『オールイン』
啖呵を切って互いに道を分かった瞬間、スバルの虚勢は剥がれ落ちていた。
自分で自分がわからない。
常日頃、暇な時間を費やして行っていた自己分析の積み重ね。それらの診断結果を振り返れば、こんな状況で自分がどんな選択に出る小者なのかぐらいわかっていた。
なのに今、こうして走っている自分がいるのが理解できない。
いつからこんなバカなことを、こんな意地を張るような男になったのだろうか。
あの姉妹に負い目を感じさせないために、泣きそうな痛みを堪えて顔を上げるなど、完全にまったくもって自分らしくない。
背を向け合い、距離が開いたのが足音でわかる――途端、スバルの表情は決壊。
鋭いのと鈍いのと、両極端の痛みがひっきりなしにやってくる。盛大に顔をしかめて、歯を剥いて舌を出しながら、
「いってぇ、いてぇよぉ。いてぇ、母ちゃん、父ちゃん、エミリアたん……!」
人生三大依存対象の名を呼び、ぶらつく右腕をちらと横目にする。
さっきから断続的に響く痛み。力が入らないくせに、揺れるたび脳みそに電極を刺したような痺れが走る。おそらくは脱臼、だと思いたい。
レムの角への一撃――それを食らわしたあと、着地失敗によって生じた負傷だ。落下地点が土の上だった幸運と、とっさに右半身から落ちることができた幸運、それらが重なったおかげでこれだけで済んだ、というべきだろう。
下手を打てば頭から落ちて、かち割られてもおかしくない状況だった。
縦回転しているのに、落ちるときは必ず頭側――自分のステータスのラックがどんな表記になっているのか非常に気になる。
「高所からの転落時、必ず頭から落下するこの現象。マーフィーの法則をリスペクトして『真・マーフィーの法則』と名付けよう」
つまりスバルが頭部から落下するのはまだ見ぬマーフィーさんのせいだ。
おのれマーフィー、とバカなことを考えていると、痛みから気が紛らわせるような気がする。ついでに、目の前の障害への恐怖心も消えてくれると万々歳なのだが。
眼前、走るスバルに立ちはだかるのは、すでに何度目の邂逅になるのか、数えるのもわずらわしい子犬の魔獣だ。
性懲りもないのを通り越して、スバルに恨みでもあるのか疑いたくなるレベルの執念深さである。
「そろそろお前とも最後にしたいもんだな……」
走りながら、スバルは魔獣が放つだろう土石流に備えて身構える。
今度こそ無防備にアレを食らえば、右肩の脱臼だけで済むはずもない。失神KOの後に捕食エンドが一番苦しまないルート――それ以外は想像したくもなかった。
嫌な想像を頭を振って振り切り、獣道の足場と横にそれる動作をシミュレーションする。土砂流の発動と同時に形振り構わず横道ダッシュ。
くるならこい、と半ばヤケクソ気味に改めてジャガーノートに向き直り、
「ふぁい?」
思わず、空気の漏れる間抜けな声が出る。
それもそのはずで、そこにはスバルの目を疑うような光景が広がっていた。
子犬の魔獣が小さくうなり、その小さな体をさらにギュッと縮める。全身の力をたわめるよな仕草。そのままなにをするのか、と目を細めるスバルの視界を、
「――ッ!」
爆発的な勢いで毛玉が肥大化する。
手の中に収まるサイズだった室内犬が、まばたきの間に大型犬の頭に超ド級とつけていいぐらいのサイズへ変貌――ぽかんと口が開き、
「漫画とかでよくあるパターンだけど、その余分な質量ってどっからきてんの?」
問いかけへの答えは森を震わせる咆哮だ。
地を叩く勢いで弾み、後ろ足二本で浮き上がる体を支える。そしてジャガーノートは空いた二本の前足の爪を打ち合わせ、一撫でで骨まで削ぎそうな爪を見せつける。
ことごとく魔法による致命打を回避されてきたのが癇に障ったのか、スバルに対して奴が選んだ最後の相対は直接こちらの首を抉ることらしい。
だが、
「俺がそれに付き合う理由がねぇよ!」
記憶が確かならば、スバルの体にあの子犬――元子犬の牙が届いたはずがない。つまり、危険を冒して呪いの解呪を狙う理由が奴にはない。
