『地獄のその先』
――今、自分はいったい、何を目にしているというのか。
『――――』
金切り声を上げながら、スバルの名を呼んで泣き叫ぶエミリア。
寝台に寄りかかり、うつ伏せになるスバルの肉体には力がなく、カッと見開かれた瞳からは生気が消えて久しい。
当然だ。短刀に喉を破られて、あれほど血を流して生きていられるわけがない。
自分の死体、自分の死に様を俯瞰するという稀有な経験。
まるで死した体から幽霊となって抜け出し、死後の情景を見せつけられているような歪な感覚がそこにある。
そして、その感覚は大部分は間違っていても、肝心な部分は間違っていない。
――スバルが見せつけられているのは、まぎれもなくスバルの死後の光景だ。
『――――』
部屋の内装、その場にいる顔ぶれ、そして無様に死した自分の姿。
それらが合わさり、スバルは自分が今、いったい何の場面を見せつけられているのかに気付いた。
これは、大罪司教ペテルギウス・ロマネコンティを討伐し、エミリアを救った後、レムの喪失を初めて知ったときの、スバルの短絡的な行いの結果だ。
白鯨を落とし、怠惰を撃退し、エミリアとアーラム村を救ったと喜んだスバルは、しかし直後にレムの喪失を知って奈落の底へと叩き落された。
その後、竜車を飛ばして辿り着いた王都――クルシュ・カルステンの別邸で、眠り続けるレムと対面し、彼女の意識がここにあらず、彼女の記憶が誰の中にも残っていないのを確かめた直後、スバルは自分の喉をナイフで突いて自害した。
発作的なことで、何か深い考えがあって及んだ行為ではなかった。
ただ、目の前の光景を否定するために。失われたものをこの手に取り戻すそのために、『死に戻り』に縋って過去をやり直そうとしたのだ。
――だが、その軽はずみな行いは結実せず、自害したスバルが舞い戻ったのは喉を突く直前の、眠るレムとの再会を果たした場面だった。
『死に戻り』のセーブポイントの更新。
無情にも訪れたそれはスバルからレムを取り戻す手段を奪い、スバルを絶望と失望の淵へと再び叩き落した。
その後、レムを取り戻す覚悟を決め、再起を誓って今は何とか立てているが――。
『知ら、ない。……こんな光景、俺は知らない。知らない……知るはずがない!』
見たことのない光景だ。
当然だ。だって、この世界でスバルはすでに死んでいるのだ。
命を落とし、その後に世界に舞い戻る手段を持つスバルであっても、自分が死んだ後の世界がどうなったかまでは把握していない。否、把握できない。
だが、それでもこれまではそのことを意識したことはなかった。
自分が死亡し、世界を舞い戻り、別の時間を歩むことで行き詰まる世界を回避してきたスバルにとって、死した世界は『何が理由で死亡したのか』以外の情報を持ち越すことのできない、通過点に過ぎない。
最終的に求める未来へ辿り着くためのチェックポイントと判断し、『死に戻り』を活用すると決めた今ではそれこそ、この瞬間の世界すらもスバルにとっては通過点という認識の通り道に過ぎなかったのだ。
それが――瓦解する。
『やめろ。やめろやめろやめろやめろやめろやめろやめろやめろやめてくれ!』
目の前の光景を受け入れられず、スバルは声にならない声を上げて絶叫する。
しかし、喉のない体からは声は発されず、目のない顔は背けること叶わず、耳のない頭は塞ぐことできず、意識しかないスバルに世界は結果を刻み付ける。
――スバルの犯した、軽はずみな行いの罰を。
「エミリア様、これは――!」
泣き叫ぶエミリアの声を聞きつけて、惨状に新たに足を踏み入れる人物があった。
鍛えられた肉体を真新しい執事服に包み、負傷の影響を感じさせない歩みを見せる老人――ヴィルヘルムだ。
老躯は滑る足取りで室内に入り込むと、その光景を前にして思わず言葉を失う。
――剣鬼ヴィルヘルムであっても、これほど呆気に取られた顔をするのか。
正面からヴィルヘルムの顔を見ていたスバルは、そんな場違いな感想を得た。
