『精霊騎士二人、強欲商人と無欲天使』


 

こちらの予想を裏切る、アナスタシアの先制攻撃。

『水の羽衣亭』の存在感に気圧されたまま、追撃するように歓迎を受けたスバルたちはとっさに彼女への反応が遅れる。

 

「――ご丁寧にありがとう。私たちの方こそ、わざわざお出迎えにきてもらって安心しました」

 

ただし、それはエミリアを除いての話だ。

同じだけの驚きを味わっていたはずのエミリアが、アナスタシアに対して穏やかな返答をするのを聞いてスバルは我に返る。見れば、ガーフィールは見覚えのないアナスタシアに怪訝な顔をし、ベアトリスはスバルの袖を掴んで引いている。

旅館の風情が彼女らに与えた影響は、どうやらスバル個人の動揺に比べればずっと少なく済んだようだ。それも当然か。あれに驚くのは、あれを知るものだけだ。

 

「――ええ顔、するようになったなぁ」

 

吐息をこぼすスバルを置き去りに、アナスタシアがエミリアを見つめ返しながらそう呟いた。浅葱色の瞳には皮肉げな輝きはなく、呟きにも侮る響きはない。

今のほんのささやかなやり取りで、彼女にもエミリアの一年間の変化が多少なり伝わった様子だ。それはそれは、以前とは見違えたことだろう。

 

「まぁ、可愛さは前のまま……いや、それもレベルアップしてるけどな」

 

「スバル、戯言をほざくときの顔になってるかしら」

 

ベアトリスの注意を聞き流しながら、スバルは鼻の下を指で擦る。すると、そのスバルを見たアナスタシアが薄く微笑み、

 

「ナツキくんとは、白鯨討伐の論功のとき以来やっけ。ロズワール辺境伯とは相変わらずなんかな?」

 

「その節はお見苦しいところをお見せしまして。おかげさまでどうにかうちの陣営としても破綻せずになんとか。持ちつ持たれつは相変わらずです」

 

「そかそか。ま、それもえーと思うよ。今回は二人一緒にきてくれて嬉しいわ。ユリウスも、ナツキくんに久しぶりに会いたがってたもん」

 

両手を合わせるアナスタシアの言葉に、スバルはわかりやすく顔をしかめる。

その反応にエミリアとアナスタシアが同時に笑い、ますます居心地が悪い。二人は少し、スバルとユリウスとの間にある複雑な関係を誤解している節がある。

エミリアなどは何度言っても、その認識を改めてくれないのだが。

 

「あァ、よッくわッかんねェんだけどよォ。そこの女がエミリア様の敵の一人ってことでいいのか?」

 

と、それまで会話に参加していなかったガーフィールが、隙間に乗じて抱えていた疑問を口にする。が、その言い方がなんとも乱暴で敵愾心が丸出しだった。

スバルが頭に手をやり、アナスタシアが丸い目をさらに丸くする。

 

「ガーフィール。その、極端な言い方をしたら間違ってないんだけど、もうちょっと柔らかくね?今日はご招待してもらった立場なんだから」

 

「そうは言ってもよォ。いずれは噛みつき合う仲ってんだろ?あんッまり仲良くしてっと後で殴るときに心が迷うッことになんぜ」

 

「そうね。ガーフィール優しいから、そういう心配はあるんだけど……」

 

「――っ!だ、誰が優しいってんだ。エミリア様、言い方に気ィつけてくれや」

 

その言い方を注意されたばかりのガーフィールが、エミリアの皮肉っぽくなった天然に文句を言う。そのままエミリアを通り越し、ガーフィールは照れの原因をアナスタシアの方へ追及しようとした。

しかし、

 

「あー!ガーフきてたー!お嬢、なんで内緒にしてたのー!」

 

ガラガラと高い音を立てて、宿の木戸が勢いよく開かれた。

そして向こう側から顔を出すのは、愛らしい顔を天真爛漫に輝かせる猫娘――ミミだ。彼女はローブの裾を翻し、石垣を飛ぶように越えてスバルたちの前へ。

そのまま驚く面々の中、ガーフィールの腕をしっかりと掴み、

 

