『心の在り方』


 

ヴィルヘルムを連れて会議場へ戻ると、一同はスバルの帰りを心待ちにしていた。ラインハルトがヴィルヘルムを見て、祖父が孫に顎を引いて合流を歓迎する。

二人が揃って壁際に立つのを横目に、スバルは円卓に座るオットーの隣に腰かけた。

 

「遅くなって悪かった。話は、どうなった?」

 

「一通りの説明を受けたのと、一通りの説明が終わったところです。ナツキさんの方こそ上の……クルシュ様のご様子は?」

 

「芳しくはねぇな。ただ、希望が見えないわけでもないとだけ言っとく。ひとまず魔女教を追っ払ってからの話になるが、何とかできるかもしれねぇ」

 

「そうですか。なら、それだけは朗報ですね」

 

ホッとオットーが胸を撫で下ろし、同じように話を聞いていた面々も安堵する。それらの反応を見ながら、スバルの内心は彼らに詫びる気持ちでいっぱいだ。

嘘ではないが、真実には程遠い発言。クルシュを救えるかもしれない手立ては、かなりスバルにとってもリスキーな内容だ。スバルと同じ条件のものが他にいれば、可能性はぐっと高まるはずだが。

 

「どちらにせよ、クルシュさんの戦線復帰はこの戦いの間は無理だ。フェリスも離れたがらないだろうし、救護班は都市庁舎に居残りって形が最善だと思う。どこに寄っても、対応できなくなる可能性はあるし」

 

「四ヶ所同時襲撃の方針は変わらんわけやし、各制御搭から見て中心にある都市庁舎を拠点にするんが一番やろね。そしたら……」

 

アナスタシアが手を叩き、全員の顔を見渡す。

 

「ほんなら、本当にようやく本題に入るとしよか。――四つの制御搭と、四人の大罪司教。その攻略のための、戦力配置の話し合いや」

 

クルシュ陣営が『剣鬼』ヴィルヘルム。

フェルト陣営が『剣聖』ラインハルト。

アナスタシア陣営が『最優の騎士』ユリウスと、『鉄の牙団長』リカード。

エミリア陣営が『精霊騎士』スバルと『聖域の盾』ガーフィール。

そしてプリシラ陣営が――、

 

「妾とアルの二人じゃな」

 

「こんなこと言ったらなんだけど……お前も戦うの?王選候補者だぞ?」

 

各陣営の戦力を確認していると、プリシラが堂々と自分の名前を挙げる。そのことにスバルが眉を寄せると、彼女は小馬鹿にするように鼻を鳴らした。

 

「妾が王位の候補者であればこそ、じゃろうが。大事の前に使えなくなった愚者と、端から戦う力を持たぬ弱者と一緒にするな。剣においても舞台においても、万人の上に立つからこその妾である」

 

「今のは聞き流しかねますな。愚者とはよもや、我が主君ではありますまいな?」

 

「心当たりがあるから引っかかるんじゃろうが。言い回しが迂遠ぞ、老兵。大事の前の小事で離脱など、選ばれしものの行いとは言えんな」

 

話し合いの出鼻で、早くも剣呑な気配をぶつけ合うヴィルヘルムとプリシラ。普段なら聞き流す場面だろうに、様々な事情からヴィルヘルムの方に余裕がない。プリシラの方は通常運転すぎて、その憎たらしさに言葉も出ない。

 

「はいはい、弱者も愚者もウチのことでえーから話進めよ。突っかからんの」

 

「ほう、つまらんな。妾は弱者の話を大人しく聞くほど扱いやすくないぞ?」

 

「弱いんが勝てんのとは話が違うやろ?度量の大きさを示さんと、周りはついてこぉへんよ。苛々してるんはみんな一緒や。ちょっとは辛抱し」

 

「ふん」

 

アナスタシアの指摘が的を外していないのか、プリシラは鼻を鳴らしたきり反論しない。彼女が矛を収めたのを見て、猛々しい剣気を放っていたヴィルヘルムもそれを引っ込めた。

別陣営だから当たり前ではあるが、和気藹々とはいかない面子だ。

 

「では、プリシラ様の陣営はプリシラ様とアルの二人……そちらの少年は期待はできないと考えても?」

 

「あのようなか細く弱い童に何かできるとでも?あれは徹頭徹尾、妾が愛玩するためだけに引き連れておる。無論、ここに置いておくぞ」

 

「わかりました。では、以上の八名で四ヶ所の攻略を行うことになります」

 

