『禁書庫の番人と双子のメイド』


 

そこはまさしく、『書庫』と呼ぶしかない部屋だった。

広いスペースは二十畳ワンルームの倍ほどもあり、壁際を始めとして至るところに書棚が設置されている。どの書棚にも本がみっちりと詰められていて、蔵書数はどれほどになるのか想像するのも難しい。

 

「本って意外と場所とるし重いから数持つのも困るよな。うちの場合なんか家族揃って漫画大好きだから、あんまり本を増やしすぎて二階の床抜けたことあるしさー」

 

なんの前触れもなく床が落ちて、二部屋改装の大惨事。幸い、怪我人は出なかったし、その後は漫画保管用の倉庫にしまってあるので問題はない。

そんな本に関するエピソードを持つスバルから見ても、この部屋の蔵書数は床を抜いた我が家を上回っている。もちろん、屋敷の造り自体がスバルの自宅より頑健なのは間違いないだろうが。

 

「こんだけ本があれば一冊ぐらい俺の読める本が……ってのは高望みか」

 

パッと見渡した感じ、日本語で書かれた背表紙は見当たらない。アルファベットも見当たらず、あるのは商い通りの看板などで見かけた象形文字っぽい文字が大半だ。やはり、アレがこの世界の公用文字なのだろう。

この世界で生きていくのなら、その習得は必須となりそうだ。語学の授業を中学で投げ出したスバルにとって、それは早くも苦難を感じさせる。

来たる難事に対してため息をこぼすスバル。すると、

 

「他人の書架をずけずけ眺めて、おまけにため息。……ひょっとしてケンカ売ってるのかしら?だったら買うのよ?」

 

「初対面の相手と準備なしに話せるほどコミュ能力なくてさぁ。ちょっぴり助走入れるくらい許してくれよ、メンゴ。ってなわけで、テイクツー」

 

じと目で睨んでくる少女に手を挙げて、スバルは一度部屋の外へ。

それから扉を開けて再度入室し、変わらず中央で佇む少女を見ながら、

 

「おっと、人発見。初めまして、こんにちは。ちょっとお話しようぜ?」

 

「ベティーを馬鹿にしてるのはわかったのよ。書架への不法侵入といい、お仕置きされても仕方ないと思わないかしら?」

 

出会いを再演出するスバルに、少女は愛らしく酷薄に笑った。

 

この表現も異世界で何度目か――美しい少女だった。

年齢はフェルトよりさらに幼く、おそらくは十一、二歳といったところ。豪奢でフリルを多用された藍色のドレスを着用し、その過剰装飾がやたらと似合う愛らしい顔立ちをしている。

髪の色はクリーム色というのが一番近く、淡いその輝きを長く伸ばし、ロールした巻き毛にしているのが特徴だ。かなりドリルっている。

可憐、とその言葉が具現化したような容貌の少女だ。微笑めば誰もが頬をゆるめずにはいられない可愛らしさ。

それが今、つんと澄まし顔でスバルの前に立っている。

 

「つんつんしてると可愛い顔が台無しだぜ?ほーら、スマイルスマーイル」

 

「ベティーが可愛いのなんて当たり前なのよ。それよりも、お前をどうするかの方が問題なのかしら」

 

「どうするとか穏やかじゃねぇな。そっちの思惑無視したのは悪かったよぉ。俺ってこういうので無意識に正解一発で引いちゃうタイプなんだわ。GMからしたら用意したイベント全部踏んでほしいとこだろうけど」

 

四つ選択肢があって、総当たりしかヒントがない場合の展開で一発正解を引き当てる才能。人はそれを『空気が読めない』ともいう。

過去、そうして無意識的にスバルが潰してきたイベントは多い。

さっきの幻影廊下のことも、その中のひとつに書き加えられることだろう。

 

「他人の家の廊下で用を足そうとしたり、マナ感知型の罠をたくさん用意した廊下を渡りもしないでここにきたり……一言で最悪なのよ」

 

「RPGとかでも一切、寄り道しねぇタイプよ、俺。おかげで二週目はサブイベント回収で忙しい忙しい」

 

ギャルゲーだと逆に攻略ヒロイン一途なので、CG回収はわりと楽だったりするのだが。寄り道多い系だとCG観賞が穴だらけになるが。

 

そんなとりとめのない思考は一度さて置き、スバルは「さて」と気を取り直すように言ってから改めて少女を見る。

先ほどからの発言を見るに、どうやら彼女が廊下をループする仕掛けを施した下手人でいいらしい。その後、廊下にはスバルの尿意を妨げる様々なサプライズイベントも仕掛けてあったようだ。全部、未然に防いだが。

 

