『船酔いの道連れ』


 

「もうそろそろ楽になったかしら」

 

「いや、もうちょっと待って。うわ、これヤバい、世界が揺れてる。今もなお揺れ続けてる。てっきり克服できてるかと思ってたけど、ダメだったかぁ。三つ子の魂百までもっちゃってたかぁ……」

 

水路を流れる清流を眺めながら、スバルとベアトリスは並んで休息を取っている。場所は都市中央へ続く大水路に面した通りで、道の端っこに座って水路に足をぶらつかせている二人を、通りがかる人たちが微笑ましく見ているのがわかる。

おそらく、兄妹か何かだとでも思われているのだろう。あるいは大水路を見ているのが珍しい、どこか遠くからきたお上りさんあたりか。

 

「その評価のどっちも間違ってるとは言えねぇけどな。……真実に気付けないってのは残酷なもんだぜ。うえ」

 

「喋ってる最中でえずくぐらいなら、風でも浴びて大人しくしてるのよ。そんなに心配しなくても、何のためにベティーが付き添ってあげてると思ってるのかしら」

 

「置いてけぼりにされる俺が寂しくないようにだろ?ベア子は優しいよなぁ」

 

「……それならそれでも構わないのよ。早く元気になるかしら」

 

隣のベアトリスに肩を寄せると、小さい体でしっかり体重を支えようとベアトリスが身構える。そうして頑張り屋さんなところを見せられると、この少女への親愛が増していくから不思議だ。信頼度の限界は、いったいどこにあるのだろうか。

 

渡し船の上で、スバルが早々に船酔いでダウンする騒ぎから十五分ほど。

船を降ろされて、徒歩で目的地に合流することを余儀なくされたスバルたちは、こうして回復するまで出発を見合わせていた。

エミリアとオットー、そしてガーフィールの三名はそのまま船で先行し、キリタカがいるであろうミューズ商会へ交渉に臨んでいるはずだ。

 

本来はエミリアも、船を降りたスバルと徒歩で向かうと主張したのだが、そこはオットーが「約束を取り付けた相手を待たせても、時間が過ぎるほど印象が悪くなるだけですよ」と余計な進言をしたことで、仕方なくスバルを残す判断に。

とはいえ、十五分ほど休んでやっとふらつかなくなってきたことを思えば、間違った判断だったとはとても言えないのが癪だった。

 

「まぁ、アナスタシアたちに警戒つっても……さすがに白昼堂々、こんな人通りの多い場所で何か悪さを仕掛けてくるってことはないだろうしな」

 

政敵に招待された慣れない都市で、単独行動することの不安はあった。そのためのガーフィールという護衛の存在だ。エミリア陣営にとって、スバルの存在が少なくない影響力を持つ今では、スバルへの攻撃が無意味ということは決してない。

それでも前言の通り、この場でスバルを追い詰めるような愚策をアナスタシアが選ぶことはないだろうという、変な信頼感があった。そこに、ユリウスが搦め手を好むまいという若干の信用があったのを、付け加えるのも吝かではない。

 

「呼ばれてる名前の通り、騎士らしく騎士道を選ぼうとする点に関しちゃ信用してるしな……」

 

「スバル。独り言を言いながらニヤニヤしてると気持ち悪いのよ」

 

「に、ニヤニヤなんてしてねぇし!ってか、あいつ思い出しながら笑ってたとか思われるの本気で心外だし!ええい、そろそろ立てるぞ。いこう」

 

ベアトリスの指摘に声を荒げて、スバルは深呼吸しながらその場で立ち上がる。

軽く手足と首を回してみるが、どうやら船酔いの影響は消えてくれたらしい。やや手足に重さは残っていたが、これぐらいならば動きに支障はない。

 

「ま、何かあってもベティーがなんとかしてあげるかしら」

 

「おう、頼りにしてるぜ。つっても、早々ピンチはこねぇだろうよ。こんだけ人目がある中で何かやらかすなら、そりゃよっぽどの大馬鹿野郎だけだ」

 

人目を気にする必要がある王選候補だからこそ、手段は選ぶ必要がある。エミリアにも常々、衆目のある場所では品行方正かつ天然で愛される女の子を演じてほしい。演じなくても品行方正で天然の美少女だった。つまりありのままでいい。

 

「つまり、他の候補者には真似のできない純真さこそが、エミリアたんという天使が持てる本物の武器……!」

 

「また思考が変な方向に流れていると見たのよ。スバル、スバル、ほら目的地はこっちかしら。ついてくるのよ」

 