それほどまでに、スバルの屍を見下ろすヴィルヘルムの表情は平時を逸脱し、動揺を隠せずにいたのだ。
「いったい、何が……いや、今は……スバル殿!」
しかし、ヴィルヘルムが混乱したのも一瞬のことだ。
彼は頭を振り、即座に意識の混乱を鎮めると、崩れ落ちるスバルに駆け寄る。力のない肉体に取り縋るエミリアが、駆け寄るヴィルヘルムに気付かないまま、
「スバル……スバルぅ……うそ、つきぃ……一緒にって、言ったの、に……」
「エミリア様、申し訳ありません――!」
呪詛のようにスバルの裏切りを弾劾するエミリアを、ヴィルヘルムが押しのけて屍の前からどける。体を支える力をなくしたエミリアが床に横倒しになるが、ヴィルヘルムは刹那だけエミリアに向けかけた意識をスバルに戻し、おびただしい鮮血に濡れるスバルの蘇生にかかる。
「――――」
険しい顔で、ヴィルヘルムは上着を脱ぐとスバルの喉を布地で覆い、突き刺さる短刀を躊躇せず抜き取る。一瞬、噴き出す血がヴィルヘルムの凶相を斑に染めるが、ヴィルヘルムは瞬きすらせずに傷口を塞ぐ。
血を止めて、鼓動の止まっているスバルの胸を上から叩いて活を入れ、
「フェリス!フェリックス!早くこい!!火急だ!急げ!!」
部屋の外へ怒声を張り上げ、ヴィルヘルムはスバルの傷を押さえながら蘇生を続ける。だが、流れ出した血の量があまりに多い。手足や顔も血の気を失い、ナツキ・スバルという魂がすでにその場所に残っていないことは、誰の目にも明らかだった。
それでも、ヴィルヘルムは蘇生の手をやめようとしない。
「ヴィル爺、大声で何を……ッ」
「フェリックス、急げ!刃物で喉を突いている!一刻を争うぞ!」
「――――!」
呼ばれて駆けてきたフェリスが、ヴィルヘルムの指示に即座に頷いて青い波動を掌にまとい、倒れるスバルの体に治癒魔法を送り込む。
常から飄々とした態度を崩さないフェリスの横顔に、かつてない真剣さが宿っているのを、魂の抜け殻になった自分を見下ろしながらスバルは見ていた。
『もう、やめろよ……無駄だ。無駄だよ。そいつはもう、助からない……』
何をしても、無駄なのだ。
スバルの記憶に、自害しようとしてから救われた記憶など残っていない。
ナツキ・スバルは現実を否定しようとして発作的に短刀で喉を突き、大勢の心に消えない傷を残し、そのことに何ら呵責すら覚えることなく消えていったのだ。
それが事実だ。それがこの二人の献身の、届かない結末なのだ。
「逝かせぬ!決して、逝かせはせぬ!恩人をこのような形で失うというのなら、私は恥にかけて生きてなどおれぬ……!」
「こんなときになんでこんな馬鹿な真似……ッ」
傷を押さえるヴィルヘルムが執念を叫び、フェリスが苛立たしげに吐き捨てながらもこの世で最も優しい魔法を行使している。
その情景に、二人の感情の波紋に、スバルの心は衝撃に打たれ続ける。
しかし、そんな二人の懸命な努力も――。
「――――」
「フェリックス!なぜだ!なぜ、治療を止める!このままでは……」
「もう、おしまいだよ、ヴィル爺。――もう、魂がどこにも、残ってない」
詰め寄るヴィルヘルムを掌で押しのけ、フェリスは剣鬼が押さえていた上着をどけて、懐から出したハンカチで傷口を拭う。傷跡は綺麗に塞がり、致命傷を負っていた身とは思えない、つい数分前の健在なスバルを取り戻していた。
ただ、流れ出してしまった大量の血と、抜け落ちてしまった魂がそこにない。
傷を拭い、青白くなった死相を浮かべるスバルを見下ろし、ヴィルヘルムは首を横に振りながら、
「なぜ……なぜなのだ!なぜ、こうも容易く……スバル殿、あなたは……!」
拳を叩きつけられる床が、硬い音を立てて爆ぜる。
割れた床の破片に血が混じるのは、殴りつけたヴィルヘルムの拳も一緒に割れたからだ。拳から血を滴らせるヴィルヘルムは、無念の余りに唇を噛み切っていた。
