『次なる場所』


 

――ベアトリスに禁書庫から手ぶらで放り出されて、スバルは空振りに終わったことに忸怩たる思いを抱えたまま皆の下へ戻った。

 

リビングへ戻ったスバルを出迎えたのは、出る前と変わらない位置関係でこちらを待っていてくれた面子だ。ゆいいつ違うのは、先ほどまでスバルが腰掛けていた位置にオットーが座り、エミリアと対面でなにがしかの話し合いをしていたらしき名残があることだろうか。

自分以外の男がエミリアと親しげに接することに嫌な顔をして、スバルはその嫌な顔を隠さないでオットーに向けて、

 

「俺のいぬ間にエミリアたんとうきうきトークとか死ねばいいのに」

 

「無言で待つのも無為な時間過ごすのも僕の性質上無理なんですよ。というか、戻って第一声がそれとか正直どうなんです?不機嫌の八つ当たりをされるのとか、さすがに心外なんですが」

 

「わ、わかったような気になって人のこと見透かさないでよねっ。あんたなんか、油買い取って約束果たしたらそれで終わりなんだからっ。勘違いしないでっ」

 

「勘違いとか生じるようななにかが二人の間にあったみたいな言い方やめません!?」

 

顔を背けてツンデレーションするスバルにオットーが叫んだところで、スバルはスパッと彼への興味を失ってエミリアへ向き直る。

話に入らず、二人の会話が終わるのを待っていた彼女はその視線を受け、座ったまま上目でこちらを見つめると、

 

「――ベアトリスとは、会えたの?」

 

不安げな問いかけ。それはとりもなおさず、スバルがこの部屋を出ていった目的が果たせたのかと言外に問うてきている。

彼女のその質問への答えはYESであり、意図に対してはNOというしかない。

接触はできたのに、肝心な話を振ることができなかったのだから。これではどこの優柔不断でヘタレなADVの主人公なのか、と笑い飛ばしたくなる体たらく。

もっとも、それを笑い飛ばせるほどの差異はないなと自分でも思うが。

 

「いや、これがダメだった」

 

「そっか。うん、でも仕方ないわよ。ベアトリスが扉渡りで行方をくらましちゃうと、どうやっても見つからないもの。私もラムも、一回も会えなかったし……」

 

「んにゃ、会うのはできたんだよ。でもご機嫌ナナメっつーか、アンニュイな気分だったんだか質問には答えてもらえなかった。間抜けな話だけどさ」

 

「……会えた、の?」

 

そもそも接触できなかったと解釈するエミリアを遮ると、彼女はスバルの答えに驚いたように目を開く。その反応にいくらか怪訝なものを覚えながら、スバルは「ああ」と首を縦に振り、

 

「冴え渡る勘が、あいつのいる部屋をばっちり教えてくれたんだよね。まぁ、会えても話運びのコミュ力が低すぎて目的達成しそこなったんだけど」

 

「前から思ってたけど、スバルとベアトリスって……仲、いいのよね」

 

唇に指を当てて、エミリアは考え込むような低い声でそう呟く。

それを聞き咎めて、スバルは思いっきりに渋い顔を作る。もっとも、無意識に出てきた表情ではなく、ある程度は意図的に作った表情であり、

 

「俺とベア子が仲良しとか勘弁してよ。不倶戴天だよ、出会ったときから。あいつ、初対面でいきなり俺のマナ吸い上げるような奴だぜ?最悪の印象が俺の中で切り替わるには時間が足りてないかなぁ」

 

「あんなに色々あったユリウスとは仲直りしてるのに?スバルってたまにそうやって、すごーく意味のない意地を張るのね」

 

「無意味な意地を張り通してこその男、みたいな勘違いをし続けてる痛い奴なの。プラスしていうとユリウスとは仲直りしてない。俺、あいつ、嫌い、ふぉーえばー」

 

「はいはい」

 

不本意な評価に反論するが、小さく笑うエミリアはそれを鮮やかにスルー。その態度にスバルは不満を表すように唇を曲げるが、内心ではうまく話題がそれたことに安堵感を覚えていた。

ベアトリスと交わした言葉の数々は、いまだにスバルの中でも整理し切れていない。最後に見せた悲しげな顔と合わせて、どうまとめたものか見当もつかなかった。

 

「そういや、見かけないフレデリカはどこいったの?オットーと俺のエミリアたんを二人きりにしていくとか、判断ミスにもほどがあるんじゃね」

 

