール。どうすればその鼻っ柱をへし折れるのか――思いついた瞬間、スバルは叫んでいた。
「お前の言い分はよくわかったよ!けどな!お前の目論見は果たされやしねぇ!」
「ほう、それはどういう……」
「お前は俺に、エミリアの代わりに『試練』を突破してほしいみたいだけどな……エキドナは俺から『試練』を受ける資格を剥奪した!お前の期待する結果は、もう俺から引きずり出せねぇよ!残念だったな――!」
余裕の顔をしているロズワールに向けて、胸の手を当てたスバルが高らかに訴える。
スバルにとっても痛手の出来事ではあったが、ロズワールの目論見にとっても大打撃であるはずの情報だ。これにはさすがのロズワールも平常心ではいられまい、とスバルがあくどい笑みを向けようとしたときだ。
「――資格を、剥奪された?」
ぽつりと、こぼすような声の響きはあまりに頼りなく、スバルはそれが目の前のロズワールから発されたものだと気付くのが遅れたほどだった。
眼前、ベッドに体を預けるロズワールが、スバルの言葉に身を固くする。そして凝然と色違いの双眸を押し開き、スバルを見て小さく唇を震わせていた。
そこには普段の余裕の態度、何もかもを見通したような達観した雰囲気、飄々と抜け目のない凄み――それら全てが、まるで剥がれ落ちてしまったかのようで。
「どういう、ことだね……」
「どういうも、何も……そのまま、だ」
掠れた声で呼びかけられて、スバルは思わず声を上擦らせてしまう。
見知ったロズワールとは別人のような声音に気圧されながら、スバルは渇きを訴える喉を飲み込んだ唾で湿らせ、
「エキドナに、資格を取り上げられた。今の俺は複製体の指揮権どころか、墓所に入ろうとしただけで目が回ってへたり込む状況だ。……中に入ろうとして、拒絶されるお前と立場は一緒になったんだよ」
「な、ぜ……いや、どうしてそんなことに。君は、墓所の中で『試練』を受けて……そうでなくては、この『聖域』の解放は、彼女の本懐は……」
口元に手を当て、信じられないものを見たような顔で虚ろに呟くロズワール。
思いがけない強烈な反応に、スバルは意趣返し以上の効果があったことを悟って言葉を見失う。ロズワールの狼狽、それは周回どころか彼と出会ってから初めてのものであり、今のやり取りのどこがそこまでの衝撃を彼に与えたのかがわからなくなる。
ただ、スバルは息を呑み、
「お前の福音書には、俺が『試練』を突破するとか、書いてあったのか?」
「――――」
「記述に沿った内容にならなきゃ、お前が全部を放り出しちまう心づもりでいるのは知ってる。だからもし、お前が『聖域』の突破は俺の役割だって、そう決めつけちまってるんだとしたら……それはもう、叶わない」
第一の『試練』の突破を引き継いだように、魔女たちが『死に戻り』を乗り越えて記憶を共有していたように、あの強欲の魔女の城はこの世界の理を外れていたのだ。
たとえ『死に戻り』をしたとしても、あの城で交わした記憶や思いが薄れることはなかった。だからこそ、スバルはあの場所に救いを感じて、エキドナに対して少なくない好意と期待を抱いたのだ。――故に、今はわかる。
今、仮に死んで墓所へ戻ったとしても、資格はスバルの中に戻ってこない。
失われたそれを取り戻すにはエキドナの許可が必要であり、そしてエキドナの許可を得るには墓所の中に入らなければならず、墓所には資格がなければ入れない。
――つまり、スバルが墓所の『試練』に挑む方法は今、完全に失われている。
「資格を、取り戻す方法は……」
「あるんだとしたら、知ってるのは俺よりお前だろ。お前が知らないんだって言うんなら、俺は知らない」
ロズワールのか細い声に応じつつ、しかしスバルは内心で可能性には気付いている。
おそらくエキドナは今も、墓所の中でスバルの足掻きや苦悩は見通しているはずだ。その手を拒絶したスバルへの嫌がらせ、のようなやり方で資格を剥奪し、サテラの手を取ったスバルが何をできるのかを見届けようという腹だろう。
その過程でスバルが失敗を積み重ねて、もう打つ手立てがないとエキドナに泣いて縋るような場面がくれば、おそらくあの魔女はスバルに手を差し伸べる。