ともなれば、即座に道を変えて奴との接触を避ける方向へシフト。が、
「――うぇ」
横手にそれて戦線離脱を狙うスバル。その逃げ道を塞ぐように、追い上げながら並走してくるのは牙を剥き出す魔獣の影だ。
とっさに反対の方に目を向けるが、そちらにも同じく複数の影。そして背後から届いてくるのは、ひっきりなしに聞こえてくる数え切れない草を踏む足音――。
「あんもう、俺のフェロモンにメロメロかてめぇら――クソったれ!」
囮としての役目は完璧だ。異世界召喚されて初めて、スバルは自分にしかできない天職に巡り合った。唾を吐き、即座に返上したい名誉職だが。
一度気付いてしまえば、思わず足が鈍りそうなほどの気配が周囲を取り囲んでいる。おそらく、この森中にいるジャガーノートがこうして一挙に集まっているのだ。
それも全ての魔獣の目的が、スバルの喉笛を噛み砕くことだなんて心が震える。
ああ、まったく、本当に。
「美少女姉妹より俺狙いとか、趣味の悪さが鬼がかってんぜ、お前ら」
ビビって震えて、小便を漏らす暇もない。
逃げ道を塞がれ、取り囲む魔獣の群れはスバルに真っ直ぐ走ることを無言で強制している。それはつまり、あの巨大魔獣と一騎打ちということだ。
正面、凶相をまるで禍々しい笑みのような形に歪めるジャガーノート。
袋叩き前提の一騎打ちは避けられない、スバルは諦め気味にそう判断する。
――その結論を得た瞬間、スバルは己の切り札を切る決断を下す。
懐に手を入れてポケットをまさぐる。石の感触。砕けたお菓子の手触り。なんかベトベトする布の不快感。そして、
「あとは、パックを信じる……!」
取り出したそれを口の中に放り込み、灰色の小猫に全霊の祈りを捧げる。
口の中を転がる丸いそれを奥歯で固定し、目を見開いて前を見た。
スバルと魔獣、その間の距離はもうほとんど残されていない。
あと十秒もかからずに、お互いの手がお互いに届く位置までいく。
そのときだ。
「――スバルくん!!」
聞こえた。
今、スバルの名前を呼ぶ声が聞こえた。
その声がひどく悲痛な響きで、避け難い絶望感に満ちていて、まるでこの世の終わりを目撃しているかのように弱々しくて、スバルの生死にそれだけ心を砕いてくれているのがわかって――不覚にも、嬉しいとスバルは思ってしまった。
我ながら酷すぎる。変態だ。変節漢だ。
スバルの名前を叫んだ彼女がどんな気持ちで今いるのか、想像ができないわけじゃないくせに、それでも笑えてしまう自分は完全に頭がおかしい。
その異常な思考を自覚して笑い、それを最後に笑みが消える。
動く左手で腰の剣――折れた片手剣を腰溜めに構えた。
魔獣の咆哮が正面からくる。
それを追い払うように、負けじとスバルも怒声を張り上げた。
声が裏返り、聞き苦しい叫びが上がる。しかし、裂帛の気合い。互いに互いを睨みつけながら、魂と魂をぶつけ合う。
接触まであとほんのわずか、その直前、スバルは息を深く吸う。
イメージするのは、己の体のど真ん中。
胸と腰の間、丹田的な部分に内と外を繋ぐ『門』を意識し、叫ぶ。
「――シャマク!!」
直後、黒雲がスバルを中心に爆発したかのように発生。
それは発生源であるスバルを真ん中に、彼の周囲にいた全ての魔獣を飲み込んで、森の決戦を闇の中へと閉ざしていった。
※ ※※※※※※※※※※※※
――黒い靄の中には無理解の世界が広がっていた。
世界の形も、色も臭いも、一切がその中にあっては把握できない。
ゆいいつ、足の裏――地面と接するそこだけが、固く確かな感触を伝えてきてくれている。それがなければきっと、この暗闇の中で上下の感覚すら見失っていただろう。
なにも見えないということ。なにも聞こえないということ。なにもわからないということ。
それは世界が終わっているということだ。
自分の中で確かなものが靴裏から伝わるそれしかないことを理解しながら、スバルの脳は懸命にひとつの事柄に従事していた。
それは思い出すということ。
黒い靄にごっそりと持っていかれてしまった頭の中身、それをどうにかして取り戻し、自分がしなくてはならなかったなにかを実行に移す。
