『茶飲み話』


朝焼けの日差しが瞼を焼くのを感じて、スバルは薄闇の中で上体を起こした。

考えごとをしている間にうとうとと眠りに落ちてしまったらしい。それでも、深夜遅くまで思索の海に沈んでいたのだから、眠っていたのもほんの二、三時間といったところだろう。

 

「元の世界じゃ考えられねぇな。もともと、日の出てる時間こそが俺にとっちゃ睡眠時間だったってのに」

 

言いながら体を回して、スバルはちらほらと目覚めているものがいる大聖堂の中をざっと見回す。スバルの視線に気付き、手を振ったり軽く会釈してくれたりするアーラム村の人々に応答しつつ、立ち上がって大聖堂の出入り口へ。

早朝の涼やかな風に出迎えられながら外に出ると、どうやら表では『聖域』の住人数名が避難民と協力し、朝の炊き出しの準備を始めているところだった。

 

「おや、お目覚めですか、スバル様」

 

「うーす、おはようございます。今日もさわやかな朝ッスね」

 

「そうですね。風が冷たいですし……スバル様も、どうやらゆっくり休まれたようで」

 

声をかけてきてくれた顔見知りの女性が、含み笑いをしながらそっと己の頬に指を触れる。つられてスバルも自分の頬に触れてみて、そこに掠れる感触――涎の跡がべっとりとついているのに気付いた。

 

「あらやだ、恥ずかしい」

 

短時間の眠りの方が、かえってこうしただらしない部分が出やすいのはなぜなのだろう。ほんのうたた寝のときに限って異常な寝癖がついたりするのにも法則性のようなものがあるのだろうか。

益体もないことを考えているスバルに、笑った女性とはまた別の女性――こちらは頭部に短い犬の耳を生やした人物だ。彼女が濡れた布巾を差し出してくれるのを受け取り、礼を短く告げてから口元を拭う。

取れた?と拭いて確認すると、女性陣二人が揃って肯定。預かった手拭いを水場で洗ってくるついでに顔も洗ってこようと、スバルは二人に手を振って水場へ。

 

ちらと、離れ際にそっと二人の様子をうかがうが、いくらか言葉を交わし合う二人の間には気まずさのような感情のすれ違いは見当たらない。いたって自然に、違う種族同士でコミュニケーションが取れている。

 

ここ数日――すでにやり直しも含めれば一週間の滞在になるが、こんな環境であっても避難民と『聖域』の住民の間には目立った軋轢は生じていない。

避難民たちのモラルが高いことと、癪だが領主であるロズワールが同じ場所に滞在していることへの安心感などがあるのだろう。事実としてはそれらの点に加え、寝食を共にしているスバルへの信頼などがあったりもするのだが、自分の影響力を低く見積もるスバルはそこまで気が回っていない。

『聖域』の住民たちもこの場所のキナ臭さとは裏腹に、今の獣耳の女性を始めとしてそれなりに話せる人物が多い。少なくとも、人とハーフを隔てるものは当人たちの意識以外には存在しないとスバルが思える程度には。

 

「それを明確に分けてやがるのが『結界』の存在か……張った奴がなに考えてやがったのかわからねぇが、意地の悪いこった」

 

ガーフィールの言を信じるのであれば、ここは『強欲の魔女の実験場』らしい。つまりは『結界』を張ってハーフを逃がさないようにしたのも、おそらくはその魔女の仕業ということになるのだろう。

 

「エキドナ……か。いよいよ、あいつもなにが目的なのかわからん魔女だしな」

 

白い髪に白い肌、黒の喪服のような格好に全身を包むモノクロの少女。

四百年前に命を落とし、しかしなおも現世に縛りつけられたある意味亡霊。現実に干渉しないと嘯く反面、『試練』の場に居合わせスバルの行動にも逐一口出ししてきたりもする。

かと思えば自分と関わり合いになった記憶をスバルの頭の中に隠し、杜撰な隠し方の結果あっさりと思い出されたりと――やることなすこと、むちゃくちゃだ。

なにか深遠な理由があるものと推測するが、

 

