『最後の主従』


 

「助けてくれぇい!儂はこんなとこで死にとうない!フェルト!早く、儂を助けんか!言ってやってくれい、このわからず屋共に!」

 

声を荒げ、唾を飛ばし、肩を揺らしながら老人の命乞いは続いている。

静まり返った広間に響くのは、その老人の無様な叫びだけであり、それは加速度的に議場の空気をおもく淀んだものへと落とし込んでいた。

 

騎士や文官たちの多くは、その老人に対して消し難い嫌悪感の浮かぶ瞳を向け、年齢も近いだろう賢人会の面々も嫌なものを見た、といった心情のものが多い。

その老人の叫びに、命乞いに、それ以上の意味を見出しているものは、この議場において少数派であると言わざるを得なかった。

 

「どうした、誰のおかげで今まで生きてこれたと思っておる!?それとも、ちょっと上の生活をしたらこれまでの恩を忘れたのか、なあ、どうなんじゃ!?」

 

畳みかけるように、人間性の卑しさを押しつけがましく言い募る老人。その態度に誰もが言及を避ける中、ラインハルトは主と目す少女の横顔を注視する。

彼女にとっては豹変、と言っても差し支えないほどの老人の変貌だ。その心情を察するには付き合いが浅すぎるが、少なくない動揺がその身を襲っていることは想像に難くない。

 

老人の発言の真意にそれとなく勘が働いたラインハルトは、とにかく打開するために動きを作らなくては、と判断して踏み出そうとし、

 

「――動くでないぞ、ラインハルト。妙な真似をするのはよしておくんじゃな」

 

と、動き出す出鼻をくじくような少女の声に二の足を踏まされた。

失態だ、とラインハルトが顔を上げる先、赤毛の青年に声を投げた少女が傲岸不遜そのものといった佇まいで笑みを作っている。

自身の胸の内から抜いた扇子を口元に当て、嗜虐的な光を灯した双眸でラインハルトを射抜きながら、プリシラは愛らしくも淫らに首を傾け、

 

「それはいかんなぁ、ラインハルト。お前ほどの騎士が動揺なぞ。そんな態度ではまるで、そこな老害が都合の悪いことを言う前にどうにかしようとしているように見えるではないか」

 

もっともらしく「恐い恐い」と肩をすくめてみせるプリシラの言葉に、ラインハルトは内心で「やられた」と臍を噛んで自身の失敗を悔やむ。

クロムウェルと名乗った老人の言動が、フェルトにどんな影響を及ぼすかはわからない。が、好意的に解釈するのも難しい状況を先んじて打開しようとしていたのを、さらに先手を打つ形で釘を刺されてしまった。

 

今のプリシラの一言で、広間に存在する人々にとって、老人の発する言動の捉え方と意味合いが変わってきてしまう。そしてその内容を否定しようとラインハルトが動いたとしても、すでにそれは『都合の悪い事実を隠蔽しようとしている』という先入観を持たずに判断されることはない。

 

一言で完全に舞台の状況を自分有利に作り変えたプリシラ。

対峙している人々の背景を熟知しているわけでないにも関わらず、先までのほんの些細なやり取りだけで関係性を看破し、状況に誘導してみせたのだ。

 

迂闊に動けなくなってしまったラインハルト。そんな彼の前で、プリシラは満足げに頷くと、音を立てて閉じた扇子の先端を老人に向け直し、

 

「さあ、命乞いを続けるがいい。無様に、惨めに、滑稽に、果てるまで踊り狂って妾を興じさせるがいい。妾が許す、妾が止めさせぬ。存分にやれ、老害。貴様の頑張り次第で、その聞くに堪えん繰り言を叶えてやるか判断してやる」

 

「いけ好かん小娘が、偉そうに言いよる。……フェルト、お前さんは違うじゃろ?お前さんはそう、昔っから優しい子じゃった。そんなお前は、儂を見捨てたりはせんじゃろ?ずっとずっと、儂らはうまくやってきとったじゃないか」