「私が誰のものかはまた別の機会に話し合うとして……フレデリカは今、客室のひとつを整えにいってくれてるわ。――レムさんを休ませる部屋の準備」

 

「ああ、そっか」

 

応じるスバルの声がひとつ低くなり、エミリアが痛ましげに瞳を細める。

彼女にそんな表情をさせてしまうことを悔やみながらも、スバルはレムのことを思うときの胸中に満ちる痛切を堪えることができない。

ただ、瞬きと首振りひとつでそれらの感傷を表情から消して、こちらを気遣ってくれるエミリアにこれ以上の憂いの感情を与えまいと唇をゆるめ、

 

「そうなると、そろそろ竜車からレムを引き上げてこなきゃな。いつまでも放置してたら可哀想だし……そういや、さっきは悪かったな、オットー」

 

「いえ、別に気にしてませんよ。ナツキさんにとって……あー、色々とある子なんでしょうから。あんな状態で過剰になるななんて言えませんし」

 

「俺のレムにオットーの金で汚れた指が触れると思うとどうしても堪え切れなくて……本当に悪かった」

 

「本当に悪いと思ってない人の発言ですよねえ!?そして付け加えれば、今さっき別の女性を『俺の』って呼んだ人の口にしていい台詞じゃない気がしますが!?」

 

「お前をダシにして、エミリアたんに妬いてもらおうっていう俺の可愛い恋の駆け引きじゃねぇか。言わせんな、バカ」

 

「自分で言ったんじゃん!」

 

いちいちオーバーリアクションのオットーに笑いかけ、それからスバルはちらりと横目でエミリアをうかがう。スバルとオットーのやり取りを見守るエミリア――その唇がわずかにゆるみ、先ほどの憂いが消えているのを確認してひと息つく。と、

 

「スバルとオットーくんって、なんだかすごーく仲良しよね。知り合って、まだ全然時間が経ってないはずなのに」

 

「あれ、そっちに妬いちゃった!?エミリアたんとのことに比べたら、オットーなんて遊びだよ遊び。俺、エミリアたんと本気の火遊びがしたいな」

 

「なんで僕が捨てられる側なんですか。事実がどうとかじゃなく、そこが不満なんですが!」

 

ますます、ヒートアップする男二人にエミリアは笑いを弾けさせる。

口に手を当てて、堪え切れない笑いの衝動に肩を揺らしながらエミリアは「ごめんね」とひとつ前置きを入れて、

 

「こんな風に笑ってていいときじゃないと思うのに、我慢できなくて。二人ってひょっとしたら、すごーく長い付き合いになるんじゃない?」

 

「流れの行商人だぜ?用事が済んだらパッとお別れ……っていうか、俺以外にカップリング対象が決まってない男がエミリアたんに近づくとか俺が耐えられません」

 

「言ってる意味がわからないのにくだらないこと言ってるのがこの短期間の付き合いでわかる僕が嫌だ――!」

 

頭を抱えて顔を青くするオットーに、スバルは荒い鼻息をぶつけて口を曲げる。

ある程度、誇張した言い方ではあるが紛れもない本心。エミリアに思いを打ち明けて、今や飛ぶ鳥を落とす勢いでアプローチをかけるスバルにとって、他の男のエミリアへの接近は嫉妬心メラメラでたまったものではない。

独占欲も、嫉妬心も、きっと自分は人一倍、強く持ち合わせているのだから。

 

※※※※※※※※※※※※※

 

リビングでのそんなとりとめもないやり取りは、客室の準備を終えたフレデリカが戻ったことでお開きとなった。

 

「僕は少し、直近の村の様子でも見てこようかと。積み荷の買い取りに関しては他の行商人の方々の分も証書預かってきてますし、ある程度は僕の裁量で村への分配も可能です。費用はあとで、辺境伯に負担していただきますけどね」

 

そう言って、長旅の疲れもなんのそので精力的にオットーは村へ駆けていった。

いくらか計算高い商人としての顔を覗かせながらも、彼の提案は避難者が六割でいまだ村としての機能の回復に至らないアーラム村にとって支援以外の何物でもない。

そういった部分を隠して偽悪的に振舞う彼の姿に、スバルは感謝の気持ちとそれを隠すために唾を吐くポーズを取らざるを得なかった。

 

