『ある姉妹の関係』


 

――見ていてもどかしい、というのがその光景を見た全員の共通意識だった。

 

「よ、よォ、姉貴。その荷物、重そうだな。俺様が運んでやろうか?」

 

「ガーフ……大丈夫ですわ。いつまでも客分待遇されていては肩身が狭いから、少しだけお手伝いしているだけですもの。ガーフは自適に過ごすといいですの」

 

「そ、そっかよォ。わ、わァった。なんかあったら言ってッくれや」

 

台車を押すフレデリカに言葉少なに応じて、ガーフィールは立ち尽くしたまま頬を指で掻く。一方、フレデリカもそんなガーフィールを少しの間だけ見つめていたが、すぐに気を取り直したように仕事へと意識を戻してしまった。

 

小さな車輪が床を噛み、微かな音を立てながら屋敷の通路を奥へと進む。

遠ざかる姉の背中を、ガーフィールはぼんやりとした顔で見送っていた。

 

「……歯がゆい」

 

短い金髪を掻き毟り、呻くような声を上げて姉と反対側へ歩いていってしまうガーフィール。そんな光景を廊下の角から見ていたスバルは額に手を当て、今の何ともむず痒くなってしまうやり取りを嘆いた。

 

「ちゃんと落ち着いて再会して一週間も経つのに……あの二人、すごーくじれったく見えるんだけど」

 

そうこぼしたのは、スバルと同じ場所で同じように身を潜めていたエミリアだ。スバルがしゃがみ、エミリアが上から覗き込むようにしてさっきのやり取りを見届けたところだった。

エミリアの吐息が遠ざかるのを感じながら、スバルは立ち上がって腰を回す。

 

「十年ぶりの再会……それも、十年間音沙汰なしのところからの再会だからな。そのときの別れが互いの健闘を祈る的な晴々しいものじゃなかったとは聞いてるし、ぎこちないってのもわからなくはないんだが……」

 

腕を組み、首をひねる。

わからなくはないが、もどかしい。歯がゆい。見ていて背中が痒い。

ガーフィールとフレデリカの姉弟は、再会以来ずっとあの調子だ。それも、他の者の目がある場所ではそれなりに良好な様子を装っているのが性質が悪い。

 

直情的で単純に見えるガーフィールだが、あれで意外と頭も回れば演技もできる。フレデリカの振舞いの能力の高さは言うまでもなく。互いに示し合わせたわけでもないだろうに、あの姉弟はこれまでの数日間で多くの目を欺き切ってきた。

もっとも、なぜかあの二人が二人きりになるタイミングに出くわすことが多かったスバルには見え見えだったし、今回はエミリアにも目撃されたわけだが。

 

「ガーフィールの方からは歩み寄ってるように見えたのに、フレデリカがなんだか真っ直ぐ見てあげられてない気がするの。せっかくまた会えたのに、どうして?」

 

「別れ際に色々あると、再会を単純に喜ぶってのも難しいもんなんだよ。いや、俺も完全に漫画知識だけど。……問題があるのは、フレデリカの方かね」

 

エミリアの言葉通り、ガーフィールの方は胸襟を開く覚悟がある様子だ。が、対するフレデリカの方の態度が芳しくない。

おそらく、フレデリカが感じているのは弟に対する罪悪感のようなものなのだろう。『聖域』に置き去りにしてしまったガーフィール。その間、ガーフィールが短くない時間の中で淡々と牙を磨き上げ、頑な子どもの心を育ててしまった。

今回の『聖域』を取り巻く騒動のうち、三分の一ほどはそれが障害だったといっていい。その事態を招いたことの一端は、確かに彼女に責任がある。

 

とはいえ、フレデリカがガーフィールを陥れたわけではないし、誰が悪いというわけではない出来事だ。というか、誰が悪いかと言われれば悪いのはロズワールだ。

なので、スバルとしても他の面々としてもフレデリカとガーフィールの二人を責めることは考えていない。

 

――だが、その周囲の考えと、当事者本人の考えは違うということなのだろう。

 

「難儀な話だよな……」

 