 

尊大なプリシラの物言いに唾を吐き捨て、老人はなおも媚びた笑顔で旧知の間柄の少女の慈悲に縋る。

周囲はそんな老人の、プリシラの機嫌を損ねる意味を知らぬ無謀さに戦慄を覚えたが、当のぞんざいな扱いを受けたはずのプリシラは愉快げに口元を緩め、その無様と称した命乞いの続きを眺めているだけだ。

 

そのやり取りの行く末を見届け、周囲の人々も正気を取り戻したように、今の心情――即ち、老人の惨めな命乞いの感想を小声で囁き合う。

 

「見たか、あの無様な様子を」

「それ以上に媚びた顔だ。同情する気さえなくなる。盗人猛々しいとはこのことだ」

「たとえフェルト様が庇われたとしても、放免などもってのほかだろう」

 

騎士たちが罪を犯したその上で、放免を願う浅ましい老人の態度を口々に誹り、

 

「あのような輩ばかりがいるのが貧民街……フェルト様はそこで育たれたと?」

「仮に血族の生き残りとされた話が事実だったとて、そのような場所で過ごしてきたものに王の責務が務まるものか……」

「やはり考え直すべきではあるまいか。あるいは竜歴石に従い、形だけの候補者としてあくまで数合わせとして扱うべきだと」

 

文官筋の面々は、そんな老人と浅からぬ付き合いがあったと思しきフェルトの資格に対して言及し始める。

次第に囁き声はその大きさを増し、広間全体にどよめきとなって広がる。

 

そんな周囲の反応を見やり、ラインハルトは内心の懸念が現実になったと唇を噛む。こうなることは予想がついていた。

その上で老人の叫びをみすみす聞き逃し、プリシラの牽制をまんまと受けてしまった。結果、止めること叶わず、利害の一致した両者にいいようにされてしまった。

 

不甲斐ない我が身を呪いながら、ラインハルトは押し黙るフェルトを見つめる。

俯き、依然沈黙を守り続ける少女はなにを思っているのか。

 

「――――!」

「――――!!」

「――――っ!」

 

当事者が口を閉ざしている間にも、外野の声は歯止めを忘れて拡大し続ける。

その状況の稚拙な悪化に耐えかね、さすがに一喝すべきだとマーコスが大きく息を吸う。そして、

 

「――どいつもこいつもうるせーんだよ!!」

 

部下たちの背筋を震え上がらせることで有名な、マーコスの一喝ではない。

それは甲高く、年若い少女の、聞くに堪えない口汚い怒声だった。

 

しん、と驚きが先行し、そのまま広間に沈黙が落ちる。

それを受け、少女は呼気を荒くして中央へ進み出ると、全員の顔を見渡しながら、

 

「人が黙ってりゃぴーぴーぴーぴーさえずりやがって。いい歳した男連中が集まって女々しいったらねーぜ、タマナシ共が」

 

「フェルト様、その発言はいくらなんでも……」

 

「黙ってろ、寸止め騎士。おめでた女にやり込められてたくせに、アタシに偉そうに話かけんな。っつか、そうでなくても話かけんな、嫌いだお前」

 

淑女らしからぬ発言をたしなめようとしたラインハルトだったが、それに対するフェルトの応対は容赦がない上に上品さの欠片もない。

ただ、命令は命令である、とラインハルトは深々と礼をしてその場から下がる。それを見届け、フェルトは黄色のドレスの裾を揺らし、首を乱暴に鳴らしながら、

 

「頭でっかち共がひそひそと、そーいうとこが気に入らねーってんだよ。金払ってお勉強して、金払って立場買って、そんでそこに立ってんだろ?だったらそれらしくしろってんだよ。まともに飯も食ってねーみたいな青っちろい面しやがって」

 