「よくいらっしゃいました、疲れたでしょー!さー、ミミが部屋まで案内したげるー!そんで、その後はお宿のタンケン!ここねー、すげーの。なんかミミが見てきたとことなんか違うの、そこがすごー!」

 

「オ、オイ、待て、コラ!俺様ァまだ話すことが……力つよっ!?」

 

「ほらいこー!すぐいこー!」

 

小柄なミミが力一杯にガーフィールの腕を振り回し、膂力で勝るはずのガーフィールが体勢を崩しながら引っ張っていかれる。

おそらくは体術を使われている影響もあるのだろうが、単純にガーフィールがミミを振り切るだけの大人げなさを発揮していない部分が大きい。大人げなくとは言ったものの、あの二人は同い年のはずなのだが。

 

「えっと……」

 

ほとんど抵抗できずにガーフィールが連れ去られて、二人の姿が宿の中へと消えてしまう。エミリアが困った顔でアナスタシアを見ると、アナスタシアも珍しく眉を八の字にしながら、

 

「はぁ、ミミのいきなりさにはウチもいつも困らされとるんよ。それにしても、今のはちょっと驚きやったけどね」

 

「あ、そうなんだ。よかった。置いていかれてたのが私だけだったらどうしようかと思っちゃった」

 

「そんなんないよ、安心してな。ただ――」

 

共通の思いからいくらか柔らかな表情、それを見せていたアナスタシアの視線が一挙に鋭くなる。背筋を凍らせるようなその視線は、スバルが思わずエミリアの前に立ちそうになるほどのものだった。

その視線のまま、アナスタシアはその唇を震わせ、

 

「あのミミをたぶらかした子、どんな子なんかちゃんと聞かせてもらいたいわ」

 

それは可愛い娘、あるいは妹に悪い虫がつくことに静かな怒りを燃やす、女家族の低く獰猛な問いかけだった。

ぼんやりと、ミミが愛されていることが伝わってきて、とりあえずスバルは着いて早々なのにもう疲れた気分になる。

 

「……なんでナツキさん、いきなりそんな疲れた顔してるんですかね?」

 

ちょうど、竜車を預け終えて戻ったオットーが、宿の入口前で憔悴した様子のスバルを見つけて、そんな風に言いながら合流した。

 

※※※※※※※※※※※※※

 

『水の羽衣亭』の大広間だが、その床は全面板張り――宴会場が畳張りになっているような奇跡までは、さすがにスバルを出迎えることはなかった。

 

「そこまで拘られてたら、さしもの俺もなんとも言えない気分になるけどな」

 

「さっきっから何をぶつくさと言っているのよ。落ち着きがないかしら」

 

床に敷かれた座布団的なクッションに尻を乗せて、スバルはきょろきょろと部屋の中を見回す。隣のベアトリスは女の子座りで平然としたものだが、エミリアなどは直接、床に座るこのスタイルにどこか戸惑っている様子だ。

座る正面にはこれも素材が木でできた長机があり、畳敷きでない点を除けば和風旅館の大広間の情景そのものに近い。

ただ、その筋のプロであるスバルからすればマイナスポイントもいくつかある。

 

「たとえば、襖とか障子が残念ながら再現できてない。あと、従業員が和装でないのも減点だな。それなりに雰囲気作っちゃいるけど、こんだけ旅館の外観に力を入れてるわりにはどっかお粗末だ」

 

従業員の接客態度などには、スバルの知る『おもてなし』の精神をどこか感じる。しかし、その格好があくまで洋装――ファンタジー感を抜け切れていない部分の違和感は拭い去れない。

 

「だから、総合点で七十点。優・良・可でかろうじて可ってところが俺の採点だ。これに腐らず、今後も精進してもらいたい」

 

「だから何を言ってるのよ」

 

「戯言・戯れ言・軽口の類だよ。これやってると焦ってる気持ちが落ち着くからな。……もう、手ぇ離してくれても大丈夫だぞ。落ち着いたから」

 

「……念のために、もうちょっと握っておくかしら」

 

左手を握る感触がわずかに強まり、スバルはそれ以上は何も言わない。

代わりに自分の右に座るエミリアに顔を向けると、物珍しげに室内を見渡していたエミリアが視線に気付いた。

 

