『幼い魂と見守る者』
兄弟姉妹問題において、妹の記憶を喪失したラムが役立たずであることと、それでも『良いお姉ちゃん』たろうとしている事実が判明したところで、事態は何の進展もしないまま時間だけが経過した。
「それにしても、ラムの奴もちょっと薄情なんじゃねぇの?」
「そんなこと言わないの。ラムにはラムの考えがあるのよ。……あの二人とは私たちより付き合いが長いんだし、きっとその差じゃないかしら」
屋敷の廊下を歩きながら、唇を尖らせるスバルにエミリアが苦笑している。
ラムがいたレムの寝室を出て、反省会をしながら移動している途中だ。そんなスバルの脳裏に浮かぶのは、別れる前のラムが残した言葉。
『ガーフとフレデリカの関係?別に放っておいたらいいでしょう。二人だって子どもじゃない……ガーフはガキだけど、考えなしなわけじゃないわ。その考えが大して的を射てない場合が多くても。二人の関係は二人がどうにかするわよ』
自分に好意を寄せているガーフィールに対して、わりと情け容赦ない評価だ。
もっとも、ラムからすればガーフィールは年下の弟のような存在なのかもしれない。可愛い好意――そう言ってしまうには、乱暴で情熱的な想いではあるが。
ガーフィールも、鉄壁すぎる相手に恋をすると大変なものだ。
「――?なに?どうしたの?」
「んや、なんでもない。壁が高いのは何もガーフィールだけじゃねぇよなぁって我が身を省みたところ」
「――?」
可愛い顔で首を傾げるエミリア。
スバルの視線と台詞の意味が、全く頭の中で繋がっていない様子なのが憎い。それはそれとして許せてしまうのが惚れた弱味というやつなのだが。
「それにしても、ラムがダメとなると……次は誰に相談するべきかね」
「え。まだ諦めないで頑張るつもりなの?」
「そりゃそうでしょ。何の解決もしてないし、踏み出して最初の一歩目で躓いたからギブアップで男らしさの欠片もねぇよ。あの二人の関係改善したいってのは、エミリアたんも同じ気持ちのはずでしょ?」
「それはそうだけど……でも、あの二人の第一人者のラムがああ言ってるんだから、そうするのが一番なんじゃないかしら」
「放っておいても時間が解決するかもしれないけど、ガーフィールたちがお別れから今回までで十年かけてるの忘れちゃダメだよ。また十年かけて仲直りされたりしたらたまったもんじゃない。外から働きかけて、とっとと仲良くさせたい」
ラムの言葉に微妙に押され気味のエミリアに、スバルは計画の続行を主張する。というのも、あの二人を確実に仲直りさせたい気持ちはもちろんあるが、こうしてエミリアと何事かに打ち込むというシチュエーションを逃したくないのもある。
なにせ、今回のケースはスバルがどう振舞っても刃傷沙汰に発展する可能性はない。時間をかけて試行錯誤する心が、これほど軽いことがあるだろうか。
「どうしたの?急にニマニマしちゃって……」
「いやぁ、命懸け抜きで思い悩むのって幸せだなぁって思ってさ。すごい!結果がどう転んでも誰も死なないし、血が出たりもしないんだぜ」
「スバル……」
親指を立てて歯を光らせるスバルを見て、エミリアがすごく不憫そうな顔をする。
何かおかしなことを言っただろうかと、スバルは自分の発言を振り返り、それからその殺伐さと不穏当さと、ささやかすぎる願いに愕然とした。
「ち、違うんだよ、エミリアたん」
「いいの。大変だったもんね。ごめんね、わかってあげられなくて。ね、ほら、スバルも今日はお部屋に戻ってゆっくり休んでも……」
「ダメだこれわかってくれてないときの反応だ!」
優しい目で労わってくれるエミリアにスバルが声を上げる。
と、そんなやり取りを二人が交わしていたときだ。
「……騒がしいと思ったら、二人でいったい何をしているのかしら」
ため息まじりの呆れた声。声のした方へ顔を向けると、スバルはそこに豪奢なドレスをまとった少女――ベアトリスが立っていることに気付いた。
廊下の向こうから歩いてきた少女は、立ち止まって言葉を交わすスバルたちの顔を見やり、愛らしい顔の眉間に皺を寄せる。
「仲がよろしくて結構なことなのよ。言い合う声が屋敷の反対側にいても聞こえてくるかと思ったほどかしら」