「これでただの愉快犯とかだったらマジどうにもなんねぇ。っていうか、初対面の相手に理由もなく体液飲ませてくる女をどう思えってんだよ……」

 

ドナ茶を飲まされた嫌な思い出がよみがえる。あれはおそらくは精神世界での出来事だったはずなので、実際に体内にドナ成分を吸収したわけではないと思いたいが。

ともあれ、彼女の思惑がどうであれ、『聖域』が結界に包み込まれていて、中にいる住人たちを外へ出すことができない現状には変わらない。

 

「そうなってくると、やっぱり目下最大の障害は……ガーフィールか」

 

エキドナに直談判するにせよ、『試練』へスバルが挑むにせよ、ネックになるのはスバルへの敵対度が跳ね上がってしまった彼への対処だ。

彼のスバルへの意識の変化が、スバル自身無自覚な魔女の悪臭――『死に戻り』の弊害であるのなら、この意識を改善させるのは至難の業だ。

ジャガーノートの件や白鯨との一戦、それらのときには逆にこの悪臭を利用することで状況を打開してきたものだが、

 

「より臭くなるのはできても、その臭さを消す方法がわからないからな……消臭剤的なもんで消えるとも思えないし。ってか、今の発言はどうなんだ。臭いとか臭くないとか、汚物か俺は」

 

ただ、『死に戻り』を誰かに告げようとすることで意識的に悪臭を強化することはしてきた。そしてそれまでの流れを鑑みるに、増した臭いが延々とそのままの濃度で残り続けるというわけでもないらしい。

そのあたりは普通の臭いと同じで、時間経過で薄れていくものと考えてよさそうだ。逆をいえばそれしか薄れさせる方法はないというわけで、

 

「必然的にガーフィールの態度の軟化は望めない。それに、これはあんまり考えたくないことだけど……もしまた、しくじって『死に戻る』ことがあったら」

 

再び命を落とし、墓所の中からリスタートすることになれば、スバルは今の残り香の上にさらに魔女の悪臭を重ねることになる。そうなれば、ガーフィールの反応がどうなっていくのか、考えただけでも恐ろしい。

 

最悪の状況を目前に命を落とし、やり直すことでスバルは結果を変えてきた。

全てを拾い切る――というスバルの強欲は現状、その全てを成し遂げられてきたわけではない。いまだ、取り戻せていないものもある。

だがそれでも、やり直すことでスバルはやり直す以前の世界よりも良い未来を選び取ってきたつもりだ。『死に戻り』そのものに感謝することは難しいが、その能力がなければ最悪の一途を辿り続けた未来へいくらでも思いつく。

しかし、

 

「繰り返してどうにかしてきたけど……やり直すたびに関係が悪くなる。やり直すたびに難易度が上がるってのは、さすがに初めてだ」

 

今はまだ理性的に話し合いが成立するガーフィールだが、次に悪臭を重ねて顔を合わせた場合、言葉による対話の機会を与えてくれるかどうか不明だ。

少なくとも、悪臭を漂わせるスバルを信用できず、レムは鉄球制裁でこちらの命を奪いにきた。思い出して急に左半身が寂しくなるのを感じる。

 

屋敷に残してきた面々――特に眠るレムのことを思い出し、次いで思考にノイズを走らせるのは漆黒の暗殺者。再び姿を現した快楽殺人者にして、この世界におけるスバルキリングカウントで堂々の一位に躍り出た凶刃の担い手。

ちなみに灰色の猫型精霊が同率一位で、同率二位のカウント数一の面々にはこっそり身内のランクインが多かったりする修羅場模様。

 

「振り返って凹む殺害数。この場合、被殺害数か?……ともかく、エルザの対策だな。つっても、殴り合いして俺が勝てるわけねぇし、実質戦えるのはロズワールかガーフィールの二択になっちまうな」

 

ただロズワールにしても、その魔法の実力は別として負傷の影響がある。やはりこの問題のベストの解答としては、ガーフィールを味方につけるべきなのだ。

そして屋敷を襲撃するエルザと彼を戦わせるには、『聖域』を包む結界を破る必要があり、けっきょく重要になってくるのは、

 