「使用人室の一室をご指示通りに準備しておきましたわ。……不思議なことに、一室だけずいぶんと入念に片付けられた形跡がありましたの」

 

「入念に……二階の、一番奥の部屋?」

 

「――ええ、そうですわ。その一室だけ、まるで寝台以外のものを全部放り出したように綺麗になっていて……なにか、ご存知でいらして?」

 

準備の終わった部屋の話を振るフレデリカに、スバルは哀切で瞳を揺らさないようにするのに懸命だった。

彼女の語った部屋――屋敷の東側二階、最奥の部屋はもともとレムの部屋として利用されていた場所だ。その一室の中身が片付けられていたという説明に、スバルは『暴食』による存在抹消の効力の強さを思い知る。

 

「……いや。そんな気がしただけで、別に意味なんてないよ」

 

と、そう答えるスバルに弁えたフレデリカはなにも言ってこなかった。

彼女もまた、メイドとして非常に優秀な性質らしい。レムとフレデリカ、広すぎるロズワール邸の機能は本来、この二人によって回らされていたのだろう。ラムを除き。

 

屋敷の裏手に回り、繋いだ竜車へ向かうと小さな嘶きがスバルを呼んだ。

見れば、見慣れない倉庫のような建物――竜車を収容する車庫の役割を果たす場所だろう。その建物と、隣接する厩舎めいた中に繋がれるパトラッシュを発見。

漆黒の体皮を持つ地竜はスバルの接近に気付くと健気に声を上げ、歩み寄るスバルの方へ首を寄せて親愛を表す。

近づけられる鼻先に指先を当てて、固い表皮をくすぐりながら、

 

「さっきはお疲れ様ともまともに言わなくて悪かったな、パトラッシュ。色々とあって今さらだけど、今後も頼むぜ、相棒」

 

「――――」

 

舌を出すスバルの言葉に、ざらついた舌の感触を掌に与えてパトラッシュが応える。そうして仲良く触れ合うひとりと一頭にフレデリカは首を傾け、

 

「懐かれてますわね。これだけ一目で優秀とわかる地竜を、そうまで手懐けていらっしゃるのには感嘆しますわ」

 

「手懐けるってほどなにもしてねぇよ?普通の地竜が懐きづらいってんなら、パトラッシュが他の地竜より並外れて情が深いだけじゃねぇかな。それか、あんまし俺が頼りねぇから仕方なく付き合ってくれてんのかも」

 

謙遜でもなんでもなく、スバルはパトラッシュの懐きっぷりをそう評する。

出会ってからほんの三、四日。その間、何度このお人好しな地竜に命を救われたことか。それに対してなにも返せていないのだから、パトラッシュの忠竜ぶりには出会いが幸運だったと言い切る他にない。

 

スバルのそんな自己評価を察したのか、パトラッシュはスバルの手を舐めていた頭を伸ばし、油断するスバルの頬へ鼻先を擦りつけてきた。不意打ち気味のそれに驚き、横顔を鑢がけされるような感触にスバルが苦笑すると、

 

「なんとなく、スバル様の人となりがわかったような気がしますわ。――あなたも、苦労いたしますのね」

 

「――――」

 

パトラッシュの相手で必死なスバルではなく、フレデリカはやわらかな眼差しでスバルで戯れるパトラッシュに声をかけた。

パトラッシュはそんなフレデリカの感慨深げな一言に少しだけ動きを止めて、一度だけその爬虫類の瞳を彼女に向けたあと、スバル弄りを再開する。

スバルの知らぬ間に、女性陣の心がなぜか通じ合った瞬間でもあった。

ともあれ、

 

「待たせて悪かったな、レム。窮屈で暗いとこだったろ?今、お前の部屋まで運んでってやるから」

 

ひとしきり、パトラッシュと戯れたあとで足を運んだのが車庫の竜車――つまり、車内で寝かされたままになっていたレムの下だ。

状態変わらず、昏々とした眠りの中にあるレムはスバルに文句を言うこともない。置き去りにされたことに拗ねて、顔を背けて頬を膨らませて、「スバルくんは意地悪な人です」とむくれてくれることも、謝るスバルに笑いかけてくれることも、ない。

 

「――話には聞いていましたのに、驚きましたわ」

 

そんな感傷に浸るスバルの後ろで、レムの姿を初めて見たフレデリカは驚きを隠せないでいる。彼女の驚愕にスバルが首を傾けると、彼女は小さく「いえ」と首を振り、

 

