『賢者の監視塔』


 

「賢者、シャウラ……」

 

アナスタシアの口にした人名に、集会場をどよめきが広がった。

皆が顔を合わせ、耳を疑うような表情を作る中、スバルだけがその状況に置いてけぼりにされる。

スバルは困った顔をしながら、隣にいるエミリアの肩をちょんちょんと突き、

 

「あのさ、賢者シャウラって有名な人?」

 

「……スバル、文字の勉強するときに『魔女』のお話とか読んでなかったっけ?たくさん読んでた本の中に、そのおとぎ話もあったと思ったんだけど」

 

「おとぎ話の『魔女』って……あー、絵本な。そういえば確かに『魔女』のお話も載っかってたと思ったな」

 

エミリアに指摘されて、一年前の古い記憶を引っ張り出す。

めまぐるしい日々の思い出に埋もれかけていたが、子ども用の絵本で文字の勉強をしたのは一年前――ロズワール邸で世話になり始めたばかりの頃だ。

この世界ではポピュラーな内容の童話をまとめた傑作集であり、その中には確かに『嫉妬の魔女』について描かれた内容があった。ただし、その中では、

 

「正直、そこまで詳しい内容じゃなかったから中身まではさっぱりなんだよ。昔、あるところで魔女が悪さしました的な程度でさ」

 

「そんなぼんやりした内容だったっけ……えっとね」

 

「――かつて、この世界に混沌と破滅をもたらした恐怖の象徴『嫉妬の魔女』」

 

無知をさらすスバルに、エミリアがどう説明したものかと考え込んだときだ。そのエミリアの向こう側に座るユリウスが、彼女に代わって口を開き、

 

「彼女は影を操る絶大な魔力と、残忍で冷酷極まりない性格のハーフエルフであったとだけ記録が残されている。それ以外には名前……サテラ、という名前だけしかわかっていない。今なお、その存在が世界に残した爪痕は色濃く残っているがね」

 

「……へえ」

 

訥々と、感情を極力殺したユリウスの説明にスバルは顎を引く。

淡々とした説明に注力する姿勢が、彼の心境をかえって痛々しく表していたが、その場の誰もそのことには触れず、その間にも彼の説明は続いていく。

 

「ルグニカ極東の大瀑布、そこに封魔石で作られた祠がある。彼の魔女は今も、その祠の中に封じられているんだ。膨大な瘴気を吐き出しながら」

 

「……滅ぼせちゃいない、とは聞いてたけどな。でも、よくそんな強力な魔女を封印なんて真似ができたもんだ」

 

「そこに、先ほどの賢者の名前が関わってくる」

 

スバルの疑問を聞き、ユリウスが頷いた。

騎士は自分の腰の剣に触れて、視線を円卓の端――赤毛の青年へ向けると、

 

「四百年前、『嫉妬の魔女』の封印に貢献したのが三名の英雄だ。その中の一人、『剣聖』の名がレイド・アストレア――ラインハルトの継承する『剣聖の加護』と称号を最初に得た、剣の申し子だ」

 

「初代の『剣聖』である、レイド・アストレアは加護を受けていなかった、という記録もある。知られている伝承ばかりが一概に事実ではないよ。もちろん、そのレイド様が今のアストレア家と『剣聖』の名を作り上げたことは史実だけどね」

 

自分を見るユリウスに、当事者の子孫であるラインハルトが補足する。

ただ、歴史に残る偉業を成し遂げた先祖の話題にしては、それを語るラインハルトの表情はどこか思わしげだ。それはユリウスを気遣っているようでもあり、自身の継承する加護の話題に積極的ではないようにも見えた。

ともあれ、

 

「で、その剣聖の仲間に賢者がいたって流れなわけだ」

 

「正確には賢者シャウラと、神龍ボルカニカ……ほら、ルグニカ王国を守護してくれているドラゴンのこと。その『嫉妬の魔女』を封印する戦いで力を合わせたことが、今もボルカニカが王国を見守ってくれている約束の切っ掛けなんだって」

 

『神龍』ボルカニカの名前に関しては、王選の決意表明の場で何度も聞いた。

龍の血は荒れた大地に豊穣をもたらし、あらゆる病をも克服し、絶大だか絶倫だかにするというすごい触れ込みだった記憶だ。

 

「その『剣聖』、『賢者』、『神龍』を三英傑と呼ぶのが習わしだ。覚えておくといい」

 

「おお、燃えるな……わかった、説明ありがとう」

 

ユリウスとエミリアに手を挙げ、それからスバルはちらとベアトリスを窺う。少女はスバルの視線に気付くと、首をゆるゆると横に振った。

残念ながら、四百年前の伝説に関してはベアトリスも与り知らぬところらしい。

 

