『都市庁舎攻略戦』
――都市プリステラは、今朝までの様相が嘘のように静まり返っていた。
石畳の上を歩き、流れる水路へちらと視線を向ける。
水は澱みなく透き通り、今も決まった流れに従って水流を生んでいる。一本の水路の中で左右に水の流れが行き違う不思議な機構も健在で、人波さえ戻ってくれば今の都市の窮地が夢であったと信じられそうなほどだった。
「大将、ちんッたらしてらんねェぜ」
「ああ、わかってる。都市庁舎の攻略が一秒遅れるごとに、危険が一割増すぐらいに考えねぇといけねぇからな」
「それやと、十一秒で限界突破してまうやんか。まあ、言えた話でもないわな!」
先導するガーフィールが目を細めて、リカードのでかい声に不服を訴える。が、獣人の横顔には聞き慣れた注意勧告など何のそのだ。
鉈を担いで地面を力強く踏みしめるリカードは、ガーフィールが抱く緊張や罪悪感になど一切の気を払っていなかった。
普段の調子に見えるリカードと、明らかに普段の調子ではないガーフィール。
とはいえ、リカードも家族のように思っている部下三人を傷付けられたのだ。その心中が穏やかでないのは、避難所でのやり取りで十分に目の当たりにしている。
一方でガーフィールも、いつもの根拠のない自信と無鉄砲さが今は鳴りを潜め、慎重というよりは臆病にも思えるほどに警戒心を周囲へ張り巡らせていた。
「……なんて、俺も言ってられねぇか」
普段の気持ちを維持できていないのは、何も二人だけではない。
スバルとて、右足の負傷にベアトリスの離脱。何より、エミリアの安否がわからないことに焦燥感を隠し切れずにいる。
状況の変化を拙速に求めるのも、主導権を握られっ放しでいることが、最悪を呼び寄せると経験則でわかっているからに他ならない。
三者三様に、問題を抱え込んだ都市庁舎攻略組。
魔女教徒や暴徒との遭遇が一度もないままに、他の避難所のメンバーと打ち合わせていた場所へと辿り着くことができた。と、そこにはすでに、
「スバル殿」
「よかった。ご無事でいらして」
ヴィルヘルムとクルシュが、スバルたちの到着に表情を明るくしていた。無論、同じ場にはユリウスの姿もあり、彼は己の髪を軽く手で撫でつけると、
「エミリア様のことが不安だろうと思うが、ここに加わって大丈夫なのかい?」
「どこを優先するのが全体のためか、見失うほど馬鹿のままじゃねぇよ。それに頭にくる話だが、連れ去った野郎の目的が目的だ。エミリアに危害を加えることは、ひとまずは考えなくていいって気持ちもある」
「心中を察するよ。もしもアナスタシア様が同じような状況へ置かれれば、私も平静でいられるとは思えない」
気遣いの言葉に頷いて、スバルはヴィルヘルムへ向き直る。
老剣士は腕を組みながら目をつむり、静かな剣気を全身から漲らせていた。
その脳裏に何を描き、瞼の裏でどんな思いが渦巻くのか、スバルには察せない。
ただ、ヴィルヘルムはスバルの視線に気付くと目を開け、それから懐に手を入れるとスバルへと対話鏡を差し出してきた。
「スバル殿、お話していた通り、対話鏡になります。戦いの最中は気を配る余裕があるとは限りませぬ故、よろしくお願いいたします」
「了解です。これでひとまず、予定通りに行き渡ったかな」
渡された対話鏡をポケットに仕舞い、スバルはヴィルヘルムへ頷き返した。
対話鏡は三ヶ所の避難所メンバーで、連絡を担当するものが持つように話し合った。
戦闘班ではもっとも戦力的に役立たずであるスバルが。各避難所を回るフェリスが一つを持ち歩き、最後の一つは情報を集積するアナスタシアが所持している。
理想的にはこの三ヶ所で、綿密な連携が取れるように運用するのが望ましい。
「では、改めて確認しましょう。ガーフィール様が確認した段階で、都市庁舎を守っていたのは二人の魔女教徒。大剣を扱う男性と、長剣を振るう女性。これは間違いありませんね?」