「皮肉たっぷりな発言だな、オイ。仲間外れが寂しいなら素直にそう言えよ。お前も俺たちの深遠なディスカッションテーマに一緒に頭悩ませようぜ」
「誰が仲間外れを寂しがったのよ!勝手なこと言うんじゃないかしら!」
尊大に短い腕を組み、ベアトリスは頬を赤くして憤慨している。その『らしすぎる』態度に、スバルとエミリアは思わず顔を見合わせて笑ってしまう。
スバルとベアトリスが互いに契約し、精霊術師としてコンビを組んでから約一週間が経過している。とはいえ、二人の関係が劇的に変化したかといえばそういうほどのことでもない。
相変わらずスバルはベアトリスをからかい、ベアトリスはそれに過剰反応する。そんな変わらぬやり取りを延々と繰り返す関係だ。
ただ、禁書庫を失ったベアトリスが普通に出歩いている場面が増えたことと、時おり思い出したようにスバルの手を握って一緒にいることが増えたりしたが。
「そんなこと言いつつ、俺が恋しくて手ぇ握りにやってきたんだろ?やだ、この子ったらいじましい」
「ベティーの行いに変な意図が介在してるみたいな曲解はよすのよ。ベティーがお前の……スバルに触れ合うのは、やむにやまれぬ事情あってのことかしら」
「お前って言いかけて言い直すところが超可愛いな」
「スバル」
ベアトリスが顔を真っ赤にする前に、エミリアの方から注意が入った。スバルは舌を出してエミリアに詫び、ベアトリスに手を差し伸べる。
その差し出された掌をちょこんと摘まむように指を当て、それから思い直すようにおずおずと小さな掌で改めて握る。それが、ベアトリスのいつもの仕草だ。
掌に感じる、小さな他者の指の感触。くすぐったいようなこそばゆいような、その感触がスバルが必死になって求めたものの成果でもある。
しかし、今回はその反応は返ってこず、ベアトリスは差し出されるスバルの掌を迷うように見下ろすばかりだった。
「どうした?ちゃんとトイレの後は手ぇ洗ってるぞ」
「別にそんなこと不安視してたわけじゃないのに、今後はその危惧がちらつきそうですごい嫌な気分になったのよ!それにそうじゃなくて……」
スバルの余計な一言に目つきを厳しくしながら、ベアトリスは背後を窺う。その態度に首を傾げていると、その答えが廊下の向こうから聞こえてきた。
「ベアトリスちゃん、どこ行ったのー?」
廊下の向こう――角を曲がった先から届いたのは、目の前の少女を探す声だ。高い少女の声には親愛と慈しみがある。
だというのに、肝心の声を掛けられた側のベアトリスは肩を跳ねさせ、
「みゅっ!」
小動物のような声を上げたかと思うと、目を走らせてすぐ近くの部屋へ飛び込む。そして目を丸くするスバルたちにドアの隙間から顔を出し、
「ベティーはここにいなかったと、そう答えるかしら。頼んだのよ」
「おい」
「頼んだかしら」
念押しして、音を立てずに扉が閉められる。何事かと肩をすくめるスバルに、エミリアも困惑した顔で眉根を寄せた。すると、
「あ!スバル!」
廊下の角を曲がり、姿を見せた少女がパッと顔を明るくして駆け寄ってくる。
まだまだ卸し立てのメイド服――その長い裾を揺らし、小走りにやってくるのは赤みがかった茶髪の少女、ペトラだ。
ペトラもまた、ロズワール邸焼失に伴い、こちらの屋敷で厄介になっている関係者の一人だった。スバルとしては、今後も関わり続けることでの危険度を踏まえて村に戻るよう話したのだが、聞き入れてもらえなかったのである。
今も厄介になっているこの屋敷で、フレデリカと同じように雑務を手伝う形でメイド技術の習得に余念がない。向上心高く、しっかりした少女だと思う。
そんなスバルの内心の考えを補足するように、駆け寄ってきたペトラはエミリアに対して丁寧にお辞儀をしながら、
「失礼しました、エミリア様。大きな声を出して申し訳ありません」
と、この態度である。
一瞬前のスバルに向けていた少女らしさが消えて、メイドとしての自覚ある行動にエミリアの方が目を丸くしてしまう始末である。
「え、あ、大丈夫よ。心配しないで。苦しゅうないから」
「エミリアたん、苦しゅうないて」
敬われる経験値が少ないのも、エミリアの立場的に今後の課題といえる。
ともあれ、そんな微笑ましいささやかなやり取りはひとまず置いて、
「で、どうしたよ、ペトラ。何かあったのか?」