エキドナに作り出された人工精霊であるベアトリスだが、禁書庫を維持するのに必要な情報以外にはとんと疎い。ひきこもっていた期間も長すぎるため、世情にもかなり鈍感であるため、そのあたりの裏事情はわからないといった感じだ。

 

「議論を停滞させて悪かった。話を続けようぜ。肝心の賢者シャウラだけど……」

 

話の腰を折ったことを詫び、スバルは率先して話を元の路線に戻そうとする。が、そこまで口にしたところで違和感に気付き、首を傾げざるを得ない。

四百年前の英雄、『賢者』シャウラの背景はわかったが――、

 

「え、なに、生きてんの?四百年だよ?」

 

「そんなに不思議かな……私も、ホントは百歳ぐらいだし……」

 

「――!?」

 

スバルの呟きに、エミリアが唇に指を当てながら不思議そうな顔をする。その呟きに軽く集会場がざわめいたが、逆にスバルは「確かに」となった。

落ち着いて考えれば、ハーフエルフのエミリアは実年齢だと百歳超えだし、ベアトリスだって四百歳ぐらいのロリだ。パックも四百歳とか言っていた気がするし、エミリア陣営の平均年齢はひょっとすると百歳前後ではないだろうか。

 

「わりと衝撃の事実……はともかく、賢者の生死に関しては」

 

「生きている。――それは間違いないらしい」

 

「らしい……?」

 

イマイチ、歯切れの悪いユリウスの答えにスバルは眉を寄せる。

ただ、歯切れの悪いのはユリウスだけではなく、周囲の全員が同じだ。とりわけ、難しい顔をしたのはフェリスやラインハルト、近衛騎士団の面々だった。

 

「ええと、どゆこと?」

 

「所在は知られているし、おそらくではあるが生存も確認されている。だが、肝心の賢者と言葉を交わせた人間はいない……ということになるだろうか」

 

「ますます、どゆこと?」

 

居場所がわかっていて、曖昧だが生存も確認できている。が、接触は不可能。

そんな感じのまとめ方になると思うのだが、

 

「現在、賢者シャウラは『魔女の祠』の近くに塔を立て、そこで『嫉妬の魔女』の復活を目論む輩を牽制するため、ずっとこもっていらっしゃる。当時からずっとだ」

 

「……四百年?」

 

「四百年」

 

途方もない話だった。

四百年間、禁書庫にこもりっ放しだったベアトリスも相当だが、その賢者シャウラとやらもかなりの頑固者だ。

 

「賢者シャウラの住まう塔――プレアデス監視塔っていうんだけどネ。そこで、賢者様は日夜ずーっと魔女復活を阻止するために戦い続けてるわけ」

 

「……うん、塔の名前に思うところはあるけどいいや、続けて」

 

「続けてっていっても、それで大体終わりだよ?賢者シャウラは身を粉にして、世界平和のために祠を見張り続けるのでしたーってお話」

 

ちゃんちゃん、とフェリスが不機嫌そのものの顔で手を叩く。

おしまい、と言われても全く話がしまっていないのは、彼の態度からも明らかだし、それだけでは集会場のこのお通夜ムードが説明できない。

当然、何かしら理由があるはずだが――、

 

「その、なんか問題がある人なのか?」

 

「世界平和のため、魔女を見張り続ける賢者シャウラ……その名前は広く、世界中で知られとるよ。ウチもカララギにいてた頃から知ってたし。せやけど、同時に賢者シャウラはこうも知られとるんよ」

 

「――?」

 

アナスタシアがはんなりと微笑み、一拍、言葉の溜めを作る。

そして、嫌な予感を覚えるスバルに向かって、言った。

 

「賢者シャウラは誰一人信用できない極度の人間不信。――祠と監視塔に近付く人間は、目的がどうあれなんであれ、そのことごとくを皆殺し、なんやて」

 

※※※※※※※※※※※※※

 

――アナスタシアの説明によると、こういうことだ。

 

プレアデス監視塔を建設し、『魔女の祠』を見張り続ける賢者シャウラ。

彼の賢者と接触、交流を持とうという試みはこれまでにも何度も、そして何人もの挑戦者がいたのだが、その目論見の全ては失敗、頓挫している。

 

それというのも、他でもない賢者シャウラ自身の妨害によって、だ。

 

「ルグニカ東端の大瀑布……『魔女の祠』と監視塔は地続きの場所にあるらしいんやけど、賢者からしたら近付く人間がどっち目的なのかわからんからね」

 

故に、賢者は『魔女の祠』を暴こうとする不埒な魔女教徒であれ、監視塔の賢者に友好的なコンタクトを取ろうとする人間であれ、区別なく皆殺しにする。

対象の善悪、好悪、正義も悪意も関係なく、それが最善だからだ。

 