「わたくしの知る、ラムと顔立ちがそっくりですもの。違うのは髪の色ぐらい……双子、というのは本当のお話なのですわね」

 

「思い出が消えて半信半疑だろうけど、信じてもらえてよかったよ。性質の悪いイタズラじゃないって、そう思って思い出してくれたらなお嬉しい」

 

フレデリカの驚きの理由に頷き、スバルは伸ばした手をレムの頬に当てる。

なぜか、温かみも冷たさも感じない。生命活動が行われていることは間違いないのに、肉体に宿る中身がなにも残っていないのだ。

すでに何度も確かめたそれを改めて確かめることで、スバルは心の中に癒えない傷を再び負う。それがわかっていながら、それでも確かめずにはおれない。

 

「スバル様。わたくしが連れていってもよろしいですのに……」

 

「やりたいんだよ、やらせてくれ。レムを屋敷に……部屋に連れ帰るのは俺でありたいんだ。わがままばっかりでごめんだけど」

 

「いいえ、ちょっときゅんとしましたわ。人殺しみたいな目つきですのに、お優しいのですわね」

 

「さりげないディスりに傷付く心も持ってるよ!」

 

フレデリカの言葉に言い返し、それからスバルはレムを抱きかかえる。すでにこうして何度か彼女を移動させるたびに抱えているが、軽い体だ。

この体でスバルの前に立ち、役立たずのスバルを守るために奮戦し続けた。そう思えば思うほど、愛おしさがこみ上げる。

 

「早く、起こしてやるからな。だからこうして今、お前の体の柔らかさを指先に感じる俺に怒ってくれよ」

 

「いい台詞のようで、台無しな気分になりますわね」

 

フレデリカの呆れたような言葉を最後に、スバルたちは竜車を出る。厩舎から顔を出すパトラッシュに頷きひとつで別れを告げ、それからフレデリカの先導を受けながら屋敷の中へ。

東側の使用人室――レムの寝室となる、もともと彼女の部屋だった場所へ。

 

「ベアトリス様と、お話になれたのですわよね」

 

歩きながら、ふいに投げかけられた言葉だ。

段差に気をつけて階段を上がっていたスバルは、先を行くフレデリカの背中を見上げる。彼女はその鋭い瞳の瞳孔を細めて、威嚇にしか見えない目つきでスバルを見下ろしていた。もっとも、そうでないことは同じように三白眼が原因で人に誤解され続けてきたスバルには理解できている。

彼女はスバルが無言で問いかけを肯定しているのだと察すると、

 

「お元気にされていますの?わたくしが屋敷に戻って以来、まだあの方のお顔を拝見できていないものですから」

 

「エミリアたんにも言ったけど、元気は元気……だったんじゃねぇかな。いつもより機嫌が悪かったってのもあって、そこまでちゃんと話せたわけじゃねぇけど」

 

「そう……ですの」

 

気掛かりでもあるのか、スバルの答えに対する彼女の表情は明るくない。

その表情を見ながら、ふとスバルは疑問に思ったことがあった。ベアトリスという少女の、この屋敷における立ち位置のことだ。

 

これまで、スバルは彼女の立場や素姓に関して追及してくることはなかった。

ロズワール辺境伯の屋敷にあり、魔法で作られた謎の空間である禁書庫に身を置き、客人とも貴人ともとれる応対をレムとラムの二人から受けていた少女。

かと思えば王選参加者であるエミリアと契約する精霊、パックをまるで兄のように慕う子どもらしい姿。そして、スバルと向き合うときの見た目相応としか思えない素振りや、先の一件のような思わせぶりな態度――謎ばかりだ。

 

「ええっと、フレデリカってこの屋敷に務めて長いのか?」

 

「あら、興味がおありですの?エミリア様と、腕の中の女の子……それにベアトリス様と気が多い方ですわね」

 

「そこにさらっとベア子混ぜないで、俺年下属性ないから。俺の両手がエミリアたんとレムで埋まってんのは見りゃわかるだろ?フレデリカは……ぶっちゃけ、この短時間だけど苦手なタイプだと思う」

 

「嫌われてしまいましたの」

 

「そうやって、俺を手玉に取ろうとする感じがロズワールの使用人って感じでダメなんだよ。あ、あくまで性格的相性の問題で、お前が嫌いとかじゃないから」

 

