『危うげな二人』


 

記憶を頼りに辿り着いた盗品蔵は、王都の貧民街の最奥に位置していた古びた廃屋であった。

 

王都建設の際に計算でも間違えたのか、無闇に余ったスペースを隠すように建物置いておきました、ぐらいのパースの狂った巨大な建物。

貧民街で生活する手癖の悪い人々が、王都中から合法非合法問わず様々な手段で入手した物品をここに集め、それをまとめ役が売りさばくというシステム。

その名称が示す通りの腐敗の温床となっていたこの場所だが――、

 

「きれいさっぱり、なんにも残ってねぇな」

 

完全に更地となった元・盗品蔵跡地を眺めて、スバルはそう感想を述べた。

 

盗品蔵の建物は跡形もなく崩壊し、その廃材や危険物なども今は片付けられたあとで残されていない。蔵を建てた際の基礎などの名残は地面に残っているが、意識的にそれを無視すれば盗品蔵の存在そのものがなかったとされてもおかしくないぐらいの抹消ぶり。

改めて、これがただの剣の一振りで発生した事態だと思い出して、

 

「やっぱり、ラインハルトは完全に人間やめてんな……」

 

赤い髪の爽やかイケメンを思い浮かべて、スバルはその人外ぶりを手放しで賞賛。もっとも、ポジティブよりはネガティブ的な色合いの濃い賞賛を彼の人物が喜ぶかどうかは別の話だが。

 

「当たり前だけど、人がいる雰囲気もないね。スバル、どうする?」

 

単純に目の前の惨状――というよりはこざっぱりとした印象を拭えないが、その光景を前に圧倒されていたスバル。そのスバルと違い、もっと目的に則した形で視線をめぐらせていたエミリアはそう問いかけてきた。

 

「やっぱり、ラインハルトに連絡を取るのが一番いいと思うけど……」

 

「ま、そうなんだよね。ここにくればフェルトとかロム爺とかのその後もわかるかもって踏んだんだけど、そううまくはいかねぇか」

 

犯人は犯行現場に戻ってくる、ではないが、イベント終了後の舞台になにかしらの後日談があるのではと期待するのも人情。

ただし、現実は創作物のようにはいかず、火事場泥棒も含めてこの場からはごっそりと全てが持ち去られてしまったあとだ。

文字通り、ここに残されているものは残滓のみ――それも、スバルとエミリアが訪れたことで、風に掻き消えてしまうほどささやかな。

 

「つまりここにもう用はない。グッバイ、盗品蔵。イベント発生ポイントとしてはけっこう有効だったぜ、ここ」

 

サムズアップして思い出に別れを告げ、スバルは足下のリンガの袋を拾い上げるとエミリアの手を引いてその場から離れる。

そそくさと、いつまでも思い出に後ろ髪を引かれるような生き方はしていない。さようなら昨日、こんにちは明日。新婚さんいらっしゃい。

 

「とにかく、貧民街も物騒だからとっとと出よう。あとのことは……やっぱラインハルト探すのが確実か。フェルトはラインハルトが連れてったんでしょ?」

 

「ええ、そう。悪いようにはしないって言ってたけど……急に顔色を変えて」

 

エミリアの話だと、見逃すことで片付いていた話を引っ繰り返したということらしい。口約束であろうと命懸けで守りそうな芯を感じさせる青年だけに、前言を即撤回というのもらしくない印象が拭えない。

ちなみに、負傷したロム爺の処遇もラインハルト与りになったとのことだ。

 

「せめてもう少し踏み込んだ話が聞けてればよかったんだけど、私たちは私たちで早く屋敷に戻らないといけない理由があったから」

 

「っていうと?」

 

「……ほら、お腹が破けちゃってた子がいたでしょ?ちゃんと治せるのがベアトリス以外に思いつかなくて、それで急いでたの」

 

「その節は誠にお世話になりましたぁ!」

 