結果、賢者シャウラと接触できた存在はこの四百年間、一度も報告されておらず、記録にも残っていない。

 

「でーも、近付くと攻撃されるって状況は延々続いてるから、賢者シャウラが監視塔に今もいるってことだけは間違いないってお話にゃの」

 

「すげぇ傍迷惑な賢者だな……」

 

「そうでもにゃいよ。実際、スバルきゅんの想像以上に祠に近付こうとする魔女教徒って多いから。それを片っ端からやっつけてくれる賢者さんは、『嫉妬の魔女』の復活を防ぐって目的だけはしっかり守ってるもん」

 

とはいえ、肯定的な意見を述べてはいてもフェリスの表情は晴れない。浮かばれない顔をしているのは、近衛騎士団全員に共通しているため、おそらく騎士団規模で賢者に痛い目を見せられた経験があるのかもしれない。

 

一方で、スバルはフェリスの建前の意見に頷いてもいる。

確かに目的のために手段を選ばない、という見方をすれば迷惑極まりないが、魔女教徒の性質の悪さを考えれば当然の警戒だ。

むしろ、それだけ『嫉妬の魔女』を警戒し続ける存在がいたからこそ、この世界は『嫉妬の魔女』の存在にある程度の安全装置が働いているとも考えられる。

 

「夜を儚み、時間の許す限り怯えて暮らす隠者の正体なぞどうでもよい。大事なのは妾の有限の時間を借りている事実であろう。無駄話が続くのであれば、妾は早々に宿に戻るぞ。シュルトに足を揉ませねばならぬ」

 

「は、はいであります!プリシラ様は頑張って大変お疲れであります!心を込めて労うのでありますよ」

 

抱き寄せられ、豊満な胸に埋められるシュルトが赤い顔で応じる。少年を悪女の笑みで撫ぜるプリシラは、そもそもこの話し合いに大した価値を見出していない。

彼女が癇癪を起こさず、ここまで付き合っていること自体、奇跡のようなものだ。

 

「そこのお姫様と一緒ってのはアレだけどさ、そろそろ本題に入りてーってのはアタシも同感だな。話せよ、賢者のこと」

 

と、本題に切り込むべきとフェルトも逸った顔で要求する。

その様子に同感だと、スバルはアナスタシアを振り返り、

 

「何度も中断しててアレだけど、その世捨て人っぽい賢者がどうだって?」

 

「そぉれでお話がやっと最初に戻るんよ」

 

アナスタシアが手を叩く。彼女はそのまま、狐の襟巻にそっと触れながら、円卓にいる全員の顔を見渡し、

 

「――賢者シャウラが類稀なる知恵と魔力で、『嫉妬の魔女』の封印に貢献したんはみんなも知っとる通り。そして世界を見通すともいわれる見識の広さと、この世の全てを知るともいわれる知識。どっちも誇張なしのホントの話やったら……魔女教のおいたをどうにかする方法も知ってそうやと思わへん?」

 

「……けど、それもあくまで希望的観測って話なんだよな?」

 

「それ、ナツキくんは反対いうことなんかな?」

 

質問に質問を返される形だが、アナスタシアの問いかけへの答えは難しい。

単純に、『賢者』の肩書きだけ見れば頼ってみるのは正直有りだ。その点はスバルも悪い案だとは思わない。伝承に残るほどの功績を挙げた人物であれば、あるいは本当に大罪の魔女因子に抵抗する手段を知っているかもしれない。

 

ただ、それとは別の不安がスバルを捉えて離さない。

『賢者』シャウラの名前と、賢者の住まうプレアデス監視塔。その二つのキーワードが、スバルに素直に提案を受け入れさせないのだ。

シャウラとプレアデスはどちらも、スバルにとって馴染み深い単語なのだから。

 

「――――」

 

シャウラは、スバルの知る現代知識の中で、蠍座の二等星を示す名前だ。

プレアデス監視塔のプレアデスなどはもっと露骨で、それはプレアデス星団という星々の集まりの名前であり――その和名を、『昴』という。

無論、それがナツキ・スバルのことを示しているとまでは思わないが、この世界でスバルの知る星の名前が出るだけで警戒度MAXである。

 

魔女教大罪司教――ペテルギウス、レグルス、シリウス、カペラ、アルファルド、バテンカイトス。

名前の判明している大罪司教全員が、その名前にスバルの世界の星の名前を冠している現状、賢者シャウラとプレアデス監視塔に先入観を持たない方が不可能だ。

 

「スバルきゅんの反対意見はともかく……」

 

効果的な反論が浮かばず、押し黙るスバルに代わってフェリスが口を挟む。彼は頬に指を立て、険しい目つき以外は普段の態度を装いながら、

 