「あァ、間違いねェ。どっちも尋常じゃァねェ使い手だ。俺様ぐれェやれねェと、すぐに真っ二つにされッて終わっちまうだろォよ」
集まった全員で情報を共有するために、クルシュが音頭を取って話をまとめる。
ガーフィールの答えに顎を引き、クルシュはヴィルヘルムとユリウスを交互に見ると、
「その二者に加えて、都市庁舎を占拠していると目されている『色欲』の大罪司教。及び魔女教徒の存在が予想されます。『色欲』の大罪司教について、伝え聞いていることなどはありませんか?」
「申し訳ありません。少なくとも、近衛騎士にも私が知れる範囲では『色欲』について聞き及んだことは一度も。有名なのは『怠惰』と『強欲』でしたが、『強欲』については今回はスバルの方が……」
言葉の途中で、ユリウスがスバルの方へ話を振る。スバルは頷き、
「『強欲』もきてるし、前に聞いた話も嘘じゃないと思う。ただ……帝国だったか?そこの最強の騎士を倒せるほど強いって話は、ちっと疑問だ。動きとかは正直、俺でも相手できるぐらいに素人臭かった。ただ……攻撃が通用しなかった」
「そら、兄ちゃんが非力っちゅー話とは違うんか?」
「そういうレベルの話じゃねぇな。大罪司教同士で仲間割れして、『憤怒』が『強欲』に火を浴びせかけてたんだが、『強欲』は避けもしないで火傷どころか、服に焦げ目一つつけてなかった。そのカラクリがわからねぇ」
レグルスの権能が便宜的に、『無敵』とでも言っておこうか。
あくまで便宜的で片付いてくれないと、本当に攻略の糸口もない最悪の力だ。まさかそんな理不尽一直線の能力ではないと信じたいところだが。
「うちの『最強』がいてくれれば、こんな悩まなくてもよさそうなのにな……」
「無辜の民が傷付けられかねない状況で、ラインハルトが姿を現さないなんて考えられないことだ。彼の身にも、動き出せないだけの問題が降りかかっていると考えるべきだろう。それこそ、他の魔女教とぶつかっている可能性も含めて」
ユリウスだけが、スバルにわかるように目配せを送ってくる。
事件が起きる前に、ハインケルと何らかの接触をしていたというフェルトとラインハルトの二人。彼らが動けない理由の、嫌な想像が当たらなければいいが。
「確かめたいことなら他にもあるぜ。『色欲』の野郎が名乗った、カペラ・エメラダ・ルグニカって名前だ。ルグニカ王族を名乗ることに何の意味があると思う?」
「おちょくっとるんとちゃうんか?王族が滅んだんはみんな知っとることやぞ」
「あるいは何かのメッセージでは?ただの悪ふざけだと切り捨てるのは、少し尚早すぎる気がします」
スバルの疑問に、リカードとクルシュが異なる見解を持ち出す。
二人の意見はどちらも、魔女教ならばあり得るという意味で考慮に値する。声だけでその性格の悪さがわかる『色欲』だ。リカードの言ったように悪ふざけの可能性は十分にあるし、悪辣な謎かけである可能性も考えられる。
ただ、そのいずれとも違った見解を持ち出したのは、挙手したヴィルヘルムだった。
「一つ、思い当たる節がございます」
「思い当たる、ってのは?」
「カペラ、についてはわかりかねますが、エメラダ・ルグニカという響きには少々聞き覚えが。といっても、直接の面識があるわけではありませんが……エメラダ様というお名前の方は、かつてのルグニカ王家に確かにいらっしゃいました」
「――――!」
思わぬ情報に全員が目を丸くすると、ヴィルヘルムは己の顎に触れて、
「遡ること、亜人戦争以前になります。私が従軍するより前ですから、もう五十年以上前になるでしょうか。当時のルグニカ王家には、エメラダ様と呼ばれる非常に美しく聡明な方がいらっしゃったと」
「そのエメラダと、『色欲』が名乗ってるってのか?何のために」