「いいえ、そうじゃないんですけど……お仕事が片付いたので、ベアトリスちゃんに構ってあげようかなって。だけど、探してても見つからなくて」
「ベアトリスちゃん……なんだ」
エミリアが息を詰まらせ、それから口に手を当てて笑いを堪える顔になる。
そのエミリアを横目に、頬がにやつきそうになってしまうのはスバルも同じだ。尊大で高慢な素振りを普段から振りまくベアトリスが、よりにもよってペトラという少女に『ちゃん付け』されているのだから。
最初、二人のやり取りを見たときにはスバルも爆笑したものだ。
「エミリア様、どうされました?何か変なこと言いましたっけ」
「ううん、なんでもないの。ただ、すごーくちょっと面白くなっちゃって」
「すごーくなのにちょっと?」
時おり、幼い少女らしさが抜け切っていない部分が表に出るペトラ。そんなペトラに微笑みかけ、エミリアがスバルに横目で「どうするの?」と問いかけてくる。
そのアイコンタクトにスバルは悩むふりをして、
「そうだな。ベアトリスか。あいつ構ってちゃんだから、ペトラも世話を焼くのが楽しくてしょうがないんじゃないか?」
「うん、そう。ベアトリスちゃん全然素直じゃないから、一緒にいてとっても可愛いの。ああいう子、一人にしてたらいけないと思うんだ」
「なんでそう思うんだ?」
「だって寂しがりそうだもん。放っておけないよ」
スマートかつシンプルなペトラの答えに、スバルは「そうだよな」と頷いた。
なんだかんだで色々と言葉を尽くしたが、結局はスバルがベアトリスを禁書庫から引っ張り出した理由も同じようなものだ。子どもの方が真理を突いている。というより、スバルとベアトリスも子どものままの論理をぶつけていたということか。
「スバルまで、なんで笑うの?」
「馬鹿にしたわけじゃないよ。ペトラが天才すぎると思ってな」
「そう?えへへ」
褒められて悪い気のしないペトラの頭を撫で、スバルは頷いた。
それから背後にした扉のノブに手をかけ、一気に開く。
「わぶっ!?」
固い音がして、向こう側で聞き耳を立てていたロリが吹っ飛んだ。
涙目で起き上がるロリの額が、扉がぶつかったことで真っ赤になっている。
「お前、何やってんの?」
「お前の方こそ何をしてくれてやがるのよ!痛い!めちゃんこ痛いかしら!痛い上に約束まで破って……」
「約束まではしてないし、そもそも任せろとも言ってねぇよ。どっちの意見が肩入れしたいか厳選に考えた結果、これはペトラに肩入れした方が面白ぇなと……」
「今、面白いって言った!面白いって言ったのよ!最悪かしら!」
額をさすりながら抗議してくるベアトリスに、スバルは耳を塞いで聞こえないふり。すると、そのやり取りの間にさっと割り込む少女。ペトラと顔を見合わせて、ベアトリスが口を開いて縦ロールを震わせる。
「あ、う、その、これは違うのよ……べ、別に隠れてたわけじゃ……」
「もう、ダメじゃない、ベアトリスちゃん。よそ様のお屋敷でかくれんぼなんてしてたら怒られちゃうよ?遊びたい盛りだから気持ちはわかるけど……」
「な!?べ、ベティーを子ども扱いするのも大概にするかしら!そもそも、ベティーは見た目と違って、ちゃんと……その、ちゃんと」
「ちゃんと?」
「……なんでもないのよ」
聞き返すペトラに、ベアトリスの語尾が弱ったかと思えば白旗が上がる。これにはエミリアが驚いた顔をし、スバルも見慣れない光景に片目をつむる。
ベアトリスとペトラの関係で面白いのが、この謎のペトラの優位性なのだ。
基本、誰に対しても強気で尊大な態度を崩さないベアトリス。例外はパックと最近のスバルぐらいだったのだが、そこに颯爽と乱入したのがペトラだった。
どういうわけか、ベアトリスはペトラに対してだけは普段の態度で接することができないのだ。理由は本人にもわかっていないらしく、こうして納得のいっていない顔でペトラに手を繋がれる姿をスバルも何度も目にしている。
ベアトリスの内心はともかく、傍目には年少の少女が二人。それも美少女の片鱗を見せる少女たちが手を繋いでいるのだから微笑ましいものがある。
微妙にペトラの方が年上の見た目なので、お姉さんぶられているのもベアトリスがうまく対応できずに苦慮している理由の一つだろうか。