なんのことはない自分のお話。

声高に謝罪の言葉を投げたところで、スバルは「さて」と気持ちを切り替え、

 

「ともあれ、けっきょく話はループしてイケメン探しに戻るわけだ。前にちょろっと話した感じだと、衛兵の詰め所だかで聞くのがいいってことだけど……」

 

初対面のときの会話をどうにか掘り出して、スバルは手掛かりになりそうな意見を提出する。が、これはこれで言っていてあまり信憑性があるとも思えない。

なにせ、詰め所にいるとなると、ラインハルトという人物が町のお巡りさんポジションで安定するということになるが――、

 

「あんなお巡りさんがほいほいいてたまるか。十中八九、あの野郎は非番のときに町をうろつくのが趣味なだけのちゃんとした騎士様だろうが」

 

高そうな拵えの剣に、大仰な『剣聖』という二つ名。おまけとばかりにあの戦闘力で一般兵などと言われれば、もはや恐くて二度と王都など歩けるものではない。

そのスバルの意見にエミリアも同感といった様子で小さく頷き、

 

「私も、ラインハルトが詰め所にいる可能性は低いと思う。でも、本人はいなくても顔つなぎが期待できる人くらいいるんじゃないかしら」

 

「ま、くくりはともかくどっちも兵士なのは事実だろうし、詰め所にもお城の電話番号ぐらい控えてあるか……電話とかってないよね?」

 

「でんわ?」

 

指を頬に立てて首を傾げるエミリア。その仕草を「可愛いー!」と内心で評価しつつ、スバルはどう説明すべきか頭を悩ませ、

 

「簡単にいうとこう……離れた場所にいる相手と会話する手段みたいな。あ、大声で会話みたいな原始的な手段じゃなくて」

 

「対話鏡なら、置いてあると思うけど……」

 

エミリアの自信なさげな言葉に、今度はスバルが首を傾げる番だ。無知を表明するスバルにエミリアは「うーん」と小さくうなってから、

 

「対になっている鏡同士で、映した相手と会話ができる遠距離対話用の魔法器よ。魔法器にしては数が多くて、色んなところで見かけられるんだけど」

 

「ははぁ、繋げるラインは一本だけど、ちゃんとそういう手段あるんだな。鏡、鏡か……魔法っぽいな、ファンタスティック!」

 

その場合、鏡に映るのは自分ではなく会話相手とかになるのだろうか。

思えば魔法器という名称は耳にしていても、スバルの知る魔法器はロム爺を騙すのに利用した携帯電話という偽の魔法器でしかない。実際にそんな道具があるのだと聞くと、ついついわくわくが抑え切れないのが男子心。

 

「魔法の才能はなくても、魔法器を利用して戦う才能はある的な展開がくるか。今度こそ、俺の快進撃が始まる――正直、もう走りたくないんだけど」

 

実力不足は自覚のあるところだが、そもそも実力が要求される事態になることを避けたいのが本音。異世界召喚前はそれなりに颯爽と大活躍する自分の姿を妄想で思い描いたものだが、いざ現実に直面してみるといかに無謀だったかよくわかる。

実際問題、非常な現実を前にスバルにできたことなど、みっともなく、体面すら忘れて生き足掻くこと以外なにがあったというのか。

 

流れでネガティブな方向に沈みかけ、スバルは頭を振ってその考えを振り払う。どうしてこんな思考に走ったのか――それはいつの間にか、二人の間に沈黙が落ちていたことが原因で、

 

「エミリアたん?」

 

「……え?どうしたの?」

 

呼びかけに数秒遅れて反応し、エミリアは紫紺の瞳を瞬かせてスバルを見る。そんな彼女のはっきりしない反応にスバルは眉を寄せ、

 

「どうしたのはエミリアたんの方だよ。急に黙り込んじまうからびっくらこいたよ。なんか気になることでもあった?」

 

「――ううん、なんでもないの。それで、詰め所に向かう?」

 