「その意図までは私には。ただ、エメラダ様は若くして病に侵されて、そのままお亡くなりになったと窺っています。しかし……国葬は行われるようなことはなく」
王族の死に際し、その葬儀が行われなかったというのは少し不思議な話だ。
どうしてそんなことに、とスバルが首を傾げると、ヴィルヘルムはどう話すべきかと眉根を寄せながら、
「当時の情勢が難しかった、というのが表向きの理由です。ですが、本当のところは国民感情がそれを望まなかったからと」
「国民が望まなかった、って?」
「エメラダ様は美しく、大変に賢い方でしたが……その性質は残忍極まりなく、余人には計り知れない闇を抱えていらしたと。故にルグニカ王家でも異端児とされ、その死の事実すらもしばらくは隠されていたと」
確証のない話で、一度は剣を預けた王国の品位に拘わる話をするのが心苦しいのだろう。ヴィルヘルムの話も後半は歯切れが悪い。
その代わりに、エメラダを名乗る『色欲』の性根の悪さが浮き彫りになった。
「さすがに本人ってことはねぇだろうから……『色欲』がエメラダを名乗るのは」
「ルグニカ王家への当てつけと、エメラダ様の名を知る者への悪趣味な嫌がらせ。迂遠な手法を取っての、疑心暗鬼を誘うものかと」
ヴィルヘルムの結論に、その場にいた全員がやりきれない顔でため息をつく。
特にスバル、ガーフィール、リカードの王国への忠誠が薄い面々と違い、クルシュ、ヴィルヘルム、ユリウスの三者の内心は計り知れない。
王家に後ろ足で砂をかけ、嘲笑うような悪辣な振舞いだ。
「それにしても……カペラ、カペラか」
「その響きに何か思い入れでもあるのかい?」
額に手を当てて、口の中で『色欲』の名を繰り返すスバルに目敏くユリウスが気付いた。その彼の視線にスバルは渋い顔をして、「いや」と前置きしてから、
「カペラだけじゃねぇんだ。レグルスと、シリウスもそうだ。ペテルギウスも、今にして考えると……まさか、意味があるとは考え難いんだが」
「んッだよ、大将。奴らの名前になんか、意味でもあるってェのか?」
「大したことじゃねぇよ。ただ……奴らの名前がひょっとすると、俺の地元の星の名前と同じのばっかな気がして、少し」
「星の名前、ですか?」
スバルの答えに、興味深そうに目を瞬かせたのはクルシュだった。
他の面子も興味を持ったのを見て、スバルは頭を掻きながら、
「変な期待しないでくれよ?その、俺の地元じゃ星に名前を付けてて、それがどうも大罪司教の名前と被るのが多い。俺はその、星の名前と逸話が好きでな。ちょっと詳しかったりすんだよ」
「ずいぶんとらしくない趣味を持っているものだ。星、とはね」
「言っとくが、俺のスバルって名前も星から取ってんだよ。いや、今はそんなことはどうでもいい。ただそんだけの話だ。つまらねぇ話で悪かったよ」
物問いたげな全員の視線を振り払い、スバルはバツが悪くなる。
しかし、話を終わらせようとするスバルに、クルシュはなおも待ったをかけた。
「待ってください、スバル様。その星の名前、本当にただそこで終わりでしょうか?たまたま本当に、彼らの名前と星の名前が一致した。それだけですか?」
「それだけかって、それだけじゃない場合って何があるんだよ」
「たとえば、スバル様の故郷の星の名前が、彼らの名前のルーツである可能性は?魔女教は発生した成り立ちから活動まで、一切が謎に包まれている集団です。ひょっとしたら繋がるかもしれない可能性を、自分から閉ざしてはいけません」
「――――」
クルシュの予想外の食い下がりに、スバルは呆気に取られながらも思考する。
正直、星の名前の符号は単なる偶然だろうとスバルは考えていた。何故ならここは異世界であり、スバルの知る星の名前が伝わる理由などどこにもないからだ。
だが、本当にそう言い切れるだろうか。