足が前に出るために地面から離れ、一瞬で全てを喪失する。
が、代わりに反対の足が地面を踏んだことで再び理解が戻ってくる。靴裏だけに真実がある。ただし、本当に前に進んでいるのかはもうわからない。
無理解の中で、ゆいいつ実感のあるそれに縋りそうになりながら、スバルの脳は安楽を求める意識に反発して戦うことを求めている。
失われたなにかを取り戻さなくてはならない。それをしなくては、きっと取り返しのつかないことになる。
またも足が離れ無理解が到来、反対の足が地面を噛んで理解が帰還する。だが、今度のそれはどこか頼りなく、ゆるんでいるのがわかる。
なにが、なにが、なにが、なにかが足りない。
思い出せ、無理解の世界の前を、理解ある世界を。
なにがどうしてこうなった。誰がどうやってそうした。
なんのために、誰のために、打開するにはどうすればいい。その条件を用意してはいなかっただろうか。
思い出せ、思い出せ、思い出せ――。
脳が命じるがままに思考に火花が散り始める。
しかし、届かない。どうしても掴み切れない。あと一歩、なにかが足りない。
一歩、踏み出す足の次がこない。足が止まっている。止まった理由はなにか、ひどく、力ない力しか足にこもっていないのがわかる。
なぜか、どうしてか、それを予想していなかったのか。
だとすれば、手段は用意したはずだ。思い出せ、実行しろ。
体の外がダメなら、中に問いかけろ。無理解に包まれた外側は無理でも、常に無意識と行動している内臓全てに呼びかけろ。
役割を果たせ、動けるパーツは動け、それを果たして、やっと――。
「――――!!」
ふいに、燃え上がるような感覚が体の中にわき上がる。
いてもたってもいられないような熱情が体内を荒れ狂い、スバルの喉は言葉にならない獣じみた雄叫びを上げる。いや、上げたと思う。それもわからない。
わからない。わからないのだが、足が動き出した。
足が再び動き出す力を得た。前に出る。前だと思う方向へ足を出す。
理解、無理解、理解、無理解、理解、無理解、繰り返しそれが訪れ、消えては戻り、消えては戻り――やがて、
※ ※※※※※※※※※※※※
黒い靄をぶち破り、外に飛び出した瞬間、スバルはすさまじい手ごたえを得た。
腕の中、片手に握りしめていた剣がもぎ取られるほどの衝撃。
とっさに視界をめぐらせて、その衝撃の結果を見やってスバルは驚愕を噛み殺す。
黒い靄の中、いまだ頭を突っ込んだままの巨躯の魔獣――その胴体に、スバルの掴んでいた片手剣が深々と突き立てられていたのだ。
思いがけずの一撃は、スバルの手の中に感じたことのない感触を返していた。
切れ味の鈍い刃で、生きている動物の体内に刃を潜り込ませる感覚。それは想像以上の精神的な衝撃をスバルにもたらしていた。
これまで、スバルが魔獣と向き合い、その結果として命を奪ったのは二回。一度は偶然で、二度目は故意。しかし、その感触が明白に手の中に残るような手段を取ったのは今回が初めてのことだ。
そしてそれは、この場において場違いなほどの不快感をスバルに与えるものだった。
温かい生き物を今、殺しているという感覚。
いまだ無理解の世界にある魔獣は、自らの身に訪れる死を意識できない。
見れば、スバルの駆け抜けてきた黒雲は膨大な範囲に及んでおり、そこから飛び出してくる魔獣の影はひとつとしてない。
スバルと違い、一切の心の準備がなかった状態でのこれだ。
無理解の世界に一度沈んでしまえば、その頼りなさに立ち止まることをどうして臆病だなどと笑えるだろうか。
ふらつきながら、スバルは今の内に距離を取るべく、のろのろと走り出す。
頭が重く、全身がだるい。それはパックにも指摘された、ゲートの開放が不完全なスバルの魔力行使による、過大なマナ放出による負債の影響だ。
本来ならば体の中のマナを全て吐き出し、その場に倒れて立ち上がれなくなるはずだった魔法の実行――それをスバルは、切り札によって打破して抜けた。
「……感謝しといてやるぜ、ガキ共」