文官連中の顔を見渡し、フェルトはばっさりと彼らをそう評価する。それから彼女の首は反対を向き、見つめられる近衛騎士たちに動揺が走った。

 

「そんでご立派な格好の連中が、アタシみたいな小娘になにをビビってるって話だよ。ビビってるのと違って身構えただけって言い訳も聞かねーぞ。そんな態度も情けなくねーのかよって話だかんな」

 

鼻を鳴らして近衛たちを嘲笑うと、歩くフェルトは目的の場所に辿り着く。それはこれまで散々、無様な醜態をさらしてきた老人の眼前であり、巨躯の老人と小柄な彼女は、老人が膝立ちの状態でようやく平均的な身長差での対峙となる。

少女は腰に両手を当てて、今さっき小馬鹿にしてみせた面々を再度見渡し、

 

「でもって、見ろよ、このジジイのひどい面を。殴られて鼻血出てる上に、ヒゲ剃り失敗した跡が山ほどある。鏡とか貴重品だし、切れ味いい刃物もまともなのあんまないかんな。それでこんだけ卑屈に笑ってんだ、一言で言うと気持ち悪い」

 

「そりゃお前、言い過ぎじゃろ……」

 

散々な評価に声のトーンを落とし、どこか気の抜けた老人の呟きが漏れる。が、すぐに気を取り直したように首を振ると、媚びた笑みを張りつける作業を続行。

それを見届け、フェルトは深々と首をもたげながらため息をこぼし、

 

「その上でさっきの命乞いだ。正直、聞いててがっくり肩の力が抜けたよ。惨めで卑屈で見ちゃいられねー。……なあ、ロム爺」

 

呼びかけに顔を上げる老人。少女は向き合う赤い双眸に悲しみをたたえて、

 

「アタシら貧民街の人間は、そりゃどーしようもなく惨めなもんだよ。上から見下されたら卑しい生活してんのなんて当たり前だし、アタシ含めて性根の腐った連中ばっかだった。ホント、ひでー場所だよ」

 

自分含めての散々な評価を下し、それからフェルトは「でも」と息を継いで、

 

「確かにどん底でどーしようもない連中の掃き溜めだったのは事実だ。だけどさ、人間としての矜持ってやつだけはなくさねーようにやってきたじゃねーか。どんだけ低く見られてても、実際に地べたに頭擦りつけるような真似だけはしねーって」

 

「フェルト……」

 

「今のロム爺の面、鏡があったら見してやりてーよ。卑屈で無様で、媚び売って尻尾振ってまで生き延びたいなんて、そんなの生きてるだなんて言わねー」

 

ため息のように老人が少女の名を呼び、少女は首を振りながらそう応じる。

その答えに、候補者の列で静かに控えていたクルシュが重々しく頷いている。彼女の語る理念にも、今のフェルトの発言は通ずるものがあった。

 

「アタシに命乞いするんなら、そのやり方は間違いだ。アタシはいたくない場所からいなくなる権利を放棄してまで、そんなアンタを助けない」

 

ばっさりと、腰に手を当ててフェルトはそう言い切った。

それは知己である人物を見捨てるという意味であり、老人の言が正しければ幼い時分より共に過ごした間柄の相手を切り捨てるということであり、

 

「……フェルト様」

 

騎士の中の騎士――赤毛の青年の目の前で、王選の参加を辞退するという意味だ。

 

彼女の断言に、ラインハルトは内心で苦々しいものが走るのを堪えられない。

こうなることは予想ができていた。老人のあの振舞いを見れば、プライドの高い少女がどういった反応を示すのか、予測がついていたのだ。

その点をまんまとプリシラと老人に――否、あの老人ひとりに利用された。

 

見捨てられた形になった老人は肩を落とし、脱力したように俯いている。

だが、その老人の口元が、かすかに力なくゆるんでいるのをラインハルトは見逃さない。それは後悔や絶望といった脱力感からくるものとは違う、ひとつの行いをやり遂げたものの達成感に宿る類のものだった。