隙を見れば脱線する癖があるスバルに対し、ベアトリスの対応はこの一年間ですっかり慣れてしまったものだ。繋いだスバルの手を引き、ベアトリスはきたばかりの街並みを慣れ親しんだ我が家を歩き回るような気軽さで先導してくれる。

目的のミューズ商会は、大水路に沿って進んだ一番街と二番街の境目にあるらしい。船酔いに苛まれながらふわっと説明を聞いただけだが、そのあたりはベアトリスが把握してくれていることだろう。

 

問題があるとすれば、プリステラの入り組んだ道の作りだ。

大水路に沿ってとはいったものの、肝心の道が途中、大水路に繋がるいくつもの小さい水路を避けたり、迂回する必要があるために真っ直ぐは辿れない。自然と曲がる回数や橋を渡る頻度、ベアトリスを抱えて水路を飛び越える必要などがあり――、

 

「見るかしら、スバル。すごい見事な噴水があるのよ」

 

「そうだな。……ここ、どこの公園?」

 

手を引くベアトリスが感嘆の吐息を漏らしたのは、その敷地の中心に大きな噴水を置いた都市公園だった。遊具の類は見当たらないが、手入れされた花壇と噴水が目を楽しませ、噴水の周りでは水遊びをする子どもの姿などが散見される。

間違いなく、のどかで心が安らぐ光景には違いない。違いないが、

 

「どう考えても目的地じゃないよな?この公園の端っこで、大商会の跡取り息子が大金が動くマネーゲームに興じてるってか。雨が降ったらお札が濡れちまう」

 

「船酔いすると心まで貧しくなるのかしら。美しい景色を見て、最初に浮かぶのがそんな寂れた考えなんて……ベティーはパートナーとして残念なのよ」

 

「昔のお前はもっと顔を赤くして自分のミスを誤魔化そうとしたはずなのに、最近はちょっと口が達者になってきて父さん悲しい」

 

「べ、ベティーのお父様を名乗るのは四百年早いかしら!スバルはもう、本当にそういうところの意識が欠けているとしか言いようがないのよ!」

 

何故か後半の方に過剰反応するベアトリスだが、がなる姿に満足するスバルはさしてそこを追及しない。それより問題は公園に辿り着いた経緯だが、

 

「ベア子。お前、自分に任せろってばかりに先導して歩いてたよな。あれって道がわかってるからって自信じゃなかったのかよ」

 

「目的地はわかっていたのよ。ただ、そこまでの道のりがちょっと怪しいところはあったかしら。だから到着まで迷うことがないように、前に本で読んだ『困ったときの左手法』という方法に頼ってみたのよ。嘘っぱちだったかしら」

 

「迷ったときの左手法って?」

 

「左の壁に手をついて、壁を辿るようにすればゴールまで辿り着けるという画期的な方法なのよ」

 

「それは迷宮の攻略に困ったときの方法だからな!?」

 

ベアトリスの言い出した戦法は、迷路でスタート地点からゴール地点まで辿り着ける必勝法として知られるオーソドックスなものだ。確かにその効力はスバルも認めるところではあるが、基本だけに応用に対しては欠点が多い。特に、

 

「途中スタートで左手法を試すと、永遠に迷宮から出られなくなる可能性があるぞ!触ってたのが外壁じゃなくて内壁だったらどうする!そもそも、ここは迷路みたいな街並みであって迷路じゃねぇ!」

 

「むぅ!いくらスバルでも、先人の知恵を馬鹿にするなら容赦しないかしら。ベティーは知識の書庫、禁書庫の管理を任されていた司書。積み重ねられた知識の活用は生きる上で欠かせない、歴史の重みなのよ」

 

「先人を馬鹿にしたんじゃなく、先人の知恵を使いこなせないお前を馬鹿にしたんだ!本だけ読んでわかった気になってる頭でっかちか!」

 

好奇心旺盛な年頃(四百歳)だし、表に出るようになるまで時間もかかった(四百年)し、自分の中の常識と世界の時間のズレ(四百年)もあるから仕方ない部分があるだろう。それにしても、意外と頼りにならないロリである。

 

「そこまで言うなら、スバルにはこの手の打ちようがない状況を打開するだけの方策があるというのかしら。言ってみるといいのよ」

 

腰に手を当てて、ベアトリスはスバルに挑発的な目を向けてくる。

一方でスバルの方も、直近で船酔いという格好悪いところを見せた自覚があるので、ここで一つベアトリスに頼りになるところを見せてやろうと発奮した。

 