「ほら、いこ?スバルとエミリア様のお仕事の邪魔になったらいけないから。それにクリンド兄様が甘いものをご用意してくださったから、ベアトリスちゃんと食べてって。食堂で食べられるから」
「わ、わかったかしら。わかったから……そんな引っ張る必要ないのよ」
手を引き、部屋から連れ出されるベアトリスが困った顔を向けてくるが、スバルはそれに無情にも親指を立てることで応じる。その隣でエミリアも小さく手を振っているのを見て、ベアトリスは舌を出して怒った顔のままペトラに引きずられてゆく。
やむにやまれぬ事情でのスバルとの触れ合いは、今は後回しということだ。
連れ去る少女と連れ去られる少女を微笑ましく見送ると、エミリアが唇に指を当て、
「なんだか、すごーく意外。ベアトリスがペトラに弱いなんて思わなかった」
「だしょ?俺も最初は呆気にとられたもんだよ。見てて微笑ましいから何も言わないけど。それに、ペトラの考えはめちゃくちゃ正しいと思う」
「放っておいたら寂しがる?」
「俺が四六時中構ってやっててもいいけど、それじゃ禁書庫を出た意味がないからね。思い出作るにしても、どうせならアルバムのページと映る人数は多い方がいいさ」
なにせ四百年分、空白だったページを埋めてやらなくてはならないのだ。スバル一人で思い出のアルバムを埋め尽くすのは、ちょっと面白いが一発ネタすぎる。
色んな人が、色んな表情で、彼女の思い出に焼きつけばいい。スバルはシャッターを切るベアトリスの隣で、被写体になったりたまに見切れたりしながら過ごせばいいと思っている。
「スバルって……たまにそういうところ、すごーく格好いいと思う」
「え、なに、マジ?どうしたの、急に確変入ったの!?」
「ホントにたまにだけなんだけどね」
含み笑いのエミリアに、スバルは頬を掻きながら「なんだよー」と答える。
ただ、冗談まじりではあったがエミリアからの賛辞にテンションが上がらないはずもない。この気持ちを忘れず、アシストしてくれたベアトリスをからかうたびに思い出したいと思う。そのためにもからかわなければ。
「目的と手段が入れ替わってる気もするが、そういうこともままある。さて、微笑ましい光景も見たし、とりあえず……」
「そうですね、微笑ましい光景でした。愛らしい魂を持つ少女が二人、手を取り合って笑いながら歩く姿……この世の美観です。眼福」
「きゃっ!?」
気を取り直して次へ、と踏み出しかけた二人にかけられる声に、エミリアが思わず悲鳴を上げる。それほど、声の主の出現は突然で予想外だった。
出現が予想外なら、その場所もだ。その人物はスバルのうなじに息がかかるかと思うほどすぐ真後ろに立ち、何食わぬ顔で会話に混ざってきたのだから。
「これは驚かせてしまい申し訳ありません。ただ、驚きを提供したいという奉仕の心が抑え切れませんでした。暴発」
「く、クリンドさん?」
「ええ、クリンドです。ご気分を害していなければ幸いですが、いかがでしょうか。恐縮」
言いながら腰を完璧な角度で折るのは、痩躯に長身の美青年だった。
青い髪を眉にかかる長さで揃えて、左目にモノクルを付けた人物だ。糊の利いた黒の執事服は、彼に着られることを喜ぶように余すところなく性能を発揮し、所作一つ一つの洗練された立ち姿に思わず背筋が伸びる。
ヴィルヘルムも相対するだけで背筋を正す気配の持ち主だったが、クリンドのそれは彼の剣鬼が放つ気配とは異なるものだ。
ヴィルヘルムの気配が研ぎ澄まされた刃を思わせるものならば、クリンドは清浄な水の流れを前にしているに等しい。物質的な美しさと、観念的な美しさは別物だ。どちらも等しく、心に静謐をもたらすものであっても。
「急に後ろに立ってるとか、クリンドさんも人が悪ぃな……心臓止まるかと思った」
「その場合、私共も持てる力を尽くして蘇生に励む所存でおります。ナツキ様におかれましてもご心配なさらず大丈夫です。ご臨終」
「あれ!?助からなかったよね!?」
丁寧な仕草は崩さないまでも、対応は崩れすぎなクリンド。
ただし、今の振舞いで彼の人格と能力は測れない。佇まいが示す通り、クリンドは使用人として非常に優秀な能力の持ち主であり、ここミロード家の使用人一同をまとめ上げる家令の立場にある人物なのだ。