プリシラの執事である少年――シュルトが下がり、円卓をちょうど半分に戦えるものと戦えないものとが分けられる。

戦闘員の八名を除き、非戦闘員がアナスタシア、シュルト、リリアナ、オットーに上の階のクルシュとフェリスの六人だ。

 

「戦力を分ける前に、改めて大罪司教のわかってること確認しとこか。えーと、全員の顔を見たことがあるんは……ナツキくんだけやね」

 

「ああ、だと思う。魔女教の第一人者って言われるのも鼻につくけど、俺の方から説明させてもらうとするぜ。わかってる能力、そこまでな」

 

スバルが立ち上がり、全員の注目を集めながら話し始める。

この都市を襲った魔女教と、それを統べる最悪の大罪司教たちのことを。

 

「最初に『憤怒』。これはシリウスを名乗ってる、包帯でぐるぐる巻きの奴だ。見た目じゃわからねぇが、女なんだと思う。腕に鎖をぐるぐるに巻いてて、そいつを振り回して攻撃する。あと、火の魔法も使うみたいだ」

 

「それだけならば大した手合いとは思えないが、相当に腕が立つのかな?」

 

「お前に言われると、誰が相手でも答えづらいとこだな、ラインハルト。……単純な戦闘力でいえば、ヴィルヘルムさんやユリウスなら十分対抗できる。近接能力ならエミリアといい勝負をしてたってぐらいだ。ただ、『憤怒』の権能がある」

 

「権能……」

 

ラインハルトが顎に手を当て、その響きに眉根を寄せる。

スバルは彼に頷き返し、

 

「大罪司教のいやらしさの最大のポイントが、その権能っていう固有能力だ。魔法とも呪術とも違うわけのわからない力で、どういう原理なのか考えるだけ無駄。どれも強力で、それの攻略が大罪司教攻略の肝になる」

 

「スバル殿は過去に『怠惰』を倒したはずですが、そのものにも権能が?」

 

「あった。『怠惰』の大罪司教の権能は、『見えざる手』と『怠惰』の二つだ。片方は目に見えない、ものすげぇ力の強い腕を何本も伸ばす権能。これに掴まれると、人間の体でも簡単に引き千切られちまう」

 

「そのおぞましさは、彼の目を通してではありますが私も確認しました。実際、体を掠めただけで肉を抉られる威力があり、信憑性があります」

 

スバルの説明をユリウスがフォロー。

ペテルギウスとの共同戦線で、スバルの目を貸した彼はペテルギウスの『見えざる手』を見ている。説明の補強にはもってこいの立場だった。

 

「もう一つの『怠惰』は、範囲内の人間の行動力を強制的に奪う力だ。これが権能だったかは微妙なとこだが、対処は精霊使いの素質がある人間には通用しないってことで乗り越えた。これも、俺とユリウスだったからだな」

 

「どちらの力にも言えるのは、大罪司教がいかに恐ろしい力を持っていたとしても、適材適所に人材を充てれば絶対に届かない相手ではないということです」

 

「珍しくいいこと言ったぜ、ユリウス。そういうことだ」

 

スバルなりに称賛すると、ユリウスは生暖かいものを見る目でスバルを見る。その視線に薄気味悪さを感じながら、スバルは改めて咳払いして、

 

「で、『憤怒』の権能の話に戻ろう。今のところ『憤怒』の力でわかってるのは、感情と感覚の共有・伝搬ってところだ」

 

「感情と感覚の、共有?」

 

スバルの説明でピンとこないのか、ほとんどの顔ぶれが首を傾げる。これは説明が難しい内容なため、スバルも慎重に言葉を選ぶ必要があった。

 

「つまり、『憤怒』は範囲内にいる人たちの感情を一極化できるんだ。一人の怒りを全員の怒りにしたり、一人の悲しみを全員の悲しみにしたり、な」

 

「なんやねん、それ。それに何の意味があるんか、ワイにゃさっぱりやぞ」

 

「確かにこれだけだと強制的に空気を読ませるだけの力だが、そうじゃない。これのおっかないところは、敵意ってもんまで一極化できることだ。つまり、『憤怒』が敵だと思った相手への敵意を、周りにいる人間にも伝えられるってことなんだよ」

 

「それは、周りにいる都市の人間が敵に回るということですか?」

 

「その通り」

 

正答を引いたオットーに、スバルが指を鳴らして答えを示す。

その内容に皆の顔色が沈むが、問題はそれだけに留まらない。

 

「凡愚、さっき貴様は『憤怒』とやらの力が感情と感覚の共有と言ったな?」

 