「なんだかすごーく不思議よね。外から見ても珍しいものばっかりだったけど、中に入るともっとそう感じちゃう。床に座るし、靴も脱いでるし……」

 

「寝室にベッドなしで、床に布団を敷くんだよ。慣れないと戸惑うと思うから、後で俺が手伝う……旅館の人がやってくれっかな?」

 

「珍しく下心を感じさせない申し出ですね。……っていうか、ナツキさんはずいぶんとカララギ式の風習に詳しいんですね?」

 

スバルとエミリアの会話に、ベアトリスを挟んで反対に座るオットーが混ざる。彼の口にした『カララギ式』という単語に、スバルは眉を寄せた。

 

「カララギ式って、この建物とかそういうもののことか?」

 

「そうですよ。こうしたワフー建築様式は、カララギ伝来技術ですね。向こうでも一般的というほど普及はしてませんが、物珍しいってほどじゃないぐらいには点在してるそうです。この『水の羽衣亭』も、そうした伝統の受け皿でしょうね」

 

「ワフー建築とか改めて聞き逃せねぇんだけど……なんでまた、この旅館はその影響を受けてんだ?いや、客引きの営業努力に何故もなにもねぇかもだけど」

 

和風ならぬワフー建築となれば、いよいよ疑う余地もない。あとスバルが欲するのは確信だけだ。それを得たところで、どうなるという思いもあるが。

そんなスバルの考えを補填するように、オットーは指を一つ立てて、

 

「おそらく、プリステラにホーシンの影響が色濃く残っているからでしょう。元々、プリステラはホーシンが立ち上げに携わった最初期の都市と聞いてます。カララギ建国の雄として名を上げる前の、ホーシン立身伝の序幕ってところでしょうか」

 

「本当に色々やってんだな、その『荒れ地のホーシン』って」

 

「世が世なら、それこそホーシンが賢者って呼ばれててもおかしくなかったんじゃないですかね。まあ、彼の功績が大きすぎたせいで、このプリステラの扱いもずいぶんと二国間で揉めていたんですよ。今でこそ、正式にルグニカ領土となってますが」

 

オットーの話ではほんの百年ほど前まで、プリステラはルグニカとカララギの二国間で領土問題の火種になっていたらしい。地理的にプリステラはルグニカ領土ではあるのだが、その成り立ちにはカララギの名誉群国長であるホーシンの影響が強い。

その影響力を嫌ったルグニカ側が強行にカララギ文化を排除したことで、そこで暮らしていた都市民感情の反感を誘ったのだ。

そこからは泥沼の争いだったらしく、一時は両国間を繋ぐティグラシー大河の渡河が禁止されて、国交断絶に近い状況にまで発展したらしい。

 

「幸い、締め付けもそうは長く続かず、徐々に禁則を緩めることでなし崩しに解決扱いです。一時的な国交途絶の間に、プリステラのカララギ文化の進展が止まったのもルグニカ側の安心感を誘ったのかもしれませんね」

 

「どちらにせよ、なぁなぁで解決した感が半端ねぇな。それにしても……このカララギ式の発祥も、遡るとホーシンに辿り着くのかね?」

 

「そうみたいですね。ホーシンは当時からやたらと革新的な発想力で知られた人物らしくて……思想、技術、立法から何まで全部作り変えたとか」

 

「――そか」

 

オットーの言葉にスバルは顎を引き、欲しかった確信を得た。

カララギ都市国家の建国の雄、『荒れ地のホーシン』。その正体はスバルやアルと同じ、異世界から召喚された存在だ。

これで異世界に呼ばれた存在は三人目――ただし、時機はそれぞれずれている。ホーシンが四百年、アルが二十年、そしてスバルが一年前。

この時間のずれと、そして何故スバルたちが選ばれたのか。それらの符号については何もわからない。考えても意味がないことなのではと思わないでもないのだ。

ただ、一人ではない。その事実だけが何か、スバルの心に救いを差し伸べる。

 

「――その様子やと、ワフー旅館は堪能してもらえてるようやね」

 

そうして、話がひと段落する頃合いを見計らったようなタイミングで、大広間の外から声がした。木で作られた薄い引き戸が静かに動き、その向こうからアナスタシアが笑みを浮かべて顔を出す。