「しっかし、自分の力が見せびらかしたいってのはわかるけど、そのために人の生理現象邪魔しようってのは笑えねぇぜ?危うく、社会的に俺が死ぬところだったんだ。考えただけで身震いするぜ」

 

「今になって思うと、同じところグルグルさせてればよかったのよ。そうすれば少なくとも、ベティーの屈辱は半分こで済んだかしら」

 

「そうだぜ、ベティー。ま、ここまで踏み込んだ以上はリアルラックも含めて俺の方が上手だったってこと。マジ半端なく苦しゅうないぜ、俺」

 

尿意トークで再び盛り上がってくる高波。

それを誤魔化すようにその場で足踏み運動するスバルに、少女は疲れたように自分の眉根のあたりに指を当てて、

 

「つ、疲れる奴なのよ……。ロズワールも、あの娘に勝手を許すからこんなわけのわかんない奴と会う羽目に。あとでとっちめてやるのよ」

 

「疲れてんのか、そんな若いのに。子どもは風の子、元気な子だぜ!眉間に皺寄せてるなんてつまんねぇよ!ほらガンバガンバ!強く生きろよ!」

 

親指立ててサムズアップ。

貧民街で、スバル自身も何度もかけられた『強く生きろ』がキャッチコピー。最初はどうかと思ったが、言ってるうちに元気になる気がしてきた。

地味にフレーズが気に入り出したスバルを、少女は半眼で見つめてくる。その視線にスバルは舌を出して照れ笑いで応じて、

 

「待つのよ。その反応は予想と違う。気持ち悪いのよ」

 

「キモイとか略されるより傷付くな!それはそれとして、本題に入っていいか?あんまり横道それると俺の膀胱がそれなりにピンチ」

 

「後半意味わかんないけど、ベティーのためにも本題に入った方がよさそうな感じはするのよ」

 

「おっけおっけ。それじゃ……」

 

「トイレの場所を」と質問しようとして、そろそろ冗談じゃ済まないような気がしてきたので自制して割愛。

なんだかんだ言っても、目の前の相手はカテゴリー魔法使いだ。廊下をループさせた手並みといい、スバルではお話にならない可能性が高い。

それ以前にスバルは病み上がりの空腹状態で、戦闘力も低下中。特にさっきの全力疾走で、体力面に不安が大きいのを実感している。

傷は治っているのだが、おそらくは血が足りていないのだ。

 

「レバー食べたいレバー。レバニラ食べて、血を補給したい。今宵は『虎鉄』じゃなくて俺が血に飢えてるぜ、ひゅー」

 

「もう横道それてるとかわけわかんないのよ、こいつ……」

 

「あ、ごめんごめん、本題本題。えーっと、とりあえず、ここってどこ?」

 

相手が素直に話し合いに応じてくれている間に情報収集すべきだろう。少女の律儀さに感謝しつつ、スバルはいくつか疑問をぶつけてみることに。

まずは自分の立ち位置確認だ。さすがに現状、エルザ側にとっ捕まったとは思えないが、さりとて他の二人のどちらかとも断定し難い。

そのあたり、彼女の発言から確信が得られれば、と思ったのだが、

 

「ベティーの寝室なのよ」

 

「……額面通りに答えるのを正解と思ってるのって、今どきの若い子にありがちなマニュアル人間って奴なんだと思う。あんましよくないぞ?」

 

「ちょっとからかい返したらこの有様なのよ!」

 

素で返されてご立腹の少女――自称をベティーと言っているが、それが彼女の名前なのだろうか。愛称っぽい気もするが。

そんな感慨を得るスバルに少女は頬を膨らませる。彼女は腕を組み、きらびやかなドレスを揺らしてこちらへ近寄ってきながら、

 

「そろそろベティーも限界なのよ。ちょっと思い知らせてやった方がいいような気がするかしら」

 

「おいおい、捕虜虐待とか前時代的だ、やめよーよ!?俺ってば尿意我慢してるだけの常人、むしろ尿意分だけ常人より危険度マイナスだぜ」

 

「もう出そうって意味では普通より危険人物なのよ」

 

「クソっ、うまい返し方しやがって。ダメだ、とっさに自分の無力さを証明する手立てが思いつかねぇ!ぷるぷる、ボク、悪い人間じゃないよっ」

 

小刻みに首を横に振って、限界まで体を小さくしながら瞳を潤ませる決死のアピール。が、少女の歩みはゆるむどころか速度を増した。

そして、

 

「――動くんじゃないのよ」

 