――だが、次に差し伸べられたエキドナの手を取ったとしたら、それはサテラに対して告げた言葉も、今この瞬間に心に抱いている思いも、全てを捨てることになる。
エミリアを最善の未来へ送り届けて、果てるだけの結末に。
それでも、途中で砕け散る結末に比べたらいくらかマシなのかもしれないけれど。
「君のやり直しで、資格を剥奪される前に戻るというのは……?」
「勘違いしてるみたいだが、そんな万能な力じゃねぇよ。対価なしに戻れるほど気楽に扱えるもんじゃねぇし……そもそも、戻れる地点が手遅れだ。戻るとしたら、剥奪された後に戻る。墓所に入れないことは、変わらねぇ」
「そう、か……」
スバルの返答に応じるロズワールの声は弱々しく、スバルにはまるで彼の姿が一気に年老いてしまったようにすら見えた。
これまでのロズワールは若々しさというより、年齢を感じさせない不詳さを常に振りまいていたものだが、今の小さく肩を落とす彼の姿にはその雰囲気すらも消えている。
あるのは長く長く時間をかけてきた妄執のような感情が、自分の手の届かないところで阻まれることに苦悩する人間じみた顔そのものだ。
道化のメイクでも隠し切れないその姿に、スバルは初めてロズワールを同じ人間のようだと感じることができた。
もっとも、それは何の解決にもならなければ、ロズワールにとって不本意でしかないことなのだろうけれど。
「手詰まりなのは俺も同じだ、ロズワール。俺とお前は、もっとしっかり話し合って打開策を見つけ出すべきだと思う」
「――――」
「お前の、その福音書に沿った結果を引っ張り出すってのは厳しくなるかもしれねぇが、記述は何もそこだけで終わってるわけじゃないはずだ。大筋だけ沿えば……ってのはお前的には納得いかないかもしれねぇけど、妥協案があるなら……」
「……りなかったか」
「――あ?」
折衷案を出し、どうにかロズワールから譲歩を引きずり出そうと言葉を使うスバル。だが、ロズワールはまるでスバルの言葉が聞こえていないような虚ろな目つきで、小さく何事か呟いた。その声に思わず口を開け、スバルは一歩、前に出る。
今、ロズワールが何を言ったのか、聞き間違いではなかったのかと。
そして、前に出たスバルの耳に、ロズワールの呟きが忍び込んでくる。それは、
「――私の追い込み方が、足りなかったということか」
「なんだと?」
「経緯はわからないが、エキドナが決め事を変えたということはそれ相応のやり取りが君との間に交わされていたはずだ。本来ならば、君と彼女の間にそんな亀裂が入る前に、君は覚悟を固めて『試練』に……そうだ、私が及ばなかった」
「――――」
「私が君を、もっと追い込んでいれば……あれもこれも手を伸ばしていては、大事なものを取り落とすのだと、わかるよう示していれば……こんなことには……」
「待て、ロズワール。待て」
何を言おうとしているのか、決定的なことを言おうとしている気がして、スバルは聞かなくてはならないその先を聞くのを、しかしなぜか躊躇った。
その先の言葉を聞いてしまえば、スバルはきっとこの場に立っていられなくなる。
確信があった。
否、そもそも、そうではないかと疑っていた部分は以前からあったのだ。
だがそれでも、首をもたげる疑いを形にしなかったのは、そんなことをする理由がないと思考停止していたのと、か細いながらもロズワールへの信頼があったからだ。
それが今、彼の口にする言葉で決定的に途切れる。
そうなる前に、何かを言わなくてはならない。なのに、その言葉はスバルの中のどこを見渡しても見つからず、無常にも時は流れ、
「ガーフィールの性質を知った上で、君やエミリア様を『聖域』へ呼び寄せたことも」
「――――」
「『試練』の恐ろしさを知った上で、エミリア様をそこに挑ませ、傷付く姿を君に見せて奮起を促したことも……」
「待て、待ってくれ。ま――」
そして、
「手の届かないところで大切なものが失われることで、君が完成するだろうことも……何もかも、まだ足りなかった」
――屋敷の惨劇の引き金は自分が引いたのだと、ロズワールは告白していた。