「ふふ。お前がここを迷宮のような場所だと判断したのは正しい。けど、左手の法則を含めて、ここを完全な迷路と錯覚していたのは過ちだったな。途中スタートが絶望的になる左手の法則と違って、俺にはもっと完璧な戦法があるんだぜ」

 

「ほほう、やけに自信満々かしら。なんかもうすでにダメな気配が漂ってる気がするけど、とりあえず言ってみるといいのよ」

 

「へっ、吠え面かくなよ。その名も、『いしのなかにいる』戦法だ」

 

「――?」

 

疑問符を浮かべて首を傾げるベアトリス。少々、専門用語過ぎて内容が窺い知れなかっただろうが、スバルは勿体ぶりながらも咳払いして説明を始める。

 

「いいか。まず、自分たちの位置をスタート地点と定める。そこからまず一定の方向に進んで、分岐点に遭遇するだろ?そしたらまず、分岐点を両方とも行き止まりまで進むんだ。で、行き止まりかその先の別の分岐点を確認したら最初の分岐点のところまで戻ってくる」

 

「……うん、続けるかしら」

 

「で、後はその分岐と歩数を計算しながらマッピングする。で、行き止まりじゃなかった方の別の分岐点に進む。そしたらその分岐点で最初の分岐点でしたのと同じ方法を使う。そうしながらマッピングしていくと、自然とゴールまでの道のりとそのダンジョンの階層のマップを埋めることが……」

 

「気が長すぎるのよ!辿り着く前に日が沈んで、夜が明けちゃうかしら!」

 

「ば、馬鹿野郎!確実性を取るのの何が間違いだ!これでどれだけのプレイヤーが、複雑すぎるダンジョンから無事に生還できるようになったと思ってやがる!むしろこれはアレだ。お前が言ってた先人の知恵だよ!」

 

「知恵に頼りすぎることで本来の目的を見失う、ダメなパターンなのよ!」

 

自分の意見を廃案にされたベアトリスが、腹いせにスバルの名案を踏みつけにしようとしている――というわけではないのは、さすがにスバルも認めるところだ。

確かに時間がかかりすぎる戦法ではあるし、それ以前にそもそもマッピングするための紙とペンもなかった。

 

「こうなったら最後の方法しかないか……」

 

「どうするつもりなのよ。もうスバルの意見への信頼はだいぶ低いかしら」

 

確実性のある話題で信頼度を勝ち取るはずが、かえって信頼度を下げている。誠意を込めた行いが正当に評価されないのは、ままあることだ。

 

「切り替えよう。そして俺とお前の折衷案としては」

 

「しては?」

 

「素直に人に聞こう」

 

「それがいいのよ……」

 

もともと、独力で解決することへの拘りはスバルにはそんなにない。ベアトリスの自尊心だけが問題だったが、どうやらその点もクリアしたらしい。

幸い、ミューズ商会を仕切るキリタカは名うての商人で都市運営にも関わる有名人だ。そこらの人でも場所はわかるだろう。

そう考えて、スバルは適当な人に声をかけようと周囲に視線を向ける。が、

 

「公園なのに、あんまり人がいないのはこれ如何に」

 

「時間、が悪いとも思えないのよ。普通に昼下がりで、お昼寝するにはちょうどいい時間かしら」

 

ベアトリスの言葉に大いに賛成し、木陰で午睡したい誘惑が湧くがそれを跳ねのける。さて、ならば人通りのあった水路方面へ戻ろうかと考えたところでスバルは気付いた。

 

「――なんか聞こえるな」

 

風の音と、ささやかな水の流れる音。

それに紛れてスバルの鼓膜をくすぐったのは、人の声――否、歌声だった。

 

「――――」

 

途切れ途切れに聞こえてくるそれは、歌と音楽の断片でありながら何故かスバルの心をひどく掻き毟った。自然と、足が歌声の聞こえる方へと向いてしまう。

それも、スバルと同じものに気付いたベアトリスも一緒にだ。

 

そして、スバルとベアトリスが誘われるままにそこへ辿り着いたとき、二人は息を呑むことすら忘れて圧倒された。

 

――公園の最奥にある何らかの記念碑、その前で一人の少女が歌っている。

 

褐色の肌をした小柄な少女だった。

快活そうな顔立ちに大きく丸い瞳、明るい黄色の髪の毛を二つくくりにして頭の両端から垂らし、髪や体を木の実や動物の骨を使った装飾品で飾っている。

歌う少女の腕には絃を指で弾く、ギターとウクレレの間ぐらいの大きさの楽器が握られており、少女は音楽を奏でながら喉を震わせて歌を歌い上げる。

 