「屋敷襲撃前に『試練』を突破して『聖域』を解放して、ガーフィールと和解した上で屋敷に同行してもらって、エルザを撃退してハッピーエンド……だな」

 

自分で言ってて、その間に両立しない問題が存在することに眉を寄せる。

ガーフィールと和解するために、『聖域』の解放が必要。

『聖域』を解放するために、ガーフィールを突破して『試練』に挑戦しなくてはならない。

 

この二つが両立しない、できない。

あるいは言葉で和解できればそれも可能なのかもしれないが、昨夜の会話とこれまでの彼と接した経験を思い返せば、それが叶う可能性の低さに頭を抱えたくなる。

良くも悪くも端的なガーフィールとの相対はシンプルが故に、結論が最初から出ている内容の答えを変えさせるのは難しい。

つまりスバルにチャンスがあるとすれば、

 

「墓所に忍び込めるチャンスを狙って、エキドナと接触してなにか他の機会を得るか。もしくは『試練』に挑める時間に忍び込んで『試練』を突破するか」

 

水場で顔を洗い、結論を出してスバルは足を炊き出しとは別の方向へ向ける。

絞った手拭いで顔を拭き、向かう先は人気が少なくなっていく『聖域』の端だ。そちらへ向かい、小高い丘を抜けて一本道を進み――、

 

「……さすがに、ご都合主義に期待しすぎたか」

 

墓所までの直線、見通しの良い道の真ん中に、昨夜と同じ姿勢で座るガーフィールがこちらを待ち構えているのが見えた。

――朝一番に墓所へ向かい、ガーフィールの目を盗んで忍び込む。

 

拾えれば儲けもの程度の朝の一案は、とりあえず頓挫したのだった。

 

※※※※※※※※※※※※※

 

「朝から精が出るな」

 

「てめェこそ、朝っぱらから顔なんざ出してくんじゃねェよ。わっざわざ、俺様の気ィ立たせることに意味なんかあんのか、あァ?」

 

軽く手を上げて挨拶をすると、片目を開いたガーフィールが不機嫌丸出しの声音でそううなる。予想通りの反応にスバルは掲げた手を力なく引っ込めると、胡坐を掻いて座る彼の隣――そこに立つ、小柄な人影へ目を向け、

 

「ガーフィールがいるとは思ってたけど、リューズさんがここにいるのは予想外だったな。おはようございます」

 

「ん、いい朝じゃな。スー坊も散歩かえ?」

 

「散歩っちゃ散歩だけど、そんないいもんでもないですかね。ひょっとしたらって期待を込めてきたのと、あとはガーフィールを煽りに」

 

「てめェ……」

 

指差し確認の要領で見下ろされるガーフィールの額に青筋。それを見届けながらスバルはさわやかに呼びかけを無視し、リューズに対して首を傾げると、

 

「俺も、ってことはリューズさんは散歩?」

 

「儂も散歩はついで、というところじゃな。昨日の夜からガー坊が家にも帰らんで地べたに座り込んでおると聞いたから……まあ、様子見がてらじゃ」

 

言いつつ、ウェーブがかる自身の長い髪を指で弄くるリューズ。その薄赤を弄ぶ手とは逆の手には小さな包みがあり、大きさと形からして簡単な食べ物が包まれているのがわかる。おそらく、頑としてここを動かないガーフィールの朝食だろう。

ふと、スバルは顎に手を触れながら二人を見やり、

 

「ガーフィールとリューズさんって、やっぱり付き合い長ぇの?」

 

「少なくともガー坊が小さい頃……背丈は今でも小さいが」

 

「おい、こらババア。てめェの身長はとっくに追い抜いてんだろが」

 

「じゃが期待した以上に伸びておらん。とにかく、ずっと今より小さい頃からの付き合いじゃ。この手のやり取りも、もう慣れたもんじゃな」

 

憎まれ口を叩くガーフィールだが、軽く受け流すリューズは貫録の余裕。見た目童女で中身は老女。ロリババアの特性を遺憾なく発揮した優秀な姿だ。

ただ、今の話からスバルはいくらか気になる点を見つけて眉を上げると、

 

「今の口ぶりからすると……ガーフィールって、生まれから『聖域』にいるってわけじゃないのか?」

 