そして、入ってきた彼女の隣には、

 

「お久しぶりです、エミリア様。本来ならば誰よりも先にお出迎えしなければならない身で、ご挨拶が遅れましたことをお詫び申し上げます」

 

顔を見せて早々、その整った面貌に憂いを含めた謝意を浮かべた男の声。

淡く語りかけるような声は甘く、あるいは扉越しにその声音を聞くだけで多くの女性は声の主の姿を思って身悶えするかもしれない。その想像が声だけで裏切られれば笑い話だが、非常に残念ながら声音の主には色も美も強さもついて回る。

『最優の騎士』ユリウス・ユークリウスは、ただそこに存在するだけで他者の心を掻き毟るところがある。少なくとも、スバルにはそう感じられた。

 

「うん、久しぶりね、ユリウス。あなたも元気そうで」

 

「寛大なお心に感謝いたします。エミリア様もますます、その美しさに磨きがかかられましたようで何よりです。あなたの瞳が陰ること、それは王国だけでなくこの世界にとっての損失に他なりません」

 

気障ったらしい言い回しも、鼻につくどころか絵になるのだから嫌味なのだ。それから彼は、苦笑するエミリアからスバルの方へと視線を移した。そして、

 

「顔を合わせるのは久しぶりだ。壮健であっただろうか、ナツキ・スバル殿」

 

「……背筋に寒気が走るから、空々しい呼び方してるんじゃねぇよ。何がスバル殿、だ。白々しいんだよ」

 

「そうは言われてもね。スバル殿がエミリア様の下で騎士として認められたことは周知の事実だ。かつてはともかく、今のあなたの立場は軽んじられるべきではない。私は同じ騎士として、相応の振舞いをしているつもりだが?」

 

あくまで同輩への態度を順守しようとするユリウスに、スバルは忌々しい思いを感じながら唇を曲げる。

 

「つもりだが?じゃねぇよ。気分悪ぃっつってんだろが。そもそも、全然思ってもねぇことで認められても嬉しかねぇよ」

 

「なるほど。どうやら立場は変わっても、その心根までは動いていないらしい。――ともなれば、私の方も態度を改める必要はなさそうだ」

 

そう言って、ユリウスはそれまでのかしこまった態度を一変させる。

嫌味なほど整った表情に彼は微笑を浮かべると、床に座るスバルを長身故の高さから見下ろし、

 

「では改めて……久しぶりだ、ナツキ・スバル。与えられた騎士の身份に恥じないよう、日々努めているだろうか」

 

「言われるまでもねぇよ。もう誰かさんに身の程知らずを理由にタコ殴りにされるのは御免なんでな」

 

「折檻か私刑のように言われるのは心外だ。互いの名誉にかけて、あくまで対等な立場の模擬戦だったと私は記憶しているのだがね」

 

「口の減らねぇ野郎だな……」

 

しかし、足りていなかったのはスバルの方なので、声高にそれを主張しても自分の格好悪さが増すだけだ。故に、ただ悪態をつくだけにスバルは留める。

その態度を見やり、ユリウスは「ふむ」と目を細めて、

 

「直情径行な欠点はいくらか改まったようだ。騎士の自覚がそれを促したのであれば、君がその立場を得た判断も尚早ではなかったというところか。まったく、エミリア様やロズワール様の慧眼には恐れ入る。それにしても……」

 

「――?」

 

偉そうにスバルを品評しながら、ユリウスの視線がスバルを外れた。その視線の向かう先はスバルの隣、そこで小さくなっているベアトリスだ。

彼女はユリウスの黄色い眼差しを浴びると、薄青の瞳で真っ向から睨み返す。

 

「何かしら。あんまりじろじろと淑女を見つめるもんじゃないのよ」

 

「これは大変な失礼をいたしました。まさかこの場にあなた様のような、高位の精霊が同席されるとは思わなかったもので」

 

「ベティーはスバルのパートナーだから、この場にいるのは当然かしら。お前の連れている、まだ名もない準精霊たちとは位が違うのよ。恐れ慄くがいいかしら」

 