口の中にわずかに残った果実の皮を吐き捨てて、スバルは小さくそう呟く。
吐き出した果実――それはスバルにとって、味わうのが三度目に当たる果物のものだ。
ボッコの実。体内のマナを活性化し、枯渇した肉体にわずかに力を取り戻させるドーピングアイテム。
どこから拾い集めてきたのか、レム救出に向かうスバルに子どもたちが持たせた役立たずの中にそれはあった。
その存在を確認した瞬間から、このプランだけは頭の中にぼんやりとあった。
魔法を行使した瞬間、実をかじれば動くことは可能かもしれない。
命を賭け金に挑んだギャンブルだったが、天秤がどちらへ傾いたか――それは、この状況でスバルの命が残っていることが証明している。
結界がある、とラムの明言があった方角へ足を向ける。
未熟でマナも不足したスバルのシャマクが、どれだけもつのかわからない。
これ以上の時間稼ぎはできない。とにかく、少しでも結界に――。
「――あ?」
だが、そのスバルの目論見は、
「て、めぇ……」
突如として右の脇を掠めた爪の一撃によって、即座にとん挫した。
鋭い痛みが出血を報せ、スバルは苦痛の呻きを上げて膝を屈する。しかし、それを為した敵はスバルに跪くことを許さない。
太い腕を伸ばし、その刃物のような爪の伸びる腕を器用に動かすと、スバルの体を軽々と抱え上げて、
「クソったれ」
目の前にくわっと口腔が広がり、血に濡れた牙と生臭い息が顔面にくる。
巨躯の魔獣の妄念にスバルは天晴れとヤケクソ気味に笑い、
「お前がくたばれ――!」
突き刺さっていた胴の剣を力ずくで引き抜き、その開いた口の中に思い切り叩き込んでいた。
「――――!!」
口内に発生した致命の一撃に、魔獣はスバルの体を放り出す。
その際、剣を手放さなかったスバルはさらにその口の中を刃で蹂躙。ズタズタに切り裂いた上で地べたに投げ出されて転がり、前のめりに構える。
「ああ!どうした、オラァ!こいや、クソがぁ!!」
「――!!――ッ!!」
顔を振り乱し、狂乱の形相をこちらに向けてくる魔獣。
向き合い、スバルもまた血まみれの全身をゆすり、さらに刃の砕けた剣を正面に構えて口汚く挑発の声を上げる。
頭に血が上り、互いに互いしか見えていない。
目論見が何度も叩き潰され、スバルの方もすでに冷静さはどこかへいってしまっている。もはや、目の前の害獣を始末しないことには前へ進めない。
そしてそれは向こうも同じこと。奴もまた、スバルを殺さなければ体の中に吹き溜まった醜悪な感情を処理できないのだ。
互いに臨戦態勢に入り、切っ掛けひとつで火蓋は切られる。
そんな爆発寸前のひとりと一匹――いや、二匹の獣の対峙は、
「――ウルゴーア」
空から降り注いだ炎弾の直撃によって、永遠に中断されることとなった。
「ううぉああ!?」
顔を覆い、衝撃に呑まれながらスバルの体は後ろへ吹き飛ばされていた。
突如、目の前の地面が爆ぜたのだ。衝撃は高熱を伴い、すでに傷だらけで痛みを訴えかけていた全身にさらに火傷のダメージを追加する。
切り傷、噛み傷、擦過傷に打撲傷、火傷に心の傷ともうボロボロの状態だ。
「いったい、なにが……」
転がされた地面の上で頭を振り、スバルは痛みに呻きながら顔を上げる。
そして、眼前の光景を見て、もはや今日何度目になるのかわからない驚愕。
スバルの目の前で、魔獣の巨躯が燃え上がっている――。
その黒い体毛を丸ごと炎に包まれて、ジャガーノートは全身を振り乱しながら苦痛を露わにしている。だが、もがけばもがくほど、絶叫すれば絶叫するほどに炎の勢いは増していき、やがて巨体は重々しい音を立てて大地に落ちる。
それでもしばらくは身悶えして苦しみを訴えていたが、それも次第に収まり、最後には黒ずんだ肉の塊が転がっているばかりとなっていた。
思いがけない魔獣の最後、そしてスバルを驚かせたのはそれだけではない。
ジャガーノートを焼き殺した炎弾――空から降り注ぐそれは一度きりで終わらず、次々と飛来しては黒い靄の中に撃ち込まれていくのだ。