「……余計な詮索してんじゃねェよ。『黒々ボートックの抜き打ち返り討ち』ってなりてェのか?」

 

「はい、伝わらないので抑止力になり得ない。ってなわけで、リューズさんお答えをどうぞ」

 

昨夜の忠告を丸きり無視するスバルの態度に、ガーフィールはそろそろ苛立ちで歯の音が軋み出しているが、構わずスバルは根掘り葉掘りを続行。

男衆のやり取りを横目に、リューズは疲れたような吐息をこぼすと、

 

「ガー坊が『聖域』に入ったのは十何年か前じゃ。まだ、ガー坊もよちよち歩きの赤ん坊じゃった。ロズ坊が揃って連れてきて……」

 

「――ババア、それ以上、余計なこと言うんじゃねェよ」

 

目を細めて、低い声でうなるガーフィール。

わずかに体感気温が下がるような彼の物言いに、スバルは少しばかり不用意に踏み込みすぎたかと内心で焦る。が、

 

「誰に向かってそんな口を叩いとるんじゃ、馬鹿者」

 

「ァ痛ェ!」

 

猛然と歩み寄ったリューズの平手が、ガーフィールの金髪の逆立った頭を小気味いい音を立てて叩く。童女の腕力だ。さしたる威力はなかっただろうに、頭を抱えるガーフィールはまるで雷でも落とされたような顔色で彼女を見上げ、

 

「ば、ババアいきなりなにしやがる……」

 

「お前こそ、ほとんど育ての親のような儂になんて口の利き方をするんじゃ。まったく、情けなくて恥ずかしくて悲しくて涙が出そうになったわい。このこのこの」

 

「やめ、痛ェ、おァッ、見ら、見られてんだろがっ」

 

ぽかぽかと効果音が出そうなアクションでリューズが腕を回し、どうにか掌で彼女を押しとどめるガーフィールが身内の恥を見られたような顔。

スバルはそんな二人のやり取りに思わず笑ってしまいそうになるのを堪えて、

 

「付き合いの長さと深さは今ので客観的にも推し量れたよ。……ガーフィール、お前は本気でずっとそこに座ってるつもりなのか?」

 

「用足し以外はここにいてやんよ。俺様が目ェ離した隙に乗じる奴がいねェとも限らねェからよォ」

 

忍び込むことへの警戒、こんな気の削がれるやり取りをしつつも、そのあたりだけは抜かりないガーフィール。スバルとて、ひょっとしたら程度の期待であって落胆するほどではない。むしろ、半日で前言を翻していたら彼への評価を改める必要の方があっただろう。

ともあれ、意固地な彼を動かすのが難しいことには変わらず、

 

「つっても、『試練』は夜の間だけなんだろ?日の出てる間に忍び込んでも俺に旨味がない。お前がこうして居座ってるのも無駄になんぜ?」

 

「そうやって俺様をどっかそうとしても無駄だっつんだよ。昼の間に墓所に入って夜を待てば、俺様が入れねェのをいいことに条件は成立すんだろが。長期戦の構えができんのは俺様だけじゃねェ。あんまし、舐めんなよ?」

 

「ちっ、ばれてるか」

 

両手を持ち上げて肩をすくめるお手上げのサイン。そのスバルの仕草にガーフィールは鼻を鳴らして感情を表明すると、じろりとリューズを見上げて、

 

「だっから、俺様はしばらくここを動けねェ。ババア、飯」

 

「わざわざ持ってきてもらっておいてなんて態度じゃ、嘆かわしい。ほれ」

 

文句を言いつつも差し入れを渡すリューズ。受け取った包みを解き、中に包まれていた団子のような食べ物を腹に収めていくガーフィール。

リューズもこうして協力する以上、根競べは長期戦になりそうだった。

 

「現状をどうにかするのは難しい……か。仕方ねぇ、出直す」

 

「さなくていいっつってんだろ。通さねェしやらさねェし許さねェ。てめェはいいから黙って小さくなってりゃァそれでいいんだよォ」

 

食べ終わった指を舐めながら、背を向けようとするスバルへガーフィールの牽制。背中越しに手を振ってその場を辞すスバル。その隣にリューズが並び、

 