ゾッと、背筋を寒気が走るような感覚がスバルを襲った。

ふいに、それまで書庫の中を支配していた古い紙の臭いが消し飛び、つーんと鼻の奥に氷を差し込まれたような痛みが走る。

肌が粟立ち、遠く甲高い耳鳴りが聞こえる。嗅覚の不全は、他の五感に集中するために一部機能を遮断されたのが原因だ。

この場合、視覚と触覚――その二種類に意識が全投入されている。

 

目の前、すでに少女は手が届く位置にまで近付いていた。

身長差は歴然。少女の身長はスバルの胸ほどまでしかなく、その浅葱色の瞳が間近でこちらを見上げてきている。

薄い桃色の唇が微笑みを象り、ひたすらに少女の無邪気さだけがスバルの警鐘を打ち鳴らし続けていた。

 

「何か言いたいことでも?」

 

少女は首を傾けて、目を見開き、唇を震わせるスバルに問いかける。

額を伝う汗が頬を流れ、その感覚にわずかな時間だけ硬直を解かれ、スバルは許された一瞬で最善の一言を探る。

そう、この場で発するべき、現状を打開する一言。それは――、

 

「い、痛くしないでね」

 

「軽口もここまで徹底してると感心するのよ。――痛いかどうか、それはお前次第じゃないかしら」

 

本気で感心したような口調で言って、少女の手がスバルの胸に伸びる。

掌がこちらの胸に合わされ、表面を優しく慎ましやかに撫でた。

くすぐったいような感触に首筋を撫ぜられるような悪寒――そして、

 

「ぶわぅ……ッ」

 

――次の瞬間、スバルは全身を炎であぶられたような錯覚を得た。

 

すさまじい何かが体内を荒れ狂い、指先から髪の毛一本まで全てを焼き尽くすような感覚。

体の内外を、余さず火炎の指でなぞられたような痛みを伴う不快感。

 

視界が明滅し、気付けばスバルはその場に膝をつき、大量の涙を流して崩れ落ちていた。息は何キロも走り続けたように荒く、全身が無茶な筋トレをした翌日のようにだるくて痛い。

なにより、精神的なものがごっそり引きずり出された疲労感があった。

 

「気絶しなかったみたいなのね。聞いてた通り、頑丈なのよ」

 

「な、何しやがった、ドリルロリ……」

 

「ちょっと体の中のマナに聞いただけなのよ。――凡庸なのに、変な魂の形をしているかしら。ゲートも閉じっ放しみたいだし」

 

矛盾した内容を呟き、少女は崩れ落ちたスバルの前で膝を折る。

彼女は必死に上体を支えているスバルを指でつんつんしながら、

 

「まあ、敵意がないみたいなのは確かめられたのよ。それに、これまでベティーに働いた散々の無礼も、今のマナ徴収で許したげるかしら」

 

突かれて限界に達し、震える腕で支え切れずに上半身が床に落ちる。

うつ伏せの姿勢で地面にキスするのは三度目。もう唇も初心じゃない。そこまで考えて、このやり直した世界だとまだファーストキスだな、と思う。

 

くだらない思考の間に体中の余力をかき集め、スバルはどうにか床の上で首の角度を変える。時間をかけてゆっくり、見上げるのは少女の顔だ。

「ん?」とスバルの努力を見守り、少女は口の端を楽しげにゆるめる。そんな笑顔に向かってスバルも歯を剥いて笑い、

 

「お前、アレだろ……人間じゃねぇな。この場合、性格的な意味じゃなく」

 

「にーちゃに会ってるわりには気付くのが遅かったのよ」

 

彼女の語り口は見た目以上に幼く、それがかえって羽虫の羽をもいで遊ぶ残酷な幼児性を感じさせる。

よだれを垂らして這いつくばるスバルを見て、楽しげにしているのもそんな印象を後押しするポイントだ。

 

「一個、訂正……性格的にも、お前、人間じゃねぇや……」

 

「気高く貴き存在を、お前の尺度で測るんじゃないのよ、ニンゲン」

 

それは少女が口にするには、あまりにも冷たすぎる温度の発言だ。

なんとなく、胸の内にくすぶるものをスバルは感じる。だが、感じはしたが行動に移すだけの余力がもう残されていない。

精神的肉体的疲労は、スバルの意思とは無関係に意識を闇へと引きずり込もうとしている。

 

――目が覚めたばっかりだってのに、また意識不明かよ。

 

「他の連中には話しておいてあげるのよ。ここで漏らされても困るから」

 

最後っ屁に本気でここで全部出したろか。……ダメだ、ガッツが足りない。

そんな減らず口を叩くこともできず、スバルは再び眠りへ落ちていった。

 

※ ※※※※※※※※※※※※

 

「あら、目覚めましたわ、姉様」

「そうね、目覚めたわね、レム」

 