「賢者シャウラを訪ねるって意見自体はいいかもですけど、どうやってってところが問題なんじゃないですか?その方法はあるの?誰も監視塔に辿り着けないのに」

 

「辿り着けねーってのは、その賢者が強すぎるって話なのか?」

 

思わせぶりなフェリスの言葉に、フェルトが椅子の上に胡坐を掻きながら尋ねる。彼女がちらと横目にするのはラインハルトだ。

なるほど、単純に賢者の力量に及ばないというだけであれば――、

 

「ラインハルトがいればどうとでもなるんじゃねーの?強いとこしか使い道ねーけど、強いってだけならすげーぞ」

 

「フェルト様が褒めてくださるのは珍しいですね、ありがとうございます」

 

「これだよ」

 

ラインハルトの受け答えに、フェルトが不機嫌に舌打ちする。が、ラインハルトはそのあとですぐ、困ったように眉尻を下げた。

そのまま彼は「ですが……」と申し訳なさそうに前置きし、

 

「残念ながら、僕は監視塔には辿り着けませんでした。力不足です」

 

「……コイツが力不足って、ちょっとやべーとこなんじゃねーの?」

 

「戦力の不足、という意味ではありませんよ、フェルト様。ラインハルトの実力で及ばない領域はこの世界にはないでしょう。ただ、プレアデス監視塔はそういった障害とは問題が異なるのです」

 

「よく知ってる……って、近衛騎士だったんなら当たり前か」

 

ラインハルトのフォローをするユリウスに、フェリスがやりづらそうな顔をする。近衛騎士三人の関係がぎくしゃくするのを横目に、スバルはラインハルトに、

 

「賢者に会おうってのは何の目的だったんだ?」

 

「王国の命令だよ。病の治療法を、ね。――二年前のことだ」

 

「二年前……」

 

病と、二年前というフレーズがスバルにその背景を理解させた。

今から二年前といえば、ちょうど王城で王族たちが次々と原因不明の病に倒れていたとされた時期だ。治療法のわからない流行病――おそらく、ラインハルトに命じられたのはその病の治療法を知るための、賢者との接触だったのだろう。

だがそれは果たされず、だからこその近衛騎士三人の沈痛な顔だ。

 

「監視塔と祠は、ルグニカ東端の大瀑布――その周囲に広がるアウグリア砂丘の中に存在している。砂丘の入口から遠目に監視塔は確認できるんだ。だから、その場所は見失わないはずなんだが……」

 

「なんだが?」

 

「砂丘には不可思議な現象が頻発していて、監視塔に近付くことができない。一説には祠から漏れ出す瘴気が原因ではないかと言われている」

 

「その上、瘴気に引き寄せられてアウグリア砂丘は魔獣の巣窟と化している。瘴気の満ちた土地では、魔獣の獰猛さと強靭さは桁違いだ。そういう意味でも、あそこへ向かうのはそもそも自殺行為とされているんだよ」

 

「迷いの砂漠With魔獣の巣窟ってわけだ。確かに地獄……」

 

賢者自体の厄介さに加えて、ラインハルトすら踏破できない砂漠に、その砂漠を跋扈する大量の魔獣――これは断念の要素が多すぎる。

賢者への接触が四百年間、一度も果たされていないのも納得だ。

 

「――せやけど、もしもその地獄、渡る手段があるとしたら?」

 

「――――」

 

暗鬱な雰囲気が立ち込めかけた瞬間、ふいの言葉に全員が顔を上げた。

まさに最高のタイミングで割り込んだ、とばかりにアナスタシアは会心の笑みを浮かべる。そして彼女は、全員に見えるように頷いて、

 

「それがあるから、ウチもわざわざ賢者の名前を出したんよ」

 

「四百年も隠遁してる賢者に辿り着ける方法を、カララギ出身のアナスタシア様がこのタイミングで知ってる?……どんな方法なのやら」

 

「可愛い顔が台無しや。刺々しい顔せんでも、ちゃぁんと説明したるよ」

 

食ってかかるフェリスを軽々と受け流し、アナスタシアは首から襟巻を外す。

そして彼女は、円卓の上に襟巻を広げると、その頭の部分を持ち上げ、

 

「防衛戦の前に話したやろ、ウチの人工精霊エキドナ。この子が、プレアデス監視塔までの道を知っとるんよ。――やから、監視塔の賢者に会いにいける」

 

「――――」

 

アナスタシアの断言に、スバルは息を呑んだ。

人工精霊エキドナ、狐の襟巻に扮したその存在が、賢者に辿り着く鍵。

 

「――そんなに注目されるとなんだね。照れるよ」

 

そう言って首をもたげる白狐の精霊。

その名を借りる魔女と同様に、どこまで信じられるかスバルには未知数だった。