なにもない、というような態度には思えなかったが、彼女の言い方はそれ以上の追及を拒んでおり、踏み込むことはできそうになかった。

だからスバルはそのあとの質問に気圧されるように、「あ、ぁおう」と肯定だか否定だかわかり難い返事をするのが精いっぱいだ。

 

「詰め所があるのは貴族街の方だから、ここからだと少し歩くわね。あんまり長く空けてるとレムが拗ねるし、ちょっと急ぎましょ」

 

余談ではあるが、本来はスバルの王都行脚にはレムが同行の意を示したのだが、彼女は彼女で世話係としての仕事が多岐にわたったため、泣く泣く今回のスバルのお守をエミリアに譲った経緯がある。

今頃は今夜の宿とその他の場所で、獅子奮迅の働きを見せているはずだ。

 

手を引かれ、貧民街を抜ける道に入りながら、スバルは無言でエミリアの背中を見やる。白いローブを被り、鷹の紋章が刺繍された荘厳な装いは言葉を拒絶しており、文字通りに口を封じられたような錯覚をスバルに与える。

 

エミリアの隣にいるとき、心が弾むような、浮き立つような感情を得るのがスバルのここしばらくの欠かせない日常だった。

だから、こうして彼女に態度で拒絶されるほど恐ろしいことはない。

なにが、どれが、スバルの発言のいずれが、彼女の機嫌を損ねてしまったのか、内心を焦燥感に満たしながらスバルは必死に答えを求める。

 

エミリアに拒絶されたら、スバルはこの寄る辺のない世界で完全に孤立する。

エミリアだけがこの世界における、スバルの存在意義そのものだ。

 

そんな『自己定義』が悪い方向に働き、スバルの思考に雑音が走り始める。

脳神経が焼きつき、視界が明滅する。胸中にどす黒い感情が広がり始め、それがいつか見た黒い掌とそっくりな作りであると無意識が理解――そのまま、走り始めた負の感情のままにスバルは唇を震わせ、

 

『――そこまでかなぁ、スバル』

 

ふいに頭の中に響いた声音に正気に戻され、スバルは驚きに目を見開く。

眼前、脳に直接囁きかけるような言葉を放ってきたのは、エミリアのフードの首下に体重を預け、己の腹をさすりながらこちらを見やるパックだ。

 

『あまり良くない兆候が見えたから、水を差させてもらったよ。あんまり、ボクの娘に不埒なことは働かないでほしいかな。――ボクは、君を嫌いたくないよ』

 

ヒゲをいじりながら相変わらず穏当な口調で語るパック。その内容にスバルはギョッと顔を強張らせ、前を歩くエミリアの背中を恐々と見る。しかし、彼女はそんなスバルの怯えには気付かない様子で歩くのを続けている。

 

『リアのことなら心配いらないよ。これは君だけに直接呼びかけてるだけだから』

 

『……俺の心の声も、これで届くってのかよ』

 

『念話はよっぽど力の差がないと成立しないものなんだけどね。まあ、これがボクとスバルとの差だと思ってくれればいいよ』

 

からからと、音を立てずにパックが笑っているのが見える。

こちらの感情の色が見える小猫に対してはもはや驚きもないが、脳に直接響くような念話と呼ばれる会話の不快さには慣れそうもない。

ともあれ、

 

『あー、礼は言っとく。なんかさっき、俺ちょっとばかし変だったし』

 

まるで世界にひとりだけ取り残されそうになり、必死にそれだけは嫌だともがいていたような感覚があった。

ただひとり、縋れそうな背中に手を伸ばし、それをどうしようとしていたのか――頭を振り、先ほどまでの圧迫感を見失ったスバルにはもうわからない。

ただ、自分が自分でないようなおかしな思考に走っていたような気はする。

 

『端的に言うけど、リアの機嫌が悪くなったのはスバルのせいじゃないよ。ちょっと、思い出し自己嫌悪しただけ』

 