いち早くその理解に辿り着いたのは、座席でふんぞり返るプリシラだった。

彼女は紅の瞳でスバルを射抜くと、扇で口元を隠しながら、

 

「感情の共有が今の説明ならば、感覚の共有はまた別。そしてそれは妾の想像通りであるとしたら、なかなか醜悪な力じゃな?」

 

「お前の想像が合ってるかどうかはわからないが、最悪だぜ。『憤怒』の権能は範囲内にいる人たちの傷も共有する。これは『憤怒』の傷も例外じゃない」

 

「本人も例外じゃねぇってことは……おいおい、兄弟、嘘だろ?最悪じゃねぇか。そりゃつまり、『憤怒』をぶっ殺したら他の奴も死ぬってこったろ?」

 

ラインハルトの手で、一度は実際に現実化した最悪の情景。

悪意の原因であるシリウスを撃破したとしても、それは消えない傷を周囲に生む。奴を殺すために、何人が道連れになればいいのかはわからない。

 

「――面白い」

 

絶望的な情報に、誰もが対策が浮かばずに口をつぐむ。

そんな中でぽつりと一人だけ、プリシラだけが楽しげに頬を歪めて笑った。

 

「よかろう。その『憤怒』なる愚物、妾が首をもいでやる。喜ぶがいい」

 

「ま、待て待て待てって!お前がやる気な理由は全然わかんねぇけど、事はそう簡単な話じゃねぇんだっての!話聞いてたか!?」

 

「聞いていたに決まっておろう。そしてそれを聞いた上で妾がやると言ったのじゃ。なるほど卑劣でおぞましい相手よ。妾が斬り伏せるのにふさわしい」

 

スバルの制止の言葉も聞かず、プリシラは音を立てて扇を畳んで全員を見渡す。

その視線の鋭さと熱は、一角の人物揃いの面々をも圧倒するものがあった。

 

「貴様の話したものが権能の全てならば、そのカラクリにも思い当たる節がある。妾を差し置いて凡俗共を従えようなどと無礼千万。全ての衆愚は妾の為にある。妾のものに手を出す不埒な虫けら、即刻妾の庭より処分する」

 

「ひ、姫さん……さすがにちょっと吹きすぎじゃねぇか?」

 

「何を馬鹿を申すか、アル。貴様の腰抜けぶりは知っておるが、妾の機嫌を害する不埒者相手に腰が引けるとは何事か。妾と、そこな歌い手がいれば恐るるに足らん」

 

「別にビビッてっから言ってるわけじゃ……歌い手?」

 

主人の暴論を止めようとするアルが、思わぬ一言に動きを止めた。従者のその驚きに鷹揚に頷き、プリシラは畳んだ扇子で円卓の隅にいるリリアナを示す。

突然に話の舞台に上げられ、扇子を突きつけられたリリアナが目を剥いた。

 

「わ、私をご指名ですか!?なんでまた急にそがいなことに!?」

 

「道中のこと、忘れていまい?貴様の歌がどれだけの凡俗共の心を揺らした。あれと同じことをすればよい。衆愚の感情など、ようは奪い合えばよい」

 

「不安そうにしてた方々を、ちょっと励ましただけのことですよ?いくらなんでも過大評価すぎると言いますか、私プレッシャーに弱い小娘でして……」

 

「ほう。なれば貴様は貴様が先祖から継いできた歌の敗北を認めるわけじゃな」

 

鼻を鳴らし、心底見下すようなプリシラの言葉にリリアナの表情が変わる。

愛想笑いを浮かべ、卑屈に受け流そうとしていた彼女の表情が真剣味を帯びた。

 

「それは、どういう……?」

 

「考えずともそうじゃろう。後生大事に引き継いできた貴様の歌は、人心が救いを求めておるこのときに縮こまって無様をさらせと歌っておるのじゃろう?そのような負け犬の遠吠え、その全てが無為無駄の塊ではないか。犬の鳴き声の方が身勝手を謳わぬ分だけまだマシじゃ。それ、閃いてはどうじゃ?負け犬賛歌でも」

 

「あーあー!そこまで言いますか!言ってしまいますか!上等ですよ!やってやりますよ!わかりましたよ、いいじゃないですか!この私を!吟遊詩人リリアナを捕まえてその仕打ち!その言いよう!これで黙っちゃ女が廃る!死んだキリタカさんも無念で墓から這い出してくるってもんですよぅ!」

 

凄まじい煽り方をするプリシラに、凄まじい爆発をしてリリアナが乗せられる。彼女は顔を真っ赤にして、膝の上に乗せていた楽器を乱暴に掻き鳴らす。

 