ベアトリスは立ち上がり、スバルの肩に手を置いて胸を張ってみせる。

不機嫌にも見えるその態度は、おそらくはユリウスのスバルへの態度を見てのものだろう。能力的に劣るスバルが唯一、ユリウスに勝っている点。

それは互いに精霊騎士という立場でありながら、連れている精霊の格の高さだ。

 

ユリウスが連れているのは、六属性に対応する六体の準精霊。

精霊の格としては、精霊・準精霊・微精霊の順番で格が付けられる。その点を加味すれば、なるほどベアトリスを連れるスバルの方が精霊使いとしては格上と言える。

もっとも、

 

「実能力で比較したら、俺とお前は欠点だらけなんだから無駄にハードル上げんな。それにあいつの準精霊には俺も世話になったことがある。そこを責めるのはあんまり格好よくない」

 

「む。止めるんじゃないのよ。こいつ、スバルを馬鹿にしてやがるかしら。ベティーのパートナーを侮るとどうなるか教えてやるのよ。ちょっとベティーの精霊的な乙女心をぐらつかせる色男だからって、調子に乗るんじゃないかしら!」

 

「ぐらつく色男ではあるんだ!?」

 

見栄えの話が飛び出すと思わず、それなりにショックを受けるスバル。

と、そんなスバルとベアトリスとの間のパートナー関係に亀裂が入りそうな事態に口を挟むのは、亀裂の原因であるユリウス自身だった。

 

「勘違いしてはいけないよ。そちらの精霊様は君を裏切るつもりはない。ただ、私のこの身に宿る加護が、彼女の本能に揺さぶりをかけているだけだ」

 

「お前の加護……?マジかよ、お前も加護持ちか。何の加護だよ」

 

「私の持つ加護は『誘精の加護』といって、簡単にいえば精霊に好かれる加護だ。私が非才の身に余る、六属性の準精霊と契約を交わせているのもその加護の力があってこそ。あまり、他の精霊使いからはいい顔をされないがね」

 

「ベティーは負けたりしないのよ!スバルの方がお前よりずっと、その、なんていうか……そう、マシかしら!」

 

「ありがとう!それ以上、俺を傷付けないで!」

 

ベアトリスがスバルを裏切ることなどあり得ないという信頼はあるが、それでも確固としたフォローが飛び出さなかったことには敗北感がある。

ユリウスと向き合うと、スバルは自分の劣等感を刺激されてばかりだ。ただし、そればかりでないのがスバルにとって、ユリウスを嫌がる一番の理由だった。

 

「相変わらず、ウチの騎士様はナツキくんにご執心やね」

 

「とんでもありません。私はただ、騎士として幾許か先達の身として、彼にその心構えの一端を語っているだけです。彼の振舞いが市井に与える影響は、ひいてはルグニカ王国の騎士たるものの在り方を示すことにもなり得るのですから」

 

「それ、言外にナツキくんが騎士として名前が知れてるーってことやろ?ユリウスはホントに素直やないからなぁ」

 

からかう口調のアナスタシアに、ユリウスは頬を緩めて無言で頭を下げる。それ以上は主にやり込められ、話の肴にされるとの判断だろう。さすがに手慣れている。

一方、早くも散々な思いをしたスバルは左の肩をベアトリス、右の肩をエミリアに慰められるように叩かれて、

 

「気にすることないのよ。男は顔じゃなく、心意気かしら」

 

「スバルとユリウスがすっかり仲良しで、私もすごーく嬉しい」

 

「なんかありがとうって言いづらい雰囲気をありがとう」

 

周りからどう思われているやら、そのあたりが不安になる慰めを頂いた。

顔の造形については諦めがついているのに、何故か不安になりながらスバルは自分の頬に触れてこねくり回す。それから、部屋に立ち入るアナスタシアたちがテーブルを挟んで反対側に座るのを見届けた。と、

 

「そういや、そっちは二人だけなのか?ミミとガーフィールは……なんか、微笑ましいデートを旅館の中で繰り広げてるっぽいけど」

 

「お察しの通り、ミミとそっちの金髪の子ぉとが仲良しさんやからね。お姉ちゃん大好きなヘータローがそれを慌てて追っかけて、ティビーに拗れんよううまくお願いしてあるんよ。それであの子らがここにいないわけやね」