スバルのフォローにフレデリカは目を瞬かせ、それからその凶悪な牙の並ぶ口元を隠して笑いながら、

 

「そんな心配しておりませんわ。スバル様も、心配性ですのね」

 

「初対面のとき、傷付けちまったから。笑い飛ばしてくれたけど、半分くらいは本音だっただろ?」

 

「――――」

 

スバルの言葉にフレデリカは今度こそ驚いた様子で目を瞬かせ、その笑みの表情を消してスバルを見つめる。その黄色の瞳の輝きがスバルの目に滑り込み、内面まで見透かそうとするのを受け止めた。

ほう、と小さな吐息をフレデリカがこぼし、

 

「あまり、心の内を人に察せられた経験がないんですの。踏み込まないでいただけるとありがたいですわ」

 

「踏み躙っちまったところを整えただけだって。俺も目つきの悪さは人のこと言えねぇし……まぁ、うちは家族揃ってなんだけど」

 

父母共に目つきの悪い家族だったから、生まれた息子もこんなものである。

夕食時、家族で顔を揃えてマイマヨネーズでマヨチュッチュを無言でしているところなど、食卓で黒魔術でもやっているようにしか見えなかったのではないだろうか。

客観的に記憶を見て嫌な顔をするスバルに、フレデリカはさらに吐息を重ねる。

 

「不快感、ではありませんのに、不思議な方ですわ。エミリア様が、ああして振舞われるのもわかるというものですのね」

 

「エミリアたんが、なに?」

 

「なんでもありませんわ。今度こそ、エミリア様に本当に怒られてしまいますもの。それで、わたくしの勤続年数を聞いてどうされますの?」

 

首を振り、フレデリカは脱線した話題を元の位置へ戻す。

腑に落ちないものを感じつつもスバルは切り替え、「えーっと」と前置きし、

 

「つまるとこ、ベア子……ベアトリスの話がしたかったんだよ。屋敷でメイドやってる時間が長いなら、ベアトリスがどれぐらい前からいるのか聞こうと思って」

 

質問したわけではないが、フレデリカの年齢はおそらくはスバルよりいくつか上――推定で二十三、四といったところか。メイドとして十年選手だとしても、ベアトリスの推定十二歳年齢を逆算して質問の答えを知っていそうではある。

だが、そのスバルの問いかけにフレデリカは首を横に振って、

 

「申し訳ありませんけれど、わかりませんわ。ベアトリス様はわたくしがこのお屋敷で働かせていただく以前より、すでに禁書庫にこもっていらしたので」

 

「ああ、まぁしょうがないか。メイド歴がそのままロズっちの屋敷で働いてた時間に直結するわけじゃないもんな。この屋敷で叩き上げってばっかりじゃ……」

 

「いいえ、違いますわ、スバル様」

 

ありうる可能性に否定された気でいたスバルを、はっきりとフレデリカが遮る。

彼女は眉根を寄せるスバルの前で背筋を正し、凶悪な面貌にそれとわかる憂いをたたえ、

 

「わたくしがメイドとして働かせていただいたのは、旦那様のお屋敷おひとつ。そしてわたくしが初めて使用人として連れられてきたのは、わたくしが十二歳の頃のことになります。もう、十年以上のこと」

 

「……いや、おかしくね?だって、そのときから逆算して考えると、ベア子の奴ってよちよち歩きの頃からカビ臭い部屋にこもってたことに」

 

「もう、わかっていらっしゃるのではありませんの?」

 

往生際の悪いスバルを見咎めるように、フレデリカは首を横に振る。

その彼女の態度がスバルの胸中に浮かんだ疑問を肯定するようで、スバルはそれまで深く考えないでいた答えをはっきりと悟った。

つまり、あの禁書庫にいる少女は――、

 

「姿が変わってない。……人間じゃ、やっぱりないのか」

 

「メイザース家の始まりの時より、禁書庫を守り続ける盟約に繋がれた司書――それがあのお方、大精霊ベアトリス様ですわ」

 

言い切るフレデリカの言葉に嘘が感じられず、スバルは認めるより他にない。

これまで接してきたあの少女の正体が、スバルのそれとはまったく違う次元に位置する存在であることを。

 

「大精霊……って肩書きはパックと同じなのに、見た目とか色々だいぶ違うな」

 