と、己の調子に不信感を抱いていたスバルを、パックのその言葉がこちらへ引き戻す。彼の言葉にスバルは首を傾げ、

 

『自己嫌悪?』

 

『ちょっと嫌な思い出に触れる切っ掛けがあっただけ。それで拗ねてるだけなんだよ。そこが抜けてて、可愛いところだけど』

 

肝心なところは口に(言葉に)せず、パックは父性愛に満ちた笑みを浮かべる。

その態度に仲間外れにされたような疎外感を覚えるスバルは、はたと気付いた。

 

――自分が思い返せば、エミリアのことをなにも知らずにいることを。

 

スバルが知るエミリアは、銀髪と紫紺の瞳が印象的な美少女。ハーフエルフであり、立場としてはこのルグニカ王国の女王様候補者。現在はパトロンであるロズワール邸で生活していて、家族と呼ぶほど親しい精霊のパックを連れている。

自分に素直で強がりでお人好しで、他人のために損することをいとわない性格で、お姉さんぶるわりには抜けてるところが多くて、おまけに騙されやすそうでもある。

 

彼女との出会いからの二週間で、これまで見てきたエミリアの全てがそれだ。

それが完全に彼女の上っ面だけの情報であり、彼女の内面や内情になにひとつ踏み込んでこなかった事実に、今さらながらスバルは気付いた。

 

思えばスバルはエミリアが王選に参加することになった経緯も知らない。ロズワール邸にやってきた経緯も、スバルと出会った日に王都にいたことの理由すらも。

 

当たり前のように、彼女から与えられるものばかりを受け止めることに夢中で、それ以上のことを知ろうと求めることすらしなかった。

その結果がこの様だ。パックの知る事情でこちらを拒絶するエミリアに対し、なにも知らないスバルは押し黙る以外の行動をとることができない。

 

『そうやってなんだかんだで本心を溜め込む分、君も難儀な子みたいだけどね』

 

浅薄な己に気付いて口を閉ざしたとしても、心の内までを無言で占めることはできない。こちらの心中の上澄みをすくい取るパックにスバルは肩をすくめ、

 

『率直さで他の追随を許さないとまで言われる俺に、その指摘はちょいとばかし的外れじゃね?まだまだ大精霊様も修行が足りませんにゃぁ?』

 

大仰なアクションを入れて茶化してみせ、スバルはそれ以上の会話を打ち切ろうと態度で示してみせる。が、

 

『ねえ、スバル』

 

そのスバルの思いを酌み取らず、パックの話は終わらなかった。

鼓膜ではなく心に囁かれる言葉には拒絶すら届かず、スバルはただ無言であることを己の意思と表明して出方を待つ。

明らかに歓迎していない態度。しかしパックはそんなこちらの反応に興味の欠片も砕かず、一方的に告げる。

 

『――あまり、ボクを。そして、リアを期待させないでほしい』

 

『……は?』

 

『希望は優しい毒だよ。それがいずれ体を蝕むとわかっていても、手の届く位置にあると錯覚すれば手を伸ばさずにはいられない。君はまさしく、毒だ』

 

黒い眼をそっと細めて、パックは表情を消したままスバルを見やる。

感情の見えない瞳に凝視され、スバルは思わず身を固くしてしまう。じっとこちらを値踏みするような視線、歯噛みしてその感覚に抗い、

 

『そりゃ、どういう意味……』

 

だが、不可解なパックの言葉への返答が届くよりも――、

 

「ついたわ」

 

と、手を引くエミリアの足が止まってしまう方が早かった。

 

「おっと」

 

つんのめり、エミリアの背にぶつかりそうになるのをかろうじて堪えて顔を上げる。

正面、パックとの会話に集中するあまり、意識から外れていた街並みの変貌がようやく視界に入ってきた。

建物が乱雑に入り乱れ、雑踏と呼ぶべきだった景色は一転、整然とした建物の立ち並ぶ通りへと様変わりしている。

 