 

命を賭し、老人はひとつの勝負に打って出た。そして見事にそれを成し遂げ、目指した目的を達成したのだ。賞賛すべき行いであった。

今からでも老人の目論見を暴き、フェルトの行いを正させることが必要だった。しかし、それをすることはラインハルトにはできない。

――彼が彼である所以、その性質こそが、彼の行動を束縛していた。

 

うなだれる老人の姿とフェルトの立ち姿に、マーコスは話の終わりを悟ったのだろう。彼は老人の手枷を引き、鎖の音を鳴らして広間に向かって一礼。

 

「場をお騒がせし、大変失礼いたしました。今すぐにこのものを……」

「って感じでまあ、誰かが早とちりすんのを待ってたわけだけど」

 

謝罪を述べて場を辞そうとしていたマーコスを、ふいにフェルトの言葉が遮る。

珍しく鼻白んだ様子で口を閉ざすマーコス。その巌の表情の変化を小気味よいといった笑みで横目にし、フェルトは唖然となる場内で小柄な身を回すと、

 

「つーわけで、団長様はその手を離せよ。ロム爺のふっとい腕に手枷が合ってなくて、見てて痛々しいんだよ」

 

「何度も申し上げましたが、お断りします。私があなた様の命令に従う理由が……」

 

「アタシが王選ってやつに参加する気がねーならって話だろ?なら話は簡単だ」

 

命令を拒否しようとするマーコスを再度遮り、フェルトは自身の胸を軽く叩く。それから唇の端を大いに歪めて、鋭い八重歯が覗く肉食系の笑みを作ると、

 

「やってやるよ、王選。王様ってのを目指してやりゃーいいんだろ?」

 

「――――!!」

 

笑みで紡がれたその発言に、広間全体に激震が走った。

爆弾発言、と呼ぶべきそれは聞いたものたちに最初に衝撃を与えたが、その衝撃が去ったあとの個々人の心に残ったものは様々であった。

 

あるものは粛々とそれを受け止め、あるものは淫猥に微笑し、あるものは頭痛でも堪えるように額に触れ、あるものは表情を変えまいと頬を強張らせる。

そして多くのものの心には、重大な決断を軽々しく口にする少女への反感――あるいは王国の一大事を安直に扱われることへの怒りが渦巻いていた。

そんな数々の反応を置き去りに、もっとも大きなリアクションを見せたのはもちろん、彼女の宣言を真正面から浴びた老人であった。

 

「な、なにを言っとる、フェルト。わ、儂は納得したんじゃ。さっきのお前さんの言葉は正しい。誇りを失えば生きてはいけん。儂の先の振舞いはその最低の行いそのものじゃった。お前さんに見捨てられるのだってやむなしと……」

 

「猿芝居もいーとこだよ、クソジジイ。そんな長々生きてるくせに、自分に舞台役者の才能もねーのも知らねーのか。転職諦めて大人しく小悪党してろや」

 

「馬鹿なことを……!そも、お前さんは嫌なことをせん主義じゃろう。醜態をさらした儂なんぞ見捨てて当然じゃ。嫌な思いを我慢してまで……」

 

「そうそう、アタシをよくわかってるじゃねーか、ロム爺。そうだよ、アタシは嫌なことはしねー主義だ。んでもって、アタシも実はアンタのことわかってんだぜ」

 

先ほどまでの助命とは打って変わり、反対方向に食い下がるのに必死な老人。そんな彼を指差し、それからフェルトはその指を己の顔に向けると、

 

「長年の付き合いだから知ってんだけど……ロム爺、アンタは嘘をつこうとするときに鼻の頭に血管が浮かびまくる」

 

「な、なんじゃと、嘘じゃろ――!?」

 

フェルトの指摘に老人は驚愕し、慌てた様子で手枷に繋がれたままの腕を持ち上げて己の鼻を擦る。そんな彼の仕草をフェルトは見やり、鼻を鳴らして、

 