 

「リカードはきてないのか?あの子猫三人組が強いのは知ってるけど、騎士付きでも不用心って風に感じるんだが」

 

ミミたち三姉弟の存在もだが、そこにいるだけで存在がうるさい、種族詐欺である大型コボルトのリカードが見当たらないのが気にかかった。

ついでにいえば、ユリウスの弟であるヨシュアの姿も見えないが。

 

「我々も遊びでプリステラに滞在しているわけではないのでね。ヨシュアやリカードは今、別件で宿を離れている。都市内にはいるので、後で顔を見せられるだろう。そういえば、ヨシュアとは会っていたはずだね」

 

「ああ……お前とそっくりだったな。もうちょっと体つきがしっかりしてれば、完全にキャラ被りしてるところだ。実際にそうしてお前が退場してもいいぞ」

 

「面白い意見と心に留めておくが、それは難しい。生憎、ヨシュアは小さい頃からあまり体を動かすのに向かない子でね。今でこそ長旅に出ても心配はなくなったが、昔は兄として歯がゆい思いをするほどだった」

 

視線と声の調子を落とすユリウスから、本気でヨシュアの身を案じる気配。なんとも居心地の悪い感覚に、スバルは頬を掻きながら追及するのをやめた。

そうしてひとたび、会話の流れに隙間が生じると――そこへ咳払いが入る。注目を集めたのは、ここまで沈黙を守っていた男、オットーだ。

 

「えー、そうして旧交を温めるのもよろしいとは思うんですが、ひとまず顔ぶれが揃ったのであれば改めてご紹介いただきたいかなと。お互いに」

 

「せやね。ウチも話だけは聞いてるんやけど、エミリアさんとナツキくん以外とは初顔合わせやし。敏腕内政官さんと大精霊ちゃんの話は聞きたいな」

 

「おいおい、ガセ情報掴んでるなんて、らしくないミスだぜ、アナスタシアさん」

 

「どこ聞いてガセ情報とか言ってるのか大体想像つくんですが、素直にそこを指摘するのもなんか自意識過剰みたいで嫌だなあ、もうホントにねえ!」

 

『敏腕』内政官が頭を抱えて騒ぐのを、スバルは舌を出して可愛くスルー。こちらのやり取りを見ながら、小さく笑うアナスタシアがユリウスに頷きかける。

 

「では、改めてこちらから名乗らせていただこう。私の名はユリウス・ユークリウス。ルグニカ王国近衛騎士団所属、今は任を離れてこちらにいらっしゃるアナスタシア様の一の騎士を務めている。どうぞお見知り置きを」

 

優雅に一礼してみせるユリウスに、オットーが呑まれた顔で首を縦に振る。それを受け、ユリウスは「そして」と言葉を継ぎ、

 

「こちらにいらっしゃる御方こそ、ルグニカ王国王位候補者の一人であり、カララギ都市国家を拠点とするホーシン商会を仕切る才媛、アナスタシア・ホーシン様であらせられる」

 

「は、ははーぁ」

 

「ひれ伏してんじゃねぇよ!」

 

「はっ!?しまった、雰囲気に負けてつい!」

 

ユリウスの説明にご満悦なアナスタシアの前で、思わず頭を平伏させてしまうオットーの後頭部をスバルが叩いた。

 

「肩書きに負けんな!ほれ見ろ!うちのエミリアたんだって、立派に同じ王位候補者だ。アナスタシアさんにだって負けてねぇよ!」

 

「うん、そうよ。私、おんなじ候補者なんだから。頑張っちゃう」

 

「なにこの子可愛い。久々にE・M・Tしたよ!」

 

「なんかこれ見て落ち着く自分がいるのがすごい嫌な気分なんですけどねえ……」

 

いつもの不毛なやり取りの合間に、落ち着きを取り戻す自分にげんなりした顔のオットー。それから彼は気を取り直した様子で、対立陣営に向き直る。

 

「ご丁寧にありがとうございます。遅れましたが、名乗らせていただきます。僕はオットー・スーウェンと申しまして、現在はエミリア様の下で内政官を……はい、何の因果か内政官を務めています」

 

「色々と苦渋の決断があったみたいやね」

 