結局、フレデリカの責任感が強すぎるという話なのだ。

もともと、『聖域』という場所が失われたとき、中の住民が困らないように居場所を作ろうと外の世界へ踏み出したフレデリカだ。十歳前後の少女の決断としては気高く重たすぎるそれを背負ってきた。あるいはその気負いすら、ガーフィールを置き去りにしてきたことを起因としていたのかもしれない。

 

結果、『聖域』が失われて、フレデリカの懸念した出来事は現実のものとなった。

彼女の働きかけのおかげで、『聖域』の住民を受け入れる態勢は方々で拙いものではあるが形になっていた。その点の功績は自分でも誇るべきものだ。

それでも、達成感より罪悪感が大きいのは、自責の念が強すぎるだろう。

 

「っていうか、ダメだろ、そんなもん。すげぇことやったんなら胸を張らねぇと」

 

「うん、私もそう思う。それで悪いことしたと思ったら、ちゃんと謝るの。それで許してもらって……あの二人には、仲良くしてほしいな」

 

すでにガーフィールとフレデリカの両方の姿が消えた廊下。

先ほどまで二人が対峙していた場所に目をやり、エミリアが紫紺の瞳を儚げに細めてみせる。その横顔を窺い、スバルは「そうだよな」と頷いた。

 

「よし。ここはいっちょ、俺らでどうにかできるように背中押してやるか」

 

「背中を押すって……仲直りさせてあげるの?」

 

「そうそう。こじれた兄弟、姉弟、人間関係。粘性強くて動けないなら、外野が掻き回して新しい空気を入れてみようじゃありませんか」

 

手を叩き、スバルは指を一つ立てて提案の姿勢。

エミリアはしばし沈黙して思案したあと、決心した顔で頷いた。

 

「そう、ね。うん、家族は仲良くしてほしいと思う。わかった。やりましょう。しゃかりき頑張って、あの二人を仲直りさせなきゃっ」

 

「しゃかりきってきょうび聞かねぇな……」

 

小さく拳を固めてやる気十分なエミリアに、スバルはぼんやりと呟く。

思えば、このやり取りとこの突っ込みも久しぶりだなと思いながら。

 

※※※※※※※※※※※※※

 

『聖域』を取り巻く諸問題がひとまずの落着を見せたのも束の間、エミリア陣営を襲ったのは壮絶な事後処理の問題と、今後の拠点などの問題だった。

 

ロズワールの企み(本人は関与を一部否定)によって焼け落ちた屋敷。

建て直しをするにしても、綺麗さっぱり黒焦げになったものの再建には時間がかかる。どうやらこの世界であっても、形を失ったものを再生させるような便利な魔法や、一瞬で建物を組み上げるようなフルメタルアルケミスト的な技術はないらしい。

普通に近場の村や町の土建屋か、あるいは貴族の邸宅や別荘を作る専門の職人を招いて作らせるより他に手段はないとのことだ。

 

「もーぉともと、あの屋敷は本邸とは異なる別邸……王選が始まる前に、エミリア様の存在を目立たせないために匿う場所だったからねーぇ。王選が本格的に始まったら、遠からず本邸の方に拠点を移すつもりだったんだよ。だーぁから、言うほどの問題は特段ないというわけだーぁね」

 

焼け落ちた屋敷とは別の拠点を求めたときの、ロズワールの答えがそれだ。

なんでも、メイザース家が所有する屋敷が焼けた別邸とは別にいくつかあるらしく、中でも本邸とされる場所こそが今後の拠点として用意されたものだとも。

 

維持管理を任されている関係者を除き、居住者がいないらしい本邸。

ひとまず、そちらの屋敷が主人たちを迎え入れる準備が整い次第、そちらへ拠点を移すことになるだろう。

問題はそれまでの間、焼けた屋敷の代わりにどこで過ごすかだったのだが。

 

「それも安心、抜かりはないとーぉも。『聖域』からそれほど離れていない土地に、わーぁたしの親類のお屋敷がある。メイザースの分家筋なんだがね。そこに厄介になることができるだろう。あまり大勢で押し掛けては困らせてしまうだろうけどね」

 

ロズワールの親類、というのが不安要素ではあったが、その提案に乗る以外の選択肢がその場の誰にもなかった。

そうして話し合いの結果、エミリア陣営の主要人物がその遠縁の屋敷を頼り、『聖域』とアーラム村の住民はひとまずアーラム村へ。『聖域』の住民たちはアーラム村の村民として迎え入れられるか、こちらで改めて領地内の別の町村を紹介する形だ。