「ガー坊の餌やりは終わったからの。少し、スー坊とも話がしたい」

 

「奇遇だな。俺もちょいちょいリューズさんに話聞きたいことがあったんだよ。本当はエミリアの顔だけ見てからにしたかったんだが……」

 

ちらりと空を見上げ、まだまだ昇り始めたばかりの太陽を思う。

初日の『試練』の翌朝、疲労したエミリアの目覚めは真昼に近かった記憶がある。寝顔を見にいく欲求に従うのも乙だが、ここは別のイベント進行を進めるべきだろう。

 

隣を行くリューズに横目を送り、長い薄赤の髪を揺らす童女的老女を観察。

とろんと眠たげな顔で、小さな歩幅をちょこちょことさせながらこちらの速度に合わせている。ロリババア、と正体がわかっているのに心をくすぐられるものがある。

 

「おんぶしてあげようか?」

 

「……なんで急に儂を見て優しい目つきになったかと思えば。まさかスー坊、幼い女子に欲情する性質か?ロズ坊より救えん話じゃぞ」

 

「俺を捕まえてロリコン疑惑とは冤罪もいいとこだぜ。ギャルゲー買うときは攻略ヒロインに先輩キャラorお姉さんキャラがいるかが選別ポイント。今も振り向かせようって必死こいてる相手もお姉さん系……つい最近、本気でかなり年上なのが発覚したけど心変わりなんてありえない。そんな俺だぜ?」

 

「どんな奴じゃ、と言いたいところじゃったが、まあいいじゃろ。おんぶはいらん。ちゃんと歩かんと足腰が弱るからの」

 

「また見た目とのギャップがすげぇ発言だな!」

 

見た目が幼いだけで本気で中身が老女だけに実感がこもっている。肌年齢とかが若いだけで内臓関係とかガタガタの可能性も。ロリババア、意外と大変です。

 

「なんぞ、またくだらんこと考えてそうな顔しとるの」

 

「え、嘘、マジで?今、かなり顔には出ないように注意して決め顔作ってたはずなのに」

 

「ガー坊が隠しておいた菓子を盗み食いしたときと同じ顔をしておったぞ。童のやることはどの童でも変わらんもんじゃ」

 

「このババア、立て続けに自分のババアっぽいとこアピールしてくんな」

 

ぐいぐい押してくるリューズの年齢アピールはさて置き、同道しながらスバルはふと「あれ?」と首をひねり、

 

「ちょっと話でも……はいいんだけど、目的地どこ?っていうか今さらすぎるけど、エミリアたんに寝床貸してるリューズさんってどこで寝泊まりしてんの?野原?」

 

「家を貸し出して即宿なし扱いとは……儂の肩書きが一応、この場所の長であることを忘れたとしか思えん発言じゃな。数日、寝泊まりさせてもらう知人ぐらいおるわい」

 

「まぁ、そうだよな。何日かだけど、ここの人たちって案外気がいい人ばっかだし」

 

炊き出しの場面だけでなく、そこそこ接する機会が多い『聖域』の住民を思い出し、スバルはガーフィールが語っていた軋轢が大げさすぎるのではと眉根を寄せる。

わずかに沈黙を選んだスバルを横目に、リューズは「ふむ」と頷くと、

 

「なにか、腑に落ちんことでもあったかえ?」

 

「いや、こう言ったらアレだけど……なんつーか、想像と違うと思ってさ。ハーフエルフのエミリアが王城じゃけっこうな扱いだったわけだし、ハーフの人たちの扱いってどこでもこんななのかもってさ。だったら、ハーフの人たち側の感情も、純血種相手に複雑だったりするんじゃないかって思ってたんだが」

 

少なくとも、『実験場』呼ばわりの『聖域』に閉じ込められているわりに、そういった後ろ暗い感情が表出していないのがこの場所の住人たちだ。もちろん、内心では面白くないと思っているものもいるだろうが、そのあたりの負の感情が表立っているのをスバルは目にしていない。