「契約者の不在や盟約の関係が……いいえ、これはわたくしが口にしていい領分を越えたお話でしたわ。忘れてくださいまし」

 

「いや、絶対無理だけど」

 

無知なスバルが事情通の相手の思わせぶりに振り回されるのも何度目になるか。

フレデリカはスバルのじと目にもなんのそので、口をつぐんだ今の内容に触れるつもりはもうないらしい。その態度と素振りに、これ以上に彼女の話を続けることはできそうもないとスバルは嘆息。

それからずっと、二人して足を止めて話し合っていたことを思い出し、

 

「フレデリカ」

 

「お許しくださいな、スバル様。わたくしも、少し口が滑り過ぎましたの。ベアトリス様を気にかける方が現れたのが、ことのほか嬉しかったのですわね。どうぞ、お許しになってくださいまし」

 

「それはいいんですけど、そろそろ腕が限界なんです」

 

ぷるぷると二の腕を震わせながら、スバルは強張る顔つきでフレデリカを見上げる。

軽い体だとか、愛情があれば大丈夫だとか色々と強がってはいたが、腕力や筋持久力等々の諸事情はそういった風情を無視してスバルに襲いくる。

 

「あら、まあ」

 

「なんで、速やかにどいてください、お願いします!」

 

抱きかかえたレムを床に降ろしたり、途中でフレデリカに渡すような愚挙だけは犯すまいと誓い、交代を申し出る彼女を押し退けて急ぎ足で客室へ向かった。

背後から軽やかな駆け足の音がして、フレデリカがついてくる気配。ひどく適当な話の打ち切りになったことを自省しつつ、レムの部屋の前までくれば、

 

「――時間、かかったのね」

 

と、エミリアが手持無沙汰な顔でスバルたちを待っていたりした。

 

※※※※※※※※※※※※※

 

寝台にレムを寝かせ、胸の上まで布団をかけ直す。

確かに上下する胸が呼吸を、その内の心臓の鼓動が生命の維持を告げている。いずれくる目覚めのときまで、どれだけの時間をここで彼女が過ごすのか。

 

「それは俺の頑張り次第、ってこったな」

 

気持ちを新たに誓いを立てると、スバルはレムの額にかかる前髪を指で除けてやってから、背後にたたずむエミリアへ振り返り、

 

「待たせてごめんな。ちょっとフレデリカと話が弾んで。そのせいで、俺の二の腕の乳酸菌が大変なことになったりしたけど」

 

「話が弾んだんならいいことじゃない。フレデリカとなにを話してたの?」

 

「引きこもり娘を更生させるにあたって、まずは聞き込み調査をしてみた。引きこもり期間と始まり方、その後の接し方とかに密接な関係があるからね」

 

「へえ、そうなんだ。スバルって、その『引きこもり』に詳しいのね。すごい」

 

「悪気ないエミリアたんの言葉って、たまに俺の胸に突き刺さるよね。今みたいに」

 

純粋にスバルの見識の深さを褒めた様子なのがまた具合が悪い。

顔をしかめるスバルにエミリアは毒のない表情で首を傾けたが、苦笑で応じてみせると小さく肩をすくめて、

 

「それで、ベアトリスからはなにも聞き出せなかったのよね?」

 

「口が固くて身動きとれず。ちなみに、何度も聞いてるけど……パックは?」

 

「――ダメ、こっちも反応なし。たまにこうなっちゃうときがあるんだけど、今回はすごーく時期が悪い。もう、ホントに困っちゃう」

 

胸の内に手を入れて、そこから緑色の結晶石を引っ張り出すエミリア。ペンダント式のそれは淡い輝きを放ち、その内側に大精霊を宿す妖しげな光を揺らしていた。

それがエミリアと契約するパックの依り代であり、常日頃、実体化する彼がそこから出入りしていることはスバルも知るところである。

しかし、今のやり取りからもわかるように、ここ数日は彼の姿が結晶石の中にない。不在――というのもおかしな話だが、こちらの呼びかけにも応じない状態なのだ。

 

「たまにあること、なのか?でも、こんなじゃエミリアたんも困るじゃんか」

 

「本当にパックの力を借りなきゃ、ってときには戻ってきてるの。だから、こっちのことを見てないわけじゃないと思う。いなくなってるときになにをしてるのか、聞いても教えてくれたことって一度もないんだけど」

 