貴族街――その呼び名の示す通りならば、上流階級の人間が住まうだろう地だ。

当然のように景観は庶民の暮らす地区より洗練され、端的にいえば金のかかり方が違う。建物はもちろん、道に壁、美観維持のための植林すらそうだろう。

 

通り一本向こうが別世界になっている手前、その異世界への入口を封鎖するかのように、その強大な建物は居を構えている。

様変わりした景色の中でも一際背の高い建物だ。故郷の世界と同じく、二階建てから三階建てまでの建物が多くを占める中、この目の前の施設だけはざっと六階建てほどの高さを保っている。

背面を外壁の一部に隣接しており、上部に設置されたテラスからは都市の全貌が見渡せることだろう。が、無骨な建物の雰囲気がそのテラスの存在を、景観を楽しむことより眼下の人間を見下ろすためにあるのだと思わせる。

 

その施設の存在理由を知らなかったとしても、思わず居住まいを正してしまいそうになる威圧感。悪いことをしてないのに警官の前で小さくなってしまう、そんな小市民性をスバルは思い出して渋い顔。

 

「ここが王都を見回る衛兵の詰め所。貴族街に出入りする人たちの身份を確かめたりとか、そういうこともする場所みたい」

 

「だからこんなとこに建ってんのね。……しかしやっぱいつの時代でもどんな世界でも、警察組織の持つ妙なパワーには抗い難いもんだな」

 

それと知らずともこの圧迫感。気軽に落し物や迷子などの要件で、門戸を叩けるような雰囲気でないことは確かだ。これならば町の交番の方がはるかにマシ。

 

「とりあえず中でラインハルトの話を……なんでちっちゃくなってるの?」

 

「世の中にゃ俺みたいなのを狙って職質かけてくるようないやらしい警官もいたりするわけよ。だからつい条件反射で」

 

「なに言ってるかわかんないけど、悪いことはできないってこと?」

 

「さすが、本質が見えてる」

 

正しくスバルの発言の肝を見抜いたエミリアは嘆息。

それから前を向き、まずは詰め所の門戸を叩こうと扉の方へと歩いていく。そのフード付きの背中を視線で追い、ふとスバルはそこに小猫の姿がないのに気付いた。

いつの間にやら姿を消した彼は、今もまた彼女の銀髪の中に潜っているのだろうか。

 

言いたいことだけ言ってさっさといなくなったパック。その思わせぶりさに眉を寄せて、スバルは彼がなにを言いたかったのかと首を傾げる。

 

ともあれ、悩んでも答えが出るような問題でもない。

腕組みしての思案を早々に投げ出し、スバルはエミリアに並ぼうと前に足を踏み出しかける。エミリアが戸を叩こうとするのとそれはほぼ同時だったが――、

 

「――おや、これは珍しいところでお会いしましたね」

 

詰め所の扉が外へと開かれ、中からひとりの青年が顔を出す方がどちらよりも早かった。

青年はエミリアに恭しく一礼し、

 

「お久しぶりです、エミリア様。その後、お変わりはありませんか?」

 

と、フードを被ったままの彼女を『エミリア』と断定して呼んだ。

それだけでスバルの胸中を警戒が走ったが、彼の一礼を受けるエミリアはやや身じろぎしながらも平静のまま、

 

「……ええ、ありがとう。特に変わりないわ。ええっと、ユリウス」

 

「覚えておいていただけて光栄です。エミリア様も、その美しさに変わるところなくなによりでした」

 

ユリウス、と呼ばれた青年は歯を見せて笑い、その歯が浮くような台詞をなんのてらいもなく言ってのけた。

 

長身の青年だ。身長はスバルより十センチばかり高く見えるので、百八十センチ前半。髪の色は青みのかかった紫で、長めのそれが気障ったらしくも丁寧にセットされている。体つきは細身だが弱々しい印象はせず、しなやかと形容すべきだろう。