それらの地盤固めをしていたのがフレデリカであり、素直に彼女の功績と判断されるべきものだったりする。

 

もともと、『聖域』の住民たちは亜人混じりとはいえハーフ揃い。人族と外見から大きく異なっているものもいないため、溶け込むのはさほど難しくはない。

外の世界を知らないが故の習慣の違いも、心優しいアーラム村の人々なら嫌がらずに手ほどきしてくれるはずだ。

体裁を整えても、様々な問題は後から積み重なることだろう。それでも現状、目立ったトラブルは起きていないのは、各々が最善を尽くした結果といえる。

願わくば何事かが起きる前に、目に付いた問題の解決を。

 

――ガーフィールとフレデリカ姉弟の関係改善は、そんな幸せな退屈の時間の中で解決されるべき問題だと判断されたのだった。

 

※※※※※※※※※※※※※

 

「そんなわけで、いざガーフィールとフレデリカの仲良し大作戦決行……と相成ったんだけど、何かいいアイディアない?」

 

「部屋に入ってきて、開口一番にのたまうのがそんな戯言?ラムの心穏やかな時間を邪魔した罪は重いわよ、バルス」

 

感情の凍えた声でそう言って、椅子に座るラムがスバルを下から睨みつける。

相変わらず表情の見えない顔だが、瞳にほんのりと感情が渦巻いて見えるのはそれなりの付き合いの賜物か。ラムの感情読み取り検定で級持ちのスバルの目から見て、今のラムの抱く感情は『不機嫌』というところか。

 

「お前、その目で俺のこと見ることが多いけど、俺と接するときってほぼほぼ不機嫌ってこと?そんな一日中、イライラしてて疲れないのか?」

 

「安心なさい。話すのが億劫になる相手や、接することが大した益にならないと思った相手を前にしているときだけよ」

 

「なるほど、安心し……ちょっと待て」

 

言外にスバルが今のどちらかであると言っているラムにスバルは眉根を寄せる。そのスバルの反応に、ラムは小さく鼻を鳴らして手にしていた本を閉じた。

それから彼女は席を立つと、それまで自分が座っていた席をスバルの隣に立つエミリアに譲ろうとする。

 

「エミリア様、どうぞ」

 

「ありがと。でも大丈夫よ。長居しても疲れさせちゃうだろうから、すぐ出るもの」

 

「そうですか。では遠慮なく」

 

「俺には勧めねぇんだ。そして本当に遠慮がねぇな、姉様」

 

譲りかけた席にまんまと座り直すラムに、スバルは肩をすくめる。が、そのスバルの言葉の一部で、ラムが微かに眉根を動かしたのが目に入った。

ラムが反応したのはおそらく、『姉様』の一言だ。

 

「レムさんの調子、変わってないみたいね」

 

「……ええ。今日も静かに、生きてるのかわからなくなるぐらい寝ています」

 

気遣わしげなエミリアの声に、ラムはわずかに声の調子を落として答えた。

二人の視線の先、ラムが座るすぐ傍らにはベッドと、眠る一人の少女がいる。

短い青い髪と、寝顔を見守るラムと瓜二つの顔立ち。薄く青い寝衣に身を包んでいるが、タオルケットを押し上げる胸の大きさだけがラムとは違う点だろうか。

 

言うまでもなく、眠り続ける少女の名前はレム。

ロズワール邸が焼け落ち、拠点を移動してなおも少女は眠り続けたままだ。その原因たるものが取り除かれない限り、おそらくはこのまま眠り続ける。

それも――、

 

「まだ認める気にならねぇのか?」

 

「言ったでしょう?言葉も交わしていないうちから、何もかも頭から呑み込めるほどラムは無思慮じゃないわ。……頭ごなしに否定するには、目の前にあるものの説得力が大きすぎるというのもあるけれど」

 

答えるラムは複雑な感情を薄赤の瞳に浮かべ、スバルは唇を曲げてしまう。

眠るレムを見るラムの表情は、以前の彼女らの関係を知るスバルからすればひどく物悲しい。姉は妹を溺愛し、妹は姉を敬愛する。

レムとラムの姉妹関係は、そうした美しい家族愛そのものだったのに。

 