このプリステラで、ワフー建築なる形で日本家屋の建築様式が伝わっていたのをスバルは目の当たりにしている。カララギにはお好み焼きや、ひょっとすると関西弁すらホーシンの手で文化として根付いているのだ。
あるいは魔女教の設立にも、スバルの知る現代知識が絡んでいるのかもしれない。大罪司教に星の名前を付けるような、センスのない試みが実際に。
「ペテルギウス。レグルス。シリウス。カペラ……」
「そうです。その星の名前に、逸話があるとスバル様は言っていました。その逸話はどんな逸話なんですか?関係があるかもしれません」
「逸話、逸話ってのは……」
元の世界との繋がりが遠ざかるにつれて、薄れ始める星の記憶を掘り起こす。
好きだった、大好きだった天体図鑑。自分の名前の由来が星にあると知って、スバルは貪るように図鑑にのめり込み、たくさんの星々を脳裏に刻み込んだ。
その中に、憎き大罪司教たちと同じ名前を関する星の存在が――、
「巨人の脇の下と、ジャウザーの手だ」
「え?」
脇の下、と考えてもいなかった単語を聞いて、クルシュが首を傾げる。
しかし、スバルは彼女のそんな反応には気付かず、その細い肩を掴んで揺すり、詰め寄りながら言った。
「ジャウザーの手だ。そうだ。ジャウザーの手だった!」
「す、スバル様?何を……ジャウザーの手って」
「ペテルギウス……じゃなく、ベテルギウスの語源だよ。あいつの力は『見えざる手』で、ベテルギウスの語源はジャウザーの手だ!」
こじつけと笑うならば笑うがいい。
だが、これが本当に偶然の一致か。こじつけだと、そう笑える符号だろうか。
ペテルギウスではなく、ベテルギウスであると星に詳しいスバルからすればはっきりと指摘してやりたい。それが理由で、こんなことに気付くのが遅れた。
「シリウスは『焼き焦がすもの』『光り輝くもの』、これは微妙か?火を噴いてたけど、言うほど符号しないか。……レグルスは、『小さな王』だ。自己中なあいつにはぴったりの価値観じゃないか!それにカペラは……!」
「カペラは?」
「雌ヤギだ!雌ヤギだった!カペラは雌ヤギだぜ!」
記憶力が唸り、スバルの中で星の逸話と大罪司教の関連性が意味を持った。
会心の笑みを浮かべて、どうだと胸を張るスバル。
そのスバルの答えを聞いて、肩を掴まれたままのクルシュが眉を下げる。それから彼女が視線を残る四名へ向けると、彼らも難しい顔をして、
「脇の下ですかな」
「それから光り輝くものと」
「ちっぽけな王様っちゅーのと」
「雌ヤギってェなァ」
「――あれ?」
首をひねる四者の反応に、スバルは自分の見つけ出した情報が、思った以上に振るわなかったことに今さら気付き、
「スバル様、ごめんなさい。私の考えが足りなかったばかりに」
そう、クルシュにすら恐縮させてしまったのだった。
※※※※※※※※※※※※※
星の名前と大罪司教の符号、それで奴らのルーツに迫る狙いは見事に失敗した。
だが、その失敗にいつまでもかかずらわってはいられない。速度が重視される電撃作戦に挑む前に、これ以上の時間の浪費も避けなくてはならなかった。
故に、スバルたちは全員の能力と戦闘スタイルを共有し、打って出る。
道中はちょこまかと、ユリウスとクルシュに同行してきた『鉄の牙』の団員が警戒態勢を取りつつ道を確保し、六人は無事に都市庁舎までの直線へ辿り着いた。
「前回と、なァにも変わっちゃいやがらねェ」
鼻を鳴らして、敵影がないのを確認するガーフィールが舌打ちする。
彼の話ではこの直線を突っ切り、都市庁舎へなだれ込もうとしたところを奇襲されたという話だ。ガーフィールの鼻にも、スバルの目にも、今のところは件の人影は見当たらない。
いないのであれば、そのまま都市庁舎を落とすだけだ。戦力的には敵が少ないのは歓迎したいところだが、
「――――」
両手に盾を装備するガーフィールと、鉈を担ぎ直すリカード。そして静かに凪の海のような眼光を広場へ注ぐヴィルヘルム。