その歌に持つエネルギーが、圧倒的なのだ。

まるでそこにあるはずのない風を、起きているはずがない地震を、歌を聞きながらスバルは感じ取っていた。それは決して声量の大きさに圧倒されて感じる感覚ではありえない。彼女の声は一つで、歌う曲調はどちらかといえばバラードなのだ。

たった一人の少女が、その指先と歌声だけで楽団に匹敵するエネルギーを生み出して、それでスバルの全身を貫いていたのだ。

 

「――――」

 

呼吸すら忘れるスバルを驚かせたのは、その少女の姿だけではない。

その歌う少女を囲み、声一つ上げずに歌声に耳を傾けている聴衆の姿もだ。その数はゆうに二十人を超えており、これほどの数が息をひそめて歌に聞き入り、公園の入口にいたスバルたちに存在を感じ取らせなかったのだ。

事実、こうして近づいて確認するまで、スバルには少女が一人でいるようにすら思えていた。それほどこの場所は、少女に支配されているのだ。

 

そしてスバルが総身をその衝撃に震わせている間にも、少女の歌はクライマックスへとさしかかり、聴衆のボルテージも最高潮へ――。

 

「――金もない、未来もない、夢もない、見栄だけはある。嗚呼、何が見える。瞼の裏に闇が見える。闇の向こうに何も見えない。尽きる、尽きる、終わりがくる」

 

「落ち着いて聞いたらひでぇ歌だな、オイ!?」

 

「ひゃあ!?」

 

夢も未来も神も仏もあったもんじゃない歌詞に我に返り、スバルが思わず壮絶に突っ込みを入れてしまう。

その途端、少女が驚いて歌を中断、持っていた楽器も落としそうになり、当然ながら音楽も中断――直後、それまで場を支配していた謎の感覚が消失する。

それを見て、スバルは自分がまずいことをしたと顔を青くした。

 

「やべぇ、空気読めないことした。今のは違くて……痛ぇ!?」

 

「スバルの馬鹿、台無しなのよ。せっかくいい気分で聞いてたのに、なんて無粋な真似をするのかしら。いくらなんでも酷すぎるのよ」

 

謝る前に、爪先をつんざく鋭い痛み。

見れば、憤慨した顔のベアトリスが踵でスバルの足を踏んでいる。歌の中断と同時にベアトリスも我に返ったようだが、歌を中断させたことは許せないらしい。

そして、

 

「あ、れ……歌は?」「ここは公園……さっきまで、確かに俺は闇の中に」「違うの、違うのよぉ、あのときは仕方なかったの……だって、だってぇ」「僕、大きくなったらテミオンをやっつけて、ドラフィンを助けてあげたい……っ」「わたし、その夢を応援したいな……」「ティーナちゃん……」「ルスベル……」

 

それまで歌に呑み込まれていた聴衆も、続々と陶酔空間から現実へ舞い戻る。中には歌の影響を引きずって崩れ落ちていたり、歌をダシにしていい感じになっている少年少女もいたりするが、全員に自分が戻ったのは事実だ。

そうして現実に舞い戻った全員がどうしたかといえば、揃って歌を中断させた元凶――つまりは、空気が読めないことに定評のある男ナツキ・スバルを睨み、

 

「――余計なことするなよ!!」

 

と、意訳すると全員がそうした罵声をスバルへ浴びせたのだった。

 

※※※※※※※※※※※※※

 

「どもども、お疲れさまでしたー。いいえぇ、非難轟々でしたねっ」

 

「嬉しそうに言ってくれんなよ。あまりにも踏まれすぎて、俺の右足と左足とでサイズ違っちゃってない?俺の右足大丈夫?」

 

「知らんのよ。今回はベティー、スバルの味方してやらんかしら」

 

スバルの問いかけに、ぷいと顔を背けて断固お断りスタイルのベアトリス。仕方なく自分で確認するが、ひとまず右足が倍ほどに腫れている様子はない。

 

先ほどの野外コンサートに水を差したスバルは、それはもう聴衆たちから嵐のような罵声を――浴びたかといえばそうではなく、その点に関しては歌い手である少女の方が取り成してくれたので事なきを得た。

 