レムは眠り続け、ラムの記憶の中にはその愛しい妹の名前も思い出も存在しない。

わかっていたことで、予想されていたこととはいえ、スバルにはそれが酷くやるせない感情を湧き立たせるのだ。

ただそれでも――、

 

「複雑な心境のわりには、毎日、足は運んでくれてるんだな」

 

「……どうしてかしらね。ホントのところ、ラムにもラムがどうしたいのかよくわかっていないのよ。ただ、なんとなくラムの妹を名乗るこの子の傍にいるのは気分が落ち着く。……いえ、落ち着かない気持ちもあるけど」

 

「落ち着かない気持ち?」

 

「自分と同じ顔を見てるから……というのとは違うでしょうね。この子の寝顔を見つめていると、胸の奥で何かがざわつくような気がするのよ。掴みどころのない靄を追いかけているみたいな、絶対に届かない感覚だけがあるのよね」

 

自分の胸にそっと手を当てるラムに、スバルは小さく息を呑んだ。

レムの記憶が失われ、スバル以外の誰もが彼女を忘れた世界――そんな環境であっても、唯一の肉親であるラムの中に彼女の存在は棘となって残っている。

ラム自身、その棘の名前がなんであるのかわかっていないようだが、それがレムという少女が敬愛する姉に残したものだとすれば、とっかかりはそれで十分だった。

 

「思い出話とか人となりとか、話せる限りは話してもいいぜ?」

 

「――やめておいた方がいいでしょうね」

 

記憶を取り戻す手伝いを申し出るスバルに、ラムは首を横に振って応じる。

スバルが眉根を寄せると、ラムは考え込むように唇に手を当て、

 

「この、届かない虚無感。ラムの中の、この子の存在があった場所に穴が空いているようなものよ。だとしたら、そこに何を注ぎ込んでもきっとこぼれ落ちていく。現にこの子がラムの妹だって……見た目なんて一番わかりやすい条件を突きつけられているのに現実感がない。こうして毎日会いに来るのをやめた途端……こうして抱いてる気持ちまで消えてしまいそうな気がするわ」

 

「……それが、魔女教の『暴食』の呪いっていうことなの?」

 

ここまで沈黙を守り、話に耳を傾けていたエミリアが聞き逃せない顔で言葉を挟み込んできた。顔を上げるラムの前で、エミリアは珍しく怒りめいた感情で眉を立てている。

 

「『名前』と『思い出』を喰らう悪食……魔女教に対していいイメージなんて最初からありませんでしたが、極めつけというべきでしょう」

 

「……魔女教」

 

ラムの述懐に、エミリアも目を伏せて小さくその単語を呟く。

一方でスバルは、ラムの推測に驚くとともに悪辣さに辟易していた。

レムのことをはっきりと覚えているスバルには実感がないが、レムの存在はラムやエミリアたちの記憶から『失われた』のではない。『失われ続けている』のだ。砂時計のこぼれ落ちる砂が止まらないように、こうしている今も延々と。

 

「結局、原因を断たないことにはどうにもならないってことか……」

 

スバルが思い出を語れば語るほど、落ちる砂の勢いが増すだけだ。あるいはスバルからすら、記憶は口にした途端に失われるかもしれない。

ラムの懸念は、この世界からレムのことが消えること――それもあるのだろう。

 

「エミリア様は、魔女教に対して思うところがおありのようですね」

 

唇を噛むスバルの隣で、ラムがエミリアを見上げている。薄赤の瞳に見つめられたエミリアは白い横顔を強張らせ、それからゆっくりと顎を引いた。

 

「これまでは私、『魔女』のことは色々考えてたの。特徴が似てるってことで、私もいっぱい悪口言われたから……でも、魔女教のことは」

 

「――――」

 

「自分で勝手に、忘れたいことの中に入れてたみたい。でも、思い出した私の中の『それ』と、今の『それ』はどうしても一緒に考えられない。あれから何があって、どうしてそんな風になったのか……私は、それを知りたいと思ってるの」

 