申し訳なさそうなエミリアの言葉に、スバルは頭を掻いて「んや」と応じる。

だが、ここでも事情通らしきパックが口をつぐんだ事実に内心の落胆は隠せない。これで、生じたいくつもの疑問の重要な参考人が揃って口を閉ざしたことになる。

 

「パックもベア子も、揃ってだんまり決め込みやがって……参ったぜ」

 

「ホントに。……ね、スバル、どうしよう」

 

額に手をやって考え込むスバルに、エミリアがそう言って判断を求めてくる。

その呼びかけにちらと視線を落とし、縋るような瞳にスバルへの確かな信頼が宿っているのを見て、こんなときだというのに嬉しくなる自分が救えない。

彼女が自分を頼ってくれていると、この閉塞感の中で自覚してしまう自分が。

 

「色々と知ってそうな二人が黙っちまった以上、次にいくしかないと思う。……まぁ、居場所はわかっててもそいつが喋ってくれるかは別なんだけどさ」

 

「ロズワール、よね」

 

「そろそろ、裏事情もろもろも含めて腹割って話す頃合いだと思うんだよ」

 

察しの良いエミリアの言葉に、スバルも頷いて肯定する。

即座にそれに結びつくあたり、エミリアの考えていた方針とも一致するのだろう。エミリアはスバルの意見にあからさまにホッとした様子で胸を撫で下ろし、

 

「良かった、スバルも賛成してくれそうで。またロズワールとかラムみたいに、反対されたらどうしようって思っちゃった」

 

「内容によっちゃ反対もするだろうけど、基本はエミリアたん全肯定だよ、俺?仮に反対したとしても、エミリアたんへの愛故のことだと信じてほしいね」

 

「あ、愛なんて……スバルって、すごーく調子のいいこと言うんだから」

 

口さがないスバルの口説き文句に、エミリアは不意を突かれた顔で横を向く。その頬にわずかに朱が差すのに拳を固めるスバルに、エミリアは視線を外したまま、

 

「それで、その私のことを味方してくれるスバルに提案があります」

 

「へいへい、聞きましょう、なんなりと」

 

胸に手を当てて恭しくかしずいてみせると、エミリアは片目を閉じた表情で「調子いいんだから」と唇を尖らせながら振り返る。

そして、ひとつ吐息を間に挟んでから、ジッとスバルの黒瞳を見つめて、

 

「ロズワールと話さなきゃいけないことも、避難した村の人たちのこともあるでしょ?だから私、『聖域』に行こうと思うの」

 

「『聖域』……」

 

それは、このロズワール邸で何度も名前の出た場所だ。

その所在に関しては『辿り着けなかった』スバルは残念ながら知り得ていないが、ラムの先導する避難民Bチームはそこを目的地に、魔女教からの逃走を実行した。

少なくともペテルギウスの率いる魔女教を壊滅させた今、『聖域』側に対する脅威も屋敷と同様に解かれているはずだが。

 

「いずれは顔を出さなきゃいけない場所って聞かされてたし、ちょうどいい機会だと思うわ。ロズワールとも、今度こそ色々話そうって決めてるから」

 

「ちょちょちょ、タンマ!まさか、俺を置いてこうってんじゃないよね?」

 

「え?」

 

意気込みを語るエミリアに掌を向けて、スバルは彼女の決意表明に水を差す。が、それでもスバルは言わなくてはならない。

 

「エミリアたんがやる気になってるのもわかるし、その方針には俺も賛成だけど置いてけぼりは勘弁だよ。俺が非力で頭が悪いのはわかってるけど、それでもエミリアたんの傍で頑張れないのは嫌なんだって。わがままは承知してるけどさ!」

 

必死で言い縋るスバルに、エミリアは目を丸くしている。

だが、紛れもない本心。スバルはエミリアについていく。彼女の傍にいなくては、彼女を守れない。彼女のために動けない。

自惚れでもなんでもなく、彼女を助けるために自分の存在が必要なはずだ。それは彼女への見返りを求める姿勢ではなく、スバル自身がしたいことの意義として。

そんなスバルの勢いにエミリアは驚いた顔のまま。故に、スバルはたたみかけて彼女の意思を有耶無耶にするなら今だと判断して、

 

「止めたって無駄だぜ。俺はエミリアたんについていく。置いてけぼりはごめんだ。『聖域』だろうがロズワールが相手だろうが、俺の燃え上がる愛の前に障害は――」

 