「可哀想に都市の水面に散ったキリタカさんの魂を慰め、鎮魂歌でも歌おうかと思ってましたがやめだやめだい!感情の奪い合い?上等!私が継いできた歌が、人が世界で紡いできた歌が、そんなわけわかんない力に負けるもんですか!歌の力だって、わけわからんもんなんですから!むきーっ!」

 

すっかり興奮し、円卓の上で寝そべって演奏するリリアナをシュルトとオットーが慌てて引き下ろす。そのまま部屋の隅っこでロックに奏で始めるリリアナを遠目に、スバルはプリシラに目を向けた。

 

「あいつの扱いやすさはともかく、どういう勝算なんだよ。お前のこともそうだけど、勝ち目がないところにただ放り込むわけには……」

 

「妾は負ける勝負などせん。この世の全ては妾の思うがままになる。それに、この都市庁舎にくるまであの歌い手と一緒におったのは妾であるぞ。あれの有用性を認めたからこそ連れ回し、連れてゆく決断もする」

 

「リリアナに、シリウスに対抗する力があるってのか?」

 

「それがなければ妾の負けよ。そして妾の負けなぞこの世にありえん。故にあの歌い手にはそれがある。これ以上の説明がいるか?」

 

何一つ具体性に足りない説明に、そろそろスバルの方が耐え難い。しかし、そんなプリシラの発言をフォローするように、代わりに挙手したのはシュルトだ。

少年執事はその愛らしい瞳を震わせ、一生懸命に言葉を選びながら、

 

「あ、あのあの……リリアナ様の歌に、特別な力があるのは事実だと思うであります。リリアナ様の歌を聞いて、不安や苛立ちから解放されたのは本当のことで……それはここにくる前に通った、いくつかの避難所でもわかったことであります」

 

「避難所を回って、リリアナに歌わせてたのか?」

 

「そう言ったじゃろう」

 

「言ってねぇよ!」

 

説明不足も甚だしい。

プリシラの態度に頭を抱えながら、スバルはラインハルトを振り返った。

 

「なぁ、ラインハルト。お前、人のこと見たらそいつが持ってる力っていうか……そうだ、加護だ。加護が見えたりとかってできないのか?」

 

「人の加護がわかる加護か。『審判の加護』の持ち主ならわかると聞いている。ルグニカにはいないが、ヴォラキアにはいるそうだね。なるほど、リリアナ様にどんな加護があるのか確かめたいのか。確かにそれは一つの根拠になる」

 

スバルの問いかけから目的を悟り、ラインハルトが考え込む。

ダメでもともとで聞いてみただけなので、ラインハルトに無茶振りしたのもわかっている。考え込む赤毛の青年に、スバルは気にするなと首を振った。

 

「なんか色々とすげぇって聞いてたから変に期待したけど、そこまで都合がいいわけじゃないもんな。いいよ。ひとまず、リリアナの歌で『憤怒』の権能がキャンセルできるのかどうか、ちょっと試してみてから……」

 

「気にする必要はないよ、スバル。――今、授かった」

 

「は?」

 

リリアナの歌実験を提案しようとしたスバルの肩を叩き、ラインハルトが笑う。それから彼はその青い瞳を細めて、部屋の隅で演奏するリリアナを見つめた。

そして、

 

「驚いたな。リリアナ様は『伝心の加護』をお持ちだ」

 

「加護より今、俺はお前に驚いたわ。え?今、なんて言った?授かったって言った?授かるってなんだ、子宝?」

 

「スバル、茶化している場合じゃないよ。リリアナ様の加護が確認できた。『伝心の加護』は、言うなれば他者に自分の考えを伝える加護だ。本来は絆の深い相手にちょっとした考えを伝えるぐらいの加護だけど……歌か。考えたこともなかった」

 

素直にリリアナのことに感心しているラインハルトだが、そんな彼の横顔に開いた口が塞がらないのはスバルの方だ。

前々からラインハルトの力はチートだの、超人すぎるだのと言ってきたが、これはあまりにも神に愛されすぎている。

 

欲しがった加護が、欲しいと思った彼の手元にやってくるなど。

 

「――――?」

 

そこまで考えが辿り着いて、スバルは引っ掛かりを覚えた。

欲しいと思った加護を得られる。少なくとも、今のラインハルトの身に起きた出来事はそうとしか表現できない。それ自体は、ひどく心強く羨ましい力なのに。

何か誤ったことに繋がりそうで、スバルは言葉にできなかった。

 

『憤怒』攻略組――プリシラ。アル。リリアナ決定。