広がる闇、そこに着弾した炎がどんな威力を発揮したのかは外からは見えない。
だが、結果を想像することだけはできる。
あの晴れない闇の中には、いまだ無理解に沈む魔獣の群れが取り込まれていた。
彼らは降り注ぐ炎の存在を知覚することすらできず、自らの体が焼かれていくことにすら気付けず、命が失われたことすらわからないまま死ぬだろう。
それは慈悲であるのか、無慈悲であるのか、もはやスバルにはわからない。
わからないが――、
「いやいやぁ、しぃかし考えたものだねぇ。本来は目くらましとして使うシャマクを、敢えて目印として利用するとは」
その喜劇とも悲劇ともつかない事態を生み出した人物が、へらへらと笑いながら姿を現したことだけは確かだった。
藍色の長髪を風になびかせ、青と黄色の色違いのオッドアイ。痩せぎすの長身を見慣れた奇抜な衣服に押し包み、彼は悠然と魔獣の森に降り立った。
屋敷の主。宮廷魔術師。肝心なときにいない役立たず――ロズワールの到着だ。
彼は着地した足の裾を払い、それから長い髪を背に流すとスバルを見下ろし、
「あはぁ。ずぅいぶんと、ひぃどい有様だ」
「くんの超絶遅ぇよ、ロズっち。俺がなんべん死を覚悟したと思ってやがる」
たぶん片手じゃ足りないだろうと思う。
思い返しながらちょっと気分が沈むのを自覚し、しかしスバルは安堵感から思わずその場に腰を落とした。
「それにしても、よくアレが俺だってわかったな」
「村でエミリア様にさぁんざん釘を刺されたかぁらねぇ。『無茶でも無謀でも、追い詰められたらきっと魔法を使うから、空を飛んでたら見落とさないで』ってぇね」
「ベア子め……あっさりエミリアたんにばれてんじゃねぇか」
エミリアにばれないよう、うまく誤魔化す係は彼女では力不足だったらしい。
こうしてロズワールの奇跡的な介入があったことを思えば、まぁ結果オーライと言うべきなのかもしれないが。
そんな風にスバルが状況を振り返っていると、
「ロズワール様――っ」
黒い靄を迂回して、茂みを揺らしながら姿を見せたのはラムだ。レムに肩を貸す彼女はロズワールの姿に気付くと、それまでの冷静な面を一瞬で氷解させ、
「お手をお煩わせして、申し訳ありません」
「いんやぁ、いいとも。そぉもそも、これは私の領地で起きた出来事だ。収める義務は私にある。むしろ、よくやってくれていたとも」
労いの言葉に頬を赤くして、ラムは胸を押さえながら厳かに頷く。
その二人のやり取りを横目にしながら、スバルは深くため息をこぼし、
「――スバルくん!」
唐突に、飛び付いてきたレムの抱擁を受けて「ぐぇ!」と悲鳴を上げる羽目になった。
目の前、すぐ顔の横に青い髪が揺れている。つまりは超接近状態からの抱擁であると判断、通常時ならば役得と喜ぶべき場面だが、
「レム、今は、体の、あちこちが……あ、意識とか」
感情の制御が利いていないのか、抱擁は力の限りが込められていた。
負傷した全身が余さず苦痛の悲鳴を上げ出し、スバルは自由になる左手で必死にレムの背中を叩いて苦しみをアピール。
が、
「生きてる。生きててくれてる。スバルくん、スバルくん」
感極まっているレムはそのスバルの反応に気付かない。
こちらの胸に顔を押し付け、じんわりと温かい滴が胸を濡らす感覚。こそばゆさと色々な感情がごちゃまぜになって到来し、もはやスバルの脳の処理能力を越えた。
つまるところ、
「また、この、パターン……」
言いながら、スバルは自分で自分の首を支えていられず、こくりと頭を垂れる。
遠ざかる意識。聞こえなくなる声。最後に、
「今は眠るといい。目が覚めたとき、君がしてくれたことへの御礼は尽くそうじゃぁないか。――少なくとも、君を脅かすものの排除は約束する」
そんな、道化臭さの消えた真剣な誰かの声が鼓膜を震わせた。
それに確かな安心感を覚えて、スバルはゆっくりと意識を手放す。
眠りに落ちる寸前まで、自分の体を抱擁している温かな感触を感じながら、やっとのことで拾い切ったそれを味わいながら、
スバルの意識は、無意識の泉へと沈み込んでいった。