若年でありながら、屋敷を取りまとめるものとして堂々と振舞う人格。
そしてそれだけでなく、有事の際には剣を持って立ち回ることもできるという話だ。その腕前は初対面の際、ガーフィールが鼻を鳴らして「野郎、かァなりできやがんぜ……」と因縁をつけていたほどだった。手合せの誘いは袖にされていたが。
しかし、それだけ優秀な能力を持つクリンドではあるが、それに反して欠点がいくつかある。その一つが今のような若干の悪ふざけである。そして、
「ペトラはクリンドさんに迷惑かけてませんかね?無理を言って仕事に混ぜてもらっちゃいますけど、それがちょっと心配で」
「ご心配には及びません。あの年頃の少女としては、ペトラは抜きん出て優秀です。能力も美貌も、将来が楽しみでなりません。羨望」
「そうですか、そりゃよか……」
「ですが、将来はペトラも手足が伸び、大人になってしまう。……それがひどく残念でなりません。無念」
眉間を揉み、心底残念そうな顔でそうのたまうクリンド。
これこそが彼の欠点のもう一つであり、最大のものでもある。
クリンドはベアトリスやペトラのような、幼い少女に強い関心を抱くのだ。
ぶっちゃけた話、少女趣味――ロリコンといってもよかった。
「どうされました、ナツキ様。まるで犯罪者かその予備軍を見るような目ですが。何か粗相でもいたしましたでしょうか。確認」
「そのものズバリな意見が出てくるあたり自覚ありそうに思えますけどね。俺は年下属性あんまりないからアレなんですが、さすがにあの年代はどうかと……」
「ナツキ様におかれましては激しい誤解があるように思われますね。苦笑」
苦笑、と言いつつにこりともしないクリンド。彼は整った面差しを嘆かわしげに曇らせ、モノクルの位置を直しながらスバルと向き直り、
「よろしいですか?私がアンネローゼ様やペトラ、ベアトリス様に一目を置くのは彼女たちが幼いからではありません。その魂の若々しさと将来性に惹かれるからです。無垢で純粋なる魂に心惹かれるのは当然のこと。そしてそういった魂の持ち主は、幼い年頃の相手が多いというだけのことです。即ち誤解」
「へぇ……そうなんスか」
長台詞で否定してくれるクリンドだが、スバルとしては半分は聞き流しだ。が、そんな態度も次のクリンドの言葉で霧散する。
彼はスバルの隣に立つエミリアを見て、「現に」と前置きすると、
「私の目は、エミリア様にも先の方々と同じような魂の豊潤さを感じています。清涼」
「私?」
「クリンドさんすげぇな!?」
首を傾げるエミリアだが、スバルはクリンドの目に仰天する他にない。
エミリアの精神が見た目をはるかに下回って幼いことは、エミリアの素性と生い立ちに触れていなければ気付けない事柄のはずだ。それを、クリンドの目は看破し、エミリアが精神ロリであることを見抜いている。
ロリコンの嗅覚恐るべしと、スバルが唖然とするのも致し方あるまい。
「じゃあ、ひょっとしてリューズさんなんかは……」
「外見は非常に愛らしいお方ですが、魂が成熟しきっています。あのように生き方を定めた方に将来性を説くなどと、若輩の私には余る行い。暴挙」
「ぱねぇ……」
ロリババアまで見抜く眼力に真面目に感嘆するスバル。
一方、そんなやり取りを目にしていたエミリアは、クリンドの鋭い性癖についてはさして関心を抱かなかった様子だ。
「ところでクリンドさんにちょっと聞きたいんだけど……」
「ええ、何なりとお尋ねください。ご質問」
「フレデリカは、ロズワールのお屋敷で働く前後はここで働いてたのよね?」
「……そうですね。肯定」
一瞬、クリンドが口ごもった気がしてスバルは眉を寄せる。
エミリアもその躊躇に目を瞬かせたが、そのままの流れで話題を進めた。
「それなら、フレデリカとクリンドさんは付き合いも長かったりするの?」
「フレデリカと私は十年来の付き合い――フレデリカが辺境伯様に連れられてミロード家へきたとき、私もまた下男として働き始めたばかりでした。その頃からの付き合いになるでしょうか。古馴染」
「やっぱり!それじゃ、フレデリカについてちょっと聞きたいの。何が好きかとか嫌いかとか、ガーフィールと仲直りする切っ掛けを作ってあげたくて」
「仲直りの切っ掛け、ですか。思案」