「エミリアたん、こんなこと言いたくないけど……あいつらはまともに言葉が通じるような奴らじゃねぇよ?たぶん、辛い思いすることになる」

 

エミリアの意思を挫くつもりはないが、口にしないのもフェアではない。

スバルの知る魔女教は頭から尻まで、全て狂信者で作り上げられた悪意の塊だ。エミリアの語る『それ』とやらが過去、どうだったのかはわからない。だが、今の魔女教は『それ』であるのだ。

 

「ありがと。心配してくれて」

 

そのスバルの憂慮に、エミリアは薄く微笑むと首を横に振った。

 

「大丈夫、私もわかってるから。私の記憶にある出来事も、一緒にいた人も……もう百年も前のことだもん。今も生きててくれてるはずなんてない。人の寿命で百年ってすごーく長いもんね。だから、また会えるなんて思ってないの」

 

「でも、どうなったのかは知りたい……っていうんだろ?」

 

「ごめんね、わがままで。でも、私だけはそれを知ってなきゃいけないと思うの。あの場所で起きたことも、あの場所にどんな想いがあったのかも……ジュースや母様がどんな気持ちでいたのか、見てたのは私だけだから」

 

二人の人物を思い描いているのか、エミリアの瞳は寂しく、しかし口元は優しい微笑を刻んだままだ。

母親の名前と、もう一人のジュース。それが、エミリアにとって大事な記憶と、今の魔女教とは似ても似つかない魔女教に通じる記憶だということか。

 

「複雑な気分だぜ、ジュースさんよ……」

 

口の中だけで呟き、スバルは顔も知らぬ相手への恨み言めいた吐息をこぼす。

エミリアが親しみと悲しみを抱いて、その名を呼ぶことへの複雑な念だ。魔女教がそのジュースなる人物が籍を置いていたときと方針が変わっていなければ、エミリアがこれほどの苦境に立たされていることもなかったことだろう。

どうせエミリアの味方として立つのであれば、最初から最後まで彼女の側に立っていてくれていたら助かったのに。と、虫のいいやっかみが浮かぶ始末だ。

 

「――でも、ラムはエミリア様のように優しく振舞える自信はないわ」

 

それは変わらず静かでありながら、底冷えするような敵意のこもった声だった。

スバルは無意識に息を詰まらせ、座ったままレムを見やるラムの横顔を見る。彼女は無表情の中、やけに赤く見える瞳の光を躍らせ、

 

「魔女教がどうあろうとラムには関係ない。エミリア様が話を聞きたいと、そう思う気持ちに口出しすることはしないわ。しないけれど、ラムの復讐とそれとは話が別と覚えておいてください」

 

「ラム……」

 

「魔女教だか暴食だかなんだか知りませんが、ラムは受けたものは恩だろうと仇だろうと必ず返す。人の心に穴を空けるような卑劣漢、八つ裂きにしても足りないわ」

 

怒気と鬼気が、全身から溢れ出し、小柄なラムの姿がぼやけて見える。

まるでそこに、圧倒的な存在感を放つ巨躯――それこそ、『鬼』がいるように。

 

「暴食はラムが、記憶に残すことが恐れ多いほど引き裂いて殺すわ」

 

決意というより、それは死刑宣告だった。

この場に宣告された相手がおらず、声音すらも平静を装っている。にも拘わらず、それは紛うことなき死刑宣告――背中に氷柱を突き込まれたような感覚に、スバルは声を発することすら躊躇わされる。

 

「――――」

 

それきり、しんと沈黙が落ちてしまう一室。

身じろぎする音を立てることも、張りつめた空気を割ってしまいそうで行動にできない。その緊張感を破ったのは、他でもなく緊張感を張った当人だった。

 

「らしくない話をしたわね」

 

吐息まじりにこぼした途端、それまでの空気が一瞬で消え失せる。スバルは安堵に肩を落としながら、

 

「んや、らしくないことねぇよ。俺の知ってるラムは、そうやって妹のことになると乱暴な部分も含めてお姉ちゃんしてたぜ」

 

「……そう」

 

物騒な物言いではあったが、純粋にレムを思って出た言葉には間違いない。スバルはその部分だけを評価して、ラムの気持ちを嬉しく思う。

それに、『暴食』を許せないのはスバルも同じだ。できるなら暴食の首は、ラムにすら譲らずにスバルが討ち取りたいとすら思っている。

 