「ああ、嘘だよ。そんでもってマヌケは見つかったわけだけど、どーする?」

 

「――あ」

 

まんまと誘導尋問にひっかけられた形のロム爺は呆然。

そんな低レベルな引っかけにかかった老人をどう思ったのかは知れないが、フェルトは両肩をすくめると「やれやれだぜ」とばかりに首を振り、

 

「てなわけだから、ロム爺の手枷を外してくれよ。さっきまでのことも、全部まとめて耄碌したジジイの妄言ってわけだから」

 

「そのような名分を通すわけには……」

 

「――その爺さんはアタシの家族だ。だから、今すぐに離せ」

 

なおも固辞しようとしたマーコスに、フェルトは声から感情を消して言った。

その言葉を聞き、マーコスは一瞬だけ眉を寄せたが、すぐにその動揺の気配を表情から消すと、

 

「御意」

 

と身份が上の相手に接する礼をとり、ロム爺の手枷からその手を離す。それから彼は背後に振り返り、入口付近で待機していた騎士に「手枷の鍵を」と要求する。

が、フェルトは挙げた手でそれを制し、

 

「待ってらんねー。――ラインハルト!」

 

「ここに」

 

鋭い少女の声に即座に呼応し、ラインハルトの長身が舞台に上がる。

彼女は自身の隣に立った赤毛の青年に見向きもせず、ただ腕を組んで顎をしゃくり、

 

「やれ」

 

とだけ命じた。

 

「はっ、我が主――」

 

そして、その世界一短い命令に騎士は万感の思いを込めて応答。

主の前で掲げた腕が天で手刀を作り、それが大気を割って振り下ろされる。

 

割断――老人の両手を拘束していた金属製の枷は、ラインハルトの手刀の前に紙切れのようにあっさりと撫で切られる。

まるで溶けるように排された枷が床に落ち、甲高い音が広間の中で奏でられる。

その音を背景に、少女は忌々しいとでも言いたげな目つきで長身を見上げ、

 

「これも全部、お前の思惑通りってやつかよ」

 

「とんでもありません。それ以上の、運命の導きです」

 

面白くなさげなフェルトの言葉に、胸に手を当てたラインハルトの答え。それを聞いた少女は「は!」と吐き捨てるように息をこぼし、

 

「また運命か。アンタは運命の奴隷かよ」

 

「いいえ。――自分は、正しさの僕です」

 

皮肉に対しても生真面目に、かつ真正面から答える青年。その姿勢にフェルトは片目をつむり、口の端をつり上げると、

 

「でも、その仕事も今から廃業だ。これからのアンタは、アタシの僕なんだからな」

 

「はい。我が主の意のままに」

 

「さ、散々こき使ってやっから覚悟しとけよ」

 

「はい。全て我が主の望みのままに」

 

「つまんねー奴……」

 

万事全肯定されそうな勢いに、フェルトが辟易した様子でそうこぼす。

そんなやり取りを繰り広げる二人の前で、なおも愕然とした態度を隠せずにいるのはロム爺であった。彼は手枷の外れた腕を揺らし、血のにじむ頬を悲痛に歪め、

 

「なぜじゃ、フェルト。……儂は、儂はお前を」

 

「ロム爺がどんなつもりで、なんの目的で、あんな情けねーこと言いまくってたのかはなんとなくわかってるよ。――アタシがこの場所に立ってんのが、嫌で嫌で仕方ねーってのが見えてたんだろ。その背中押そーとしてくれてたんだよな」

 

力なく俯く老人に、フェルトは「悪い」と手を上げて謝罪。そんな彼女に顔を上げるロム爺は唇を震わせて、

 

「そこまでわかっておるなら、なぜ……」

 

「言ったろ、自分で。アタシは嫌なことはしねー主義なんだって」

 

疑問符を浮かべる老人に、フェルトは照れ臭げに笑いかけ、

 