その叩いた軽口が似合う色男で、異性を魅惑する琥珀色の瞳に嫉妬せざるを得ない。

そしてその格好は詰所から出てきたことからもわかるように、

 

「近衛のあなたが詰め所にいるなんて珍しいことじゃないの?」

 

煌びやかな装飾が施された制服。龍の意匠があしらわれた制服に袖を通し、腰にはレイピア風の剣を下げる姿。――なによりその佇まいが、彼のユリウスという人物の生業がなんなのか如実に語り尽くしていた。

 

「兵士たちへの慰労と、街の視察を兼ねて……というところです。友人の頼みで足を運んだのですが、たまには友誼を優先してみてもよいのかもしれません」

 

手を掲げ、まるで歌うようにエミリアへ返答するユリウス。

彼はその語り口で自分に酔うように言葉を紡ぎ、目の前のエミリアを意味ありげに見ながら「なにせ」と言葉を継ぎ、

 

「こうして市井に足を伸ばした先で、一足早く可憐な華のお目にかかることができた。これ以上を望んでは罰が当たるというものです」

 

言いながら慣れた仕草でエミリアの手を取り、その場に跪くユリウス。それから彼は息つく暇もなく、白い手の甲にそっと口づける。

 

呆然と、その一連の流れを為す術もなく見送ってしまったスバル。一拍遅れて感情が沸騰し、今の気障な上に神経を逆撫でしてやまない行為を糾弾してやろうと足を踏み出しかけた。だが、

 

「ありがとう、ユリウス。それからいきなりで悪いんだけど……」

 

鼻息荒くユリウスに吶喊しようとするスバルを、後ろに差し出されたエミリアの掌が制止していた。

彼女の意図が呑み込めずに動けなくなるスバル。その彼の前で事態はゆっくりと進行し、

 

「ちょっと用事があって、お城の方に取り次いでもらいたいんだけど……」

 

「ああ、なるほど。それで詰め所の対話鏡が必要になったのですね。わかりました、ご案内しましょう」

 

立ち上がって扉を開き、ユリウスは施設内に視線を送りながら、

 

「本来はこのようなむさくるしい場所に、エミリア様をお連れするのは気が引けるのですが……」

 

「そういうことは気にしないでくれていいから。お願い」

 

「では、中へ……」

 

エミリアの言葉にユリウスが頷き、先導するように詰め所の中へ戻っていく。エミリアがその背に続くのを見て、スバルも慌てて追いかけようとするが、

 

「スバルは待ってて」

 

「ほえ?」

 

扉が閉まり切るより先に振り返り、エミリアに断ち切るように言い放たれてしまった。言葉が思わず出てこないスバルは、身振り手振りで今のエミリアへの反感を態度で主張。しかし、エミリアはこれにゆっくりと首を横に振り、

 

「本当はついてきてもらいたいんだけど、スバルが一緒だとユリウスがいい顔をしないと思うから、待ってて」

 

「なにそれ。俺よりあいつのご機嫌伺いってこと?」

 

一瞬、自分よりユリウスの方を優先するような言い方に捉えてスバルが唇を尖らせる。それにエミリアは「そうじゃないわよ」と困った顔で、

 

「ユリウスの機嫌を損ねるからって話じゃなくて、きっとスバルが嫌な思いをするから、いさせたくないの。お願い、わかって」

 

「嫌な思いならすでにさっき十分したんですけど」

 

手の甲へのキス、敬愛を示す行為にしてもスバルにとっては許し難い。

エミリアとはデートまでした仲であり、手を繋いで王都を一緒に歩いた仲ではあるものの、イマイチ彼女はスバルを異性として意識しているイメージがない。

故に接吻などはスバルにとってもいずれ越えなくてはならない険しいハードルのひとつなのだが、場所が違うとはいえそれをあっさり飛び越えていった男に対して強い敵愾心を抱かないことなど不可能だった。