聴衆は一人ずつ、その少女とにこやかに言葉を交わし、歌の感動を伝えて、握手をして、半分ぐらいの人が最後にスバルの足を踏んで去っていった。

負い目がある分、スバルは何も言えなかったし、ベアトリスはそれを黙認していたので完全に世論がスバルの敵だ。

足の方も、靴と靴下の内側で内出血ぐらい覚悟するべきだろう。

 

「ケガしたら結局お前の回復魔法に頼るのに、なんか空しいとか思わないのか?」

 

「ちょっとずつ溜めてるマナの無駄遣いになるのよ。自然に治るのを待つか、エミリアにでも頼むといいかしら」

 

「なんだかんだでお前、エミリアたんに回復せがんだら不機嫌になるじゃん……でもまぁ、自然治癒はそうだな。ちょっと俺も感覚がマヒしてた」

 

ベアトリスの指摘ももっともだと、スバルは彼女の意見に従うことにする。

こちらの世界にきて以来、ケガをすることも増えたが、そのケガを治す手段の万能感にも甘えていたところがあると思う。特にパルクール習得中は打ち身や擦り傷、捻挫などが日常茶飯事にも拘わらず、エミリアとベアトリスのどちらかがさっさと治してくれるのだ。

傷に対する痛みの恐怖は薄れていないが、ある程度のケガならばしても大丈夫というぐらいの慢心が生まれているのは確かだった。

 

「お前はいつも、俺がそうやって緩みかけてるところを締めてくれるな。頼りっぱなしで悪い。もうちょい考えるよ」

 

そう言って、スバルはいまだに顔を背けているベアトリスの頭を撫でる。優しい手つきにベアトリスが視線だけこちらに向け、気持ちこっちに擦り寄りながら、

 

「ま、まぁ、反省したならいいのよ。その痛みは教訓と思って堪えることかしら」

 

「ういうい、そうするよっと。そうだ。悪かったな、こっちで話し込んで……」

 

スバルとベアトリスのパートナートークは、傍目に見てても意味がわからなかったことだろう。迷惑をかけた当事者でもあるので、スバルはその少女に謝罪の言葉をかけようとする。しかし、それには待ったがかかった。

自分を見るスバルとベアトリスに対し、少女が掌を向けていた。そして、

 

「閃きました」

 

「え?」

 

「聞いてください。――年の差なんて知らないわ」

 

呆然となるスバルたちを置き去りに、唐突に少女が楽器を叩いてリズムを取る。そして舌を弾いてタイミングを取り、小さく息を吸って、歌い出した。

 

「ねえ、見えてる感じてる?あなたと私の恋の年の差。周りは変だというけれど、私はそんなの気にしてないわ。私がいつも気にしているのは、私とあなたの恋の身長差。ねえ、待ってて。お願い、待ってて。あと、少し、もう少し、背伸びをすれば届くぐらい。それぐらい二人が近付けば、きっと年の差なんて誰も気にしないわ。だからお願い、二年だけ。お願いそれだけ待っていて。私とあなたの恋の距離。甘くとろける恋の距離」

 

「縮まる二人の恋の距離、静かに燃える愛となり、やがて二人にコウノトリ、きっと二人に子を送り、未来は明るい恋物語っ」

 

「えええ!?」

 

突然に歌い出した少女の歌声と歌詞に翻弄され、ベアトリスは目を回していた。が、少女が歌い切ってシャウトを入れた直後、曲の終わりに合わせてスバルが急に歌に参戦する。韻を踏んだそれはいわゆるラップ調というやつであり、脊髄反射でやったわりにはやたらと堂に入っていた。

最後の驚きの声は、説明無しにセッションした二人がハイタッチしたのを見て、ベアトリスが驚愕しながら上げたものだ。

 

「ちょっと待つのよ!なんで……そう、なんでスバルは急に歌に混じってるのかしら。それをお前が当たり前みたいに受け入れてるのもおかしいのよ!」

 

「おいおい、何を言ってんだ、ベア子。……歌は国境を超えるんだぜ?」

 

「いい言葉ですね。このリリアナ、感激に胸が震えます。震えるほどありませんがっ」

 

「べ、ベティーが間違ってるみたいな態度はいくらなんでも納得がいかないかしら……」

 

マイペースというより、ゴーイングマイウェイな二人にベアトリスが疲れた顔。さすがにそれではベアトリスが可哀想だと、スバルは褐色の少女に向き直り、

 

「言っとくけど、俺とベア子はお前が考えてるような関係じゃないし、そもそもベア子があと二年分成長しても俺の守備範囲に入ってない」

 