眠りから目覚める感覚は水から顔を出す感覚に以下同文。

時間変わって再びの目覚めは、声質が同じ二人の少女の声から始まった。

 

やわらかな寝心地はどうやら同じベッド。

寝起きのスバルの瞼を焼いたのは、カーテンからわずかに差し込む日差しだ。眩い光の度合いは柔らかく、感覚的に朝だろうかと思う。

 

「出先で時間がわからない。そんなときに便利、無精ヒゲタイマー」

 

見えない誰かにセールストークをかまして、体を起こしつつ時間確認。

顎の無精ヒゲ時計に触れると、感覚的には先ほどの目覚めから四、五時間ほどだろうか。まだ多少、体にだるさは残っている。

 

「今は陽日七時ですのよ、お客様」

「今は陽日七時になるわ、お客様」

 

窓側を見つめて、時間を確認するアクションを見せたからか、声が親切にその疑問に答えてくれる。

陽日七時――よく意味がわからないが、字面からして明るい時間の七時だろうか。そもそも、この世界の時間が二十四時間なのかもわからない。

安易に朝の七時、と断定するのも難しいところだが、ついさっきのほんの数十分程度の目覚めをカウントしないなら、

 

「ほぼ丸一日寝っ放したか。まぁ、最高で五十二時間寝続けたひきこもりの俺には大したことでもねぇな」

 

「まあ、ろくでなしの発言ですわ。聞きました、姉様」

「ええ、穀潰しの発言ね。聞いたわよ、レム」

 

「んで、さっきからステレオチックに俺を責める君らは誰よ、姉様方!」

 

がばっ、と布団を跳ねのけて起き上がるスバル。

そのオーバーアクションに、ベッドの横でスバルを挟むように立っていた少女たちが驚く。彼女たちはそのままベッドを大きく迂回し、部屋の中央で合流すると、互いに手と手を重ね合わせてスバルを見た。

 

ある程度予想はしていたが、指を絡めてスバルを見つめる少女たちの容姿は瓜二つ――双子の少女だった。

 

身長はおおよそ百五十センチ真ん中ぐらい。大きな瞳に桃色の唇、彫の浅い顔立ちは幼さと愛らしさを感じさせる。

瓜二つの顔をした二人は髪形もショートカットに揃えているが、髪の色は桃色と水色でそれぞれ違う。さらに髪の毛で片目を隠しているが、桃色は左目で水色は右目を隠しているというのも違いだ。

 

だが、そんな違いは些細なことでしかない。この瞬間、それらの特徴を踏まえた上でスバルの心をもっともかき乱したのは、

 

「馬鹿な……この世界には、メイド服が存在するっていうのか!」

 

黒を基調としたエプロンドレスに、頭の上に乗せたホワイトプリム。メイド服としてオーソドックスなクラシックスタイルに身を包む、双子の美少女。

――これぞ、メイド理想の体現といえる。

 

「大変ですわ。今、お客様の頭の中で卑猥な辱めを受けています、姉様が」

「大変だわ。今、お客様の頭の中で恥辱の限りを受けているのよ。レムが」

 

「俺のキャパシティを舐めるなよ。二人まとめて妄想の餌食だぜ、姉様方」

 

両腕を交差して宙で掌をわきわき。無意味な動作にメイド二人の顔に戦慄が浮かび、彼女たちは絡めていた指をほどいて互いを指差し、

 

「お許しになって、お客様。レムだけは見逃して、姉様を汚してください」

「やめてちょうだい、お客様。ラムは見逃して、レムを凌辱するといいわ」

 

「超麗しくねぇな、この姉妹愛!お互い売るとか、そして俺は超悪役か!」

 

きゃーこわーい、と再び手を取り合って逃げる双子。

ベッドから飛び出し、それを追いかけるスバル。

広い部屋の中、追いかけっこしながらぐるぐると三人は駆け回る。と、

 

「……もっと大人しく目覚めたりできなかったの?」

 

とんとん、と開いた扉を内側からノックして、こちらを見る少女がいた。

長い銀色の髪の美しさは陰りを知らず、今日は結びをほどかれて自然と背中へ流されている。服装は町で見かけたローブ姿ではなく、黒い系統が目立つ細身に似合ったデザインの格好だ。スカートは膝丈よりやや短く艶やかだが、その領域は腿の上まで届くニーソックスが隠している。

 

「わかってる!選んだ奴はわかってるぜ、GJ!」

 

「……なんのことだかわからないのに、くだらないってわかるのってある意味すごーく残念なんだけど」

 

拳を握りしめて思わず喝采するスバル。

そんな彼を少女――エミリアが部屋の入口で、呆れたような目で見ていた。