「本来は一行商人だったはずなんですが、何がどうしてどうなってこうなったのか僕にもよくわからないんですよねえ……」

 

「苦労してるんやねえ。なんかあったらウチを頼るとえーよ」

 

哀愁漂う感じだが、地味に内政官が引き抜かれそうな場面でもある。手で制してオットーを渡さないジェスチャーを入れると、アナスタシアが舌を出して引き下がる。それから、全員の視線がベアトリスへ向いた。

彼女はその視線を受け、薄い胸を張って堂々と、

 

「ベティーは精霊のベアトリスなのよ。ここにいるスバルの契約精霊かしら。見ての通り、そんじょそこらの凡精霊とは格も位も可愛さも段違いなのよ。弁えたなら、おいしい紅茶と甘いお菓子を所望するかしら」

 

「最後まで威厳保てよ」

 

要求がマスコットキャラを抜け切れないベアトリス。

スバルはその縦ロールを軽く引っ張って座らせると、不満げな顔のベアトリスの頭を撫でながら、

 

「まぁ、そういうわけでベアトリスは俺と契約してる精霊ってわけだ。まさかのジョブ被りが俺とお前の間で起きるなんて、何の冗談かって気分だけどさ」

 

「私としては、君と精霊との親和性については確信があったからね。意外というほど意外ではないよ。ベアトリス様のような強大な精霊と契約を交わすことになると、そんなところまで想像していなかったが」

 

「あんまりうちのベア子を調子に乗らせないようにしてくれ。俺に似て、テンションが上がると何を口走るかわからないとこがあるんだ」

 

「むぅ。雑な扱いに物申したい気分なのよ」

 

そうは言いつつも、満更でもない顔で撫でられているベアトリス。

そんなこんなでようやっと、互いの自己紹介も終わりだ。そうなれば今度はそのまま、本題に切り込みたいところなのだが。

 

「あまり性急に話を進めるのも落ち着かなくていい気分ではないんですが、ひとまず確認したいことなど確認させていただいても?」

 

脱線せずに話をしようとすると、自然と会話を主導するのはエミリア陣営ではオットーの役目になる。参謀のオットーの問いかけに、応じるのは狐の襟巻きを指で弄っていたアナスタシアだ。

 

「えーよ。お客さんもてなすのはウチらの役目やもん。お好きに」

 

「ではお言葉に甘えて。まず、今回、僕たちをプリステラへ招待した理由をお聞かせいただいても?」

 

「そんな警戒せんでも大丈夫。何も企んでたりせーへんよ。王選も始まって一年間が経ったやろ?お互いに近況なんて話し合う機会を設けても、ええんちゃうかなーってそう思っただけやん」

 

穏やかなアナスタシアの物腰に、うっかり頷いてしまいそうになる。が、その内容で疑問を引いてやれるほど、扱う事柄が軽いわけではない。

ましてや相手は、百戦錬磨の大商人だ。

 

「近況を話し合うだけ、にしちゃずいぶんと露骨な餌をぶら下げてくれてたと思ったけどな。用意周到っていうか、用心深いって話じゃんか」

 

「せっかくお招きするんやし、足を運んでもらう分に見合ったものは必要やろ?ウチの方でお土産見繕ってもええんやけど、どうせなら一番喜んでもらえそうなものを渡した方が覚えがええかと思ってなぁ」

 

「……その、一番喜んでもらえそうなものってどうやって知ったんだよ」

 

「そら企業秘密っちゅうもんやね。あかんよー、ナツキくん。そんな根掘り葉掘り女の子のこと知りたがったら。横の二人がおるんやから」

 

袖で口元を隠して、アナスタシアががっつくスバルをからかうように笑う。スバルが喉を詰まらせて引き下がると、隣でベアトリスがため息をつく気配。丸め込まれたスバルに対して、ガッカリとでも言いたげな態度だった。傷付く。

 

「隠してたわけじゃないんだし、誰かの耳に入るのは仕方ないと思うの」

 

と、そのスバルの疑問を引き継ぎ、エミリアがあっけらかんと言ってのける。

アナスタシアが瞬きし、エミリアを見る。その視線にエミリアは首を傾げ、

 