「え?でも十三、四歳ぐらいになりませんか?私、こう見えて相手の年齢とか観察するの得意なんですよぅ。まあ、人生経験の賜物ってやつですか?」

 

「ざっと四百二歳ぐらいになるな」

 

「またまたぁ。当てられたからってそんな意固地になる必要ありませんってばぁ」

 

少女はスバルの発言が苦し紛れだと思ったのか聞き入れようとしない。

スバルの方も訂正するのが面倒臭くなって、それ以上の否定を避けた。とにもかくにも、話がおかしな方向に向かいすぎだ。修正したい。

 

「というわけで流れを持ち直そう。さっきの閃きましたってのは新曲か?」

 

「いぃえぇ、そうですっ。私、こう見えて爆発的に感受性が豊かなので、お二人の姿とやり取りを見ている間にもう辛抱たまらんくなってしまいましたっ。きちんと譜面に残して記録しますから、誇りに思っていただいて結構です!」

 

早口にまくし立てて、少女はそれから口に手を当てると、

 

「あ、でもでもっ、それだけじゃいけませんでした。お兄さん、そうお兄さんです。お兄さんが最後に私に合わせてくれたじゃないですか、アレなんですか?まさかあんな反応初めてで、私も嬉し楽しくはしゃいでしまいましたがっ」

 

「あれはラップの神様が急に降りてきたんだ。もう一回やれって言われてもたぶん無理。俺にそこまでのスキルも才能もねぇよ。一瞬のきらめきさ」

 

「一瞬の、きらめき……」

 

遠くを見る目のスバルに、少女もまたどこか切ない顔をする。

二人の間に流れる、互いに言葉にならないものをわかり合った感覚。それはその場で取り残される少女の、堪忍袋の緒をついに破った。

 

「スバル」

 

「ん、どうしたベア……ぶんだら!?」

 

袖を引かれて下を見た瞬間、衝撃波がスバルの体を錐揉み吹っ飛ばす。そのままスバルは公園の芝の上をバウンドし、地面を思い切り叩いて受身を取る。が、勢いは殺し切れずにそのまま転がって目を回した。

一方、それをやってのけたところのベアトリスはじと目を褐色の少女へ向け、

 

「もうお前たちに話の主導権を握られるのは御免被るのよ。ここからはベティーが仕切らせてもらうかしら。逆らうなら見せしめと同じ目に遭うのよ」

 

「ふぁ……あ、あの、したら……」

 

「黙るかしら。ベティーが言った言葉に、聞いた質問に、それに速やかに応じることだけを考えるのよ。今、お前が何もされてないのは歌が素晴らしかったからかしら。でも、その温情も続かないのよ」

 

震える少女にもベアトリスの声は容赦がない。

少女がカクカクと首を縦に振るのを見届け、ベアトリスは一つ吐息。そこから言葉が吐き出されるまでの時間、少女は何を言われるのかと身を固くする。

そして、

 

「ミューズ商会とやらの本丸がある場所まで、ベティーたちを案内するかしら」

 

「――え?」

 

「二度は言わないのよ。案内するか、しないでベティーに怒られるかの二択かしら」

 

「あ、案内します!させていただきます!」

 

不自由な二択を迫られて、少女は即座に白旗を掲げた。

その様子にベアトリスは満足そうに頷いたが、そこに体を叩きながらスバルが戻ってくる。ベアトリスは戻ってきたスバルの視線に、つんと顔を上げた。

 

「文句があるなら、言うといいのよ」

 

「せっせと溜めてるマナを俺への教育的指導に使うのは許容範囲なの?」

 

「時と場合によりけりかしら」

 

「柔軟性がある思考してんなぁ、ベア子は。あとなんだ、今のやり取りだけど……案内役を捕まえたのはよかったと思うんだが」

 

そこでスバルが頬を掻き、言葉を切る。

半端な物言いにベアトリスが不機嫌な目をするので、スバルは言った。

 

「その子、たぶん歌姫って有名な子だから、下手な対応はしない方がいいと思う」

 

先ほど、自らリリアナと名乗っていたし、あの歌唱力ならほぼ間違いあるまい。当人の人間性が、イマイチ『歌姫』なんて冠と見合っていないが――、

 

「ど、どもども、なんでござんしょう。へへ、案内でも靴を舐めるのでも何でもやらせていただきます。ですからどうか、命だけはお助けを……平に、平に……っ」

 

這いつくばって、卑屈に命乞いをする少女がそこにいる。

訂正して、イマイチどころではなく、全くそうは見えない『歌姫』であった。