激情を露わにするヴィルヘルムを正面に、フェリスもやり切れない顔でスバルを見下ろしている。彼は自前の獣耳を垂れさせながら、安らかとはいえないスバルの死相を見つめて、
「……弱虫の、腰抜け。大切な人、みーんな置き去りじゃにゃい。……辛いのも、苦しいのも全部、みんなに押し付けて……それで、満足にゃんだ?」
皮肉というには苛烈で、弾劾というには慈悲深すぎる。
フェリスの声音に秘められた感情の複雑さは、思考の凍結してしまっているスバルの意識では今は理解に届かない。
ただ、ヴィルヘルムとフェリスの態度からはっきりとわかった。
――取り返しのつかない行いを、スバルは二人に対して叩きつけたのだと。
「――――」
完全に、思考が停止してしまっている。
自分は今、何を見せられているというのか。
わかっている。何を見せられたのか、そんなことはとっくのとうに。
罪を、見せられているのだ。
「――エミリア様?」
ふいに、下を向いていたヴィルヘルムがその名を呼んだ。
声音に訝しげな音色が混じっていたのは、すすり泣くようなエミリアの声が途切れ、横倒しになっていた彼女の体が震えすら止めていたからだろう。
その変化を察し、ヴィルヘルムの表情に痛ましげな感情が走る。つい今、彼もまた喪失感を味わったばかりであり、自分よりさらに身近であるエミリアがどれほどの衝撃を受けたのか、それを慮ったが故の表情だ。
老人が一度、強く目をつむってから立ち上がる。
そして、倒れたままのエミリアの側へ歩み寄ると、その体を起こそうと手を伸ばした。
「先ほどは申し訳ありませんでした、エミリア様。ですが、そのままではお体にも障ります。どうぞ、ご自愛を……」
「――って、言ったのに」
「エミリア様?」
「私を好きって、言ってくれたのに……っ」
横倒しになったまま膝を抱えて、エミリアが小さく丸まって泣き叫ぶ。
その姿を子どものようだ、と叱ることができるものはこの場にはいない。ヴィルヘルムは痛みに耐えるように眉を寄せ、そしてフェリスすらもエミリアの傷心する姿を見ていられないと顔を背ける。
そして――、
「え?」
呆然と、フェリスが目と口を開けて間の抜けた声を漏らした。
その声に誘われるように、ヴィルヘルムもフェリスの視線を追いかけ、愕然とする。
「――――」
――二人の目の前で、完全に朽ち果てたはずのスバルが体を起こしていた。
『――――!?』
その理解を越えた光景に、意識だけのスバルもまた驚愕する。
起き上った肉体、まるでゼンマイ仕掛けの人形のようなぎこちない動きで手足を伸ばして立ち上がり、首だけが九十度傾いたままゆっくりと目が開かれる。
焦点の合わない瞳が、光を失った眼が、部屋の中を睥睨した。
「ふぇり……」
「あり得ない!肉体は間違いなく死んでた!蘇生は、失敗した!」
ヴィルヘルムがかすかな希望に縋るようにフェリスを呼ぼうとし、その途中でフェリスはその意を察して自分の見解を叫ぶ。
それを聞き、ヴィルヘルムもまた即座に己の行いを決断する。
即ち――、
「スバル殿、御免――!」
帯剣していなくとも剣鬼の技の冴えには一切の陰りがない。
ヴィルヘルムは床に脱ぎ捨てられていた上着を屈む動作で拾い上げ、スバルの鮮血で湿ったそれをねじりながら全身の動きで槍のように射出する。
速度に乗り、血という重りを加え、先端をひねりながら空気を穿つそれは布の槍だ。布槍術とでもいうべき技術で、立ち上がるスバルに先制を打ち込む。
狙い違わず、上着の先端は吸い込まれるようにスバルの顔面を穿ち――、
「――ぬ」
足下から湧き上がる影の滝が布を飲み干し、ヴィルヘルムの打突を消滅させる。
予備動作のないそれを目にし、ヴィルヘルムはとっさに腕を引いたが――被害は免れない。右手の指が三本、布ごと第一関節を根こそぎ持っていかれる。
飛び退き、血を滴らせるヴィルヘルムは舌打ちし、立ち尽くすスバルから距離を取りながら、
「フェリックス!エミリア様を連れて即座に離れろ!私がここで足止めする!」