「家族見捨てておめおめと下町に戻れってのかよ?そんな外道以下の真似、アタシにできるわけねーだろ」

 

「――――」

 

それを聞いて、ロム爺の表情が悲痛なものからもっと別のものに変わる。

彼は少女に背を向けると、その顔に腕を擦りつけて表情を隠し、

 

「わ、儂の敗因は……」

 

「明確すぎるほど明確でしょう、ご老人」

 

その感情の揺れを察したのだろう、ラインハルトの呼びかけに老人は天井を見上げ、掠れた声で無念に、しかし感無量とばかりの震えを隠せないまま、

 

「良い子に育て過ぎた――!」

 

※ ※※※※※※※※※※※※

 

己の育成方針を嘆くのか喜ぶのかわからない叫びが響く中、壇上の賢人会代表――マイクロトフはヒゲを梳きながら目を細め、

 

「この状況が御身の想定通りなのですかな、騎士団長」

 

「そんな出過ぎた真似はいたしません。あくまで私は騎士。道を守るものであり、道を作るものではありませんので」

 

問いかけに謙遜で応じるマーコスに頷きかけ、それからマイクロトフは中央に佇む三人――否、一歩前に出ている二人の主従に向かい、

 

「それではフェルト様、騎士ラインハルト。お二人にも王選への参加の意思ありと、そう判断してよろしいのですかな」

 

「ああ、いーぜ」

「はい。我が主の意のままに」

 

あくまで横柄な態度を改めないフェルトと、それに従うラインハルト。寛大な賢老はその凸凹さには言及せず、「わかりました」と静かに頷いた。

 

「それでは少々の騒ぎはありましたが、出揃ったと判断してもよいようですな。最後になにか、フェルト様からありましたら」

 

他の候補者と同様に、フェルトにも演説の機会を設けようというのだろう。

マイクロトフの提案にフェルトは少しだけ思案するように眉を寄せたが、「それじゃ一個だけ」と指をひとつ立てると、前に進んで全員の視線の途上に立つ。そして、

 

「――アタシは貴族が嫌いだ」

 

爽やかな笑顔で、賢人会を示すように手を広げてそう言い放った。

 

「――アタシは騎士が嫌いだ」

 

その笑顔を維持したまま、今度は近衛騎士団を反対の手で指し示す。

 

「――アタシは王国が嫌いだ」

 

そして両手を広げたままで、満面の笑顔の中に毒をひそませて言葉を紡ぐ。

 

「――アタシはこの部屋にいる全員も、立ってる足場も、なにもかもが全部嫌いだ。だから、全部ぶっ壊してやろうと思ってる」

 

「どうだ?」とばかりに首を傾げて、楽しげに笑いかけるフェルト。

その態度に刹那、完全に思考を置き忘れていたものたちの感情が爆発する。

 

「な、なにを言っている――!?」

「そも、国王を決める王選の場で国を壊すだと!?」

「我らのこれまでの時間をなんだと!!」

 

「そうやってぴーぴーと、『我々』みたいな冠つけねーと話せねーのかよ?誇りだの歴史だの、ちゃんちゃらおかしいって言ってんだよ」

 

勢い込んで怒鳴り声を上げる観衆の前で、フェルトはそれらを一息に切り捨てる。それから彼女は自身の身にまとう黄色のドレスの裾を摘まみ、

 

「こんなひらひらした格好で、高そうな服着て高そうな宝石じゃらじゃら付けて、血だの歴史だのでお目々が曇ってやがる。だからどいつもこいつも、自分たちの足下がどんだけ腐ってボロボロなのか見えてねーってんだよ」

 

だから、と彼女は息を継ぎ、それから壇上のマイクロトフを見上げると、

 

「アタシが王様になったら、全部ぶっ壊してやるよ。今にも崩れそうな足下見えてねー節穴連中はまとめて叩き落として、少しは風通しを良くしてやろーじゃんか」

 