言葉と感情を選ばないガーフィールが代弁こそしているが、あくまで彼個人の感情も怒りというよりは義憤に近い。自分より、他者のための怒りだ。

この悪環境にありながら、『聖域』の人々の感情はモラルが高すぎる。それは不思議というより、不可解なことですらあった。

 

そんな疑問を抱くスバルに、リューズは驚いたように軽く目を見開き、

 

「なんじゃ、スー坊は見た目より色々と考えておるんじゃな」

 

「見た目より、は余計じゃね?少なくともガーフィールより知性派の見た目してる自信あるよ、俺?まぁ、頭回してないと色々と足りない我が身なんでな」

 

「足りない自分を自覚しとるなら上等じゃろ。足りないのがわかってて開き直っとるもんも中にはおるがの。……と、こっちじゃ」

 

分かれ道に差し掛かり、足先を迷わせるスバルをリューズが先導する。大聖堂やロズワールの仮住まいとも違う方角。墓所とはまた対角に位置する村外れ――そこに、リューズの案内する仮宿はぽつんと孤立していた。

まばらに連なった民家の点在していたこれまでと違い、なぜかこの一軒だけ離れた場所を根城にしている不思議。自然とスバルの脳裏にある単語が思い浮かび、

 

「ぼっちすぎるだろ。なんでこんなとこで寝泊まりしてんの?」

 

「仕方ないじゃろ。今、ちょうど『聖域』で住人のいない建物はここだけなんじゃから。ちと寄り合いからは遠いが、広いし重宝しとる」

 

「泊めてくれる知人発言はどこいったの?なんで選んだ寝床でまた一人なの?ロリババア孤独死とか数多くのロリババアを知る俺でも切なすぎて見たことねぇよ」

 

「心配しとるのか馬鹿にしとるのかどっちかわかるようにせんか。ほれ、入れ。茶ぐらいは淹れてやるからの。ラムほどうまくは淹れられんが」

 

「葉っぱ入りの茶はどれ飲んでも葉っぱ味にしか感じないからお気遣いなく」

 

「お前さんの方こそ、発言にもうちょっと気を遣うべきじゃろうな」

 

ため息まじりのリューズに招かれて、押し開かれた扉をくぐって民家へ入る。建物の大きさはロズワールの仮住まいの半分ほど。とはいえ、あの建物が一人で使うには広すぎただけで、三部屋存在するこの建物も十分なスペースだ。

手近な椅子に腰掛けて中を見回すと、小じんまりとした部屋の内装は簡素でありながら手入れが行き届いているのがわかった。リューズは住人がいない、と言っていたはずだが、

 

「人の住んでない家のわりに、頻繁に誰か入り浸ってる感があるな。ベッドのふんわり具合も一級シーツ職人の俺としても及第点……まさかリューズさん」

 

「なんじゃ、まるで儂が一人になりたいと思ったときに事あるごとにここを訪れて、ぼんやりと時間を潰してほとぼりが冷めるのを待つような過ごし方をしてる風な顔をしおって」

 

「ずいぶん具体的で複雑な顔してたな、俺!」

 

思い当たる節でもあるのか、早口に弁明するリューズの姿がいっそ哀れだ。先ほどの孤独死は冗談だが、身よりのない孤独老人である部分は否定の力が弱い。

無言でお茶を淹れる作業に入ってしまった背中が寂しく、スバルはどうにか話題を変えようと切っ掛けを求めて視線をさまよわせる。

 

整理の行き届いた室内。わずかに曇った鏡台と衣装箱。花の飾られていない花瓶と壁にかけられた鉄製の盾。――盾?

 

「なんでこんなとこに盾?それも二組」

 

「ガー坊の持ち物じゃ。あ奴、ここを倉庫代わりにしておるからの」

 

「あいつもここ入り浸ってんのか。確かに素行不良児の溜まり場っていやぁそれっぽいけど……まさか、細かいとこまで掃除が行き届いてるのあいつじゃないだろな」

 

キャラに合わなすぎる、と口の中だけで呟きながら、スバルはガーフィールの持ち物であるという盾を観察。

漫画などでよく、貴族の屋敷などでは交差した剣などが壁に飾られていることが多いが、こちらの盾も同じような塩梅で斜めに傾けて掲示されている。もっとも、飾り物というには使い込まれたそれには手入れでは追いつかない傷や凹みがあり、少なくとも実戦を知らないアンティークということはなさそうだ。