この三人にとっては、その敵影が見当たらないことはどうなのだろうか。
特にヴィルヘルムにとっては、確かめたいことが多すぎるはずなのに。
「開けた場所だ。準精霊に軽く見回らせたが、人目につかないように忍び込めるような道は見当たらないな。正面から堂々と行く以外になさそうだ」
従える六体の準精霊、その内の数体に周囲を確認させたユリウスが、スバルたちにそう報告する。攻めるに難く、守るに易い嫌な立地だ。
「そのまま精霊に中を確認させられないのか?敵がどれだけいて、どんな布陣なのかわかるだけでもずいぶん楽になるぞ」
「残念だが、私の蕾たちではそこまで複雑な命令の報告はできない。敵が精霊に対策していないとも限らないから、難しいと言わざるを得ないな」
「まぁ、無茶は言えねぇか。クソ、やっぱり正面突破しかねぇのかよ」
騒ぎが拡大すれば、都市庁舎の中でどんな見せしめが行われるかわからない。
かといって、時間の経過はさらに事態の悪化を招くだけだ。魔女教は次の放送で要求を突きつけるなどと言っているが、奴らと交渉などできるはずがない。
「打ち合わせ通りにいこう。敵の戦闘力次第だけど、基本は複数で一人にかかる。さっさと片付けて、中を占拠してる奴らを一網打尽だ」
「楽観的だが、そううまくいくことに期待しよう」
スバルの言葉にユリウスが皮肉げに応じて、全員が同時にその場を立つ。
合図なしに一斉に直線を走り出し、都市庁舎前の広場へとなだれ込んだ。
どこからも敵が現れる気配はない。
先頭を走るのはガーフィールで、それにヴィルヘルムとユリウスが続く。リカードがその後ろで、クルシュとスバルが並んで最後尾だ。
右足の違和感は何も感じない。痛みも感覚もない不可思議な状態だが、走るのには何ら支障はなかった。そして、
「――いきます!」
二つの人影が、真上から先頭にいるガーフィールへ目掛けて舞い降りてくる。
大振りの刃と、細長い長剣が空中で翻るのを目にして、最後尾からその奇襲を目の当たりにしたクルシュが勇ましく叫び、剣を引き抜いた。
――百人一太刀が放たれる。
斜めに空を切り裂いたのは、『風見』の加護を応用したクルシュの必殺の一撃。
視界に入る範囲ならば数十メートルまで射程を延ばすことができる、風の刃による超遠距離斬撃だ。
白鯨にすら深手を負わせた斬撃がひた走り、空中にあった二つの影へ直撃する。
鋼と鋼が打ち合う音が鳴り響き、巨漢と華奢な影が錐揉みしながら吹っ飛んだ。
「やったか!?」
「いえ、防がれました!当たっていません!」
奇襲と、奇襲に対する奇襲は痛み分けだ。
身を回しながら石畳の上に着地する黒装束は二人、どちらも風の刃を己の得物で完全に防ぎ切っていた。
二本の大剣と、片刃の長剣。頭からすっぽりと黒装束に覆ったその姿は、まさしく魔女教徒の狂信が為せる最悪のファッションセンスだ。
二つの影は斬撃の影響も見せず、軽く前のめりになると迎撃に地を蹴る。
しかし、その直前に、
「クルシュ様の一撃は防いだが、これならばどうだろうか?」
三色の異なる輝きが影の頭上を旋回し、放出される光が魔女教徒へ降り注ぐ。
ユリウスが従える六体の準精霊が、三体一組になって巨漢と女へ魔法をぶち込んだ。見たことのない魔法の光は、凄まじい圧力で二人の敵をその場に跪かせる。
圧力に耐えかねる敵に対して、ガーフィールとヴィルヘルムが女へ。そしてリカードが鉈を振りかぶって巨漢へと躍りかかった。
「こォれで!」
「――しっ!」
「しまいやぁ!!」
直撃すれば肉体がひしゃげる打撃の威力と、剣鬼渾身の銀閃が走る。
獣人の中でも常識外れの膂力が生み出す大鉈の斬撃も、無防備な頭を叩き割らんと一直線に振り下ろされた。
必殺の間合いとタイミング、それを――。
「――――」