晴々しい顔つきでそう述べる彼女に、場内は蒼然となるより他にない。

その前代未聞の暴言を受けて、マイクロトフはなおも表情を変えずに鷹揚に頷き、それから矛先を彼女の隣に立つ騎士へと向ける。

 

「御身の主は苛烈なお方ですな。今の言葉を聞き、御身はどう思われるのですか」

 

「――そうですね。フェルト様のお言葉は、残念ながら今はまだ夢物語の類です」

 

と、ラインハルトは主と目した少女の発言の根本をそう揺り動かす。その言葉にフェルトは胡乱げな目を向けるが、ラインハルトは涼しい顔でそれを受け流し、

 

「ですが、いずれフェルト様のお言葉が誰しもに届くようになる。――そうなるよう、万事において支えるのが我が本分、そう捉えております」

 

「しかし、フェルト様が壊すと断言された中には御身もまた含まれているようですが」

 

「壊したあとの再生にも、このお方は臨まれるでしょう。その際にも、隣にあれればこれ以上の本懐はありません」

 

深々とお辞儀しながら、ラインハルトはマイクロトフの前で揺れることなく言い切る。その騎士の振舞いを横目にしながら、フェルトは金髪の髪を乱暴に掻き、

 

「けっきょく、お前はアタシの味方なのか敵なのか、どっちだよ」

 

「味方です。――あなただけの」

 

「……なら、いーや。こき使ってやるよ」

 

こうしてここに、王選候補者最後の主従が誕生した。

そして――、

 

「それでは、今度こそ全ての候補者の方々のお話は聞けましたな。では、改めて賢人会の同志に問いましょう」

 

厳かに、マイクロトフが低い声でそう語る。

自然、場内に緊張感と静寂が舞い降り、固唾を呑んで次の言葉が待たれる中、マイクロトフはその細い瞳をわずかに見開き、

 

「此度の王選、これまでの五名の方々を候補者とし、開始を宣言されたし。同志たちの賛同を求めます」

 

「――賢人会の権限において、賛同いたします」

「同じく」

「同じく、賛同しよう」

 

マイクロトフの提言に賢人会の面々が頷きで応じ、それを見届けたあとでマイクロトフが席から立ち上がる。

そして彼は前に進み出て、空の王座のすぐ脇に控えると、

 

「――では、これより王選の条件を提言する!」

 

カルステン公爵家当主クルシュ・カルステン。

クルシュの一の騎士、『青』のフェリックス・アーガイル。

 

「候補者はクルシュ・カルステン。プリシラ・バーリエル。アナスタシア・ホーシン。エミリア。フェルト。いずれも龍の巫女の資格を持つ方々とする!」

 

『血染めの花嫁』プリシラ・バーリエル。

隻腕の異世界人、傭兵アル。

 

「期限は三年後、龍との盟約の確認が行われる儀式――神龍儀の一ヶ月前である今日とする!」

 

異国からきた若き商会主、アナスタシア・ホーシン。

アナスタシアの一の騎士、『最優の騎士』ユリウス・ユークリウス。

 

「選出は竜殊の輝きによって、神龍ボルカニカの前にて決定する!」

 

失われた王の血族(?)、フェルト。

フェルトの一の騎士、『剣聖』ラインハルト・ヴァン・アストレア。

 

「各人は王国の維持に務める上で、各々の王道を民草に、臣民に知らしめること!」

 

銀色の髪のハーフエルフ、エミリア。

そして、この場に不在の自称騎士、ナツキ・スバル。

 

「以上を最低限の条約として、王選の開始をここに宣言する――!」

 

マイクロトフが声を大にして叫び、広間がすさまじい熱に包まれる。

声はない。だが、誰もが心の叫びを抑え切れずにいる。

 

その熱の余波を背に受け、マイクロトフは折った腰を伸ばして口を大きく開き、

 

「これより――王選を開始する!!」