 

できるならこれ以上、あの男とエミリアを接触させたくない。

それどころか、スバルのいないタイミングで彼女だけを奴のところへ送り出すなど言語道断。――それがスバルの男心だったのだが、

 

「あまり長引かせないように話をつけて戻るから、いい子で待ってて。詰め所の前からいなくなってたらダメだからね」

 

優しい言い方ではあったが、そこにはまたしても拒絶の色が濃い。

徹底してスバルを自分の事情から遠ざけようとする彼女の態度に、またしても踏み込むことを恐れるスバルはなにも言うことができなかった。

 

そうして二人の間を遮るように扉が閉まり、重々しい門扉にスバルは掌をつけて俯き、長い長いため息をこぼした。

 

「マジ俺かっこ悪ぃ……なにやってんだよ。なにもしてねぇだけだけど」

 

自己嫌悪の言葉しか出てこない。

嫉妬丸出しで飛び込んでおきながら、その嫉妬も出し切れないとはこれいかに。自分のヘタレ加減が自分で自覚できて、放置しておけば鬱になりそうだ。

 

「つって詰め所の前でいつまでも凹んでて、職質されんのも具合悪いわな」

 

傍目から怪しさ全開の己を省みて、スバルは足早に詰め所の前から離れる。

とはいえ、エミリアの指示があるから、移動するのは詰め所の様子が見える通りの反対側までだ。適当な距離を開けて壁に背を預け、スバルは再度のため息。

 

「あの気障男……近衛とか言われてたっけ」

 

スバルの認識が正しいのなら、それは近衛騎士とやらの近衛ということだ。

騎士団とやらが存在するのならば、近衛騎士はその中でも特別――本来は王族の直属ということになるはずだが、現在の王不在の王国での立場はどうなのだろう。

 

「エリートって感じが丸出しだったけどな、あのキザ男。気安くエミリアたんの可愛い手をべろべろ舐め回しやがって……」

 

悪い思い出に補正がかかり、スバルの中ではユリウスのした行為が悪逆非道で変態性の高い行為へと昇華されつつある。

そうやって暗い感情を溜め込みながら、待つしかできない身がもどかしい。

ユリウスの変態的な行動にもめげずに、エミリアが本来の目的を果たして一刻も早く戻ってきてくれることを祈るばかりだ。

 

「そうして男の手で傷付いたエミリアたんを優しく迎え入れる俺。『スバル、私、汚されちゃった……』『そんなことないよ、エミリアたん……いや、エミリア。君がどんな目にあわされようと、俺の目に映る君はいつだって、誰よりもなによりも美しくて気高い。その瞳こそ、この世でなにより尊い宝石だよ……』と」

 

妄想ストーリーが爆発し、瞳に涙を浮かべるエミリアがそっと瞳を閉じる。その唇を優しく上から塞ごうとして、スバルはふと通りを横切る存在に気付いた。

 

「ま、まさか……」

 

唇を震わせて、今の今まで繰り広げられていた脳内劇場が崩壊していく。

愛らしく頬を染めるイマジンエミリアが消失していく夢想の中、しかしスバルは圧倒的なリアルを振りまくその光景から目をそらすことができない。

 

――驚愕するスバルの眼前、そこを横切るのはひとりの愛らしい獣人だった。

 

スバルの腰ほどまでの背丈しかない小柄な体を健気に揺らし、よちよちと歩いているその全身は信じられないほどふわふわの白い体毛に覆われている。獣耳の亜人などとは比較にならない、獣人としての完璧な姿形。

おそらくは犬、犬だろうと思う。新雪のような純白の体毛は長く伸び、その姿を愛嬌のある丸みを帯びた形に見せている。

 

一瞬で、心を奪われるとはこのことだ。

エミリアの態度に傷心を隠せずにいたスバルは、その目の前を横切る最強のモフっ子を前に陥落する。即ち、戦う前からの戦意喪失。

 