誰かを殺す感覚――ペテルギウスとのガムシャラな戦いの結末は、あまりはっきりとした手応えをスバルに残してはいなかった。あるいは肝心の場面で、命を奪うことへの躊躇いがスバルの足を引っ張るのかもしれない。

それでも、『暴食』は許し難く、レムを救い出すためならばという覚悟はあった。

 

「……話の本筋がずれちまったな」

 

頭を掻いて、スバルは今しがた考えていた黒い考えを表情に出さない。

ラムが意味ありげに、エミリアが気遣わしげにこちらを見ていたが、どちらにも笑みを浮かべてみせることができたはずだ。

 

「そうね。こうしてのんびりと、降って湧いた休暇を楽しむラムの邪魔をするんだから、相応の要件を持ってきていたはずよね」

 

「なんだその傍若無人なプレッシャーの掛け方。そもそも、お前と同じ立場のフレデリカは客分扱いは申し訳ないって屋敷の仕事手伝ってるんだが」

 

「ラムは負傷中の身だもの。それに、客分待遇なのに働くフレデリカの方がかえって空気が読めていないわ。……ガーフが傍にいるのにジッとしていられないのと、クリンドあたりに焚きつけられたに違いないわよ」

 

「クリンドさんに?」

 

ラムが忌々しげに呼んだ名は、スバルたちがこうして厄介になっているメイザース分家に仕える家令の青年の名前だ。

細面の美青年で、『出来る優男』の雰囲気がすさまじい人物である。ユリウスに近いものを感じるが、奴と違って物腰が丁寧かつ非常に気遣いのできる御仁だ。

それだけに、ラムがあまり彼を好意的に見ていないのがスバルには不思議だった。もっとも、ラムの目からはロズワール以外の全てがそう見えているのかもしれないが。

 

「フレデリカとクリンドの相性の悪さは当人たちに聞くといいわ。それより、読書に戻りたいから早く要件を話しなさい」

 

「ごめんね、いつまでも長いお話して。最初にスバルが話してたと思うんだけど、フレデリカとガーフィールのことで……」

 

尊大なラムに、エミリアがようよう話題の修正を図る。

ガーフィールとフレデリカの気まずい関係をどうにかしよう、という計画は立案されたがいいが、肝心の内容についてはいきなり暗礁に乗り上げた。

というのも、姉弟関係の修復という課題に取り組むにはスバルもエミリアも経験値が浅かったためだ。

 

スバルは押しも押されぬ一人っ子であり、エミリアもまた同じだ。

互いに兄弟姉妹に恵まれなかったため、親子とは違った血の繋がりに対する答えがなかなか閃かなかった。そもそも二人の場合、その親子関係すらも一般的からは少々離れていたのだが、そのあたりは割愛する。

 

そのため、アドバイザーを求めて屋敷の中を歩き回り、ひとまず居場所がはっきりしていたラムの下を訪ねたというわけだった。

なにせ、スバルとしては最も身近な位置にいる姉妹だ。現状、二人の関係はスバルの記憶の中以外からは消えてしまっているが、それでも姉と妹として良好な関係を築いていたことを思えば、ラムから有益な話が聞き出せるかもしれない期待があった。

それになんといっても、ラムは当事者であるガーフィールとフレデリカの姉弟とは古馴染の関係だ。こちらが知らないエピソードから、二人の間の十年間の溝を埋めるアプローチを思いついてくれるかもしれない。

 

そんな諸々の期待を込めた瞳をラムに送りかけて、エミリアの唇の動きが止まる。

硬直するエミリアに首をひねり、スバルは何があったのかとエミリアが見つめているものの視線を追いかけ、同じように止まった。

 

「……なに?」

 

二人の視線を受けるラムが、ひどく居心地が悪そうに目を細める。

その彼女の手の中には、スバルたちの視線を浴びる一冊の本が。

 

『弟や妹と距離を縮めるには』という、要件に非常にクリティカルなタイトルの本を抱えていたのだった。

 

――どうやら、兄弟姉妹との関係を測りかねているのは一組だけではなかったらしい。