「置いていくわけないじゃない。一緒にきて」

 

「置いてけぼりなんてやだいやだいやだい――今、なんてったの?」

 

いよいよ床に寝転んで手足をばたつかせようかと思っていたスバルは、腰を落としかけた姿勢のままエミリアへ問いかける。

それを受け、エミリアは口元に手を当て、わずかに顔を赤くしたまま、

 

「だから、一緒にきて。私ひとりじゃ、不安でたまらないから」

 

「え、エミリアたん……」

 

「スバルのこと、頼りにしてる。弱いなんて、頭が悪いだなんて思ってない。スバルの力が、必要なの」

 

「――――」

 

その言葉にスバルが受けた衝撃は、筆舌に尽くし難いものがあった。

思わず口をぽかんと開けて押し黙るスバルに、エミリアの表情を不安が走る。彼女は持ち上げた手をさまよわせ、スバルに触れるかどうかを悩むように、

 

「あ、えっと、その、どうしたの?私、またなにか変なことを……」

 

「俺のやる気スイッチはエミリアたんが持ってんだね。入れるときも切るときも、君の一言で全部オートだ。たまんねぇ」

 

掌で顔を覆って、スバルはそんな言葉でエミリアを翻弄する。

実際、スバルの発言の意図が読めず、翻弄されるエミリアは「え?え?どういう意味?」と混乱した様子でいるが、ざまあみろと思わせてもらいたい。

その彼女を上回る翻弄されぶりを、スバル自身がしっかりと味わっているのだから。

 

「――お話は、まとまったようですわね」

 

「わひゃい!?」

 

と、傍から見ればいちゃついているとしか思えない二人のやり取りは、開かれた扉をノックするフレデリカの参入によってあえなく途切れさせられる。

エミリアはフレデリカの登場に驚いていないが、スバルの方は心臓の動悸を隠しつつ彼女を睨まずにはおれない。一方、フレデリカはそんなスバルの心情をわかっているだろうに、その涼しげな凶相には欠片も配慮を浮かべず、

 

「お二人が『聖域』へ行かれることに異議はありませんわ。ただ、準備に二日ほどのお時間をいただかなくてはなりませんの」

 

「準備って、フレデリカもついてきてくれるのか?」

 

「いいえ、わたくしは屋敷の管理がありますので同行はできませんわ。代わりに、スバル様の連れられた地竜の方に『聖域』の場所を教えますので」

 

「パトラッシュに?」

 

思いがけない提案にスバルが目を丸くする。

その反応にフレデリカは「ええ」と当たり前のような態度で、

 

「地竜は賢い生き物ですから、教え込めば道案内なしでも十分に行路の把握が可能ですわ。特に、あの子は賢い様子でしたもの。問題はありませんわね」

 

「ますます優良物件だな、パトラッシュ。ホントに、なんでフラグ立ったの?」

 

「それよりも、お二人にもいくつかお話しなくてはならないことがありますわ」

 

過ぎた相棒にスバルは首をひねるが、フレデリカはそれには応じず、その屈強な体躯を真っ直ぐに伸ばし、二人を見据えて、

 

「『聖域』に行かれる以上、覚えておいてほしいことがいくつかあります。特にエミリア様は出自のこともありますので、ご注意を」

 

「――ええ、覚悟してる。色々と、曰くつきの場所って話だから」

 

脅すようなフレデリカの忠告に、エミリアは強い意思を宿した眼差しで顎を引く。

スバルもまた、そんな彼女の意思を尊重するように隣に並び立ち、

 

「ぶっちゃけ俺はまだ『聖域』って場所を名前以上に知ってるわけじゃないんだけど……エミリアたんの力になるのが至上目的だからな。なんでも、聞かせてくれ」

 

「いっそ清々しいぐらいに純粋な不純さですわね」

 

呆れと感心が同時にフレデリカの瞳を過り、それから彼女は瞬きひとつでそれらの感慨を押し潰すと、ひとつ指を立てて、

 

「では、『聖域』のお話を。それとひとつ、覚えておいてほしいことが」

 

「覚えて」

「ほしいこと?」

 

スバルとエミリアが同時に首を傾げると、フレデリカは「はい」と頷き、わずかに声の調子を落として、言った。

 

「――ガーフィールという人物にお気をつけてください。『聖域』において、お二人がもっとも注意して接しなくてはならないのが、その人物ですわ」