モフリストとしての魂が、異世界にきてからの鬱憤の数々が、つい数分前に巻き起こったばかりの自己嫌悪が、エミリアへの届くことのない愛情の奔流が、それらの全てが要因となり、スバルの自由意思は完全に封じられた。

 

指を埋めたい。白い体毛に手先を絡ませたい。思う様に抱きしめ、頬ずりし、抱え上げてくるくると回り、世界中に愛という愛を謳いたい。

モフることが愛であり、モフりこそが平和の礎であり、モフこそが世界を救う。

モフらなくてもモフれる。だが、モフるからにはモフられたい。モフってモフることにこそモフリストとしての本懐があり、モフれるにも関わらずモフらないことはモフリストにとっては死を選ぶに等しい。つまり、モフること=モフリストにとっての生であり、モフっていなければモフリストの命の輝きは――。

 

「とかやってるうちに、どこだよここ……」

 

完全に獣人を見失って我に返り、スバルは頭を抱えて立ち尽くしていた。

 

周囲、広がっているのは見覚えのない狭い路地だ。さっきまでいたはずの詰め所の前の通り――少なくとも、あれほど華やかだった貴族街があった場所からは大きく外れていることは間違いない。

モフることにかまけるあまり、全てを蔑にした結果がこれだ。

 

「ただ待ってるだけのこともできないとか、俺は犬以下かよ!?犬っぽいモフっ子に発情して見失ってる時点で、もはやそれも確定だけどな!」

 

モフっ子の登場に意識を奪われ、朦朧としたままその姿を追ってこれだ。

時間の経過は不明だが、早々に戻らないことにはエミリアの叱責が待つだけだ。

今頃はきっと不安な気持ちで詰め所を過ごし、一刻も早くスバルのところへ戻りたいと思っているに違いないエミリア。思っているといいなぁと思うエミリア。

そんな彼女が目的を遂げて戻ってみれば、そこにはただ大人しく待っているということすら果たせずに姿を消した迷子スバル。

一転、彼女の白い目で見られる未来が浮かんでスバルは戦慄する。

 

「さすがに見捨てられるだろ、それ。てへぺろとかやってる場合じゃねぇぞ!?」

 

頭を掻き、自分が非常事態中の非常事態におかれていることを認識。

スバルはとにかく大通りへ出なければ、とダッシュで路地を駆け抜ける。が、土地勘がない上に似たような道の続く路地は、スバルの逸る意識と裏腹にその身を決して逃がそうとはしてくれない。

 

「クソ、こんなときに限って。そうだ!迷宮を抜けるとき、ずっと壁に触っていれば必ず出口に辿り着くというビーンズ知識があった!これはもらった!さっそく壁にって、ほぎゃあああ!!

 

意気揚々と掌を壁へ。薄汚れた壁はスバルの掌と接触し、粘着質の音を立てて不快係数を即座にMAXへと持ち込んだ。

 

「なにこれベタベタする上にぬるぬるもする!ゲロ的な液体じゃねぇだろうな!?壁に向かって発射とか、マジ酒の力恐ぇよ!!」

 

幸い吐瀉物でも劇物でもないらしい液体を別の壁に擦りつけ、スバルはお婆ちゃんの知恵袋にも頼れずに途方に暮れる。またこういうときに限って通りに人の気配も感じられず、人に頼らなくては生きていけないスバルの頼る相手が見つからない。

 

「こうして出ることの叶わぬ迷路に閉じ込められ、スバルはやがて考えることをやめた……BADENDえーっと8『孤独死』とかマジ笑えねぇ」

 

いよいよふざけている余裕がなくなり、スバルはマジメに進退きわまる。

せめて人気のある方向へ――そんな風に思ったときだ。

 

「――てめえ、クソアマ!ふざけてんじゃねえぞ!!」

 

――近寄ってもいいかどうか迷うような、そんな人の気配をはっきりと鼓膜が捉えてくれたのは。