跪く女が手の中で長剣を回し、ガーフィールとヴィルヘルムの足下を刈る。とっさに小さく跳躍して斬撃を避ける二人に、女は長剣と同じ軌道で身を回し、広げられる長い足がガーフィールの首へ絡み、魔法の効果範囲へと引きずり込んだ。
「なァ!?」
ガーフィールの懐に入ることで、女は魔法の効果範囲から自分を外す。圧力に身動きを封じられるガーフィールの鼻面を女の膝が砕き、剣を握るのと反対の腕がガーフィールの左腕を掴み、腕の先にある盾でヴィルヘルムの斬撃を楽々と弾いた。
その離れ業にガーフィールが苦鳴を、ヴィルヘルムが呻き声を漏らす。
停滞の返礼は老剣士の胴体へぶち込まれる回し蹴りだ。
鍛えられた腹筋を貫き、女の蹴りがヴィルヘルムの体をくの字に折る。どうにかヴィルヘルムはその場に踏み止まったが、その体をもう半回転加えた女の反対の足が後ろ回し蹴りで地面へ叩きつけた。
「――――」
一方で、リカードの斬撃も巨漢の頭を砕くこと叶わずに止められる。
しゃがんだ頭蓋を砕く鉈の一撃に対して、巨漢はあっさりと両手の大剣を捨てる。そして無手になった腕を振り上げ、鉈と頭蓋の間に滑り込ませたのだ。
「アホか、ワレぇッ!」
判断ミスの結果は、当然のように両腕が断たれることで果たされる。
鉈の鈍い切れ味でも、込めれた勢いと威力が段違いだ。巨漢の太い腕が肘のあたりで切断されて、どす黒い血をまき散らして二本の腕が吹っ飛ぶ。
「――――」
そのまま両腕をなくした巨漢に対し、リカードはさらに踏み込んで鉈を横薙ぎに振り払う。大木ですら薙ぎ倒すような斬撃が、巨漢の首を吹っ飛ばしにかかる。
しかし、それを巨漢は石畳の上に放り出した大剣を別の腕で拾い、振り上げた片方の剣で打ち払った。
「なんやと!?」
ユリウスの魔法の効力をものともせず、巨漢はその体に見合わぬ機敏な動きでリカードへ次々と斬撃を放つ。ユリウスの魔法の効果を、巨漢は切断された腕の傷口から噴き出す血のカーテンで無効化したのだ。
一瞬の判断で腕を失いながらも、魔法の効果と弱点を見抜いて行動する決断力。
巨漢の戦闘経験に裏打ちされた大剣の技量に、リカードが次第に受け切れなくなり、何とか二本の大剣を打ち払ってのけ反る胴体に、巨漢の別の腕が突き刺さった。
打撃の威力にリカードが呻き、さらに別の拳がリカードの顔面を殴りつけて獣人の巨躯が大きく背後へとブッ飛ばされる。
「――――」
「――――」
迎撃された無防備な三人に、女と巨漢はトドメを刺そうと得物を振り上げる。
そこへ、かろうじて追いついた残りの三人が飛びかかり、
「合成魔法、フェイル・ゴーア!」
「当たって!」
「お願い!」
ユリウスの詠唱に風が巻き起こり、渦巻く大気に朱色の火炎が混ざり込む。
生じた炎の竜巻は一直線に女の影へと迫り、ガーフィールたちを追撃しようとしていた女は後ろへ大きく飛びずさった。
そして、祈るような声が重なって放たれる斬撃と鞭撃。
クルシュの風の刃と、それに遅れてスバルの鞭が巨漢の胴体を打ち付ける。斜めの斬撃に巨体が揺らぎ、絹を裂くような音が巨漢の胸板に痛々しい傷を生む。
だが、どちらも巨漢に対してはさしたるダメージになっていない。それでも巨漢の追撃が止んだのは、倒れるリカードの蹴りが巨漢の顎を蹴り上げたからだ。
「ざまぁ、みさらせっ!」
「言ってる場合か、とっとと下がれ、リカード!」
蹴りを放った勢いで後方回転して、鉈を拾ったリカードが鼻血を拭きながら下がる。それと合流し、スバルとクルシュたちが巨漢と対峙した。
横手で炎の竜巻が女を直撃するのを見て、スバルは思わず目を剥く。
「なんだそりゃ!?お前、そんなロマン魔法使えんの!?」
「こけおどしにすぎないよ。仕留めるための魔法としては練度不足だ。現に……」
スバルの称賛にユリウスが苦々しげに答え、彼の視線の先でその答えが出る。
女は全身に浴びせられていた炎の竜巻に対して、手にした長剣を一閃――それだけで風の中核が断たれ、バランスを失った竜巻は瓦解して消失する。