 

「だとしても、盾オンリーでどんな実戦ができるんだ?」

 

「昔はよく、この家の外の草原で盾同士を打ち合わせておったもんじゃぞ。一個ずつ盾を持って、互いに打ちながらぐるぐるぐるぐると」

 

「じゃれ合いにしちゃ物騒過ぎだ。……ガーフィールと誰が、って聞いてもいいか?」

 

『聖域』にいる間、そうしてガーフィールと親しげに接しているものを見かけたことがない。もちろん、ガーフィールも土地の顔役である上、炊き出しにも顔を出す関係で住人との関係が良好なのはわかっているのだが、それを抜きにした上での親しい間柄のものが彼にいるのか、となると具体的な名前は上がってこない。

強いていえばそれがリューズに当たるのだが、彼女が盾を持ってガーフィールと打ち合っていたというのは絵面的にかなり危険だ。

 

そんなスバルの疑念を込めた答えに、リューズはしばし無言。それから彼女は盆に湯呑みを二つ乗せてこちらへくると、片方をスバルに差し出してから寝台に腰掛ける。受け取り、熱を持つそれを口に運んで喉を潤す。

 

「やっぱり、葉っぱの味しかしねぇ」

 

「淹れ甲斐のない奴じゃな。まあ、そう思ったから安物の葉を使ったがの。……茶葉もここではそれなりに貴重なものじゃからな」

 

そういった貴重品や嗜好品などは、ロズワールの計らいで月に一度ほどの割合で運び込まれるらしい。いくらか融通を利かせているあたりがあの食わせ者らしいやり方だと感心しながら、しばし無言で互いに茶を傾け合う。

そして、穏やかな沈黙が幾許か過ぎた頃に、

 

「――フレデリカ」

 

ぽつり、とスバルが呟いた言葉にリューズの肩が小さく震えた。

湯呑みの中から視線を持ち上げた彼女がスバルを見る。そのかすかな動揺の浮かぶ顔に向かい、スバルは改めて、

 

「ガーフィールと盾の打ち合いをしてた相手の名前、フレデリカだろ?」

 

「……ガー坊から聞いたのかえ?」

 

「んにゃ。いくつかの断片的な話から、なんとなくそうじゃねぇかと繋げただけ。ガーフィールとフレデリカにややこしそうな関係があるのはなんとなくわかってたしな」

 

ロズワール邸で、『聖域』での要注意人物にガーフィールの名を上げたフレデリカ。

そしてフレデリカの名前を聞いて表情を変えたガーフィール。他にも彼は彼女の近況をそれとなく知ろうとしていた節があり、関係を疑わない方が無理な話だ。

そして極めつけは、

 

「牙が似すぎ。これで無関係とか釈迦も許さねぇよ」

 

「……ああ、まったくじゃな。その点に関しては、儂も否定の言葉が思い浮かばん」

 

決定打となる情報に、リューズが諦めたように吐息をこぼしてから噴き出す。

ガーフィールとフレデリカの最大の類似点。鋭すぎる犬歯と凶暴すぎる笑顔、で十分だった。そのことから二人の関係が恋人などの色っぽいものでないこともわかる。

なんとなくであるが、二人の関係に当てはまりそうなものは――、

 

「兄妹……いや、姉弟っぽい気がする。どっちかっていうと、フレデリカは姉タイプだ」

 

「なんともまあ……直感だけでそこまで見抜ければ上等すぎるじゃろう」

 

スバルの指摘にリューズはただただ感嘆。

それから彼女は観念するように頷き、茶の残りを盆の上に戻すと居住まいを正し、

 

「スー坊の想像通り、盾の持ち主はフレデリカとガーフィールの姉弟。今は『聖域』を離れたフレデリカ・バウマンと、ガーフィール・ティンゼルは血を分けた家族じゃ」

 

スバルの推測を肯定し、しかしリューズは物憂げな吐息を漏らしながら、

 

「――今は互いにすれ違って、道を違えてしまっておるがな」