「剣の一本も……短剣しか、持ち合わせがにゃいの!」
転がるように部屋の隅へ移動し、フェリスが腰に備えていた短剣をヴィルヘルムへ放る。左手でそれを受け取り、手首の回転で鞘から抜き放ったヴィルヘルムは、「短い獲物は感触が違う」と呟きながら、
「屋敷を脱し、クルシュ様に指示を――いや、今は駄目なのだったな。フェリックス、お前の判断でいい。騎士団を引っ張ってこい」
「ヴィル爺一人じゃ、キツイ雰囲気?」
「白鯨と同等の、あるいは……スバル殿は、内に何を飼っておられたのだ」
相手の戦力を推し量り、ヴィルヘルムが脂汗を浮かべながら息を呑む。
警戒を露わにする剣鬼の前で、スバルはだらりと両腕を下げたまま、何を見るでもない視線をさまよわせ、ふらふらと上体を左右に揺らしていた。
理性は、ない。おそらくは意識もまばらだ。
問題はそんな状態にありながらも、自己防衛の意識はあるということか。
じりじりと、得体の知れない存在と化したスバルと睨み合いを続けるヴィルヘルム。
一方で、その様子を俯瞰しながら、疑問符の嵐にもまれているのはスバルの意識だ。
先ほどまでと、明らかに風向きが変わっている。
罪と見せつけられて、心を折り砕かれたスバルは、その上にさらにわけのわからない死後の世界を見せつけられている。
この光景はいったい何なのか。
本当にあったことだとでもいうのか。ないのだとしたら、この光景に何の意味があるのか。どうして、自分の意識は今、こんなところにあるのか。
何もかもわからない。何もかもがわからないが――。
「フェリックス!エミリア様を――!」
「わかってるってば!エミリア様、こっちに……!?」
急がせるヴィルヘルムにフェリスが応じ、部屋を横切る彼が倒れるエミリアを乱暴に引き起こす。しかし、直後にフェリスの表情を激震が走った。
その理由は、
「――リアを、よくも泣かせてくれたな」
白い大気を生み出しながら、部屋の中央に小さな影が舞い降りる。
灰色の体毛、体長と同じぐらい長い尾、掌に乗るような大きさでありながら、発されるプレッシャーは見上げるほどの獰猛な獣と接触したと勘違いするほどのもの。
久しく姿を見ていなかった、小さな大精霊が部屋の中央に浮かび、スバルを見下ろしている。その表情にはわかり難い険があり、呟かれた言葉には憎悪があった。
「その体の持ち主の蛮行も含めて、万死に値するぞ――魔女め」
狭い室内に冷たい殺意が蔓延し、白い息を吐くヴィルヘルムが殺意を氷の切っ先へ変えるパックを見て表情を固くする。
「精霊……エミリア様が、まさか」
「リアは今、意識がない。契約に基づき、ボクはボクの判断で動く。魔女は許さない。リアは守る。――リアを泣かせた、その男も許さない」
「今!ここで争ったら被害が――」
「誓いは破られ、ボクのリアは心を凍らせた。――もう、終わりにするよ」
ヴィルヘルムの訴えを聞かず、パックの冷たい殺意はその確度を増していく。
白い大気が室内に満ち満ちて、凍てつき始め、あらゆるものが死に始める。吐息すら凍りかねない世界で、そのパックの殺意を一身に浴びるスバル。
そのスバルが首をもたげ、初めてパックを見た。
何も映さない瞳が宙を浮くパックを見つめて、ふいに瞼が動く。
そして、
「――――」
嗤った。
スバルの死体が頬を歪めて、パックを見て嗤った。
邪気に満ちた、歪で引き歪んだ、嘲るような表情で。
『――――やめ』
そこまでを見届け、スバルの意識は決定的な破局を前に制止を呼びかける。
しかし、それは届かない。
小さな手を持ち上げ、振り下ろすパックが室内に小規模の氷河を生み、絶対零度がスバルの死体を飲み干そうとする。それを、噴き出す影が真下から打ち返し、マナの奔流が狭い部屋の中を荒れ狂い、渦中にいたヴィルヘルムとフェリスすらも巻き込んで爆裂――悲鳴と絶叫、凍てつき、割れ砕ける音が連鎖し、スバルの目の前を白い終焉が黒い絶望を入り混じりながら埋め尽くされ。