女の恐るべき剣の冴え。そして巨漢の方も驚くべきことに。
「おいおい、嘘だろ……」
黒装束の前を開き、肘から断たれた腕以外にも複数の腕を持つ巨漢。彼は自らの切断された腕を拾うと、その傷口同士を重ね合わせ、血肉が絡み合う粘質な音。
次の瞬間には、切断された巨漢の腕は傷跡を残しながらも接合されていた。感触を確かめるように、繋いだ腕が大剣を握り、これ見よがしに振り回す。
両者、健在といった様子だ。
「それに引き換え、こっちはファーストアタックが潰されてるってのに」
ちらと横目にすれば、ユリウスの援護で被害を免れたガーフィールとヴィルヘルムが、それぞれの負傷をガーフィールの治癒魔法で応急的に処置している。
だが現実、ガーフィールとヴィルヘルムの二人が同時に相手取られたことは確かだ。その絶望感たるや、ちょっとやそっとでは拭えそうにない。
しかし、完全に手が出ないかといえばそれは誤りだ。
「接近戦でメチャクチャ強いのはわかったが……遠距離攻撃は当たる」
ユリウスの魔法も、クルシュの風の刃も、スバルの鞭でさえ当たるのだ。
最後の一つは当たっても大した影響がないと割り切られた可能性もあるが、残りの二つはそれだけで形勢を決められる可能性のある攻撃には違いない。
「――――」
スバルがその意図を込めて二人を見ると、ユリウスとクルシュが顎を引いた。
ガーフィールやヴィルヘルムも、接近戦における相手の力量は理解できたのだろう。もとよりリカードは、一対一で戦うなどという理念は持っていない。
近接戦メンバーで動きを止めて、その隙に強力な魔法を打ち込む。
おそらく、被害を最小限に押さえて勝つにはそれが最善の道だ。
全員の意思が統一されて、再攻撃のための呼吸を合わせる。
そして、踏み込もうとした瞬間だった。
「無茶、無理、無謀の三拍子!どーっしててめーらみたいなクズ肉共ってそんなにこんなに愚かで醜くて浅はかで生きてられんですかねえ?アタクシだったら絶対に耐えらんなーい!きゃははははっ!」
唐突にその場に割って入る、戦場にそぐわない甲高い馬鹿笑い。
ただし、その声の主の登場がさらなる状況の悪化を招くことを全員が理解していた。故にスバルたちは戦慄し、その声の主を探して視線をさまよわせる。
どこに、どこにいるのか。そんなスバルたちを嘲笑うように、
「どこ見ていやがるんですか、ノータリンの薄ら馬鹿共はこれだから救えねーってんですよ。ちゃんと胡麻みてーな目をおっぴろげて、すっからかんの頭で一生懸命に考えて、アタクシが誰なのかちゃーんと薄汚い魂に刻めってんですよ!」
「――そんな」
周囲に視線を走らせるスバルの横で、クルシュが掠れた吐息をこぼす。
彼女は琥珀色の瞳を見開いて、首を上へ向けて頭上を見つめていた。その視線の先に『色欲』がいると感覚的に理解し、スバルも同じようにそちらを見る。
視線の向かう先は、近くて遠い都市庁舎の屋上だ。
嘲笑はそこからスバルたちへ降り注ぎ、声の主は眼下の蟻を見下している。
事実、そうだと言わざるを得なかった。何故なら、
「きゃははははっ!何なんですか、その面!その間抜け面!アタクシのために用意してやがったんですか?だとしたらまさにご褒美があげたくなるぐらいに見事な猿の真似じゃねーですか!アタクシの唾でいい?唾で大喜びでしょ?てめーらクズ肉共には、それでまさに垂涎のお宝ってもんでしょーが!」
響き渡る馬鹿笑いと、愕然とそれを見上げるスバルたち。
巨漢と女の二人の剣士は、頭上の味方だろう相手には何ら反応を見せない。
そんな戦場の様子を、『色欲』が――、
「じゃ、改めまして!アタクシが魔女教大罪司教、『色欲』担当の」
――『色欲』を名乗る、一匹の黒竜が見下ろして嗤う。
「カペラ・エメラダ・ルグニカ様でーす!死ね!腐れクズ肉共がぁ!」