「それより、私は聞かれ損になったわけじゃなくて、アナスタシアさんが私たちの欲しいものの場所をちゃんと教えてくれたってことを喜んだ方がいいと思うな」

 

「……敵わんくらいのお人好しな答えやね。それにウチ、まだエミリアさんの欲しいものの話、ちゃんとはしてないと思うんやけど」

 

「でも、これからそれはちゃんと教えてくれるんでしょ?ありがとう。何ができるかはわからないけど、きっとお礼はするから」

 

「――――」

 

微笑むエミリアの答えに、アナスタシアが目を丸くして絶句した。

そのアナスタシアの驚きに、彼女の隣にいるユリウスが思わず頬を緩める。自分の騎士の態度に、アナスタシアはじろりと彼を睨みつけると、

 

「何がおかしいん、ユリウス」

 

「いえ。ただ、思惑を外されるアナスタシア様のお姿は滅多にお見かけできません。そうして飾り気のないあなたの素顔も、お美しいと思うばかりです」

 

「調子のいいこと言って逃げるんやから。……ウチも、まだ脇が甘いわぁ」

 

ユリウスの言葉に普段の調子を取り戻し、アナスタシアは頭を振る。それから彼女は、不思議そうな顔のエミリアに唇を尖らせると、

 

「訂正させてもらうわ。エミリアさん、一年経ったけど根っこの部分がそのまんま。それやと、周りはたいそう苦労しそうやね」

 

「うん。私、まだまだ足りないところばっかりでみんなにたくさん迷惑かけてる。早く追いつきたいって、頑張ってはいるんだけど……」

 

「もっと訂正。根っこが前より甘なってる。ウチが嫌な子みたいやん」

 

長く息を吐き、それからアナスタシアはにっこりと笑った。態度の急変にエミリアが今度は目を丸くし、それを見届けたアナスタシアはスバルとオットーを見て、

 

「ちゃんと支えたってな?あんまりあんまりのままやと、ウチも張り合いがなくて困ってまうから」

 

「鋭意、努力はするつもりだけど、俺の基本方針は駄々甘に褒めて伸ばすだから!」

 

「そういうわけで、負担は基本全部こっち持ちです。ははっ、どうなってんですかね」

 

親指を立てるスバルと、澱んだ目つきのオットー。

そんな二人の相反する態度を見て、アナスタシアは襟巻きを正す。

 

「ま、ええよ。恩の価値がわからないわけやないようやしね」

 

「恩ですか、恩はいいですね。在庫は持たずに済むし、期限が過ぎることもない」

 

「そうそう。それに何より――」

 

アナスタシアの言葉にオットーが同調すると、二人の商人は顔を見合わせ、

 

「――『値札も付けなくていいし』」

 

と、声を揃えた。

アナスタシアが手を叩き、オットーがますます肩を落とした様子。それは以前にもどこかで、耳にしたような言葉だったが。

ずいぶんと恩義というものに対して、即物的な考え方を説く物言いだ。

 

「ほんなら、お待ちかねのお話に移ろか。エミリアさんたちが欲しがってるんは……そやった、無色の魔鉱石。それも、純度を極限まで高めたやつやったね」

 

「ええ、そうなの。その心当たり、聞かせてもらってもいい?」

 

プリステラに到着するまでの道すがら、エミリアにはわずかな遠慮があった。

それは、魔鉱石を欲するのはあくまで自分の都合に過ぎないと彼女自身も自覚していたからでもある。故にプリステラまで足を運ぶことで、スバルやオットーらを巻き込むことに言葉にし難い迷いを抱いてもいたのだ。

 

それでも、やはりいざ目の前にその可能性があるとわかったとき、彼女の瞳には期待の色が宿ることは揺るがない。

それが手に入ったとき、彼女の下には家族が戻ってくるのだ。あるいはそれは彼女にとって、また新しい自分を始めるために必要な儀式でもあるのだから。

 

息を呑むエミリアに、アナスタシアは少しだけ勿体ぶってから告げた。

 

「高密度の魔鉱石を持ってるんは、この都市にあるミューズ商会。責任者はミューズ商会の跡取りって言われてる、この町の関係商会の責任者。名前はキリタカ・ミューズ――歌姫に心を奪われた男、やね」