『――――!!』
ぷつりと、電源が落ちるように世界の色が失われた。
※※※※※※※※※※※※※
「――――ぶ」
顔面が地面に叩きつけられる痛みに、スバルの意識は覚醒をもたらされた。
顎を湿った床に打ち付け、鋭い痛みに涙を浮かべてスバルは頭を振る。
と、即座に顔を上げ、周囲に素早く視線をめぐらせる。――異常は、ない。
「ぼ、墓所の、中……」
冷たい空気と暗い空間、湿った床の感触に饐えた臭いは紛れもなく墓所の中だ。
それを確かめ、次にスバルは両手を開閉し、手足に違和感がないのを確認。荒かった呼吸も徐々に落ち着き始め、深々と肺の中身を空にすることで無理やりに落ち着きを呼び戻す。
だが、内臓が根幹から震えるような感覚を追い払うことだけはできなかった。
「白昼夢……なんて、都合のいいもんなわけがねぇ。けど、あれは……」
いったい、なんだったというのか。
意に沿わぬ光景を見せつけられたスバルは、自分が今、どんな状況に置かれていたのかを振り返る。
まず間違いなく、先の光景は『スバルが死んだ後の光景』だ。
スバルの死を目の当たりにしたエミリアの絶叫と、ヴィルヘルムやフェリスの届かなかった献身――そして、最後の悪夢のような力のぶつかり合い。
前半がスバルの心に刻みつけた傷跡と、後半がスバルの心に生みつけた疑心は理解不能と制御不能を魂に叩き込んできていた。
「う、ぶ――」
思い出した瞬間、スバルは臓腑を絞り上げられるような苦痛に背中を折り、胃の中身を床にぶちまけていた。
そうはいっても、夕食すらまともに腹に入れていない身だ。出たのは小一時間前に飲んだお茶の水分が少々と、黄色っぽい胃液のみ。
それを盛大に吐き出す素振りを繰り返すことで、胃を収縮させて肉体の要求に答えた振りをする。
そうして嘔吐を何度も何度も繰り返しながら、スバルは自分が置かれた状況の変異と、その原因について心当たりがあることに気付いた。
墓所の中、エキドナの夢の城に招かれていないのだとしたら、意識を喪失して呼び込まれる場所は一つしかない。
「まさか、『試練』か……過去じゃなく、二つ目の……!?」
過去と向き合わされた第一の『試練』とは別の、第二の『試練』が始まった可能性。
そのことに気付き、スバルは愕然とする。
確かにスバルにとって、第一の『試練』を乗り越えたのはすでに数日前の話だ。が、それは魂に限った話で、こと肉体においてはこの世界での数時間前の出来事に過ぎない。つまり、本来の『試練』の次の段階へ進む条件を満たしていないはずなのだ。
それなのに『試練』が始まったというのなら、それはイレギュラーであるとしか言いようがない。何より、エキドナの話では、
「過去と、向き合うほど辛い『試練』じゃないって、言ってたが……」
――仮に、スバルが先ほど見た光景が『試練』の一部だというのなら、その表層をなぞっただけにも拘わらず、最悪の展開であることが感じられた。
あの光景は、スバルにとって、地獄のその先だ。
地獄ならば、スバルは何度も見てきた。そのことは自覚があった。
そして最善の未来を掴むためならば、その地獄を何度でも見る覚悟をしていた。
――だが、地獄のさらにその下の、地獄以下の世界を知る覚悟など。
『ありうべからざる今を見ろ』
「――――な!?」
恐ろしい体験を前に、引くか留まるかで迷っていたスバルの耳朶を、唐突に誰かの囁きが掠めていった。
そのことに驚き、体を強張らせた途端――意識の喪失が、肉体に訪れる。
腕をつき、支えていられずに肩から再び床に倒れ込む。
意識を保っていようと懸命に顔を上げるが、瞼も首もその見えない力に逆らうことができずに一気に奈落の底へと引き込まれる。
――『試練』が、地獄のその底が、再びスバルを迎え入れる。
『――――』
瞼を開いたとき、スバルは自分が草原の中、ユリウスの刃に首を裂かれて死亡している現場に出くわし――己が罪を、再び自覚させられることとなった。