顎に手を当て、クリンドは考え込む。そうして悩む姿すら絵画の一枚のようで、スバルはジャージのファスナーを弄りながら「イケメンはロリコンでも許されるな……」と造形美の落差を嘆いていたりした。
そのまま考え込むこと一分、クリンドは頷いて小さく吐息をこぼすと、
「次のアンネローゼ様の月誕生日の料理は鶏肉を主食に仕上げましょう。計画」
「フレデリカのことは!?」
「……ああ、いけませんでした。彼女について考えようとすると、どうしても脳が思考するのを拒絶してしまうのです。こればかりは私の一存では。ご勘弁」
「ひょっとして、クリンドさんってフレデリカとあまり仲良くないの?」
「とんでもありません。否定」
気遣わしげなエミリアに、クリンドは首を横に振って否定する。
「仕事は確実で作業も早く、気遣いもできる優秀な女中ですよ。ただ一点、メイドという女性を美しく華やかに飾り立てるべき職務を、その外見で台無しにしていることを除けば私から不平不満など何もありません。無縁」
「えっと?なんだかすごい偏見の塊みたいな意見を聞いた気がするんだけど、私の気のせいだった?ね、スバル」
「いや、エミリアたんの気のせいっていうか、クリンドさんのせいだけど」
情け容赦ないクリンドの偏見は、どうやらフレデリカの外見に起因するらしい。確かに初見のインパクトにはスバルも驚かされたが、あれでフレデリカは勤勉な上に性格は女性らしさに優れている。女性として問題があるとは、外見以外には感じない。
「今、ナツキ様が私と同じ結論に達されたのを感じました。看破」
「そうなの?スバル」
「俺、他人の悪いとこ探しする癖やめたいなぁって思い直してるところなんだからやめてくれる!?エミリアたんの見た目は俺の超クリティカルだよ!」
「そんな話をしてるわけじゃないんだから、もう。……でも、ありがと」
うっすら頬を染めて、外見を褒められたエミリアが礼を口にする。
以前には効果が全く見られなかった賛辞が、『試練』を終えて戻ってきたエミリアには多少なり効果がある様子なのが新鮮だ。
パックのファッションチェックの習慣がなくなってしまい、自前で身支度を済ませるのが日常となったエミリアだが、色々とオシャレの試行錯誤もしているらしい。
さすがに長い銀髪をばっさりいこうかと迷っていたときは、その話を聞いた全員で一丸となって止めに走ったものだが。
ともあれ、クリンドからフレデリカについて有効的な意見は聞き出せそうにない。これは早くも手詰まりかと、スバルとエミリアが深い息をついた。
と、それを見ていたクリンドが「察するに……」と言葉を継ぎ、
「先ほどのお話からすると、どうやらフレデリカとガーフィール様の姉弟関係の改善をお望みのご様子。推察」
「ええ、そうなの。でも、私もスバルも兄弟も姉妹もいないからあんまりどうしたらいいか思いつかなくて。それで色々聞いて回ってるんだけど……」
「見た目以外に問題のないフレデリカなら、外見の絡まない問題は放置しておいても勝手にどうにか対処するでしょうというのが私の意見なのですが、それではご満足いただけないものと思われます。ですので一つ。ご提案」
「提案?」
指を一つ立てたクリンドに、スバルとエミリアが揃って同じように首を傾げる。
仕草がユニゾンする二人に、クリンドはこの日、初めて唇を綻ばせると、
「あの二人の関係が気にかかるのでしたら、それこそあの二人にとって最も身近な方からお話を聞くのがよろしいでしょう。第一人者はラムではなく、そちらでは?ご意見」
「第一人者……あ!」
クリンドの言葉に手を叩き、エミリアは遅れすぎた発想に目を見開いた。その隣でスバルも同じ結論に至ったが、それ以上に気にかかったことがある。
それは、
「ラムが第一人者って話。してたの結構前だったと思ったんですけど、クリンドさんっていつから俺らの話に聞き耳立ててたんです?」
「私、このミロード家の雑務と平穏を預かる家令ですので。表明」
答えになっているようななっていないような、そんな返答。
スバルが顔をしかめるのを見届けず、クリンドは恭しく腰を折った礼をする。
それは見るものが圧倒されるほどに、完璧な従者としての所作。
口にしかけた言葉を封じられて、スバルはしょっぱい顔をするしかなかった。